KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

12月に1ダースの小野アルプス

2024年12月07日 | 四国外の山

YAMAPの功罪。

YAMAPを使い始めて今までなかなか手間だった山を歩いた結果が、直ぐに見える化できるようになった。

時間・距離・標高差がゴールに着いた途端にスマホに表示される。しかも最近はコース定数なるものや、平均ペ

ースまで表示されるようになった。それらの意図するところは自身の体力を知るところにあるのだろうけれど、

それを見て他の人と比べることもできるようになった。

もともと登山は人と比較したり、数字的なものを競ったりしないところがひとつの良さだったのに。そう呟きな

がらも、いつも一緒に出掛ける奥様たちが登頂したピークの数の話を話すたびに、二人よりYAMAPデビュー

がかなり遅くて、実際には今まで登っているピークの数より奥様たちと比べてかなり少ないのを気にしていた。

 

そう、いつの間にかYAMAPの数の術中にはまっていたのだった。

 

それならカシミールに保存してあるデータをGPXでYAMAPに取り込んで、実数に近づける事もできるのだ

けれど、これが意外と手間でそんなことをしている暇もない。

よし、じゃ~独りで歩いてピーク数を稼いで奥様たちとの差を縮めてみるかと考えて、一日で歩けてピーク数の

多い山を探してみると、兵庫県の小野アルプスが引っ掛かった。

そこでこの小野アルプスの近くにお住まいで、神戸在住ではないのにWOC登山部神戸支部長を自ら名のる、『山

爺』を誘って二人で歩けないかと抜け駆けを考えたが、それを奥様たちが許すはずもなく、結局いつものように

三人で出かけることになった。

 

 

山爺が来てくれたら、縦走後の下山場所に車をデポしてかなりの時間短縮ができると思っていたら、山爺から

『火曜日に登った段ケ峰の疲れがとれず山歩きはご一緒できない』と連絡がきた。それならわざわざデポするた

めにだけに来てもらうのも申し訳ないと返事を返した結果、下山後の下道歩きの6kmが増えてしまった。

 

集合場所から高速を小野市へと車を走らせる。途中の明石大橋で『そう言えばちょうど1年前に毎週この橋を渡

ってましたね』と奥様たちに話しかける。そう、1年前の12月は『六甲全山縦走』でこの橋を渡って通ってい

た。そんな話をしながら、自宅のある場所からスタート地点となる小野アルプス東端にある『白雲谷温泉 ゆぴ

か』までは2時間弱で着いた。

駐車場の端にある登山口には小野アルプスの案内板があったが、そこには9つのピークが載っていた。そのピー

クにプラスして3座がYAMAPのピークになっている。

 

 

案内板の奥からまずは一つ目のピークの高山へと登って行く。登山口からは四国の里山と変わらぬ雰囲気の道が

続いていく。途中で何枚もの手書きの看板が道の脇の木の幹に掛けられていた。

 

 

 

10分ほどで一つ目のピークの休憩所のある高山に着いた。まだ高度の低い朝陽に照らされ、私たちの顔もオレ

ンジに染まっている。

 

 

案内板にハイキングコースと書かれていたように道はよく踏まれていて、落ち葉がたっぷり積もった道をカサカ

サと音をたてながら次の前山へと歩いて行く。

 

 

この辺りの森は川崎重工業グループが整備に協力しているとの事で、途中の木々には名前を書いた札にKAWA

SAKIのシールが貼られていた。尾辺筋から少し下った鞍部に着くと日光峠の道標。ここからは北に鍬渓温泉

に下る道、そして数カ所ある内のひとつの小野アルプスの登山口への道になる。

 

 

 

 

日光峠から前山まではしばらく急登が続いていく。と言っても日光峠からは40mほどの標高差。急がず慌てず

ゆっくりと、息が切れない程度の速度で登って行く。

 

 

前山山頂には巨大な電波塔が建っていた。フェンスに囲まれた電波塔の南側は小さな広場になっていて、南に街

並みを見下ろすことができた。西に見える小さなピークは、これから向かう愛宕山と安場山だろうか。山肌は柿

色の中に緑が混じって、今が紅葉のピークに思えた。今日二つ目のピークをゲット。まだこれから10座ある。

 

 

 

 

一旦少し下って登り返すと直ぐに次の愛宕山。途中の道には119番通報ポイントの看板がこの後も掛けられて

いた。何かあったときにはこの看板のナンバーを連絡すると直ぐに場所が分かるようになっている。たしか六甲

全山縦走でも見かけた看板だ。

 

 

 

 

 

愛宕山からも一旦下っての登り返し。今日はずっとこのパターンが続いていく。四座目は安場山156.6m。

 

 

安場山からさらに下って行った鞍部は間伐されて、木々もまばらで明るい日差しが周りを照らしていた。

その鞍部から少し段差のある階段を登って行く。

 

 

 

 

道の途中には近くの町名を刻んだ石柱が所々に建っていた。それらの石柱を眺めながら下って行くと何の木だろ

うか黄葉の木が目立ち始める。その中の背の高い木々から落ち葉が舞って不思議な森の雰囲気を漂わせていた。

 

 

 

 

 

その黄葉の森を抜けるとアザメ峠の車道に飛び出した。その峠の車道の両側は、また先ほどの黄色とは一味違っ

た赤やオレンジのモミジのプロムナードになっていた。そして今まで歩いてきた小野アルプス東コースの入り口

となっていた。

 

 

 

 

何百枚、何千枚もの小さな小さなモミジの葉が折り重なって、青い空を隠し真っ赤に染め上げている。それぞれ

の木の葉の色が違っていて、踏み出すたびに空の色も変わって行く。

 

 

 

 

足元もそれに負けじと何色もの色で彩られた絨毯になっている。この季節ならではの色彩のマジックを眺めなが

ら峠のお地蔵さんも満足げだ。お地蔵さんの前に停められた軽自動車の緑のボディーが、周りの彩の中で違和感

なく溶け込んでいる。

 

 

 

このコースは色々な道標が建っているが、一番立派な道標は白雲谷温泉ゆぴか鴨池が基点となっている。

手作りの道標は順番にピークを示してくれている。次に向かうのは総山。ここには二つの『そうやま』があるが、

そのうちの一つ目の総山になる。

 

 

峠からは20分弱で今日五座目の総山山頂(184m)に着いた。峠の前後から増え始めた笹が山頂の周りを囲ん

でいた。

 

 

 

その笹が少しかかった道を西に進んでい行くと、権現ダム方面へ下る道との分岐。その分岐を右に折れて次の

アンテナ山を目指して歩く。道の途中からそれらしいピークが木々の間から見えたが、アンテナのような建造物

はそのピークには見当たらなかった。

 

 

山頂近くになると露岩が現れた。すると先を歩く奥様たちが『これがアンテナかいな?』と言う声が聞こえてき

た。二人に追いついてみるとたしかに想像していた前山で見たアンテナには程遠い、テレビの共同アンテナが建

っていた。『ん~たしかにアンテナには違いない!』これで六座目のアンテナ山

 

 

 

 

少しがっかりした三人の思惑とは他所に、アンテナ山からの眺望は素晴らしかった。先ほど歩いた総山の肩腰に

は、明石大橋の橋脚が遠くに見える。周りの山々は季節は初冬だというのに秋色一色だ。

 

 

 

 

次の二つ目の『そうやま・惣山』へは少し下って尾根を辿って行く。

さすがため池の数が日本一の兵庫県。途中からもあちらこちらに空の青い色を映し出したため池が転がっていた。

 

 

 

惣山山頂はこのコースの中で一番の広場になっていた。ベンチが一つ置かれ木々も数本、南に開けた空からは明

るい日差しが降り注いでいた。予定では次の紅山でお昼にしようと思っていたが、ここまで来ると風が強くなっ

ていた。そうなると紅山の岩尾根は吹きっさらしになるので、ここでお昼ご飯にすることにした。

私は先日オープンしたばかりの地元のマルナカで買ってきた巻きずしとお稲荷さん。ナスビの温かい味噌汁が、

少し肌寒いなかで気持ちまで暖めてくれる。

 

 

 

 

20分ほどでお昼ご飯を食べ終えて次に今日のメインイベントの紅山へと一旦下って行く。

するとシロモジだろうか?薄く淡く透明感のある黄色のカーテンが道の両側を覆いつくし始めた。その薄黄色の

林の中で奥様たちが感嘆の声をあげている。

 

 

 

 

今まである程度黄葉が続く道を見た事はあったが、ここまで薄黄色一色に染まった道は初めてだった。今日はこ

の黄葉を見られただけでも満足だ!薄黄色のシャワーは九十九折れの下り坂の最後まで続いていた。

 

 

 

 

 

その急坂を下りきると岩倉峠。そこからは今度は柿色に染まる山肌の最上部に何やら岩肌らしき斜面が見えた。

『あれが紅山かな?』と言いながら歩いて行く。

 

 

 

紅山登山口と書かれた道標から10分弱歩くと紅山の岩尾根の全貌が目の前に現れた。登山口から途中で追い越

していった常連さんらしきおじさんが先に取り付いていた。

まるで巨大な恐竜の背中を小さな人間が取り付いているように見える。中間地点ではツブダイダイゴケで岩肌が

オレンジ色に染まっている。紅山の名前の由来はこのオレンジ色の岩肌からくるらしい。

 

 

 

 

 

途中からルリちゃんは迂回路へ。あっちゃんと二人で登って行くが写真で見たザラザラした岩肌も意外と硬くて

靴底のグリップがよく効いている。上部になるにしたがって斜度はキツくなってくるが、立って登れないことも

ない。立ったりすると高度感が出てくるが、登っているうちはそれほど感じることもなくスイスイと登って行く。

 

 

 

登りきるとやはり南側は遮るものがなく高速道路を走る車の音が鳴り響いていた。そして東側も小野市の市街地

が広がっていた。

 

 

すると何を思ったのかあっちゃんが登ったばかりだというのにまた岩尾根を下って行っている。

途中で立ち止まって写真の催促でもするのかと思ったら、結局下まで下って『下りの方が怖くないわよ!』と言

いながらまた登ってきた。何を考えているのやら・・・・?

 

 

 

 

今日のメインイベントを無事登り終え、今日八座目の紅山の山頂標の前で写真を撮る。

 

時間は12時30分だが、まだスタート地点のハイキングマップに載っていた岩山以外にまだ三座あるので先を

急ぐ。山頂の西側の岩肌からはちょうど紅山の岩尾根が真横から眺められた。ここから見てみるとおおよそ45

度くらいの斜度だろうか?

 

 

その露岩から少し下って行くと縁結びのパワースポットと云われる夫婦岩の男岩の横に西紅山の山名札がかかっ

ていた。男岩は正面から見ると女性の横顔のようにも見えたが、果たして女岩はどこ?これで今日九座目。

 

 

西紅山からさらに下って行くと、これも里山あるある。大シダの繁茂の道になっていた。そして鞍部には西コー

ス入り口の道標。ここから西はハイキングコースの案内板に一応縦走路は載っていたが、色づけされていなくて

ハイキングコースからは外れるようだ。

そして岩山山頂が近づくと、ここでも露岩が現れた。三角点は 四等三角点 岩山 163.78m

 

 

 

 

三角点の少し先に山名標がかかっていた。ここからは遠く瀬戸内海の海際に、神戸製鉄の巨大な工場が見えた。

 

 

 

 

露岩の続く山頂からの道からは大きな権現池が随分と近づいていた。

 

 

そして最後の鞍部へと下り、そして最後の宮山への登りとなる。道標には残りの宮山・南野山の名前はなく、

代わりに峠の名前になっている。そして十一座目の宮山、十二座目の南野山をクリアー。

 

 

 

十二座目の南野山を過ぎると福甸峠へと降り立った。さてさてここまで今日の行程の距離でいうと約半分。

ここから下道歩きの6kmが待っていた。

 

 

 

峠の西側はもう加古川市。ここから県道118号線を地味に歩いて行く。ただ道沿いにはきれいなため池が続き、

女池と呼ばれるため池には白鳥が二羽、優雅に泳いでいた。そんな景色を眺めながら楽しく歩いて行く。

 

 

 

その女池の北側にあった一風変わった雰囲気のカフェで一息入れる。雑貨やドライフラワーが並べられた中を通

り、私はアイスコーヒーを注文そして奥様たちは温かい紅茶を注文する。

 

 

 

 

一息入れた後は気合を入れて下道歩き。アスファルトの固い路面が疲れた足裏に堪える。この時ばかりは神戸支

部長に来てほしかったと三人で話をする。

カフェの周りは別荘地ぽい広々とした庭と、デザインされた建物が並んでいた。その先の男池には餌付けされた

カモが、近づいても逃げる様子もなく湖面を泳いでいた。

 

 

 

男池から約5kmを1時間10分かけて駐車場まで戻ると、スタートした時は数台しか停まっていなかった広々

とした駐車場にはほぼ満車状態で車が停まっていた。白雲谷温泉は人気の温泉の様だった。

12月のスタートにちょうど12座、1ダースのピークを登って奥様たちも大満足。結局出抜くこともできずに

同じだけ12座増えた一日だった。

 

 

 


ア~那岐山のシンドバット~♫♪

2024年11月14日 | 四国外の山

 

先月西の奥様と石鎚山に登った時に、『来月の13日はルリちゃんが旅行で留守なので、かねてからの懸案だっ

剣山の鬼神の岩屋に連れて行ってください!』と頼まれていたのを思い出した。

ただここ最近膝の調子が思わしくなく、登山道から外れて歩くのは少し躊躇いがあったので、三つほどピックア

ップしてみた。其の内のひとつ『紅葉はイマイチかもしれませんが、山頂からの360度の大展望の山』と銘打

った那岐山にあっちゃんが食いついた。(事前に調べたYAMAPの活動日記には紅葉の様子をアップした写真が

あまり見当たらなかったので)

 

集合場所の丸亀からだと高速を利用するので、2時間強で登山口まで行ける距離。普段出かける四国の山とさほ

ど変わらない。津山ICを降り国道53号線を奈義町へと車を走らせる。

登山口の手前にある『那岐山麓 山の駅』でトイレを済ませて、那岐山登山口第一駐車場に車を停める。駐車場

には車が数台停まっていた。

 

 

駐車場で身支度を整えていると目に付いたのがこの注意書き。『ヌ・ヌ・ヌ8月と言えばつい最近じゃないです

か!』しかもCコースは今から登って行く道・・・・。

 

駐車場からしばらくは舗装路を歩いて行く。道の脇の木々は意外と色づいていていい感じだ。するとまた熊注意

の看板。『そうかここは熊の生息域に立ち入らせてもらってるんだ』

 

 

 

その先で道の右側に蛇渕の滝の道標。その道標の横から脇道に入って沢へと降りていくと、上手に何段かに分か

れた蛇渕の滝があった。

 

 

滝自体は高さもなく小滝といった感じで平凡だったが、渓谷に差し込む朝の光に照らされたモミジが幻想的で、

思わず声をあげて見入ってしまった。

 

 

 

渓谷から道に出る間にもまた熊の注意喚起の看板。しかも今度は写真付き。この後熊注意の看板は度々目にする

事になる。気になったので帰って調べてみると、今年の6月には那岐山から西の広戸仙の登山道で男性が噛まれ

て怪我をしていた。熊被害は北海道や東北の話だと思っていたのにこの辺りでも身近な事のようだ。

 

蛇渕の滝から少し歩くと登山道入り口になる。その取りつきから先でBコースとCコースの分岐になる。YAM

APの活動日記ではBコースとCコースで周回する人が多いが、今日はあっちゃんから山頂からAコースで周回

しましょうと提案があった。Aコース上には慈母峰・八巻山・大別当山があるので、YAMAPの山頂ポイント

を増やそうという魂胆だと思ったので、距離は少し伸びるけど素直に了承従うことにした。

 

 

Bコースの様子は分からないが、Cコースは取り付きからしばらくの間は大小さまざまな大きさの石がゴロゴロ

転がっていて歩きづらい。場所によってはその石を避けて道の脇を歩いて行く・

 

 

 

この那岐山氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されているだけあって、登山道の道標もしっかりした道標が続い

ていく。丸太で作った階段も、先週歩いた龍王山の丸太よりひと回り太くてしっかりしている。

気温が下がってきたとはいえやはり登りではまだ汗が噴き出る。途中で二人とも上着を脱いで登って行く。

 

ゴロゴロ石や丸太の階段をやり過ごすと、少し歩きやすい道になる。途中にあった水飲み場。細い塩ビのパイプ

から流れ落ちる水に手をやるととても冷たく、その手で顔の汗を拭う。

 

 

道は次第に急登になってくるとヒノキの林から自然林へと移って行く。すると上の方から何やら子供の声が聞こ

えてきた。あっちゃんにそのことを言うと、『下から?』と言うので『いえ上からです』と言った先に声は聞こ

えなくなった。

 

 

 

連絡した時は『紅葉は期待できないと思います』と書いてメッセージを送ったが、いやいや嬉しい期待外れ?こ

こまで来ると錦の中の登山道になる。『おかしいな~YAMAPの活動日記にはほとんど紅葉の写真が上がって

なかったのに』と思いながらも、今シーズン最高の紅葉に二人で感嘆の声をあげながら歩いて行く。

 

 

 

 

しばらく登って行くと大神岩の広場で子供たちの姿が見えた。さっき聞こえた子供の声は聴き間違いではなかっ

た。その人数の多さに驚いたのと、ここまで我々でも1時間20分ほどかかっているのに子供たちが、と驚いた。

引率の女性に話を聞くと岡山のあゆみ保育園の年長組さんで、ここからさらに山頂まで登るというのを聞いて、

さらに驚いた。

 

 

大神岩には「大日如来」「不動明王」の文字が刻まれているというので、岩の下を回り込んでみるが分からなか

った。その後岩の上に登ってみると眼下に奈義町の田園風景が広がっていた。

 

 

 

すると私たちが登っているのを見て、園児たちも登ってきた。普通なら危ないので引率の先生は止めるはずなの

に、逆に声をかけてどんどん登らせている。園児たちも慣れた様子で喜んで上がってきた。

段差が高くて上がりづらそうにしている園児のお尻に手を当てて押し上げてあげるが、先生たちはあまり手伝わ

ない。おそらくこの保育園はそういう教育方針なのだろう、多少危なくてもむやみには手をかけずにどんどん外

で遊ばせているようだ。

 

 

 

大神岩からは登山道の雰囲気が変わってきた。登山道というよりは広尾根で明瞭な道といった感じではない。

周りの木々も葉が散って明るさも増してきた。そのせいか風が吹き抜け少し肌寒くなってきたので、この道標の

建つ場所で脱いだ上着を着込む。

 

 

 

 

 

二つ目の神仏ポイントの須佐之男命と刻まれた文字は間近に見る事が出来た。この神仏ポイントから少し上で樹

林帯を抜けて、笹原が広がり始めた。

 

 

 

風はやはり強かったが、陽が当たるので思ったよりは寒くはなかった。スタートから2時間20分で稜線に出た。

 

 

 

左手には真新しいトイレが建っていて、右手には北に向かっての展望台があった。展望台からは西に向かって続

く稜線上に滝山が見える。そして東には那岐山山頂で何人かの人が休んでいるのが見える。

 

 

 

 

 

南東には山頂からの周回になる慈母峰。普通植林地の境界は線上になってはっきりしているが、慈母峰の植林地

は自然林に交わって斑になっている。逆光で陰になった道標が十字架に見える。

 

 

山頂の途中にある三つめの神仏ポイントにはこの山の由来にもなる「伊邪那岐命」のほかに「天照大御神」「奈

義神」の文字が刻まれている。

 

 

山頂の手前に屋根にエントツを構えた立派な避難小屋があった。時間は11時20分。お昼前だがあっちゃんが

『お腹が減ったと』騒がないうちに小屋の中でお昼にする。室内は10度をきっていたが風がない分暖かく感じ

る。

 

 

20分ほど休憩した後山頂へと登って行く。山頂手前で振り返ってあっちゃんに『子供たちはまだ来んやろね~

』と話をすると『ん~来てくれたらいいのに』と。

でも後ろに見える展望台をよ~く見ると、何やらゴゾゴゾと動いている。『いや~もう登って来てるわ!』とあ

っちゃんに言うと『早くこっちまで来ないかな?』と。

するとしばらく見ていると展望台からこちらに来ているのが見えた。そして避難小屋の前で集まっている。

 

 

 

山頂に着いたが360度の大展望どころではない。二人で園児の様子をずっと伺って、『避難小屋でお昼にする

かな?』『こっちでお昼にしたらいいのに』などと言いながら眺めていて、周りの景色を全く見ていない。

すると何人かの子らがこの山頂に向かって走り出した。『キャ~来る来る!』と大騒ぎ。

早い子はやはり走って登ってきた。先に登ってきていた先生と一緒になって『一番・二番・・・』と声をかける。

次々と登ってくる園児たち。ふざけてワザとへばったふりをする子もいたが、息を切らせていても一瞬で治まる

あたりはまるで小さなアスリートだ。そして集合写真を撮るというので自ら進んで買って出る。

 

 

 

 

 

一気ににぎやかになった山頂で園児たちがお昼にする様子。そんな園児たちを見ながらずっと目じりが下がりぱ

なしだった。写真をとってあげたのでこちらも先生に撮ってもらう。

 

園児たちに『バイバイ!』とあいさつをして山頂を後に東へ縦走路を歩いて行く。山頂からしばらくはドウダン

ツツジの並木が続いている。途中で振り返ると山頂、避難小屋そして展望台が見えた。

 

 

 

 

 

Bコースへの分岐の道標を越えて更に東に、1201mの標高点から今度は南に下って行く。ここからがAコー

スとなる。

 

 

 

 

分岐からは慈母峰との鞍部まで300mを一気に下って行く。足元もさほど良くはなく、少し膝に違和感が出始

めた。笹原から樹林帯へと入ると、また彩が目に飛び込んできた。下り坂だが右に左にと細かく足を運んでいる

と次第に暑くなってきた。

 

 

 

陽の当たりが薄くなるヒノキの林の中が体感温度が下がってちょうどいい。

稜線の分岐から30分で鞍部に着いた。林道の脇のススキの穂が陽に当たって輝いている。

 

 

 

さあここから慈母峰までがひと踏ん張り。長い階段状の道が続いていく。中腹位になると段差のある個所は、土

嚢袋を置いて段差を低くしてくれているのが助かる。

 

 

 

鞍部からは100mほどの標高差だが急でほぼ直登。とにかく息が切れるが、周りの彩を眺めながらだと幾分か

しんどさが軽くなる。

 

 

 

階段を登りきると慈母峰までの稜線は平坦な道になる。ベンチの置かれた場所からは、那岐山の稜線と山麓の

風景が見渡せた。

 

 

 

 

 

そのベンチの後ろの木の枝に、小さくて見逃しそうな山名札がかかっていた。山頂近くからこの慈母峰を見た時

に、植林地が斑になっているのが見えたが、那岐山の南面もの濃い緑が斑になっていた。

 

 

 

慈母峰から次の八巻山へと歩いて行くと、こちらも道の両側できれいな彩を見せてくれた。

 

 

 

 

道の横にある大岩を過ぎると尾根の西側が伐採地の頂部になった。伐採地の麓の少し先には朝トイレを使った那 

岐山麓・山の駅が見えている。山の家の手前にはため池が見えているが、他にもあちこちにため池があるのが分

る。ちなみに県別のため池の数は香川が多そうに思えるが、やはり県の面積自体が小さいためか、数でいうと一

位は兵庫県の2万4000ヶ所になる。香川県が第三位で1万4000ヶ所だから、兵庫県のため池の数は圧倒

的だ。そして岡山県は第五位だった。

 

 

慈母峰からしばらく歩くとヒノキの林の中に、こちらは擬木の階段が続いていく。

 

 

 

擬木の階段が終わる途中の鞍部で菩提寺への分岐になっていた。菩提寺には大イチョウがあるそうなので、時間

が早く降りれれば、帰りにちょっと寄ってみようとあっちゃんに話をする。

 

 

更に道標に従って進んで行くと道の両脇に、八巻城跡の説明版が設置されていた。ここには説明版はあったが、

山名の標識や札がなかったが、YAMAPを見ると八巻山になっていたので取りあえず写真を撮る。

 

 

 

この辺りの林も錦のオンパレード。赤からオレンジ、そして黄色のグラデーション。少し薄い緑が混じっている

のもいい感じだ。予想もしなかった紅葉の波に『ご案内はしていなかったですが、割増料金になりますがよろし

いでしょうか?』と冗談であっちゃんに言ってみた。

 

 

 

 

錦の林を過ぎると今度はヒノキの林の中の道。地形図では鞍部まで何度も折れた破線が続いている。その地形図

通りに道は右に左にと何度もターンを繰り返す。

林床から伸びたシロモジだろうか?陽に当たって輝き、陰になったヒノキの幹とのコントラストが、その輝きを

ひときわ目立たせてくれている。

 

 

 

九十九折れの下り坂が終わると車道の上に出た。その車道を跨ぐようにしてつり橋がかかっていた。

橋の下の車道は菩提寺へと続く道だ。

 

 

つり橋を渡ると今日最後の登り坂。これを登ると四座目の大別当山になる。取り付きの階段を登ると、昔十円玉

を入れて右に左にパチンコを打つようにしてゴールさせるゲームを思わせる坂道。その道を登りきると大別当山

の山名札がかかっていた。

 

 

 

四座目をゲットしたのでさっそくもと来た坂を下りて行く。するとつり橋まで戻って来るとあっちゃんが『あ!

標高点まで行けていないわ』と言い出した。言われてYAMAPを見てみると、確かに591mの標高点まで行

けていなかった。『どうします?』と言われたが、もう気持ちは登る返す気にならない。『たぶん、山頂ピーク

はゲットできていますよ』と言って、そのまま車道を下って行く。

駐車場まで戻ると、もう神戸ナンバーの車が残るだけだった。

 

 

 

時間通りに戻って来られたので、途中で話をした菩提寺の大イチョウを見に行ってみる。

本堂から東に立つ大イチョウは今まで見た事もないような大きなイチョウの木だった。根元から何本も分かれた

幹から太い大きな枝が真横に伸びていた。その枝から下に向かって乳のような担根体がぶら下がっている。古木

で時々見られるというが、たしか梶ケ森に行く途中でも『八畝の乳イチョウ』があったと話をする。

樹齢900年となっているが、その樹皮の深い彫に重ねてきた長い年月を感じ、畏怖する感じてしまう。

 

 

 

 

今日は終日頭の中で那岐山とは全く関係ない、ピンクレディーの『渚のシンドバット』のフレーズが流れていた。

思わぬ園児たちとの出会い、そして予想していなかった彩さらにはこの大イチョウと、天候にも恵まれて久しぶ

りの10km近い山歩きに、心地よい疲れを感じながら高速道路を家路へと車を走らせた。


花・花・花と雲海の白山遠征(後編)

2024年08月19日 | 四国外の山
黒ボコ岩ではしゃいだ後、いよいよ弥陀ケ原へ。スタート時点で奥様たちには『膝の状

態で途中棄権するかもしれませんが、出来たら弥陀ケ原からの御前峰は見てみたい』と

言っていたので、取りあえず第一段階クリア。














植生保護のために造られた木道が緩やかな台地の中に続いている。前回来た時も山頂から

の景色よりも、この木道の景色が記憶に残っていた。

この弥陀ケ原や御前峰周辺の地形が緩やかな部分では真夏でも雪渓残り、無雪期間が短

い為、ハイマツは育ちにくく草本植物などの雪田植物が育つそうだ。

弥陀ケ原の台地から室堂への最後の登りの五葉坂は、先ほどまでの歩きやすい木道と比

べると、岩がゴロゴロした歩きにくい登りだ。

この辺りは斜度もあるので雪が残らずハイマツ(五葉松)が育っているためその名が付

いたようだ。道の両脇にそのハイマツが迫り道幅がなく、離合するのに時間がかかる。














それでも20分ほどで五葉坂を登り切り、正面に見える室堂ビジターセンターに着いた。

時間は11時過ぎ、予想以上に時間がかかっている。計画では御前峰でお弁当を広げる予

定だったが、ビジターセンターの北側のベンチでお昼ご飯にする。











お昼ご飯の後、さっそく御前峰へとあっちゃんと私はザックを置いて登って行く。その

前に白山比咩神社の祈祷殿を参拝。参拝した後はその奥宮の横を通って御前峰へと向か

うと、ここからの道でもお花畑が広がっていた。













室堂の平坦地が終わると石畳の登坂が続いて行く。東の遠くに見える雲の上に頭を出し

た山はどこの山だろうか?

途中で3年生くらいの男の子と、保護者らしき男性たちとすれ違う。その男の子を見る

ともう半べそをかいている。見かねたあっちゃんが声をかけてなだめるが、笑い顔には

ならず『がんばって!』と声をかけて別れる。











途中で神々の生まれる場所・天津神の住まう場所の高天ケ原の道標が立つ場所に着いた。

見上げると御前峰が目の前に近づいている。振り返ってみると室堂の東の窪地にはまだ

雪が残っていた。










室堂から40分を過ぎてやっと白山奥宮の社殿が見え始め、ひと踏ん張りで大きな石垣

に囲まれた奥宮に着いた。










その奥宮と御前峰は目と鼻の先。山頂碑で写真を撮る。北側正面には大汝峰とその右手

には剣ケ峰が見える。前回はこの山頂から下ってお池巡りをした。火山湖の点在する火

口は、山頂までの風景とは一変して火山らしい、白っぽい火山灰や青灰色の巨石の中の

道が続いている。今日は時間的に余裕ないのでこのまま折り返して下山していく。

奥宮の社殿が雲に浮かんでいる。そして360度雲の海が広がっている。














時間は予定を1時間ほど過ぎていた。南を見るとどんどんガスが流れ登ってきている。

ここまでで景色を存分に楽しめたから、下りは別段ガスがかかっても返って涼しくてい

いかもしれない。














ビジターセンターまで降りて食堂で一休み。喉を潤し一息つくがまだこれから1000m

以上は下って行かなければならない。今のところまだ膝は大丈夫だったが、腰掛けて靴ひ

もを直そうと屈むと足が攣りそうになった。

歩きづらい五葉坂を下り弥陀ケ原へ差し掛かるまでの間、登りでも一緒になった若いカッ

プルと話をしながら歩いて行く。











途中でエコーラインから下って行くというカップルと分かれ弥陀ケ原へ。今日は行動時

間が長い分歩くペースが似通っている人達とは、途中で抜いたり抜かれたりして度々顔

を合わせるので、その都度挨拶をして話をする。

弥陀ケ原の端部になる黒ボコ岩に近づくにつれ、次第にガスが濃くなってきた。










黒ボコ岩から観光新道へと入ると最初は緩やかな稜線の下のトラバース道。その山肌に

はイブキトラノオがゆらゆらと風に揺れている。薄紫のタカネマツムシソウとハクサン

シャジンが目立ち始める。









タカネマツムシソウ


ハクサンシャジン




石鎚山系でも見ることのできるタカネマツムシソウだけれど、これだけ群生している山

は四国にはないと思う。










下って行くにつれてガスが益々濃くなっていく。前を歩く奥様たちの姿が直ぐに見えな

くなる。この辺りが『馬のたてがみ』と呼ばれる場所で東から南にかけて広がる雄大な

景色を見ながら歩けるはずだが、今日は残念ながらガスのお陰で何にも見えない。











黒ボコ岩から50分ほどで殿ケ池避難小屋が見えた。小屋の横のベンチで小休止。ガス

のお陰で気温はそれほど高くは感じなかったが、念のため経口補水のゼリーを口に入れる。



クガイソウ



殿ケ池避難小屋から道は少しづつ険しくなってくる。七つ坂辺りの尾根筋も乾いた土と

石が足を滑らせる。







正面のゴツゴツした岩が餓鬼ヶ咽(ガキガノド)。これも約10万年前の白山火山の噴出

物のようだ。奇妙な形はその噴火の際やその後の浸食によって造り出されたと云われて

いる。














そんな大岩の足元にはシラタマノキやハクサンシャジンの白花など、砂防新道とはまた

違った花が咲いている。晴れていればもっと遠くまで見えただろうが、ここまでも砂防

新道以上のお花畑が広がっていた。

ハクサンシャジンの白花


シラタマノキ






岩が重なりその下を通り抜け出来る仙人窟(センニンイワヤ)を通る。この仙人窟の南

側は、昭和9年7月の大雨で甚大な被害を及ぼした大規模な崩壊の『別当大崩れ』があ

った場所だ。400mmを超す豪雨と,それによって残雪から溶けだした水によって,推定

1億立米に達する崩壊土砂が流れ出し,土石流となって下流に押し寄せ、市ノ瀬地区では

12mもの河床に土砂が堆積したと云う。この土石流による被害は死者・行方不明者112名

、流出家屋172戸、流失などの家屋437戸,埋没耕地2113町歩など,石川県史上最大規模

の災害だったそうだが、ここもガスで周りがほとんど見えない。










仙人窟を過ぎると道はどんどん険しくなってくる。場所によっては濡れて一段一段の段

差があって、とにかく転倒しないように注意深く降りていく。ただその段差が膝に堪え

てじわじわと痛み始めた。







別当坂分岐からも荒れているうえに急坂は続き油断ができない。朝スタートしてからす

でに11時間を経過しようとしている。ここ最近としては最長時間となる。健康時でも

疲れが出ているのに、ましてや膝にはかなりの負担になっている。この後炎症を起こし

て水がたまらないか心配になってくる。

後ろからこのコースで初めて男性二人が追い越していく。『こんにちは!』の挨拶の後、

お互いに『キツイですね』と声をかける。








別当坂分岐から1時間以上歩いてやっと別当登山センターに降り立った。くたくたにな

りながら登山センターのベンチに腰掛けると、目の前に御前峰の下ですれ違った小学生

が座っていた。さっそくあっちゃんが『よくがんばったね!』と声をかけると、下山し

てほっとしているのか少し笑顔になった。











センターのトイレの中にある更衣室で窮屈な着圧タイツを脱いで、駐車場まで戻る。

スタート時点でほぼ満車状態だった駐車場も車は疎らで、この時間にまだ停まってい

る車の人は恐らく室堂で泊まりの人たちだろう。

ガスのせいもあって薄暗くなった駐車場で着替えを済ませて、今日の宿へと車を走ら

せる。

YAMAPとカシミールでは若干データーが違っていて、カシミールでは沿面距離が

15.4km。累積標高差が1,670mとなっていた。行動時間は12時間20分。欠けた半

月板を抱えて自分でもよく歩けたと。

ホテルに着き近くの居酒屋での乾杯の生ビールがこの夏一番美味しくいただけたのは

言うまでもない!



他に見かけた花たち
































花・花・花と雲海の白山遠征(前編)

2024年08月19日 | 四国外の山
5年前ネットで見た八方池から見る白馬三山の写真に目が釘付けになった。そこからず

っと一度は登ってみたいと思って夏が来るたびに遠征を計画をしていたが、直前にイン

フルエンザにかかったり、台風が接近したりと毎年計画倒れになっていた。

今年もお盆過ぎてうまくいけば八方池と唐松岳の日帰り登山をと考えたが、台風6号が

通り過ぎた後にすぐに台風7号が発生した。その日からは天気予報と睨めっこ。だが直

前まで降水確率は下がらず、仕方がないのでまだ少しは予報がマシな白山に予定を5日

前に変更した。

計画では15日の日が変わる前に家を出て朝に別当出合に着きそのまま登山開始して

御前峰に登頂後下山して、福井市内に移動して宿泊するというプラン。

18年前に山の会で出かけたときは日帰り登山ではなく室堂で1泊して、日の出を見て

御前峰とお鉢回りをして下山という余裕のある計画だった。

その時はバスでの移動だったがやはり車中ではほとんど眠れなかった。それでもその日

は室堂での宿泊だったので今回の計画よりは楽だった。今回はコースタイムでは8~9

時間となっているが、なんせ累積標高差が1500m以上になっているのが一番気にな

った。果たして今の膝の状態で往復できるだろうか?途中で傷み始めたらどうしょうか

と、色々考えたが、取り合えずは出かけてみることにして、奥様たちに計画を伝えた。

天気予報の降水確率は40%で普段でも出かけるかどうか判断に悩む予報だが、とにか

く白山は『日本百名山』で『花の山百名山』。曇り空でも花を楽しめたらいいかな?、

くらいの気持ちで奥様たちには『雨具の準備はしっかりと』とだけ伝えておいた。

11時に自宅をスタート、ナビの案内に従って高速道路を走る。名神高速道路までは夜

中でも意外と交通量が多く、スピードをだすトラックに神経を使い、米原JCTからの北

陸自動車道では逆に走っている車がほとんどなく、しかも運転するのは初めての道。外

灯もない暗い高速道路の運転はけっこう緊張した。




途中で少しフロントガラスを雨が濡らしたが、別当出合に着く頃に明らみかけた空は曇

り空になっていた。駐車場に着く手前では路肩に何台も車が停まっていて、『駐車場は満

車かな?』と焦ったが、駐車場の中まで入ると余裕で駐車することができた。

それでも着替えをしてスタートするころには次々と車がやってきた。







駐車場から登山の拠点となる別当出合登山センターまでは石段を登って行く。センター

ではまだ6時前だというのに結構な人で賑わっていた。トイレを済ませ装備を確認して

先ずは砂防新道へと向かう。











ここからは砂防新道と観光新道のコースに分かれるが、今日は登りは砂防新道、下りに観

光新道を下る予定だ。すぐに以前に登った時の記憶に残るつり橋を渡る。あっちゃんに『

酔わないようにね』と言うと『私車と違ってこういうのは平気なの』と言いながら、前を

歩くルリちゃんを怖がらそうと、わざと飛び跳ねて揺らしながら歩いて行く。













登り始めはエンジンがかかるまで体が重い、ましてや昨日の5時過ぎに起きてすでに2

4時間が経過して寝ていないので、なんだか頭がクラクラする。さらにはここのところ

スタートしてしばらくは膝が慣れるまで痛みを感じるので調子は良くなかった。







それでも奥様たちに遅れをとるまいと頑張って登って行く。樹林帯の中の石段や石畳の

道は雨が降った後なのか少し濡れていて、足を滑らせないように気を使いながら歩いて

行く。この間、環境省の道標が要所要所に立てられている。









イブキトラノオ




駐車場をスタートして約1時間、トイレのある中飯場に着いた。ここまでで室堂まで

の1/4、まだまだ先は長い。











中飯場で水分補給をした後、階段状になった大きな石を登って行く。この辺りから道の

脇に咲く花々が目に付くようになってくる。



ソバナ


キツリフネ




途中で右手に不動の滝が見えた。その滝の横にはまだ新しく砂防ダムを造っているの

か、工事用の大きな施設が見える。目線を南に移すと稜線の上は青空が広がってきて

いた。ただ稜線の奥に隠れて別山はまだ見えない。












キオン




中飯場から40分ほど登っただろうか。左手に眺望が広がり『別当覗』と書かれた案内板

が立っていた。目の前の稜線は観光新道の稜線の先の1666mの標高点から、天井壁に

向かって切れ落ちている稜線だろうか?そして眼下は別当谷になるが、木々が隠して覗く

ことはできない。次第に頭上も青空が広がり始めた。










別当覗辺りからは道の勾配も比較的緩やかになってくる。前を歩くショーツ姿の男性は

横浜から来て下のキャンプ場で前泊しての登山だそうだ。今朝着いてすぐに登って往復

する予定だと話をすると驚いていた。標高も随分上がってきたのだろう、視線を遮って

いた稜線の奥に別山が見え始めている。











樹林帯を抜けると周りの植生も変わってきた。そして周りの景色も高山の雰囲気がして

きた。雲の上を抜けた山頂は間違いなく青空だ!













スタート時点で奥様たちには『往復に時間がかかるので、花の前であまり長い時間立ち

止まらないように!』と話をしたが、とにかく次から次と色々な花が咲いているので、

その度写真を撮るので予想以上に時間がかかる。



ハクサンボウフウ


ハクサントリカブト



甚之助小屋には3時間近くかかって着いた。小屋の前のベンチでは大勢の人が休んでい

た。その中で目に付いたのがお母さんと男の子二人におじいちゃん。男の子の弟の方は

年長さんだという。里帰りをして山好きのおじいちゃんに連れられてきているそうだ。

この時点で標高は2000m弱。ここから上は四国の山にはない高さになる。『行ける所

まで行きます』と明るく話をする家族が微笑ましい。









フジアザミ






雲が流れて山頂が隠れそうな別山から視線を移すと雲海が広がっていた。






ヤマハハコ




暫くは石段が続いて行く。しかしよくこんな高い場所で石段を造ったなと思う。それは

登山の為なのかはたまた霊場参拝の為の石段なのか?

スタートから3時間30分で南竜山荘への分岐に着いた。すると年配の男女の3人組が

降りて来て、ザックを下ろして一息入れ始めた。入れ違うようにして登り始めようと歩

き始めると、その人たちが『ここからがキツイからね!』と教えてくれた。『がんばり

ます』と自身を励ますように声を出すと、『頑張ってね!』と応援してくれた。








分岐から少し登ると弥陀ケ原へと続く道が見える。






シモツケソウ




ここから弥陀ケ原直下の十二曲がりまではお花畑が続いて行く。先ほど休憩した甚之助

避難小屋の赤い屋根がはるか下に見える。






ハクサンフウロ





カライトソウ





道の両脇の斜面は赤・白・黄色の花・花・花で埋め尽くされている。











周りの景色は申し分なく、奥様たちからも『ほんと来て良かった』と喜びの声。『ハイ、

私のお陰です』と鼻を膨らませて自慢げな私。






シナノオトギリ









ここから十二曲がりに差し掛かる。黒ボコ岩までの最後の登り。南竜山荘の分岐で『こ

こからがキツイわよ』と教えてくれたが、これだけのお花畑の中の道。その厳しさは全

く感じることなく楽しく歩いて行ける。




















一口飲むと3年長生きするという『延命水』。冷たい水に手をかざし少しだけ口に含む。













前を歩く奥様たちの頭上に黒ボコ岩が見えた。振り返ると十二曲がりの九十九折れの下に

雲海が広がっている。まさに雲上のお花畑に続く道!














弥陀ケ原の先端部にある黒ボコ岩は、火砕流によって山頂から運ばれてきた火山弾。まわ

りにも同じくらいの大きさの岩がゴロゴロしている。これだけの大きさの岩塊が飛んで落

ちてくるなんて、火山の噴火の凄まじさを物語っている。そのボコ岩に登ってはしゃいで

いる奥様たち。










それでも物足りなかったのか、さらにはその横の岩塊の上でポーズをとるあっちゃん。









🔳🔳🔳 後編に続く 🔳🔳🔳

『やばいよ・やばいよイワカガミ!』の剣ケ峰

2024年06月06日 | 四国外の山
先週、高知の南嶺『てくてくさん』に会いに出かけて、帰りに奥様たちに『さて、来

週はどうしましょうか?』と尋ねると、『イワカガミ!』とあっちゃんが即答。『石鎚山?』

と聞きなおすと、『剣ケ峰よ!』と返事が返ってきた。『去年はエントツ山さんが6月初

旬に登っていたので、来週ちょうどいいくらいかも』と仰る。いつになく行先を決めて

いたので後から話を聞くと、今年のカレンダーに6月5日に〇を付けて、前々から行き

たいと思っていたそうだ。ただ私の膝のケガもあって今年は行けないかもしれないと思

っていたらしい。

この時はまだ天気予報が生憎の雨マークだったが、2・3日すると晴れマークに変わっ

たので、『それじゃイワカガミ、見に行きましょう!』と相成った。


すると日曜日辺りから『のーちゃん・ばんぶう・Jr』さんたちが次々とキリン峠から

ケ峰
への活動日記をアップしていた。そして最後にエントツ山さんが『二度と登りたく

ないルートなのに・・・・。』とブツブツ文句を言いながらも、案内役で出かけていた

ので『水曜日に出かける予定なのですが、イワカガミはまだ大丈夫ですか?』とLIN

Eを入れると、『大丈夫!私もアカリプタさんと出かける予定です』と返事が返ってき

た。それじゃ~という事で、登山口となる文殊堂駐車場で待ち合わせをして、一緒に登

る事になり、そのことを奥様たちに伝えると二人は大喜び!なんせ普段からエントツ山

さんとアカリプタさん
の話をしているので、奥様たちはお二人の大ファンなのだ。




丸亀で6時に待ち合わせをして高速道路で北上。蒜山ICを降りてすぐの『おべんとう

のつるや』で昨年、三ケ峰で出会った女性に教えてもらったおにぎりを買う。

予定通り8時30分に文殊堂の駐車場に着くと、すでにエントツ山さんとアカリプタさ

は身支度を始めていた。

『お久しぶりです!』の挨拶のあと奥様たちを紹介すると、『え~とお名前は?』とエン

トツ山さ
んが聞いてきた。『こちらがあっちゃん、そしてこちらがルリちゃん』ですと、

ブログに書いているハンドルネーム?で紹介する。エントツ山さんとは過去に何回か一緒に

歩いたことはあるが、アカリプタさんとは雲早山でお会いしたが、一緒に歩くのは

初めてになる。『それでは・・・!』と言うことで駐車場をスタート。その直後に『え

~とどっちがあっちゃんだったかな?』とエントツ山さんがまた聞いてくる。

三ノ沢の砂防ダムは昨年も工事中だったが、今日も工事看板には『コンクリートの打設

日』と書かれていた。最初は三ノ沢の右岸の作業道に沿って登って行く。










前を歩く奥様たちを見て、『ルリちゃんと・・・う~んと』とエントツ山さん

あっちゃんです。今度間違えたら怒られますよ!』と笑って答えた。

沢には幾重もの砂防ダム。『ずっと工事をしてるわね』とあっちゃん。『ダムを造っても

直ぐに埋まってしまうのでキリがないんでしょうね』と答える。正面の剣ケ峰はまだ雲

に隠れてお顔を出してくれていない。













作業道から樹林帯の中へ入りそこから一旦左岸へと渡り、しばらくは樹林帯の中の道が

続いていく。今日は花音痴にとっては頼りになる花博士のアカリプタさんがいる。さっ

そく道の脇の草花の名前を教えてもらう。














樹林帯歩きが終わると砂防ダムの袖天端を歩いてまた沢に出る。目の前にはこの三ノ沢

最上部の巨大な砂防ダムが現れる。その砂防ダムの足元を右岸へと渡り、袖のロープのか

かったコンクリートの斜面を登って行く。










最終砂防ダムの突堤からはこのコースの序章の始まり、ザレた道になる。正面の稜線は雲

が流れて気持ちのいい青空が広がっている。昨年はガスがかかってほとんど見えなかった

だけに感激ひとしおだ。『シロバナダイセンクワガタみ~っけ!』

この場所は幅こそ狭いが、涸沢や木曽駒のカールに見えなくもない。右手の尾根に小さく

キリン峠のポールが見えた。今日は本当に視界良好!
















石や石屑で埋められた沢だが、踏み跡はしっかりしているので、その踏み跡に沿って沢の

右手に向かって登って行く。あっちゃんの頭の上のザレ場は去年下りでスキーができると

言いながら二人で滑り落ちた場所だが、今年はこの膝ではとても無理だろう。













ザレ場から低木の生える支尾根へ取り付くが、この場所細かい石屑の急斜面。ザレ場より

更にズルズルと足が滑る








急登をやり過ごすと左上前方に剣ケ峰の山頂碑が見える。










正面に槍ケ峰が見え始めると、今日のお目当てのイワカガミのお花畑。その槍ケ峰の巻

道をヘルメットを被ったペアが登っているが、その上の岩肌もピンク色に染まっている。













すると頭の上からけっこうな大きさの石が落ちてきた。見上げると登山道から外れて写

真を撮りに行っている男性。そしてまた一個、二個と落ちてくる。慌てて小走りで逃げ

るが、当の本人は写真に夢中なのか、下に人がいるのに全く気付かず。

写真を撮るのはいいけれど、それくらい周りの配慮は欲しいもんだ。





山肌にびっしりと張り付き咲いているイワカガミ。アカリプタさんやあっちゃんも写真

撮影に夢中だ。一本一本の茎との間隔が狭いうえに、その茎の先には数個の花が付いて

いるので、遠目に見ると本当に山肌がピンク色に染まって見える。























槍ケ峰の岩稜の足元を巻いて稜線に出る。途中ですれ違った男性から『稜線に出ると風

が強いから気を付けて』とアドバイスを受けた通り、北から強い風が吹き上げてきた。

槍ケ峰に登って行くアカリプタさんとあっちゃんルリちゃんと言えばもちろんパス。

するとエントツ山さんが『三人の写真を撮るからKAZASHIさんも登って!』と仰

る。昔はそうでもなかったが、ここ最近はあまり高いところが不得手になってきた。

しかも膝の踏ん張りがきかないので、ザレ場なら未だしも、痩せ尾根の今にも崩れそ

うな岩が積み重なった場所でバランスでも崩したなら・・・・・と躊躇していたら、

『早よ早よ!』急かされる。仕方がないので渋々登って行って撮ってもらった写真がこ

れ。写真で見ると高度感はそれほどでもなく、な~んだ!といった感じだ。




槍ケ峰から戻り次の三ケ峰へと稜線を歩いて行く。油断すると被っている帽子が飛ばさ

れそうな風の強さだ。三ケ峰山頂もやはり風が強い。ここで皆さん上着を着込む。











昨年同様はルリちゃんはここまで。ここからは四人で剣ケ峰を目指す。アタック開始だ!

天狗ケ峰への稜線は踏み固められていて意外と歩きやすい。だけどこの大山の上部は礫

岩になのだろうか?乾いているととにかく滑りやすい。やっぱり登山靴を買い替えてい

て良かった。











天狗ケ峰からは北東にユートピア避難小屋に尾根が続いている。この間も、歩いている

人は確かにいるけれど、出来たら歩かない方がいいとエントツ山さん。それを聞いて残

念がるあっちゃん。昨年ユートピア避難小屋の上まで歩いているので歩いて線を繋ぎた

いらしい。











天狗ケ峰までは南側に草木が生えていたが、天狗ケ峰からは今度は北側に草木が生えて

いる。出来るだけ右によって歩いて行くが、二カ所ほど南側の崩れた斜面が削れてオー

バーハングになっていてヒヤッとする箇所がある。










剣ケ峰が近づいてくると稜線から少し北側下をトラバースする。ダイセンキャラボクの

生える少し歩きにくい道になる。するとエントツ山さんが『アカリプタさん、サンカヨ

ウ見に行く?』と言いながら登山道から少し外れて行く。案内された場所には山肌に白

い小さな花が一面に咲いていた。初めて見るサンカヨウ。雨で濡れると透明になると説

明を受けるが、また一度透明の花を見てみたい。














登山道まで戻ると道の脇には小さな花たち。冷たい風の吹く中で健気に花を咲かせている。

低木に囲まれた場所には、この稜線には不釣り合いな濃い紫のノビネチドリが咲いていた。














剣ケ峰大山の最高峰。ただ山肌を見ると礫岩が積みあがっている様子がよく分かる。毎

年、雪解けとともに少しづつ崩れているそうだが、あと何十年後かにこの山頂は残ってい

るのだろうか?昨年はほとんど景色が見られなかったこの山頂も、今日は絶景が広がって

いる。南には一から二・三と沢が並び、北には弓ヶ浜の弓なりの形がよく見える。













弥山に続く稜線も夏場はとても危険だという。冬場なら何とか歩けるとエントツ山さん

教えてくれて、ここでも残念がるあっちゃん。『あなたどれだけ線を繋ぐのが好きなの!』

エントツ山さんとツーショットは出会って20年になるけれど、初めてかもしれない!











山頂には先ほど槍ケ峰の下を登っているのが見えたご夫婦がいた。ヘルメットを被ってザ

イルでアンザイレンをとっていた。『お二人愛し合っているんですね!』とあっちゃん

すると『ハイ!』と奥様から明るい返事が返ってきた。

『そしたら私たちも』とあっちゃんが言うので『イヤです』と即答する私。

それではルリちゃんの待つ三ケ峰へ戻って行きましょう。








相変わらず今にも崩れそうで危うげな場所も、登って来た時にドキドキしたのに比べる

と全然平気になっていた。右と左の平衡感覚の違いなのか、二回目通るせいなのかは分

らない。










首を長くして待っているルリちゃんが気になり気がせくが、油断大敵とにかく足を滑ら

せないように下って行く。







三ケ峰に到着後、ここでお昼ご飯にする。朝つるやで買ったカツ入りのおむすびを食べ

る。カツサンドのおにぎり版といったところだが、他にも珍しいおかずパンやお弁当の

種類もたくさんあって、大山に来る時の立ち寄りポイントになった。

ご飯を食べている途中でもアカリプタさんは写真撮影に夢中だ。身軽なアカリプタさん

は、歩行中もずっと片手にカメラを持って歩いていた。













お昼ご飯を食べたら下山開始。先ずは槍ケ峰へと下って行くと、先ほどのご夫婦がアンザ

レンで降りて来ている。その姿を見て私の顔を見るあっちゃんに『大丈夫、私はロープを

切りますから!』と言う。














槍ケ峰に基部を回り込んで下り、少し下の分岐からキリン峠へと歩いて行く。去年は三ノ

のピストンだったので、初めて歩く道だ。烏ケ山を見下ろしながら急坂を下って行く。

心配性のルリちゃんも、草木が生えていれば大丈夫の様だ。こちらも片側が火山灰のよ

うな色をした今にも崩れそうな斜面になっている。














急坂の途中からはまた山肌をピンクの色が染めている。往路ではまだ昨日の雨で濡れた

イワカガミが生き生きとしていたが、この時間になると随分と乾いている。























どれくらい下っただろうか?写真では見たことのあるステンレスのポールの立つキリン

に着いた。土曜日にエントツ山さん鳥越峠からここまで登ってきたが、その途中の

ザレた斜面というか崖の場所がヤバイそうだ。それはどの辺りだろうとアカリプタさん

とあっちゃんが確認している。




















今日はここから登り返すのもしんどいので、このまま南に延びる支尾根を下ることにす

る。来る前にチェックしたchikakoさんが下ったルートで、エントツ山さんも初めてだそ

うだ。













しばらくの間は灌木の中歩きにくいが、歩いている人も多いのか踏み跡はしっかりして

いる。灌木の最後は長いロープ場になって一旦涸れ沢に下りる。けっこう長いロープだ

ったが、最後まだザレて滑りやすい場所があるので、もう少し長ければいいのにと贅沢

を言うメンバーたち。







沢を横断して向かいの尾根に乗り換える。この辺りはイワカガミと一緒に独特な色合い

のたくさんのオダマキが、手を広げてみんなでダンスを踊っていた。











キリン峠からの緑と灰色の支尾根はこの辺りまで。ここから先は樹林帯の中の道になる。








樹林帯の中も所々で肥えた黒い土の斜面が濡れて滑りやすくなっている。ただ踏み跡は

しっかり付いているので迷うことはない。








明るい稜線から緑の中を15分ほど下っただろうか、地形図にも載っている文殊越に着

いた。ここから北東に折れるとエントツ山さんが土曜日に歩いた鳥越峠への登山道とな

る。そして下りの道もYAMAPのコース図にもしっかりと登山道が載っている。




最初は苔の付いた岩がゴロゴロ転がる歩きにくい道だったが、しだいにしっかりとした

登山道になる。この間は手つかずの自然が残っていて、周りの草木も四国に比べると、

とにかく造作がデカイ!



















文殊越からはほぼコースタイム通りに車を停めた駐車場から少し下手の、大山環状道路

に飛び出した。














エントツ山さんとアカリプタさんは今晩はテント泊をして、あす一ノ沢を上り詰めるそう

だ。『来年は三人で登ってみたら!』お勧めされた。駐車場でお二人と別れた後、鍵掛峠

で歩いてきた稜線を振り返る。そして朝は雲がかかって見えなかった、御机の茅葺小屋

にも立ち寄ってみる。

今の季節は牧歌的なこの風景も、冬には一転真っ白な雪景色で厳しい環境になるのだろ

う。そんな厳しい季節の繰り返しで大山の自然は豊かに今も残っているのかもしれない。

次訪れるのは夏のお花畑になるのだろう。見る場所によっても全く違う顔を見せてくれ

大山。また来るからねと帰路につく。



















六甲全山縦走4/4 六甲山~宝塚

2024年01月04日 | 四国外の山


いよいよ今回で六甲全山縦走も最終区間となる。前回の第三区間は逆うちという伝家の宝

刀で山上から麓へ降りて、へっぽこリーダーらしい言い訳(南京町で中華を食べる)をし

て楽して歩いた。本来なら新神戸から市ケ原へ歩いて稲妻坂・天狗道を登るのが正規なの

だが、邪道も邪道、その天狗道を下りながら、『これ、登るとしたらしんどいよね』なん

て言いながら、他人事のように話をしながら下って南京町でおいしい中華を頂いた。

今回の有馬ロープウェイ山頂駅から宝塚もほぼ下りの区間だが、今回は正規の順打ち。

誰にも後ろ指を刺されることなく正々堂々と下っていける!(笑)




前回と同じように六甲ケーブル下駅横の駐車場に車を停めて、8時40分のケーブルに乗

り込むと、先週よりもなんだか人が多かった。山上駅からバスに乗り換えるとやはり満員

で座ることができなかった。そして先週と同じようにスノーパークで他の人が全員降りた。

三人だけで六甲有馬ロープウェイ山頂駅に降り立ち、先週と同じようにここからスタート。













山頂駅からしばらくは県道16号線の舗装路歩き・左手に広々としたアスレチックパーク

を眺めながら歩いて行くと、頭上にネットを張ってロープウェイが通っていた。

しばらく歩くと右手に展望公園。正面はもうほぼ大阪湾になっている。




展望公園からすぐに縦走路は左の階段を登って行く。道標は六甲山最高峰と宝塚駅までの

距離が書いてある。小さなピークを左に巻く様に道は続いていたが、すぐ県道に降りまた

次のピークに向かって階段が続いている。何ならそのまま県道を歩いてもよかったかな?










一旦登ってまた降りる。正面に見える電波塔が今日最初に登るはず?だった西おたふく山

辺りだろうか。




県道の北側を二度登り降りすると、今度は県道の南側に道は続いていた。道標は六甲最高

峰まで1.5kmとなっている。この先で西おたふく山の道標を見逃してしまって、通り過ぎ

てしまう。道はこれまでと同じように県道を右に左に横断しながら続いている。

途中でルリちゃんが『あ!西おたふく山を通りすぎているわよ』と気づいたが、『どうする

、もどる?』と言いながら『六甲全山縦走も24ピークスも、西おたふく山を踏んでいない

ので、いいんじゃないですか』とへっぽこリーダー。

















六甲最高峰への取付きからピークの南を巻くようにして登って行くと、道の脇の東屋で男性

が二人休憩していた。その先を登って行くと大きな電波塔が目の前に現れた。電波塔の下の

建屋は大正ロマンぽい風変わりな建物だった。戦後この山頂には米軍のパラボラアンテナが

設置されていて、1992年までは民間人の立ち入りが禁止されていたそうだ。二つのパラ

ボラアンテナは麓からも良く見えて、六甲最高峰の場所がよく分ったそうだ。











六甲最高峰は平らな広々とした場所に背の高い山名標が建っていた。その手前にステンレ

スのプレートがある 一等三角点 六甲山 931.25m

西側を見ると六甲ケーブル山上駅の辺りの電波塔が随分遠くに見える。











広場でしばらくの間休憩した後南に下って行くと、こちらも六甲最高峰と彫られたケルンが

あった。戦時中から先程の最高峰の広場は米軍の軍用地として使用されていた為、一般人が

立ち入ることが出来ず、やむ得ず少し南にある小高い丘を六甲最高峰としていた経緯があ

る。ケルンから東屋があった場所に下って行く途中で、大阪の湾岸地区から東に広がる大

阪の平野部が見渡せた。この全山縦走路で最初から見えていた、地上55階の超高層のワ

ールドトレードセンタ(大阪府庁第二庁舎)が、埋め立てが続く湾岸地区の奥に見える。

その手前が今何かと話題になっている2025万博の会場になる夢洲になる。














山頂から県道に降りると右手に江戸時代末期から続く一軒茶屋がある。時間はまだ10時

過ぎ。いつもお腹が空いたとうるさいあっちゃんでも、いくら何でも時間が早すぎる。

その一軒茶屋から東に広場になった場所に真新しいおしゃれなトイレがあった。この場所

は、24ピークスの大会では最終エードとなっている場所だ。




六甲最高峰から先でそれらしいピークがあった。おそらく後鉢巻山だろうと言いながら、道

の脇からそのピークに向かって登って行く(道は無い)と今日二つ目のピークの後鉢巻山。

須磨公園から数えると十六座となる。山頂にはオプテージなる通信会社の基地局があった。













後鉢巻山を後にまた県道へと下りて行くと道の南に六甲山神社の鳥居と参道が続いている。

先ほどからこの県道を若い男女の学生が、部活動だろうか一生懸命に走っている。

その姿を見ながら県道の脇から縦走路へと入って行く。これまでは県道の舗装路と縦走路

を交互に歩いて来たが、ここからはほぼ地道になる。










水無山の手前で一ヵ所眺望が開けた場所があった。ここまで来ると今度はあべのハルカス

の高層ビルが目につくようになった。







これまでの二つのピークは道から脇に外れてあったが、水無山は道の途中の笹に囲まれた

場所にあった。プレートには西宮市単独最高峰と書かれてあったが、先ほどの後鉢巻山に

もたしか西宮市最高地点と書かれていたと思ったら、後鉢巻山は芦屋市の最高峰でもある

為、この水無山が西宮市の単独最高峰となるようだ。








水無山から船坂峠への下りの途中で道の脇に見覚えのある大きな岩があった。たしかWOC

登山部のまゆゆがこの六甲全山縦走でYAMAPに写真をアップしていた岩だった。

頭巾を被った赤ずきんちゃんのようだと思い、カメラの電源を入れ振り向いて写そうとし

た瞬間に、足を滑らせ転倒した。岩にぶつけて少し変な向きに足が曲がって転んでしまっ

たが、それよりも手に持ったデジカメのレンズが伸びた状態で根元が曲がってしまって、

元に戻らなくなったのが気になった。電源をオフにしたらカチカチと音をたてて無理やり

レンズを格納しようとするが納まらない。仕方がないので根元で曲がった方向と反対にね

じると何とか元に戻り、レンズは何とか格納されたが今度はレンズの蓋が閉まらない。














膝の痛みよりレンズに白い傷も入ってカメラが壊れたのが痛かった。幸い電源を入れると

レンズは出るようになったので、この後は指でレンズの蓋を開けながら写すようになった。

以前にも一度このカメラを落としてレンズが格納できなくなったが、その時も保証期間が

切れていてけっこう修理費がかかった記憶がある。今度はレンズに傷が入っているし、また

修理に出そうか、それとも買い替えようか、なんて考えながら歩いて行くと船坂峠に着いた。

船坂峠は周りの木々も疎らで明るい場所だったので、お昼ご飯をここで食べることにする。

道の両脇に分かれて腰を降ろし、今日はカップ麺。水筒のお湯だとやはり温度が下がるの

で、3分以上経っても麺が硬かった。その間も奥様たちとの間の道をトレランの人たちが

走り抜けていった。




30分ほど休憩した後、丁度12時に船坂峠を出発。しばらくは自然林の歩きやすい道が

続くと、次に今回の六甲山ではあまり見られなかった人工林の林になる。














その林を抜けるとまた眺望が開けた場所になった。この辺りでそろそろ南側の眺望とはお

別れとなる。







次の大平山にも巨大な電波塔が立っていた。電波塔への道を回り込みながら登って行くと

18座目となる大平山。電波塔を囲んだフェンスの脇に山名標が掛かっていた。










大平山から電波塔の管理道を通り下って行き、途中から右手に縦走路へと入って行く。急

な階段を下っているとやはり先ほどの転倒が原因なのか膝の関節が痛んできた。真っすぐ

に足を運ぶと何ともないのに、少しでも左右に振れると痛い。










そうこうしている内に、市道436号線の大谷乗越に出た。ここでも後ろから来たトレラ

ンの女性陣が追い抜いていった。前回まではたくさんの登山者とすれ違ったが、宝塚から

のこの区間は登山者とはほとんどすれ違わなかった。やはり宝塚から逆うちをしている人

は少なく、走っている人の方が多いようだ。この大谷乗越からさきの破線上に、地形図に

は初めてこの道が近畿自然歩道と掲載されているが、今日歩いて来た道のほとんどが、近

畿自然歩道の六甲山・大阪湾展望のみちの区間になっている。







大谷乗越から10分ほど歩いただろうか、大きく右にカーブしている途中から、次のピー

クの岩原山へと取り付いて行く。最初は適当に歩いて行くと途中で登山道らしき道に出た。

須磨から数えて15座目のピーク。以前は積み上げられた石の中央に宝塚最高峰の標柱が

建っていたようだが、今はプレートが置かれているだけになっていた。







岩原山から一旦下って自然歩道に出た後、すぐに向かいの山へと踏み跡を辿って入って行く。

するとまもなく譲葉山西峰










その西峰から東にそのまま進んでまた自然歩道に出て、また道の脇から右手に入ると直ぐ

に今度は譲葉山南峰があった。ここはさしてピークらしくもなく、プレートが今までと違

った形になっているのからすると、先ほどの西峰と一緒に無理やり名前を付けた感じがした。








次は自然歩道の北側にある譲葉山北峰。こんな短い距離の間で次々とピークをゲットでき

て奥様たちはホクホク顔。そして最後の譲葉山譲葉山東峰とも書かれていた。













譲葉山から自然歩道まで戻ると、残るは24ピークス最後の山、岩倉山となる。

この辺りになると道の脇の笹の種類が変わってきた。今までは葉の縁が白くなったミヤコ

ザサ?だったが白い縁のない笹になっていた。











岩倉山は道の脇から少し登った場所が山頂となっていた。山頂には地蔵尊を祀った石祠が

あり、その前が 二等三角点 小林 488.38m になっていた。

これで六甲全山縦走24ピークスの全てのピークを廻ったことになる。













岩倉山からはもう登りは無く下るだけ。途中にある塩尾寺にお参りを済ますと、道は舗装

路となる。道は両側に落ち葉が綺麗に掃かれていて、その先で貯水タンク越し宝塚を見降

ろせる展望台にでた。











展望台からさらに下って行くと甲子園大学の横を通る。ただここからの坂がなかなかの急

坂の下り。痛めた膝がカクカクとし始め、最後の最後に堪えた。







川沿いに住宅地の横を通り坂を下りきると宝塚の街中。武庫川に架かった大きな橋を渡る

と、今日のゴールそして六甲全山縦走のゴールとなる阪急宝塚駅に着いた。













11月22日から始めた六甲全山縦走。これを一日で歩ききる人たちがいる事に驚きだが。

WOC登山部の私と一回り違うセニョさんが2回で歩いたのにはほとほと感心する。

しかも我々は『下山後、南京町で中華を食べる』と云う言い訳をしながら、第三区間は楽し

て逆うちをしたのだ。まあそれでもこの短期間で完歩できたのは自身でも予想していなかっ

た。大都会の神戸と背中合わせの六甲山。こんなに近くの自然の中で常に都会を感じながら

歩けるコースも珍しいだろう。ほとんどの『線で繋ぐ』の計画が終われば、またいつか第三

区間をちゃんと順うちで歩いてみたい。(ほんとかな?)

追伸:転倒して痛めた膝が年を越しても直らず曲がらない状態が続いている。病院が開いた

四日にレントゲンを撮ったのだが、大きな骨折はしていないが症状が思わしくないので、M

RIで精密検査をする事になってしまった。壊れたデジカメは家に帰って精密ドライバーで

シャッターの蓋が閉まる場所を調整したら何とか元の動作をする様になったが、膝だけは自

分ではどうにもならない。どうか検査の結果何もなく、日にち薬となるように願うばかりだ。






六甲山全山縦走2/4 鵯越駅から新神戸駅

2023年12月14日 | 四国外の山


いやいや今更のコロナに感染。ずっと寝ていたせいで腰の調子が思わしくない。ただ2週

お山を休んで、その間奥様たちは地元の里山を歩いていた。そろそろ復帰しないと何を言

われるか分からない。そう思って先週の土曜日に足慣らしをしたのだけれど、歩いている

うちは何ともなかったのに、一晩経つとさらに腰の痛みが酷くなった。

でもそんなことは言ってられない、奥様たちの視線が刺さらないうちに、前回と同じよう

に6時30分に集合して一路神戸に向かって GO!!




前回は須磨から9座登ったことになるが、今日は菊水山・鍋蓋山・再度山

3座の予定。スタート地点となる鵯越駅周辺には駐車場が見当たらないので、南に下がっ

湊川公園駐車場に車を停めて、そこから神戸電鉄湊町線の電車で三つめの鵯越駅まで移

動することにした。




電車を降りると同じようにザックを担いだ数組の人たちが降りて来た。さすが都会の裏山

六甲山。公共交通機関で登山口まで移動なんて、今や四国ではほぼ見かけない。

下りのホームに降り立ち、反対側の上りのホームの横から駅舎に沿って歩き始める。








駅舎の横から鵯越市民公園の広場に出る。先にスタートした3人の女性が広場で準備体操

をしていた。駅でその女性たちの会話を聞いていると、どこかの山の会に所属している様

子だったが、さすがだな~と感心しながらその横を通り過ぎ、しばらくはイヤガ谷沿いを

歩いて行く。










すると川沿いの道から舗装路に飛び出した。カーブになった場所に道標が立っていたが、

道標の矢印の向きが微妙で、舗装路の横に登山道ポイ道があったので、少し迷ったがそち

らに進んでしまった。しばらく登って行くとダウンロードしたルートから離れていってい

るのに気づき、慌てて引き返した。







舗装路まで戻って今度は島原川に沿って道なりに歩いて行くと、フェンスで囲まれた中央

水環境センター鈴蘭台処理場の大きな施設の前に出た。その施設の正面から左に回り込む

ようにして歩いて行くと、施設の裏側になった。そこにも菊水山への道標が立っていたが

それより大きな『ガードレール側』と書かれた案内板。その方向を見やると門扉とフェン

ス、その脇に細い道が続いていた。門扉は個人宅のものらしく、間違って入らないように

した注意書きの案内板だった。








案内板に書かれている通りガードレール横の道を歩いて行くと、広場になった場所に出る。

そこから左手に登って行くと今は廃駅となった菊水山駅が左上に見えた。周りに民家もなく

こんな山中にどうして駅を?と思ったが、帰って調べて見ると処理場施設に通勤する職員

が利用していたようだが、業務が省人化されて乗降客もほとんどいなくなった為に廃駅に

なったらしい。










駅からは菊水山方面へのハイキングコースがあり、行楽期の休日には多くのハイカーが下

車したようだが、2004の平日の調査では乗車人員は18人だったそうだ。

その菊水山駅跡の横を通り過ぎると、正面に菊水山の電波塔の頭が見えた。










石井ダムの下流に架かる橋を渡り、島原川の支流の右岸に沿って登って行く。この辺りま

ではまだ綺麗な紅葉が残っていた。すると対岸の奥から『メエ~!』と鳴く声が聞こえて

きた。『山羊かな?』と奥様たちに言うと、『まさかこんな所に』と馬鹿にされたが、確

かに山羊の鳴く声が聞こえてきた。ベンチの置かれた広場はモミジの落ち葉で赤色に染ま

っていた。ピーク時だったらそれはそれは見事な紅葉が見られただろう。














この広場から左手にいよいよ菊水山への登りが始まる。最初は擬木の階段。不規則な段差

が直ぐに足に堪えてくる。階段の両側のスズタケが、葉が落ちて色のない周りの景色にま

だ若い緑の色を保っている。擬木の階段の次は、蹴込と踏面が樹脂でできた階段になった。

こちらは段差が割と低くさっきの階段よりは登りやすい。それにしても山頂までほぼ階段

が続いている。前回の栂尾山の手前の階段も『地獄の階段』だったが、こちらもそれに引

けを取らない階段だ。

















すると道の折返しの場所が展望所になった場所にでた。正面から少し東を見るとポートア

イランド
とその沖に神戸空港。西を見ると明石大橋がクッキリと見える。昨日の雨のあと

空気が澄んでいるのだろう、今日はけっこう遠くまで見渡せる。














その展望所から15分ほど登っただろうか、今日の一つ目のピークの菊水山に着いた。

二つある巨大な電波塔のうちの一つは足場で囲われて改修工事中、もう一つの電波塔の下

は展望台になっていた。今日はここが一つ目のピークだが、前回の須磨から数えると、丁

度10座目のピークとなる。三人で10本の指を立てる。













展望台からは先ほどと同じように須磨から神戸の街並みが見渡せた。そしてさらに北東に

は広大な住宅地が広がっているのが見えた。三角点は 三等三角点 下谷上 458.83m














菊水山からは城ケ越をへて天王谷川まで200mほど下って行く。登った山を下ってまた

登るなんてと思うけれど、自然の地形は人間様の都合よくは出来てはいない。














途中のダム湖では、明るい日差しの中を仲良くカモの夫婦が、付かず離れず気持ちよさそ

うに泳いでいた。自分たちもああなりたいもんだと三人で。







国道428号線の上に架かる天王吊り橋を渡ると、今日二つ目のピークの鍋蓋山への登り

がすぐに始まる。







しかも直ぐに急登になった。地表を辺り一面に木の根が這って菊水山とは全く違った雰囲

気になる。単調な菊水山の階段登りに比べると、右に左にと自分で歩く方向を変えながら

登って行けるので、意外と苦しくはなかった。













すると年配の男性が一人立ち止まって道を譲ってくれた。すれ違いざまに『前にあと11人

登っているから』と教えてくれた。『どこかの山の会ですか?』と尋ねると、『正式なもの

ではなく、好きな人が集まって登っている』と答えてくれた。

するとその先にまた三人ほどの組。その中の男性が『鍋蓋山のこの坂が一番キツイよね』と

仰った。自分的には菊水山の階段の方がキツイかったのにと思ったが、ひょっとするとこの

グループは菊水山には鈴蘭台側から登って来たのかもしれない。

その三人を追い越して登って行くと今度は男女の組。その男性が立ち止まって『ガソリン補

給するわ!』と言っている。男性を追い抜き一緒にいた女性に『水分補給ですか?』と尋ね

たら『タバコよ、タバコ』と笑って答えてくれた。








急登を登りきった所で一ヵ所見晴らしの良い場所があった。先ほどからの団体さんの先頭の

人が、『ずっと沖には関西国際空港が見える』と教えてくれる。奥様たちがその景色に見入

っている間に、次から次と団体さんのメンバーが登ってきた。鍋蓋山の山頂にはもう休憩し

ている人がいるだろうし、この人数が到着するとお昼ご飯で座る場所がなくなるかもしれ

ないと思い、奥様たちを置いて先に山頂へと向かう。




鍋蓋山は広々とした山頂だったが、予想した通り広場ではさらに大勢の団体さんが休んで

いた。その脇にひとつだけ空いていたテーブルとベンチを陣取る。しばらくして奥様たち

が到着。すぐにお弁当を広げてお昼にする。この山頂からの眺望も申し分ない。ポートア

イランドも随分と近づいてきた。そして反対に前回スタートした須磨からの鉢伏山旗振

が遠ざかっている。














奥様たちも山名が書かれた案内板を眺めながら山座の同定をしている。ここでは三人で須

磨から11座目の指を立てる。











鍋蓋山山頂で30分ほど休憩した後は、今日最後のピークの再度山へと下って行く。道は

里山らしい花崗岩が風化した道、植生もどこにでもある木々。この六甲山には所々でその

場所が特定できるナンバーが書かれた黄色いプレートが設置されている。プレートに書か

れたナンバーを119番に連絡すると、すぐに居場所が分かるようになっているようだ。











ここでも途中で見晴らしの良い場所があった。眼下にはポートタワーがはっきりと目視で

きる距離まで近づいて来た。







再度越では道は四差路になっていた。一番北の道は再度公園への道、南の道は大竜寺へ直

接下って行く道。そして真ん中が再度山への上りの道になる。再度山への道は、距離は短

いが急登。でも今日最後の登りだと思うとあまり苦にもならない。再度山山頂は今日の二

つの山頂に比べると猫の額ほどの広さだった。須磨からは12座目のピーク。

四等三角点 鍋蓋山 486.15m











写真を撮ったあとは南側に下って行くと直ぐに『天狗』と書かれた大杉天狗。ここからは

また一段と急な坂になる。











急坂が終わると四国88カ所のミニ霊場の石仏が並んでいた。ただ四国でもよく見かける

ミニ霊場とは違って、石仏だけでなく立派な石の建屋がひとつひとつに造られていた。

奥の院にお参りして大竜寺の境内に入る。本殿にはお参りせずにそのまま表参道を下って

行くと、大きな山門のある駐車場に着いた。













駐車場から車道の反対側へ渡り、再度東谷の川沿いを20分ほど歩いて行くと市ケ原の広

い河原に出た。河原ではベンチに腰掛けテーブルの上にアルコール類を並べて談笑する年

配の男性グループや。木陰でチェアに腰掛けのんびりとしている女性の姿があった。










河原から布引大竜寺線に出て道の脇にあるトイレで用を済ませる。トイレの近くにある桜

茶屋のシャッターは下りていたが、少し南に下がった場所にある紅葉の茶屋は店の前に可

愛らしいぬいぐるみを置いて営業していた。













ここからの道は同級生3人で以前に歩いた事のある道。フェンスで囲われた川沿いを歩い

て行く。生田川になるこの川は布引貯水池を経て神戸港へと流れていく。夏からこの季節

の間、あまり雨が降らなかったせいか貯水池の水位も随分低いように見えた。

突堤の向こうにはハーブ園のロープウェイが結構短い間隔で動いている。

















貯水池の突堤の下まで降り、大正時代に造られたという谷川橋を渡りしばらく歩くと今日

最後の景勝地の布引の滝。落差43mの布引の滝は『日本の滝百選』に選ばれ、さらには

那智の滝華厳の滝とともに日本三大神滝の一つと呼ばれる名瀑。滝は花崗閃緑岩と云わ

れる白色と緑色の鉱物が混じった岩石で、全体的には白っぽく見える岩を流れ落ちている。

滝壺の上にはここでも営業している茶屋があった。紅葉の頃はもちろん、夏には涼し気な

この場所は新神戸からもほど近く、滝を眺めながら一服するにはもってこいの場所だ。

















布引の滝は上流部の雄滝から鼓滝、雌滝へと続いている。その脇を通りながら最後の展望

所に着いた。ここでもベンチに腰掛けて大勢の人が休んでいた。

すぐ手前には谷を流れ落ちる雄大な滝があったばかりなのに、目の前には新神戸駅の高層

ビル。大自然と都会がこんな近くに接している場所はなかなかないだろう。








展望所で一息入れて下って行くとすぐに明治時代に水道管を通す為に造られたレンガ造り

砂子橋。その橋を渡ると程なく新神戸駅の裏手に着いた。














これで全山縦走の1/2を終えた事になる。ここからが本来の六甲山となる。残り2/4と

はいえ、麓から都度登り下りをしていたのでは時間が足りない。登り下りのいずれかで、

ケーブルカーを利用し、さらには駐車場を確保しスタートもしくはゴール地点まではバス

移動と、課題が満載。どうやって歩くかどうやって交通機関で移動するか、頭の悩ませ処。

できれば年内に残りの2区間を完歩したいと思っている。

六甲全山縦走路、緩めに1/4須磨浦公園から鵯越駅

2023年11月23日 | 四国外の山

先週の寒霞渓馬の背コースから帰りに下った裏八景。最後に立ち寄った石門洞で大きな

カメラで写真を撮っていた男性と、あっちゃんがしばらくの間話し込んでいた。石門か

ら石門洞へと下った私とセニョさんが、また石門へと戻ってくると思って、そのカメラ

マンの男性の話を聞いていたそうだ。その男性は体型に似合わずマラソンしたり、六甲

全山縦走
もした事があると話をしてくれたようだ。『人は見かけによらないね』なんて

二人で陰口を言いながら帰ってきた。

寒霞渓の馬の背の絶景の後、さて何処を歩こうか。県外の山はどうやら雪景色のようだ

し、かと言って県内の里山の紅葉はまだ少し早い。

そう考えているとあっちゃんから『六甲は?』とメッセージが入った。なるほど、そう

言えば昨年のこの時期に六甲全山縦走路を歩いてみようと計画をしていたが、事情があ

って延期したままだった。『早起きが出来るなら』と返したら、『もっと寒くなったら

益々朝起きられなくなる』と返事が来た。


六甲全山縦走も神戸市主催の大会をはじめ色々と大会があるようだが、基本的には須磨

浦公園から須磨アルプス、摩耶山、六甲山を経て宝塚に至る公称56kmを歩く大会だ。

(YAMAPの記録では43km前後になっている)

もちろん我々が一日でそれだけの距離を歩けるわけもなく、じろじろさんやセニョさん

が歩いたハーフでも25km前後になるのでパス。結局1/4づつ歩こうと言う事にな

った。この区間はWOC登山部でも歩いていて7時間20分ほどかかっている。そして

じろじろさんチームはなんと4時間30分ほどで歩いていた。それなら我々は6時間位

かなと考え、6時30分に集合して朝日に向かって徳島自動車道を東に向かって走り、

明石大橋を渡って須磨ICを降りて須磨浦公園に8時30分過ぎに到着した。




駐車場に車を停めて8時40分にスタート、空は雲一つない青空が広がっていた。

須磨浦公園駅のロータリの西側から車道に沿って登って行くと『ちかみち』と書かれた

小さな道標。ここから階段を登って行くと近道のようだが、そのまま真直ぐ登って行く。

直ぐに展望台とトイレのある場所に着く。ここが六甲全山縦走のスタート地点になる。

朝日に照らされた大阪湾の海は眩しいくらいに輝いていた。

















展望所から右にカーブを曲がってその先から遊歩道へと入って行く。しばらくの間は石

段が続いて行く。まだ少し空気は冷たかったが、直ぐに汗が噴き出て上着を一枚脱いで

歩いて行く。











このコース1/2ほどが住宅地を歩くことになるが、山の中も住宅地でもとにかく分岐

が多い。ただ分岐には必ず案内板が掛かっているので、奥様たちには『おしゃべりに夢

中になって、案内板を見逃さないように!』と事前に忠告しておいたお陰で、分岐では

必ず立ち止まって、奥様たちが案内板を確認している。




最初に着いたのがロープウェイの鉢伏山上駅。駅の横の展望台からは先ほど渡ってきた

明石大橋が見え、反対側には須磨の海浜公園の砂浜と神戸への街並みが続いていた。







山上駅の横からはさらに上に向かって『カーレーター』という屋根の付いた斜面を登る

二人乗りの乗り物がある。ガタガタ振動しながら傾斜を進んで行くので『日本一乗り心

地が悪い』と言われている乗り物だそうだ。体調のすぐれない人、妊婦さんは坂道を歩

いて登ってきてくださいとホームページには書いてある。なんとも・・・・(笑)

そのカーレーターの到着場には大勢の中学生が休憩していた。『おはようございます』

と声を掛け『遠足?』とあっちゃんが聞くと、二人の女の子が『屋久島へ行く前の練習

です』と答えてくれた。女の子に少し話を聞いたあと広場の奥にある山名標で、今日ひ

ひつめの鉢伏山をゲット!今日の区間、YAMAP上では9つのピークポイントがある

内の最初の一つになる。











鉢伏山から軽く下って登り返すと今日二つ目の旗振山に着いた。旗振山の名前は、江戸

時代に大坂・堂島にあった米会所で行われた米取引の相場を旗を 振って西国地方に知ら

せた中継場所に由来するそうだ。山頂には昭和6年創業の老舗の旗振茶屋がある。














ここでも神戸港から明石海峡への絶景が広がっていた。神戸空港の奥の霞の中にひとつ

だけ背の高いビルが見える。大阪南港のトレードセンターだろうか、それともアベノハ

ルカスかな?











旗振山からは花崗岩の尾根が続いていく。ここでも少し下って登り返すと本日三つ目の

鉄拐山。山頂といっても200m程のピーク。二人ほどの年配の人がベンチに腰掛け休

んでいた。











何個か石柱がある中で、コンクリートの桝を鉄板で蓋をしているのが目についた。その

鉄板を開けて見ると、『復興基準点』と書かれた基準点があった。震災の際に基準点が

変動した為、復旧の効率化を図るために国土地理院が設置した基準点だそうだ。ベンチ

に座っていた男性も一緒に覗き込み『へ~そうだったんですね。いつも来ているけど何

の蓋かなと思っていた』と仰った。ここでも南から東にかけての眺望が広がっていた。










鉄拐山からはまた下って行く。それにしてもこの区間はアップダウンの繰り返し。山頂

まで登り一辺倒、そして下り一辺倒の山とはまた違って標高の割にはなかなか疲れる。

尾根は瀬戸内海沿岸部の特徴のひとつのウバメガシの林の中の尾根。ウバメガシのワッ

クスが掛ったような落ち葉が足を滑らせるので要注意だ。











すると道の脇にプレートが見えた。近づいて見るとなんとキティーちゃんのプレートだ

った。比較的新しそうなプレートには『キティ山岳会』ではなく、『四国キティ山岳会

と書かれていた。四国では有名なキティちゃんだが、島外になると影が薄いのか?

プレートの横には 四等三角点 立原谷 212.15m








三角点から進んで行くと広場になった場所に出た。広場にはステンレス製のモニュメン

トが立っていた。『いったい何だろうね?』と言っているとルリちゃんが、『縫い針に

見えるね』と。そういえばそんな形をしている。その針の穴から覗き込んでみて見ると、

『何か違って見える?』と聞かれたが、『????分かりません』。するとその足元に

『神戸らしい眺望景観50選・10選』と彫られたプレートがあった。

『神戸らしい眺望景観50選・10選』は2008年に市民から募集して選定した場所

で、そのうち15カ所に『ビューポイント』としてこのモニュメントを設置しているそ

うだ。そしてこのモニュメントはルリちゃんが言った通り、針をイメージしていて、そ

の穴から覗いて神戸の新たな魅力を発見してもらうようにとの事だ。














広場で次の四つ目のポイントを探すが見当たらない、ここまでほぼ一緒に来ていた男性二人

も同じようにウロウロ探している。『おらが茶屋』と横断幕を掲げた鉄筋コンクリートの立

派な茶屋が広場の奥にあり、その横に四つ目の高倉山の標識があった。

六甲全山には10軒以上の茶屋あるそうだが、その内でも一番茶屋らしからぬ建物だった。








高倉山でも写真を撮って、おらが茶屋を横目に見ながら奥へと進んで行くと、眼下に高倉台

の団地の白い建物が目に入ってきた。中層階から高層階の建物が立ち並んでいる。その奥に

見えるのは次に向かう栂尾山。その高倉台に向かって長い長い階段を下って行く。
















高架橋を渡って団地の中へと入って行くとメインの通りにスーパーや、魚屋・肉屋などの

お店が立ち並んでいて、団地の住民はここで生活必需品は揃いそうだ。










ルリちゃんがサイドポケットに入れていたスポーツドリンクを落としたと言っている。

普通に山の中なら水分補給ができなくてなって慌てるところだが、今日の区間は至る

ところに自動販売機があるので、その点では心配ない。







高倉台の団地の中央部を通り抜ける様にして歩くと、朝須磨ICを降りて右に曲がっ

た県道65号線の上に架かった橋を渡る。橋を渡り終えて左に山裾を進んで行くと、

『六甲全山縦走路』の矢印案内板が右に誘導している。














案内板に沿って右に曲がると目の前に、栂尾山山頂への階段が続いていた。『天国に続く

階段』と呼ぶ人もあるらしいが、400段のしかも一直線の階段は『地獄の階段』だ。

















途中で何ヵ所か踊り場があり、そこで上から降りてくる人と離合をしたり息を整えたりし

ながら、大汗を掻きながら登って行く。額から流れ出る汗が目に入り痛い。

途中からは高倉台の団地の全容、旗振山の電波塔そして明石大橋まで見え始めた。














階段地獄が終わって一息付けると思ったら、尾根道も栂尾山山頂まで急登になっていた。

ここまでの下りも急坂か急な階段で休む暇がなく、なかなか楽をさせてくれない。








栂尾山山頂は展望台になっていた。ここでも二人ほど男性が休んでいた。展望台からは

遠くに明石大橋、そして高倉台を見降ろし東は長田区から湾岸地域が見渡せた。

展望台の足元にある山名標で今日五回目の山頂写真。














栂尾山からは次の横尾山にまた急坂一旦下って行く『やれやれ!』。横尾山の先にはこの

須磨アルプスの核心部の馬の背があるが、写真で見ると花崗岩の風化した痩せ尾根の尾根。

でもこの横尾山までの尾根も同じような花崗岩が風化した乾いた尾根で滑りやすい。しか

も階段の段差が半端ない。














横尾山山頂で六個目の山頂ポイント。三角点は 二等三角点 須磨 3120.08m








横尾山から少し下って行くと花崗岩が浸食された痩せ尾根になった。所々で鎖が掛かっ

ている。乾いた尾根を注意しながら下って行くと写真で見た馬の背が目の前に広がった。

するとあっちゃんが『コレ?』と一言つぶやいた。確かに思っていたよりも規模が小さ

い。しかも先週の寒霞渓の馬の背と比べると・・・・・・?

イヤイヤそんなことを言ったら須磨の人に叱られる。










風化花崗岩も思っていたより滑らない。悪路になれた奥様たちはトットコトットコ歩い

て行く。確かに足を滑らせ滑落したらただでは済まないだろう。300mほどの山で、

しかも周辺には住宅地が広がっている場所では希有な場所だろう。

(そんなことを言ったら五剣山の五峰の高度感の方がよっぽどだ)イカンイカンまた要

らんこと言ったら怒られる。













そんなことを言いながら何枚も何枚も写真を撮る。











馬の背を越えてひと登りすると今日七つ目の東山。少し広場になった場所からは先程の

馬の背と横尾山。北西にはまた巨大な横尾の団地。しかしあそこだけでいったい何人の

人が住んでいるのだろうか?田舎者には目が点になる。














東山からは右に左に折れながら九十九折れの道を下って行く。そろそろかなと思ってい

たらやっぱり朝ドラの話が始まった。『まあこれだけしっかり矢印の案内板がかかって

いれば間違う事はないだろう』。













九十九折の坂を下りきると横尾の住宅地になる。ここは看板が少し分かりづらい位置に

立っているので、この家を正面に左に曲がって行く。みちの脇には今日一番のモミジの

紅葉。コースはは住宅地の外周部に沿って歩いて行く。













外周の水路沿いを歩いて高層のマンションの手前で右に曲がって脇道に入って行く。











コンクリートの階段を登ると目の前に阪神高速神戸山手線の橋脚が見えた。その高速の

下を潜ると今度はトンネルとトンネルの間を丸いドームの様な構造物で繋いでいる。

『なんだろうね?』と三人で言いながらその下も潜って行く。この構造物は恐らく地下

鉄西神山手線のもので二つのトンネルの間を囲って、騒音が下の住宅地にいかないよう

にしているのだろう。











そこから谷あいの住宅地を下って行く。それにしても神戸は坂の街というが、平野部が

少ないので仕方のない事だろうけど、団地以外では住宅地のほとんどが坂になった場所

に住宅が建っている。坂道を下ると右手に妙法寺。そこを過ぎると県道22号線の交差

点に出た。その交差点を右に曲がるとローソンがある。今日はここでお昼ご飯。

ローソンでカップラーメンを買って、暑いお湯を入れて3分。お店の前の駐車場の端で

アスファルトの上に腰を降ろしてカップ麺を頂く。

さすが上品な奥様たちは、『コンビニの前で腰を降ろしてラーメンを食べるなんて・・

地元だったら考えられないわ!』と。そりゃ私だって地元ではこんな事はしない。














コンビニの前でお行儀悪くお昼ご飯を食べて30分ほど過ごす。山の中と比べると、コ

ンビニはドラえもんのポケット。何でも揃っているし買う事が出来る。あっちゃんは食

後のデザートにアイスクリームを。私はスポーツドリンクが切れそうだったので、一本

買い足した。駐車場からは今日最後の山、高取山が目の前に迫っている。




休憩後交差点まで戻って西に県道を渡って行く。ここからも坂道を矢印案内板に沿って

登って行く。急坂の両側に建つ住宅。狭い駐車場いっぱいに器用に車を停めている。し

かし車の運転が出来なくなったらどうするんだろう。こんな息切れのする坂道に暮らす

人々。他人事ながらもちょっと考える。住宅地の途中から左に山の方へと入って行く。












やっと登山らしくなった。イノシシもでるらしい。ここからが高取山への登りとなる。










山裾から案内板に従って登って行く。掘割のようになった道が終わると、風化花崗岩の

道。途中木々の間から旗振山が見えた。














交差点から1.4kmほど、時間にして45分ほどで高取山に着いた。こちらはYAM

APでは高取山西峰となっている。そして山頂の下には春日神社(荒熊神社)が祀られ

ていた。ここの神社はとにかく何でも願い事が叶うようだ。札に書いてあるように裏手

に回ると磁器に書かれた通りの景色が見えた。

















境内の手前に赤鳥居が続いているがその横に八番目の西峰の山名標と三角点があった。

三等三角点 高取山 312.8m。この三角点は元々すぐ上の山頂にあったようだが、平成

18年に現在の場所に移設されたそうだ。その奥で晩秋の陽だまりの中で黒猫が横にな

って昼寝をしていた。














赤鳥居を潜って東に歩いて行く。鳥居から少し下がって左手の尾根へとひと登り。尾根

の北側は須磨区でも山の手になる。それでもまだまだ住宅地が広がっている。

















尾根筋を進んで行くと広場に出た。ここが今日最後のポイント高取山東峰になる。ここ

から石段を下ると高取神社。境内からは眺望が広がり、ポートアイランドも随分と近づ

いて来た。こうして見るとやっぱり都会は凄いな~と思うけれど、住みたいかと言えば

・・・・・?だ。














神社からしばらく石段を下って行く。途中こんな立て札が立っていた。ここまで登って

きて石柱に足を乗せて体操する人の姿が目に浮かんだ。








途中にある月見茶屋は今は営業はしていない様子。同じ続きの建物には『神戸ツキワ登

山会』と書かれた看板と『ツキワ投輪道場』とも書かれている。














その先には安井茶屋とさらに先にはきれいに清掃された広場と公衆トイレ。その広場に

は演題と投輪の台があった。須磨区では毎年投輪の大会が盛大に行われているらしい。

安井茶屋の奥には大きな大きなサザンカが沢山の花を付けていた。

トイレで用を済ませて、脇の道を下って行く。













安井茶屋からの道も所々にほうきが置かれていて、落ち葉もきれいに掃かれていた。そ

の道を降りきると鵯越駅までは住宅街の中を歩いて行く。











まあそれにしても坂・坂・坂の住宅街。途中にあったひばり小学校からは下校する小学

生の姿があった。日本一狭い県の香川県だがそれでも平地がほとんど。こんな坂の街に

住んでいる小学生の方が、毎日の通学の登り下りで、香川の小学生よりも丈夫だろうな

~とあっちゃんと話をする。










須磨浦公園をスタートして6時間20分、沿面距離13km。予定より20分ほど遅

かったが、途中眺望のいい場所が何ヵ所も有り度々立ち止まった。それ以上にアップ

ダウンの繰り返しで、けっこう足にきていた。腰もパンパンで油断して変な体勢をと

ろうものなら、ギックリになりそうだ。







鵯越駅から神戸電鉄有馬線で新開駅へ。そこから山陽電鉄本線で須磨浦駅に移動。特

急で須磨浦駅が終点だったが、ほぼ全員手前の須磨駅で降りて最後は三人だけになっ

た。駐車場で車に乗り込み一路香川へ。鳴門大橋を渡る頃には薄暮れの何とも穏やか

な景色が広がっていた。さてさて来週はどこまで歩こうかな?











帰りに寄り道した伊吹山もお花の山だった!

2023年08月05日 | 四国外の山


昨日は木曾駒ケ岳から下山して、飯田市まで移動してホテルに泊まった。ホテルの部屋

で、汗を流した後近くの居酒屋で祝杯をあげた。山を下りた後の生ビールは、それはそ

れは美味しく、頼んだ料理もどれも美味しくてついつい飲み過ぎてしまった。

そのせいで朝起きると頭が重く、昨日は高山病?で頭がクラクラ、今日は二日酔いで頭

がクラクラだった。

今日は帰り道の途中で関ケ原ICで下りて、日本百名山、新・花の百名山、関西百名山

に選定されている伊吹山に寄り道する予定。標高は1,377mあるが、ドライブウェイを

利用すれば、駐車場からは30分程度で登れるので、体調は最悪だが何とかなるだろう。

飯田市から中央道を走り名神高速の小牧辺りになると急に空が暗くなり、車のワイパー

が効かないほどのどしゃ降りの雨になった。いわゆるゲリラ豪雨だ。一般道なら停車も

出来るが高速道路ではそうはいかずに一瞬冷や汗がでた。

それでも関ケ原ICを下りる頃には青空が広がって、車窓からは山頂近くが少し雲がか

かった伊吹山が見えた。伊吹山ドライブウェイは麓から全長17kmの有料道路。その

距離もそうだがかなりのくねくね道で、後ろの座席ではあっちゃんがグロッキー。

ドライブウェイの駐車場には自家用車や観光バスが停まり、大勢の観光客で賑わってい

た。当然登山服の姿の人もいたが圧倒的に軽装の人が多かった。

麓では雲がかかっていた山頂だったが、ここでも晴れ男の本領発揮。雲は流れて青空が

見えていた。ルリちゃんは傘をさして軽装で、まずは西遊歩道コースを歩いて行く。







すると早速道の脇に次々と花が咲いていた。

ヤマホタルブクロ


クガイソウ


クサタチバナ



前を歩く女性も日笠をさしてのんびりとそんな花たちの写真を撮りながら歩いている。

遊歩道のスタート地点から少し登って行くと右手の山肌が、キオンの花で黄色一色に染

まっていた。里では菜の花畑やひまわり畑で黄色一色の景色はよく見るが、山中でここ

までの群生は珍しい。










奥様たちは相変わらず花散策でなかなか登って来ない。




キオンの群生地を過ぎさらに登って行くと植生保護柵の中で今度はシモツケソウで赤色

に染まったお花畑。柵の前では『伊吹山もりびとの会』の方が、花の説明や自分たちの

活動の説明をしていた。










ここで昨日の千畳敷カールでの花の写真をFBにアップしていたのを見たWOC登山部の

写真の先生から『花の写真が露出オーバーでは?』とコメントしてもらったのを思い出

した。さっそくネットでデジカメの取説を調べて設定を変更して見ると、今まで明るす

ぎたマクロでの写真が、随分と落ち着いた感じになった。(山の中でも電波の届く場所

だったのでネットで直ぐに取説を見られるなんて、便利になったもんだ。とは言え最初

から取説をちゃんと読んでおけば良かった。(^_^;) )

露出オーバーのイワアカバナ



設定を変えて写したクルマバナ






ウツボクサ




もりびとの会の方にクガイソウだと思っていた花はルリトラノオだと教えてもらった。

ルリトラノオは上から見ると葉が十字に見えるそうだ。

ルリトラノオ


キリンソウ



山頂が近づくとガスが流れて来た。後ろから来る女の子たちは流れるガスを見るのは初

めてなのか、喜んでスマホで動画を撮っている。




山頂の少し手前で上野登山口への分岐になる。植生保護柵のゲートを開けて奥に進んで

行くと、西から南にかけての眺望が広がっていた。石灰岩の白い山肌の向こうに、霞が

かかっているが薄く琵琶湖が見える。南には米原市の市街地の奥に夏らしくモコモコと

入道雲が盛り上がっている。







7月の豪雨で上野登山道は崩壊して通行禁止になっているらしいが、崩壊している場所

はどの辺りだろうか?奥様たちもこの絶景を堪能している。








分岐まで戻り山頂へと歩いて行く間にもいろんな花が咲いていた。



カワラナデシコ


シモツケソウ


クサフジ


イブキフウロ







山頂にはこの山での伝説が残る日本武尊が祀られている。







三角点はこの日本武尊の像から更に西に進んだ場所にある。一等三角点・伊吹山1377.3m








三角点から見える西側の斜面も石灰岩の石クズの様な雰囲気に見える。その三角点から

山頂中央部の植生保護柵で囲まれた場所を北側に回り込んで、中央遊歩道コースを下っ

て行く。西遊歩道と比べるとほとんど歩いている人の姿もなく、階段状の遊歩道を三人

でゆっくりと下って行く。






ヒメジョオン


ホタルブクロ


コオニユリ






すると下から長いポールを担いで登ってくる女性が二人。山側の斜面を見ながら手を叩

いて声を出している。その方向を見るとシカがピョンピョン跳ねながら逃げて行く。

その女性たちに『あそこは保護柵の外ですか?』と聞くと『柵の中なんです。網を破っ

て入ってくるんです』と教えてくれた。伊吹山レンジャーの二人は『最近は少々毒のあ

る草花でも食べちゃうんです』と。シカも生きていく上で耐性ができていくようだ。

たまに見かけて喜ぶ我々と違って、山では鹿害は大きな問題。安易に可愛いとは言えない。



オトギリソウ


イワアカバナ



あまりの花の多さにコースタイムでは35分の所を1時間30分もかかって山頂に。その

後も花の写真ばかりを撮って下りて来た。帰り道で見えた伊吹山は山頂にまたガスがかか

っていた。




帰り道、高速のSAで遅めの昼食を摂り一路香川へ。満腹の後の運転はさすがに少し眠

気がしてきたが、何とか無事に帰宅した。

今日の伊吹山で日本百名山を二座。YAMAPの山頂ポイントも4つゲットして、しか

も花の写真を1年分くらい撮った感じの二日間は、なかなか収穫の多い二日間だった。

色々と制約はあるが、年に一度は遠征に出かけてみたいものだ。


他の花たち



















三人で初めての遠征は花・花・花でした!

2023年08月05日 | 四国外の山
ここ最近、大山の三ノ沢・三鈷峰そして寒風山と、花音痴の三人が珍しく花を求めての

山歩き。その仕上げとして兼ねてより計画していた初の一泊しての遠征をしてきた。

目的地は中央アルプスの最高峰の木曾駒ケ岳。そのスタート地点となる千畳敷カールの

お花畑。そして翌日は帰りに花の山として有名な伊吹山に寄り道してドライブウェイを利

用しての観光コースで、両日ともに花を目当てに、そしてあっちゃんは初めてのアルプ

スデビューとなった。ルリちゃんは意外とあちこちの山にツアーで出かけているのだけ

れど、結構な確率で雨だったそうだ。今回はその雨女と晴れ男の私との勝負になった。

1週間前まで40%だった降水確率が20%まで回復して『シメ・シメ』と思っていた

のに、直前では40%にまた戻ってしまった。果たして二人の勝負は、お山の天気はど

うなるのか?今まで以上にずっと気にしながらの1週間だった。




夜中の3時に集合して高速を一路長野県を目指す。途中で淡路島の室津。宝塚北・黒丸・

恵那のPA・SAで休憩をとりながら6時間ほどで菅ノ台バスセンターに着いた。セン

ターの駐車場はすでに満車で、少し上の臨時の駐車場に案内された。

予定より2便早い9時15分発のバスに乗り込み、ロープウェイ乗り場のしらび平には

30分ほどくねくねの道を揺られながら到着。ロープウェイは1,662mのしらび平

から2,612mの千畳敷駅までの高低差950mを7分ほどで一気に登って行った。










千畳敷駅の前には以前にはなかった、千畳敷カールを目の前にして広いテラスが出来て

いた。宝剣岳から乗越浄土そして伊那前岳にかけての稜線の奥は残念だが曇り空だった

が、それでも山々はくっきりと見えて三人とも歓声をあげる。







周りは家族連れの観光客や登山客の姿があったが、ここでは観光客の方が多いような感

じがした。まずは駅舎の横にある駒ケ岳神社にお参りして千畳敷カールの遊歩道を歩

いて行く。さっきまで灰色一色だった空は時々青空がのぞき始めた。『ヨシ・ヨシ!』











遊歩道の脇には次々と花が咲いていて、道の右に左にと忙しく写真を撮って行く。写真

撮影に忙しい奥様たちもなかなかやってこない。振り返ると何やら女性から花の名前の

レクチャーを受けていた。

ヒメユキソウ








タカネツメクサ


ウサギギク






遊歩道と登山道の分岐となる八丁坂分岐からは足元はゴロゴロ石の登坂になる。九十九

折れの道は、時々上から降りてくる人との離合で立ち止まって意外と時間がかかる。






チングルマの綿毛



ロープウェイで一気に上がってきたせいなのか、それとも寝不足のせいなのか、先ほど

から息を吸うと頭がクラクラとする。たしかにもう既に標高は2,700n近いので、

高山病が発症してもおかしくはない。









ヨシバシオガマ



乗越浄土が近づくにつれ、周りは岩稜のアルプスらしい景色になって来た。相変わらず

頭がクラクラするが、奥様たちも同じような感じだと言っている。












サクライウズ




乗越浄土には遊歩道でゆっくりしていたのでコースタイムより時間がかかって1時間ほ

どで着いた。正面には天狗荘の赤い屋根の向こうに中岳。右手にはハイマツの緑と白い

稜線とのコントラストが美しい伊那前岳(山頂は更に奥)が見えた。まずは伊那前岳へ

のアタック(笑)を前に、ここでお昼ご飯にする。今日も麓のコンビニで買ったぶっか

けうどん!













ご飯を食べた後は少し時間が押して来たのでザックを置いて、早々に伊那前岳へと歩き

始める。乗越浄土浄土から見えるピークは山頂ではなく、さらに奥になるが15分ほど

で行けると奥様たちに男性が教えてくれたそうだ。周りは次々とガスが流れていく。













山頂の前のピークには、江戸時代中期に高遠藩郡代の阪本天山が木曽駒を検分した際に、

この場所で絶景を前に漢詩を詠み、すぐさま石工に命じ近くの岩に(鎖で囲まれた中の

岩)この詩を刻んだ勒銘石がある。その後詩が刻まれた岩が風化し始めたので、その傍

らに石碑が建立されている。







伊那前岳山頂には乗越浄土から25分ほどで着いた。今までほとんどなかったのに、な

ぜかここ最近『写真を撮ってもらえませんか』と山頂で頼まれることが多くなった。こ

こでもご夫婦に頼まれ写真を撮ってあげ、その後こちらもお願いをする。

















相変わらず次々とガスが流れて、一瞬はクリアだった周りの景色を刻々と変えていく。













山頂から乗越浄土に戻り宝剣山荘の横を通ってまずは中岳へと歩いて行く。振り返ると

先ほど歩いた伊那前岳への稜線と、険しい顔をした宝剣岳。

















中岳山頂から木曾駒ケ岳へは一旦下っての登り返しになる。鞍部には頂上山荘の前でテ

ントを張っている人の姿があった。山頂への道はここまでと同じようなゴロゴロ石の道。
















道の両側には立ち入らないようにロープをずっと張ってある。すると赤い小さな花が目

についた。『あっ、女王様だ!』










山頂には木曾駒ケ岳神社伊那駒ケ岳神社の二つの神社がある。まずは木曾駒ケ岳神社

にお参りして記念撮影してその後伊那駒ケ岳神社で手を合わせる。山頂に神社が二つあ

るのは珍しいことだが、昔の水利権の名残りだそうだ。山頂は長野県の上松町・勒銘石

木曽町・宮田村の3つの村の境界にあり山頂がどこに属するかは昔は大変重要で、谷を流

れ下る水の権利に関わったそうだ。











木曾駒ケ岳山頂からの下りで数人の人が立ち止まって写真を撮っていた。カメラを向け

ている方を見ると、岩の上にひょこっと雷鳥が立っていた。少し距離が合ったのでズー

ムで撮ったがガスの影響もあってイマイチ。








中岳との鞍部まで下り、今度は中岳山頂へは登らずトラバース道を進んで行く。すると

ここでも道の脇へカメラを向けている人の姿があった。さっきの雷鳥と比べると随分近

くの岩に立っていた。しかも周りでちょこちょこと小さな子供たちが歩いている。さら

に一羽や二羽ではなくかなりの数が動いている。なんなら親鳥から離れてこちらへやっ

て来る子供もいる。

木曽駒ケ岳の雷鳥は、昭和44(1969)年以降にライチョウの目撃がなく絶滅したとされ

ていたが、平成30年7月20日に一般登山者により撮影され、その後個体群復活事業がな

されているそうだ。目視では分からなかったが写真をみて見ると、個体識別の色足輪が

付けられている。雷鳥は北アルプスで何回か見た事はあるが、これだけの数を見たのは

初めてだった。それにしても子供たちは周りの花崗岩や花崗土にそっくりの保護色をし

ているので、よくよく見ていないと直ぐに見失ってしまう。













トラバース道は途中から岩稜の道になる。晴れていれば右は滑川へと続く谷筋の切れ落

ちた斜面のはずだが、ガスっているので高度感は感じられないのが助かる。










さきほど雷鳥を撮影していた団体は中国の人の様で、こんな雰囲気の中でも賑やかにと

言うより騒がしく前を歩いている。











ガスがどんどん濃くなってくる。宝剣山荘の横から『さぁ宝剣岳へ!』と稜線を登って

行くと、直ぐに雨が降り始めた。どうしようかと迷っていると雨脚はどんどん強くなる

ばかり。仕方がないので引き返して雨具を着るために宝剣山荘に入る。食堂の椅子に腰

かけ雨具を着こんでいると同じように次々と登山客が入って来た。食堂には8月だとい

うのにストーブに火がつけられていた。







雨具を着た後、宝剣岳は諦めて下山する事に。晴れの日を天気予報を見ながらの登山ば

かりしているので、雨具を着こむのは久しぶりの事だった。







乗越浄土から千畳敷駅までは花崗岩の急な下り坂。ただ花崗岩の表面がザラザラしてい

て雨で濡れても意外と滑りにくかったのが助かった。この時間この天気の中、下からは

まだ登ってくる人達とすれ違う。

<








八丁坂分岐からは往路と違う剣ケ池の方へ歩いて行く。こちらの道ではムカゴトラノオ

の群生地になっていた。

ムカゴトラノ












ロープウェイの出発時刻までには余裕があったので、花を見つける度に立ち止まっての

んびりと写真を撮る。幸い剣ケ池では雨も小降りになっていた。



ミヤマアキノキリンソウ


エゾシオガマ




下りは16時発のロープウェイ。乗り込む人も多くなくロープウェイもバスもスムーズ

に我々を運んでくれた。千畳敷駅で18度の気温から下界は一気に気温が上がっていた。

今晩は飯田市のホテルで宿泊。チェックインの後直ぐ近くの居酒屋で宴会。一口目の生

ビールの美味しいこと美味しいこと。最後の岩と鎖の宝剣岳に登れなかったのは残念

だったが、それでも千畳敷カールの高山植物、そして女王のコマクサ、花崗岩とハイマ

ツのコントラストの中の稜線歩き、最後に雷鳥の大家族にも会えて満足度100%の第

一回の遠征は無事幕を下ろした。













花の数が多すぎたのでまとめてみました。
















いざユートピアのお花畑へ、GO・GO!!

2023年07月22日 | 四国外の山
昨年の夏に大山ユートピア避難小屋の周りのお花畑の存在をネットで知った。その時は

シーズンを少し過ぎた頃だったので、『来年は出かけてみましょうと』と奥様たちと話を

していた。そして前回に三ノ沢から剣ケ峰に登った時に、剣ケ峰の山頂で出会ったご婦人に

お花畑の話をすると『今年はどこも花の開花が早いので、7月の初旬が見頃かも?』と教

えてもらったのだが、今月の第一・二週は都合が付かず、とうとう三週目に入ってしまい、

この間花はまだ咲いてるのかが気がかりだったけれど、YAMAPを見ていると、どうや

らまだ間に合いそうな雰囲気。それならと晴れの日を狙って金曜日に出かけましょうと言

う事になった。前日には中国地方が梅雨明けをして期待大で出かけてきた。





6時に坂出で待ち合わせ。自宅を5時に出て高速を西に走らせると、まだ陽が登る前の薄

っすらと朝焼けの空。『日本海側も晴れているかな?』と思いながらアクセルを踏み込む。




瀬戸大橋を越え中国道から米子道に入る頃に周りは次第に雲が多くなり、少し天気が怪し

くなってきたが、蒜山の手前になると一気に青空が広がった。『ヤッタ~!』溝口ICで

下りて県道45号線を桝水高原の中をグングンと高度を上げて行くと、南側から見る大山

とは全く違ったシルエットの、まさしく伯耆富士の大山が朝陽の中に浮かんでいた。




南光河原駐車場は満車状態だったので県営第4駐車場に車を停める。登山口へは南光河原が

一番近い駐車場なのだが、この第4駐車場からは大山の北壁が見渡せるビューポイントにな

っている。思っていた通り雲一つない空に大きな大きな大山が横たわっていた。







駐車場の上にあるナショナルパークセンターでトイレを済ませた後、道の両側に宿が並ぶ

御幸参道本通りをまずは大山寺へと足を運ぶ。本堂はまだ朱色の大きな扉を閉じていたが、

その扉の前で手を合わせ、本堂を左に回り込んで次に大山神社の奥宮へと向かう。自然石を

敷き詰めたこの参道の長さは日本一だそうだが、デコボコしていて歩きにくい。その参道が

終わると逆さ門と呼ばれる神門がある。この神門は大山寺本坊西楽院の表門(宮家のお成門)

にあったのが仏毀釈によりこの奥宮の門に移転された際に、そのまま移転したので後向きに

なったという。その逆さ門を潜り本殿へ。国内最大の権現造りの本殿は残念ながら改修工事

中でその全容は見ることが出来なかった。



















本殿を参拝した後、その社殿の右側奥の登山口から取り付いて行く。平日だったが梅雨明け

を狙って訪れた何組もの登山者と一緒になる。原生林の中の道は途中で大山頂上への道と分

かれ、左の下宝珠越の道へと進んで行く。道の脇にはヤマアジサイが咲いていた。このヤマ

アジサイは三鈷峰の尾根近くまで最後まで咲いていたが、尾根近くにあると濃い青色へと色

が変わっていった。











道は涸れ沢の中の道になり途中で一旦舗装された林道に飛び出す。ここからは『通行注意』

で、自己責任でと書かれた道標。後ろから登って来た常連の様な方が『ここから下宝珠越は

30分位ですよ!』と教えてくれる。麦わら帽子に小さなザック。地元の方だろういかにも

通い慣れているといった感じの男性だった。次第に涸れ沢は沢というより深く切れ込んだ谷

筋のような雰囲気になって来た。足元もゴロゴロ石が多く歩きにくい。









クサアジサイも咲いている



この辺りからヤマジノホトトギスが所々で見かける




振り返ると大山町の街並みと白い雲の下には日本海が見える。谷筋から尾根直下の直登の急

登になる。木の根に足の運びを戸惑いながら登って行くと、下宝珠越には25分ほどで着い

た。ここから左に行くと宝珠山。復路はこちらから下る予定だ。














下宝珠越からしばらくは緩やかな尾根道。密度の濃い樹林の中を進んで行くと右手にチラチ

ラと北壁が見え始めるが、駐車場で見たあの青空の面影は全くなく、白いガスの上にちょこ

っとだけ稜線が見える程度になってしまっていた。







中宝珠越の手前の1242mの標高点は展望台になっていた。最初は真っ白なガスで全く姿

が見えなかった三鈷峰が、しばらく待っているとその姿を現した。白い岩肌と緑のコントラ

ストは四国には無いどちらかと言うとアルプスの様な雰囲気の山容だ。視線を右に移すと北

壁の稜線が青空に映える。このまま晴れてくれればと話をしていると、後から来た大きな一

眼レフを抱えた男性が『昼からは晴れる予想です!』と言ってくれた。その言葉を信じて!
















標高点からは一旦下って行く。それもなかなかの急坂だ。『も~、どこまで下るんやろ?』と

先頭のあっちゃんが言っている。急坂を下りきった場所が中宝珠越になっていた。







中宝珠越を過ぎると右側にロープが張られた崩壊地。ここからは木の根を握ったり、ロープ

を握ったりしながらの変化のある道。
















さらにもう一ヵ所大きく崩れた場所があったが、足元はしっかりしているので問題はない。

次々と登ってくる登山者。そして上から降りて来たのは高校の登山部。この時間だとユート

ピア避難小屋で小屋泊だったのかな?










ガスが次々と現れては北壁の稜線が見え隠れしている。三鈷峰の尾根の延長にあるユートピ

ア避難小屋も薄く見える程度だ。







上宝珠越の道標はここまでの道標と同じように朽ちて落ちていた。冬は雪に埋もれてしまう

ので、どうしても腐るのが早くなるのだろう。この道標の左手に侵入禁止のロープが張られ

ていた。ここでも後から来た男性が、『ここが砂すべりの入り口ですよ』と教えてくれた。

前回の三ノ沢での下りで砂利滑りが楽しかったと言うあっちゃんの目が一瞬輝いた。すると

間髪入れずにルリちゃんが『もう変な事考えんとってよ!』と。すかさず私も『帰りにここ

から下ってしまうと宝珠山に行けませんけど、いいですか?』と言うと直ぐに諦めた。

相変わらず三鈷峰の稜線のガスは濃い。今日はこのままかな?







ホタルブクロ



上宝珠越からは左に回り込むように三鈷峰の尾根へのトラバースの道になる。このあたりか

ら道の脇には今までなかった花が目立ってくる。巨大なシシウド越しのユートピア避難小屋。

トラバースの道はキャラボクの中を続いている。何ヵ所も枯れた古木が横たわっていて、そ

の度跨ぎながらで時間がかかる。稜線が近づくと左手の景色が見え始める。天狗ケ峰からの

支尾根だろうか、その下の方には勝間ケルンと呼ばれている鉄骨の大きな三角錐が見える。







シモツケソウ



クサボタン



ダイモンジソウ










三鈷峰とユートピア避難小屋との分岐の尾根に出ると左手に三鈷峰、右手に象ケ鼻から16

36mの標高点へと続く稜線が見える。でも相変わらず北壁は姿を現せてはくれない。







コオニユリ






目の前に見えるユートピア避難小屋でお昼ご飯にすることにして尾根を歩いて行くと、前を

歩く奥様たちから歓声が上がった。『凄~い!』

稜線の両側に色とりどりの花が咲き乱れている。ネットで見た印象としてはナンゴククダイ

ソウとシモツケソウのお花畑かと思ったら、その他にも色々な花が咲いている。お花畑に感

激した奥様たちが『写真を撮って!』と催促してきた。『周りのお花に負けてませんよ!』

と胡麻をする。










ホゾバシュロソウ



シシウド




稜線上に建つユートピア避難小屋。その道筋に咲くヤマブキショウマ。そして左の山肌には

オオバキボウシとナンゴククガイソウの紫色。右の斜面にはシモツケソウの濃いピンクが目

立つ。例年に比べると今年は少なめだと書いている活動日記もあったが、それでもこの数は

特筆すべき、本当にお花畑だ!










クガイソウ



ただコンデジではこの辺りが限界。見た目ほどはきれいに写せない。








ユートピア避難小屋にザックを置いて取り敢えず象ケ鼻まで登ってみる。岩場になった象ケ鼻

までの間もお花畑が続いて行く。
















カラマツソウ







奥様たちは更に先の通行禁止の看板のある場所まで行ってみると言う。私はこのお花畑をもう

少しゆっくりと写真を撮りたくて引き返す。そして先に小屋まで戻ってお昼ご飯にする。小屋

の建屋の日陰に腰を降ろしていると奥様たちも戻って来た。先ほどまで大汗を掻いていたのに

動かなくなった途端に汗冷えで少し肌寒く感じ始めた。










ホソバヤマハハコ



アカモノ



ダイセンオトギリソウ



ダイコンソウ



シコクフウロ






その間次々と登ってくる登山者。お昼ご飯を済ませた後は三鈷峰へと向かう。その稜線上にも

山頂にも多くの人の姿が見える。



















分岐から一旦小ピークを越えて鞍部まで下ると、そこから先は西側が崩れた稜線になる。足

元の岩は割としっかりしているので手足を使って登って行く。ただ左手を見るとなかなか迫

力のある斜面になっている。
















山頂は多くの人で賑わっていた。そんな中でも話声で高知の人はすぐ分かる。その高知から

来た団体さんにシャッターを押してくれと頼まれる。二枚ほど撮った後、今度は私たちの写

真をお願いすると年配の女性が快く撮ってくれた。するとその中の一人の方から『すみませ

ん、ひょっとしてKAZASHIさん?』と声を掛けられた。『そうです!』と答えると、

YAMAPでフォローしているとしくんさんだった。『よく縦走であるかれてますよね』と

言うので『こちらの奥様たちと一緒に歩いています。いつもついて行くのがやっとなんです

。』と奥様たちを紹介する。としくんさんは登山会のメンバーと一緒に来ていて、今日は一

泊して明日は甲ケ山を歩くそうだ。甲ケ山と聞いて直ぐにあのゴジラの背が頭に浮かんだが、

としくんさんのメンバーを見ると年配の方も多い。さすが登山会、熟達者揃いのようだ。

相変わらず周りはガスの中。1242mの標高点で『午後からは晴れますよ!』と言った男

性の予想はどうやら今日は外れのようだ。するとまた今度は女性4人と男性1人のグループ

に写真を頼まれた。撮り終えると女性たちが山頂標を前に思い思いのポーズで写真を撮り始

めた。そのポーズを見て私も撮ってと真似をするあっちゃん。













時間は13時を廻っていた。少し予定より遅れ気味だったのでポーズ写真を撮って直ぐに下

山を開始する。













としくんさんとはユートピア避難小屋への分岐で分かれ、そのまま上宝珠越へと下って行く。

遅れ気味の時間を気にしてスピードを上げたいところだが、道は相変わらず倒木が多くてス

ピードはあまり上がらない。











中腹辺りまで掛った雲の下に大山から広がる緑の山裾が見えた。車を停めた辺りの建物も見

えるが、まだまだ随分と下の方に見える。崩壊地まで下って来るとさらに考霊山が正面に見

えた。そしてその奥には霞んではいるが名前の通り弓なりになった弓ケ浜が見える。










北壁はやはり全容を見せてはくれない。中腹の険しい岩肌と年々崩れていく石クズになった

沢。地形図には元谷沢、天狗沢、弥山沢と名前が載っているが、その地形が複雑すぎてどの

沢かはさっぱり分からない。










上宝珠越から中宝珠越も岩肌のロープ場や岩の間の道になっていてスピードは上がらない。

北壁は相変わらずだったが三鈷峰はガスが流れて午前よりはユートピア避難小屋とともに

綺麗に見えた。こちらも植生のある山肌はいいが、岩場の斜面は少しづつ崩れてきている

ように見える。













中宝珠越からの道はやはりブナの林が見事だった。けっして大きくはないがこれだけの数が

密集して並んでいるブナの尾根は見た事がない。










下宝珠越からは直進して宝珠山を目指す。流石に歩く人の数が今までと比べると少ないのか

足元が見えない程度に木々が茂っている。暑さ対策でズボンからショートパンツに最近切り

替えたので、枝葉が当たるタイツが破れはしないだろうかと気になる。宝珠山の山名札も同

じ様に朽ちて杭から落ちていた。今日三つ目のポイント。そういえばYAMAPのポイント

は三ヵ所だったが、その内のひとつも三角点ではないのも珍しい。







宝珠山からは下り一辺倒。最初は先ほどと同じようなブナ林。その内に笹が道を覆うように

なり、その笹道を抜けると一気に視界が広がった。中の原スキー場の最上部のリフトに出た。

冬場のスキーシーズンはここでリフトを降りて滑り始める場所だ。そのスキーで何度も来た

事のある場所だが、夏場のこの時期は初めて。その開放感に『ウォ~!』と声が出た。











正面には豪円山、その奥に考霊山。そして更にその奥には弓ケ浜。大山北壁は駐車場からし

かその姿は見ることが出来なかったが、この景色でそれも帳消し。素晴らしいの一言に尽き

る。それじゃボーゲン?パラレル?で下って行きましょう!













下草はそれほど伸びていなくて歩きやすかったが、それでも一直線の下り。しばらくすると

登山靴の中の指先が痛み始めた。ついでに膝と腰も・・・・・。










計画では最長7時間と読んでいたが、結局30分ほどオーバーして駐車場に着いた。やはり

途中で散々花の写真を撮っていたせいかな?着いた駐車場では直ぐに靴を脱ぎ、汗でびっし

ょり濡れた服を着替えて帰路につく。もちろん途中の蒜山SAでソフトクリームを食べたの

は言うまでもない。

奥様たちを坂出で降ろして自宅へと高速を走っていると、サイドミラーには陽が落ちた夕焼

けの空が写っていた。朝焼けから夕焼け。今日も一日よく遊びました!





他に見かけた花たち(一応調べたつもりですが間違ってたら・・・・ゴメンなさい)

ウツギ



ホツツジ



トキショウマ



トチバナニンジン



シモツケ



ダイセンオトギリ


お久しぶりの大山、そして初めての三ノ沢ルート

2023年06月17日 | 四国外の山


『線で繋ぐ石鎚山から引地山』で弥山から二ノ森へ歩いた時に、西ノ冠山の辺りで

数輪咲いているイワカガミを見つけて三人で喜んだ。

それが6月の初旬にエントツ山さんとアカリプタさんがYAMAPにアップした

大山三ノ沢の活動日記には、尾根近くの斜面一面にコメツツジとイワカガミが

びっしりと咲いた写真が載っていた。『なんじゃ~これは??』と目が点に!。

さっそく奥様たちに『天空のお花畑』のお誘いをすると、もちろん即OK。

ただエントツ山さん達が出かけて以降の天気が、梅雨らしいといえば梅雨らしい

ぐずついた天気が続き、出かけるのに二の足を踏んでいたのと同時に、お花は

まだ大丈夫だろうか?と心配する日々が続いた。

今週は木曜日までそんな天気が続き、金曜日にやっと天気が回復した。

降雨の後の大山がガスがかかっていないかが気がかりだったが、仕事の都合も

あって今日しか出かけられないので、意を決して・・・・!





坂出で奥様たちと待ち合わせをして高速道路を一路蒜山ICを目指す。途中の

中国山地辺りでは曇り空からポツリポツリと雨が。蒜山SAでトイレを済ませたが、

やはり蒜山・大山は雲がかかって姿が見えない。車に乗り込む前に頭の上の雲を

じっと眺めると、雲は西から東へと流れている。この調子で雲が流れてしまう事を

願いながら高速を降りて、大山環状道路を走ってスタート地点となる文殊堂に着いた。




文殊堂の横の駐車場は平日にかかわらず満車状態。『みんな考えることは同じかな?』と

思いながら、文殊堂の後ろの少し路肩が広くなった場所に移動して車を停める。

まわりはやはり霧がかかって薄暗い。




その霧のせいもあってか、少し肌寒かったが、時間が経てば陽が照ってくるのを

願いながら、三ノ沢の右岸に造られた工事用の道を歩いて行く。

右手に砂防ダムを見ながら登って行くと、道の左側に工事現場の小屋と工事の人の

車が数台停まっていた。道の正面は立ち入り禁止の標識とロープが張られていたが、

なぜか立入禁止と書いた矢印の方向にはロープは張られていなかった。








その矢印通りに樹林帯の中へと進んで行く。しばらく歩くと砂防ダムの際にでた。

そこから砂防ダムの上手に降り、河原についた踏み跡を辿りながら今度は左岸へ。










左岸に渡ると自然林の中の道になる。気のせいか四国の山とは周りの木々も林床の

植生も少し違って見えた。足元に今日初めてのダイセンクワガタみ~っけ!







樹林帯を抜けると最上部の大きな突堤の足元に出た。ここでまた今度は右岸に渡り、

突堤のコンクリートにロープがかかった斜面を登って行く。











コンクリートの斜面を登り、タニウツギの咲く突堤の脇を抜けていくとまた

岩や石が堆積した広い沢に出る。ここから見上げると千畳敷カール涸沢カール

ような景色が見られるはずだったが、残念だが稜線をうす暗い雲が覆い隠していた。

この沢の最上部になるゴルジェの様な場所には、白い塊が見えた。大山の南壁にある

沢だが、まだ雪が残っているようだ。











沢の踏み跡を辿りながら一旦右手の中州の様な灌木帯の中へ入って行く。この頃には

汗のせいなのか霧のせいなのか、シャツがしっとりと濡れている。














灌木帯からまたゴロゴロ石の斜面に出る。ザレた斜面は踏み出すたびにズル・ズルと

足が後ろに滑って歩きづらい。ここでも踏み跡を辿りながら右の灌木帯へと登って行く。

前を行く岡山から来たという男女のペアは、このルートにも何度も来ているようで、

途中で色々と話をすると私たちと同じようで、やはりぐずついた天気が続いて

いたので、やっと今日の天気を待って出かけてきたそうだ。ここからが沢から

離れて尾根への取付きとなる。



















ザレ場から岩肌になると今日初めてのイワカガミ。先ほどの女性に『この辺りからが

群生地になるのかな?』と尋ねると、『もっと上の方よ』と教えてくれる。

ポツリポツリとマイズルソウも姿を現し次始めた。













すると今度は霧の雫と同じくらい小さなコメバツガザクラも目立ち始めた。

奥様たちもそんな可愛い天使たちの写真を撮るのに夢中だ。










更に今度はあちらこちらの岩肌にダイセンクワガタが群生していた。手前のイワカガミは

既に枯れていたけれど、ダイセンクワガタの群生を見られただけでも良かったねと。







霧は期待を裏切っていっこうに流れそうにもない。それどころか高度が上がるにつれて

益々濃くなっていっている。















険しい岩肌に咲く濡れたダイセンクワガタの群生に圧倒される。それに負けじと

高度が上がってくるとイワカガミもまだまだ咲いている。











最上部から尾根に近づくにつれイワカガミのピンクが目立ち始める。右を見ても

左を見てもピンク色の斜面。そして星屑の様な白いツガザクラがその周りを覆っている。















道の両脇に続くイワカガミの群生。尾根手前で少しだけ下ると独特な形と色をした

オダマキも咲いていた。この辺りから右に行くとキリン峠への道になる。








晴れていると目の前に槍ケ峰がデ~ンと構えているはずだが、そのシルエットが

辛うじてわかる程度だ。その槍ケ峰の足元を西にトラバースして巻いて行く。














槍ケ峰をトラバースすると初めて稜線に出た。槍ケ峰は岩を積み上げたような岩稜。

その尾根は足を踏み出しただけで崩れていきそうだ。ここから西に向かって稜線を

歩くと最初のピークが三ケ峰となる。相変わらずの霧のお陰で、両側が切れ落ちている

場所もさして高度感も恐怖心も湧かずに通過できた。











三ケ峰山頂では先ほどのペアが腰を降ろして休んでいた。お二人は剣ケ峰へは

行かずにここで引き返すという。『以前は平気だったけれど、最近は無理をしない』と

言っている。それを聞いたルリちゃんもここまでにすると言っている。もちろん

あっちゃんは行く気満々!

時間は11時ジャスト。12時までには帰ってくるとルリちゃんに約束をして、あっちゃんと

二人で先ずは天狗ケ峰へと一旦三ケ峰山頂から下って行く。ここまでも、そして

ここからも道の脇に小さな小さなマイズルソウがあちらこちらで咲いていた。








稜線の痩せ尾根は何度も歩いた事はあるが、ここの稜線は今にも崩れそうな

危うい場所が何ヵ所かあった。ただ想像していたよりは道が踏み固められていて

歩きやすかった。ただこれも霧がなく晴れ間の下ではもっと怖かったかもしれない。







天狗ケ峰は山名標もないので気づかずに通り過ぎてしまったようだ。剣ケ峰

近づいてくると、稜線の北側は草木が生え、南側は切れ落ちた道。草木があると

気分的に少しは楽になるが、気をつけないとその根っこに躓いたりする。











剣ケ峰山頂手前は稜線から北側を巻いて行く。そして樹林帯を抜けると『あら、山頂?』。

山頂では女性が独りで休んでいた。『こんにちは!』とあいさつをした後、コンクリートの

モニュメントで記念撮影をすると、その女性が『そちら側は遭難の碑になっているから

反対側で写した方がいいわよ!』と教えてくれた。確かに反対側には剣ケ峰の山名が

刻まれていた。山頂では霧が流れて一瞬だが青空も見えた。その女性も何度も大山には

登っているようで、色々と話を聞くことができた。そして大山最高峰に立つ事ができた。

ここから見えるはずの360度の眺望は残念だが今回は見ることが出来なかったが、

槍ケ峰から剣ケ峰へのルートも後何年かすれば崩落するかもしれず、そうなると

大山最高峰のこの場所に立つ事は二度とできなくなる。そう思うと感慨深かった。
















さあ山頂を踏んで満足した後はルリちゃんの待つ三ケ峰へと折り返していこう。

三ケ峰で話をした女性が『剣ケ峰への登りはいいけど、下りがザレて危ないから』と

言っていたが、今日はそのザレた場所も湿っていて、乾ききったザレ場よりも

思ったよりも歩きやすかった。









ただ一度動画を撮っていて足が滑って尻もちをついてしまって冷や汗がでた。

この痩せ尾根は今にも崩れそうだった



















あっちゃんは剣ケ峰で話をした女性に、花の名前を教えてもらいながら歩いて

来ている。途中では前から来るソロの女性とすれ違い、三ケ峰の山頂では別の

ソロの女性がルリちゃんと話し込んでいた。それにしても平日にソロの女性が

意外と多い。しかもその女性たちはこの山に何度も足を運んで、山にも花にも

詳しい。今日のような周りが何も見えない霧の中を歩いてみても、この大山が

多くの女性を魅了しているのが何となく分かった。

時間は12時。少し風が冷たいがこの三ケ峰でお昼ご飯にする。














帰りの下りは、登りに比べると霧が少し流れてイワカガミの群生が更に色濃く見えた。

途中まだ登ってきている何人かの人達とすれ違う。そのどの人も大きな一眼レフを

抱えて歩いている。やはりお花畑がお目当ての様だ。














麓の霧も流れて少しの間だが三ノ沢の全容が見渡せた。そして振り返ると槍ケ峰の

山容も初めて確認できた。剣ケ峰からの折り返しですれ違った女性が降りてきている。


















それにしても景色以上に花の写真をこれだけ撮ったのは久しぶりかもしれない。














三ノ沢の霧は刻々と流れて周りの景色を変えていく。三ノ沢の奥は二ノ沢だろうか。

同じように南壁に向かって白い線が延びている。そんな移り変わる景色を先ほどの

女性も何度も立ち止まってはカメラに収めている。














灌木の中の道もザレていて歩きづらい。注意深く下って行かないと簡単に足を滑らせる。

途中であっちゃんと二人で灌木の中から飛び出し、石屑でザレた沢を下って行く。

足を踏み出すと2~3mはズ・ズッと滑って行く。まるでスキーをしているような

感覚で下って行くのが楽しい。




















振り返ると朝方はガスがかかって全く見えなかった稜線が見渡せるようになった。

やはりこうしてみるとプチカールに見える。プチとはいえ四国には無いスケール感だ。
















往路とは反対に右岸から左岸に、そして最後は右岸へと歩いて行く。森では今年

初めて聞くカッコウの鳴く声が鳴り響いていた。

















奥様たちも途中で何度も立ち止まって、最後に草花を写しながらのんびりと歩いている。

三ケ峰からは1時間40分ほどで文殊堂に着いた。










帰り道、鍵掛峠展望台には大勢の人達が車を停めて、南壁の写真を撮ろうとしていた。

私たちも暫くの間待ったが結局雲が流れて大山の全容が見られることはなかったが、

その雰囲気だけでも感じることができた。さらに走った所の御机みつめの棚田でも

同じように雲がかかっていたが、それでも大山のスケール感には三人が虜になった。

来年は晴れた日にもう一度三ノ沢を登って天空のお花畑に出かけようと奥様たちと

話をする。その前に、7月にユートピア小屋のお花畑にも!











最後に貴重な花たち

コケイラン


クゲヌマラン


ノビネチドリ


ノビネチドリ

WOC登山部2021.03.31 雪彦山

2021年04月02日 | 四国外の山



今日のWOC登山部は四国を出て兵庫の山に出かけてきた。

以前からその独特な山容に目を奪われ、いつかは登ってみたいと

思っていた雪彦山は、弥彦山(新潟県)、英彦山(福岡・大分)

と共に日本三彦山のうちのひとつで、古くから修験道の地として知られている山だ。

少し前に神戸支部長の山じいに『雪彦山は登った事はありますか?』

と尋ねると、既登の山だと返事が返って来た。

二週間ほど前に計画段階になって、『31日にWOCで登ろうと思っています』と

メッセージを送ると、『神戸支部は明後日に登ろうと思っています』と返信が来た。

『せっかくなら、予定を変更して合流しませんか?』と尋ねたら、

神戸支部(男性1名・女性3名)の中では支部長にもかかわらず

意外と立場の弱い山じいから『一応、提案してみます』と

弱腰の返事が返ってきたので、『武運をお祈りします!』(笑)と返した。


幸いにも直前の提案にも関わらず、快く提案を聞き入れてくれた神戸支部と

めでたく今回は交流会となり、香川からは7名で雪彦山を目指した。

姫路西ICで高速を降り、県道67号線を北上すると、夢前川沿いの土手には

丁度見頃を迎えたソメイヨシノが咲き誇っていた。雪彦山の登山口にはほぼ

予定通りの9時に到着。丸亀からは3時間の道のりだった。

既に到着していた神戸支部のメンバーが、駐車場のスペースを1台分

確保していてくれていて、我々が車を停めるとほぼ満車となった。

平日にもかかわらず、さすが関西100名山の雪彦山は人気の山の様だ。







今日のリーダーの山じいから予定しているコースの説明の後、

駐車場から少し上のバンガローの横の階段から取り付くと、いきなりの急登が始まる。

階段が終わると岩がゴロゴロした場所の登り。













そのゴロゴロ坂が終わると、寒風茶屋から桑瀬峠への最初の急登の様な木の根の道になる。

30分ほど息を切らせて登って行くとヒカゲツツジが尾根の右側のあちらこちらで

目につくようになり、目の前が開けたと思ったら、展望岩と書かれた場所で、

写真で見た大天井岳がで~んとその雄姿を我々の前に見せてくれた。

『大天井岳はどう読むんだろうね?』はるちゃん

『北アルプスの大天井岳はおてんしょうだけですよね』と私。



















展望岩でこれから登る尖った岩峰の大天井岳を眺めながら小休止した後、

修験道の山らしい行者堂跡を通過し、杉の木に大きく書かれた『ガンバレ』

書かれたメッセージに励まされながら登って行くと、露岩が点在する道になる。

岩には赤いペンキで矢印が書かれていて、その矢印に沿って右に左にと進んで行く。













登りから少しトラバース気味になると、少し段差のある岩があり、

ロープを使って慎重に降りる。










ロープで降りるとザレたトラバース。ここも難なくメンバーも通過し、

更に岩場を登って行くと、出雲岩と書かれた、オーバーハングした巨岩の真下に着いた。

四国の山でもいろんな場所で岩壁を目にする事はあるが、ここまで巨岩が覆いかぶさるように

して迫力のある場所はなかなかない。ここで神戸支部のメンバーの記念撮影。

この出雲岩にはけっこうな数のハーケンが撃ち込まれている。

この山は関西でも人気のロッククライミングの山で、この出雲岩も

その内のルートのひとつらしいらしいが、何を好き好んで、

こんな場所を登ろうとするのか、素人には理解できない。










出雲岩を過ぎるといよいよ鎖場が始まる。先ずは岩と岩の間が細い溝のようになった場所に

鎖がかかっていて、ここでは足掛かりと体の向きが肝心になってきて

少し戸惑う人とすんなり登って行く人に分かれた。







太い鎖よりも一緒にあるクライミングロープを使った方が登りやすく、

キョウちゃんに『ロープの方が登りやすいよ!』と教えてあげる。

後に続くルリちゃんも同じようにして登って来た







急登や岩場が続くので、何だかさっきからなおちゃん

お尻ばかり撮っているような気がする。








この鎖場を過ぎるとしばらくまた木の根の坂。太い木の根は足がかりになって

手足を使っていくと問題なく登って行ける。







木の根坂を越えると覗き岩と書かれたまた展望台に出た。

岩の先から見下ろすと車で走って来た夢前川沿いの集落と道が見える。

昨日・一昨日と大量の黄砂で、香川県内でも霞んだようになっていたが、

今日はそれに比べると随分とマシなようだ。







展望台を過ぎると今度はセリ岩なる岩と岩の狭い間を潜り抜ける場所があった。

迂回路もあるが、ほとんどの人は興味本位でここを通り抜けるだろう。

ただ杉ちゃんには無理かなと、麺法師さん。(笑)

線の細いはずのひろりんは、ザックに仕舞ったストックが引っ掛かって

なかなか出てこれず右往左往している。大きめのザックで来たやまじいやIRIBITOさん

やはりザックを降ろして何とか通過した。













セリ岩を通過すると、所々で鎖がかかった山頂からの岩峰になる。










素麺流しが出来そうな岩の溝に鎖が掛った場所も、神戸支部のお嬢様方?は

手慣れた手つき足つきで登って行っている。










素麺流しの鎖場を登るとちょっとした展望岩があった。

やっぱりここでもあっちゃんが岩の上に登ってポーズをとっていた。




次に馬の背と書かれた尖った岩が連なる場所があるが、

周りには木々があり岩自体の高さもなく高度感もあまりない。ここも巻き道があるので

あっちゃん以外は当然の事、馬の背の横を通り抜けていた。







山頂が近づくとタムシバの白い花が目につくようになった。

そのタムシバに目移りしながら更に岩を登って行くと大天井岳に着いた。

ただしこの山頂標には雪彦岳と書かれていて

その下に消えかけたマジックで大天井岳と書いてある。

旧夢前町(現在は姫路市に合併)は、雪彦山の定義として、「洞ケ岳」(811m)、

「鉾立山」(950m)、「三辻山」(915m)の総称であると定義し、「洞ケ岳」山頂にもそのように

表記していた。国土地理院発行の2万5千分の1地図等では、三辻山を「雪彦山」として、

二等三角点を置いている。また、登山案内の多くでは、「大天井岳」、「不行岳」、「三峰岳」、

「地蔵岳」等の岩峰から構成される「洞ケ岳」の最高峰である「大天井岳」(標高811m)を

雪彦山と看做しているという。何だか香川の七宝山のように本当の山頂がどこなのか

とても分かりづらいのが雪彦山なのだ。










山頂からは南に眺望が開けていて七宝山や明神山などが見渡せた。




メンバーが揃うまでザックを降ろして大休憩。周りにも腰を降ろして

食事をしたり寛いでいる数組の人たちの姿があった。

休憩した後は我々が雪彦山と思っている三角点を目指して先ずは下って行く。

向かいの山肌はタムシバで白い斜面になって見える。










途中にある天狗岩を仰ぎ見ながら進んで行くと

今までと全く雰囲気の違う杉林になった。木漏れ日の杉林の中を歩いて行くと

前から赤いシャツを着た三人組が目に入った。ジロさん、さおりん、ゆかりんじゃないですか!










実を言うとこの三人が今日八の字コースで回るとゆかりんから連絡が入っていた。

八の字コースと周回コースなら、途中で会えるかもしれんね?と話していた通りになった。

ジロさんたちは既に上級者コースの地蔵岳への鎖場を下って、鉾立山・雪彦山に登り、

あとは新道を下って帰るだけだと言う。するとゆかりんが地蔵岳への道がスリルもあって

素晴らしかったとしきりに言うので、それを聞いたあっちゃんの我慢の糸が切れた。

車中でも登っている途中でも度々、『今日は八の字コースへは行かんの?』と聞いてくるので

『ダメです!今日は地蔵岳へは行きません!』と何とか押さえつけていたのに・・・・!

ところがジロさんが、『もう一度地蔵岳への鎖場を下っても良いですよ!』と救いの手を

差し伸べてくれた途端に、あっちゃんの目がキラリと光り、『ハイ!行きます!』と手を挙げた。

あっちゃんにとっては次に行く三角点や山頂よりも、とにかく岩・鎖・スリルなのだ。

仕方がないので離脱を黙認し、駐車場でメンバーが着くまで待っているようにと

リードと首輪を外して解き放った。まあこれで、今後会うたびに『地蔵岳へ行きたかったのに』と

愚痴を聞かされずに済んだのは、こちらにとっても幸いだった。((笑)







雪彦山の山頂へも杉林の登りが続いていく。メンバーからは頻りに

『お腹が減った!』の声が上がり始めると、雪彦山三角点に着いた。










山頂は三角点があるだけで木々に囲まれて見晴らしはなく、ここで暫しの休憩と昼食にする。

30分休憩した後、次の鉾立山へと歩いて行く。







雪彦山から鉾立山へ一旦下って登り返しの杉林の中の道。

登山開始から休憩時間も含めると4時間弱で鉾立山に到着した。













鉾立山山頂は北の方向に木々の間から中国地方の山々が見渡せた。

遠くに見える氷ノ山はまだ雪を抱いている。










鉾立山からは最終のジャンクションピークに向かう。

ジャンクションピークからは三辻山への道と虹ケ滝への分岐となっている。




ジャンクションピークから虹ケ滝への道を下って行くと、一旦明るい南側の眺望が開け、

林道整備のための広場を横切ると、今度は薄暗い杉林の中の急坂となる。














ここで責を切ったように山じいとセニョさんが猛スピード下って行き、

あっという間に姿が見えなくなった。先ほど鉾立山でセニョさんに『古希の二人で写真を撮って』と

頼まれたが、どうやら古希の二人が張り合ってスピードを上げているようだ。

『古希・古希の二人が張り合っているわ』と言うと、『私の膝はコキコキやわ』と声がした。







ゆかりんが擦れちがった時に、こちらの道は平凡でつまらないと言っていたが、

あまり見た事もない苔の生えた大量の杉の倒木や、その倒木に新しい芽が

生えた始めた苔を見ながら歩いて行くのも楽しい。










倒木の杉林をさらに下って行くと小さな沢を何度か渡渉する。

谷の幅が広がってくると石垣が現れた。こんな山中で石垣があると言う事は

古くから修験道の道として造られ使われていたのだろうか。

石垣の上でメンバーを待つ古希二人!(笑)










沢沿いの道を進んで行くと度々女性陣が立ち止まり、小さな小さな花を写真に撮っている。

次第に沢の水の流れは大きくなり、時々段差で滝となって流れている。




















虹ケ滝の手前で、右側に標識と岩に書かれた赤い矢印、そして鎖が垂れていた。

ここからが地蔵岳への道となる。あっちゃんたちはどのくらい前にここを下って来たのだろうか?













虹ケ滝からは石垣の道が続いていた。そして何度か大きな岩を渡っての渡渉となる。

ここでドボンしたらと慎重になる。渡渉が終わるとしばらくまた石垣の道が続きいて行く。
















すると今日最後の急登目の前に現れる。鉾立山では山じいが『ここからは下りだけや~』と

言っていたのに。疲れた足に急登が随分と堪える。




急登が終わると本当にあとは下るだけ。登山口が近づいてくると

メンバーの足取りも軽くなりスピードも上がって来た。

道の脇にはミツマタが群生している。







ミツマタの群生地からほどなく砂防ダムに着いた。この砂防ダムは初めて見る形で

中央部分が鉄の格子状になっていてまるでジャングルジムの様だ。

解説によるとこの谷は流速が早く、上流にある巨石が流れ出ないようにしている

独特な構造になっている。







砂防ダムからは直ぐに駐車場に着いた。駐車場では山じいの車のキーを預かったあっちゃんが

待ちきれず車の中で口をポカンと開けて眠っていた。(笑)


メンバーが全員揃ったところでお湯を沸かしていつものコーヒータイム。

勝手が違ってバーナーとクッカーの外し方が判らず苦戦する古希二人(しつこい)











ちなみに地蔵岳へと下って行ったニコニコ顔で満足気なあっちゃん。








念願の雪彦山は木の根の急登に巨岩と岩峰、鎖場。そして苔の杉林の急坂と沢沿いの道と

予想以上に色々な表情の道を楽しめた大満足の山だった。


今日のトラック



今日の3Dトラック


WOC登山部2020.12.02 鬼ケ城山

2020年12月04日 | 四国外の山


今年も残すところ残り一ケ月となった。そろそろ県外の山から県内の

里山歩きになる季節。さてさてどこに出かけようかと考えていると、

むらくもさんとピオーネさんが岡山県の総社市の鬼ケ城山

歩いているレポートが目についた。麺法師さんにも、そのレポートのページを

リンクを貼って案内すると、『ぜひ、出かけてみましょう』と即、返事が返ってきた。

鬼ケ城は大和朝廷によって国の防衛の為に築かれたとされる古代山城で『日本100名城』のひとつ。

その鬼ケ城山の近くには犬墓山と少し離れて登龍山

二つの三角点があり、それらの山を巡って周回できるコースがある。

これなら、三角点マニアのセニョさんも食いついてくるだろうと思って

案内を出すと、さっそく『参加します!』と返事が返ってきた。


高速を総社ICで降り鬼ケ城ビジターセンターを目指す。砂川公園からは離合も難しい幅の狭い

登坂が続いていたが、丸亀からでも意外と近く約70kmでビジターセンターに着いた。

駐車場には1台車が停まっていて、登山服姿の男女が身支度をしていた。

時間的にはまだ早いので、先ずは犬墓山を目指し鬼ケ城山でお昼の時間になるように

時計回りに周回していくことにする。




ビジターセンターの道路の反対側に犬墓山の登山口があり、階段上になった道を登って行く。

『先週の御在所山の石段に比べたら楽勝ですね!』などと言いながら、麺法師さんを先頭に

歩いて行くと、階段は直ぐに終わって、里山らしい花崗土と小さな花崗岩が露出した尾根道になる。
















しばらく尾根道を進んで行くと道の脇に大きな露岩があり、そこからは鬼ケ城を見下ろせ、

鬼ケ城の西門の奥には朝靄がかかった総社市の里山の幻想的な風景が広がっていた。










その鬼ケ城山から視線を左に移すと、まだ彩を残す緩やかな山裾が広がる山々。




その展望岩からしばらく歩くと犬墓山に着いた。『あれ?もう山頂』とセニョさんがひと言。

先週に比べると、意外と早く簡単に三角点をゲットできたセニョさん。










ここからの道は所々で巨岩が点在しいく。鬼が手刀で真っ二つに割ったような不思議な形をした岩や、

方位岩汐差岩と名付けられた奇岩の数々。その度に立ち止まったり、岩の上に登ってみたりする。













汐差岩も先ほどの岩と同じようにスッパリと鉈ででも切られたように割れている。

花崗岩は規則正しい割れ方をするようで、ここだけではなく他の山でもきれいに割れた

岩の形はよく目にする事がある。そんな不思議な形から色々な伝説が生まれたり、

それに合わせた岩の名前が付けられたりする。







途中にある案内標識には馬頭観音の名が書かれているが、

その馬頭観音は今まで道の脇に点在していた弘法大師と観音様の石仏と同じような

二体並んだ石仏で、それまでの仰々しい案内標識の割にはその石仏の前に案内板はなく、

よくよく見ないとその馬頭を見逃しそうになる。







馬頭観音を過ぎると道の北側の少し下った所に屏風岩

正面や脇から見てもどうも屏風には見えない。正面に少し登れそうな岩肌があり、

それを見たあっちゃんが登りたそうにするので、

先に私が登って見せたが、足がかりのない岩に、さすがのあっちゃんも登れず途中であきらめた。







屏風岩の次には岩の上部が平らになった八畳岩は、

『こんなに広いのに八畳どころではないよね!』とメンバーが口を揃えて言っている。

八畳岩から少し歩くと道の北側に樹木がなくなり、吉備高原への山並みが続いている。







ここからの奇岩は鬼のもちつき岩鬼の酒盛り岩と鬼の岩シリーズが続いていく。

鬼が腰掛て酒盛りをしていた様な二つの椅子の様な岩とテーブルの様な岩の酒盛り岩から

少し下って行くと広場になった場所に出た。











鬼の差し上げ岩と名付けられた巨岩は、温羅(うら)が岩屋を造る際に

岩を持ち上げ天井にしたという伝説が残る巨岩で、岡山県では最大規模の巨岩の遺構だそうだ。











その温羅とは、この吉備地方を統治していた伝承上の鬼で、朝廷から派遣された吉備津彦に退治されたという。

この鬼の差し上げ岩の脇には岩屋寺の毘沙門堂がひっそりと巨岩のを背に佇んでいた。




毘沙門堂の前の石段を下ると今は無住となった小さな本堂の観音堂があった。

本堂の大きさの割にはその境内の前には立派な石垣があり、盛時の面影を残している。

石垣の周りでは、今年は最後になるかもしれないモミジの彩を束の間楽しんだ。










岩屋寺から次に実僧坊山を目指すが、本堂の脇の道から

登ったり降りたり、元の道に戻ったりと少し右往左往をしてしまう。




道にはたっぷりと落ち葉が積もり、これからくる寒い冬の訪れを感じながら、

鬼の昼寝岩への分岐を更に進んで行くと、後ろから麺法師さんと

ひなちゃんの姿が見えないのに気づく。『お~い!』と呼んでも返事が返ってこない。

登坂の途中でやっさんもセニョさんもあっちゃんも、呼びかけるだけで

動こうとしないの(笑い)。仕方がないので度々呼びかけながら戻ってみるとその内に返事が返ってきた。

どうやら二人は昼寝岩まで行ってしまったようだ。二人と合流して実僧坊山へと登って行く。

里山らしい雑木の中の道を登りながら、『こんな所まではまさかキティー山岳会のプレートは無いわな~』と

セニョさんと話をしながら登って行くと山頂に着いた。

実僧坊山は樹木に囲まれ展望もなく、ポツンと岩がある寂しげな山頂だった。










ところが岩の脇の木に、なんと!、キティちゃんのプレートがあるではないですか。

ん?でも何かおかしい。プレートには登龍山と書かれている。

地形図ではこの先にある山が登龍山になっているのに。でも、あのキティーちゃんが間違えるなんて・・・?。

三角点も次のピークが点名:登龍山になっているし、などとセニョさんと疑問を残しながら

次の山へと歩いて行く。




登龍山?であろうピークの手前には見晴らしの良い展望岩があった。










取りあえず山頂の三角点で今日、二つ目のポケモンをゲットしたセニョさん。

少し広場になった場所には何故か可愛らしい鯉のぼりがあり、周りをウロウロ探して見ると

あったあった!キティちゃん!でもやっぱりこちらが実僧坊山と書かれている。

『弘法も筆の誤りならぬ、キティちゃんも筆の誤り?』『これは鬼の錯乱か?』などと言いながらも

やはりモヤモヤとした疑問が残ったままで、山頂を後に登って来た道を引き返す。










分岐まで戻り更に先に進んで行くと、先ほど逸れた麺法師さんとひなちゃんが待っていた

鬼の昼寝岩に着いた。今度はセニョさんが岩登りにチャレンジした。










この昼寝岩で鬼シリーズの奇岩は終わり、幅の広い落ち葉道を進んで行き立派な石垣の民家の

横を通ると集落の明るい里道に出た。里道の脇には岩屋の大桜の案内板があり、

案内板に従って歩いて行くと、広場にはそれはそれは立派な背の高い桜の巨木が、

すっかりと葉を落とし、少し寒そうに立っていた。










この桜が満開の時にまた見に来たいね、などと話をしながらまた集落の中の里道を

進んで行くと、トイレのある岩屋の休憩所に着いた。ここでしばらくトイレ休憩。




休憩所からは鬼ケ城の案内板に沿って少し下って行くと茅原に出た。青空が広がり

明るい陽光に、ススキの穂が輝いている。休憩所からの道は中国自然歩道になっていて

全長2,300kmにも及ぶ自然歩道の吉備路ルートの中の古代山城を尋ねるみちの一部。

四国で言えば四国のみちみたいな感じだ。







一旦、車道を横断し自然の道は鬼ケ城への山道へとなっていく。次第に羊歯の生い茂る

里山によくある登坂にセニョさんが、『もう、下りの脚になってたからしんどいな~』と。

あっちゃんが『お腹が空いた~』と騒がしくなってきた。







もう少しですからと、騙しだまし登って行くと石積みと敷石の遺構に出た。

北門跡と書かれた場所は、鬼ケ城の背面にあり、裏門にあたる門。







北門跡からの尾根道を歩いて行くと南側が緩やかに斜面になった東屋のある広場に出た。

南に広がる景色を眺めながらここでお昼ご飯にする。







東屋の横でお弁当を広げると、風もなく青空の下のポカポカの陽気に

のんびりとした時間が過ぎていき、何とも言えない穏やかな気持ちになる。










そんな中で食事を終えたセニョさんがウロウロとしている。地形図にある397mの標高点を

探しているのだが、どこを探しても見つからない。

いつになくゆっくりとお昼ご飯を済まし、東屋から少し下って行くと復元された巨大な

西門の遺構にでた。高さ6m近くある城壁は石垣の上に土塁が築かれ、復元された西門の

建築様式と相まって、どこか異国情緒を感じる場所だった。







建物には登れないがその下の門をくぐるとその土塁の巨大さがよく判る。

飛鳥時代のとき白村江の戦い(はくそんこう)にて百済復活のため大和朝廷は援軍を出したが、

大和朝廷との連合軍は敗北し、唐・新羅(しらぎ)の連合軍が日本に侵攻してくることが想定され、

そのため大和朝廷は倭(日本)の防衛のため、西日本各地に大きな城を造営した、

そのうちの一つが鬼ノ城(鬼城山城)だとされている。各地の山城は百済から逃れてきた

百済人の協力を得て築城したとされているが、人の手だけでそのエネルギーたるや

凄まじさを感じずにはいられない。














すぐ横にある角楼跡も展望台になっていて、総社市の街並みが見下ろせる。










角楼跡から南西に見える展望台に寄り道してみる。この展望台からは鬼ケ城で検索すると

必ず出てくる写真のビューポイントになっていた。










展望台から駐車場まで戻ると、平日にも関わらず観光客の車がたくさん停まっていた。

時間はまだ13時過ぎ。今日の予定にはないが、少し欲張って西門から見えた

南にある経山にも登ってみることにする。

ビジターセンターから車で少し下って、離合のできるスペースに車を停めて

経山城跡の道標のある登山口から登って行く。




標高差は100mもない登山道を登って行くと15分ほどで山頂に着いた。

今日はこれで三つの三角点をゲットでき大漁の日となった。







経山を下る途中で麺法師さんが、まだ時間がるので最上稲荷に寄ってみませんか

と提案され、車に乗り込み向かって行く。

日本三大稲荷の最上稲荷は、正月には大勢の初詣客で賑わうが駐車場には一台も車が停まっていなかった。

仁王門まで続く参道の門前町の土産屋や飲食店もほとんど閉まっていている中を歩いて行くと、

近代的な石造りの仁王門。さらに石段を登って行くと立派な社殿が目の前に現れた。













広い境内にも人影はまばらで、取りあえず本堂で商売繁盛をお祈りし、

廻りにある史跡を散策した後、車に乗り込み巨大な赤鳥居を潜って帰路についた。


里山らしい道と奇岩・巨岩や古代の史跡の伝承・伝説が至るところで残る神秘と謎の多い

コースだったが、今日一番のミステリーはキティーちゃんのプレートの入れ違いだった。

果たして本当の実僧坊山と登龍山どちらなのか、大きな宿題をもらった一日だった。







【今日のトラック】













WOC登山部2020.11.11 高清水トレール

2020年11月12日 | 四国外の山

今日は久しぶりに四国から離れ瀬戸大橋を渡って岡山へ。

ネットで見かけた鏡野町の観光案内には昨年全線開通した高清水トレール

紹介されていた。四季折々の様子を写したトレールコースには木のチップが敷き詰められ

特に秋の様子を収めたドローンで空中から撮影した動画は、錦に染まる山並みが

それはそれは素晴らしく、目が釘付けになった。




香川からは少し遠いけれど、この景色を一度は見てみたいと思って出かけてきた。

するとやまじいから『神戸支部の4名参加します!』と連絡があり、

スタート地点の人形峠で落ち合うことにした。

人形峠は昭和30年に日本で初めてウランの露頭鉱床が発見された場所で、

現在、峠には日本原子力研究開発機構の様々な施設が点在している。

施設の横の駐車場には神戸支部のメンバーが先に到着していて合流する。

初めての顔合わせなので自己紹介をして8時50分にスタート。







“高清水トレール”と書かれた大きな案内標からしばらくはコンクリート道を歩い行くと、

まだこの辺りは木々の色付きが残っているが、今年の紅葉のピークは例年よりずいぶん早いので、

更に標高の上がるトレールコースの稜線沿いの紅葉は期待できそうにない。




少し登ってコンクリート道の脇からいよいよトレールコースが始まると、

鏡野町のホームページに載っていた木のチップは雨で流れたのか風に飛ばされたのか

ほとんど残っていなくて、その面影はなかった。







標高が上がるにつれて予想した通り周りの木々の葉は落ちて、その代わり足元には

チップの代わりに落ち葉のふかふかの道になっていた。




最初に着いたのは高清水高原。高原らしく広々とした場所は

見晴らしも良く、ススキの穂が風に揺れている。







高清水高原からしばらくは遮るもののない高原の中の尾根道。

南には山裾にオレンジ色に染まる山肌が続いているのが見える。

あっちゃん、指さしても瓶ケ森までは見えませんよ!




高清水高原のなだらかな道から少し登りになると、自然林の林の中の道になる。

今は既に木々の葉は落ち寒々としているが、紅葉の頃だとさぞかし見ごたえがあることだろう。

キョウちゃんの誘いの声にポーズする女性陣。










緩やかな幅の広い階段状の道を登り詰めると、今日最初の三角点の大畝山に着いた。

少し手前の道の脇からは、西に大山や蒜山の山並みが見える。

三角点の前でご満悦のセニョさん










大畝山からもトレールコースらしい幅の広い整備された道が続いていく。

木々が途切れた場所からは日本海も望むことができる。

日本海が見えると、なんだかすごく遠くまで来た気持ちになる。










鞍部からまた緩やかな登りが始まるとブナの原生林の林の中の道になる。

この辺りも黄葉の頃にはとても素敵に道なるだろう。

先を行く山じいがなおちゃんに『ペースが速いよ!』と呼び止められる。













ブナの原生林が終わると御林山と書かれた案内標があった。

朴葉で可愛らしくポーズをするさおりんと遠慮気味に可愛らしくポーズするひろりん










御林山からの南側は木々が途切れ、また山裾の錦が広がっているのが見える。

人工林の杉の濃い緑とオレンジ色の紅葉のコントラストが素晴らしい。





次に着いたのは池川山。ここではなおちゃんのポーズが可愛らしい!




池川山からは一旦100mほど下ってまた登り返しが始まる。今日のコースの中では一番の急登?

登坂の先には展望台の三角屋根が見えている。登坂になると左膝の痛みと右の太ももの張りが気になりはじめ

いつも登りではマイペースで歩くひなちゃんについて行くのがやっとだ。
















展望台で大休憩をとることにする。陽が遮られた曇った空の下では立ち止まるとやはり肌寒い。

ダウンを着込んでいるのに痩せのセニョさんは『寒い、寒い!』と言っている。

展望所で行動食を口に入れて、水分を補給してまた歩き始める。










道の脇の植生が先ほどまでとはまた変わって、針葉樹と背の高い笹の茂る道になる。

足元はここ最近けっこう雨が降ったのか、まだ乾ききらずにぬかるんだ道になる。













ルリちゃんは今回登山部には2回目の参加で、この距離を歩くのは初めての

ご近所さんの長さんを気を使って、離れると時折戻っては一緒に歩いて話しかけている。




杉林の中の道になるとコースの道は陽が当たらず更にぬかるんでいて、

道を外して林の中を通って行くが、セニョさん一人は気にせず歩いてくる。

日陰の道は急に気温が下がった感じがする。すると後ろの方でゆかりん

『寒いね~』と言うと、それを聞いたやまじいが『暖めてあげようか』と言ったらしくて

『やまじいのセクハラ発言や~』と騒いでいる。

更にそれを聞いた神戸支部の女性陣から『若いからって、

私たちにはそんな事言われたことがないわ!』(; ・`д・´)

とブーイングの大炎上が始まった。やはりやまじいはエロじいに改名した方が良さそうだ。







杉林を抜けると、いよいよ今日最後の山頂の伯州山が近づいてくる。

このコースの山頂はどこも緩やかなのでピークといった雰囲気が全くしない。








伯州山からも大山の山並みが見えるが、ちょうど大山の頭には雲がかかり始めた。





今日最初の全員での記念撮影。




はるちゃんを含めて女性三人は生粋の神戸っ子。それに比べてほんとは三木市民のやまじいは

今回三木支部支部長に変更して、神戸支部長はひろりんを任命することにした(笑)




今回のメンバーとは初めての顔合わせになる長さんはまだ少し遠慮気味に

女性陣との距離が開いている。




今日はここから赤和瀬駐車場まで下ると、

今月いっぱい人形峠までの無料のシャトルバスが出ている。

ただその時間が13時と15時なので、13時のバスに乗り遅れると2時間も待つ事になるので、

ここでは昼食にせずに駐車場までおりてのお昼ご飯にする事にして、早々に山頂をあとにする。







赤和瀬駐車までの下りはまた自然林の中の道になる。見上げると木々の葉はすっかり落ちてしまっているが

代りに足元には落ち葉の錦秋が広がっている。







最初のなだらかな道を過ぎると、渓谷沿いの急な下りの道になる。

先ほどの杉林のぬかるみより、更にぬかるんだ道に何人かが足を滑らせている。







廻りの木々はすっかり葉を落としてしまっているが、標高が下がるにつれて所々で

きれいな彩が残っていて、道の横を流れる渓谷の水の音を聞きながら下って行く。




















途中で『熊、出没注意!』の看板を見て、熊に出会った時にどうしたらいいかと女性陣が

ああだこうだと言っている。その内に『誰か一人を生贄にして他の人が逃げるという手もある』と

言うので、『それじゃ、やまじいを生贄に差し出しましょう』と言うと

『やまじいは不味そうで、生贄にならんわよ!』と神戸支部の三人が口を揃える。

先ほどのセクハラ発言の仕返しのようだ。




渓谷沿いの急な道が終わると、あとは緩やかな道が続いていく。周りもどんどん錦が広がり初め、

女性陣も世間話に花が咲いているようだ。













伯州山から45分ほどで赤和瀬駐車場についた。幸いシャトルバスの姿はまだなく、

代りにモンベルのバスツアーのバスが停まっていた。

未だ時間は12時過ぎ。バスを待つ間ここで腰を降ろしてお昼ご飯にする。







お昼ご飯を食べ終えると直ぐに肌寒くなってきた。幸いシャトルバスが早めに来たので

バスに乗せてもらって暖をとることにする。26名乗りのバスは次々と

山から下りて来る人たちですぐに満員になってしまう。乗り遅れた人たちはこの場所で

2時間も待つことになってしまっている。山頂で食事をとらずに先に山から下って来て正解だった。







赤和瀬駐車場からバスは山間の道をほぼピークに近い錦秋のなかを走って人形峠に戻ってきた。

峠の広場で恒例のIRIBITOさんのお店のコーヒーを頂く。

いつもIRIBITOさんのジェットボイルでお湯を沸かすのだが、今日はやまじいも新しく買った

ジェットボイルを持参。人数が多いので二つで沸かすと早くて助かる。











美味しいコーヒーを頂いた後、帰り道にある奥津渓に寄り道してみる。

好井川沿いの道は今週いっぱい一方通行になっていて、道の脇の路肩には赤いコーンが並べられて

車が駐車できないようにしてあった。速度を落としてゆっくりと走って行くと、大釣橋の先に

車を停めるスペースがあり、何とか駐車できることができた。

西日本屈指の紅葉スポットと言われているだけあって、平日にも関わらず大勢の人で賑わっていた。

透明度バツグンの好井川沿いに真っ赤なモミジやグラデーションのモミジの錦秋。







若い女性達はインスタ映えする景色を写真に収めようと、

賑やかに楽しそうにいろんなポーズで自撮り写真をとっている。

最後に錦のトンネルを潜り、車を停めた場所まで戻って今年一番の錦を目に焼き付けて帰路についた。













今日のトラック