KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

六甲全山縦走4/4 六甲山~宝塚

2024年01月04日 | 四国外の山


いよいよ今回で六甲全山縦走も最終区間となる。前回の第三区間は逆うちという伝家の宝

刀で山上から麓へ降りて、へっぽこリーダーらしい言い訳(南京町で中華を食べる)をし

て楽して歩いた。本来なら新神戸から市ケ原へ歩いて稲妻坂・天狗道を登るのが正規なの

だが、邪道も邪道、その天狗道を下りながら、『これ、登るとしたらしんどいよね』なん

て言いながら、他人事のように話をしながら下って南京町でおいしい中華を頂いた。

今回の有馬ロープウェイ山頂駅から宝塚もほぼ下りの区間だが、今回は正規の順打ち。

誰にも後ろ指を刺されることなく正々堂々と下っていける!(笑)




前回と同じように六甲ケーブル下駅横の駐車場に車を停めて、8時40分のケーブルに乗

り込むと、先週よりもなんだか人が多かった。山上駅からバスに乗り換えるとやはり満員

で座ることができなかった。そして先週と同じようにスノーパークで他の人が全員降りた。

三人だけで六甲有馬ロープウェイ山頂駅に降り立ち、先週と同じようにここからスタート。













山頂駅からしばらくは県道16号線の舗装路歩き・左手に広々としたアスレチックパーク

を眺めながら歩いて行くと、頭上にネットを張ってロープウェイが通っていた。

しばらく歩くと右手に展望公園。正面はもうほぼ大阪湾になっている。




展望公園からすぐに縦走路は左の階段を登って行く。道標は六甲山最高峰と宝塚駅までの

距離が書いてある。小さなピークを左に巻く様に道は続いていたが、すぐ県道に降りまた

次のピークに向かって階段が続いている。何ならそのまま県道を歩いてもよかったかな?










一旦登ってまた降りる。正面に見える電波塔が今日最初に登るはず?だった西おたふく山

辺りだろうか。




県道の北側を二度登り降りすると、今度は県道の南側に道は続いていた。道標は六甲最高

峰まで1.5kmとなっている。この先で西おたふく山の道標を見逃してしまって、通り過ぎ

てしまう。道はこれまでと同じように県道を右に左に横断しながら続いている。

途中でルリちゃんが『あ!西おたふく山を通りすぎているわよ』と気づいたが、『どうする

、もどる?』と言いながら『六甲全山縦走も24ピークスも、西おたふく山を踏んでいない

ので、いいんじゃないですか』とへっぽこリーダー。

















六甲最高峰への取付きからピークの南を巻くようにして登って行くと、道の脇の東屋で男性

が二人休憩していた。その先を登って行くと大きな電波塔が目の前に現れた。電波塔の下の

建屋は大正ロマンぽい風変わりな建物だった。戦後この山頂には米軍のパラボラアンテナが

設置されていて、1992年までは民間人の立ち入りが禁止されていたそうだ。二つのパラ

ボラアンテナは麓からも良く見えて、六甲最高峰の場所がよく分ったそうだ。











六甲最高峰は平らな広々とした場所に背の高い山名標が建っていた。その手前にステンレ

スのプレートがある 一等三角点 六甲山 931.25m

西側を見ると六甲ケーブル山上駅の辺りの電波塔が随分遠くに見える。











広場でしばらくの間休憩した後南に下って行くと、こちらも六甲最高峰と彫られたケルンが

あった。戦時中から先程の最高峰の広場は米軍の軍用地として使用されていた為、一般人が

立ち入ることが出来ず、やむ得ず少し南にある小高い丘を六甲最高峰としていた経緯があ

る。ケルンから東屋があった場所に下って行く途中で、大阪の湾岸地区から東に広がる大

阪の平野部が見渡せた。この全山縦走路で最初から見えていた、地上55階の超高層のワ

ールドトレードセンタ(大阪府庁第二庁舎)が、埋め立てが続く湾岸地区の奥に見える。

その手前が今何かと話題になっている2025万博の会場になる夢洲になる。














山頂から県道に降りると右手に江戸時代末期から続く一軒茶屋がある。時間はまだ10時

過ぎ。いつもお腹が空いたとうるさいあっちゃんでも、いくら何でも時間が早すぎる。

その一軒茶屋から東に広場になった場所に真新しいおしゃれなトイレがあった。この場所

は、24ピークスの大会では最終エードとなっている場所だ。




六甲最高峰から先でそれらしいピークがあった。おそらく後鉢巻山だろうと言いながら、道

の脇からそのピークに向かって登って行く(道は無い)と今日二つ目のピークの後鉢巻山。

須磨公園から数えると十六座となる。山頂にはオプテージなる通信会社の基地局があった。













後鉢巻山を後にまた県道へと下りて行くと道の南に六甲山神社の鳥居と参道が続いている。

先ほどからこの県道を若い男女の学生が、部活動だろうか一生懸命に走っている。

その姿を見ながら県道の脇から縦走路へと入って行く。これまでは県道の舗装路と縦走路

を交互に歩いて来たが、ここからはほぼ地道になる。










水無山の手前で一ヵ所眺望が開けた場所があった。ここまで来ると今度はあべのハルカス

の高層ビルが目につくようになった。







これまでの二つのピークは道から脇に外れてあったが、水無山は道の途中の笹に囲まれた

場所にあった。プレートには西宮市単独最高峰と書かれてあったが、先ほどの後鉢巻山に

もたしか西宮市最高地点と書かれていたと思ったら、後鉢巻山は芦屋市の最高峰でもある

為、この水無山が西宮市の単独最高峰となるようだ。








水無山から船坂峠への下りの途中で道の脇に見覚えのある大きな岩があった。たしかWOC

登山部のまゆゆがこの六甲全山縦走でYAMAPに写真をアップしていた岩だった。

頭巾を被った赤ずきんちゃんのようだと思い、カメラの電源を入れ振り向いて写そうとし

た瞬間に、足を滑らせ転倒した。岩にぶつけて少し変な向きに足が曲がって転んでしまっ

たが、それよりも手に持ったデジカメのレンズが伸びた状態で根元が曲がってしまって、

元に戻らなくなったのが気になった。電源をオフにしたらカチカチと音をたてて無理やり

レンズを格納しようとするが納まらない。仕方がないので根元で曲がった方向と反対にね

じると何とか元に戻り、レンズは何とか格納されたが今度はレンズの蓋が閉まらない。














膝の痛みよりレンズに白い傷も入ってカメラが壊れたのが痛かった。幸い電源を入れると

レンズは出るようになったので、この後は指でレンズの蓋を開けながら写すようになった。

以前にも一度このカメラを落としてレンズが格納できなくなったが、その時も保証期間が

切れていてけっこう修理費がかかった記憶がある。今度はレンズに傷が入っているし、また

修理に出そうか、それとも買い替えようか、なんて考えながら歩いて行くと船坂峠に着いた。

船坂峠は周りの木々も疎らで明るい場所だったので、お昼ご飯をここで食べることにする。

道の両脇に分かれて腰を降ろし、今日はカップ麺。水筒のお湯だとやはり温度が下がるの

で、3分以上経っても麺が硬かった。その間も奥様たちとの間の道をトレランの人たちが

走り抜けていった。




30分ほど休憩した後、丁度12時に船坂峠を出発。しばらくは自然林の歩きやすい道が

続くと、次に今回の六甲山ではあまり見られなかった人工林の林になる。














その林を抜けるとまた眺望が開けた場所になった。この辺りでそろそろ南側の眺望とはお

別れとなる。







次の大平山にも巨大な電波塔が立っていた。電波塔への道を回り込みながら登って行くと

18座目となる大平山。電波塔を囲んだフェンスの脇に山名標が掛かっていた。










大平山から電波塔の管理道を通り下って行き、途中から右手に縦走路へと入って行く。急

な階段を下っているとやはり先ほどの転倒が原因なのか膝の関節が痛んできた。真っすぐ

に足を運ぶと何ともないのに、少しでも左右に振れると痛い。










そうこうしている内に、市道436号線の大谷乗越に出た。ここでも後ろから来たトレラ

ンの女性陣が追い抜いていった。前回まではたくさんの登山者とすれ違ったが、宝塚から

のこの区間は登山者とはほとんどすれ違わなかった。やはり宝塚から逆うちをしている人

は少なく、走っている人の方が多いようだ。この大谷乗越からさきの破線上に、地形図に

は初めてこの道が近畿自然歩道と掲載されているが、今日歩いて来た道のほとんどが、近

畿自然歩道の六甲山・大阪湾展望のみちの区間になっている。







大谷乗越から10分ほど歩いただろうか、大きく右にカーブしている途中から、次のピー

クの岩原山へと取り付いて行く。最初は適当に歩いて行くと途中で登山道らしき道に出た。

須磨から数えて15座目のピーク。以前は積み上げられた石の中央に宝塚最高峰の標柱が

建っていたようだが、今はプレートが置かれているだけになっていた。







岩原山から一旦下って自然歩道に出た後、すぐに向かいの山へと踏み跡を辿って入って行く。

するとまもなく譲葉山西峰










その西峰から東にそのまま進んでまた自然歩道に出て、また道の脇から右手に入ると直ぐ

に今度は譲葉山南峰があった。ここはさしてピークらしくもなく、プレートが今までと違

った形になっているのからすると、先ほどの西峰と一緒に無理やり名前を付けた感じがした。








次は自然歩道の北側にある譲葉山北峰。こんな短い距離の間で次々とピークをゲットでき

て奥様たちはホクホク顔。そして最後の譲葉山譲葉山東峰とも書かれていた。













譲葉山から自然歩道まで戻ると、残るは24ピークス最後の山、岩倉山となる。

この辺りになると道の脇の笹の種類が変わってきた。今までは葉の縁が白くなったミヤコ

ザサ?だったが白い縁のない笹になっていた。











岩倉山は道の脇から少し登った場所が山頂となっていた。山頂には地蔵尊を祀った石祠が

あり、その前が 二等三角点 小林 488.38m になっていた。

これで六甲全山縦走24ピークスの全てのピークを廻ったことになる。













岩倉山からはもう登りは無く下るだけ。途中にある塩尾寺にお参りを済ますと、道は舗装

路となる。道は両側に落ち葉が綺麗に掃かれていて、その先で貯水タンク越し宝塚を見降

ろせる展望台にでた。











展望台からさらに下って行くと甲子園大学の横を通る。ただここからの坂がなかなかの急

坂の下り。痛めた膝がカクカクとし始め、最後の最後に堪えた。







川沿いに住宅地の横を通り坂を下りきると宝塚の街中。武庫川に架かった大きな橋を渡る

と、今日のゴールそして六甲全山縦走のゴールとなる阪急宝塚駅に着いた。













11月22日から始めた六甲全山縦走。これを一日で歩ききる人たちがいる事に驚きだが。

WOC登山部の私と一回り違うセニョさんが2回で歩いたのにはほとほと感心する。

しかも我々は『下山後、南京町で中華を食べる』と云う言い訳をしながら、第三区間は楽し

て逆うちをしたのだ。まあそれでもこの短期間で完歩できたのは自身でも予想していなかっ

た。大都会の神戸と背中合わせの六甲山。こんなに近くの自然の中で常に都会を感じながら

歩けるコースも珍しいだろう。ほとんどの『線で繋ぐ』の計画が終われば、またいつか第三

区間をちゃんと順うちで歩いてみたい。(ほんとかな?)

追伸:転倒して痛めた膝が年を越しても直らず曲がらない状態が続いている。病院が開いた

四日にレントゲンを撮ったのだが、大きな骨折はしていないが症状が思わしくないので、M

RIで精密検査をする事になってしまった。壊れたデジカメは家に帰って精密ドライバーで

シャッターの蓋が閉まる場所を調整したら何とか元の動作をする様になったが、膝だけは自

分ではどうにもならない。どうか検査の結果何もなく、日にち薬となるように願うばかりだ。