今週は奥様たちがお休みなので、さてさて一人でどこに出かけようかと一週間前から
考えていた。二人がいないのでは『線で繋ぐ石鎚山~剣山』のルートも歩けない。
抜け駆けしようものなら何を言われるか分からない。ただ矢筈峠から三嶺までの
残りの区間で丸石から三嶺までと、天狗塚から綱附森までの区間が日帰りで
どれくらい歩けるかが気になっていた。次に予定している綱附森は矢筈峠からだと
ピストンになるが、綱附森で往復したのでは、その次の天狗塚からの往復が距離的にも
けっこう厳しくなってくる。
それなら天狗塚の地蔵の頭から綱附森へ向かってどこまで歩けるか、下見に行って
見ようと思いついた。下見というお題目をつけたら奥様たちから文句も言われまい。
そう思って登山口までの車でのアプローチを調べていたら、小島峠経由の最短で
2時間30分だとGoogleMapが教えてくれた。今まで何度も一人で車を走らせた
ルートなのに、なぜか急に2時間30分という時間が億劫に思ってしまった。
車の運転が今まで苦になったことが全くなかったのに、これも寄る年波のせいか・・・。
そうこう考えているうちに、2時間30分あれば大山まで行けるじゃないかと、
なぜか急に閃いた。それは先週の中津山を歩いているときに、あっちゃんと
セニョさんと大山登山の話で盛り上がったせいかもしれない。
ただこの蒸し暑い季節に、あの大山の夏山登山口からの階段地獄は一人では歩きたくない。
ならばユートピアコースはどうだろう。ちょうど避難小屋の周りのお花畑も
見頃じゃないだろうか?今までネットで散々目にしてきたユートピアコースのお花畑
だったが、まだ歩いたことがない。山道をくねくね走る2時間30分より高速道路を
一気に走るほうが運転も楽だ。目的地が決まれば後は天気予報のみ。週末からずっと
ネットの天気予報とにらめっこしていたが、なかなか週半ばの天気予報がよくならない。
するとエントツ山さんの掲示板にばんぶうさんからSCWなる天気予報が重宝していると
情報が上がっていたので、前日からそのSCWをずっと見ていたが、水曜日の
9時くらいから大山では降雨の予報がでていた。前日の夜、そして今日の朝にも確認したが
6時の更新の情報でもやはり曇りから雨の予報は変わらなかった。初めての
ユートピアコース、そしてお花畑。せっかくなら晴れた日に歩きたい。
お花畑は今日あたりがピークだが、雨の中を一人で歩くのも・・・・なので
大山はあきらめることにした。そのSCWの天気予測を見てみると、四国内の
どこも今日は天気はイマイチ。WOC登山部は予定していた工石山を中止して、雨の日の
定番の青梅神社からの西行法師の道を白峰寺まで歩くというので、急遽、参加させて
もらうことにした。9時に集合して青梅神社にまずはお参りしてスタートする。
青梅神社は別名、煙の神社といわれているがその謂れは
保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、1164年に崩御した際、
上皇の遺体は野澤井の清水に浸し続けられ都からの処置の連絡を待った。
(野澤井の清水は、ところてんで有名な八十八の隣にある八十場の霊泉)
荼毘の許可の連絡が来るまで21日経っていたが上皇の顔はきれいだったという。
(その霊泉で毎日顔を洗ったら、顔の皺も改善するだろうか?)
野澤井を出発した葬列は、翌日、高屋の阿気辺りで豪雨に遭い棺を台石に
置いていると血がしたたり落ちていたという。そして、18日に白峯山上で荼毘に付され、
そのときの煙がこの地に紫煙棚引き留まるも消え失せた跡に一霊が残ったという、
依って、春日神社神官の福家安明が宮殿を造営して上皇の霊を奉斎したと云われている。
青梅神社から西行法師の道を白峰御陵へと歩いて行く。西行法師の道は崇徳上皇と
親交の深かった西行法師が、上皇が没した3年後に白峰御陵を詣でた際に歩いた道。
青梅神社からおおよそ1.3kmの参道には西行法師や崇徳上皇が詠んだとされる
88基の歌碑と93基の石灯篭が設置されている。
今日は遠征から帰って来たばかりの姐さんと先輩、そして久しぶりのアミちゃんが参加。
姐さんと先輩は、槍ヶ岳登頂を計画し先週他のWOC登山部のメンバーと上高地から
槍ヶ岳を目指したが、降雨で登山道も何ヵ所も渡渉が必要になり、槍沢ロッヂまでで
諦めて引き返して来た。翌日天気が回復したので蝶ケ岳に登って槍ヶ岳を眺めて
帰って来たという話をしてくれた。その山行中の写真を姐さんが都度FACEBOOKに
アップしていたのだが、先輩の背中のザックが小屋泊の山行にしてはけっこう大きいな
と思っていたら、ザックの中にはシャンプーからトリートメントまで持って行って
いたと姐さんが教えてくれた。そんな笑い話を聞きながら長い石段を登って行く。
普段からランニングををしているアミちゃんも勝手が違うのか『しんどい、しんどい』と
ずっと愚痴を言っている。その前をスピードを落とさず登って行く先輩。
石段の先に開けた青空が見えたのでアミちゃんに『あそこが最後やで!』と話す。
それにしても女性陣三人はとにかく元気だ。いつもの奥様たちもそうだが、男性陣より
女性陣の方がとにかく速い。今日も付いて行くのがやっとだ!
白峰御陵の手前で後続を待つ間、何度も額の汗を拭う。雨の予報だったのに一向に
降りだす気配がない。気温と共に湿度も上がりシャツも汗でびっしょりだ。
全員が揃った所で御陵の前の最後の石段を登って行く。案の定アミちゃんが
『え~まだ石段があるやんか!』と文句を言ってきた。夜勤明けの朝一番と
休みの日には先輩と走っているアミちゃんだが、平地とはやはり勝手が違うそうだ。
四国にある唯一の天皇陵として宮内庁が管理している白峰御陵。
天皇や皇后、上皇などの 墓所である御陵は、一般に京都や奈良など当時の都の
近くに造られているが、都から遠く離れた所 に造られているのは、下関の安徳天皇陵と
淡路島の淳仁天皇陵、そしてここ白峰陵だけだそうだ。
白峰御陵で手を合わせた後、白峯寺へと歩いて行く。境内ではあじさいの花がまだ
花を咲かせていたが、枯れ始めた花をお寺の方が刈っていた。
崇徳天皇の御廟の頓証寺殿に参拝した後、本殿へ。
本殿から護摩堂・本坊の前を通って山門をくぐる。その途中には何故か招き猫が
灯篭に置かれていいる。
駐車場の手前から根来寺へのへんろ道を歩いて行く。道には丁石があり、五十丁石が
根来寺への起点となる。(一丁は109mなので、根来寺までは5.45kmになる)
また途中には下乗石がある。この下乗石からは白峯寺の聖地となる為、どんな高貴な
人でも乗り物から降りて歩かなければならなかった。
下乗石からしばらく歩くと左に折れて石畳が続いている。すると杉さんが、
『KAZASHIさん、この道どこに行くか知っとん?』と聞くので、スマホで
調べてみると、地形図に道は無かったが、へんろ道から少し北に、白峯寺奥の院
毘沙門窟の名称が載っていた。
奥の院への分岐からさらに進んで行くとフェンスで囲まれた自衛隊の敷地。
そのフェンスに沿って歩いてくと県道180号線に出た。
ここからは折り返しで白峯寺へと県道を歩いて行く。以前WOC登山部で歩いた時、
途中にあるニューサンピア坂出でランチを食べた事があるが、今はこの施設も閉鎖
され、その先にある白峰パークセンターもシャッターが閉まって展望台には上がれない。
道の途中からは採石で山の形が変わってしまった五夜嶽の採石場の様子が見えた。
パークセンターから右に曲がって白峯寺へ。駐車場の手前から西行法師の道へと
降りて行く。長い石段の脇にはアキノタムラソウが至る所に咲いていた。
今日は雨が降ると濡れた石段が危ないので、グリップの効くモンベルの靴を
履いてみたが、以前に下りで足の小指を痛めた経験があり、それ以降履くのを
ためらっていた。ただ今日は歩く距離が短いので試しに履いてみたのだが、
やはり下りになると小指の指先が当たって痛みが出てきた。
下山後靴を履き替える時に靴下を脱いでみると、以前と同じように小指の先が
擦れて水ぶくれができていた。
浜街道を通っての帰り道にイオン高松のモンベルに寄って靴を持ち込んで
相談してみたが、決定的な原因は分からず、取りあえずサイズは合っているが幅が
合っていないかもしれないとの事。下山する前に、靴紐を下からすべて締め直し、
足が靴先に寄らないようにするしかないとの事だった。
普段歩くときはシリオの靴で十分なのだが、足元が滑りやすいと思った時は
あまりグリップの効かないシリオでは不安が残る。かと言ってモンベルは
ほとんど履いていなくて買い替えるにはもったいない。取りあえずモンベルの
店員さんに教わった通りに靴紐を締め直すのと、これもばんぶうさんがエントツ山
さんの掲示板に書いていた、100均で撃っているファンデーションパフを
痛みのでた場所に当ててみるというアドバイスを試してみようと思う。
そのモンベルからの帰り道、フロントガラスの前には青空が広がっていた。
『え~雨、降らんやんか!』と独り言ちながら家路へと車を走らせた。
考えていた。二人がいないのでは『線で繋ぐ石鎚山~剣山』のルートも歩けない。
抜け駆けしようものなら何を言われるか分からない。ただ矢筈峠から三嶺までの
残りの区間で丸石から三嶺までと、天狗塚から綱附森までの区間が日帰りで
どれくらい歩けるかが気になっていた。次に予定している綱附森は矢筈峠からだと
ピストンになるが、綱附森で往復したのでは、その次の天狗塚からの往復が距離的にも
けっこう厳しくなってくる。
それなら天狗塚の地蔵の頭から綱附森へ向かってどこまで歩けるか、下見に行って
見ようと思いついた。下見というお題目をつけたら奥様たちから文句も言われまい。
そう思って登山口までの車でのアプローチを調べていたら、小島峠経由の最短で
2時間30分だとGoogleMapが教えてくれた。今まで何度も一人で車を走らせた
ルートなのに、なぜか急に2時間30分という時間が億劫に思ってしまった。
車の運転が今まで苦になったことが全くなかったのに、これも寄る年波のせいか・・・。
そうこう考えているうちに、2時間30分あれば大山まで行けるじゃないかと、
なぜか急に閃いた。それは先週の中津山を歩いているときに、あっちゃんと
セニョさんと大山登山の話で盛り上がったせいかもしれない。
ただこの蒸し暑い季節に、あの大山の夏山登山口からの階段地獄は一人では歩きたくない。
ならばユートピアコースはどうだろう。ちょうど避難小屋の周りのお花畑も
見頃じゃないだろうか?今までネットで散々目にしてきたユートピアコースのお花畑
だったが、まだ歩いたことがない。山道をくねくね走る2時間30分より高速道路を
一気に走るほうが運転も楽だ。目的地が決まれば後は天気予報のみ。週末からずっと
ネットの天気予報とにらめっこしていたが、なかなか週半ばの天気予報がよくならない。
するとエントツ山さんの掲示板にばんぶうさんからSCWなる天気予報が重宝していると
情報が上がっていたので、前日からそのSCWをずっと見ていたが、水曜日の
9時くらいから大山では降雨の予報がでていた。前日の夜、そして今日の朝にも確認したが
6時の更新の情報でもやはり曇りから雨の予報は変わらなかった。初めての
ユートピアコース、そしてお花畑。せっかくなら晴れた日に歩きたい。
お花畑は今日あたりがピークだが、雨の中を一人で歩くのも・・・・なので
大山はあきらめることにした。そのSCWの天気予測を見てみると、四国内の
どこも今日は天気はイマイチ。WOC登山部は予定していた工石山を中止して、雨の日の
定番の青梅神社からの西行法師の道を白峰寺まで歩くというので、急遽、参加させて
もらうことにした。9時に集合して青梅神社にまずはお参りしてスタートする。
青梅神社は別名、煙の神社といわれているがその謂れは
保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、1164年に崩御した際、
上皇の遺体は野澤井の清水に浸し続けられ都からの処置の連絡を待った。
(野澤井の清水は、ところてんで有名な八十八の隣にある八十場の霊泉)
荼毘の許可の連絡が来るまで21日経っていたが上皇の顔はきれいだったという。
(その霊泉で毎日顔を洗ったら、顔の皺も改善するだろうか?)
野澤井を出発した葬列は、翌日、高屋の阿気辺りで豪雨に遭い棺を台石に
置いていると血がしたたり落ちていたという。そして、18日に白峯山上で荼毘に付され、
そのときの煙がこの地に紫煙棚引き留まるも消え失せた跡に一霊が残ったという、
依って、春日神社神官の福家安明が宮殿を造営して上皇の霊を奉斎したと云われている。
青梅神社から西行法師の道を白峰御陵へと歩いて行く。西行法師の道は崇徳上皇と
親交の深かった西行法師が、上皇が没した3年後に白峰御陵を詣でた際に歩いた道。
青梅神社からおおよそ1.3kmの参道には西行法師や崇徳上皇が詠んだとされる
88基の歌碑と93基の石灯篭が設置されている。
今日は遠征から帰って来たばかりの姐さんと先輩、そして久しぶりのアミちゃんが参加。
姐さんと先輩は、槍ヶ岳登頂を計画し先週他のWOC登山部のメンバーと上高地から
槍ヶ岳を目指したが、降雨で登山道も何ヵ所も渡渉が必要になり、槍沢ロッヂまでで
諦めて引き返して来た。翌日天気が回復したので蝶ケ岳に登って槍ヶ岳を眺めて
帰って来たという話をしてくれた。その山行中の写真を姐さんが都度FACEBOOKに
アップしていたのだが、先輩の背中のザックが小屋泊の山行にしてはけっこう大きいな
と思っていたら、ザックの中にはシャンプーからトリートメントまで持って行って
いたと姐さんが教えてくれた。そんな笑い話を聞きながら長い石段を登って行く。
普段からランニングををしているアミちゃんも勝手が違うのか『しんどい、しんどい』と
ずっと愚痴を言っている。その前をスピードを落とさず登って行く先輩。
石段の先に開けた青空が見えたのでアミちゃんに『あそこが最後やで!』と話す。
それにしても女性陣三人はとにかく元気だ。いつもの奥様たちもそうだが、男性陣より
女性陣の方がとにかく速い。今日も付いて行くのがやっとだ!
白峰御陵の手前で後続を待つ間、何度も額の汗を拭う。雨の予報だったのに一向に
降りだす気配がない。気温と共に湿度も上がりシャツも汗でびっしょりだ。
全員が揃った所で御陵の前の最後の石段を登って行く。案の定アミちゃんが
『え~まだ石段があるやんか!』と文句を言ってきた。夜勤明けの朝一番と
休みの日には先輩と走っているアミちゃんだが、平地とはやはり勝手が違うそうだ。
四国にある唯一の天皇陵として宮内庁が管理している白峰御陵。
天皇や皇后、上皇などの 墓所である御陵は、一般に京都や奈良など当時の都の
近くに造られているが、都から遠く離れた所 に造られているのは、下関の安徳天皇陵と
淡路島の淳仁天皇陵、そしてここ白峰陵だけだそうだ。
白峰御陵で手を合わせた後、白峯寺へと歩いて行く。境内ではあじさいの花がまだ
花を咲かせていたが、枯れ始めた花をお寺の方が刈っていた。
崇徳天皇の御廟の頓証寺殿に参拝した後、本殿へ。
本殿から護摩堂・本坊の前を通って山門をくぐる。その途中には何故か招き猫が
灯篭に置かれていいる。
駐車場の手前から根来寺へのへんろ道を歩いて行く。道には丁石があり、五十丁石が
根来寺への起点となる。(一丁は109mなので、根来寺までは5.45kmになる)
また途中には下乗石がある。この下乗石からは白峯寺の聖地となる為、どんな高貴な
人でも乗り物から降りて歩かなければならなかった。
下乗石からしばらく歩くと左に折れて石畳が続いている。すると杉さんが、
『KAZASHIさん、この道どこに行くか知っとん?』と聞くので、スマホで
調べてみると、地形図に道は無かったが、へんろ道から少し北に、白峯寺奥の院
毘沙門窟の名称が載っていた。
奥の院への分岐からさらに進んで行くとフェンスで囲まれた自衛隊の敷地。
そのフェンスに沿って歩いてくと県道180号線に出た。
ここからは折り返しで白峯寺へと県道を歩いて行く。以前WOC登山部で歩いた時、
途中にあるニューサンピア坂出でランチを食べた事があるが、今はこの施設も閉鎖
され、その先にある白峰パークセンターもシャッターが閉まって展望台には上がれない。
道の途中からは採石で山の形が変わってしまった五夜嶽の採石場の様子が見えた。
パークセンターから右に曲がって白峯寺へ。駐車場の手前から西行法師の道へと
降りて行く。長い石段の脇にはアキノタムラソウが至る所に咲いていた。
今日は雨が降ると濡れた石段が危ないので、グリップの効くモンベルの靴を
履いてみたが、以前に下りで足の小指を痛めた経験があり、それ以降履くのを
ためらっていた。ただ今日は歩く距離が短いので試しに履いてみたのだが、
やはり下りになると小指の指先が当たって痛みが出てきた。
下山後靴を履き替える時に靴下を脱いでみると、以前と同じように小指の先が
擦れて水ぶくれができていた。
浜街道を通っての帰り道にイオン高松のモンベルに寄って靴を持ち込んで
相談してみたが、決定的な原因は分からず、取りあえずサイズは合っているが幅が
合っていないかもしれないとの事。下山する前に、靴紐を下からすべて締め直し、
足が靴先に寄らないようにするしかないとの事だった。
普段歩くときはシリオの靴で十分なのだが、足元が滑りやすいと思った時は
あまりグリップの効かないシリオでは不安が残る。かと言ってモンベルは
ほとんど履いていなくて買い替えるにはもったいない。取りあえずモンベルの
店員さんに教わった通りに靴紐を締め直すのと、これもばんぶうさんがエントツ山
さんの掲示板に書いていた、100均で撃っているファンデーションパフを
痛みのでた場所に当ててみるというアドバイスを試してみようと思う。
そのモンベルからの帰り道、フロントガラスの前には青空が広がっていた。
『え~雨、降らんやんか!』と独り言ちながら家路へと車を走らせた。