My Song My Foolish Heart

4月に12年の単身赴任が終わりました!、山が好き、キースジャレットが好き、街道歩きが好き、2012年中山道を完歩しました

伊豆の国市 韮山城に登る  北条早雲の支配の原点

2016-08-15 16:29:24 | 城址を行く



山の名前はないけれど、韮山城跡 山城である。

北条氏 伊勢早雲のせめて支配した城、北条氏の関東支配への足掛かりになった城。

小田原城が拠点になったあとは城代をおいて支配をした。



ささつと登る



韮山高校のテニスコートの裏を歩いて山頂へ



一服

かすんでいるが富士山が見える。

典型的な山城で尾根筋に横長に城がある、小谷城とかと同じつくり



低い山としてるが城址・・

山の正式な名前はない。

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彩の国  岩槻城址公園

2016-06-14 19:41:29 | 城址を行く



さいたま市岩槻区 元岩槻市

岩槻城址、たまたま仕事で通った、時間があるので少し立ち寄った



岩槻城城門



池の方へ、本丸は池の端にあったようだ・・

城の築城は諸説あるが・・

古河城にいた古河公方・足利成氏に対抗するため、1457年(長禄元年)、扇谷上杉持朝とその家臣太田道真・太田道灌父子により、

江戸城・河越城とともに築かれたとされていた。

戦国時代は

扇谷上杉氏と山内上杉氏の対立から関東も戦乱期に突入する。、太田資頼が岩槻城を奪取し、以後、岩槻太田氏の居城となる。

伊豆、相模を手中に収めていた北条氏が武蔵に侵攻して岩槻城攻略に乗り出すと、1546年(天文15年)の河越夜戦で北条氏の武蔵支配が決定的になる中、

岩槻城はそれに抵抗する太田資正(三楽斎)の居城として機能した[2]。1564年(永禄7年)、資正の留守中に嫡子・太田氏資が北条氏康に内応し資正の追放を断行、

岩槻城は後北条氏方となった。

豊臣秀吉による小田原征伐の際には、氏房が小田原城に詰めたため、氏房付の宿老である伊達房実の指揮の下、2000の兵が岩槻城に籠城するが、

浅野長吉等に率る約2万の兵に攻められ、1000余の犠牲を出して数日後に降伏落城した。

江戸時代は

徳川家の譜代家臣の高力清長が2万石で岩槻城に入った。以後、青山氏・阿部氏・板倉氏・戸田氏・藤井松平氏・小笠原氏・永井氏ら譜代大名の居城となった。

江戸中期に徳川家重の側用人大岡忠光(大岡忠相の遠縁)が入り、藩主が固定。廃藩置県まで大岡氏の居城となった。



池は広い



蓮が咲いているがまだ見ごろではないようだ・・





結構な広さの城だったようだ・・



城の見取り図を見ていて、水攻めを思い立つ

元荒川の土手を切って沼に水を流し水攻めの兵糧攻めをするか・・とか

備中高松城を攻め立てた秀吉を思い浮かぶ、清水宗治無念!



戦国時代の関東のことはあまり知られていない。

小説にもあまりない、司馬遼太郎の箱根の坂の伊瀬新九郎こと北条早雲ぐらいか・・

自分も正直なところあまりわかってない。

あまりにも戦国時代が織田、武田、上杉、朝倉 浅井 毛利にクローズアップされて関東が影が薄い・・

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成東城址公園に、とりあえず城址と聞いたら行ってみる

2016-06-08 18:14:19 | 城址を行く



成東城址があるというのは知ってたが行ったことはなかった・・

とりあえず行ってみよう城址だからね、低い山の上にある

引用・・・

当地に勢力を張った千葉氏の家臣印東四郎師常(南郷師常)により、応永年間に築城されたと伝わる。

その後成東城は一時廃止されたが、享禄3年(1530年)、千葉勝胤により再興され、その子胤定が入り、成東八郎を称したと伝わる。

天正18年(1590年)、小田原征伐の際に成東城も落城し、同戦役後二万石を以って成東に封じられた石川康通、青山忠成等が入城した。

元和6年(1620年)青山氏が岩槻城に移封され、成東城も廃城となった。




なんかだれもいない公園だった、土曜日というのに・・



たぶんここのところに館があったのだろう・・

1620年に廃城とは結構短命な城だったんだ・



景色よし

九十九里浜まで見える・・

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風雲!本佐倉城 秀吉との戦いに敗れる 城址探索

2016-02-14 19:10:12 | 城址を行く



佐倉の隣の酒々井に本佐倉城址があります。

あるのは知ってたが今まで行ったことがなかった、城の位置付けがよくわからなかったのが行かない理由だったが

調べてみたら・・戦国時代下総の国一番の規模の城であったのだ・・

佐倉城は関が原以降に築城してるし新しい、佐倉城が有名すぎて陰に隠れてる城。

面積は35万平方メートル!すごい規模だ・・



前方の山のあたりに城郭群があるようだ、手前の畑は内郭の堀

この外にまだ外郭があります。



城址に・・・

まだ発掘作業がされたばかりで、なにもない、訪れる人もない。



このあたりが城の中心地か・・





さすが大きな大名の中心の城

つわものどもの夢のあと・・

秀吉にせめられて燃えて落城したのだろうな・・



戦国時代はどうしても信長を中心として甲斐武田 上杉 朝倉 浅井 毛利あたりがメインになって

関東はあまり注目されてないですが

北条氏の勢力が巨大 下総は千葉氏 安房は里見氏・・

このあたりもう少し勉強しようかな

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ならぬことはならぬものです。 鶴ヶ城へ

2015-05-24 16:05:53 | 城址を行く



ついに来たか・・・

やっときた、鶴ヶ城!



この城で会津戦争が戦われ、城はあちこちに砲弾で崩れ落ちそうになりながら

この地で戦いがあった。

いかなる思いで会津の当時の人はいただろう・・



国を挙げての戦い・・

正直、官軍そこまで追い詰めなくてもというのが自分の思い・・



武者走り・・



天守閣から磐梯山を望む・・・



この城で山本八重はミエール銃を持ち、亡くなった弟三郎の軍服をきて戦った・・

女性も薙刀をもって戦った・・



いろいろと昔のことを想像すると、壮絶な現場だっただろう・・



白虎隊自刃の絵



なかなか有意義な時間だった・・

やっとこれた。

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小田原征伐!箱根の坂の小田原城

2014-11-12 12:12:36 | 城址を行く



いつも通過するばかりのところ小田原・・・

一度はいかないと・・と思いながら・・

司馬遼太郎の箱根の坂を読んでからは伊勢新九郎、のちの北条早雲の話を読んでとりあえず

小田原城にいかねばと思いつつ・・

軍師官兵衛を見てて小田原攻め・・行こう・・・





現存する城としてはかなり大きい

どこも天守閣がちょこっとあってて感じだが堀から門までしっかりある。



天守閣も立派だ・・・

天守閣に登ってみる・・・



秀吉が即席で築城した石垣山が見えます。

築城したあと周りの樹木を切りたおし、いきなり城があらわれた・・

ここから城があらわれた時の北条方の驚きはと思うと・・・



小田原征伐の軍用図



相模湾も一望できます。

天気が悪いのが残念ですが



いずれにしても天下一の難攻不落の小田原城

いまなお、その面影はありました。



とありますが・・

最後の秀吉の小田原征伐のところが最後は残念な感じになると思うので

ドラマとしては、北条早雲の物語にして大河をした方がいいように思います。

2016年の大河は自分の大好きな真田幸村、楽しみです。

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いつもの休み 寺崎城址まで歩きました。

2014-11-02 20:56:39 | 城址を行く



朝早く起きたらまだ小雨まじりだった・・・雨もやんで8時ごろから

朝食のチーズトーストを食べて歩くことに・・いつも通り・・

空は青い、どこまでも青い。

それだけでいい。

今日は朝から暑いぐらいだ・・歩いてると汗ばむ・・



いつもの風景ですが

こんなに広々としたのは京都では見られない、なにもないが広々としてる。

ウォークマンで聴きながら歩く、今日はめずらしく平原綾香なんぞ聴きながら歩いて

明日がかかったときに、あ・・・北海道か・・・

ここも北海道と富良野と思えば思えなくないほどの田舎



寺崎城へ登ります・・・

すぐに城址



お茶を飲んでたばこを一服・・

のんびりしてるな



しばし・・休憩



こうしてみると佐倉てなんて田舎なんだろうか・・・

帰りには総武本線沿いを歩いて

撮り鉄



成田エクスプレス



特急しおさい

家に帰ればたっぷりと汗をかいていた・・・



12000歩弱・・・

こんなものかな・・

街道歩きの時の3分の一か4分の一ぐらい

ゆっくりしすぎてるかなと思いながら

無理しない・・

昼からは都賀のスーパー銭湯 天然温泉みどりの湯にいつもどおり

家から車で15分



たっぷりつかり

畳の部屋でごろんと本を読んですごした。

コーヒーがここはBOSSがない・・残念だけどコーヒー飲みたいから仕方なく他のを買った。

自宅に帰り、また読書、夕食を簡単にすませ。

軍師官兵衛を見る。

日曜のいつものパターン。

あしたは洗濯、掃除、買い出しとかいろいろ用事があるなあ・・・

単身生活は家事に追われるね・・

半日はつぶれてしまう運命。

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松本城

2012-10-16 23:39:26 | 城址を行く


先月両親を連れての善光寺詣りで帰りに松本城に立ち寄りました
松本城前公園で信州松本そば祭りなるものをやっていました。

全国のそばの店が出店してました、越前そばが人気があるような・・・・

やはり戸隠そば、北信濃の蕎麦は出店してませんでした

気のせいか、北信と松本との中のよくないところがでたのかな・・・

ということでかなりのにぎわいです。

松本城と常念岳

青い空とはえますね・・・

親が足が悪いので天守閣へは登りませんでしたが

美しい城でした

長野の単身赴任の時に松本ではいつも仕事してたのについに行くことがなかった

松本城にやっとこれました。

信州での忘れものがひとつかたずきました・・・

まだ忘れ物はあります・・・

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浮城 高島城

2011-11-07 23:44:34 | 城址を行く


中山道歩きを終えて、時間もまだあるので、諏訪湖へ

諏訪は信州で仕事してる時に得意先も多く、いつも来ていたところ、まだ半年なので

懐かしいという感じでもないか・・・

時間があれば行ってみようと思いながらいけなかった、高島城に行ってみることに

もともとは湖畔にあった城で通称 浮城、たぶん昔はこの城の横まで諏訪湖があったので

しょう・・・
もちろん再建したものですが、全体に緑ぽい感じの城で、こういう色の城はあまり見た

ことがない・・

代々諏訪家の居城、有名なのが諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされたというのが

NHKの大河ドラマ 風林火山でやってましたね

豊臣以降 諏訪氏が再び居城とした

とりあえず天守閣に登ってみました・・・・
天守閣からは富士山も見えましたが・・写真ではうまくうつらず・・

浮城といってたのだから・・・この諏訪湖との距離は時代とともに埋め立てを

したのだろうか・・・・?

と少々疑問が残った・・・・

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掛川城天守閣

2011-10-16 04:48:15 | 城址を行く


町の中心 掛川城に・・・

山内一豊が秀吉に長浜から移封を命じられ10年間治めた城です、堀江、中村氏とあわせて

家康対策で東海道に配置した。

一豊時代に城の改築や天守閣を造った。
もちろん、昭和にはいり天守閣を再興したものですが

外観は3層内部は4層の造り

白塗りの概容は京都の聚楽第をならったとのことで

やたらに白くきれいな城

天守閣からの眺め・・・・

真下をのぞくと・・

お祭りの行列が通ります

今日は、そうだ佐倉の祭りだった・・毎年いってたが今年はいけない・

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掛川城二の丸御殿 小川の辺

2011-10-16 04:44:02 | 城址を行く

天守閣からおりて二の丸御殿へ行きます・・


朝も早いので見る人も少なく のんびりと見学させてもらいました・・

部屋から庭越しに天守閣を望みます・・・
そしてこの御殿では大好きな藤沢周平作品 映画 小川の辺のロケをこの御殿

でやったとのことです。

藤沢周平作品の映画は何をみてもいい、隠し剣鬼の爪 山桜 たそがれ清兵衛

・・・・どれもいい

やはり・・・武士の一分が一番だろうな

ロケ風景


一豊と千代をバックに天守閣・・・・

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再び懐古園

2009-10-29 21:55:54 | 城址を行く

小諸の小諸城跡は今は懐古園として城跡が残されてます。

訪れた時は少し紅葉もしていました、あと1~2週間すれば紅葉の見ごろになるでしょう

この城は今の城の形をつくったのが戦国時代 山本勘助によって築城されました。

城の石垣をみたらその歴史が見えます、ばらばらの大きさの岩で間は小石で江戸時代の城の石垣とはあきらかに違います。

石垣で歴史を感じます。




文句なしの苔の美しさです。

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上田城 真田太平記のあとへ行く

2009-05-02 18:56:12 | 城址を行く

やっとこれたぞ!上田城に なんといっても真田の本拠地!

去年の沼田城 おととしの胡桃城 そしてこの前の松代城 そして上田城!

真田太平記の足跡がこれで完結するか・・・あとは大坂夏の陣 大阪城か・・・

町の中は真田の家紋の六文銭の旗があちこちにひるがえるし。

真田十勇士の旗も翻る・・・ 市役所の前はもちろん真田幸村の大きな旗が!なぜか・・

直江兼続の旗も・・幸村と兼続の関係からだろう

とりあえず城跡へ・・・


ここか・・・ やっときたぞ・

真田石といわれる岩

真田の家宝といわれる岩。松代に持っていこうとしたが、微動だにしないため上田にのこったままになってるとのことです。


城櫓に入ることができたので入ってみました。


これは昌幸 幸村 大助の談義の風景・・・

こんな感じだったんだろうか・・・


城跡内の真田神社にお参りを・・武運をお祈り ?とりあえず武運を・・・・


しばし、戦国  安土桃山時代に思いをはせて、上田が原の戦いを城跡からながめながら想像し貴重な時間をすごすことができた・・

真田太平記全巻読んでるので思いもひとしお・・

ということで歩いて10分ぐらいのところにある、池波正太郎真田太平記記念館にいく。


ここでもゆっくりと作品を思い出しながらすごす・・・

もう一度真田太平記を読み直してみるかな・・

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真田の本拠地!上田城

2009-04-21 02:12:23 | 城址を行く

やっとこれたぞ!上田城に なんといっても真田の本拠地!

去年の沼田城 おととしの胡桃城 そしてこの前の松代城 そして上田城!

真田太平記の足跡がこれで完結するか・・・あとは大坂夏の陣 大阪城か・・・

町の中は真田の家紋の六文銭の旗があちこちにひるがえるし。

真田十勇士の旗も翻る・・・ 市役所の前はもちろん真田幸村の大きな旗が!なぜか・・

直江兼続の旗も・・幸村と兼続の関係からだろう

とりあえず城跡へ・・・

ここか・・・ やっときたぞ・・・

真田石といわれる岩

真田の家宝といわれる岩。松代に持っていこうとしたが、微動だにしないため上田にのこったままになってるとのことです。

城櫓に入ることができたので入ってみました。

これは昌幸 幸村 大助の談義の風景・・・

こんな感じだったんだろうか・・・

城跡内の真田神社にお参りを・・武運をお祈り ?とりあえず武運を・・・・

しばし、戦国  安土桃山時代に思いをはせて、上田が原の戦いを城跡からながめながら想像し貴重な時間をすごすことができた・・

真田太平記全巻読んでるので思いもひとしお・・
ということで歩いて10分ぐらいのところにある、池波正太郎真田太平記記念館にいく。

ここでもゆっくりと作品を思い出しながらすごす・・・

もう一度真田太平記を読み直してみるかな・・

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海津城の桜

2009-04-12 01:53:33 | 城址を行く

宝物館からすぐ少し走ったら海津城址に

花見の客で駐車場も満員になっている、結構人気あるみたいだ

武田信玄の信濃支配の拠点として高坂弾正が城主としていたというのは知ってけど、この城が江戸時代そのまま、松代城としてたとは知らなかったです。

城内に入ると桜がほぼ満開、城跡にはやっぱり桜がよく似合う

色付きがなにかきれいな感じがするような・・・

今年の初めての桜になった、今年は桜を長野で見ることになった、一年で桜をみながら一年を振り返る、いつもの習慣・・・・

花見といっても、この城址では酒飲んで歌ってさわぐような感じの人もなく、みんな静かに桜の花をみておられます、ほんらい花見てそうあるべきだと思いますが。

静かに、ちびちびと日本酒を飲みながら、桜を静かにめでる、味わう・・これが理想的な花見の姿なんだろうな・・

上野公園のように、飲んで騒いでカラオケやって、酔っぱらって、ごみを捨てて帰る、みたいな花見はほんとにくだらないと思う、別にさわぐだけなら、桜のときにやらなくていい。

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