KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

woc登山部2021.03.24 鬼ノ角~虎丸山~三里山

2021年03月25日 | 香川の里山
今日のWOC登山部は今シーズンの里山歩きはそろそろ終了という事で、

最後の里山歩きとして先週歩いた虎丸山の南にある

鬼ノ角~虎丸山~三里山を周回してきた。

以前に独りで歩いていた頃に、鬼ノ角、三里山にそれぞれ登ったことはあるのだが、

ぐるっと周回するのは初めての事。どちらも登山道もなく、適当に取りついて

沢を登ったり、シダの海をよじ登ったりと悪戦苦闘した山域だが、

ここ最近はYAMAPで見ると、かなりの人が登っていて、何だかメジャーになりつつある。


WOC登山部としては今年に入って里山歩きを続けてきていたが、登山道ではない

今回の様なコースは初めてなので、今シーズンの里山歩きの総決算として

今日の鬼ノ角~三里山の周回はそれにふさわしいコース。

思い起こせばYAMAPなどがない頃の里山歩きはけっこう取りつきが判らず、

適当に登って行くと藪漕ぎだったり、羊歯の海だったりと悪戦苦闘した後に

山頂に着くと、しっかりした道があったりする事がよくあり、

がっかりしたり逆にそれがいい思い出になったりした。

今回は独り歩きの時とは違ってメンバーと歩くので、

ルートを間違えのないように、直近で歩いたエントツ山さん

ターニングポイントを前日に電話で確認して準備万端で臨んでみた。


今日は集合時間をいつもより遅めにしたので、町内の雲附山の近くまで

車を走らせ寄り道して見ると、山肌が山桜ですっかり彩られていた。




集合場所の白鳥町福栄小学校(廃校)の向かいの広場に30分前に着くと、

すでにみやさんとキョウちゃんが到着していた。

そして次々とメンバーが到着した後、予定より少し早く広場をスタートする。

この広場は旧福栄小学校の跡地で、入り口には第7代国鉄総裁の藤井松太郎さんが

東かがわ市福栄出身だったことから、1975年(昭和50年)にC11型機関車が展示されている。







広場を出て国道377号線を西に歩いて行くと、

北に今日歩く予定の三山と北山が仲良く並んで見える。

馬蹄石と書かれた案内板に沿って山際へと進んで行き、

洋風のおしゃれな民家の横から右に林道「たらいヶ谷線」へと歩いて行く。







しばらく歩くとアスファルトが途切れ、左側が崖になった場所からエントツ山さんに

教えてもらった取り付きとなるのだが、先週まではなかったロープが張られ

『私有地につき立ち入り禁止』の警告が書かれた板がぶら下がっていた。

ここのところYAMAPでも沢山の人が歩いている様子がアップされていたので、

ここから入山する人が増え、所有者の方が見かねて警告をしているのだろう。







馬蹄石の案内板のある場所の少し上の沢が今回の取りつき。沢を挟むと尾根も変わってしまうので、

取りあえず沢の手前のシダの生い茂る藪の中に突入してみた。




当然登山道でもなく、オニシダに埋もれて足元は全く見えない。

シダの葉を掻き分け、枯れた枝を折り前へ前へ、上へ上へと登って行く。

後ろから来るみやさんはこれだけの藪漕ぎは初体験。他のメンバーでもやはり

相当苦戦している。すると段差になった場所でみやさんが上がれず難儀をしていた。

左側に掴める木があるが、ストックで手が塞がっている。

見かねて『みやさん、ストックを!』と手渡ししてもらおうと手を差し出し

ストックを握った瞬間に、みやさんが登って来た。危うくそのまま引っ張られて

こちらが下に落ちそうになったが、何とかこらえて事なきを得た。

引っ張り上げたみやさんが『いや~助かりました!』と。

本当はストックだけを持ってあげようと思っただけなのに・・・・(笑)







足元が酷くオニシダや木の根に引っ掛かったり、段差で滑ったりしながら

少し右に振ってとにかくシダの海を脱出。一息入れて束の間まだまだ上には

相当なシダが見えている。平泳ぎのように手で両脇を掻き分けひたすら登ると

その内に前方上に尾根が見えてきた。何とか尾根まで這い上がり、

ナイフリッジのような礫岩を渡って岩肌を登って行くが、

またシダが現れた。後ろであっちゃんが、『こんな道がずっと続くといいのに!』と

言っている。とんでもない、勘弁してください奥様!










何とか尾根の羊歯と灌木をやり過ごすと、やっと尾根らしい道に出た。

取り付きからここまで1時間近くもかかってしまった。後ろからメンバーが次々と尾根に出る。

ニコニコ顔のあっちゃんを他所に、他のメンバーは相当疲れた様子だ。




花崗岩が風化した里山らしい尾根道がここからは続いていく。

視界も開けて周りの景色も見えてきた。深い海の底から明るい海面に飛びだした気分だ。










背の低い松の間を抜けるように尾根道は続いていく。岩肌は問題ないが乾いた土はザレていて滑る。

振り返ると福栄地区の土地改良事業でキレイな形になった麦畑が見下ろせる。







羊歯の海に比べたら歩きやすいとはいえ、なかなか急登のヶ所もある。

遮るもののない尾根道に、ジリジリと日差しが照り付けてきた。







その内に目の前に鬼ノ角の一つ目のピークが現れた。

コアラさんは登りには強い人なのだが、足元が悪いと

極端にスピードが落ちる。『腰が痛い!』と言い訳しながら登ってきている。







手前のピークを登りきりさらに進むと鬼ノ角のピークに着いた。

先に到着していたあっちゃんが、案の定岩の上に登っている。

続いてここには三角点がないので、セニョさんがいつものバンザイを岩の上で。










鬼ノ角からはこれから登ろうとする虎丸山の南尾根の岩肌が見え、右手には三里山、

そしてその奥には白鳥町の街並みが見える。更に先ほどから見下ろしていた福栄地区が

随分と下に見える。西側には星越山の頭の向こうに女体山だろうか?

その西側にも山並みが続いていて、文句なしの大展望だ!













ここで暫しの休憩をとる。珍しくコアラさんも岩の上に登って

ご自慢の360度カメラで写真を撮っているが、やっぱりウルトラマンセブンの変身ポーズに見える。







先ほどのシダ藪で、コロンコロンと音がしたというので、セニョさんが

ザックに付けたマグカップを落としたかと思ったが、セニョさんではなくみやさんが

カップを落としてしまった。更にはストックの片方も行方不明になったという。

ふと見ると、みやさんのではないストックが一本。メンバーのではないので

誰かほかの人が忘れて行ったようだ。







鬼ノ角からは西側に一旦下って行く。尾根道からは大内ダムが見え、少しだけシダの中の道となり、

次のピークとの鞍部にはエントツ山さんに聞いていた平たい大岩があり、

ここから右に折れて進んで行く。道には赤テープもあり、踏み跡もしっかりしている。










灌木の中をトラバース気味に進んで行くと、白いポールの立つ場所に出た。










左に進むと虎丸山からの修験造の道の取りつきとなる砂防ダムにでるので、

南尾根へはそのまま真直ぐ進むとエントツ山さんに助言をもらっていたので直進をする。

ここからは踏み跡は薄く、エントツ山さんが付けてくれたテープや、以前から付いていたような

色褪せたテープを目印に登って行く。










道が少し右にトラバース気味になると枯沢に出た。ここからも赤テープを目印に

直登で登って行くが、ここもかなりの急斜面。ストックは既に用をなさず、

木の枝を頼りにエッコラ・エッコラ登って行く。










コアラさんはずっと四つん這い状態で登ってくる。

また『腰が痛~い』と弱音を吐いている。(笑)




激急登が終わると少し先に空がのぞく尾根らしい場所が見えた。

その尾根に向かって登って行くと、やっと急登が終わる。




尾根に出てからは先ほど登った鬼ノ角が見え、鬼ノ角と同じような

花崗岩が風化した道と露岩の道が続いていく。







さらに進むといよいよ岩肌の道となる。右手には大きな岩壁が見えている。













その内にこの南尾根ルートの大きなキノコ岩のある展望所に着いた。

以前に今日取り付いた沢筋から遡上しさらには藪の中を延々とここまで登って来た場所だった。

ここが三里山だと思っていたのが間違いだと気づく。

ここまで来ると虎丸山はもうすぐそこまで来ている。

相変わらずコアラさんは四つん這いで登ってきている。

もちろん眺望は申し分ない場所だ。











取り付きから羊歯の海で予想以上に時間がかかってしまい、

お腹がペコペコなので先を急いで山頂を目指す。

展望所からは10分ほどで山頂に着いた。2週連続で同じ山に登るのは珍しいけれど

今日は苦労した末に大展望を楽しんだ後の登頂は格別な思いがする。

そんな人の思いとは関係なく山頂からの景色はいつ来ても変わらない。

ただ広場のアセビだけは先週より大きく花を咲かせていた。










昼食を摂りながらゆっくりと時間を過ごした後、さぁ最後の三里山へ!。

先ずは別所・新宮池ルートへと先週と違う登山道を下って行く。







急坂をしばらく下ると『タバコポイ捨て注意』の看板から右に折れると、廃道になった福栄道となる。

廃道といっても道は明瞭。急な場所にはロープが張られている。

最後のロープは真新しいクライミングロープが張られていた。

これが344男爵が最近付けたロープの様だ。

かなりの長さのロープに、高かっただろうな~といらぬ心配をする。










そのロープのある急坂が終わり少し歩くと、尾根から右に朽ちかけたロープが見えた。

恐らくここからが崩落して廃道となったという福栄道なのだろう。

前回はここを下って途中で道が判らなくなり、また沢筋へと降りてしまった記憶がある。

尾根から外れないように灌木の中を進んで行くのだが、振り返ると尾根の下の方を

歩いているコアラさんが見えた。『お~い!こっちこっち!』と声を掛ける。




一旦岩を登り岩稜となった尾根を時折ネズキサシに阻まれながら進んで行くと、

前の方で歓声が上がっている。灌木を抜けると前方でまた岩に登っているあっちゃんの姿が見えた。

『しまった!首輪とリードをつけるのを忘れていた!』







三里山は岩稜の突端になる。もちろん遮るもののない大展望が広がっている。

突端ではあっちゃんニコニコ顔で寛いでいた。














腰の引けているルリちゃん。キョウちゃんも少し引き気味!

独りだけ上機嫌のあっちゃんとここでも万歳をするセニョさん。













狭い岩の突端でごった返しているメンバーを他所に、

あっちゃんは更に岩の下へ探検に出かけて行った。

しばらくするとまたニコニコしながら『石祠があったわよ!』戻って来た。

今日最後の展望を楽しんだ後、虎丸山に別れを告げ、岩稜の右に回り込んで下って行く。







ここからも花崗岩が風化した尾根が続いている。小さな石粒の山肌は時々腰を降ろして

下らないと、立ったままでは滑り落ちそうな場所もある。







みやさんは初めての藪漕ぎもきクリアし、ザレ道も随分上手に下っている。

後ろでは賑やかに三人が下っている。『お~い!無駄愚痴叩かず早く降りて来~い!』







ザレ場が終わるころ、振り返ると三里山の独特な岩肌が見え、次第に里も近づいて来た。

三里山の先端の尖った大岩が鬼ノ角のように見える。

どちらかと言えば三里山の方が鬼ノ角の山名に相応しい!







最後は樹林帯の中の急坂になる。右手左手で木々に掴まりながら下って行くと

最初に取り付いた林道に飛び出した。取り付きには二枚赤テープが木に巻かれていた。

お疲れ様、今回のミッションはこれで終了!













林道を雑談をしながら下って行くと、最初に取り付いた尾根が見えた。なかなかの急斜面だ。

取り付き場所から少し下り、馬蹄石の案内版の辺りの反対側に、木に巻いた色褪せた赤テープがあった。

恐らくここが以前からの尾根に取り付く場所だったのだろう。





今朝の取りつき



よく見ると色褪せたテープのある別の取り付き


山を下りた後は機関車広場でいつも様に、コーヒーを沸かし、

今日の出来事を振り返りながら、いつになくまったりとした時間を過ごす。

取り付きからのシダ漕ぎと這い上がり。花崗土の風化した道と大展望。

そして木々に掴まりながらの急登に急坂の下りと、今日のコースは

香川の里山のバリエーションの全てを網羅した、今シーズンの里山歩きの

卒業試験としては最適のコースだった。取りあえず今日のメンバーは

卒業試験合格ということで終了となった。あ~楽しかった!





今日のトラック



今日の3Dトラック




WOC登山部2021.03.17 水主三山+二山

2021年03月18日 | 香川の里山
今日のWOC登山部里山班は先週までのSYHで西讃までを歩いたので、

今週はまた東讃へと帆先を変更し、水主三山本宮山・虎丸山・那智山を歩いて来た。

この三山のほぼ中央には、創祀(そうし)が奈良時代以前といわれ、

863年に讃岐の神社で最初に位階(正一位)を授けられた水主神社ががあり、

本殿の脇には熊野三社が祀られている。そして三山のそれぞれの山頂には

室町時代に熊野三山が勧請され(神仏を分身し他の地に移して祭ること)、

古くから信仰の山として親しまれてきた山々なのだ。今回、この山を選んだのは

実は次に登りたいと思っている鬼ノ角~虎丸山~三里山の布石で、

先ずは三山をクリアしてから・・・・裏コースをと考えての事なのだ。


水主コミュティーセンターに8時30分に集合し本宮山を目指してスタートする。

このコミュニティーセンターは元笠松小学校の跡地に建てられていて、

敷地内には笠松小学校の廃校から35年たったこの場所を、後世に伝え親しんでもらえる場所にしたいと、

川北氏(元香川県副知事)の呼びかけで、卒業生や地域の方々の寄付を集め、

記念碑の制作を流政之氏に依頼して造られた『何しょんな』の像が建っている。







笠松川に沿って歩いて行き猪避けの柵を開け、道なりに進んで行くと登山道への取り付きになる。

登山口(参道)には一つ目の赤鳥居があり、脇にはくじら岩の案内板と杖が置いてあった。














赤鳥居から少し九十九折れの道を登ると、脇に羊歯が生えた里山らしい道が続いていく。

途中で小さな沢を渡り山頂から複雑に派生する支尾根のひとつに取り付いて行く。

ずいぶん昔、この山に初めて登ったとき、ここで道を間違ってこの沢を登ってしまい

そのまま藪漕ぎをしたり、スズタケが密生する中の獣道をほふく前進しながら登って

とにかく苦労したのを思い出す。







沢からも意外と急な登りが続いていく。しばらくすると花崗土が固まった痩せ尾根になり

更に進んで行くと二つ目の赤鳥居のある場所に出た。山中にあるこんな赤鳥居を見ると

いよいよ神聖な領域に踏み入った雰囲気が漂ってくる。







赤鳥居から最後の急登を登るとお目当てのくじら岩の待つ本宮山に着いた。

天気予報では今日一日晴れマークだったが、まだ回復が遅れているようで

雲がたちこめ霞んでいてせっかくの眺望も墨絵の様だ。










この山頂ではくじら岩ともう一つ大切な今日の目的があった。

それは以前からセニョさんが趣味?としている、KPH(キティーちゃん・プレート・補修)活動。

四国の山の山頂でよく見かけるキティー山岳会のプレートが、経年劣化で割れているのを見かけたら、

セニョさんが補修をしているのだ。事前にセニョさんに、

『業務連絡・・・本宮山のキティーちゃんプレートが割れています!』とメッセージを送ったら、

『了解しました。補修キットを持参します!』と連絡を取り合っていた。










補修作業は割れたプレートにCDで裏当てしてボンドで張り合わせるのだが、

ボンドが乾くまでの間、洗濯ばさみで固定していくという作業。




補修作業が終了したので、くじら岩の前で記念撮影。

このくじら岩、正面から見ると海面から顔を出し今にも飛び上がりそうな

威厳漂う雰囲気がするのだが、実は裏から見るとポンキーズのガチャピンが

笑っているような真逆な顔を持っている。







山頂からは白く小さく可愛らしいアセビの花を横目に見ながら早足で?下って行く。

なぜなら今日はもう一名途中参加の予定のもとちゃん

次の待ち合わせの水主交流センターで待っているのだ。










そそくさと本宮山から下りた後、車で移動して交流センターでもとちゃんと合流する。

予定では次に那智山に登り、最後に虎丸山に登るつもりだったが、

実は那智山から時間が許せば石見山と石鉄山まで足を延ばしてみてもいいかなと

密かに考えていたので、メンバーもまだまだ余裕がありそうなので、計画変更して先に

虎丸山に登ることにして、風呂の集落を目指して下道を歩いて行く。

与田川に沿って歩いて行くと道の脇に満開の白い花が咲いていた。

梅?桜?桃?と女子達?が話していると、もとちゃんがスモモの花だと教えてくれた。










与田川沿いから右に折れ民家の横を歩いていくと、住人の方が

『虎丸山に登るのですか?途中にきれいなトイレを造ってあるので利用してください!』

と声をかけてくれた。そのトイレは石風呂跡の石碑の向かいの

弘海寺にあり、さっそく使わせてもらう。トイレの前は広い

駐車場にもなっていて、虎丸山に登るのならここに車を停めるのもいいだろう。

弘海寺からは南に向かってのどかな里の風景を見ながら歩いて行くが、この辺りはどこも

猪避けの柵で田畑が囲まれていて、更には電気線(猿避け用)が張り巡らされている場所もある。

のどかさとは別に地元の方の実情が伺える。




最終民家を過ぎると大きな砂防ダムの下に着いた。砂防ダムを見ながら、

そのダムの作業道をしばらく歩いて行く。







みやさんの背中には最近作ったWOC登山部のキーホルダーが揺れている。





作業道が終わると、いよいよ登山道になる。ここでも小さな沢を渡り、

朝方までの雨でまだ少し濡れた道を登って行く。










次第に道も急になり、普段賑やかなメンバーがいつになく寡黙に歩いている。

途中で木々の間から山頂が顔を覗かせるが、『ほら!山頂が見えるよ!』と言うと

『え~まだ、あんなに遠いの』とクーちゃんの悲鳴にも似た返事がかえってきた。







そこからしばらく登って行くと三角点への案内板があり、少しだけ寄り道をする。

眺望もない猫の額ほどの場所に三等三角点虎丸山があった。







三角点からは少し緩やかな道を進み、左にトラバース気味に歩くと

いよいよ山頂直下の取り付きになる。ここからはロープが張られた急登に

最後の力を振り絞り登って行く。










虎丸山山頂には新宮大社が鎮座している。

石祠の奥には白鳥町から引田町の眺望が広がっている。








広場になった休憩所の中には一月に一人で来た時に気が付かなかった、キティーちゃんのプレート有り、

阪神タイガース私設応援団のタイガースの旗が飾られていた。







ここでもとちゃんが手作りのプリンを用意してくれていたので、さっそく頂くことにする。

抹茶味のプリンには粒あんが入っていて、抹茶と粒あんの甘さが相まってとても美味しい!

疲れた体に最高のプレゼントに健さんも満足げだ。








登ってくる途中でゆかりんがメンバーに教えてくれた

チェストストラップの笛を早速楽しそうに鳴らしてみんなの前で披露する、

みやさん・ルリちゃん・クーちゃんの三人。




山頂でいつになく、ゆっくりまったりと過ごした後折り返して下って行く。







途中では星越山とその右奥にはピラミダルな形をした笠ケ峰が見えている。







下りではお腹が空いて先を急いでいるのか、メンバーの下る速度がいつもより早い。

どんどん先を行くグループとは別に、後ろからはキョウちゃん・あきちゃん・もとちゃん

三人娘?が楽しそうに話をしながら下ってきている。











砂防ダムまで下り、民家の横を通り先ほどトイレ休憩した弘海寺でお昼ご飯にする。

ここのトイレは男性用と女性用に分かれていて、男性用の小便器の前にはこんな張り紙が!

男性用のトイレにはよく見かける張り紙だが、最後の一文がグサッと刺さる!(笑)







少し離れた場所でセニョさんがなにやらスマホを覗いている。

すると『ちょっとこの上に三角点があるみたいやから見に行ってくる』と言って

ご飯も食べずに出かけて行った。しばらくして戻って来たセニョさんに声を掛けると

三角点と石祠があったそうだ。(後で調べると三角点は四等三角点風呂

石祠は愛宕宮の祠だった)




那智山へも登山口へと、のどかな集落の中を下道を歩いて行く。

冬の終わりを告げる様にツバキの花が道に散りばめ落ちている。

そして道の脇には土筆が生え、降り注ぐ日差しも春らしくまだ柔らかく心地が良い。







那智山からは今日の三山のなかでは一番の急登となる。

先ずは本宮山と同じような赤鳥居を潜って、急登へと取り付いて行く。







少し高度が上がってくると、先ほど登って来た虎丸山が正面に大きく横たわっているのが見える。










二つ目の赤鳥居を潜ると山頂はもうすぐ!

『あと少しだよ~!』と励ましながら登って行くと三山目の那智山に着いた。








ここから広がる景色は今まで何度も書いたが、東讃でも屈指の眺望だ。







みやさん、ツーさんの同級生二人に挟まれ笑顔のセニョさん。








記念撮影をした後『この先に石見山と石鉄山がありますが、時間と体力に余裕のある方

は歩いてみますか?』とメンバーに提案してみる。すると意外やほぼ全員が歩いてみると言う。

ただキョウちゃん・ゆかりん・あきちゃんの三人は帰り道の三木町にある

東東亭という食堂で、天津飯を食べて帰る予定にしていたので、ここで今日は帰ると言う。

この三人には“花より団子”ならる“山より団子”の様だ。


山頂の石祠の後ろの岩場を降り西へと進んで行くと、登山道ではなく

踏み跡と赤テープを目印にしての歩きとなる。










小刻みなアップダウンが続いていく中、登りでは圧倒的に強いキヨちゃん

マイペースながら粘り腰で立ち止まることなく登ってくるひなちゃん








石見山は地形図に山名もなく、樹林帯に囲まれた山頂らしからぬ場所に

三等三角点大林がひっそりと佇んでいる。







さらに先に進んでアップダウンをしていくが、踏み跡もなく所々でテープから外れて歩く。

鞍部から支尾根に出て少し歩くと石鉄山に着いた。

石鉄山はいしづちざんと呼ばれ、山頂の広場には石鉄山蔵王大権現の石仏が祀られている。








ここ最近の里山班はほとんど10km以上のコースを歩いて来たメンバー。

三山を登った後に少し疲れをみせているものの、よくここまで歩いて来た。




那智山から西に歩いて来た道は、石鉄山から少し北に振った後、南に245mの

標高点へと登って行く。245mからは一旦急坂を下るのだがその傾斜に加えて、

乾いた花崗土の斜面が滑りやすくてメンバーも転がり落ちてくる。










急坂で苦戦した後は少し登って岩場に出た。足がかりの悪い岩場にも少し苦戦するが、

岩場を乗り越すと今日最後の大展望が待っていてくれた。

メンバーもまさかの思わぬ景色に歓声が上がっている。

那智山では直ぐ近くに見えた虎丸山と、次回登りたいと思っている鬼ノ角が

随分と遠くに見え、反対にはその山容が対照的な屋島と五剣山まで見える。










ここで少しビビって山際に近づこうとしないメンバーを尻目に、

キヨちゃんがひょいっと岩に登ってポーズをとっている。

WOC登山部にはあっちゃんが尖端大好きで有名だが、

キヨちゃんもどうやらあっちゃんウイルスに感染しているようで、

恐怖心というものがウイルスに侵されて欠落しているようだ。







今日最後の展望所からも急な乾いた花崗土の急坂を下って行く。

ただ先ほどの245mの急坂と違って、掴まる木がほとんどなく

足を踏み出すと最後まで止まらない急滑降!




急滑降して降り立ったため池の土手には猪避けの柵。

前回は固く閉じていて乗り越えた柵は開く様になっていた。

ここで全員無事にゴール!







今日の後半は登山道でもなく何度か間違えたヶ所もあったが、

三山を登った後に更に二山を何とか歩き終える事ができ、

歩行距離13km弱、行動時間7時間と、最近のメンバーはほんとよく歩くと

感心しながらコミュニティーセンターまで歩いて帰る。




ちなみに“山より団子”の三人娘は、天津飯を食べると言っていたのに

更に酢豚と餃子も食べたとか・・・・。敵いません!

そりゃあ登山しても痩せないと愚痴てもこれではね~〇〇りん!






WOC登山部2021.03.10 七宝山縦走

2021年03月11日 | 香川の里山


WOC登山部SYH(縦走・ぐるっと編)も今日で一応予定していた5回が終了となる。

東讃から始まり高松市、中讃そして今日は西讃の七宝山系を縦走してきた。

この七宝山は地形図で見ると不動の滝の北と、志保山の北にも七宝山と書かれていて、

しかも実際は七宝トンネルの上が七宝山となっていたりで、少しややこしい山なのだ。


このところのSYH(セニョさん・YAMAP・補填)で歩いてきて、随分と車のデポにも

慣れてきたメンバー。今日は西讃支部?のあっちゃん・ルリちゃん・クーちゃん

デポ車の担当を買って出てくれた。ゴール地点となる加嶺峠(加齢峠)に3台をデポ。

その後に私の車で集合場所の高屋神社下宮まで走って行く。

今日はまた新たにユーちゃん・みっちゃんが初めての参加。

お二人は麺法師さんの同級生なのだが、みやさん・健さんとも

同級生と言う事で、さながら同窓会といった感じだが、肝心の麺法師さんはこのところ

雪山登山に凝っていて、まだ顔合わせができていない。


ほぼメンバーがそろったところでセニョさんから電話がかかってきた。

『ナビで下宮を入れたら何故か本宮に来てしまった!』と。『???』 

それ、もう上まで車で登った事になるではないですか・・・・!

上から降りてここまで来るのにまだ少し時間がかかりそうなので、

先にひなちゃんを先頭に1班でスタートしてもらい

あっちゃんとルリちゃんとコアラさんで待つ事に。

しばらくして現れたセニョさんと一緒に、二班はスタートする。







下宮からの参道を正面に稲積山の岩壁を見ながら桜並木の道を歩いて行く。

最初は緩やかなコンクリートの道も次第に勾配が急になってくる。

このところの高屋神社の天空の鳥居のブームで、観光の若い女の子達が

何も知らずにこの場所から登って行こうとして、途中で諦めて戻って行くのを見かけたと

ルリちゃんが教えてくれた。




コンクリート道は途中の中宮辺りまで続いている。それにしてもいつ来てもここの坂では息が切れる。







地道になっても九十九折れの急登は続き、高度が上がってくると

南に有明浜を眺められるが、ゆっくりと眺める余裕もない。







鉄製の橋を渡り少し登ると地形図でも等高線の間隔が広くなってくる尾根になる。

道の途中、下の鳥居から〇〇mと書かれた案内板が掛けられているが、

本宮までの残りの距離は分からない。その代わりに道の脇に丁石が1丁(109m)ごとに建っているので

それを見ながら『あと少し!』と言いながら登って行く。







道に露岩が現れるともう少しで本宮だ。北に荘内半島を眺めながら進んで行くと、

前を歩くあっちゃんが『石段に着きましたよ!』と教えてくれた。







石段まで来るとその石段はすき間にモルタルが詰められて様変わりしていた。

自然石で造られた石段は以前はガタガタしていて、踏むたびに音がしてとても歩きにくかったが、

逆にそれが趣があって良かったのに、これではその風情が台無しになった感じがした。

地元にとっては観光地として新しくスポットライトが当りプラスになっているのだろうけど、

安価に手っ取り早くモルタルを塗りたくった石段。観光地となったが故に無くしたものもある。










本宮に着くと先にスタートした一班が東屋の下で寛いでいた。

天空の鳥居を目当てに既にけっこうな人がいる。

高屋神社は山の名前から稲積神社(稲積さん)とも呼ばれる、稲の神様。

鳥居の下で写真を撮り、本宮にお参りして先に進んで行く。













高屋神社の駐車場を過ぎアスファルト道を進んで左に山の中へと入って行くと尾根に出た。

その尾根道を少し登って行くと上之山と書かれた、一等三角点高野山に着いた。













三角点からは緩やかにアップダウンしながら道は続いていく。

その内に青いベンチが置かれた仁尾の街と燧灘が見下ろせる展望所に着いた。

少し霞がかかっているが、仁尾の街から奥に浦島伝説の残る荘内半島が続いている。

ここでスタート時点で下宮で一緒になり、独りで歩いていた男性に声をかける。

『どこまで歩かれますか?』と聞くと、『途中まで歩いて引き返そうと思っています』と。

『お昼ご飯は持っていますか?』と言うと『パンならあります』と言うので、

我々はこのまま真平山まで縦走して、デポ車で下宮まで戻るので、

ご一緒しましょう!と言う事で、旅は道連れとなった。


寒くもなく暑くもなく丁度いい天気に、しばしその景色を眺めまたスタートする。

するとベンチに黒いザックが残っている。『お~い!誰かザックを忘れてるで~!』

と声を掛けると、先を行っているユーちゃんの背中にザックがない。

本人は気づかず先に行こうとするが、周りのメンバーが教えてくれて慌てて戻って来た。

忘れ物や落とし物は度々あることだが、ザックを背負い忘れるのはWOC登山部でも初めてだ!(笑)











展望所からは所々で車道を横目に見ながら歩いて行くと、地形図に445mの標高点が

書かれ広場になった丁度、七宝トンネルの真上に着いた。

ベンチの奥には『七宝山系(志保山)最高地(つづ)449m』と書かれた背の高い杭が立っている。

確かにこの山系では最高点だが、志保山はまだ先になるし、さらに志保山の北に七宝山(真平山)がある。

そして少し先には七宝山と書かれた山名標が立っている。

しかもこの下は七宝トンネルだし、『いったいどこが七宝山なんだ~!!』













その山名標の先は今度は三豊側の眺望が広がり、天蓋の桜と書かれている

桜の大木の立つ場所に出た。ここでもタオルが一枚落ちていた。

『誰のタオル?』と聞くと、ユーちゃんがまた慌てて取りに来た。

おかしい。セニョさんとは濃厚接触はしていないはずなのに、

ユーちゃんはすでにセニョウイルス重症者のようだ。




天蓋の桜から今日初めての急坂を下り、さらに進んで行くとハンググライダー基地に着いた。

木々もなく急斜面になった場所からは今度は仁尾の曽保の辺りが見下ろせる。

下にはもう一つハンググライダー発進台のある竜王山も見えている。

今日は右に三豊平野、左に燧灘と西讃地区の眺望が続いていて忙しい。










ハンググライダー場からは樹林帯の中の道が続いていく。

今日最初の落ち葉の積もった道をカサコソ音をたてながら進んで行く。










志保山山頂からも西側の景色が広がり、三等三角点石ケ谷がある。

最近の里山の山頂でよく見かけるが、ここでも木々が伐採されて眺望が良くなっている。

ベンチも置かれて登山者にとっては景色を眺めながらの休憩場所としてはいいのだが、

やっぱりそこは私有地。(気になるので国土地理院の点の記を見てみると、仁尾の方の山だった)

地権者の方がすすんで伐採しているのか、それとも愛好者が許可を得てしているのか

ここのところずっと気になっている。










まぁ~あんまり難しい事を考えても仕方がないので、みんなでにこやかに記念撮影。

道擦れの男性も交えて撮ってみる。







志保山からは少し東に振って下って行くと東峰 志保山と書かれた道標の立つ分岐に着いた。







たしか先月、Keitannさん・ピオーネさん・Reikoさんが歩いて、とってもお気に入りになったと書いていた、

平坦で木々も疎らで明るいとても雰囲気のいい道が東峰まで続いていた。







東峰には真新しい山名標とハートの背もたれのベンチが置かれていた。

このハートのベンチはこの辺りの里山の至るところに置かれている。

恐らく同じ人かグループかが作って見晴らしの良い場所に置いているのだろう。








正面には先週歩いた善通寺五岳と大麻山が見える。

こうやって次々に前回の踏み跡を眺めながらここのところ歩いてきたが、

視界にある山が直ぐに同定できるのも、香川の里山歩きの楽しみのひとつだ。







ただ近くに見える汐木山の山頂が、ますます平らになっているのが見えて少しもの悲しい。




志保山東峰から分岐まで戻って吉津峠へと下って行くと、四国のみちの道標が立つ場所に出た。










ここでセニョさんが、志保山は“しおやま”と読むと教えてくれた。製塩の盛んだった仁尾町で、

古くから塩を煮詰めるための釜を焚くための木を、この“しおやま”で採っていたそうだ。




四国のみちから吉津峠の三豊側に降り、峠を越えて八柱神社でトイレを借りてお昼にする。




お昼ご飯を終えて今日最後の山となる真平山へ。

神社の横を登って行くと本ルートと赤道との分岐になり、その先に地元の小学生も一緒に植林した

桜の咲く緩斜面の登り口になる。この時期に既に満開に近いのは河津桜だろうか?

正面には名前の通り山頂が平らになった真平山。










桜の斜面には『3.11 忘れないそれが大切』と書かれた札が何本か立っている。

そう言えば明日は東日本大震災からちょうど10年になる。




植樹の畑からは急登が続いていく。やはりご飯を食べた後の急登は疲れる。

ルリちゃんもみっちゃんも、しんどいと言いながらペースが落ちてくる。







途中の見返り坂からはこの時期たくさんの人で賑わう、吉津の河津桜が遠目にも見えている。










見返り坂からも急登は続き、トトロの森と書かれた道標の辺りから樹林帯の中の道になる。

途中で北に向かって山頂へのトラバースの道には、木の枝に足が攣った人の為か、

塩を入れたビニール袋が掛けられていた。










山頂近くでは先ほど見えた汐木山や竜王山・毘沙古山・貴峰山の三座の奥に

黒戸山・弥谷山・天霧山そして少し右には三条山や爺神山が見えた。







真平山の山頂は木々に囲まれていて見晴らしはなく、。四等三角点社山








真平山からはあとは下るだけ。といっても途中で分岐を間違えコースを外れて結構くだってしまった。

243mの標高点と通って加嶺峠に降りる予定だったが、もう登り返す元気がない。

申し訳ないがデポ車担当の西讃支部の三人娘?には戻ってもらって、

残りのメンバーはそのまま少し下に見えたミカン畑へと下って行く。




降り立ったみかん畑は仁尾町特産の曽保のみかんの畑だった。

みかん畑にはあちこちで桜や梅や桃の花が咲いている。

さすが日本有数の日照量を誇る仁尾町だけあって、果実も花も太陽の恵みを受けて

スクスクと育っている。













みかん畑を道なりに下って行くと、七宝山登山口と書かれた県道21号線の近くに出た。

県道まで少し歩き、疲れたメンバーにはここで待ってもらって、

『登り返していった奥様方の機嫌が悪くなったらいかんけん』と、

デポした加嶺峠まで県道を歩いて行く。




デポした場所で少し遅れて三人娘が降りてきた。デポ車に乗り込み、途中で待つメンバーを拾い、

スタート地点の高屋神社下宮まで戻って、いつものコーヒータイムで雑談をした後解散となった。




行動時間5時間30分、沿面距離12.6km、累積標高910m。

ここのところ同じくらいの距離を歩いてきてメンバーもこれくらいの距離と高度差にも慣れてきた。

寒風の中でスタートしたSYHだが、最後は随分と春めいてきた一日となった。


今日のトラック



今日の3Dトラック


WOC登山部2021.03.03 善通寺五岳

2021年03月04日 | 香川の里山
WOC登山部SYHも高松市からいよいよ終盤の中讃に突入。

中讃地区での縦走路で代表的な善通寺五岳を歩いて来た。

善通寺総本山の裏手から続く香色山・筆ノ山・我拝師山・中山・火上山の五座が並んでいるが、

まるで屏風のように山々が連なっていることから、讃岐国屏風浦と呼ばれている。

善通寺市内からそれらを見ると特に我拝師山の山容が独特の形をしていて、

空海のゆかりの地らしい雰囲気を醸し出している。

過去に一度だけあるいたこのコース。その時はまだ空海ウォークではなく五岳山縦走

銘打って、当時一緒に山登りをしていたメンバーがボランティアで参加するというので、

総勢350人もの参加者に交じって歩いた。


今日の参加者は12名。久しぶりに三木市在住なのに、なぜか神戸支部長と言い張る山じいも参加。

まずはゴールとなる鳥坂峠の東の路肩の広い場所に3台をデポ。

その後集合場所の総本山善通寺の駐車場へと向かう。

すぐ目の前には緩やかに裾野を広げた香色山。全員が揃ったところでスタートする。







香色山山頂までは軽くウォーミングアップで遊歩道を歩いて行く。

九十九折れの道を登って行くと折り返しの場所で少しづつ景色が広がってくる。

北に100mにも満たない甲山が、ちょこんと頭を出している。







すると後ろから息を切らせながら若者が走って追い抜いて行く。どうやら自衛隊の人たちの

鍛錬のようだ。街中では学生が部活動で走っている姿をよく目にするが、大抵一番最後を

遅れて走っているのが少し太めの子。この自衛隊でも御多分にもれず最後は太めの若者が

一番しんどそうにして追い抜いていった。(笑)




香色山山頂は東屋もあり北から東側は中讃の街並みを見下ろせる広場になっていた。

今日はみやさんがわざわざ事前に用意してくれたスタンプ帳に、

五座の山頂でスタンプを押して最後に登山証明書をもらう予定。

キヨちゃんも一つ目のスタンプ、ゲット!







西側にはこれから向かう筆ノ山と拝師山が連なり見えている。







一息入れた後、筆ノ山との鞍部に一旦下って行く。夜更けまで降った雨で道がぬかるんでいるのが

気になっていたが、日当たりのいい道は意外に乾いていて歩きやすい。







筆ノ山には朝比奈・西山・平谷・大坂峠の四つの登山口があるが、

鞍部から西山登山口に向かってスズタケの道を歩いて行く。



西山登山口の脇には桜の大木が花を咲かせ迎えてくれた。







ここからは筆ノ山山頂までは約250mの標高差。また九十九折れの道を右に左にと

登って行くが、樹林帯の中の道はやはりまだ濡れていて滑りやすい。

危うい足元に事故が無いように、道の脇では弘法大師が見守ってくれている。











久しぶりの参加のコアラさんと飯野山での土木作業?の話を聞きながら登って行くと

山頂が近づくにつれ樹林帯の中の道は次第に木々の間から青空は広がりはじめ、

そのうちすっかり葉を落とした明るい山頂に着いた。







筆ノ山は標高296m、山頂が細くとがっていて、遠くから眺めると筆の穂先に

似ているところから名づけられたという。また徳川末期に丸亀藩の砲術隊が

筆ノ山のふもとを標的にして実弾射撃の訓練をしたことから、「どんどやま」とも呼ばれている。

山頂には井戸のような石積みが残っていて、四等三角点筆之山には珍しく

三角点の測量の際に用いられる測標の櫓も残されていた。

その測標の下で息を切らせて登って来たばかりの長さんの造り笑顔!










ここからの眺望も最高だ。東には中讃から続くさぬきの里山。目の前には我拝師山。

北には山頂近くまで採石によって山肌が露になった天霧山が見える。










ここでもザックを降ろしてスタンプを押して一息入れる。







この五岳は花崗岩を基盤に香色山は流紋岩、残りの四座は安山岩が山頂近くを覆っているが、

この筆ノ山の山頂には安山岩の板状節理の露頭が見られる。




山頂から大麻山を眺めながら下って行く。

先ほどの香色山もそうだったが、下りの道では陽が当たって乾いていて助かる。




筆ノ山登山口のひとつの大坂峠からはいよいよ我拝師山への登りが始まる。

今日の最高地点の我拝師山山頂までは約350mの登り。今日の正念場だ。




先週の六ツ目山の直登もそうだが、県内の里山もけっこうハードな登りがある。

普段あまり歩けていない長さんが随分とバテてきた。付かず離れずで後ろから付いて行くが

数歩歩いては立ち止まり息を切らせている。







次第に先ほど下って来た筆ノ山の標高に近づいて来た。

山頂に近づいてくるほど木の枝を掴んで登らないといけないほど道は険しくなってくる。










やっと筆ノ山が下に見える様になると、いよいよ山頂だ。

雨が降った後の空気は澄んでいて、今日は瀬戸大橋もくっきりと見えている。

露岩が現れると山頂が近づいた印。上の方から『お~い!』とルリちゃんの呼ぶ声がするが、

『返事する余裕もないわ!』と長さん。あと少しと励ます。













山頂には三等三角点禅定山と空海ウォークに因んでか、

比較的真新しい大日如来の石仏があった。










山頂からは今度は中山の肩越しに、三豊方面の眺望が広がっていた。

今日初めての集合写真を撮ってみると、メンバーの表情でここまでの疲労度が見て取れる。










さぁ~ここからは今日の下りのメインディッシュの岩場。

空海が7歳の時に7日間修行をしたが、なお仏に出会えず身を岩下に投げた時、

お釈迦様が現れて彼を救ったという伝承が残っている捨身ケ岳だ。




疎らな灌木と岩場の道からは眺望もよく、直ぐ真下の出釈迦寺奥の院・禅定寺が近づいてくる。

その景色をカメラに収めようと、久しぶりに見たコアラさんのウルトラマンのポーズ!










登りではめっぽ強いコアラさんだが、膝が痛いと言って下りはコアラでなく亀さんになる。

その都度立ち止まってしまうので思わず後ろから・・・・・・(笑)







捨身ケ岳の中間部に建つ稚児大師像の前で仲良く並んでの健さんとまりちゃん

ここからは鎖場が続いていくが、人に寄って随分と得手不得手がでてくる。







トントンと先に降りて行ったセニョさんを上から見下ろしながら下って行く。

恐らくこんな場所は初めてだろうまりちゃんが鎖で難儀をしている。『慎重にね!』










今日は雪山スキー部に参加したあっちゃんがいたなら、さぞやニコニコ顔だっただろう。

核心部になるとけっこう高度感もあるが鎖に掴まりながらゆっくりと降りて行く。

他の山にあるほとんどの鎖場の鎖は古く錆びているが、ここの鎖は新しく光っている。

すると恐々降りてくるまりちゃんが『この鎖切れんやろか』と。 (*'▽')










禅定寺の境内は石板が敷き詰められていて、普通の寺院とは少し違った雰囲気がする。

境内には様々な石碑や石仏が並んでいて、中山を背に光り輝く黄金の釈迦如来があったりする。

その足元のちょっと不細工な狛犬も笑いを誘う。










とは言えここからの眺望も抜群だ。北に南と景色が広がり、南には阿讃山脈の奥に

雪を抱いた山肌も見える。筆ノ山からは近くに見えた大麻山が、もう遠くに見える。







日当たりもいいので境内でベンチに腰掛けたり石畳の上に座り込んだりしてお昼ご飯。




ゆっくりお昼ご飯でお腹を満たした後は残り二座。

先ずは目の前の中山へと取り付くが、ここも距離は短いが

手に持つストックが邪魔になるほどのけっこうな急登。










振り返ると捨身ケ岳を背にした独特な雰囲気の禅定寺が見える。







直ぐに中山山頂には着いた。ここでも今日四つ目のスタンプゲット。







山頂から火上山まではまた一旦下り坂になるが、今日初めてのぬかるんだ下り坂に

時々足を滑らせたメンバーの声が聞こえてくる。鞍部から登りが始まると鉄塔広場に出た。










鉄塔広場からは防火帯のような幅の広い道が続いていく。

だらだらと続く登坂は、ご飯を食べた後にはけっこう堪える。










昔から軍事上の重要な位置にあり、ここにのろし台を置いたことから、山の名前がついた火上山。

(県内にある火ノ山や火山も同じような由来の名前になっている)

山頂はそれほど広くなく、木々に囲まれ四等三角点火上山とスタンプゲット!











山頂から、西に最初は緩やかな道を下って行くと次第に急な下り坂になってくる。

一ヵ所だけ見晴らしの良い場所にはベンチが置かれ、三条山

今やその面影もない讃岐七富士のひとつの爺神山が見える。







地形図では途中の分岐から鳥坂峠に向かって登山道の破線が続いているが、

空海ウォークの案内札は少し南西に振って続いている。

急な坂を下ると今度は北に向かってかなりの距離でトラバースの道が続いていく。

結局、地形図の登山道とは途中で合流したが、トラバースが終わるとロープのある

更に急な下り坂となる。案の定後ろのコアラさんと長さんがどんどん遅れてくる。











すでにグループは一番先を行くメンバーと二つに分かれているが、

さらに後ろの二人が全く見えなくなってしまった。少し迷いそうな場所で

メンバーを先に行かせて独りで待つが、しばらくしても姿が見えない。

『お~い!』と呼んでも返事が返ってこない。仕方がないので最後に見かけた場所まで

戻って行くと電話が鳴った。コアラさんからだった。

『今、どこ?』と聞くので、『今、どこ?』と返すと、鳥坂峠から西にある鉄工所だと言う。

そのまま国道を鳥坂峠まで歩いてきてくださいと伝えて、独りまた引き返していく。

前回峰山で山さん達が遭難?したが、今回はコアラさんが遭難した。(笑)

初めて見る池用地と彫られた石柱を横目に見ながら下って行くと

ミカン畑の横でずいぶん待っただろうメンバーが出迎えてくれた。

国道の脇には火上山の案内板が建っている。以前は三野町側に空海ウォークで降りたが、

新たにこちらも登山口(下山口)になっているようだ。







デポ地点まで戻るとセニョさんが甲山に登ると言う。同調したひなちゃんやクーちゃん

ルリちゃんとキヨちゃんも一緒に登ると言うので、ここでひとまず解散。

残りのメンバーは総本山まで戻り、五岳山・五ケ寺ガイドブックの巻末のスタンプ帳を

御影堂横の土産物屋で五岳山登頂証明書を発行してもらう。

証明書は事前にみやさんが問い合わせをすると残り僅かですと言われので、

みやさんが今日の人数分を気を使って取り置きしてもらっていた。

証明書には日付と名前を印字するので少し時間がかかるというので、

久しぶりに総本山を散策。コアラさんに付いて名物のカタパンを買いにより、

本堂にお参りすると土産物屋で証明書が出来上がっていた。










令和3年3月3日と日付が書かれた証明書は、偶然にもきりのいい記念の証明書となった。




弘法大師が幼少の頃、遊び修行をした山々でその大師と同じ空気を肌で感じながらの、

沿面距離8.5km、累積標高942mと、今日も良く歩いた里山の一日となった。


今日のトラック



今日の3Dトラック