KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『YOUは何しにまた小豆島へ!』千畳ケ岳

2025年01月12日 | 香川の里山

 

今日はなぜか『どこに行くん?』と聞かれなかった。もし聞かれて『小豆島!』と答えたなら、『何しにまた小

豆島へ!』と嫌味ぽく聞き返されるだろう。そうなると『小豆島には岩山がたくさんあってスリルがあって』と

は決して言えずに返答に困っていただろう。ただYAMAPのみまもり機能の設定をしているので、どこの山に

出かけたかは結果的には分かってしまうので、家に帰ったなら『また小豆島にいってたん』と言われるかもしれ

ない。その時には『そこに山があるから・・!』と答えよう。

なんて考えを巡らせながら今日も小豆島へ出かけてきた。寒霞渓の馬の背・西の石門洞雲山・碁石山大嶽

あまり県内の里山にはない特徴的なそして魅力的な山が小豆島にはある。そして岩肌登りやロープ場の楽しさに

味を占めた西の奥様に、今日はさらに吉田の三山を提案してみた。

吉田山・吉田富士は以前にWOC登山部で登ったことはあったが、その西にある千畳ケ岳は未登の山。しかも途中

にはロープ場があり、山頂には絶景が広がっているらしい。そうなるともちろん奥様は断る理由もなく、性懲り

もなくまた出かけることとなった。

 

いつもの様に、7時20分発の土庄行のフェリーに乗り、土庄から今回初めて北回り福田行のバスに乗る。但し

フェリーが到着するのが8時20分で、土庄港発のバスが8時21分発なので慌ただしい。私たちは今回平和の

群像前から22分発のバスに乗った。小豆島オリーブバスの料金は150円と300円の二つしか設定されてい

ない。150円区間を過ぎれば今回のように土庄から吉田の様に島でも一番遠くになる地区でも、どれだけ乗っ

ても300円なのだ。

今シーズンは全て島の南側のバス移動だったので、北側の海岸線の景色は新鮮に感じる。クネクネと海岸線を走

るバスは9時5分に吉田のバス停に着いた。

 

 

バスを降りると直ぐに美味しそうな?岩肌が目に飛び込んでくる。吉田ダムの横の岩壁は、吉田の岩場と呼ばれ、

関西からでも大勢のロッククライマーがやって来るらしい。その右側には今日のメインディシュの千畳ケ岳の白

い岩肌が見えている。その千畳ケ岳から北にも緑の山肌の上にびしゃ岳の岩肌が見えている。バス停からはすぐ

吉田川に沿って西に歩いて行く。

 

 

 

川沿いの道の道幅が変わる場所から右にふるさと交流館があるが、登山口はその一つ奥の道に入って行く。

舗装路の脇に登山口の目印の赤テープがぶら下がっていて、ここからはルリちゃんとは別れてあっちゃんと二人

での歩きとなる。

 

 

取り付きからすぐにイノシシ避けの柵があり、通った後はちゃんと戸締りして歩いて行く。常緑樹の木々の中、

あまり陽が当たらず、手袋を脱いで柵の紐を結び直そうとするが、指がかじかんでなかなかうまく結べない。

 

道には落ち葉がたっぷり積もっていて踏み跡が分りづらいが、とにかくテープがけっこうな間隔であるので、

迷うことはない。途中で小さな砂防ダムの突堤を渡ると道の傾斜は急になってくる。

 

 

 

いままで陽が当たらず寒かった身体も、急登になってくるとやはり汗を掻き始め、暑くなってきたので上着を一

枚脱いで登って行く。そのうちに目の前に大きな岩塊が現れる。横から見るとクジラの顔に見える。

 

 

 

そしてその岩肌にボルトが打ち込まれているのをあっちゃんが見つけた。ボルトは岩塊の上の方まで続いている。

その足元から素人の二人がどうやって登って行くのか見上げてみるが、最初のボルトまでで足掛かり、手掛かり

が分からない。二人であ~だ、こ~だと言って結局『分からない、登れない』となった。(そりゃそうだ)

 

 

その岩塊を左に巻いて登って行くと今日最初のロープ場。ロープには結び目があり、足掛かりがあるので高ささ

え気にならなければ簡単に登れる。

そのロープ場を登ると今回一番気になっていたカニの横ばい。ただここも幅は1mにも満たないが、高所恐怖症

でなければ問題がなかった。その足元の下を覗き込んで『ここから落ちてもあそこの木か、その下の木に引っ掛

かるから大したことないわね』とあっちゃん。『たしかに木に引っ掛かって止まるかもしれないけれど、ただで

は済まないです』と私。

 

 

 

トラバースを過ぎて二つ目のロープ場を上がると麓の吉田川と、吉田ダムに続く道を見下ろせた。

ダム横の岩場の頂部なるのだろうか、頭の上に数本立っている木が可愛らしい。

 

 

 

 

 

そこからすぐ上の岩壁にもボルトが埋め込まれている。本格的な岩場は吉田ダムの方にあるらしいが、とにかく

こちらの岩壁もそこらじゅうにルートを作っている。

するとあっちゃんが斜めに走る突起を見て『あそこは登れそう!』なんて言うもんだから登って見せるも、途中

突起が無くなってしまうと半端ない高度感で冷や汗掻いて降りてきた。

 

 

 

 

諦めきれないあっちゃんもチャレンジするもやはり途中で『無理!』と言って降りてきた。

お遊びはやめて岩壁の足元を右に回り込んで、ロープをひとつ登ると目の前にデ~~んと千畳ケ岳の巨岩が目の

前に現れる。

 

 

 

その巨岩の足元を回り込んで北側から登りつめると千畳ケ岳の山頂になる。ただし千畳とはオーバーで、平らな

部分は10畳?位かな。それでも遮るもののないとは正にこの事。360度の大パノラマが広がっていた。

あっちゃん、それ以上先っちょに行かないでね。』見ているこちらの股間がゾクゾクするわ。

 

 

 

 

東にはこれから歩く吉田富士と吉田山

北には瀬戸内海を挟んで赤穂の工業地帯のエントツ群。

足元には吉田の穏やかな湾

そして南は星ケ城から続く稜線と 四等三角点 岩ケ谷 のあるピークが見える。

 

岩の端部にもボルトが打ち込まれていたので、その下はどうなっているのかと思って端に寄ってみるけど、これ

以上は無理です。それをわざわざ寝そべって岩壁の下を覗き込むあっちゃん。『そんなことしたって何もでない

ですよ!』

 

 

 

次に行く吉田富士は東側に見えているけれど、ここから東は断崖絶壁。

岩の北側のすぐ下から、まずは北側に見えているびしゃ岳の岩壁に向かって背の低い木々の中を歩いて行く。一

旦下って登り返すとさっきまでいた千畳ケ岳の平らな頂部が見えた。

 

 

ここでもテープがあるので迷うことはないが、次第に傾斜がきつくなり、シダの茂みを深くなってきた。今の

時期でこの状態なら、夏場になると道は不明瞭になるだろうな。

 

 

急登を登りつめるとやっと稜線に出た。ただしこの尾根は北に向かって続く尾根。しばらくは尾根に沿って北に

向かって歩い、所々で尾根の東側を巻きながら下って行く。

 

 

 

途中で道の北側に展望岩があり、見下ろすと麓の採石場が見えた。今日は土曜日でお休みなのか重機は動いてい

なかった。この採石場の西側にもさらに大きな灘山の採石場があるが、現在はほぼ停止状態にあるという。

大阪城の石垣にも使われ、島の産業として賑わった石材業も、輸入石材に押され、石の用途も変わって廃業する

業者も多いようだ。

 

 

展望岩から少し先で一ヵ所ロープで降り、さらに歩いて行くとまた展望岩に出た。

ここからは吉田富士・吉田山が見下ろせ、千畳ケ岳の平らな岩もよく見える。

 

 

 

 

展望岩からは今までの尾根から外れて、東に向かって吉田富士への尾根になる、このルートで一番長いロープ場

の下り。結び目のあるロープはほんと助かる。

 

 

 

 

長いロープを下りきるとルリちゃんが待っていた。麓から一人で登ってきてここから東の分岐で待っていたが、

待ちきれずにこのロープ場まで来たそうだ。

ロープ場からは踏み跡も薄い樹林帯の中を、テープを目印に下って行く。すると急に花崗岩が風化した幅広い尾

根に出た。目の前には吉田富士の岩塊が直ぐ近くに見える。

 

 

千畳ケ岳までは赤い矢印が岩に書かれてあったけれど、この辺りになると青いスプレーで『吉田フジ』と書かれ

ている。大嶽でも青いスプレーで印が付けられていたけれど、同じ人、山の会の人たちが付けたのだろうか?

 

 

吉田富士の岩塊もピークは広場になっていた。三人そろったのでここでお昼ご飯にする。

ここからは千畳ケ岳から歩いてきた稜線が見渡せた。それにしても今日は風もほとんどなく、青空が広がり青く

広がる海を見渡せ、島ならではの景色が楽しめる

 

 

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたらバスの時間が気になり始めた。北回りのバスの便数は少なく、吉田からの上りの便には

時間的にうまく乗れそうになく、下山後は福田まで県道を歩いて南回りの便に乗ることになる。

本当ならもっとゆっくりしたいところだが、この景色に名残惜しんで吉田富士を後にする。

吉田富士の岩稜は段々になっていて怖くもなく下りやすい。以前にWOC登山部でここに来た時に、下から見上げ

て『私は怖いので登りません』と言って登れなかったNさんは、それ以降かわいそうに『ヘタレ!』と呼ばれる

ようになったのを思い出した。

岩稜を下ると島霊場82番札所吉田庵から登ってくる分岐に着く。しばらくは自然林の中の尾根歩き。

 

 

吉田山が近づくとまた露岩が現れる。振り返って木々の間から見えた千畳ケ岳の頂部は、サイコロを積み上げた

ような形になっていた。尾根の右手の大岩を登ると吉田山山頂。山頂の露岩に腰掛けてあっちゃんルリちゃん

に、歩いてきたルートを説明している。

 

 

 

見落としそうな木の枝に掛けられた山頂札は吉田山の文字が消えかかっていて、よ~く見るとなんとなく吉田山

と書いてあるのが分る程度だ。こういう時は油性のマジックを持って来ていたらといつも思うのだが、いつも忘

れてしまっていて持ってきていない。

 

 

以前WOC登山部で来た時はここから折り返して吉田富士を登ったのだけれど、今日はこのまま東に尾根を下って

行く。一旦登り降りして更に小さなピークを登ると展望岩に出た。

 

 

 

正面には家島諸島の中で一番大きな西島が正面に見える。島の西半分は巨大な採石場になっていて、良質な花崗

岩や安山岩が採れるらしい。家島諸島は大小44からの島々で構成され、古くから歴史のある島だ。

そして少し右下には静かな湾内に造られた港にヨットが停泊し、その横にはリゾートホテルが見下ろせた。

 

 

 

 

展望岩からまだ先の藤崎へと歩いて行く。海沿いらしい木々の中を歩き最後にひと登りすると、今日始めての三

角点 二等三角点 吉田 119.03m

 

 

 

吉田の三角点からも藤崎に向かって下って行く。半島を回り込むように続いている県道土庄福田線が左手に見え

ているが、急な法面になっていたので右下に向かってテープを見ながら降りて行くと、県道に飛び出した。

 

 

ここから南回りのバス停のある福田港までは4kmの下道歩きとなる。吉田湾を回り込むと先ほどのリゾートホ

テルが見えた。その左上に見える法面保護のコンクリートの左裾野辺りが尾根から降りてきた場所だ。

 

 

道の脇には石材の地区らしく、作者と作品名が書かれた石のオブジェが、所々で展示されている。

福田港の南側の小島の前を、姫路行のフェリーが走っている。小島へはコンクリートの突堤と、岩が積み上げら

れていて島側から渡る事ができる。WOC登山部でも吉田山に登った後に、『さぬき百景・福田海岸』に車を停め

て島までメンバーと歩いた思い出がある。

 

 

 

緩やかな坂道を下って行きながら、水面が光るのどかな福田港を眺めながら歩いて行く。小豆島の北東の玄関口

といっても、福田の町は港の間際まで山が迫った小さな港町だ。フェリー乗り場の手前に南回りのバス乗り場が

あった。予定よりけっこう早く着いたので周辺を歩いていると、CLTという珍しい工法で建てられている建築

現場が目に付いた。打ち合わせをしている人に声をかけると、施工している会社の社長さんだった。

少し質問をすると現場の中まで案内してくれて、最上階まで上がりながら色々と詳しく説明してくれた。

まだまだ説明したらなそうだったが、バスの時間が迫ったのでお礼を言って現場を離れた。

 

 

 

南回りのバスは草壁までは初めて通るルート。途中の橘地区からは直ぐ真横にあの拇岳が見える。それまで車酔

いしていたのか目を閉じていたあっちゃんが、『あっ、拇岳が見える!』と言ったとたんに、ガバっと目を見開

いた。間近で見る拇岳は今まで遠くから眺めていた形とは少し違った形に見える。

車窓に見えた拇岳を見ながら、以前にセニョさんと歩いた拇平から千羽ケ岳、そして拇岳のルートを説明すると、

今までぐったりしていたあっちゃんの目がギラギラ輝いた。やはり小豆島の最終仕上げはあの山域になりそうだ。

 

土庄港ではフェリーの出航まで結構時間があったので、奥様たちはお土産売り場を物色。私はというと北に見え

皇踏山を、10年以上も前に山楽会のメンバーと一緒に登ったのを思い出しながら眺めていた。

登山道はたしか今見えている二つの岩肌の間を降りてきた記憶があるが、あの岩壁も面白そうだななんて考えな

がらフェリーに乗り込んだ。拇岳の前に皇踏山。まだまだ楽しめそうな小豆島だった。

 

 


三度目の正直の三角点国分台、また敗退(涙)

2025年01月05日 | 香川の里山

 

特に自分は三角点フリークではないけれど、以前から訪ねてみたいと思い続けている三角点が国分寺にあった。

四等三角点 国分台は過去二度チャレンジして、二度とも近づくことさえできなかった鬼門の三角点なのだ。

それは地形的なものとかルートの難易度とかの問題ではなく、ただ自分が平日登山者だということだった。

そう、国分台は八十番札所国分寺の北、五色台の山中にある三角点なのだが、その場所は自衛隊の演習場の中に

あり、平日だと自衛隊が演習していて立ち入ることができない。(もちろん日曜日でも)

山友はじめ他の人が訪ねているのは日曜日で、どうやら自衛隊もお休みの様子。それが平日だと銃器の発砲音が

山の中に鳴り響いている、そんな場所なのだ。

初めて計画した時は、その演習場のぐるりを囲むようにして造られている防火帯を通って三角点を目指す予定だ

ったが、道を間違えて演習場の中へいつの間にか入ってしまっていた。そしてふと見ると戦車が二台。何食わぬ

顔をして通り過ぎようとしたが当然注意され、追い出されてしまった。

 

 

 

その後防火帯の場所を探し出して予定のコースで歩いて行こうとしたら、行く手をジェットコースターの

ファーストドロップの様な急角度の防火帯に恐れをなして撤退した。

 

 

二度目は高結神社から直登して防火帯まで登ったが、やはり銃器の発砲音がして諦めたという経緯があった。

 

 

そんな因縁のある国分台だが、今日は土曜日だけれど正月。さすがの自衛隊もお休みしているだろうとふんで、

以前に計画した防火帯を通って三角点を目指すことにした。

その前に取り合えず何度も訪れているけれど、YAMAPの山頂ポイントとしてゲットしていない、猪尻山

大平山をゲットしてから三角点を目指すことにした。

いつものように国分寺のカッパドキアのスタート地点になる駐車場に車を停める。見上げると国分台の岸壁が、

寒風にさらされて白く輝いていた。

駐車した場所から少し下がって舗装路を東に入った場所の脇から取り付いて行く。以前は羊歯をかき分けかき分け

け歩いたけれど、今は羊歯も刈られていて歩きやすい道になっていた。

 

 

 

道の両側の背丈以上もある羊歯はこの寒さの中にあって、若い緑色していて生き生きしている。

少しづつ高度が上がってくると、国分寺の北部とその向こうに里山が見渡せる。

 

 

羊歯の海が終わるとカッパドキアの谷を見渡せる場所に出る。初めてこの谷を訪れたときは対岸にそってもちろ

ん藪をかき分けて登った記憶がある。その谷筋の終端にはいつの頃からそう呼ぶようになったのか大天狗の岩壁

が、その終端を塞ぐように立っている。

 

 

谷筋の上からは正面に国分台の岩壁とその上に波打つような防火帯がちらっと見えている。東を見ると六ツ目山

・伽藍山・挟箱山のおむすび家族とその後ろに堂山が逆光でシルエットになっている。

 

 

このカッパドキアの地質は年末に歩いた小豆島の地質に似た露岩だけれど、小豆島の露岩は崩れたりせず固まっ

ていたが、ここの露岩はぽろぽろ崩れている。道の脇には小さなキノコ岩。これも大嶽の足元から見上げた岸壁

に生えていた?のと同じような形をしている。

 

 

 

 

谷筋に沿って行くと終点の大天狗。この岩壁も大小の岩が岩壁に張り付いたようになっていて、これも五剣山

屋島の冠ケ嶽の岸壁と同じような地質をしている。

 

 

大天狗の岩壁の上は2mほどの幅の平らな露岩になっている。その下から冷たい風が吹き上げてくる。

見晴らしとしては抜群な場所。ここで腰掛景色を眺めながら一服したいところだが、とにかく風が冷たく寒い。

 

 

 

すぐに山手へ猪尻山目指して入って行く。ただ前回はこんなに苦労したかと思うくらい足元は滑り、木々の中に

は時々意地悪な茨が密集していたりと悪戦苦闘。ほぼ真っ直ぐには登れず、木々の隙間を見計らっては右に左に

とかき分けながら登って行く。

 

 

その内何度かは枯れ木のトラップに引っ掛かり、後ろにのけ反りそうになる。以前のトラックを見てみると、

少し東を歩いているが、トラックを辿るのも面倒でそのまま登って行くが、これが後の祭りで帰って過去のブロ

グを確認してみると、途中から踏み跡らしいルートを辿っていた。

 

 

 

結局、大天狗からは標高差150m、距離にして300mほどを50分かかって猪尻山着いた。久しぶりの藪

コキらしい藪コキだった。そして三角点の脇からは悔しいことにしっかりとした踏み跡が麓に向かって続いてい

た。写真を撮った後電波塔の横で腰掛小休止。今日初めての水分補給。四等三角点 猪ノ尻山 438.95m

 

 

 

猪尻山からはゴルフ場跡地の太陽光発電所のフェンスに沿って歩いて行く。横たわった屋島の上にちょこんと

剣山が頭を覗かしている。

 

 

発電所の横から少し脇に入って行くと巨大なNTTドコモ電波塔と今は用無し?になったマイクロウエーブの反射

板。この二つは麓の国分寺からもよく見える。発電所の入り口には唯一ゴルフ場の在りし日の門柱が残っていた。

 

 

 

さらに先に進んでいくとここにもカッパドキアのキノコ岩と同じような形をした、高松空港のレーダー施設が建

っている。

 

 

レーダー施設の入り口から県道に出る。舗装路の脇を落ち葉を踏みながら歩いて行くと一カ所東の眺望が開けて

いた。そこからは岩清尾山の左側に高松の湾岸地区、そしてシンボルタワーが見えた。

 

レーダー施設からまたNTTドコモの電波塔を過ぎ、二つ目の電波塔の奥に大平山。 三角点は二等三角点 新居

478.69m

 

 

それにしてもこの道沿いは電波塔だらけだ。そう思いながら歩いて行くと中山休憩所に着いた。そこには見慣れ

ないきれいなトイレができていた。そのトイレの裏の東屋で早めのお昼ご飯。久しぶりにカップラーメンにして

正解。暖かいお汁が身に染み渡る。

 

 

 

それでもじっとしていると身体の冷えは治まらない。食べ終えて早々に歩き始める。県道から四国のみち、そし

白峰寺から根来寺への遍路道に入って行く。いきなり倒木で道がふさがれていたが、長い脚?で跨いで歩いて

行く。道は最初は路盤が見えていたのに、次第に落ち葉で埋まって行く。

 

 

 

道には遍路道らしく石仏の丁石が並んでいる。

 

 

十九丁の石仏の横にはお遍路さんのための『景子ちゃんの接待所』があった。ちょうどボランティアの方がジュ

ースやお茶の補充をしていた。色々と話を聞かせてもらったが、景子ちゃんのお接待の謂れについて書かれたプ

レートの話が特に面白かった。(内緒)

 

 

 

ここから道は白峰寺へ道と一本松への道に分かれている。途中の石仏は丁石ではなくなっていたが、国分寺から

歩いてくるお遍路さんをずっと見守っているのだろう。

 

 

景子ちゃんの接待所から15分ほどで一本松に着いた。ここから南にへんろ道を下ると80番札所の国分寺

本来ならスタート地点からの周回だとここから下って行くのだけれど、今日の目的は周回ではなく国分台の三角

点。ここから県道を少し西に歩いて脇道に入って行く。

 

 

どこの山中でも見る廃車を横目に見て、最終民家の横を過ぎ少し藪っぽくなった所でズドーンと音がした。『ん

?』猟銃と思ったが、続いて連発の音がした。『いや~演習してるやん!』

自衛隊さん週休二日にして土曜日もお休みにしようよと思いながらも引き返した。さすがに銃弾飛び交う演習場

の中には入っていけない。

 

 

仕方がないので一本松まで引き返して下って行く。すぐに東屋のある展望台とお大師さん。

 

 

ここからはへんろ転がしと云われる急坂が続いて行く。大天狗からの滑りまくりの急登が堪えたのか、段差の大

きいこの階段状の道で左の膝が傷み始めた。一段一段膝を庇いながら降りていく。

 

 

 

へんろ転がしを降り終えて石鎚神社へ寄り道してみる。

 

 

 

石鎚神社の分社らしくて鎖場もあるが、今日は落ち葉が積もっていて膝の調子も悪くてパス。

 

 

 

石鎚神社に参拝した後、スタート地点の駐車場へとお戻って行く。正月太り解消するには計画通りに10kmオ

ーバーを歩きたかったけれど、素手では銃器に敵わない(笑)本来の目的の国分台の三角点には三度目の正直な

らず、3戦3敗になってしまったが、まぁ家でじっとしているよりはマシだと慰める。

 

 


登り納めは干支の山、竜王山

2024年12月30日 | 香川の里山

窓の外はどんよりした曇り空。朝から出かける気分にならず、とりあえずは奥さんのお手伝いでご機嫌取り。

すると昼から少しづつ青空が見え始めた。『よしそれじゃ~ちょっと歩いてきます』と言って近くの山に。午前

中のお手伝いの効果もあって、嫌味を言われずにあっさり出かけることができた。

 

今年最後の登り納めは『干支の山』に決めていた。ただ今年の干支の辰(竜・龍)の付く山は、県内には国土地

理院の地形図に載っているだけでも5座あり、その他にも各地に竜・龍の付く山がある。

もともと香川は水不足で、山頂近くに雨ごいの神様の龍王祠が祀られている山がけっこうある。そのせいもあっ

てか、竜王・龍王の名の付く山が他の県に比べても多い。

いつも干支の山を探して毎年登っているけれど、そんなわけで今年の干支の山は探すのに事足りる。

 

その中の一つ我が家から一番近くの竜王山に出かけてきた。先週登った小豆島の大嶽からは、五剣山や屋島や大

串半島が見えた。この竜王山も大串半島にあり、ひょっとしたら反対側から大嶽が見えるかも、と思ってだった。

 

さぬき市の鴨部地区から小田地区に抜ける道沿いにある、『さぬき森森林浴公園』の駐車場に車を停める。

この公園には3つのコースがあり、竜王山はやまなみコースの一番奥になる。駐車場から道路を挟んで反対側か

らスタート。すぐにコンクリート製の擬木の階段が始まる。

 

 

 

午前中のうす暗かった空は気持ちのいい青空に代わっていた。道の脇には里山らしい羊歯の葉が、夏に比べて

枯れる前の濃い緑から明るい緑に変わっていた。

 

擬木の階段が終わると今度は花崗岩が風化した真砂土が固まった道。斜度があるとけっこう滑りやすい。

途中、擬木の階段と同じような、コンクリート製のベンチが2対。この後も所々に設置されていた。

 

 

 

竜王山の手前にはこれも地形図に山名は載っていない御殿山がある。その山頂の手前に山名の由来が書かれた説

明文が、木の枝に掛けられていた。説明文にある馬場はスズタケが生い茂った場所になってしまっていた。

その馬場からすぐに御殿山。ただ山名標がなければただの尾根筋、わからず通り過ぎてしまうような場所だった。

その先では西に日盛山、その奥に五剣山・屋島が見えた。

 

 

 

 

御殿山からしばらく歩くと竜王山からの尾根筋になる。右に竜王山、左に小田方面の分岐で右に折れて竜王山へ。

ここから800mの間、何度かアップダウンを繰り返していく。

 

 

 

道は整備されてとても歩きやすい。木々の間から冷たい風が吹き抜けていく。寒風の中、元気な鳥の鳴き声があ

ちらこちらで聞こえてくる。気温が低く風が冷たいとはいえ、何度かの登りでじわっと背中に汗をかき始めた。

 

 

 

駐車場から1.3km、35分ほどで竜王山に着いた。山頂には 四等三角点 中尾 160.86m

山頂から北側を見ると麓に小田地区の港。その右手には志度カントリー。その奥に瀬戸内海、対岸にはの洞雲山

碁石山、そしてお目当ての大嶽が見えた。

 

 

 

 

 

小豆島の峰々を眺めた後、折り返してもと来た道を戻って行く。相変わらず擬木の階段と真砂土のアップダウン。

 

 

分岐からは駐車場に戻らず、そのまま小田方面へ直進する。途中の露岩からにひと登りすると、屋島の裾の向こ

うにサンポートのシンボルタワーが見えた。

 

 

 

 

さらに進んでいくと道の左上に龍王祠が祀られていた。龍王祠からは少し離れた小田地区。その奥に日差しが届

いて白く輝く大嶽の、大岩壁の先週下ったルートが確認できた。

 

 

 

龍王祠からは小田地区へ急坂を下って行く。最後は車の走る音が聞こえてくる方灌木の茂る中をかき分けて行く

と県道に飛び出した。

 

 

 

残りは県道の舗装路を歩いて公園の駐車場へと戻って行く。帰り道、沿岸部から南に走ると空にはまた雲がかか

り始めた。灰色の厚い雲の間から天使のはしごと呼べれる薄明光線(光芒)がさしていた。

 

 

 


大嶽のあの大岩壁のロープの先にある景色は?

2024年12月26日 | 香川の里山

2週間前に歩いた小豆島の洞雲山・碁石山。そこから最後に登った大嶽の山頂からは眼下に草壁地区内海湾

さらには島の岬と瀬戸内の海の絶景が広がっていた。そして目の前には荒々しい岩肌の大岩壁がそそり立ってい

た。左右に立つその大岩壁の左の岩肌をよく見ると、斜めにロープが垂れ下がっているのが見えた。『あんな危

なげな場所に・・・』と思ったが、直ぐに『ロープがかかっているという事は登れる?』という事と思いながら、

次に来た時は登ってみたいと思いながら、その日は帰ってきた。

 

 

 

ただ帰って来てからあのロープの事が頭に浮かんで消えず、『登ってみたい、登れるだろうか?』という思いが

日増しに強くなっていた。そこでYAMAPで検索してみるとやはりあの大岩壁のロープを登っている人がいた。

meさんの活動日記には手前の岩塊にもロープがあり、そこを昇り降りした後にあのロープを登っていた。そこで

meさんにメッセージで質問をしたところ、どうやら手前の岩塊のロープはしごが朽ちかけているので注意が必要

と、三点支持で登れば大丈夫でしょうという返事をいただいた。少しでも様子が分れば心強い。meさんありがと

うございました。

ただそこで好奇心は終わらず、ぜひあの大岩壁を真下から見上げてみたいと思った。ロープ場をピストンした後、

途中から大岩壁の襟足に沿って下れないかと考えた。

そんな不純な考えに付き合ってくれるのはあの人しかいないと思い誘ってみると『もちろん行きます』とニッコ

リマーク付で即返事が返ってきた。

 

前回と同じ7時20分発の土庄行のフェリーに乗り込む。今朝は放射冷却のせいで気温が下がり、写真を撮ろう

とデッキに出ると、甲板は凍っていてあわや転倒しそうになった。高松港を出港時には日の出で空と海がオレン

ジ色に輝き、土庄港に入港時には少し登った陽に照らされた海が、銀色に輝いていた。

 

 

土庄からは田ノ浦行のバスに乗り、苗羽(のうま)のバス停で降りた。この苗羽地区は醤の郷と呼ばれる醤油づ

くりの町。最盛期には400軒近くの醤油醸造所があり、今でも20軒近くの醤油蔵や佃煮工場が軒を並べてい

る。その苗羽地区は港から東に向かって坂道が続き、家々が立ち並んでいる。その坂道の先にはどこから見ても

あの大嶽の大岩壁が見えている。

 

 

途中から前回下ってきた道に合流して、舗装路から脇道に入って行く。

しばらくは舗装路が続いていくが、次第に路面が荒れ始める。

 

 

コンクリート製の水路の横を通り進んで行くと、大きな櫓とその脇にはモーターの様な大きな機械が据えられて

いた。モーターから櫓の上、そして山に向かってワイヤーロープが続いていく。前回も思ったのだが、何の運搬

に使っていたのだろうか?調べてみてもまったく情報が出てこない。

 

 

 

登山道は沢筋になり、ゴロゴロ転がった油断すると捻挫しそうな歩きにくい道が続いていく。

その沢筋に沿って相変わらずワイヤロープが続いている。

 

 

 

登山道は途中で道標のある場所から沢筋を離れ山道になって行く。ここまでもテープが所々巻かれていたが、こ

こからは幹にテープとは別に青いペンキが目印に塗られていた。

すると道の北側に木々の間から大嶽の大岩壁が見えた。奥様にはこの後のルートを指さし説明しながら、『下り

の時の距離感としてはこの位、迷ったとしても何とかなるでしょう』と話をする。

 

 

 

道は谷筋を回り込むようにトラバースになると碁石山との分岐になる。前回は碁石山の長いロープの下りをクリ

アしてほっと一息ついた場所だ。

この大嶽・碁石山と書かれた道標からは左に折れて、ウバメガシの林の中を登って行く。

 

 

 

ウバメガシがまばらになってくると岩肌が現れる。その岩肌をひと登りすると2週間前にも来た大嶽山頂だ。

今日の天気予報では晴れマークだったが、なぜか洞雲山からこの大嶽にかけてうす暗い雲がのしかかっている。

青空の下なら気分は高揚するが、うす暗いとなんだか先行きに不安を感じる。

 

 

それでも今日の第一ステージの大岩壁のロープを山頂から確認して、気持ちを奮い立たせる。

先ほど途中で見上げた時は手前の岩塊と大岩壁も思ったよりも高さがあった。ここからは大岩壁にかかる一本の

ロープしか見えないが、果たしてどうなっているのか。『さぁ行きましょう!』と奥様に声をかける。

 

 

山頂手前に大岩壁へと道が続いていた。ウバメガシの続く斜面を『こんなに下るのかな?』と思うくらい、結構

な高さを下って行くと鞍部に着いた。

 

 

ここから先は一般の登山道ではありませんので、決してお勧めするルートではありませんのでご注意ください。

 

鞍部からは手前の岩塊へと登って行く。ただmeさんの活動日記で見たロープはなく、『どこにロープがあるのか

しら?』と言いながら奥様が登って行くと、頂部の直下でロープがかかっていた。

溶岩が固まった岩は固く、ロープを使わないでも露岩の岩は手掛かり足掛かりが良く、三点支持で登って行ける。

 

 

 

ただ最後にロープが終わって頂部に出る所は、張り出した岩が邪魔をして注意が必要だ。登りきると半畳ほどの

平らな岩からは、山頂から見えた二つの岩壁が、間の谷に向かってさらに深く切れ落ちているのが見えた。なか

なかの高度感に股間がゾクッとする。ここでは少しでも変な動きをしたら落ちそうになので、その平らな岩から

安全そうな場所へ身体を移す。

 

 

 

身震いしながらさらに先の岩壁を見ると、山頂からは一本に見えたロープが何本か垂れ下がっているのが確認で

きた。さぁここからはほぼ垂直に近い岩壁を降りることになる。

奥様が先の岩壁でお昼にしたいというので、ザックはそのまま抱えて、ストックだけを置いて『いざ!』

 

 

 

頂部から一段降りた先には何本ものロープとロープはしごがかかっていた。ただしロープはしごの踏み桟は木で

できていて、外れかかっているのもあって当てにはできない。

足元も岩肌の上が土と苔で覆われていて滑りやすい。ロープだけで垂直懸垂する技術もないので、当てにはでき

ないが時々ロープはしごに足を入れながら降りて行く。

 

 

 

揺れるロープはしごに苦戦しながら何とか鞍部に降りたつと、今度は横にロープが張ってあり少し張り出た大岩

の横をトラバースする。歩ける幅は狭くすぐ横は切れ落ちていて、けっこうヒヤッとする場所だった。

トラバースした後はあの山頂から見えた岩壁のロープとなる。

何段かに分かれて掛けられていたロープは見えていた以上に何本もがかかっていた。その中でも結び目を作って

くれているロープが役に立ち、そのロープを握りながらもう片方のロープを握り、二本を使って登って行く。

 

 

さすがの奥様もすんなりとは登って来れていない。それでも少々苦戦しながらも登ってきた。振り返ると今降り

てきたロープはしごのある岩塊が、目の前に見えた。

 

 

二人とも登った後さらに先へと進んで行く。もちろん左側はあの大岩壁。もし落ちでもしたら数十メートル落ち

て即あの世行き。(汗)

そんなことは気にしない奥様は、どんどん先に下って行きもうそれ以上はというところでようやく諦めてくれた。

 

 

 

それじゃ~という事で、岩に腰掛けてお昼ご飯にする。あの大岩壁の上で吹き抜けていく風が冷たい。

インスタントの赤だしの温かい味噌汁がありがたい。

 

 

南を見ると坂手港にジャンボフェリーが入ってきているのが見える。ここから見るとジャンボフェリーなのに、

ジャンボにはけっして見えない。その反対側を見ると、大嶽前衛のもうひとつの岩壁がそそり立っている。『あ

の岩壁は登れるのだろうか?』とまた要らぬ考えが浮かんでくる。

 

 

そして山頂からは見えなかった苗羽地区が見渡せた。さらにマルキン醤油の黒い建物群の規模の大きさに驚かさ

れる。山頂から見たロープの先の景色が今こうして目の前に広がっている。

 

一応ここで今日の第一ステージはクリア。ここから折り返しの岩壁のロープの第二ステージとなる。

取りあえずはへっぽこリーダーが先行して降りて行く。

ただ登りで少し手こづったほどではなく、両手で二本のロープを握っていると、岩壁から身体を離せて足元の確

認ができて意外とすんなりと降りて行けた。

 

 

 

 

登りよりも下りが難しいと言われているが、今回はどちらかというと次のロープはしごがかかった垂直の岩の登

りが一番苦戦した。滑りやすく見えない足元に、どうしても腕に力が入り余裕がなくなってしまう。

増えた重たい身体を持ち上げるのに一苦労。痩せなきゃ~と思っても多分この時だけ。

 

 

 

何とかロープはしごの岩壁を登り切り岩塊の頂部に立つと、雲の間から一瞬陽の光が、反対側の岩壁を白く輝か

せていた。右の尾根から歩いて行けば、岩壁には頂部まで木が生えている。『ひょっとしたら登れるかも』、

『いかん、いかん、また変なことを考えたら・・・・。』

足元を見るとその白い岩壁と同じように、ズボンがまっ白に汚れている。普段はお尻は汚れることはあるけれど、

前側が汚れるなんてほとんどない。いかに岩肌にへばりついて昇り降りしていたがが分る。

 

 

さぁここから第三ステージ。ここまでは歩いていた人もいるので様子が伺えたが、ここから先は一切情報がない。

大岩壁の下はどこにもあるような土溜まりがあるはずだから、岩壁に沿って歩けるはずだ。ただそこまでの途中、

そこから先の谷筋が地形図を見ても航空写真を見ても読みずらい。

まずは岩塊を降り鞍部からその岩壁に沿って南に向かって斜面を降りて行くが、直ぐに深い谷にぶち当たってし

まった。二股に分かれた谷筋を大きく避け、東に振って回り込みながら下って行く。

 

 

 

 

谷筋が浅くなった場所からまた岩壁に向かってトラバースして行くと、岩壁はオーバーハングしていてその全容

は全く見えない。しばらくは土溜まりを進んで行くが、途中からはまた深くえぐられた岩壁になってこれ以上進

めない。

 

 

 

一旦戻って出来るだけ岩壁から離れないようにして回り込み、今度は尾根筋に向かって登って行く。

すると少し斜め上に白い岩肌が木々の間に見えたので、その岩肌に向かって登って行くと目の前にあの大岩壁が

迫っていた。横に大きく広がる大岩壁は木々が少し邪魔をしてすべてを見ることはできないが、それでも大迫力

だ。イボイボの岩肌には国分寺のカッパドキアにもあったキノコ岩が、垂直の岩壁に立っている。

風雨にさらされた岩壁は崩れることもなく、花崗岩と同じように赤く変色しているヶ所もある。

 

 

 

 

視線を北側に向けると、その垂直の岩壁の向こうに拇岳がこれも垂直に指を立てている。次に小豆島に来るとし

たら、あの千羽ケ岳と拇岳になるかな?なんて思いながら眺めた。

 

 

展望があるだろうと思っていた場所からは岩壁の全容が望めなかったので、もう少し下へ尾根筋を下ってみるこ

とにした。すると樹林帯を抜けた場所にまた岩稜が現れた。

 

 

そして振り返ると『なんという事でしょう!』少し距離は離れて目の前の木々でその高さは半減していたが、

大岩壁の端から端まで見渡せた。『これ、これ、これが見たかった!』もちろん奥様も大満足のご様子!

その麓はまだ少し彩の残る緩やかな山裾が広がり、この大岩壁を眺めながら歩いてきた苗羽の街が見下ろせた。

 

 

 

 

 

この露岩の場所を『大嶽展望所』と名付けることにしたが、おそらく訪れる人はいないだろう。(笑)

露岩のある先は木々が密集して歩きにくそうなので、この尾根から南に登ってきた登山道に向かってトラバース

する。谷筋は二本ほどあったが、出来るだけ浅く歩きやすそうな場所を選んで回り込みながら谷筋を渡って行く。

 

 

 

二本目の谷筋には大きな岩が転がり落ち葉がたっぷりと積もっていたが、『落ち葉のスキーね!』と言いながら、

奥様も器用に足を滑らせながら下っている。ここも向かいの尾根へ高さがあまりない場所を選んで渡り、尾根を

乗越し少し歩くと、往路で歩いた登山道に出た。

 

 

 

ここから苗羽のバス停まではゆっくり歩いてもバスの時刻には十分間に合いそうだ。

歩きにくいゴロゴロ岩の沢筋を下り舗装路に出ると、山頂近くにあった重苦しい雲は流れ、きれいな青空が広が

っていた。

古い立派な建物が多く残る道を二人で満足げに歩いて行く。バス停で一緒になった年配の女性に大嶽の話をする

と、息子さんが帰省した時は必ず大嶽をバックに写真を撮るそうで、他にも嬉しそうに色々と話を聞かせてくれ

た。バス停のある場所は旧苗羽村役場があった場所で、その横には大きな『岩部亀士紀功碑』があった。

岩部亀士は初代志度村の村長を務め、その手腕を丸金醤油創立者である木下忠次郎認められ懇願されて、苗羽

村長に就任したという。そんな話を聞くと少なからず何かの縁をこの苗羽に感じたのだった。

 

 

 

 

大岩壁からの落ち葉の積もった下りで予測のつかない足の動きになり、帰りのフェリーの中で膝が痛み始めたが

その痛み以上に、今日のコースは久しぶりに人がほとんど歩いていないバリエーションルート。歩く前からの下

調べに胸躍らせ、最後の下りではルートファインディングに頭を使い、ロープ場では緊張感を味わった楽しい楽

しい一日だった。ただこれに味を占めた奥様がこれ以上エスカレートしない事を願うばかりだった。

 


あっぱれ絶景かな洞雲山・碁石山・大嶽

2024年12月13日 | 香川の里山

 

前回寒霞渓馬の背を登って、その西にある四方指から眺めたデコボコした洞雲山から大嶽の稜線。

馬の背の溶岩が固まった特異な地質の尾根を登った後、その四方指からの景色を眺めながら、『そう言えば以前

に登ったあの洞雲山から碁石山も同じようなガチガチ固まった稜線だった』のを思い出し、隣に居たあっちゃん

に『あの稜線も岩場になっていて楽しいですよ』と話をした。

その事を思い出して今回はまた小豆島に出かけてみることにした。計画としては坂手から洞雲山に登って碁石山

へ縦走、そこから大嶽へとアプローチするのだが、YAMAPの活動日記で事前に調べてみると、どうやら碁石

から大嶽への山頂直下のロープ場が難所らしい事が分かった。でもまあロープがかかっているという事はそれ

なりに歩いている人がいるのだろうと考えて、そのままロープ場を下って大嶽へ登った後、麓の苗羽(のうま)

に下る周回コースとした。

 

小豆島の山を登るときに一番考えるのはフェリーとバスの時間。取りあえず早めには出かけたいのだけれど、若

干一名が朝の早いのを難色を示す。それならと7時20分発の土庄行のフェリーに乗って、8時30分発の田ノ

浦行のバスに乗り継いで坂手港に向かうことにした。この時間だと今度は帰りの時間が気になるのだが、距離も

標高差もさほどではないので何とかなるだろう。

 

田ノ浦行のバスは坂手東で折り返して田ノ浦(映画村)へと向かう。その坂手東でバスを降りて、まずは『夏至

観音』で有名な、島霊場88ケ所の1番札所の洞雲山へと集落の中の道を登って行く。

坂の途中で振り返ると坂手港と田ノ浦の半島の横に五剣山が見えた。そこからしばらく歩いて行くと、2013

年の瀬戸芸で出品されたビートたけしとヤノベケンジの彫刻作品のある美井戸神社があった。

 

 

 

坂道の正面に見える岩壁に『あの上登るんかな~』とあっちゃんのテンションが上がってきた。洞雲山へのコン

クリート道はこの季節、行き交う人がいないのかたっぷりと落ち葉が積もっていた。コンクリート道からへんろ

道に入ると、さらに道は荒れていた。

 

 

 

オリーブの木が植えられた牧場の跡地を横目に見ながら更に登って行くと、第3番札所観音寺の奥の院・隼山

に着いた。大師堂の前の広場からは播磨灘を一望に、鳴門・淡路島が見える讃岐十景の展望地。銀色に輝く海

に空に浮かんだ雲が影を落とし、穏やかな風景はこちらの気持ちまで和ませてくれる。

 

 

 

その大師堂から洞雲山へと向かう途中に展望台があった。坂手の町を見下ろす展望台からは対岸の東讃の里山の

奥に、阿讃の峰々が続いているのが見える。

 

 

 

その展望台の先の参道からは、坂手の集落から見えた岩壁がそそり立っているのが目に飛び込んできた。

老杉の並ぶ境内に入ると、その岩壁の下に大きな洞窟。洞窟の中に本堂八角堂が薄明りに照らされていた。

 

 

 

洞雲山を後に一旦参道を引き返すと途中に、『洞雲山碁石山登山口』の小さな案内板が木の幹に掛けられている。

そこから乾いた土に足を滑らせながら岩壁の南側へと登って行く。

 

 

 

岩尾根特有のウバメガシの密集する急登を登って行くと岩壁の南端に出る。そこには先ほどの展望台より見た景

色より高度が上がって、さらに奥の内海湾の景色が広がっていた。

 

 

右手に視線を移すと草壁の町や寒霞渓、そしてこの稜線を眺めた四方指。坂手の町の奥には入り組んだ形の田

ノ浦の半島と、さらに先には釈迦ケ鼻のある半島が見える。

 

 

そこから先は岩尾根。馬の背同様露岩自体はしっかりしているが、高度感はかなりある。

碁石山のこんもりしたピークの先に、最終目的地の大嶽の垂直の岩壁も見え始め気分は上々!

五剣山屋島冠ケ嶽の岩壁とは比べようもない高さの岩壁の大嶽。そんな岩壁を眺めていて、あの上に立つこ

とはできないが、足元はどこも同じで土溜まりになっているはずだろうから、いつか真下から見上げてみたい。

あわよくば岩壁の弱点(岩登りではなく、木の生えている場所を辿りながら)を見つけて登れないかななんて、

不相応な大胆な考えをする。

 

 

 

そんな岩壁の下のゆるやかな裾を引く山肌は今が紅葉真っ盛りで、白い岩肌とのコントラストが対照的だ。

その岩尾根の高度感に腰の引けているルリちゃん。とはいえ足元のデコボコした露岩に足でも引掛けようものな

ら、奈落の底へ転落だ。『あわてずゆっくりでいいからね!』と声をかける。

洞雲山の石祠の前で記念撮影。『あっちゃん、それ以上後ろに下がらないでね!』

 

 

 

 

その石祠から先をひと登りすると洞雲山山頂の山名札が置かれていた。ネットを見てみると先ほどの石祠のある

場所を洞雲山山頂として写真を撮っている人が結構いるが、355mの標高はこちらの方が高いので、しかも地

元の山の会がわざわざ山頂と書いて置いているので間違いはないだろう。ちなみにYAMAPのランドマークと

もズレてはいる。ただこの山頂からの景色はこちらも申し分がない。

 

 

 

 

洞雲山山頂から碁石山へはウバメガシの林の中の尾根になる。碁石山寺への分岐を過ぎてさらに進んで行くと、

2回ほどアップダウンをして最後にひと登りしたら碁石山山頂。

 

 

 

 

 

山頂は木々に囲まれているが、その木々の頭越には千羽ケ岳と拇岳、そして島の最高峰の星ケ城が見える。

ここから大嶽まではまだ少し時間がかかるので、ここでお昼ご飯にすることに。ザックから取り出した先週と同

じ、巻きずしと稲荷寿司の弁当の蓋を開けたらその拍子に全部地面に落としてしまった。

おむすびコロリン・コロコロリンならぬ、巻きずしがコロコロ転がって行ってしまった。ガックリ肩を落として

いる私を見かねて奥様たちがおむずびとドーナツを恵んでくれた。ありがたや~ありがたや。

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたら、さぁここから今日のメインイベント、最難関のロープ場の下りになる。

山頂から少し北に降りると細いロープが谷あいに伸びていた。足元を確認しながら特攻隊長あっちゃんがまずは

降りて行く。ロープの最後の場所に降りると『ここは足掛かりがあるから大丈夫』と声がする。写真では伝わら

ないが結構な斜度の上にロープが細い。途中で輪っかを作ってくれているので助かる。

さらに下からは『2本目のロープは足掛かりがないので滑りやすくて難しいわよ』と声がした。

 

 

 

 

 

 

 

ロープ場が終わっても急坂は続いていく。ただ木の幹に掴まりながら降りられるので問題はない。

一旦降りて巨大な岩塊の左下を巻くように進んで行くと次に岩壁が現れる。

 

 

その岩壁には黒いロープがかかっているのでひょいとひと登りした後、もう一本ロープをやり過ごすと岩尾根の

上に出た。

 

 

 

背の低い木々の間を抜けるとまた絶景が広がっていた。麓の苗羽地区に黒い建物群が見えるのはマルキン醤油の

工場だろうか?そしてもう目の前に大嶽の岸壁が迫ってきた。

 

 

 

ここから一旦下って行くとその苗羽地区への分岐になる。大嶽に登った後はここまで戻って下って行く予定だ。

 

 

 

分岐から少し進んで露岩の上を登って行くと大嶽山頂だ。山頂にはネズミサシの枝に小さな山名標がかかってい

て、足元には「洞雲山行者講」の陶板が石に埋め込まれていた。

 

 

北と南に分かれた岩壁の間に深い神秘の谷が広がっていた。ロストワールドのここが大嶽の岩壁の弱点となるの

か、なんとなく下から登れそうな気がしないでもないが、好奇心だけでは今日は時間がない。

そして北を見ると数年前にセニョさんと二人で登った拇岳が『いいね!』と指を立てている。あっちゃんを誘っ

たら絶対に『行きたい!』と言うだろうから、今日は黙っておこう。

 

 

 

東を見ると淡路島と対岸の須磨が見えた。そしてふと見ると西側の南の岩壁にはロープがかかっていた。誰か

があそこまで行ってロープまで付けている。またひとつ興味が増えた大嶽だった。

 

 

 

分岐まで戻って西に苗羽へとウバメガシの木の枝に掴まりながら下って行く。足元はその小さな落ち葉が積もっ

て滑りやすい。道は踏み跡もしっかりあり、テープや青いペンキの目印も木の幹や岩に付けられているので迷う

ことはない。

 

 

 

 

途中には木材搬出用のヤグラと滑車が残っていたが、この周りに植林した様子はなく何の木材を伐採運んでいた

のだろうか?また太い鉄管も転がっていて、この辺りで搬出以外の何かの作業されていた形跡が残っている。

 

沢筋になってくると大小の石が転がっていて歩きづらい。右に左にそんな石を避けながらしばらく下って行くと

やっと車道に出た。樹林帯を抜け集落が近づいてくると色づいた木々越しに大嶽の岩壁がはっきりと見えた。

南北の両岩壁の間には確かに神秘の谷が見えている。

 

 

 

 

小豆島で人気の島宿真里の横を通り、醤の里の工場まで来ると醤油の独特な匂いがした。県道まで出ると奥様た

ちは、さっそくマルキン醤油記念館へしょうゆソフトクリームを求めて飛び込んだ。

時間的には計画していたバスより1便早いバスに乗れ、乗り継いだフェリーも1時間早く乗り込むことができた。

マルキン醤油の工場の屋根の奥に見えた大嶽は、その存在感は小豆島だけに限らず、香川の里山の中でも抜きん

でていた。

 

 

 

あの大嶽の岩壁をもっと近くで見てみたいと思うのは私だけだろうか?できればもう一度この山だけを訪れて、

探索できればと。またひとつ出かけたい山ができてわくわく感が止まらない。

 

 

 

 

 


『バリ山行』ともうひとつの石門

2024年11月22日 | 香川の里山

少し前になるが小説『バリ山行』が第171回芥川賞を受賞した。『バリ』とは『バリエーションルート』の略

で、正規の登山道以外のルートを使って山を登ることの略称だそうだ。山岳小説にしては舞台は六甲山という身

近な場所。その六甲山で『バリ山行』が繰り広げられるのだが、読んでみてそのバリエーションルートに少し違

和感を感じたのは私だけだろうか。

もちろん私もバリエーションルートと云われるルートを歩くこともあるし、藪コキをする事もあるけれど、藪コ

キなどは大抵が道を外れてしまっての時が多く、この小説に出てくる妻鹿のように、わざわざ藪を選んで歩くこ

とはほとんどない。それがバリエーションルートに当たるのかも疑問が残ったが、今回はそんな『バリ山行』を

奥様たちとやってみた。

 

小豆島の寒霞渓には『表十二景』『裏八景』の風光明媚な奇岩を眺めながらの登山道があり、大抵はこの登山

道を使ってその先の小豆島最高峰の星ケ城を往復するのが一般的だけれど、その『裏八景』の西側の尾根を登る

『馬の背』と呼ばれているバリエーションルートがあることを、昨年エントツ山さんのHPで初めて知った。

丁度昨年のこの時期にモミジ狩りを兼ねて、偶然池田町のフェリ―乗り場で出くわしたセニョさんあっちゃん

の三人で『馬の背を』登って、星ケ城まで歩いて『裏八景』を下って、最後に小豆島18番霊場の『石門洞』

石門を見て帰った。

 

今回もそろそろ寒霞渓の紅葉も見ごろだろうを思って、奥様たちを誘ってみた。そして『自己責任で!』と書い

て案内。今回は昨年一緒に歩いていないルリちゃんも参加したいと言うので、『馬の背』は一般的な登山道を外

して歩くのだから、当然何かあったときは『自己責任』でとして参加してもらった。

ただ昨年と同じような行程で歩いても芸がないので、セニョさんがその後独りで登った、馬の背の途中から西に

ある『玉筍峯』に寄道。その後ロープウェイ山頂駅まで登って、県道を歩いて『四方指』へ。そこから南に下っ

て、偶然以前にその存在を知った『もうひとつの石門』、通称『西の石門』を訪ねて見ることにした。

 

昨年と同様に池田港行の6時50分発のフェリーに乗る。但し駐車場はサンポート地下駐車場ではなく、少し離

れた大的場の青空駐車場を選んだ。というのも昨年あっちゃんは巨大な迷路のような地下駐車場で出口が分から

ず、馬の背の岩場よりも恐怖を感じたそうなので、分かりやすい青空駐車場にした。

サンポート周辺は新しくアリーナやホテルが建設されていて開発がどんどん進められていた。

 

 

 

池田港行のフェリーの第十一こくさい丸は『ぞうさん』が船のあちらこちらに象られていた。

出向後しばらくしてデッキに上がると、ちょうど東の空からお日様が昇ってきた。

 

 

池田港からロープウェイ乗り場になる紅雲亭行のバスはおおよそ30分待ちでほぼ満員で出発。

今日の登山口となる猪谷バス停で下車すると、我々以外も数組が降りてきた。裏八景からスタートして表十二

に降りる人はあまりいないので、皆さん馬の背を登るんだろうな~と思いながら歩き始める。

 

 

裏八景の登山道から馬の背の尾根への距離が短そうなところを適当に見計らって取り付く。滑りやすい斜面をひ

と登りすると尾根に出た。尾根からは西に寒霞渓から続く岩壁、そしてここから見ると『果たしてあんな所、登

れるんだろうか?』と思うような、これから登る玉筍峯が険しくそびえ立って見えた。

 

 

 

しばらくは黄葉の木々の下を歩いて行く。寒霞渓は、約1300万年前の火山活動によってできた安山岩層や火山角

礫岩層などの岩塊が、長い年月の地殻変動や風化と侵食によって多種多様の奇岩と崖地が絶景を創りあげた渓谷。

その岩肌はモルタルで固められたように固く、露出している岩も握ったり足をかけたりしてもビクともしなくて、

安心感があり、足掛かり手掛かりがあって登りやすい。

振り向いて後ろから登ってくる奥様たちの奥には、猪谷池内海ダムの向こうに草壁の街並みが見えた。

 

 

 

普通、花崗岩の岩場だと表面がザレたり握った岩がポロっと取れたリするけど、ここの表面は固くてほんと安定

感がある。そのせいか初めて歩くルリちゃんも結構登れてきている。

植生はというとそれはどこも一緒なようで、岩尾根特有のネズミサシがけっこう生えている。

 

 

 

一カ所だけあるロープ場をよじ登ると、玉筍峯随分と近づいてきた。その玉筍峯の横に広がる寒霞渓の紅葉は、

夏の暑さの厳しさが影響しているのか、今年は色がくすんでいてイマイチのような感じがする。

 

 

 

 

小さくアップダウンを繰り返しながら岩場を歩いて行く。玉筍峯の岩塊の上に月がまだ見えた。

 

 

 

岩場は固く安定しているとはいえゴツゴツと凹凸があって、逆に注意しないと足を引っかけ転倒しかねない。

前を歩くあっちゃんが立ち止まってなりやら写真を撮っている。その場所まで行ってみるとこの季節に珍しくカ

マキリが岩に張り付いていた。

 

 

 

岩尾根になってからは西側はだいたい切れ落ちているので、巻道はほとんど東側を巻いて登って行く。

それにしてもあっちゃんのスピードは落ちない。普通に登山道を歩いている感じでどんどん登って行く。そして

先に岩塊を登りきると更に高い岩に登ろうとする。

 

 

 

玉筍峯ほぼ真横の高さまで登ってきた。この辺りから見るとけっこう木々が生えていて高さもそんなになくて、

また違う岩塊に見える。

 

 

岩尾根から樹林帯に入ると、左側にロープウェイが見下ろせるこのルート一番の展望所がある。渓谷の紅葉も

稜線近くはもうピークを過ぎた感じだが、ロープウェイの周りは今が見頃といった感じだった。

 

 

 

その見晴らし台の手前に赤い色褪せた布切れと、こちらも朽ちかけたテープが木の幹に掛けてある。そのテープ

から西に向かって降りていくと玉筍峯へのルートになる。木々の中を下って行くと彩の向こうに玉筍峯らしき影

が見えた。それを見て『意外と近そう!』とあっちゃん。『いや~あれは偽ピークぽいですけど』と私。

 

 

思った通り見えた岩は玉筍峯の手前の岩。その岩塊を回り込むとまた先ほどの見晴らし台からの景色とは違った

角度からの渓谷とロープウェイ、そして山頂駅の駅舎が見えた。

 

 

玉筍峯の直下からあっちゃんは左に登りやすい場所へ。私は直登をしてみるが、これがけっこう危うかった。当

然写真を撮る余裕もなく、なんとか岩塊の頭に出た。最後は3mほどの高さを垂直に登るのだが、高さは大した

ことがなくても足元が切れ落ちていて落ちたらアウトだ。少ししてあっちゃんも登ってきたので二人で記念撮影。

あまりアップで撮るとちょっとした岩に登っているくらいにしか見えないし、少し離れて撮っても高度感はまっ

たくでない。

それでも下るときは足元が全く見えないので『注意してゆっくりね!』と声をかける。

 

 

 

 

 

今日の目的のひとつの玉筍峯をゲットした後は、分岐近くで待つルリちゃんの所へ戻って行く。待っていたルリ

ちゃんと合流した後はルートに戻って山頂駅を目指す。スタート近くの尾根の黄葉から、この辺りはオレンジや

赤の紅葉に彩が変わってきた。

 

 

一旦下って登り返していくと見覚えのある白い露岩が現れる。ここから先は樹林帯、この馬の背ルートで内海湾

草壁の町が見下ろせる最後の眺望となる。

 

 

 

白い露岩からは山頂駅にある第一展望台の岩壁直下までの急な登り。ウバメガシの木々の間を縫って、乾いた小

さな葉に足を滑らせながら登って行くと岩壁の足元に着く。

 

 

岩壁まで来るとそこからは岩壁の足元を東へと歩いて行く。途中で小さな細い滝を見ながらさらに進んで行くと、

裏八景の登山道に飛び出した。少し荒れた裏八景を登りきると山頂駐車場。トイレを済ませて公園広場の東屋で

お昼ご飯にする。

 

 

かわら投げの出来る第二展望台から見る四方指までの間の紅葉は、陽の当たり方のせいか今一つな感じがした。

ただ展望台や公園にあるモミジは日差しが当たって輝いてた。

周りでは声高らかに中国語が飛び交っていた。観光地は今やインバウンドで海外の人が大勢押しかけているが、

紅葉の季節になる京都などは、もっとにぎやかなんだろうと想像する。

 

 

 

 

 

時間は11時40分前。ここから四方指まで3.5kmの県道歩き、その後西の石門まで下って、更に予定して

いる内海ダムのバス停までタイムリミットは約3時間しかないので、のんびりとはしていられない。

途中にある鷹取展望台や、二年前の瀬戸内芸術祭のオブジェの『空の玉』を見てみてたかったが、次回に行く事

にしてどんどん歩いて行く。

 

 

寒霞渓の紅葉よりこの間の紅葉がとにかく見事だった。赤に黄色にオレンジと足元には結構散った葉が積もって

いるが、それでもまだまだ見応えがある。

 

 

 

脇道から県道に出ると、道の両側に帯のように落ち葉が積もっていた。四方頂からGoogleMapで『寒霞渓スカイ

ラインビュースポット』となっている場所までは単調な登坂が続き、あまりおしゃべりもせず黙々と歩いて行く。

 

 

 

そのビュースポットからはススキの穂の奥に内海湾そして大獄から碁石山洞雲山に続く峰々を望むことができ

た。あのあたりの山も馬の背と同じようなゴツゴツとした岩が続いていて楽しめる山だ。

眼下に見える先ほど登った玉筍峯の真っすぐ奥に見える千羽ケ嶽拇指嶽がちょこっとだけ見えている。

 

 

県道から四方指の標識にしたがって左に折れる。手前の県道沿いに比べると急に彩が増して賑やかになってきた。

時間はほぼ予定通りの1時間近くが経過しようとしていた。ここにきてズボンの下に履いている着圧のタイツの

股の部分がよれて股の付け根で擦れ始めた。途中で道の脇の木の陰で直してみるが直ぐにまたよれ始めた。

 

 

 

 

美しの高原の中にある四方指大観峰からは山と海と空をひとりじめ出来そうな大パノラマが広がっていた。

大角半島の奥の海の向こうに薄く見えているのは鳴門の辺りだろうか?反対側はには本州の赤穂辺りが見える。

 

 

 

 

 

三角点の横には三角点の標石と同じ石に彫られた説明板が建っていたが、全国にある標石のほとんどがこの小豆

島の石が使われているのだけれど、説明文は少し説明不足のように感じた。

『全国の至る所にある三角点の標石には、ほとんどが小豆島の石が使われています』と書いた方が、書かれた人

の意図が伝わる気がした。 参考文献:小豆島産の三角点・国土地理院

 

 

 

さあ残り時間は2時間。ここから西の石門まで下がって更に県道まで下っても、そこからバス停まではまだ15

分ほどかかる。14時50分紅雲亭発の便に遅れると2時間20分待つことになり、それでは帰りがけっこう遅

くなる。展望台の西側の緩やかに斜面になった所から見えたピンクのテープを目指して樹林帯へと入って行く。

このピンクのテープはこの後ずっと続いていったが、所々で見失ったりしてうろつく場面もあった。ただ基本的

には下りだと東側が岩崖地になっているので、その岩崖に沿って下って行けば間違いがない。

時間に余裕がないという事で奥様たちも、茂った木々の間を右に左に避けながらブイブイと飛ばしていく。

 

 

 

 

すると中山みちと刻まれた石の立つ場所に着いた。かつてはここが中山から草壁への峠道だったようで、多くの

人の行き来があったそうだ。その石の横には『四方指』『窓』と書かれた二つの道標が建っていた。

 

 

 

『窓』の道標に従って東に下って行く。昔の峠道の面影は残っていたが、とにかく落石によるのか、足元はゴロ

ゴロした大小さまざまな石が転がっていて歩きづらい。しかも九十九折れの道はけっこう急な坂になっている。

すると少し遠方だが下の方でズドーンと鉄砲の音がした。何度かその音が続いたところで、『私は黒い服で目立

ちにくいので、赤い服のルリちゃん先頭でお願いします!』と言って、先を譲る。

 

 

 

今は使われていない道とはいえ、これだけ石が転がっている道は初めてだ。これでは時間がないのにスピードが

まったく上がらない。それよりもいつ石を踏み外して転倒してもおかしくない。

何とかそのゴロゴロ石の急坂をやり過ごすと、また『窓』と書かれた道標と石門の注意書きを書いた紙が木の幹

に掛けられていた。

 

 

 

ここからは岩壁の足元を南に向かって歩いて行く。岩壁の岩肌は馬の背の岩尾根と同じように火山角礫岩らしく

デコボコ、ゴツゴツした岩肌になっていた。

するとそのほぼ垂直の岩壁に、ロッククライミング用のハーケンが打ち込まれ、フィックスロープが垂れ下がっ

ていた。たしかさっきの注意書きには国の許可が必要だと書いていたはず・・・・。

 

 

その岩壁の足元を抜けると樹林帯の斜面をピンクのテープを目印に登って行く。事前にみたここを歩いているY

AMAPの活動日記を見て、それほど時間はかからないと思っていたが結構時間がかかっている。

その斜面を登って行くと先に登っていたあっちゃんから声があがった。『着いたよ~!』

 

 

 

 

手前側には大きな石が転がっていたが、石門の奥は平らな場所が広がっていて、何か祭事が行われていたような

形跡もあった。大きさは東の石門より大きく見える。そしてアーチの部分も随分と分厚い。

 

 

奥の広場になった場所には、なにやら文字が刻まれた石が建っていたが解読はできない。

視力のいいルリちゃん石門の上の方にもハーケンが打ち込まれているのを見つけた。手前の岩壁ならまだしも、

許可を届け出たとしても絶対降りるはずもなく、なんという事だ。

 

 

 

広場から石門を眺めながらうろついている奥様に、『バスの時間まで残り1時間です!』と声をかける。

岩壁の足元を抜け分岐まで戻り、あとはピンクのテープに従って降りて行く。

すると割と近くでまたズドーンと鉄砲の音がした。あっちゃんがストックをたたき合わせて音をだすが、

『それよりルリちゃんが叫んだ方がいいよ』といって『お~い!』と叫んだ声が鳴り響いたら、鉄砲の

音は止まった。

 

 

途中でYAMAPの活動日記で参考にした人のルートとは違っているのに気が付いたが、尾根にはテープは続い

ていたのでそのまま超特急で下って行く。

途中から分岐までのゴロゴロ石の道に比べると随分歩きやすい道になり、ますますスピードが上がって行く奥様

たち。その後ろで下りが続いてそろそろ膝が痛み始めたへっぽこリーダーはどんどん離されていく。

 

 

尾根道から地形図に載っている破線の道に飛び出し、そのまま下って行くと40分ほどで、こちら側からの取り

付きとなる元うどん屋の横に飛び出した。すると期間は終わっているが『シカ駆除』の注意書きがあった。

 

 

 

県道から内海ダムまで下って行く。時間的に余裕が出てきたので管理事務所に寄って『ダムカード』をもらう。

 

 

 

さっきまでは下り坂で膝の痛みが気になっていたが、平地になった途端に股の間の擦れが気になり始めた。

こうなったら遠慮なく奥様たちの前で、恥ずかしげもなく股の間の着圧タイツのヨレを直す。(かたやおっさん

、かたやおばさでも、遠慮も恥ずかしさもなくなったらおしましだ)

 

バスの時刻に10分ほど前に着くことができた。『さてさて満員でなかったらいいんだけれど』と話をしている

と、定刻にバスが来た。やってきたバスに手をあげるとなんと満員で、運転手さんが後ろを指さした。その後ろ

からはもう一台バスがやって来て、こちらに乗り込むと意外と空いていてちゃんと座る事が出来た。ラッキー!

 

 

帰りのフェリーはゾウさんからパンダさんに変わっていた。陽が落ち始めた瀬戸内の海をデッキで眺めていると

内海から出た途端に風が強くなり肌寒くなってきたので船内に戻る。

そんなにゆっくり歩いたつもりもなく、休憩時間もそれほど取っていなかったのに、時間的に今回は余裕がなか

った。『今日は少し欲張り過ぎたですね』と奥様たちに言うと、『ぴったり予定通りの時間で良かったですよ』

と言ってくれた。『最後のバスが座れたのがいい意味での誤算でしたね』と言って笑い合った。

 

 

 


病院で診察のあとにサクッと竜王山へモミジ狩り!

2024年11月09日 | 香川の里山

 

昨年の年末に六甲山で転倒して岩に膝をぶつけてしまい、帰宅後どんどん腫れてきた。ただもう病院は年末年始

でお休み。仕方がないので年が明けて直ぐに駆け込んで、腫れた膝から水を抜いてもらった。

1週間後のMRIを検査をすると内側の半月板損傷だと診断された。幸い重度ではないので薬と湿布薬で保存治

療をすることになったが、薬は約1か月分出るのだけれど、なかなか飲み切れずに結局数ヶ月経って数回行くだ

けになってしまった。

その間鋭い痛みはなく、山に登っていても下りが続くと鈍痛が出る程度だったのが、ここ最近じっと椅子に座っ

ていても、痛みほどではないが何かジンジンするので職場の近くで再検査をしてもらうことにした。

というのも通っていた整形外科の先生、私の通院が不真面目だと思っての事か、こちらが質問してもあまり反応

が良くない。

一度『先生、内側が損傷と言う事ですが、どちらかと言えば外側に違和感を感じるんですけど?』と聞くと、

『おかしいな~・・・・』とだけ。

別日に『先生、最近曲げて伸ばすとポキポキ音がするんですけど?』と聞くと、

『そうやろな~』と。

おそらくこちらから色々と聞きなおすと答えてはくれるのだろうけれど、具体的な説明は聞けそうもない。

また休日はほぼ出かけていて家にいることがなく、地元の整形外科よりも、職場に近い整形外科の方が何かと融

通が効くと思って、今回予約を入れて出かけてきた。

 

問診と触診のあと取りあえずレントゲンを撮ってもらいMRI検査は次回となった。その時に『前の整形外科で

MRIの画像をCDに焼いてもらって持ってきてください、比較をしてみたいので』と言われたので、医院を出

て直ぐに電話を入れてみると、受付の女性が

『何に使われますか?』と聞くので

『別の病院で検査を受けようと思うのですが比較をしたいのでということです。』

『わかりました』と言った後、先生に聞きに行ったのか電話を保留に。戻ってきて

『画像だけでいいんですか?』と言うので『ハイ』と答えるとまた先生の所へ。そしてまた戻って来て

『どこの病院に行かれるんですか?』と聞くので『○○整形外科です』と言うとまた先生の所へ。

 

今時の事、患者側からで色々と問題となることがあるのだろうが、

結局根掘り葉掘り聞かれたけれども了承してくれて、夕方までに取りに来るようにということになった。

 

再検査をしてもらった整形外科でもMRI検査でないと詳しくは分からないが、レントゲンの画像では骨として

は非常にいい状態で、膝蓋骨と脛骨の間の隙間も年齢の割にはちゃんと空いていて問題ないと思いますと言われ

たので、まずは少しは気持ちが和らいだ。

そうなると夕方までにあまり時間はないがせっかくの休み、どこか山に出かけたいと考えて、思いついたのが

王山だった。なぜならYAMAPでもらえるバッジの県別四国の最高峰の山で、阿波竜王山だけバッジがもらえ

ていない。もちろんいつものスタート地点となる奥の湯キャンプ場からは時間的に無理なので、今回は鷹山公園

に車を停めて、そこから阿波竜王山を目指すことにした。

 

とその前にまずは腹ごしらえで久し振りにいこい食堂へ行ってみた。

お昼時、店の前には数人並んで待っていたけど回転がいいのか10分ほどで中へ入れた。案内係の男性は段取り

と愛想がよくて、次々待っている人を中に案内して注文を聞いている。

ここの中華そばは県内では唯一ここだけ、親鳥を卵でとじたスープと具。その中華そばを待つ間におでんの焼き

豆腐(出汁が染みていてこれも美味しい~)を食べているとその内にお目当てが運ばれてきた。

 

無料のにんにくをトッピングしてもらい、噛み応えのある親鳥と少し甘めのスープで美味しくいただいた。但し

私もだが、歯が悪い人には親鳥がけっこう固いので注意が必要。

 

 

腹ごしらえをした後は、食堂から内場ダムの横を通って相栗峠まで走り、少し道幅が狭くなった町道竜王線を通

って鷹山公園に着いた。

 

今日はここから阿波竜王山往復するのではなく、町道竜王線を利用して周回するつもりだったが、さてさて登

山道と町道のどちらを先に歩こうかと考えた。

たしか讃岐龍王山からはけっこう長い急坂になっていたのを思い出して、帰りに登山道を使うと、その長い急坂

を下ることになるので、急登も苦手だが、膝には登りの方がいいだろうと思い登山道を登りに使うことにした。

案の定スタートからしばらくの間長い急登が続いて行く。

 

 

鷹山公園で車を停めた時にメーターには外気温9度と表示されていたので、上着をどうしようかと考えたが、そ

のまま車に置いてきて正解だった。薄手のシャツでも寒くはなく、反対に背中がけっこう汗で濡れてきた。

途中何度か立ち止まって水分を補給する。

すると1005mの標高点辺りまで来ると、登山道の右側が急に開けた。内場川の源流域の谷あいの北と南に伐

採地が広がり以前は鬱蒼として杉やヒノキに囲まれていた登山道が、一気に見晴らしのいい登山道になっていた。

奥の湯キャンプ場をスタートして、竜王山キャンプ場を通るとその上が広大な伐採地になっていたが、その伐採

地越しに高松の市街地が見下ろせる。

 

いつもは下から見ると結構大きな山塊に見える屋島も、ここから見ると小さなこんもりした盛り上がりにしか見

えない。

目線を少し右に振ると、天満ケ原越しに見えるのは矢筈山だろうか?

 

 

暫くの間は伐採地の最上部の作業道と登山道が並行して続いていく。

どうやらこの登山道が香川と徳島の県境になっているようで、伐採地が香川県側となる。

 

 

 

その県境は徳島県側も植林地になっているけれど、杉やヒノキの足元の低木は結構色づいている。

登山道に近い伐採地の最上部で、二人ほど作業をしている人がいたので『こんにちは!』と挨拶をしてをして通

り過ぎる。

 

 

伐採地を過ぎ、珍しく四つに幹が分れた赤松を横目に見て、しばらく歩くと讃岐龍王山に着いた。

讃岐龍王山には三角点はないので、山頂標のすぐ横にあった境界石柱でそれらしく写す。

 

 

讃岐竜王山からは一旦細い丸太でできた階段を下って行く。これがけっこう長い階段で、前にストックを突きな

がら一段一段ゆっくりと、頭の上の色づきを確かめながら下って行く。

 

 

 

この辺りの登山道の右手は貝ノ股川の源流域になるのだろうか?その源流域の谷あいもきれいに色づいている。

阿波竜王山までは丸太の階段が同じように登りでも続いていく。

 

 

途中の笠形山への分岐は昔は峠だったのだろう、縦に割れてひびが入ったお地蔵さんがその面影を残していた。

 

 

 

香川と徳島の県境となるこの道には、以前歩いた時に度々見かけた阿讃縦走コースの札が木の枝に掛かっていた。

次第に道の左側は植林地から自然林になり、紅葉のグラデーションにハッと目を奪われる。

 

阿波竜王山山頂にある展望台。その下に 四等三角点 阿波竜王 1059.77m

いつも思うのだが、阿波竜王山の三角点はまんのう町に位置して、香川県の最高峰となっているのに阿波竜王山

とはおかしなもんだ。讃岐龍王山も香川県になるのなら、西竜王山東竜王山に名前を変えればいいのに・・・。

それにしてもいこい食堂で満腹になったせいか、お腹の浮き輪が大きく膨らみ過ぎている!

 

 

展望台からは手前にちょこんと三角形の頭が飛び出た笠形山。その左にひときわ高い大川山

笠形山の奥には大麻山善通寺五岳が見える。

 

そして間違いなく山座同定ができる飯野山の右には、城山が大きく横たわっている。

 

手前の鉄塔の先端には高松空港。そしてその奥には高松市の市街地が広がり、中央には峰山、そしてその左手に

五色台勝賀山が見えている。

展望台の柱の下には誰かが採ってきたのだろう、大きな大きなサルノコシカケが置き忘れられていた。

 

 

ここでしばらく休憩したかったが、整形外科に画像を焼いてもらったCDを撮りに行く時間が気になったので、

西に向かって町道へと降りていく。

町道に出る手前で急な下り坂があったが難なく下って、あとは下道歩き。

 

 

降り立ったところからしばらくは緩やかな登坂。今は使用禁止となっているトイレのある広場に大きな一本のモ

ミジの木。その横には『生活環境保全整備事業』と書かれた説明版。説明にはかなりの範囲で整備事業が行われ

ているが、書かれている通り『国民生活の安定・向上に資する事を目的とする事業』となっているが、結構な税

金が使われて、果たしてその通りの効果は??

 

 

 

その広場からしばらく歩くと道の脇に龍王神社の道標があった。その道標に従って左上に登って行くと、小さな

小屋のような水婆女(みつはめ)神社が建っていた。水婆女は最初みつはめとは読めずに、ミズババと読むのか

と思っていたら、由緒正しき水の神様の様で、干ばつの際は地域の人で雨乞いが行われていたようだ。

 

 

その水婆女神社の奥にはアメダスと二つの大きな電波塔が並んでいた。その周りの自然林の色づきが何とも言え

ず柔らかくてしばらく見とれてしまった。

 

 

水婆女神社から町道に戻って鷹山公園に向かって歩いて行くと、ここからは紅葉のオンパレード!

整形外科を出た後、もう少し近場の里山でも歩こうかと思ったが、結局この竜王山に変えて来てみて正解だった。

赤からオレンジ、そして黄色へのグラデーションの木。また赤一色に染まる木。緑の葉が混ざっているのもなか

なかいい感じだ。

 

 

 

 

そして途中にあった徳島県立竜王山青少年野外活動センター。こちらもご多分に漏れず今は廃墟となっていた。

全国に同じようなキャンプができる野外活動センターがあるようだが、この施設に限らず近場でいうと、の湯

・竜王山キャンプ場も今はほぼ利用されていない。以前は山中にあったキャンプ場も賑わっていたが、今は平野

部やアクセスのいい場所が選ばれて、少しでも不便な場所はどこも利用されなくなった。そして便利な場所にあ

るキャンプ場は最近はデイキャンプでBBQ場と化している。

 

 

 

野外活動センターからも下道歩きは続いていく。ただ道の脇の次から次と現れる紅葉のお陰で、単調な下道歩き

も飽きることなく鷹山公園まで戻って来られた。

 

 

 

 

 

鷹山公園からの帰り道、こちらも随分前に閉館になってしまった奥の湯温泉(けっこうお湯が良かった記憶があ

る)の横を通り、また内場ダムの横を通って帰路についた。

来週のMRI検査で膝がジクジクする原因が分れば、そして多少歩いても差しさわりがないと分かれば、また気

分的に違ってはくるので、その結果待ちでまた山歩きが楽しめるようになればいいと思っている。

 

 

整形外科に行く前に立ち寄ったコスモス畑が見ごろを迎えていた。

 

 

 


ワイワイ・ガヤガヤ、ゆるッと紫雲出山!

2024年09月28日 | 香川の里山

 

今日はお昼からある会が開かれる。故人を偲んで友人・知人が集まってくる。その前に顔

なじみのWOC登山部のメンバーが集まって近くの紫雲出山に登る事になった。

7月の剣山の例大祭の時は山頂でメンバーと会って、下山で何人かの人と一緒に下った。

その前は昨年の正月の大麻山の山頂で待ち合わせをして、この時も一緒に下っただけだっ

たので、スタート時点からメンバーと一緒に登るのは一昨年の夏の白峰寺以来のお久しぶ

りだった。

 

偲ぶ会には30~40名ほど参加する予定だが、登山は17名。その内男性は5名だった。

早速スタート時点の車道歩きから女性陣は賑やかだ。

後ろからくる車に『車が来てるよ~!』と声をかけても話に夢中なのか、避ける気配もな

い。けっこう通る車にまるで小学生の遠足の様で引率の先生の気持ちで気が気でない。

 

暫く車道を歩いた後、黒崎のバス停の手前で南に集落へと入って行く。集落の上に行く程

道幅は狭くなってくる。

 

 

 

コンクリート道が途切れるといよいよ山への取り付きとなる。

最初は里山あるあるで植生は竹林からになり、次第に勾配が急になり始まると周りの樹種

も変わってきた。すぐ横でヤマさんが『腹減った』と言っている。『朝ごはん食べんかっ

たん?』と聞くとちゃんと食べてきたという。いつもなら別の奥様がよく口にするセリフ

だが、そういえばWOC登山部で歩いていた時は、いつも早い時間に二人から聞いていたセ

リフだった。

 

 

暫くの間は落ち葉の積もった急坂だったが、そのうちに周りの草が茂って踏み跡もなく藪

の中へ入って行く。すると先頭にいた女性陣が騒ぎ始めた。

地形図を見てみると少し東側で九十九折れの破線が続いている。どうやら一本西側から違

う道を登って来たらしい。それでも少し藪コキして進んでみると、先ほどまでと同じよう

な道になる。

 

 

途中からは道が階段状になり、トラロープが張られた個所もあり九十九折れの道が続いて

行く。地形図の破線が登山道なら、この道は山頂近くの竜王社への道?

何回目かの折れ曲がりのヶ所で道は二股になっていたが、よく踏まれている道の方へ登っ

て行くと、駐車場から少し上の舗装路に飛び出した。

山さんが以前に登って来た時はこの場所ではなく、もう少し下に出てきたというので、や

はり破線の道とは違っていて、しかも竜王社へは二股になった場所からもう一方の道を登

って行くのかもしれない。

 

 

 

 

舗装路を駐車場へと一旦下って、駐車場横の見晴らし台まで行く。

先週の天気予報では雨模様だったが、曇り空から少しは青空も顔をのぞかせていた。見晴

らし台から積の集落を見下ろす。

 

 

山道から舗装路に出たところで、山頂へ登る人とこの見晴らし台に来る人とに分かれたが、

今いるメンバーで故人がいつも三角点でしていたバンザイのポーズをみんなでしてみる。

 

 

 

 

ここからさらに山頂に行くメンバーと、会の準備をするメンバーとに分かれて、我々は時

間の都合もあって直ぐに下って行く。

 

 

 

時間の都合もあったが、下り坂なのでそれほど慌てて下りることもないので、周りの草花

を写しながらゆっくりと降りて行く。

 

 

 

 

途中にあった竹の橋。丸太の橋はよく見るが竹で作った橋を見るのは初めてかもしれない。

 

 

半分くらい下っただろうか、舗装路に出た。ここから麵法師さんが往路と違う方向へ下っ

てみようというのでついて行く。しばらく歩くと道の脇にポニーを飼っているおじさんが

いた。

 

その馬小屋の少ししたでももう一頭まだらのポニーが草を食んでいた。人慣れしているの

か近づいても触っても逃げる気配がない。それどころか一番最後を付いてきてしまった。

困ってしまって我々が騒いでいる声が聞こえたのかおじさんが迎えに来た。

 

 

 

2時間ほどの里山歩きの後、予定していた人の数以上の人が集まって故人を偲ぶ会は無事

行われた。

最近読んだ芥川賞の『バリ山行』。バリとはバリエーションルートの事で、会社で少し変

わり者扱いされている人がそのバリ山行をしているのを知った主人公。会社の登山部の活

動では物足りなくなり、そのバリ山行に一緒に行かせてもらうことになるのだが、故人は

そのバリ山行をしている人に少し似ているところがあった。

とにかく藪コキは厭わず、目標の三角点に突き進む。最後に一緒に二人だけで歩いたのが

5月だったが、復路で少し登り返しを嫌ってトラバースをしたら最後は藪コキになってし

まった。ただ故人も私もそんなハプニングを楽しむところがあって気が合ったのかもしれ

ない。ちょうどひと回り歳が違ったがお茶目なところがあって、いつも周りを笑わせてく

れた。二人だけで歩いた時は無駄な話はせずに、最近の失敗談なんかを話してくれて笑わ

せてくれた。

ここ最近独り歩きをする事が増え、バリ山行の影響もあってか、今日のように賑やかなの

もいいけれど、静かにゆっくりと自分のペースで歩くのが気が楽で痛めた膝にもいいよい

う気がしてきたので、これからの歩き方をまた少し考えてみようと思う。

 

会の途中で抜けて、計画していた今見ごろだという島ケ峰のソバの花を見に車を走らせた。

会場から1時間あまりで道の駅ことなみに着いた。そこから南に三頭トンネルの手前で左

に折れると『島ケ峰』の標識が立っていた。このソバの花の時期は道は一方通行になって

いるらしく、標識に沿って右に左にとクネクネと高度を上げて行くとソバ畑が広がってい

た。

 

2016年からそばづくりに適した標高800メートルを超える寒暖差の大きい、天空の地まん

のう町「島ヶ峰」で荒廃地の開墾から始めそば畑を造ったそうだ。

先週末には花見の会が開催され大勢の人で賑わったようだが、阿讃山脈を背に白い花畑が

広がる景色は、一度は訪れたいと思っていたのでちょうどの時期に来られて正解だった。

 

 

 

 


世界の中心で大汗をかいた庵治の5座!

2024年09月13日 | 香川の里山
 
今週の水曜日の天気予報は山間部がお昼前後からの天気が怪しく、終日晴れマ
 
ークは香川県のみ。それならと考えていた県外のお山は諦めて里山歩きに切り
 
替えた。里山歩きなら近場を歩いて普段できていない用事も済ませたい。そう
 
思って近所の山を調べてみるが、もうほとんどの山は歩いていて新たにという
 
山が思いつかなかった。ただよくよく調べてみると地形図には載っていないが
 
YAMAPの山頂ポイントに未登の山があるのを見つけた。
 
何年か前にWOC登山部メンバーと歩いた庵治の4座。御殿山・大仙山・遠見
 
山、そして竜王山。その時は竜王山の手前に立石山があるのを見逃している。
 
(ただYAMAPの山頂ポイントにはまだなっていなかった?)
 
そして新たに竜王山の南に毘沙門山・裏毘沙門山がポイントとして追加されて
 
いた。これなら3座ポイントをゲットできるとニコニコ顔で出かけてきた。
 
 
 
近くの里山にしては後からの用事を考えて割と早めに家を出た。
 
牟礼町から丸山峠を越えて庵治町に入って直ぐにあるしろばな公園。海沿いの
 
公園は水際に沿って遊歩道が造られ、公園の中には庵治石のオブジェが飾られ
 
ている。まだ低い位置にある陽の当たり具合で波静かな海と周りの景色の陰影
 
がとてもきれいだ。
 
 
 
 
 
前回と同じように今日も庵治支所の駐車場に車を停めさせてもらう。
 
駐車場からまずは今日の山への取り付きとなる皇子神社を目指して港に沿って
 
ぐるっと歩いて行く。
 
港町の朝は早い。波止場ではもう作業をしている人の姿、そして漁船からのエ
 
ンジンの音が聞こえてくる。
 
 
 
 
 
その途中にある『雨平写真館』は『世界の中心で愛を叫ぶ』で度々出てくる
 
撮影用に建てられた建物で、撮影後に一度は取り壊されたあとに復元された
 
レトロな雰囲気のする建物だった。
 
さらに道沿いにある建物は今は廃屋となっていたが、昭和感の漂うお店があっ
 
た。平坦な道を歩いているだけなのに、ここまでですでに額から伝って鼻の頭
 
からポタポタ汗が落ちてくる。標高の高い山なら気温も低くてまだしばらくは
 
爽やかに歩いている頃だろうが、やはり平野部の暑さはまだまだ油断できない。
 
 
 
 
 
 
庵治港を南から北に回り込むと皇子神社がある。急な石段を『瞳を閉じて~君
 
を描くよ〜』と口ずさみながら登って行くと、神社の前の広場にはブランコが
 
ある。これも映画のワンシーンに出てくるブランコだ。
 
 
 
 
 
庵治の漁師さんの守り神として権現さんと呼ばれ、毎年夏には急な石段をだん
 
じりが降りて、全国的にも珍しいちょうちんで明々と照らされた漁船にだんじ
 
りや神輿や獅子が乗り込む『船渡御』がここからスタートする。
 
 
 
 
 
 
拝殿を参拝した後、その右手横から山の中へと入って行く。高松藩主の松平
 
頼重公の別荘があったことから名づけられた御殿山山頂までは遊歩道が続いて
 
いる。緩やかな坂を登って行くと目の前を小さな黒い物体が横切った。『ウリ
 
坊だ!』と思った瞬間、『ブヒッ』と一声あげて林の中に飛び込んで姿は見え
 
なくなった。ただその茂みの奥から『ビヒッ、ブヒッ』とおそらく親イノシシ
 
のさらに大きな威嚇の声が聞こえてくる。慌てて手に持っているストックをか
 
ち合わせて音をたてながら急いで小走りで歩いて行くと、次第にその鳴き声が
 
遠ざかった。
 
 
 
 
 
 
 
御殿山山頂には見覚えのある東屋があった。ここまで来るとイノシシの恐怖か
 
らは逃れて一息ついた。この時期周りは草木が伸び放題だったが、西を見ると
 
屋島の裾野の奥に高松のサンポートのシンボルタワーがくっきりと見えた。
 
 
 
 
 
 
 
山頂の東屋から一旦下って行くとこの山を囲むようにしてある遊歩道に出た。
 
アスファルトの遊歩道を北に歩いて行くと道の脇に、真っ白な庵治白石照射灯
 
が建っていた。照射灯とは陸上から強い高度の投光器により航路付近の岩礁な
 
ど危険箇所を照射して、障害物の所在を航行船舶に示す施設で、ここでは白石
 
という岩礁を照らしているのだろう。
 
 
 
 
 
その照射灯を過ぎてさらに歩いて行くと道の脇に巨大な花崗岩。大きな頭の下
 
に口があってまるでマッコウクジラを横から見た感じ。
 
 
その先では道の北側が開けて、島影の間を小豆島からのフェリーが穏やかな瀬
 
戸の海を走っていた。
 
 
 
 
 
 
御殿山をぐるっと回り込むと県道に出た。道の反対側の庵治観光ホテルの上の
 
駐車場へ入り、山際の石積に掛けられたはしごを登って行くと、大仙山と書か
 
れた小さな道標が立っていた。
 
 
 
 
 
山の斜面を登って行くと、以前あった耕作地への今は使われていないだろう荒
 
れたコンクリート道に出た。道に沿って登って行くと大仙山の支尾根になる。
 
 
 
 
 
尾根道は樹林帯の中の道。確かに周りの木々が日差しを遮ってくれてはいる
 
が、そろそろ気温が上がり始めて湿度も高いせいか、流れる汗の量が半端な
 
い。足元にはツルボだろうか?薄紫の花が道のあちこちに咲いている。
 
その可愛い花の横をニョロニョロと長い蛇が動いて行ってドッキとする。
 
 
 
 
 
観光ホテルの駐車場から25分ほどで大仙山山頂に着いた。最初に目に飛び込
 
んできたのは瓦屋根の載った石造りの立派な雨乞祈祷所だ。瀬戸内に面した半
 
島のほぼ先にある庵治町は、三方を低い山に囲まれて大きな川もなく、昔から
 
夏になると水不足に悩まされていたのではないかと思う。そのせいか祈祷所は
 
荒れた様子もなく今でも大切にされている気がした。
 
 
 
 
 
祈祷書の横には南に向かって観音様が立っている。その目線の先には普段見慣
 
れた五剣山とは少し山容の違った五剣山の五つの峰が並んでいた。
 
頭の上ではトンビが『ピーヒョロ』と鳴きながら、風に乗って気持ち良さそう
 
に飛んでいる。
 
縄張りなのか大きなクマンバチが頭の周りをグルグル回って、隙を見て刺して
 
こようとしている。その度タオルで振り払うので最後は腕がだるくなってきた。
 
 
 
 
 
 
 
祈祷所の屋根の下の日陰で腰を下ろして一息入れる。ここまでですでに500
 
mlのスポーツドリンクを一本飲んでしまった。今日は残り一本しか残ってい
 
ない。果たして最後までもつか心配になってきたが、幸い竜王公園の駐車場に
 
自動販売機があったのを思いだし、何とかなりそうだと考えザックからもう一
 
本取り出した。
 
山頂から下って行くと庵治町の郊外から笹尾の集落に抜ける竹峰峠に降り立っ
 
た。峠には大仙山山頂にあった立岩の説明が書かれた案内板がある。峠道をま
 
たいで向かいから今度は遠見山へと取り付く。
 
 
 
 
 
峠の取り付きから登って行くと直ぐに南無阿弥陀仏と彫られた石柱とお地蔵さ
 
んがあった。この峠もそうだがここから先の峠も新しく道が造られ切り通しに
 
なっている。従来の峠道だった場所は今の峠から離れた場所だったようで、今
 
切り通しになった峠からは少し離れた場所にお地蔵さんが立っている。
 
お地蔵さんから少し先には石祠。こちらは台座が新しい庵治石で造られてい
 
た。先ほどのお地蔵さんの南無阿弥陀仏と彫られた石柱といい、この台座とい
 
い、さすが庵治石の産地だけある。
 
 
 
 
 
石祠を過ぎると道には巨石が点在し始める。香川の里山の尾根ではよく見られ
 
る風景だが、この道の岩はとにかく大きさが飛びぬけてデカイ!
 
こんな巨大な花崗岩が露岩となるのはどうなってなのか、また一度興味がるの
 
で調べてみたい。
 
それにしてもこの道筋は蜘蛛の巣だらけだ。毎回毎回ストック振り払うが、う
 
っかり見逃すと顔にそのままベタ~とまとわりつく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そのうちに尾根の南側に平らな展望岩が見えた。その展望岩の端に立つと庵治
 
町ののどかな田園風景の奥に屋島が見える。平らな岩の横にある小さな岩に腰
 
掛けて、ズボンの下が暑気していた着圧のタイツを脱ぐ。ここ最近は着圧タイ
 
ツのせいで同じように暑気がしていたので、ショートのパンツをはいていた
 
が、今日はこの時期草木で道が荒れていたらと思って、普通のトレッキングパ
 
ンツをはいてきたのが間違いだった。タイツを脱いだお陰でズボンの中が急に
 
体温が下がったような気がした。
 
 
 
 
 
展望岩からさらに先に進むと、今度は北側の景色が広がり西鎌尾根と書かれた
 
道標の横にテーブルとベンチが置かれていた。
 
波静かな瀬戸内海の青い海の向こうに小豆島が横たわっている。星ケ城を最高
 
地点とする峰々をよ~く見てみると、その東端の千羽ケ岳の山頂の下に見覚え
 
のあるちょこんと尖った峰が何となく見える。デジカメの望遠で見ると、セニ
 
ョさんと二人で登った親指岳だった。
 
 
 
 
 
西鎌尾根から八幡神社の道標の建つ分岐を過ぎると今日三座目の遠見山に着い
 
た。山頂からは南に五剣山。西にはこれから行く立石山と龍王山が見えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この遠見山山頂は屋島城ができた奈良時代にはのろし台があった云われてい
 
る。その狼煙を焚いた場所だったのか広場の手前には窪んだ場所があった。そ
 
こから見える屋島は本当に平らで屋根の形をしている。反対に五剣山の峰は指
 
を閉じて小指を立てているように見える。
 
山頂広場には丸太を横にしたベンチがある。ここでも水分補給と小休止。ただ
 
水分を採ってもなかなか息切れが収まらない。
 
 
 
 
 
 
 
山頂から少し下って行くとまた見晴らしのいい展望岩があった。ここからは下
 
に鎌野の集落と港が見える。先ほどの西鎌尾根の展望台はこの鎌野の集落から
 
名づけられたのかもしれない。当然だが槍ケ岳の西鎌尾根とは関係ないだろ
 
う。東側に見える竜王山と手前の立石山。おむすびの形をした立石山は山頂ま
 
でひと登りありそうな形をしていた。
 
 
 
 
 
 
 
それにしてもこの遠見山山頂の前後には巨岩が多くみられる。遠目に全景を移
 
したのではその大きさは分からないと思ってストックを置いてみた。1m15
 
㎝に伸ばしたストックと比べると、やはり3m以上ある大きな岩だ。そして他
 
の山でもよく見られる大きく縦に割れてその隙間に落ちずにいる小さな岩が複
 
雑に風化する花崗岩の特質を現している。
 
 
 
 
 
 
 
 
この大岩を過ぎるとウバメガシの林の中の尾根道となる。足元は花崗岩が風化
 
してザラついたとても滑り上に、ウバメガシの小さな乾いた葉がさらに滑りや
 
すくしていた。ただ今日は独り歩き。慌てることもなくとにかくゆっくりゆっ
 
くりと下って行く。すると目の前に立石山らしいピークとその下にアスファル
 
ト道が見えた。下って行くときれいな花が供えられたお地蔵さん。さらに下り
 
て行くと奥ノ坊峠と書かれた道標があった。地形図には線がなく、新しく舗装
 
路がついているがこの場所も昔から南北の峠だったのだろうか。里からは少し
 
離れた場所にも関わらず、こうやって花が供えられているのを見ると、地元の
 
方の信仰心の深さを感じる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舗装路から立石山へと取り付くと直ぐにこちらにも馬塚とお地蔵様。遠見山か
 
ら見えた通り立石山へは花崗岩の風化した滑りやすい急登が続いている。
 
汗の量もそうだがとにかく息切れが酷い。そういえばどこかの山で最近同じよ
 
うになったな~と思いながら一歩一歩踏み出し登って行く。
 
 
 
 
 
 
 
山頂近くなるとほとんど『ハアハア、フウフウ』と息遣いがとにかく荒い。
 
それでもやっと着いた立石山は素晴らしい景色で出迎えてくれた。木々が伐採
 
され正面に見える小豆島には、空高く登った入道雲が覆い被って、その上には
 
青々として澄み切った夏空が広がっていた。
 
 
 
 
 
立石岩から下って行くとまた巨岩が転がっていた。そのうちの一つの女郎岩と
 
名付けられた岩にはその手前で道標がかかっていた。
 
道標の矢印の方角に少し下って行くと、女郎岩と名札がかかった巨岩があっ
 
た。『ん・・・?これが女郎岩?』と思いながらその横を通って更に下って下
 
から眺めてみるとなるほど・・・・。おかっぱ頭の女性に見える。
 
 
 
 
 
 
 
 
女郎岩から引き返し東に下って行くと車道に出た。車道から見える二つの山が
 
毘沙門山と裏毘沙門山だろうか?
 
 
 
 
 
竜王公園へと続く車道を歩いて行く。登坂の続く道、日陰を選んで歩いて行く
 
が今まで以上に息切れが酷い。2本目のスポーツドリンクも飲み干した。これ
 
で公園に自販機がなければ万事休すだ。
 
 
 
やっとの思いで着いた竜王公園の駐車場のトイレの横に、待ちに待った自販機
 
があった。今までスポーツドリンクで口の中が甘だるくなっていたので、ミネ
 
ラルウォーターを買い求める。自販機から音をたてて落ちてきたミネラルウォ
 
ーターは取り出すとバッチリ冷えていて、早速すぐ横の東屋の下でゴクゴクと
 
半分以上飲み干した。飲んだ後にこれではまた足りなくなると思ってもう一本
 
慌てて買い足した。東屋の先にある展望広場からはまた瀬戸内海の絶景が広が
 
っていた。普通ならのんびりとこの景色を楽しんでいるところだが、今日はす
 
ぐに東屋の日陰に戻ってまたミネラルウォーターをゴクリと口にする。
 
 
 
 
 
 
お腹の中でタプタプといい始めたので、重い腰を上げて公園へと歩いて行く。
 
いつもなら芝生の丘の中を石のオブジェを眺めながら登って行くのだが、遮る
 
ものがなく日差しのキツイ公園を歩く、そんな余裕もなく歩きやすい舗装路の
 
日陰を選んで歩いて行く。一応舗装から見えた石のオブジェを遠目から写真に
 
撮ってみた。
 
 
ただ公園の小高い丘の上にある見晴らし台へは日陰となる道は階段を登って行
 
かなければならなかった。ここでもうほとんど熱中症状態。汗の量と息切れが
 
半端ない。水分は十分に採ったつもりだったが、その量に対して塩分をほとん
 
ど採れていなかった。
 
やっとのことで登った腕時計の形をした見晴らし台でも容赦なく日差しが照り
 
付ける。360度の屋島・小豆島そして志度湾の大展望を楽しむ余裕もなく早
 
々に次に向かって見晴らし台を降りて行く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
時間は10時55分。愛嬌のある日時計の鳥は11時を指していた。
 
 
 
 
見晴台から南に公園の道を歩いて行くと兜を被った武神像が祭られた竜権さん
 
がある。明治の時代に日蓮宗の信者によって『南無妙法蓮華経 』のお題目と
 
八大竜王が祭られ、武神像が刻まれたそうだ。
 
尾根道を南に下って行くと目線の先に裏毘沙門山が見えた。ただここまででも
 
うほぼ限界。下っているのに息切れが収まらない。
 
 
 
 
 
 
 
 
これ以上歩いて登っても、まだ車を停めた駐車場まではけっこう距離がある。
 
そう思って今回は残りの2座を諦めた。
 
車道に降り立つ手前で岩をくり抜いてお地蔵さんが立っていた。今日のコース
 
上では、すべての峠にお地蔵さんが祭られていた。峠とい云ってもそれほどの
 
高さでもなく、町から集落へもそれほど人の行き来があったようには思えない
 
が、それでも行き交う人の安全を祈って見守っている。
 
 
 
ここから庵治支所までは舗装路歩き。車道を右に左に日陰に沿って下って行く。
 
しかし先ほどと同じように息切れが激しくなるばかり。木々に囲まれた山の中と
 
比べると、アスファルト舗装の路面の温度は高い。
 
途中一度日陰で少し風が吹いてくる場所で、大の字なって寝そべった。里山だと
 
思って履いてきた、ショートの靴は靴底が柔らかくて、足の裏が酷く暑く熱を持
 
っていた。靴も靴下も脱いで大休憩。
 
 
 
 
 
しばらく休んで気を取り直して舗装路を下り郊外の平地になると、今度は日陰が
 
ない。道の脇の建物でできた日陰で何度も何度も立ち止まって休みながら、何と
 
か支所の駐車場にたどり着いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
支所の建屋の横には『世界の中心で愛をさけぶ』のロケ地の大きな案内板が立
 
っていた。その中心で愛は叫ばなかったが、ただただ大汗を掻いた一日だった。
 
まだまだ里山歩きには厳しい気候だと思い知らされた。
 

台風10号が来る前にウオーキングで満濃池へ

2024年08月29日 | 香川の里山

先週も早い段階で天気予報の雨予想でお山はお休みにした。今週も台風10号

が上陸するかもという予想で、奥様たちにはお休みの連絡をした。

ところがその10号の歩みが遅くて、今日一日はどうやら曇りの予報に変わっ

た。それなら少しは歩いておこうと考えて出来るだけ平坦な道でウォーキング

しようと思い、満濃池の周遊道を選んだ。

できたらウォーキングが終わったら少し足を延ばして宝山湖の青い睡蓮も見て

みたい。そう考えて曇り空の下車を走らせ出かけてきた。

満濃池森林公園の駐車場に車を停めてスタート。駐車場の横のトイレは建て替

え中で使用不可。その奥の大屋根のテーブルとベンチでは、数人のおばさんた

ちが賑やかに雑談中だった。

駐車場から車道に出て南にしばらく歩いて行く。少し下って途中に左手に入る

小道があったので適当に入って行くと周遊道にでた。

周遊道は要所要所で現在地に番号が振られたMAPが立てられていて、その

MAPには2~6kmほどの5つのコースが書かれていた。




2022年に完成した周遊道だが、この時期さすがに雑草が伸び放題の場所

もあり、一般の人が歩くには・・・・?かな。


樹木に囲まれた周遊道は日陰の道が続いているが、それでも蒸し暑さのせいで

額からはぬぐってもぬぐっても汗が流れ落ちてくる。熱中症にならないように

コマめに水分を補給しながら歩いて行くが、頭の上のミンミンゼミの大合唱が

なお一層暑さを助長してくる。

この周遊道はこれで3回目で、前回までは歩いた野鳥の森には寄らずにそのま

ま歩いて行く。







この周遊道は途中から今は閉鎖された『こんぴらレイクサイドゴルフ場』の

中を通っている。ゴルフ場はフェンスで囲まれて太陽光発電所に変わっている

が、歩行路やカート道に敷いてあった養生マットがその面影を残している。









そのフェンスに沿って歩いて行くと注意喚起の看板。たしかに急な坂なので

カートが下りでスピードを出し過ぎると危ないと感じたが、いったいどんな

事故が起こったのか興味が湧いてくる。





少しアップダウンをしながらゴルフ場の中を進んで行くと目の前には立ち入り

禁止のフェンスが現れた。本来なら先ほど左手に見えた道へ曲がらなければな

らなかったのに、うっかり進んでしまったようで直ぐに引き返す。







突き当りから引き返して通り過ぎた場所から脇道へ入って行くと杉林の中の

道になる。コンクリートの道を登って一旦下ると、満濃池の最南端部になる。

ここから満濃池に流れ込む小さな小川に沿って歩いて行く。

その流れが満濃池に流れ込む辺りには水かさが増した時には池の水の中に浸か

ってしまいそうな水中木が何本か立っていた。







その最深部から北に向かって歩いて行くと道の脇にベンチがあった。ここで

ひと先ず休憩。持ってきた水筒に入れたアイスコーヒーとシュークリームで

行動食代わり。ため池の湖面を撫でて吹く風が涼しくて心地よい。







ウエストポーチに水筒と一緒に入れたシュークリームは、潰れてしまって中の

クリームが全部飛び出していたが、お腹に入れれば何でも一緒。それまでお腹

が空いてあまりパッとしなかった身体が生き返った。

一息入れて『さぁ歩くぞ!』と腰を上げて歩き始めると直ぐに雨音がし始め

た。次第に雨脚が強くなり始め、仰ぎ見る空もどんどん黒くなってきた。

仕方がないので途中で周遊は諦め引き返すことに。

幸い木々の下の周遊道ではずぶ濡れになることもなく、何とか駐車場まで戻っ

てくることができた。




登山のよくあるあるで『山を下りたら晴れた』で、今日も車に乗り込むと雨

もやんで少し青空も覗き始めた。

次は満濃池から移動して宝山湖へ。

宝山湖の駐車場では五・六人の人たちが草刈り中だった。その横を通って

里山ビオトーブへと歩いて行く。






ビオトーブの青い睡蓮は、近くの農家さんが高知のモネの庭で購入して、自宅

で育てたものを移植したらしい。その後は三豊人材シルバーセンターのメンバ

ーでお世話をしているそうだ。開花の時期はまだこれからの様で、咲いている

花は疎らだったが、先週黒沢湿原でみた睡蓮とは違った爽やかな印象を与えて

くれた。









雨予報の自主トレで、近場の高仙山とくまんど山へ

2024年07月11日 | 香川の里山


この時期天候が不安定なので、水曜日の山行の計画は日曜日くらいに様子を見て予定を

しているが、今週は雨予報。早々に奥様たちには『自主トレにしましょう!』と連絡を

入れて、軽くどこか歩ければくらいに考えていたら、家の奥様が『仕事が半日なのでお

昼から買い物に行きましょう!お昼前には帰ってきてね』と宣った。

『承知しました!』と返答したものの、お昼前に帰宅するとなると近場の山しかない。

先々週の自主トレではYAMAPの山頂ポイントの大串山をゲットしたが、近場でまだ

ポイントをゲットしていない山は?と考えたら、何度か歩いたことはあるけれど、まだ

YAMAPでは記録していない高仙山を思いついた。しかもまだ未踏のくまんど山が近

くにあるらしい。さっそくYAMAPで他の人の活動日記を調べてみたら、距離も行動

時間も手ごろな感じだった。

天気予報も午前中は曇りで昼から雨予報。帰るまでには何とか持ちそうだったので出か

けてきた。




自宅から前山ダムの横を通り多和地区から県道148号線を北に。広野地区に入って『二

本杉・高仙山』と書かれた道標ののある脇の、路肩が広くなった場所に車を停める。

曽江谷川へ流れ込む支流に沿って広がる谷底平野部には、青々とした稲が少し湿気を含

んだ風に揺れていた。







道標の矢印の方向に川の反対側へと歩き、二股を左に折れて緩やかな坂を登って行くと、

『三木・高仙山深山のみち』と書かれた道標を、今度は右にコンクリートの道を登って

行く。最初の二軒ほどはまだ生活している人がいるような雰囲気だったが、そこから上

はほぼ廃屋になっていた。人の行き来がないと道は荒れてくる。










コンクリート道の上には枯れた笹の葉が積もり、車が通った気配が全くしない。すると

正面に立派な民家が見えたが、ただこちらの家もすでに住民はいない様子だ。この民家

は活動日記にも写真が載っていて、石垣の右手にイノシシ避けの柵があると書いていた。

その柵を開けて中に入るとだんだん道は怪しくなってくる。











右手には朽ちた建屋がありその先はまた二股になっていたが、ほぼ笹藪になった左の道

を進んで行くと、すぐに右側に飼料のタンクがあった。と言うことは右の道の先には養

鶏場か養豚場があったのだろう。














笹藪をかき分け進んで行くと、先ほどあったのと同じ道標が建っている。その道標に従

って山の中へと分け入ると、すぐ左に立派な石灯篭。この道が高仙神社への参道だった

名残だろう。ただ道は参道の面影は全くない。











掘割のようになった道を登って行くがけっこうな急登だった。長い時間の間に両側から

崩れた土や枯れ葉が積もり、踏み込むとのめり込んだり滑ったりで歩きづらい。

すると先ほどから後ろでごく微かな羽音が聞こえてきていた。

錯覚かなと思いながらも立ち止まってみるとやはり羽音がする。その小さな羽音と比例

するように小さな蚊?が目の前を横切った。立ち止まった場所にいるのかそれともずっ

と追ってきているのか、しばらくの間はその羽音がやむ事はなかった。








道に花崗岩が現れると標高が上がってきた証拠だ。先週に比べると気温は少し低いよう

だが、汗はびっしょり衣服を濡らしている。息切れもするけれど先週に比べると随分と

楽だった。吐き気までした先週はやはり熱中症だったのかもしれない。








急登が終わると西に続いていた道が北に少し緩やかな登坂になる。山頂尾根に出る手前

には石で囲った池?この上からの小さな流れを集めた池のようだが何のためだろうか?

ひょっとすると高仙神社の下の窪地にあったという高仙寺の何らかの施設の跡だろ

うか?そう思いながら登って行くと黒い給水管が尾根に向かって続いている。その給水

管に沿って登って行くと道の少し下に電源のBOXと小さな小屋が見えた。

ひょっとしたらポンプでさっきの池にたまった水を汲み上げているのかもしれない?と

思い眺めながら登って行くと尾根に出た。








尾根にでて右に歩いて行くと高仙神社の鳥居が見えた。高仙神社は『雨ごいと安産の神

様』とされている。山頂部にあって雨ごいの神様は香川ではよく見かけるが、安産の神

様は珍しいな~と思いながら歩いて行く。










拝殿とその前の石灯篭は比較的新しそうだったが、その奥の本殿には高麗神(雨乞いの

神様)と木花開耶姫命コノハナサクヤヒメノミコト( 安産 の神様)をお祀りしているよ

うだ。










拝殿の横からは木々の間から屋島が見えた。




参道を戻り鉄製の黄色い車止めのある場所から展望所へ向かう。少し荒れた道をこんな

道だったかな~と、以前に来ていた頃を思い出しながら歩いて行くと、木製のベンチの

残る様変わりした展望所に着いた。子供たちが小さい頃に来ていた頃は、周りに草木は

なく、広々とした場所の目の前に高松から東の三木町、長尾町続く平野部が広がってい

たが、今は広場には草が生え、目の前も木々が生い茂っていた。

平野部の奥には先週歩いた大串山、さらにその奥の雲の上には小豆島が顔を覗かせてい

る。この高さから見える屋島は、山頂部が真っ平ではなく麓から見るいつものシュッと

した屋島よりは、ふっくらした感じに見える。

















この広場の上はちょうど羽田から飛行機のルートになっていて、すぐ真上を飛ぶ飛行

機を見て子供たちが大喜びしていたのを思い出す。

眺望の写真を撮った後に戻る途中にあった石祠。中を覗き込むと『女体神社』と彫られ

ていた。ここから東にある大窪寺の裏には3つの女体山と山頂には石祠があるけれど、

何か関係があるのだろうか?













高仙神社への分岐まで戻り、高仙山山頂公園へと歩いて行くと途中で道の北側が開けた場

所があった。そこからは先ほどの展望所から更に西側の眺望が広がっていた。

一番手前にクレーター五座の内の四座が並んでいて、その奥にメサの地形の五色台。その

西側には城山の横に飯野山も見える。そしてよ~く目を凝らして見ると六ツ目山のおむす

び山三兄弟が見えた。いずれも香川の独特な特徴のある里山群だ。







その展望ヶ所の先に『産の神』と彫られた石碑がありその奥に恐らく石祠があっただろう

台座だけが残っていた。高仙神社といい女体神社といい、そしてこの産の神といい、この

山頂はとにかく女性にはパワースポットのようだ。





以前はキャンプ場や遊具のあった山頂公園はすでに閉鎖されて時間が経つ。草木は伸び放

題で、遊具は撤去されて子供たちとよく遊びに来ていた頃の面影はない。














公園前にあった食堂も当然しまっていたが、その前を通って南に歩いて高仙山山頂を目指す。








雑木の中を尾根に沿って歩いて行くとほどなく 四等三角点 高仙山 627m に着いた。

山名標の上には消えかかった『讃岐山脈縦走路ロングトレール』と書かれたもうひと

つの木札が付けられていた。阿讃縦走路でも見かけた木札はマジックで書かれている

ので、消えてしまえば用をなさない。














山頂からさらに南に次のくまんど山を目指して歩いて行く。途中には赤テープが所々で

木に巻かれているが、比較的新しいこの赤テープは広野の登山口からも要所要所で巻

いてあった。登ぼりながら一瞬どちらに進もうかと立ち止まったときにちゃんと目印

になるように巻いてあったテープだ。このテープとは別にピンクのだらしなく巻き付

けているテープは、当てにならないことが多々ある。そして赤と黄色の二段に巻いた

テープは、たいていが年季が入っている。











そんなことを考えながら尾根を進んで行くと右下に車道が見えた。尾根が行き止まりの

ようになった場所からは、無理やり車道に向かって降りていく。法面保護のネットが張

ってある斜面は大抵急斜面で、転がるようにして降りると車道に飛び出した。










ここからはしばらくは車道歩き。途中には『新田の神』『一本松地蔵』がある。一本

松と書かれていたが周りには松の木は見当たらず、建屋の中の地蔵さんの説明書きがと

ても参考になった。













車道の脇が伐採地になる。高仙山から車道に出て100mほど標高を下げて歩いてきた

所で道は右手に行くと津郷の集落、左に行くと広野への分岐となる。

山頂公園は2014年に閉園しましたと書かれた案内板があり、そこから左に折れて緩

やかな坂を登って行くと今度は右手に伐採地が広がっていた。











その伐採地の際のガードレールが途切れた場所から、伐採地と自然林の際を登ってくま

んど山
へと向かって行く。振り返るとちょこんと盛り上がった高仙山の頭が見えた。

伐採地の頂部からは適当に尾根らしき場所を歩いて行くが、ここからは先ほどのような

テープは見当たらない。











伐採地からの取り付きは少し不明瞭だったが、あとは尾根に沿って歩いて行けば迷うこ

ともない。しばらくすると杉林の道になり、くまんど山に向かって、大きく回り込むよ

うに歩いて行くと、山頂手前で急登になる。

僅かに見える踏み跡を辿って、木の枝を握りながら『よっこらしょ』と思いから身体を

持ち上げながら登って行く。










ただ最後に踏み跡が分かれた場所から左に登ったのが間違いだった。

斜度もますます急になり、そして最後は行く手を阻むようなラスボスの大岩が現れた。

ラスボスを何とか避けて登りきるとそこは山頂ではなく、さらにしばらく尾根を歩いて

行かなければならなかった。

ここは右に登る方が楽!










と言ってもすぐにくまんど山には着いた。四等三角点 奈良 607m。山頂標の横で自

撮り。最近の活動日記には眺望はないと書かれてあったが、南西には大相山大滝山

そして讃岐竜王山の東の伐採地まで確認できた。














くまんど山から折り返し車道まで戻ると、あとはこの車道を広野の集落まで下って行く

だけ。ここまで来ると奥様に言われた『お昼前には・・・』は十分クリアできそうだ。








産業廃棄物の最終処分場を横目に見て、さらに下って行くと民家がチラホラ。草刈り機

の音がするところをみると、どうやら住人はまだ居そうだ。正面には矢筈山が見え始め

た。







くまんど山から車道を歩き始めて30分弱。登り始めの分岐近くまで戻って来ると山側

に展望台のような建物が見えた。その入り口にはイノシシ避けの柵があり、その柵には

干からびたドラエモンとドラミちゃんの姿があった。







車まで戻ると上手から高齢のご夫婦が犬と一緒に歩いてきた。『もう一仕事終わったん』

とおばあさんに聞かれたので『ハイ、高仙山まで歩いてきました』と答える。すると

後ろから来たおじいさんが『鹿はみんかったかい?』『最近見かけた人がいて』と話して

くれた。

車のドアを開けてエアコンのスイッチを入れる。しばらくしてエアコンの風が冷えてく

る頃に車を走らせる。上半身は汗でびっしょりでエアコンの風がさらに冷たく感じる。

この広野地区の道際には今は盛りのようにしてネムノキのグラデーションがそこらじゅ

うで目に飛び込んできた。

今日の気温だとまだマシだったが、これからの季節はまずは暑さ対策。そう思いながら

奥様の待つ家路へと急いだ。







梅雨空の下、今日は自主トレ!

2024年06月28日 | 香川の里山

 

先週、塩塚高原を歩いたあとの駐車場で『来週は雨予想なので、取りあえずお休みにし

ましょう!』と奥様たちに伝えた。天気予報が回復すればと思っていたが、予想通りの

高松は曇りのマーク。山間部では?の予報。山に出かけないとなればいつになくゆっく

りと朝寝して、その後朝食を食べながらスマホを見ているとSNSに『時の納屋が6月

30日にオープン』の写真が上がってきた。

以前から地元の大串自然公園の芝生広場に建築されていたのは知っていたが、実際に完

成した写真に目が留まった。このまま家でじっとしているのも・・・と思い、建物見学

と大串自然公園を散策してみる事にした。





公園内の駐車場に車を停めて、新しくできたアプローチを歩いて行くと直ぐに写真で見

た建物が目に飛び込んでくる。アプローチの両側は芝生と木々の苗木が植えられたばか

りで、歩みを進めていくと建物の横に小豆島の島影が見え始め、建物まで来ると瀬戸内

の海が目の前に広がってくる。







我が家の子供たちが小さいころからよく遊びに来ていたこの場所。目の前には小豆島。

その間を船が行き交い、海風にのってトンビが気持ちよさそうに飛んでいる。いつ来て

も瀬戸内の素晴らしい景色だと思っていた場所だったが、以前あった温泉施設や宿泊施

設も閉鎖してイマイチこのロケーションを生かせていない気がしていたので、今回の取

り組みが活性化につながればと思った。

建物の南側の大きな掃き出し窓から中を覗いてみると、ガラス越しにカフェスペースが

見えた。無垢のテーブルと椅子の奥には開放感のある窓の向こうに瀬戸内海の景色が広

がっていた。オープンすればランチの時間に女性たちの賑やかな声が聞こえてきそうだ。








『時の納屋』の北側には以前からあった双眼鏡の置かれた展望台。そこからさらに北側

にある野外音楽広場のテアトロンへ下りていく道が続いている。春には桜並木が瀬戸内

海へと続く景色を見ることができる。ここ最近、歩き始めは必ず膝が痛む。それもしば

らく歩くとマシになってくるが、いきなりの下り坂は結構キツイ。





円形の野外ステージは客席から見るとステージのバックに瀬戸内が広がっている。過去

のコンサートもけっこう有名なアーティストが開催していて、地元民としては自慢の施

設だ。ただ駐車場を含めてアクセスが悪いのが難点だ。








テアトロンからさらに下って行くと『長ぞわい観音』の案内版があったので左に折れて

下って行くと、ここでも瀬戸内海を背にして立派な観世音菩薩像が建っていた。

海上交通の安全と大漁を願って作られた庵治石の観世音菩薩だが、元々はこの像の北側

から更に急斜面を下った岩礁の上に、地元の漁師が建てた像があるらしいが今日はパス。










この観世音菩薩像の手前に東へ道が続いていた。おそらく大串岬への道だろうと思い歩

いて行ってみる。道の脇の草花を眺めながら歩いているといつのまにかテアトロンの施

設の下側に出た。あわててスマホを見てみると、岬への取り付きを通り過ぎていたので

後戻りして岬への降り口を探すが、GPSの地形図の破線のある辺りになっても、それ

らしい道が見当たらない。行ったり来たりしながら探していると草むらの奥に階段らし

きものが見えた。足を踏み外さないように草をかき分け降りていくと、岬に向かって階

段が続いていた。








途中道の脇にはベンチがあり、この公園を開発した当初は遊歩道として整備されていた

のだろう。この大串岬はさぬき市の最北端になるので、管理をしていればちゃんとした

訪れる人もいるのにな~なんて思いながら歩いていると、道の半分が崩れて消失してい

た。かなりの規模で崩れていたので復旧するにはけっこう予算がかかるので放置されて

いるのだろう。この場所には限らないが造ったのはいいけれど、ランニングコストを考

えずに造って、結局管理できていないモノがあちらこちらで同じように放置されたまま

になっています。











遊歩道の終点には東屋がありこの季節、木々が茂ってはいるものの瀬戸内海を見渡せる。

先ほどの芝生広場の展望台とはまた目線の高さが違った景色を見ることができる。










大串岬から遊歩道を登り返し、舗装路にでる。長ぞわい観音の標識から少し下ると今度

は『石切り場』の説明版が道の脇に建っていた。標識に従って歩いてみるが途中で大き

なくぼみに水が溜まって奥に進めそうにないのであきらめて引き返す。











道は更に下り坂。この道の最低部になると道の脇に駐車場があり、GoogleMAPでは海

釣り公園になっている場所に寄り道してみる。以前に子供たちを連れて浜辺で遊んだ場

所にはなんだかとってもおしゃれなゲストハウスぽい建物が建っていた。






その建物の前を通らせてもらって海岸沿いの遊歩道を、先ほどの大串岬から見えた赤い

大串埼沖灯標近くまで北に向かって歩いて行く。コンクリートでできた遊歩道の上を足

を踏み出すたびに無数のフナムシが逃げまどっている。フナムシの大きさと私の身長を

比べると、まるで以前に見た『ゴジラ-1.0』で東京湾から上陸したゴジラを前に必死で

逃げる人間の姿が思い浮かんだ。

遊歩道の脇に咲く小さな草花を眺めながら歩いて行くと、遊歩道は灯標までは続いてい

なくて途中から『長ぞわい観音』の方へ階段が続いていたので、仕方なく引き返す。

防波堤の先ではのんびりと釣り糸を垂れる人の姿があった。














海釣り公園の駐車場まで戻ると舗装路は下り坂から登坂になる。途中にあるオートキャ

ンプ場は今日は休場のようで、手入れの行き届いた緑の芝生が輝いていた。

東の対岸では志度カントリークラブの芝生が見える。







さらに舗装路を登って行く途中で鼻を突く匂いが漂ってきた。『何の匂いだろう?』と思

ったが、すぐにブドウが腐った匂いだと思った。匂いの記憶は半世紀も前の小学生の頃に

地元のブドウ畑で遊んでいた時に嗅いだ思い出を蘇らせた。

そんな匂いが途切れると目の前に大きな建物が現れた。四国で初めてできたワイン工場の

さぬきワイナリーだ。設立されて30年以上も経つが恥ずかしながら一度も訪れたことが

ない。今日も時間の都合でスルーする。








ワイナリーから一旦県道に出て東に苫張漁港に続く道を歩いて行くと、山側に摩崖仏と書

かれた矢印案内板が見えた。案内板に沿っていくと斜面に不動明王の摩崖仏が座っていて、

その脇には如意輪観音像が刻まれていた。

昭和の終わりに長尾町の蓮井一郎さんが毎日通って彫り上げたというこの摩崖仏は、今ま

で見てきた摩崖仏とは少し違って作者の個性だろう、何となく憎めない表情をしている。











その摩崖仏の横から尾根に向かって登って行く。先ほどまでの舗装路は登坂でも緩やかだ

ったので、今日初めての急登ですぐに息が切れる。所々に付いたピンクのテープを目印に

登って行くと程なく尾根に出た。

尾根に出ると右手はヒノキの植林地。一旦下って鞍部から登り返し、少しスズタケをかき

分け歩いて行くと大串山に着いた。










地形図では137mの標高点だけになっているが、YAMAPでは山頂ポイント、そして

山頂標からも判るように、『さぬき市里山チャレンジ30』の一座にもなっている。これ

で『さぬき市里山チャレンジ30』も残り二座。この冬にでもまた歩いてみよう。

 

 

 

大串山からの折り返しは急坂の摩崖仏へは下らずにそのまま尾根を下って行く。こちら

もピンクのテープの沿って歩いて行くが、最後は今は使われていない別荘のような建物

に向かって、背丈ほどの草をかき分け降りていくと県道に飛び出した。

 

 

 

今まで何度も訪れたことのあるこの大串半島だが、車で走ることはあっても今回のように

歩くのは初めての事だった。車では気づかなかった史跡や遺跡があることに気づかされ、

改めて地元のこの場所のすばらしさを再認識したウォーキング+一座となった。

 

 

 

 


彼岸に入ってやっと登れた干支の山

2024年03月21日 | 香川の里山

今日の天気予報はジェットコースター並みに慌ただしく、晴れマークがついているのは

午前8時から10時の間でその後は雨、そして夕方になってまた晴れマークになってい

た。『歩けるとしたら朝の2時間が勝負かな』と思って、地元の雲附山でもと考えたが、

せっかくなら未登の山がいいなと思って探してみると、そういえば今年はまだ干支の山

に登ってないのに気が付いた。年末に奥様たちと話をしていたのは干支の山の太竜寺山

辰ケ山そして西龍王山の三つの干支の山を廻るという計画だったが、それも今回のケガ

で流れてしまって、干支の山をトンと忘れてしまっていた。ではでは香川の干支の山は

と考えたら、ほとんど登ってしまっていて、しかも2時間という時間制限のある中で登

れる山といえば、香川町の龍満池の北側にある龍満山の一択になった。




朝早くに目を覚ますと枕もとの窓を激しくたたく風の音。『ん、嵐?』と思うぐらいの

風と雨の音だった。『天気予報は外れたかな』と思いながらも支度をして車に乗り込み

龍満池を目指すと、高松方面の空が少しづつ回復していった。県道13号線から川東小

学校の東の交差点で北に曲がって、川東八幡宮の手前で道の脇が広くなった場所に車を

停め、八幡宮の脇の坂道をまずは油山を目指して登っていく。







境内の脇を立派な本殿を横に見ながら登っていくと広場に出た。広場には四国のみちの

道標と、油山の謂れが書かれた説明版が建っていた。もともとこの山には油が流れ出て

いた事からその名がついた不思議な山。四国のみちの道標に沿って正面の道を登ってい

く。











道は『高松市夢づくり推進事業』の『油山遊歩道整備事業』として整備された歩きやす

い道だ。ほどなく尾根に出ると左手には東屋があり展望所になっている。少し樹木が伸

びてはいるが正面には高松空港の管制塔が見えた。










展望所の眺めを確認した後、分岐から反対の尾根を進んでいくと、『ツリーハウス』と

書かれた立派な看板と、その先に看板に違わぬ立派なツリーハウスが建っていた。

今までツリーハウスは色々と見てきたけれど、これだけの大きさのものはなかなかない。

しかもターザンロープやブランコまである。これも油山遊歩道整備事業の一環のようだ。











少し踏板の幅が狭く登りづらい階段(おそらく子供用なのだろう)を登っていくと、北

側の眺望が広がっていた。同じような三角の形をした、クレーター五座実相寺山

の横に、対照的に平らな形の屋島が並んでいる。

少し視線を左に振ると峰山と高松の市街地、そしてシンボルタワーが見える。











ツリーハウスからは少し下って登り返すと油山山頂。山頂の周りは木々を刈ってあり、

広場にはベンチが置かれていた。







途中の立派な道標に比べると、山頂に山名標が見当たらない。代わりに小さなシールの

ようなものが木の枝に巻かれていた。するとその木の向かいの木の幹の元に、朽ちた山

名標が落ちていた。その山名標を撮ってセルフタイマーで自撮りしてみると、慌ててい

たのか『天狗の腰掛け』と書かれた裏側を向けて写していた。







今日はこの山頂から南側にある電波塔まで降りれれば、そのまま作業道を利用して下っ

て、北東のこんもりした山にある矢延平六神社に南側から登り北側に降り、そのまま西

に歩いて龍満山に取り付く予定だったが、天狗の腰掛けの大岩からは道はなく、落ち葉

が堆積した急な斜面で今の膝の状態では下るのは無理だったので、そのまま尾根を折り

返すことにした。










尾根道を戻って八幡宮からの分岐をそのまま真っすぐ歩いて行き、貯水槽の横を通りさ

らに下って行くと大きなお家の裏側に出た。そのお家のフェンスの脇の法面のコンクリ

ート上を歩いて行く。この法面がけっこう高さがあって慎重に歩いて行く。











邸宅のフェンスと法面のフェンスとの間を抜けて団地内の道路に出る。そのまま道なり

に舗装路を下って行くと春の花が目に付く













先ほどの邸宅といいこの団地には大きな立派なお家が目に付く。







団地の道を下って行くとガソリン道に出た。昭和4年から廃止になる昭和16年の間、

仏生山と塩江温泉の間を結んだガソリンカーが走っていた廃線の跡が今は町道になって

いる。そしてその名残のトンネルが今も残っている。そのトンネルの先で県道を渡ると、

今日本来の目的の干支の山の龍満山の取り付きがある。







県道の切通の法面に設けられたコンクリートの階段を登っていくと、二体の仁王像が出

迎えてくれる。その仁王像の間を通って登っていくと今度は新四国88カ所の石仏が並

んでいた。








道はきれいに笹が刈りはらわれ、少し高度が上がってくると正面に実相寺山とほかの

レーター五座
が見渡せた。今日はウエストポーチだけで三脚を持ってこなかったので、

石仏の台座をお借りして自撮りをしてみる。







石仏には札所の番号と仏像の名前、そして寄贈者の名前が刻まれている。途中で大きな

石碑とその説明版らしきものが建っていたが、錆びていて全く読めない。








その石碑から尾根を歩いて行くとほどなく龍満山山頂についた。山頂には龍現神社の石

祠があったが、ここでも山名標らしきものは見当たらず、文字の消えた札が木の枝にか

かっているだけだった。











石祠の横には標石がほぼ埋まりかけた 三頭三角点 川東 146.86m。この標石が尾根

道の真ん中にある為か、いつもは標石のすぐ横にある標示杭は、道の脇の木々の中に建

っていた。







 



山頂からは北に向かって尾根道を進んでいく。途中で道が行き止まりのように見えたが、

左に下る道が続いていた。ただザラついた花崗岩の風化した今一番要注意の下り坂。

腰を曲げストックを突いて慎重に降りていく。正面に火ノ山、そして十瓶山の奥には飯野

が頭を覗かせていたが、そんな景色に見とれる余裕はなく、足元を注視しながら降りる。













その坂を下ると小さなお堂があった。明治五年(1872)3月17日、徳島県の剣山か

ら剣大権現の分霊を迎えてこの地に奉祀したのが始まりという剣山大権現社だった。

この山は正式には龍満山と呼ばれるが、剣大権現を祭祀してからは剣さん山とも呼ばれ、

浅野方面からは横岡山と呼び慣らされているそうだ。








剣山大権現社を過ぎどんどん下って行くと水道局の施設の横を通り、チェルシー(旧マ

ツノイパレス)の裏側に出た。相変わらず吹く風が強く木々を大きく揺らしている。











そこからは龍満山のすそ野を龍満池に向かって歩いて行く。山神の大山神社を過ぎ住宅

地の中を通り塩江街道に出る。




塩江街道を横断して歩道を龍満池へと歩いて行く途中で、歩道の横の側溝の蓋をしてい

るグレーチングでストックが引っ掛かった。引っ掛かりを無理して引っ張りそのまま歩

いて行くと、ストックでアスファルトを突く音が金属音に変わった。『あれれ、先っち

ょのゴムがない!』

先週奥様たちと歩いた時にあっちゃんがストックの先のゴムを落としていた。『またで

すか、これで何回目?』と偉そうに言ったばかりなのに、私もこれで3回目!

膝をついてグレーチングの中を覗き込むと、確かに側溝の底にゴムが落ちていた。側溝

の中を覗き込む姿を見て、横を通った人が訝しいげな顔して歩いて行った。もちろんグ

レーチングは持ち上げようとしても持ち上がらなかった。







龍満池の遊歩道ですれ違った女性に『風が強いですね!』と声をかけられた。湖面に浮

かんでいるカモたちも池の波に奔騰されて必死で泳いでいる。池の南側からは先ほど歩

いてきた龍満山と油山が見える。目の前には八幡宮から真っすぐに池の真ん中まで続く

参道の最後にある御旅所が、池に浮かんでいるように見える。






龍満山


油山


御旅所



龍満池を一周して車を止めた場所まで戻り、その先にある御旅所への参道を最後に歩い

てみる。道の両側には桜が植えられ並木道になっていて竜桜公園と名付けられている。

一つだけ花をつけた木があったが、ほかの桜の開化はまだまだ先のようだ。











池の中央部に続く参道は、池を水面をなぞって強風が吹いている。ゆっくりと歩いてい

ても足元をすくわれそうになる。しかも水面にたつ波が飛沫となって衣服を濡らしてい

く。御旅所まで着くとすぐに引き返しまたまた罰ゲームのような参道を歩いて戻る。

道の脇には植えられたばかりの桜の苗木がじっと強風に耐えていた。










何とか参道を歩き切りホット一息。最後に石段を登って八幡宮に参拝してほぼ2時間。

車まで戻るとフロントガラスを雨粒が濡らし始めていた。







帰り道にベースキャンプでストックのゴムをゲット。自宅に着く前の短い時間でも空の

模様がコロコロと変わっていった。暖冬だった冬の季節から三月に入って寒の戻りで、

例年よりも早かった花の開花も例年近くに戻った様子。お彼岸に入ったのでそろそろ暖

かくなってほしいものだ。










ユキちゃんアワちゃんにふられてセリちゃんに・・・。

2024年03月14日 | 香川の里山


実は先週の土曜日はお休みをとって、独りで久保谷ユキワリイチゲ(ユキちゃん)

見に出かけようと思っていたら、思わぬ話の展開で奥様をさかもとのひな巡りに案内す

る事になってしまった。

その後次々とYAMAPの活動日記に久保谷のユキちゃんとアワコバイモ(アワちゃん)

がUPされているのを見て、今週は出かけてみようと2ヶ月半ぶりに西の奥様たちを誘っ

てみた。

去年の3月22日に三人で歩いた時は、往路ではあまり目立たなかったユキちゃんが、

頭山
まで歩いて、折り返して午後に下山する頃にちょうどきれいに花弁が開いて奥様たち

が度々立ち止まっては写真を撮っていた。

今年はどこのお山の花も早く咲いているので、今日ぐらいがちょうどいいかもしれない。


集合時間ギリギリに着いた大師堂の川向の駐車場には、すでに車が十台近く停まってい

た。車の横で身支度をする人。その中でまんのう町でネイチャーガイドをしている横山

さん
が、参加者の四人の女性を前に何やら説明をしていた。今日は同じように久保谷の

花を愛でるツアーのようだ。その参加者の中にはWOC登山部何回か一緒に歩いたYさん

の姿もあった。『お久しぶりです!』と声をかける。




西の奥様たちにも『お久しぶりです!』と話をして久保谷橋を渡ってスタートする。

昨日降った雨のあとで渓谷に流れる水の量が多い。その水温の低い水の流れを撫でて

吹く風が冷たくて、身震いひとつ。










YAMAPの活動日記に写真が上がっていた上流部の伐採地。その作業の注意喚起の掲

示板が道の脇に掛けられている。讃岐竜王山の東側もそうだったが、この山域でもけっ

こうな範囲で伐採が行われているようだ。





舗装路が途切れ渓谷沿いの山道になると、最初にU字溝が崩れた荒れた場所に出る。

『こんな場所があったかな?』とあっちゃんと二人で話しながら歩いて行くと、直ぐに

渡渉のヶ所になる。ここからは右に左にと何度も渡渉を繰り返すことになる。

道沿いには所々に絶妙なバランスでケルンが積まれている。














(画像が荒い場合は、右下の歯車マークを開いて画質を1080に設定するときれいになる)



水の流れが早く水量も多いので、水の中の岩を飛び石の様にして気をつけながら渡って

行く。今日の冷たそうな水にドボンでもしたらシャレにならない。渓谷の両脇には大き

く斜めに露出した和泉層群の断層が見られる。










その断層の先には左手にけっこうな高さの滝。ここでも二人で『こんな滝、流れていた

かな?』と。去年歩いてからまだ1年しか経っていないのに、人の記憶は頼りない。と

いうか、我々の記憶が曖昧なだけ?







この渓谷沿いの道は四国のみちになっていて、途中の何ヵ所かでその道標が立っている

が、途中で地形図にも載っていない分岐で『征木・立石峠』への新しい道標が立ってい

た。ローカットのシューズで来たルリちゃん。渡渉できる箇所が違ってくるので、先に

渡ったあっちゃんが指示している。








谷あいにもそろそろ陽が射し始めた。ただお目当てのユキちゃんは、まだ口を閉じたま

まうなだれている子ばかり。そしてアワちゃんも口をすぼめている子がほとんどだ。気

温が上がり陽がもっと当たる昼からの帰り道に期待をしよう。













道沿いの所々にある石仏は西国三十三番観音霊場の石仏で、大師堂から三頭越を経て、

三頭神社まで1丁ごとに建てられていたそうだ。道が少し左手に振ってヒノキの林の

中の道になる。その道沿いの水の流れはいよいよ細くなり、最上流部となる。その水

のが途切れる最上流部の、さらに上部は伐採で遮るものがなく明るく光っていた。

今日の谷あいの水が薄く濁っていたのは、この伐採が影響していたのかもしれない。
















最上流部から右に折れヒノキ林の中を登って行くと作業道ができていた。トラックや重

機が通るぬかるんだ作業道を横断して、少し歩くと三頭越に着いた。







いつものようにニヤケタ顔でアメノウズメノミコトのおっぱいを触ると、それを見ていた

向かい側のサルタヒコノカミの顔がやきもちを焼いているのか引きつっている。











するとあっちゃんが例によって『お昼ご飯かな?』と言ってきたので、ルリちゃんが

『なによん、まだ10時30分で!』と即却下。

『ユキワリイチゲが開いてくれるのは昼過ぎですから、今日は三頭神社まで行ってみま

しょう!』と言って三頭越をあとにする。

植林地の中を抜け舗装路にでると陽が当たり始めた。その舗装路を南に向かって歩いて

いくと、左手の景色が広がってくる。眼下には吉野川がくねくねと大蛇のように蛇行し

ながら流れているのが見える。







三頭神社はハンググライダー場のある丘に登らず、舗装路をそのまま下がっていくと神

社の駐車場についた。駐車場にはハコバンが一台停まっていた。すると何やら神社の方

から音が聞こえてきた。『何か聞こえませんか?』と奥様たちに言って耳を澄ませてみ

ると、神社の方から聞こえてきたのはサックスの音だった。

『練習しているのかしら?』『それなら邪魔したら悪いわね』とあっちゃん。それでも

せっかくここまで来たので石段を登って境内に入ると、やはり男性がひとりでサックス

の練習をしていた。我々に気づくと吹くのを止めて片付けし始めたので、こちらも気を

使って簡単にお参りを済ませて、きれいに清掃された神社の境内をあとにする。










ハンググライダー場の丘に登ると。先ほどとは反対側の吉野川が見下ろせた。ルリちゃ

んが見る先には烏帽子山から石堂山・矢筈山の山並みが雪を抱いている。

その反対側には竜王山。その裾野は南に向かって緩やかに広がり、入倉の集落からかなり

上の方まで伐採が進んでいるのが見える。ハンググライダー場には吉野川の川べりから、

まだ春早い冷たい風が吹き上げてくる。『ここではお昼ご飯は無理ね!』とあっちゃん。







去年もお昼ご飯を食べたすぐ下に見える東屋でお昼にすることにして、『とりあえず三

角点には行きましょう』と言って、山頂札のかかる木から少し南に歩いていくと 四等

三角点 三頭 734.16m
 三角点の横には年季の入ったキティーちゃんのプレート。










ハンググライダー場まで戻り丘を下って東屋でお昼にする。そういえば昨年この場所で

お昼を食べている時に話題になったのがWBCの決勝戦の様子だった。ネットを見なが

ら日本が優勝したのが流れて三人で喜んだ。その時の中心人物は大谷選手だったが、今

日の話題も大谷選手の結婚の話。何かしら不思議な感じがする。













お昼ご飯を食べて時間を見るとまだお昼前。下っていくには少し時間が早いと思って、

『時間つぶしに近くの三角点に寄ってみましょう』と提案して、舗装路から三頭越の方

には行かずに、そのまま歩いていく。819.7mと地形図に載っている三角点の真南まで

来たが、斜面はコンクリートで覆われていて登れる場所ではない、地形図には手前に実

線が載っているので引き返して、実線のある場所から取りついて山の中に入っていく。

実線は三角点の北側を通ってぐるっと回って三頭越の方に繋がっている。かっては車が

通れるくらいの道幅があるが、今は灌木が生い茂ってまっすぐは歩けない。







途中から三角点を目指して左に斜面を登っていくとヒノキの林から飛び出て、背の低い

草木の生える場所に出た。するとそこには懐かしい形をした車が二台捨てられていた。










後ろのトラックの荷台の横には〇〇農園と書かれた文字が消えかかっていた。今は灌木

が生い茂ってはいるが、西側は何か作物を育てていたような開けた場所になっている。

地形図を見ると、この場所から南側は等高線の間隔が狭く急峻な地形になっているが、

この辺りだけは間隔が広くて平らな場所になっている。

ただし三角点はまだ少し先のようだが、耕作地跡はトゲのついた枝でとてもじゃない

が中には入っていけない。平地から少し下がってヒノキの林の中を歩いていくと、

三等三角点 倉尾 819.79m が草木に埋もれた場所にあった。 







三角点を確認して廃車のあった場所まで戻りそこからさらに実線まで戻る。途中に捨て

られたリアカーと捨てられた車がもう一台。







その廃車から先が次第に道が怪しくなってきた。倒木が道を塞ぎ、灌木が行く手を阻む。











最後は枯れた竹が道に覆いかぶさり、まともに歩くことができない。無理やり進もうと

するが、方向を間違えているのにルリちゃんが気づいて少し引き返して進んでいく。














竹藪をクリアするとあとは随分とマシになり、最後は三頭越への道に飛び出した。







三頭越まで来ると4人の男女が休んでいて、久保谷側から女性の親子が登ってきた。時

間はちょうど良さそうだが、果たして・・・・?と思いながら久保谷へと下って行く。

下りも真っすぐに歩いているには膝の痛みはないが、体の向きと膝から下の向きが変わ

り違ってくると少し違和感がでてくる。もちろん段差のある場所はゆっくりゆっくり亀

さんのようにして歩く。










渓谷沿いは朝と比べると随分と明るく陽が当たってはいるが、肝心の花たちが見当たら

ない。特にアワちゃんは周りの枯れ葉と同系色なので、よくよく探しながら出ないと見

つけられない。それでも何とかひとつふたつ見つけては写真を撮る。













奥様たちも熱心に写真を撮っているが、相変わらずほとんどのユキちゃんは朝とあまり

代り映えしない姿で、何やらいじけて口をとがらせて俯いているように見える。











それでも何輪かは少しだけ花を開かせた姿を見せてくれた。昨年も書いたがユキワリイ

チゲはルリイチゲとも呼ばれているそうで、その名の通り瑠璃色のきれいな花びらだ。











すると白い岩の上に鮮やかな青い色をした実が一粒落ちていた。慌て者の鳥が口にくわ

えたのを落としたのだろうか。これがアカリプタさんが載せていたジャノヒゲ:和名(異

名:リュウノヒゲ)の実だった。








奥様たちも目を皿のようにしてアワちゃんとユキちゃんを探しながら降りてくるが、今

日はそれらしく咲いていたのは数輪だけだった。それでもアワちゃんが少しは愛想を振

りまいてくれて、何とか何枚かはマシな写真が撮れた。

今日は陽が当たっても、昨日降った雨で谷の水が多くなり、谷底の気温が下がったまま

だったのかもしれない。

















大師堂の駐車場まで戻ってくるとまだ数台車が停まっていた。今日は皆さん同じように

残念な気持ちで降りてくるのだろう。このままふられぱなしでは気が収まらない。

奥様たちとはここで別れて、以前にねこバスさんがアップしていたセリバオウレンのセ

リちゃん
に会いに行くことにする。何やら若いころに古馬場のスナックであまり相手に

されず次のお店にはしごしていた時の気分だ。




三頭トンネルを抜けて美馬町側から阿波竜王や讃岐龍王の南側を走って、相栗峠を通っ

て塩江町へと下って行く。相栗峠に向かう途中の林道からはまた雪を被った山並みが見

渡せた。剣山系の山々だろうか?。遠くに臨む山並みは夏場の色よりこの時期の雪を抱

いた所と緑の山肌のコントラストがある方が風情があってきれいに見える。















最初は分からなかった群生地も地形図を見ながら探し当てると、セリちゃんのお店?は

同じような顔をした色白の子たちが大勢いた。ともすると踏みつけそうになるのを足元

に注意しながら写真を撮っていく。










セリバオウレンのセリちゃんはバイカオウレンのバイちゃんに比べると背が高くて首が

長い。そのせいか右に左に顔が向いていて優柔不断にも見える。小さく小粒なバイちゃ

んの方が可愛らしいかな?今度は違うお店に出かけてみよう。














YAMAPのスタートボタンを押し忘れて三頭越で入れたため、歩行距離は7.2kmにな

っていたが、下山後の駐車場であっちゃんが『今日は9kmでしたよ!』と教えてくれた。

膝は少しの痛みと違和感があったが10kmくらいは歩けない距離ではないことが分かった。

あとは標高差と急な下りの道。痛みは多少我慢すればいいのだけれど、段差で滑りでもし

たら怖いし、炎症をおこしてまた水が溜まって膝が曲がらなくなるのが辛い。

まぁとにかく無理せず付き合っていくしかないけれど、あの高い山並みをまた歩くことが

できるかが、まだまだ気がかりだ。



今日も午前中にサクッと三石山

2024年02月25日 | 香川の里山


今日は午後から娘が彼氏と一緒に帰ってくる。何やら話があると言うのだが・・・・・。

ヌ・ヌ・ヌ、とうとう来たかという思いとやっと来たかという複雑な気持ち。

それならそれまで時間があるので少し歩いておこうと奥さんを誘ってみた。

いつもは門入ダム湖をぐるっと一周するのだけれど、久しぶりにみろく公園を歩いてみよ

うと思い立った。ダム湖の周りと違って、みろく公園なら何かしら花が咲いているかもし

れないし、公園の一番奥のピークは三石山。YAMAPのポイントにもなっているので一

座ゲットできる、そう思って出かけてきた。


この公園にも子供たちが小さいころによく遊びに来ていたな~と思い出しながら駐車場に

着くと、駐車場には車がけっこうたくさん停まっていて『どうしたんだろう?』と思って

いたら『Vitality Walk Challenge』なるイベントが行われていた。オンラインアクテビティ

イベントと呼ばれるもので、各自でイベントを設定して、完了後はYAMAPのように、

各自のマイページから記録をアップしたらデジタルの完走証が発行されるらしい。

大勢の人が集まっている会場を見ながら公園の奥へと歩いて行くと、以前はなかった立派

な遊具が出来ていた。







その遊具の横を通ってさらに奥へと進んで行くと道の脇にクリスマスローズが植えられて

いて、奥さんは熱心に写真を撮っている。その先からアスレチックコースと書かれた道標

に沿って尾根を登って行く。







少し広場になった場所にはロウバイが咲いていたけれど、もう終盤なのか少し黒ずんでき

て、反対側の斜面の梅林の花も遅いのか早いのか疎らに咲いていた。それでも奥さんは楽

しそうにスマホで写真を撮っている。







三石山へは乾いた花崗土の尾根に階段が続いている。昨日会社の階段を降りていた際に膝

が差し込んでから痛みが続いている。足を滑らせない様にゆっくりを登って行く。








すると見覚えのある展望台が現れた。展望台には観光用双眼鏡が据えられていて、試しに

覗いてみると、肉眼では本当に小さく見える五剣山がかなりのアップで見る事ができた。

デジカメもこれくらいのズームができたら、また違った楽しみ方ができるだろうな~。










展望台の横に三石山と書かれた山名標が建っていたが、山頂はもう少し上になる。歩いて

行くと可愛らしい鳥居と石祠があり、すぐ傍の木に山名札が掛けられていた。








本格的な山歩きはまだまだ先になると思って、先日久しぶりにショートカットのトレッキ

ングシューズを買ったので、今日はその試し履き。買い物のときに一緒に行った奥さんに、

オレンジ色のシューズは『少し派手かな?』と聞くと、『年取ったら派手なくらいなのが、

えんじゃわ』と言われて気になりながら買ってみたのだが、丁度今日着てきたソフトシェ

ルの上着のアクセントの色と同じ色で、『まぁ山の中ならこれくらいの方が目だっていい

か』と納得。山頂からの帰りの下りでやはり少し膝が痛んだ。その左の膝を無意識に庇っ

ているのか、前回の前山を歩いた時と同じように右の太腿から臀部が少し張ってきた。











尾根道を下る途中から三石岩と書かれた石の標識に従って、横道へと歩いて行き、最後は

みろく池の遊歩道を廻って駐車場へと戻る途中の突堤からは、先ほど登った三石山が見え

た。その標高はわずか179m。その10倍近くの標高のある山々に、いつになったら登

れるのやら。突然やってくる差し込む痛みに不安は消えない。














それでもまだ時間があったので、門入ダムにも寄ってみた。1周3kmを歩いて、初めて

ダムの事務所でダムカードを頂いた。今日の成果はYAMAPのポイント1座とこのカー

ド一枚!このダムカード、県内では17カ所のダムでもらえるらしい。その内東讃では7

ヶ所のダムでもらえるので、今度また違うダムででももらってこよう!