KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

WOC登山部2022.07.27 西行法師の道

2022年07月28日 | 香川の里山
今週は奥様たちがお休みなので、さてさて一人でどこに出かけようかと一週間前から

考えていた。二人がいないのでは『線で繋ぐ石鎚山~剣山』のルートも歩けない。

抜け駆けしようものなら何を言われるか分からない。ただ矢筈峠から三嶺までの

残りの区間で丸石から三嶺までと、天狗塚から綱附森までの区間が日帰りで

どれくらい歩けるかが気になっていた。次に予定している綱附森は矢筈峠からだと

ピストンになるが、綱附森で往復したのでは、その次の天狗塚からの往復が距離的にも

けっこう厳しくなってくる。

それなら天狗塚の地蔵の頭から綱附森へ向かってどこまで歩けるか、下見に行って

見ようと思いついた。下見というお題目をつけたら奥様たちから文句も言われまい。

そう思って登山口までの車でのアプローチを調べていたら、小島峠経由の最短で

2時間30分だとGoogleMapが教えてくれた。今まで何度も一人で車を走らせた

ルートなのに、なぜか急に2時間30分という時間が億劫に思ってしまった。

車の運転が今まで苦になったことが全くなかったのに、これも寄る年波のせいか・・・。

そうこう考えているうちに、2時間30分あれば大山まで行けるじゃないかと、

なぜか急に閃いた。それは先週の中津山を歩いているときに、あっちゃん

セニョさん大山登山の話で盛り上がったせいかもしれない。

ただこの蒸し暑い季節に、あの大山の夏山登山口からの階段地獄は一人では歩きたくない。

ならばユートピアコースはどうだろう。ちょうど避難小屋の周りのお花畑も

見頃じゃないだろうか?今までネットで散々目にしてきたユートピアコースのお花畑

だったが、まだ歩いたことがない。山道をくねくね走る2時間30分より高速道路を

一気に走るほうが運転も楽だ。目的地が決まれば後は天気予報のみ。週末からずっと

ネットの天気予報とにらめっこしていたが、なかなか週半ばの天気予報がよくならない。

するとエントツ山さんの掲示板にばんぶうさんからSCWなる天気予報が重宝していると

情報が上がっていたので、前日からそのSCWをずっと見ていたが、水曜日の

9時くらいから大山では降雨の予報がでていた。前日の夜、そして今日の朝にも確認したが

6時の更新の情報でもやはり曇りから雨の予報は変わらなかった。初めての

ユートピアコース、そしてお花畑。せっかくなら晴れた日に歩きたい。

お花畑は今日あたりがピークだが、雨の中を一人で歩くのも・・・・なので

大山はあきらめることにした。そのSCWの天気予測を見てみると、四国内の

どこも今日は天気はイマイチ。WOC登山部は予定していた工石山を中止して、雨の日の

定番の青梅神社からの西行法師の道を白峰寺まで歩くというので、急遽、参加させて

もらうことにした。9時に集合して青梅神社にまずはお参りしてスタートする。


青梅神社は別名、煙の神社といわれているがその謂れは

保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、1164年に崩御した際、

上皇の遺体は野澤井の清水に浸し続けられ都からの処置の連絡を待った。

(野澤井の清水は、ところてんで有名な八十八の隣にある八十場の霊泉)

荼毘の許可の連絡が来るまで21日経っていたが上皇の顔はきれいだったという。

(その霊泉で毎日顔を洗ったら、顔の皺も改善するだろうか?)

野澤井を出発した葬列は、翌日、高屋の阿気辺りで豪雨に遭い棺を台石に

置いていると血がしたたり落ちていたという。そして、18日に白峯山上で荼毘に付され、

そのときの煙がこの地に紫煙棚引き留まるも消え失せた跡に一霊が残ったという、

依って、春日神社神官の福家安明が宮殿を造営して上皇の霊を奉斎したと云われている。










青梅神社から西行法師の道を白峰御陵へと歩いて行く。西行法師の道は崇徳上皇と

親交の深かった西行法師が、上皇が没した3年後に白峰御陵を詣でた際に歩いた道。

青梅神社からおおよそ1.3kmの参道には西行法師や崇徳上皇が詠んだとされる

88基の歌碑と93基の石灯篭が設置されている。








今日は遠征から帰って来たばかりの姐さんと先輩、そして久しぶりのアミちゃんが参加。

姐さんと先輩は、槍ヶ岳登頂を計画し先週他のWOC登山部のメンバーと上高地から

槍ヶ岳を目指したが、降雨で登山道も何ヵ所も渡渉が必要になり、槍沢ロッヂまでで

諦めて引き返して来た。翌日天気が回復したので蝶ケ岳に登って槍ヶ岳を眺めて

帰って来たという話をしてくれた。その山行中の写真を姐さんが都度FACEBOOKに

アップしていたのだが、先輩の背中のザックが小屋泊の山行にしてはけっこう大きいな

と思っていたら、ザックの中にはシャンプーからトリートメントまで持って行って

いたと姐さんが教えてくれた。そんな笑い話を聞きながら長い石段を登って行く。




普段からランニングををしているアミちゃんも勝手が違うのか『しんどい、しんどい』と

ずっと愚痴を言っている。その前をスピードを落とさず登って行く先輩。

石段の先に開けた青空が見えたのでアミちゃんに『あそこが最後やで!』と話す。

それにしても女性陣三人はとにかく元気だ。いつもの奥様たちもそうだが、男性陣より

女性陣の方がとにかく速い。今日も付いて行くのがやっとだ!




白峰御陵の手前で後続を待つ間、何度も額の汗を拭う。雨の予報だったのに一向に

降りだす気配がない。気温と共に湿度も上がりシャツも汗でびっしょりだ。




全員が揃った所で御陵の前の最後の石段を登って行く。案の定アミちゃんが

『え~まだ石段があるやんか!』と文句を言ってきた。夜勤明けの朝一番と

休みの日には先輩と走っているアミちゃんだが、平地とはやはり勝手が違うそうだ。


四国にある唯一の天皇陵として宮内庁が管理している白峰御陵。

天皇や皇后、上皇などの 墓所である御陵は、一般に京都や奈良など当時の都の

近くに造られているが、都から遠く離れた所 に造られているのは、下関の安徳天皇陵と

淡路島の淳仁天皇陵、そしてここ白峰陵だけだそうだ。







白峰御陵で手を合わせた後、白峯寺へと歩いて行く。境内ではあじさいの花がまだ

花を咲かせていたが、枯れ始めた花をお寺の方が刈っていた。













崇徳天皇の御廟の頓証寺殿に参拝した後、本殿へ。
















本殿から護摩堂・本坊の前を通って山門をくぐる。その途中には何故か招き猫が

灯篭に置かれていいる。







駐車場の手前から根来寺へのへんろ道を歩いて行く。道には丁石があり、五十丁石が

根来寺への起点となる。(一丁は109mなので、根来寺までは5.45kmになる)

また途中には下乗石がある。この下乗石からは白峯寺の聖地となる為、どんな高貴な

人でも乗り物から降りて歩かなければならなかった。










下乗石からしばらく歩くと左に折れて石畳が続いている。すると杉さんが、

『KAZASHIさん、この道どこに行くか知っとん?』と聞くので、スマホで

調べてみると、地形図に道は無かったが、へんろ道から少し北に、白峯寺奥の院

毘沙門窟の名称が載っていた。










奥の院への分岐からさらに進んで行くとフェンスで囲まれた自衛隊の敷地。

そのフェンスに沿って歩いてくと県道180号線に出た。










ここからは折り返しで白峯寺へと県道を歩いて行く。以前WOC登山部で歩いた時、

途中にあるニューサンピア坂出でランチを食べた事があるが、今はこの施設も閉鎖

され、その先にある白峰パークセンターもシャッターが閉まって展望台には上がれない。

道の途中からは採石で山の形が変わってしまった五夜嶽の採石場の様子が見えた。







パークセンターから右に曲がって白峯寺へ。駐車場の手前から西行法師の道へと

降りて行く。長い石段の脇にはアキノタムラソウが至る所に咲いていた。










今日は雨が降ると濡れた石段が危ないので、グリップの効くモンベルの靴を

履いてみたが、以前に下りで足の小指を痛めた経験があり、それ以降履くのを

ためらっていた。ただ今日は歩く距離が短いので試しに履いてみたのだが、

やはり下りになると小指の指先が当たって痛みが出てきた。

下山後靴を履き替える時に靴下を脱いでみると、以前と同じように小指の先が

擦れて水ぶくれができていた。

浜街道を通っての帰り道にイオン高松のモンベルに寄って靴を持ち込んで

相談してみたが、決定的な原因は分からず、取りあえずサイズは合っているが幅が

合っていないかもしれないとの事。下山する前に、靴紐を下からすべて締め直し、

足が靴先に寄らないようにするしかないとの事だった。

普段歩くときはシリオの靴で十分なのだが、足元が滑りやすいと思った時は

あまりグリップの効かないシリオでは不安が残る。かと言ってモンベルは

ほとんど履いていなくて買い替えるにはもったいない。取りあえずモンベルの

店員さんに教わった通りに靴紐を締め直すのと、これもばんぶうさんがエントツ山

さんの掲示板に書いていた、100均で撃っているファンデーションパフを

痛みのでた場所に当ててみるというアドバイスを試してみようと思う。

そのモンベルからの帰り道、フロントガラスの前には青空が広がっていた。

『え~雨、降らんやんか!』と独り言ちながら家路へと車を走らせた。





WOC登山部第二班 中津山

2022年07月21日 | 四国の山


先週もそうだったが、週の半ばの天気予報がイマイチ。

今週はあっちゃんの都合で水曜日ではなく、木曜日に山行を予定していたが、

案の定不安定な予報だったので、奥様たちには計画していた『線で繋ぐ~』の

綱附森は順延すると連絡をした。『線で繋ぐ石鎚山~剣山』もせっかく吉野川を

渡って、いよいよ剣山系に入った途端に、空模様のお陰で、同じように停滞している。

すると水曜日の天気が急に回復の予想になった。イマイチの天気の木曜日を

どう過ごそうかと思っていたが、よくよく考えてみると、水曜日の都合が悪いのは

あっちゃんだけ・・・・・。それなら天気が回復する水曜日に出かければいいじゃん。


水曜日はWOC登山部は笹倉湿原を予定している。そして第二班は中津山に出かけると

いう情報を入手した。国見山寒峰からもピラミダルな山容は直ぐに同定できる中津山

だが、意外と今まで一度も登った事が無い。早速企画者のセニョさん山さん

『同行させてください!』とメッセージを入れた。そして先週二人だけで抜け駆けして

伊予富士に出かけてきた奥様たちには『水曜日に抜け駆けして歩いてきます!』と

メッセージを送った。久しぶりのセニョさんと山さんとの山歩き。親父三人でのんびり

歩くのもいいな~と思っていたら。前日の夜に急にあっちゃんから『どこに登るの?』、

『誰と登るの?』『何時にスタート?』などと矢継ぎ早に質問のメッセージが来た。

仕方がないので内容を説明すると、奥様たちも参加したいと言う事になった。

『あれ?用事があったはずでは』と思ったが、その旨を山さんに伝えると、

『ウサギさんチームの落ちこぼれ(私の事)とだったら一緒に歩けるかなと

思ったのに、正式なウサギさんチームが来るん?』とメッセージが送られてきた。

以前からペースの違う我々をウサギさんチーム。自分たちをカメさんチームと

言っていた山さん。後から聞いた話だが、その後ザックからコンロと三脚を取り出して、

ザックの軽量化を図ったそうだ・・・・!


道の駅たからだの里で待ち合わせの後、二台で登山口となる西祖谷の田ノ内の集落へと

向かう。セニョさんと山さんは10年前に一度中津山には登った事があるそうだが、

登山口までの道は全く覚えていない。国道32号線から田ノ内への道は若宮谷ダム

過ぎると九十九折れの離合は難しい幅の狭い道になり、最終的に突き当りの転回広場に

車を停めた。転回広場といってもそれほど余裕はなく、山さんが奥にある民家を訪ねて

邪魔にならないように停めさせてもらうとことわりを入れてくれた。







転回広場から斜め上に林道が続いているが、その入り口に朽ちた道標があり、そこが

中津山への取付きになる。今回もウサギさんチームのルリちゃんが先頭で登山開始!




登山口からしばらくは杉林の中の急登が続いて行く。前を歩くあっちゃん。膝の調子が

悪く病院に通っていたが、その病院では無下に『登山は禁止!』と言われていたそうだ。

リハビリも電気治療だけと言うので『病院を変えてみたら!』と言ったら、さっそく別の

病院で、色々と詳しく説明してくれ、膝の機能の説明や日ごろの食事の採り方など、丁寧

だったと喜んで話をしながら登っている。







掘割になった道には杉の枝や葉が降り積もり歩きづらく、その横の土手を歩いて行く。




道は地形図の破線に乗っかると右に折れて続いて行く。少し後ろと間が開いたので

水分補給をしながら待っていると、最後に遅れて登って来た山さんが『ウサギさん

チームとカメさん、私はカタツムリチームにしとくわ!』と。














それまで尾根に向かって斜めに続いていた道が、992mの三角点の横で尾根に乗っかる。

地形図ではここから尾根に沿って破線が続いているが、YAMAPのルート地図では

尾根の東側をトラバースする形で続いている。その地形図で尾根の西側は等高線が

密になって急峻な谷になっているが、尾根から東は比較的緩やかな等高線で、道も

同じように緩やかな登りで歩きやすい。トラバース道が尾根に向かって登り始めると

次第に傾斜は急になってくる。













その内に再び尾根の破線に合流すると、尾根の幅も狭まり、今までの人工林が混ざった

道から自然林だけの道になり、そして急登になる。

途中で石積みの残る祠の跡だろうか。尾根道には足元に笹が現れ始め、ブナの木が

点在する雰囲気の良い道になる。ここからの急登は昨日の雨で少し足元が滑る。

帰りの下りが厄介だなと思いながら、ゼイゼイと息を切らせて登って行く。



















笹の色が濃くなってくると山頂は近い。山頂手前の尾根道も自然林の緑が眩しい。








その気持ちのいい尾根道を進んで行くと赤い屋根が見えた。中津山大権現本堂の

横からは、東に椀山や烏帽子山?が見えた。本殿の南のベンチの横からは、天狗塚

牛の背、そして土佐矢筈山が見える。そして南には梶が森が同定できる。










ベンチにザックを置いて三角点まで歩いてみる。一等三角点 中津山 1446.6m

久しぶりに見るセニョさんの三角点バンザイ!




ネットや県別ガイドでは度々目にしていた弘法大師像と黄金の池。

取りあえずベンチまで戻り記念撮影の後、お昼ご飯にする。














食事をしながら南に見える山々を説明していると、ふと横を見ると山さんが虫よけ

ネットの帽子を被って『ご飯が食べにくい!』と言っている。そりゃそうだろう!











食事を終えて山頂から少し下がった所にある中津神社まで歩いてみる。林道を西に歩き

踏み跡を辿って南に下って行くと古い木の鳥居の前に出た。鳥居からは足元の草が

きれいに刈られていて、着いた神社では明後日の夏祭りを前に掃除をしている地元の

人達の姿があった。そのうちの一人のおじいさんが色々と話しかけてくれ、社殿の脇の

鎖を張った断崖の先まで手招きしてくれた。











恐る恐る鎖の先まで一緒に行くと、西に大きな山容の山が。『あれが国見山や』と

おじいさんが教えてくれた。断崖の際で下腹部がスウスウしながら神社の前まで

戻って行くと。そのおじいさんが『少し下に盤ノ岩があるから是非行ってごらん!』と

勧めてくれた。そういえばREIKOさんも盤ノ岩まで下って行っていたのを思い出した。




さっそく行ってみようと思っていたら、あっちゃんに急な用事の電話がかかってきて

奥様たちは戻って行くことに。仕方がないので男性陣もこのまま山頂まで戻って

下山する事にした。山頂からしばらくは快適な道だったが、往路での急登に差し掛かると

直ぐにスピードが落ちた。男三人が度々足を滑らせ『オッ!』とか『ウワ!』とか短く

声をあげながら下って行く。











崩落地の横を過ぎ、尾根道の分岐までくるとセニョさんが、往路と違う尾根の破線を

辿ってみたいと言い出した。分岐から山さんと別れて、破線を二人で下ってみる。








地形図では裾野に向かって広がる尾根。こんな尾根が一番迷いやすい。







その広い尾根の幅が狭まってくると、急な下りが何ヵ所かあった。







二度ほど破線から外れる場面があったが、その都度YAMAPを見ながら修正していく。

右側が急峻な谷になっているので、その際に沿って歩けばいいのだけれど、間違えるのは

やはり尾根が広がっている場所だった。







自然林から人工林の杉林になってくると、登山道との合流地点が近づいていた。

枝打ちされて手入れされている杉林は、林床まで陽の光が届いて、歩いていても

気持ちがいい。










往路では気が付かなかった登山道と破線の合流地点の少し奥にある三角点に寄ってみる。

杉林の中にコンクリート製の三角点がぽっんとあった。四等三角点 田ノ内 992.7m 







合流地点からは杉林の中の道。倒木を跨いだり、潜ったり居ながら下って行く。

道に積もった杉の枝は曲がって跳ねていて、度々足が引っ掛かって歩きづらい。










山頂から1時間20分ほどで登山口に降りて来た。先に下った奥様たちの車はなく、

後ろのカメさんとカタツムリさんが降りてくる間に、ズボンの下に着ていた

タイツを脱ぎ、靴下も脱ぎサンダルに履き替えると熱を帯びていた下半身が

少し落ち着いた。そうこうしている内に二人が降りて来た。山さんが

今日の行き先を以前に一緒に歩いたWOC登山部の麺法師さんに話をすると、

『中津山なら楽勝やねと言ったけど、全然楽勝やなかったやんか!』とぼやいた。




急用で慌てて帰ったあっちゃんが、国道に出るまでの集落の狭い道で何かあったら

いけないのでと、盤ノ岩にも寄らずに下りて来た。車中で山さんが『焦って帰ったら

いかんよ』と話をしたと言って心配していたが、集合したたからだの里に着くと、

ルリちゃんの車がまだ停まっていた。『先に帰ったはずやのに、途中で何かあったん

やろか?』とまた別の心配をしてルリちゃんに電話をかけると、途中の大歩危の

コンビニでゆっくりしていたと言う。

『え~~心配して損したわ!』と山さん。しばらくして遅れてニコニコ顔の奥様たちが

帰って来た。色々と気を揉んで『お疲れでしたね・・・・・山さん!』



今日のトラック

線で繋ぐはお休みしてのWOC登山部

2022年07月14日 | 四国の山



今週は週間予報では雨マーク。線で繋ぐは綱附森矢筈峠から歩く予定だったが、

早々に奥様たちに中止を連絡して自主トレのつもりでいたが、直前になって天気予報は

回復傾向に。それなら計画通りにとも思ったが、前日の雨で綱附森の笹原は恐らく

まだ濡れているだろうからと思いとどまり、足元のしっかりしたどこかの山を歩こうと

考えた。『そういえばWOC登山部が剣山を計画していた』と思い、久しぶりにメンバーの

お顔を拝顔するのもいいかなと、剣山に目的地を変更。ただ見ノ越からは5月に

奥様たちと登ったばかりだったので、昨年初めて歩いた富士の池から登って、山頂で

皆さんにお会いするという計画にした。その内容を奥様たちに前日に連絡すると、

ルリちゃんが歩いた事が無いので歩きたいと返事が返って来た。


穴吹町でルリちゃんと待ち合わせ、そこから乗り合せて国道492号線を登山口となる

垢離取(コリトリ)を目指す。木屋平の川井までは道幅が狭くなった場所があるが、

対向車もなくスムーズに走れた。川井からは道幅も広く二車線道路が続いている。

途中、穴吹川の川向でピョンピョンと跳ねる姿が見えた。こちらが車を止めると

その二匹も立ち止まってこちらを見ている。親子だろうか、兄弟だろうか?




穴吹からはおおよそ1時間でコリトリ橋に着いた。ここから国道を離れて、登山口

となる富士の池剣山本宮への道を走って行く。路面は確かにコンクリート道だが、

整備されなくなった道は荒れていて、小さな落石が至る所であり、その石を避け

ながら走って行く。樹林帯の中から視界が開け明るい場所に出ると、見覚えのある

赤錆びた鉄門に着いた。




空は薄曇り。昨年も同じような空模様だったが、一ノ森を過ぎた辺りから雨になった。

今日は回復するという天気予報を信じよう。




鉄門を潜り龍光寺富士の池本坊への石段を登って行く。石段は苔むしていて、

杉の落ち葉が降り積もっていた。住職のいなくなった?境内は荒れて久しい。

かつて剣山への表参道として賑わい、前泊の宿坊として大勢の信者が泊まったと

いう面影は今はもうない。










本堂の脇を抜け左に出ると、昭和51年に豪雨災害をもたらした切り立った急峻な

富士の池谷が見える。本堂の裏手から斜面を登って行くと、富士の池剣山本宮。

この剣山本宮も災害で壊れて今は仮宮があるだけになっている。











その仮宮の後ろの注連縄を張られた場所が登山口となる。九十九折れの急登をを登って行くと

直ぐに林道に出る。そして向かいの取付きからまた登山道へと登って行く。














自然林の中、カラッとした心地よい風が吹き抜けていく。但し額の汗は途切れることなく

流れて行く。禁煙をして約半年また体重が1kg増えた。息切れは随分とマシになったが

4kgも体重が増えた分体が重い。左の谷側は杉林、右手は自然林の道が続いて行く。







いつもは先行して歩くルリちゃんが、今日は後ろから付いてきている。ルリちゃんが

前を歩くとどんどん離されていくが、今日は私が前でスピードが上がらず、まるで

ノロノロ運転をする老人の後ろで閊えてクラクションを鳴らしている状態だろうか?

龍光寺と書かれた小さな札が木の幹に掛けられている辺りから、右手にロープが

張られている。道はそれほど急登でもないので、植生保護のためだろうか?







スタートから45分ほどで追分に着いた。行場への道は相変わらず通行止めに

なっている。木の枝の間から山頂ヒュッテが見える。







ここまでも立派な大木が道の途中のあちこちに見られたが、この辺りもブナを

はじめとする巨木が目につく。







ダケカンバの林を抜けると右手に開けた見晴らしの良い場所に出た。正面には

赤帽子山、その少し左には丸笹山も見える。







足元に笹が現れると稜線に近づいて来たのが判る。倒木を潜り、大岩の横を過ぎると

朽ちかけた肉渕峠の道標。ここからが一の森から東の山々への

入り口となる。『線で繋ぐ石鎚山~剣山』が完歩出来れば、次の課題となるのは、

石鎚山から西の皿ケ嶺へのルートと、ここから東の紀伊水道までのルートとなる。

ただしここから東は日帰りではなかなか難しい区間になるので、じっくりと研究

していかなくては・・・・。










肉渕峠への分岐を過ぎると樹林帯から笹原の道になってくる。スタート時点では

ガスがかかっていたが、目の前には青空が広がっていた。先ほど追分で見えた

山頂ヒュッテもはっきりと見える。











道が遮るもののない笹原になると白骨樹が目立ち始める。その白骨樹の横に

槍戸山への稜線が続いている。振り返ると穴吹川に沿って木屋平の民家が

点在しているのが見える。そしてこの周辺では一番同定しやすい、山頂の雨量観測所の

レーダーが建つ高城山も見えた。











この季節になると笹の緑も濃く、葉のない白い白骨樹とのコントラストが美しい。

少し前から足が攣り始めたので、先頭をルリちゃんに代わってもらって、さらに

ペースを落として歩いて行く。ここまで来ると一の森ヒュッテはもう目の前。











スタートから1時間50分で一の森ヒュッテに着いた。着いてすぐにベンチに腰かけ

水分補給。途中から攣り始めた足は前回と同じように太腿そして臀部。水分が

足らなくなってなのか、疲労からなのか、何だが毎回癖になってきたように思う。

ルリちゃんからコムレケアとお菓子のお裾分け。







一息ついたら剣山めざして出発。一の森山頂からの尾根を下って行くと、行場への

分岐。一つ目のピークの二の森の横から次郎笈が顔を出す。

笈とは山伏が背負う箱の事。しかし以前は太郎笈と呼ばれていた剣山も、次郎笈も

山容は箱の形には見えない。太郎と次郎という名前の二人の修験者が「笈(おいずる)」

と呼ばれる背負子を担ぎ、それぞれの山へ分かれて登ったことに由来するという説があるそうだ。

シコクシラベの林を抜け石灰岩の白い大岩の横を登ると二の森。














二の森を過ぎると剣山山頂手前のピークの経塚森への道。道の脇には白骨樹。

今回も是非尋ねてみたいと思っている次郎笈の肩にある鬼人の岩屋を見当を

つけてズームアップしてみる。果たしてどの辺りに鬼人の岩屋はあるのだろうか?










剣山から次郎笈への稜線歩きも素晴らしいが、一の森から剣山へのこの間の

稜線歩きも決してひけ劣らない。緩やかな道を笹原と白い白骨樹に濃い緑の

シコクシラベ、そして近づいてくる剣山や次郎笈を眺めながらの道は申し分ない。










山頂の東のテラスへの最後の登り。階段状になっている道だが、考えることは皆

同じなようで、道の脇の笹の中に踏み跡が出来ている。いつもながらこの登りは

しんどい。大きく呼吸をしながら一歩一歩登って行く。前を行くルリちゃんが

空に向かって登っていっているように見える。







珍しく東のテラスには一人もいなかった。山頂トイレの向こうに見える山頂にも

人影はほとんど見えない。今日はいつになく人が少ないようだ。WOC登山部の

メンバーは今日は8人。山頂近くにその人数の団体は見えないので、まだ到着

していないようだ。







東のテラスから山頂に向かう。途中でトイレをお借りして山頂まで歩いて行くと

剣山本宮山頂大祭を前に注連縄が新しく掛け替えられていた。その横のベンチで

お昼ご飯を食べている三人。どこかで見た事があると思ったらWOC登山部の

メンバーだった。『どうしたん三人だけで?』『他の人たちは?』と聞くと

『リフトで先に上がって来た』と言う。『え~ズル組やんか~!』と。

ただWOC登山部も当初は登山道の存在を知らずに、往復リフトで使っていた

そうなので、片道だけならまだかわいいほうか~!

その三人とルリちゃんが話し込んでいる内に、私もベンチに腰掛けお昼にする。

ゆったりと横たわる次郎笈をおかずに、ぶっけけうどんをすすっていると

後続のメンバーも到着した。










西は晴天の下、三嶺をはじめ本来なら今日歩いていただろう綱附森も見えるが

東の一の森への稜線にはガスが登ってきていた。







全員がお昼ご飯を食べ終わるのを待って次郎笈をバックに記念撮影。

今日のメンバーは実は第一班で、第二班は次郎笈へ登って奥槍戸の家にランチを

食べに行っている。なのでルリちゃんと私は第三班。そして仕事終わりに単独で

もう一人が遅れて登ってきているという。そうすると総勢で16名が四つに分かれて

この剣山周辺に今日は集合したことになる。




写真を撮った後は第一班は二度見展望所・大劔神社経由で下山するのでここでお別れ。

一の森への道はやはり稜線の北側から次々とガスが登ってきていた。展望はガスで

見えなくなるが、逆に日差しを遮ってくれて涼しくて丁度いい。










劔山本宮ニの森神社の横を通り一の森ヒュッテへと歩いて行く。

笹原の斜面に並んだシコクシラベの濃い緑が映える。ヒュッテ手前の今日最後の登り。










ヒュッテからの笹原は真っ白な世界。山の主に向かって見上げて何やら話し込んで

いるように見えるルリちゃん。







あとは龍光寺の鉄門まで下り一辺倒。登りに弱い私にとっては楽な下りだが、

下りぱなしになるとさすがに靴の中の足の裏とか指先が痛んでくる。







後ろに反っているように見える巨木。まるで体の硬い私の様だ。










道は明瞭だが、大小の石がゴロゴロしている道は疲れる。先を行くルリちゃんは

脇目もふらずに快調に飛ばして行く。昨日あっちゃんと伊予富士に出かけてきたのに

本当に元気な奥様だ。












右手が杉林になると登山口は近いのでホッとする。しばらくするとその杉林の

下に林道が見え始め、さらにホッとする。










林道からは九十九折れの急坂を下って行くと、直ぐに剣山本宮に着いた。崩れた石段を

降り、崩れた斜面の脇を抜けると龍光寺に着いた。








山頂でWOCのメンバーと別れてから約2時間。けっこう早いペースで到着した。








登山者で賑わう見ノ越からの道に比べて、ほとんど人と会う事のない富士の池からの

かつての表参道。時代の流れで見ノ越への道が出き、リフトができると人の流れは、

もう戻ることはなかった。修験者や信者、そして登山者で賑わった参道は、今は鹿の

鳴き声と鳥の囀りだけが聞こえる、巨木と豊かな自然の残る道となった。





今日のトラック