KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~塩入

2023年02月23日 | 香川の里山


今週は先週スタート地点だった塩入と、尾瀬神社の駐車場の区間を繋ぐ計画。

ただこの区間は山頂もなくYAMAPのポイントもなく、三角点が一つあるだけ。

石鎚山から剣山を繋げた時に、黒滝山から土佐岩原駅の区間を消化試合と

プチファーマさんが仰っていたが、今回の里山歩きでは今日のこの区間が消化試合。

それでも今日歩くと西の博智山から東の笠形山までが一本の線で結ばれる。




百名山・三角点、季節ごとの花巡りと登山の楽しみ方は十人十色。

その内のひとつの線で繋ぐという歩き方を教えてくれたのはエントツ山さんだった。

そのエントツ山さんは石鎚山から剣山、阿讃縦走路のいずれも一気通貫。テントを

背負ってひとりで歩ききっているが、日帰り登山でも何とかその足跡を辿ることができた。

奥様たちと三人でふたつの線で結ぶを終えた後、線で繋いでいく楽しさを憶えた。

石鎚山から剣山、阿讃縦走路は稜線歩きだったが、県内の里山を線で繋ごうと思うと、

どうしても下道歩きが避けられない。今回もおそらく1/3ほどはそんな下道歩きになった。





先週のスタート地点だった塩入の県道4号線沿いの広い路肩に集合して、一台に

乗り込んで尾瀬神社の駐車場まで移動してスタートする。




駐車場から舗装路をこの駐車場への分岐まで一旦下り、そこから南に緩やかに

林道・辷り尾多治川線を歩いて行く。日陰の道はさすがに寒く、服装は耳まで

覆ったニット帽や厚手の手袋だったが、露出した頬だけは冷たく痛い。日陰から

陽の当たる道になると少しは落ち着いてくる。お日様はほんとありがたい!

木々の間からいまから歩く塩入への稜線が見えた。







しばらく歩くと道は二股になっていた。右に行くと尾瀬山の南側を多治川ダムへと

続いている。そして左は東多治川林道となっている。







その未舗装の東多治川林道を南に歩いて行く。朝一番は少し曇っていたが、これから

向かう尾根と阿讃の稜線には、雲一つない空が広がっていた。




さらに先には林道にチェーンが張られて車が侵入できなくなっていた。このチェーンの

左横から山道へと取り付いて行くと、地形図ではここから多治の三角点に向かって破線が

続いている。しばらくは林道に沿っていた道が次第に高度が上がってくると東に眺望が

広がってきた。




南北に波打つ稜線にちょこんと三角の頭を出しているのは、讃岐七富士の高鉢山

北を見ると城山飯野山の間に、坂出の番の州の工場の煙突から上がった煙が見える。








花崗岩の風化した痩せ尾根を渡ると急登が始まった。まだ凍ったままの地表は足を

踏み込む度にザクザクと音がする。










支尾根に沿って所々にある森林管理局の見出標が目につく。道は直登から次第にヒノキの

林の中の九十九折れの道になる。







九十九折れの道が終わり広尾根の道になると、東に続く尾根への取付きの辺りになる。

すると細い電柱の先にテープと赤い杭。登山の目印ではないけれど、ここから取りあえず

東に適当に尾根を進んでみる事にした。










所々で先ほどのテープと赤い杭が続いているが、これも森林管理局の境界か何かの

目印だろう。踏み跡もなく小枝を掻き分けながら進んで行く。とにかく尾根を

外さないように、尾根の北端を意識して歩いて行く。




















尾根に続く小さなピークも北に巻ながらピークを避けて歩いて行く。









すると突然、保線路の標示杭が現れた。ここから南に派生した尾根を進むと26番

鉄塔となっている。保線路を辿れば道はしっかりしているが、どうしても距離が

延びてしまうので、このまま尾根を東に進んで行く。









すると今度は25番鉄塔の標示杭。この辺りの保線路は尾根近くを東西に続き、

鉄塔へは南に往復する形で道があるのだろうか?





ここでも保線路は無視して進んで行くと四等三角点 七曲丸 714.9m に着いた。

もちろん木々に囲まれて眺望は望めない。ここで行動食を口にする。

時間はまだ10時30分。このペースだと今日もまた下山後にうどん屋さんかな?














七曲丸の三角点からも東に少しづつ高度を下げて行く。道は次第に不明瞭になってくる。

ここからも小枝を掻き分け右に左に木の幹を避けながら歩いて行くが、少し気になって

GPSを覗いて見ると454mの標高点に向かって下っていた。このまま下って行っても

標高点から少し下れば県道に出れないこともない。ただ恐らく広尾根のプチ藪のしかも下り。

意外と時間がかかりそうだし、最後の目標地点にしていた四国中央東幹線の22番鉄塔と

吉野川線の25番鉄塔がクロスする場所には行けなくなる。

前を行く奥様たちを呼び戻し、谷筋を回り込むようにしてプチ藪の中を引き返す。














灌木が生い茂る中を登って行くと南に明るい場所が見えた。その明るみに引き寄せ

られるようにして藪の中から飛び出すと少し下に鉄塔が見えた。

『あの鉄塔まで行けば何とかなる!』。そう思って更に密になる藪の中を掻き分け掻き分け

下って行くと保線路らしき道に出た。ここでも鉄塔は支尾根の先にあり南に往復する

道になっている。あとはこの保線路を22番鉄塔に向かっていくだけだ。










最初は緩やかに下って行くが、中央幹線の基幹線の保線路の割には木々が生い茂り

道は少し荒れていた。正面には23番鉄塔が見え始める。








下り坂から鞍部に差し掛かると青いPE平ロープが道を塞いでいた。

立入禁止の意味だろうが、確か鉄塔一筆書さんの活動日記に松茸の季節は立ち入り

禁止の道だと書いていたような気がする。それなら今はシーズンオフ。先頭のルリちゃんに

『大丈夫ですよ!』と言ってテープを潜って進んで行く。





鞍部から少し登り返すと23番鉄塔の広場に出た。さすがに中央幹線の鉄塔だけあって

首が痛くなるくらい見上げないと頂部が見えない立派な鉄塔だ。














23番鉄塔から南に少し下るといよいよ22番鉄塔への道になる。

日差しの届く明るい道だが、陽の当たらない道の脇には霜柱がまだ残っていた。














道が南から東に向かうと谷筋の道になる。ここでも倒木が多く足元もザレた場所がある。

大きなヌタ場もまだ薄氷が張っていた。

















谷筋を抜けると今度は二つの標示杭。四国中央東幹線吉野川線の標示杭。

その標示杭を右に進むと、北側の眺望が広がっていた。

満濃池の奥には青山連山。その青山連山の城山からの稜線の奥に見える

番の州の工場の煙は、海岸沿いの風は強いのか、ほぼ横に流れている。

そして青ノ山の頭の奥には水島工業地帯の煙が良く見える。




















今日一番の眺望に、454mへ下がらずにこちらに回って来て良かった。展望ヶ所の

先には今日最後の鉄塔、四国中央東幹線の22番鉄塔。送電線は東西に続いている。

その22番鉄塔の手前には少し小ぶりな吉野川線の25番鉄塔と南北に続く送電線。

二つの送電線がクロスするのを初めて見た。どちらの送電線もここから讃岐変電所へと

続いている。前回も鉄塔を見ながら歩いたので、少し興味が湧いて家に帰ってから

調べてみると、鉄塔の番号は変電所からスタートして連番になっているそうだ。

そして四面の鉄柱の足元にその鉄塔の送電線名や番号などが書いた銘板は、

若い番号の鉄塔の方向の鉄柱につけられているそうだ。







そんな話をしているとあっちゃんが引き返して吉野川線の鉄塔を調べに行った。

自慢げに語ったうんちくが間違っていたら身もふたもなかったが、幸い吉野川線の

鉄塔の銘板の取付位置は間違いなかったようだ。

戻って来たあっちゃんがスマホを覗き込んで調べている。どうやら吉野川線は

阿讃の山を越えて井川町へと続いていた。そう言えば、池田町から東に国道を

走ると、井川町の辺りで発電所があったのを思い出した。そうかこの送電線は

その発電所へと続いているんだ。何て考えていると、鉄塔や送電線そして

保線路は、山歩きの中でひとつポイントにもなっていて益々興味が湧いてきた。











ひとしきり鉄塔広場で話をした後、広場から少し東に。その後南に林の中の

道を下って行くと、県道4号線に飛び出した。取付きにはさっきと同じように

規制線の様にしてPE平テープが張られていた。













ここで途中からずっと登山靴の中でチクチクしていた靴下に刺さった棘を抜こうと、

腰を降ろして靴を脱ぎ靴下も脱いで棘を抜いた。

すると歩いている途中で何度も靴紐がほどけていたのを見かねたルリちゃんが、

絶対にほどけない結び方があるのよと教えてくれた。ただあっちゃんが横で

写真に撮ったその様子をみて見ると、お母さんが小さい子供の靴ひもを結んで

いるように見える。







なぜかあっちゃんも『私にも教えて!』と私の脚を使って練習台にしている。





靴紐を整えて、いや整えてもらった後は県道4号線を塩入へと下って行く。

奥様たちはいつものように楽しそうに世間話。私はといえばいつものように後ろから

トボトボと付いて歩いていると、先週登った尾根の21番鉄塔が目に入る。














デポした塩入に到着後、途中で話し合った山内うどんに直行したら、なんと玉切れで

営業終了。仕方がないので相談した後、長田うどんまで車を走らせる。

満腹になったお腹を抱えながら、朝車を置いた尾瀬神社の駐車場までルリちゃんと

ドライブ。そのルリちゃんと駐車場で別れた後の帰り道。何故だか鉄塔ばかりに

目がいっている自分に気が付いた。







それならと帰り道の途中にある讃岐変電所に寄り道してみた。

広大な敷地の中に複雑に建つ鉄骨群。直ぐ近くにあるゴルフ場とさほど変わらない

広さの讃岐変電所。そしてその変電所の周りには取り囲むようにして鉄塔が建っていた。

これは鉄塔ファン?がいたなら、たまらない場所になるだろうな~!

(1番鉄塔で取り囲まれている)イヤイヤ鉄塔ファンでなくてもこれを見ると

気持ちが何だか高ぶってしまう施設だ。今度時間があったなら、その1番鉄塔群と

変電所をゆっくり見てみよう。線で繋ぐ里山歩きも送電線もどちらも線で繋がっている。

そういう意味では親近感を覚え、興味が湧いてしまうのかもしれない。








『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 塩入~琴南

2023年02月16日 | 香川の里山

今回の線で繋ぐのテーマは、東の引田から西の荘内半島の二つの灯台を、里山を歩いて

繋いでみようと考えて始めたが、当然阿讃縦走路のようにほぼ稜線を歩く訳には

いかず、下道の舗装路を歩いたり林道を歩いたりするケースが出てくる。

それでも出来るだけ山の中を歩きたくてルートを色々と考えるのだが、前回歩いた

尾瀬山から琴南までと、東の三木町の高仙山から塩江の八丁山までの間のルートが

なかなか思いつかなかった。特に尾瀬山からは南に阿讃縦走路に向かって破線は

あるが、東に塩入に向かっては道らしき破線は載っていない。また塩入から東に

向かっては、林道琴南財田線がまんのう町中通まで続いているが(途中未工事

部分有)、距離もかなり長くなり、そもそも山道を歩かないのでは意味がない。

あとは地形図に載っている送電線の近くに保線路が在ればそれに頼るしかないかな~と、

そう思って色々と調べてみると、YAMAPの鉄塔一筆書さんや綾川の山さんが

尾瀬山・塩入・琴南周辺をけっこう歩かれていて、やはり保線路を使って歩かれて

いたので、参考にさせて頂いた。

尾瀬山の南の762.5mの多治の三角点から東に派生する尾根の南側には四国中央東幹線の

送電線が塩入の上空を通って柞野へと続いている。その柞野からはひと山越えれば、

平川沿いに歩くと国道438号線へと出ることができる。お二人が歩いたルートに

少しアレンジを加えれば尾瀬山から琴南の公民館までが繋がる。いままで頭の中で

モヤモヤと雲がかかっていたこの区間だったが、一気に雲が流れて晴れ間が出た。


そう思って迎えた今週だったが、水曜日は気温がかなり低い。山間部では最低気温は

マイナスになりそうだったので、車をデポする尾瀬神社の駐車場は標高も高いので、

途中の車道が凍結している可能性がある。それならまだ少しは標高の低い塩入に

車を置いて、琴南までを先に歩くことにした




先ずは琴南の公民館に集合して、そこから塩入まで移動。林道琴南財田線が東西に走る

交差点の更に奥の路肩が広がった場所に車を停めた。南にはこれから向かう鉄塔が

尾根に沿って続いている。




車を降りると思っていたよりは寒くはなかったが、それでも灰色の空からは

雪の華がチラチラと舞い降りていた。ハア~と思いっきり息を吐くと真っ白になる。

車を停めた場所から少し戻って、スレートの倉庫と立派な門構えの民家の南を、

県道から右に折れて少し下って行く。

そこから財田川の源流域の谷あいを歩き、集落の手前の石垣の前で二股になった

道を左に進んで行くと、砂防ダムへの道になった。













砂防ダムの脇に22番と21番の保線路の矢印杭があり、そこから保線路への取付きになる。

取付きからしばらくは九十九折れの道。風が吹いていないので体感温度はそれほどでもないが

息が切れて空気を大きく吸い込むと、喉元が冷えた空気で痛い。










今シーズン初めて見る道の脇のツララが、なお一層寒さを誘う。薄くスライスしたような

小さな雪がひらひらと舞っている。今日のような雪は何て言うのだろう。綿雪・泡雪?。

地面に舞い落ちた雪は直ぐに融けずに、地表を覆い始めた。











保線路から上にある21番鉄塔はパスしてそのまま進んで行くと、20番鉄塔広場に出た。








四国中央東幹線は伊方発電所からまんのう町の讃岐変電所まで、全長185kmにわたる

50万ボルトの基幹送電線。それだけに鉄塔も一回り大きな感じがする。広場からは

東に尾瀬山、西は大川山辺りだろうか、雪雲の中で霞んで見える。










塩入からは林道琴南財田線を歩くしかないかなと思っていたが、思いがけずこの保線路の

存在を知ることになったが、予想以上に快適な道だ。これも綾川の山さんのお陰だ。

19番、18番鉄塔と順調に進んで行く。













18番鉄塔のすぐ下には林道が地形図には載っている。ここから中寺の三角点までは

今までの緩やかな尾根道から打って変って急登が続いて行く。 











足元の地表は凍って足を踏み込むたびにガリガリと音がする。凍った地面に時々

足を滑らせる。こんな道を下るのは怖いな~と思いながら登って行く。













それでも18番鉄塔から15分ほどで三角点に着いた。三等三角点 中寺 753.57m

今日は山頂を踏むことのない区間だが、この三角点だけが唯一YAMAPでの

ポイントになっている。ただ奥様たちは柞野から既に歩いてゲットしているので

さして感動もなく・・・・・。














中寺は平安時代に栄えた山寺。その存在は地元の人々に伝承されれていたが、記された

書物が少なく、永らく幻の山寺となっていたが、調査の結果様々な遺物が出土し、平成

20年に国指定史跡となった場所。山中に点在する史跡は里から遠く離れた場所で、

不思議な空間を創り出している。

そんな中で三角点の先にある中寺展望台は、県内でも随一の展望所。天気が良ければ

讃岐平野のほぼ全域を見渡せる素晴らしい場所だ。

生憎今日の空模様では薄く霞がかかったようになっていて、遠くまでは見渡せない。

それでも影の形で見える里山を、三人で山座同定しながら景色を楽しむ。




正面に綾川の城山とサンライス・ヒルズのゴルフ場



右に城山と猫山



先週歩いた満濃池



大川山山頂付近には雪が積もっている。







前回ここに来た時は夏場だったので、景色を見ながら30分以上休憩をしたが、今日は

やはりじっとしていると寒い。行動食を口に入れ、ルリちゃんからのピスタチオの

チョコレートも頂きながら、あっちゃんからコーヒーをカップに入れてもらって温まる。

コーヒーを飲んだ後早々に展望台をあとにする。ここからは柞野までは下るだけ。











時間的にはまだ10時。柞野まで降り、更に東に尾根を越えて琴南の公民館まで

3時間強と考えると、少しお昼は過ぎるが今日も三嶋製麺所が視野に入って来た。

その話しをすると奥様たちの歩くスピードが急に上がって来た。











柞野の登山口には40分弱で着いた。先ほどまでの薄曇りの空から晴れ間が見え、

日が当たり始めると暑くなってきたので、ルリちゃんとあっちゃんは雨具を。

私はここで上着のソフトシェルを脱いだ。

道の脇にふきのとう。昨日天ぷらにして食べたばかりだというルリちゃんが、

採らずに写真だけ撮っていた。













柞野川が道の脇に沿って流れている辺りから、地形図では東の尾根に向かって

破線が載っている。その破線の位置から少しズレた手前で、保線路の番号矢印杭があった。







ここから先は事前に調べても歩いた人が見当たらなかったが、503mの標高点まで

破線が続き、そこから南の尾根にも破線が載っている。そしてその先には林道琴南財田線。

尾根に乗っかればなんとかなるだろうと予想して歩いて行く。










途中では作業道と保線路が交わり、間違えないようにと手書きの杭。







その杭に書かれた矢印方向に進むと12番鉄塔の広場に出た。ここまで続いていた

四国中央東幹線ともここでお別れ。







四等三角点 桜 から503mの標高点にかけての尾根の北側は、複雑に波うった

等高線になっている。そのひとつの支尾根に12番鉄塔から登って行く。

地形図では破線は続いているが、登山道と言った雰囲気の道ではなく、踏み跡もなく

時々痩せ尾根になった場所がある。







痩せ尾根で不安定な振りをしてみるが、ただの酔っ払いに見える




前を歩く奥様たちが立ち止まり、前方を見上げている、その目線の先に503mが見える。







ここから503mにかけてが今日一番の急登だった。











前を行く二人もさすがに一歩一歩踏み出して登って行っている。ストックを短くして

時々木の枝を掴みながらゆっくりと登って行く。相栗峠や阿讃縦走路の境目から

鵜ノ田尾峠への急登を思い出す。あっちゃんが『四国三大急登の石墨山より、この坂

の方が急登よね!』と言っている。少しだけ湿り気を帯びた地面はぬかるむことなく

比較的足元は滑らずに登って行けたので助かった。











なんとか登りきった場所に503mの標高点。ここから南に破線は続いている。

ただし道が明瞭だったのは最初のごくわずかな距離だった。







広尾根になった場所では道は不明瞭になり、灌木の間を縫うようにして右に左にと

身体を入れ替えながら歩いて行く。503mで尾根に乗れば、後は楽勝だろうと

思っていたのが間違いで、意外と時間がかかってしまった。











やっとのことで切通になると、きれいなアスファルト道にでた。林道琴南財田線だった。

右に行くと柞野の最上部へと林道は続いている。切通から左に下って行く。

下りになると少し肌寒くなってきたので上着を奥様たちが着込んでいる。

私もと思ってザックを降ろすと、フロントのポケットに挟んだ上着が見当たらない。

ガ~ン!さっきの503mからの途中で落としてしまったようだ。

時間は12時過ぎ。ここから公民館まではまだ4kmほどある。引き返して探すには時間がない。

仕方がないので取りあえず公民館まで下って、お昼を済ませて探すことに。

(結局お昼のあと、探しに戻るのは諦めた)








林道からは北に大麻山と琴平の街並み。大麻山の奥に天霧山の削られた山肌が見える。




林道をしばらく下って行くと道の左に別の道が見えた。奥様たちは気づかずに先を行っている。

予定していた平川への道は直進ではなくこの鋭角に折れた左の道のようなので、奥様たちを

呼び戻し、落ち葉の積もった道へと下りて行く。道はガードレールのある立派な道だが

使われていない林道のアスファルトは、土や石で埋まっている。













平川の支流から平川の左岸に渡り、川に沿って下って行くと大きな砂防ダムがあった。

山の中で見かける砂防ダムのほとんどは、上流からの土砂の流入でけっこう埋まっているが

この砂防ダムはそんな様子が全くなく健全だった。











国道までの道は途中、民家の跡の石垣が点在していた。







集落に差し掛かるが上流部の民家はすでに人の気配が全くない。








国道に出る手前に小さな小屋があった。MAPには山神社となっていて注連縄も新しく、

地元の人達はい今も参拝している様子だった。







国道に出ると奥様たちのスピードが益々上がって来た。『今日は3玉食べるわよ!』と

張り切るあっちゃん。それを聞いてあきれるルリちゃん。








下道のアスファルトを出来るだけ歩かずにと思って計画した今日のルート。四国中央東幹線の

保線路は思っていた以上に快適な道だった。またここ最近では一番の急登とプチ藪と、意外と

変化があり、アスファルト道も柞野の辺りと、林道琴南財田線、そして平川林道の最後の

方から公民館の間だけで済んで、アスファルト道では足が痛くなるルリちゃんにとっても

最低限で済んで良かった。次週は気温が上がれば尾瀬山から塩入を予定。この区間も

山頂を踏むことなくただただ線を繋げるための区間。

他の人から見ると何が楽しいかと思われるのだろうが、始めて見ると目標とテーマがあり、

それに沿って色々とルートを考えるのが先ずは楽しい。そして山中だけでなく里の中を

歩いていると、ちょっとした発見がありそれもまた楽しい。今回は周回した区間も殆どなく、

引田鼻灯台から讃岐三崎灯台までが、ほぼきれいな一本の線で繋ぐ事が出来そうだ。

これこそ線で繋ぐの醍醐味?予定ではあと6区間。春までに何とかその線を繋げたいと思う。


ここまでの西のトラック



ここから先の東のトラック



『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~竜王山

2023年02月03日 | 香川の里山

『1月は行く、2月は逃げる、3月は去る』とはよく言ったもので、少し前に

お正月だと思っていたら早や2月。その正月明けに善通寺から大麻山を縦走して

いこいの郷公園まで歩いたのがつい先日の様だ。今週はそのいこいの郷公園から

南に繋いで行く。スタート地点は尾瀬山。最終地点は竜王山。尾瀬山は私は既登の山。

奥様たちは竜王山が既登の山となる。いつもより少しゆっくり目にいこいの郷公園に

集合して、1台に乗り合せて尾瀬神社まで移動して駐車場に車を置いてスタートする。

このところの里山歩きのパターンで、今日も山行中は行動食で済ませて、下山後に

ランチをとる予定。尾瀬山が1時間30分。そこから竜王山まで歩いていこいの郷

公園着が2時間30分と予定したのだが、これが後々誤算となった。




駐車場からまずは展望台へと向かう。立派な東屋の展望台からは中讃から西讃の里山が

一望できる。琴平山の麓の牛尾口の大倉工業の白い建物が見えるが、今日はほぼあの

辺りまで歩くことになる。






満濃池と青山連峰(大高見山・猫山・城山)


左奥に七宝連峰。中央の右端の三角の頭が竜王山


琴平山の麓の大倉工業の建屋


どこから見ても同定が容易な飯野山



展望台でしばらくの間里山の同定を楽しんだ後、尾瀬神社へと向かう。

尾瀬神社は昔、尾背寺として下寺41ケ寺を擁した一大寺院だったが、長曾我部の兵火に

かかり廃寺となり、その跡に建てられた水分神社が明治時代になって尾瀬神社となったそうだ。




立派な鳥居を潜ると直ぐ脇に神泉。尾背寺建立時に掘られた泉で、一度も枯れた

ことがなく、雨乞いの神事に使われていたそうだ。

本殿でお参りをして一旦鳥居の方へ戻って行く。











参道の脇から尾根筋へと登って行くとアスレチックの遊具が並んでいる。今は訪れる

人のほとんどいないこの山中にも、出来た当時は子供たちの遊ぶにぎやかな声が

聞こえていたのだろう。県外の山でもそうだが、山頂近くに造られたキャンプ場や

アスレチックといった施設は、今は全く使われていない。人々のレジャーも時代に

よって次々と偏移している。







そんなアスレチックの遊具を見ながら歩いて行くと、しばらくして尾瀬山に着いた。

三等三角点 日浦 576.99m  山名標の文字もほぼ消えかかっていた。







尾瀬山山頂からしばらく歩くと鉄塔広場に出た。ここの鉄塔は他の鉄塔には無い

昇降防止の為にワイヤーが張られていた。隙あらば登って見ようとするあっちゃんだが、

これではさすがのあっちゃんも登るのは不可能だ。







鉄塔広場からも西に尾根道がほぼフラットな状態で続いて行く。こうなるといつもの

パターン。奥様たち二人は賑やかに話をしながら前を歩いている。小さなピークを

登り、下り坂になると文字の消えた鉄板の道標が道の脇にあった。相変わらずふたりは

話に夢中で通り過ぎて行っている。立ち止まってその矢印の道標をよ~くみて見ると

大寺の文字が何となく見えた。慌てて二人を呼び止めて、その矢印の方向へと左に

折れて登って行くと大寺山山頂だった。











四等三角点 大寺 573.47m ここから登って来た方向と反対に道は続いていたが、

間違って折り返して下ってしまう。








下って行くとまた鉄塔広場に出たが、ここでは行止りになっていて道が見つからない。

どうやら大寺山山頂から反対に続いていた道が尾根道の様だ。奥様たちに話をして

また大寺山へと引き返す。以前にWOC登山部で歩いた時もこの鉄塔広場まで

下って行ったトラックが残っていた。また同じミスをしたことになる。





大寺山からはほぼ下り。小さなピークでは登らずにトラバースの道が直ぐ下にある。











鞍部になった場所は南北に道があり峠の様な場所になっていた。脇には石柱が建っている。





大寺山から438mの標高点のちょうど中間地点で、今日初めての登りらしい登り。

438mの標高点の手前の鞍部でまた、ピークへの道とトラバース道に分かれていた。

このままピークに登ると、森林センターの登山口に続いている。





前回WOC登山部で歩いた時は森林センターから登って来たのだが、今日は違う

道を237mの柿畑の三角点の方へ下って行ってみる。ピークには登らず南側を

トラバース。最初は少し道は荒れていたが、直ぐに幅の広い快適な道になった。

道は相変わらず電力の保線路になっている。








広い尾根道から少し道が不明瞭になるが、踏み跡を辿って行くと林道に出た。










柿畑の手前には電波塔が二つ建っている。ここの電波塔はあまりメンテナンスが

されていないのか、敷地の中は草ボウボウで荒れている。道は電波塔の辺りから

落ち葉に隠れてはいるがコンクリートの道になる。








そのコンクリート道から舗装路にでると道の脇に四国のみちの道標。ここから竜王山へは

この四国のみちを歩いて行くことになる。ここまで既に予定していた時間をかなり

オーバーしている。奥様たちはそろそろお昼ご飯を気にし始めた。いつもの事だが

ルリちゃんはそうでもないのに、とにかくあっちゃんがうるさい。今日は予定では

財田町のお寺の中のピザ屋さんでランチの予定なのだが、このまま竜王山まで行って

果たしてオーダーストップまで間に合うか?いこいの郷公園まではまだ3時間弱

かかりそうなので、取りあえず行動食を口にする。








道の脇には梅の木に小さな白い花が溢れていた。近寄ると爽やかな香りが漂って来た。





その梅の木から少し歩くと今度は斜面一面にミツマタの群生が広がっていた。

ここまでの群生を見るのは初めて。まだ蕾の状態だが、これが黄色く色づいたら

見応えがあるだろう。そのミツマタの斜面の中に、陶芸の窯があり、その先には

これも見た事のない、太い大きな自然木を柱にした建物があった。











近寄って中を覗かせてもらうと、どうやらここでミツマタを加工して和紙を作って

いるような雰囲気だった。それよりも建物の中央で棟を支えている自然木が凄すぎて、

只々感心するばかりだった。この施設からしてミツマタは群生地というよりは

人工の畑のようだ。














ミツマタ畑のさらに先は香川県森林センターの敷地内になっていた。道の両側には

整然と並んだヒノキや苗畑が続いていた。首が痛くなるくらい見上げないと最上部が

見えない松の木が、真直ぐに伸びて道路の脇に並んでいる。











森林センターの敷地を抜けると北に向かって田畑が広がっていた。木原の集落に

差し掛かると、自治会館の様な建物の横に停めた軽トラックの周りに数人の人が居た。

近づいて見ると移動販売の車だった。その販売車に近所の人が買い物に来ていた。

まだ先の長い私たちも少し行動食を補充する事にした。ルリちゃんは菓子パンを

ひとつ。私はおにぎりをひとつ。あっちゃんはなんと揚げパンを三つも買っていた。










この辺りの民家では塀瓦の端に飾り瓦で飾られている。その内のひとつの布袋さんを

指さして『ルリちゃんのご主人?』と言うと苦笑い。『うちも痩せた痩せたと自分で

言うけれど、全然痩せてもいない』とあっちゃん。




そんな話をしながら歩いて行くと県道202号線に出た。ここから左に折れて

JR黒川駅を見ながら、今度は国道32号線に出た。国道を北に向かって

少し歩いて、今度は西に黒川地区へと入って行く。














道はここからも四国のみちになっている。そして財田川の支流の谷底平野のような

地形の中に春を待つ田畑が続いていく。振り返るとネギ畑の奥に阿讃山脈が見える。











この四国のみちは竹ノ尾越を越えて金毘羅さんへと続いている。








谷底平野も最上流部になってくると、両側から山が迫ってくる。








最終民家の手前では道にネットが張られていた。上から女性が降りてきたので

『すみません、竜王山に行きたいので、通らせてください!』と言うと、その女性が

『私たちもネットを開けさせてもらったの。昨日竜王山に登ってこちらの登山口を

確認しに来たのよ』と話してくれた。

民家の横からは竹林の中の山道になる。空は青色が広がって来た。昨日は曖昧な

天気予報で少し雨が降ったが、それを見越して今日に変更して正解だった。











竹林の中を登って行くと真新しく塗り替えられた朱色の鳥居があった。








その龍神さんからさらに登って行くと竹ノ尾越に着いた。ここからは今日初めての急登。

この竜王山を南から見ると三角の頭の形をしている。したがって山頂が近づくにつれ

どんどん急になってくる。先週と同じだけの距離を既に歩いて、最後にこの急登は堪える。











奥様たちも足を滑らせながら登っている。それでも15分ほどで何とか山頂に着いた。

三等三角点 竜王 421.6m  急坂だった登りは、下りも急坂。少し道を間違え、

木々の間を滑り落ちないように幹や枝を掴みながら下って行く。








竹ノ尾越からは広々とした道。杉林から竹林の中の道になる。竹林も丁寧に人の手が

入っているのか、とても雰囲気が良くきれいな竹林だった。










山裾に出ると北に景色が広がっていた。大麻山の大きな背中の横に。可愛らしく

善通寺五岳が並んでいる。佐分の集落の中を通り国道377号線に近づくと、

さすがにあっちゃんが、もうそこのうどん屋さんでお昼を済ませようと言ってきた。

ピザがうどんになったが、登り下りがあまりなかったとはいえ、ここまで結構な

距離を歩いてきた。温かいうどんの出汁が喉の奥に流れ込む。

そういえば前回セニョさん麺法師さんと尾瀬山に登った時も行動食しか持って来ずに、

下山後下道をぐるっと森林センターまで戻って時間が遅くなり、うどん屋さんを

探して遅めの昼食になったのを思い出した。一度あることは二度ある。














お昼ご飯を終えて、国道をいこいの郷公園へと向かう。沿面距離15.7km。行動時間

5時間30分の里山歩き。といってもほとんどが四国のみち歩きの一日だった。

今日の続きの尾瀬山から琴南町公民館までは直接尾根では繋がっていない。

尾瀬神社の駐車から南に東多治見川林道を通って、そのまま阿讃山脈へと歩いて

東山峠、大川山まで歩いて琴南町の公民館へと下るのが登山道が続いていてまず

間違いはないが、それでは最初に意図した阿讃縦走路とは別のルートで引田から

荘内半島まで繋ぐという計画から外れてしまう。東多治見川林道から阿讃縦走路に

向かう途中にある多治の三角点から東に七曲丸の三角点へと尾根が続いている

のだが、これが果たして道があるのか不明。航空写真を見て見ると尾根の南側に

等高線の様なくねくねと曲がり曲がった作業道の様なのが見える。やはりこの間は

作業道を歩くか保線路を探して歩くかだが、どちらにしても稜線の登山道と比べると

周り廻っていて距離がかなり伸びてしまうので頭のいたいところだ。この区間は

しばらくどう歩くかを考えて、来週は別の区間をまずは歩く事になるだろう。

さてさてあと何回で引田から荘内半島が繋がるかな?







ここ最近のトラック