今週は先週スタート地点だった塩入と、尾瀬神社の駐車場の区間を繋ぐ計画。
ただこの区間は山頂もなくYAMAPのポイントもなく、三角点が一つあるだけ。
石鎚山から剣山を繋げた時に、黒滝山から土佐岩原駅の区間を消化試合と
プチファーマさんが仰っていたが、今回の里山歩きでは今日のこの区間が消化試合。
それでも今日歩くと西の博智山から東の笠形山までが一本の線で結ばれる。
百名山・三角点、季節ごとの花巡りと登山の楽しみ方は十人十色。
その内のひとつの線で繋ぐという歩き方を教えてくれたのはエントツ山さんだった。
そのエントツ山さんは石鎚山から剣山、阿讃縦走路のいずれも一気通貫。テントを
背負ってひとりで歩ききっているが、日帰り登山でも何とかその足跡を辿ることができた。
奥様たちと三人でふたつの線で結ぶを終えた後、線で繋いでいく楽しさを憶えた。
石鎚山から剣山、阿讃縦走路は稜線歩きだったが、県内の里山を線で繋ごうと思うと、
どうしても下道歩きが避けられない。今回もおそらく1/3ほどはそんな下道歩きになった。
先週のスタート地点だった塩入の県道4号線沿いの広い路肩に集合して、一台に
乗り込んで尾瀬神社の駐車場まで移動してスタートする。
駐車場から舗装路をこの駐車場への分岐まで一旦下り、そこから南に緩やかに
林道・辷り尾多治川線を歩いて行く。日陰の道はさすがに寒く、服装は耳まで
覆ったニット帽や厚手の手袋だったが、露出した頬だけは冷たく痛い。日陰から
陽の当たる道になると少しは落ち着いてくる。お日様はほんとありがたい!
木々の間からいまから歩く塩入への稜線が見えた。
しばらく歩くと道は二股になっていた。右に行くと尾瀬山の南側を多治川ダムへと
続いている。そして左は東多治川林道となっている。
その未舗装の東多治川林道を南に歩いて行く。朝一番は少し曇っていたが、これから
向かう尾根と阿讃の稜線には、雲一つない空が広がっていた。
さらに先には林道にチェーンが張られて車が侵入できなくなっていた。このチェーンの
左横から山道へと取り付いて行くと、地形図ではここから多治の三角点に向かって破線が
続いている。しばらくは林道に沿っていた道が次第に高度が上がってくると東に眺望が
広がってきた。
南北に波打つ稜線にちょこんと三角の頭を出しているのは、讃岐七富士の高鉢山。
北を見ると城山と飯野山の間に、坂出の番の州の工場の煙突から上がった煙が見える。
花崗岩の風化した痩せ尾根を渡ると急登が始まった。まだ凍ったままの地表は足を
踏み込む度にザクザクと音がする。
支尾根に沿って所々にある森林管理局の見出標が目につく。道は直登から次第にヒノキの
林の中の九十九折れの道になる。
九十九折れの道が終わり広尾根の道になると、東に続く尾根への取付きの辺りになる。
すると細い電柱の先にテープと赤い杭。登山の目印ではないけれど、ここから取りあえず
東に適当に尾根を進んでみる事にした。
所々で先ほどのテープと赤い杭が続いているが、これも森林管理局の境界か何かの
目印だろう。踏み跡もなく小枝を掻き分けながら進んで行く。とにかく尾根を
外さないように、尾根の北端を意識して歩いて行く。
尾根に続く小さなピークも北に巻ながらピークを避けて歩いて行く。
すると突然、保線路の標示杭が現れた。ここから南に派生した尾根を進むと26番
鉄塔となっている。保線路を辿れば道はしっかりしているが、どうしても距離が
延びてしまうので、このまま尾根を東に進んで行く。
すると今度は25番鉄塔の標示杭。この辺りの保線路は尾根近くを東西に続き、
鉄塔へは南に往復する形で道があるのだろうか?
ここでも保線路は無視して進んで行くと四等三角点 七曲丸 714.9m に着いた。
もちろん木々に囲まれて眺望は望めない。ここで行動食を口にする。
時間はまだ10時30分。このペースだと今日もまた下山後にうどん屋さんかな?
七曲丸の三角点からも東に少しづつ高度を下げて行く。道は次第に不明瞭になってくる。
ここからも小枝を掻き分け右に左に木の幹を避けながら歩いて行くが、少し気になって
GPSを覗いて見ると454mの標高点に向かって下っていた。このまま下って行っても
標高点から少し下れば県道に出れないこともない。ただ恐らく広尾根のプチ藪のしかも下り。
意外と時間がかかりそうだし、最後の目標地点にしていた四国中央東幹線の22番鉄塔と
吉野川線の25番鉄塔がクロスする場所には行けなくなる。
前を行く奥様たちを呼び戻し、谷筋を回り込むようにしてプチ藪の中を引き返す。
灌木が生い茂る中を登って行くと南に明るい場所が見えた。その明るみに引き寄せ
られるようにして藪の中から飛び出すと少し下に鉄塔が見えた。
『あの鉄塔まで行けば何とかなる!』。そう思って更に密になる藪の中を掻き分け掻き分け
下って行くと保線路らしき道に出た。ここでも鉄塔は支尾根の先にあり南に往復する
道になっている。あとはこの保線路を22番鉄塔に向かっていくだけだ。
最初は緩やかに下って行くが、中央幹線の基幹線の保線路の割には木々が生い茂り
道は少し荒れていた。正面には23番鉄塔が見え始める。
下り坂から鞍部に差し掛かると青いPE平ロープが道を塞いでいた。
立入禁止の意味だろうが、確か鉄塔一筆書さんの活動日記に松茸の季節は立ち入り
禁止の道だと書いていたような気がする。それなら今はシーズンオフ。先頭のルリちゃんに
『大丈夫ですよ!』と言ってテープを潜って進んで行く。
鞍部から少し登り返すと23番鉄塔の広場に出た。さすがに中央幹線の鉄塔だけあって
首が痛くなるくらい見上げないと頂部が見えない立派な鉄塔だ。
23番鉄塔から南に少し下るといよいよ22番鉄塔への道になる。
日差しの届く明るい道だが、陽の当たらない道の脇には霜柱がまだ残っていた。
道が南から東に向かうと谷筋の道になる。ここでも倒木が多く足元もザレた場所がある。
大きなヌタ場もまだ薄氷が張っていた。
谷筋を抜けると今度は二つの標示杭。四国中央東幹線と吉野川線の標示杭。
その標示杭を右に進むと、北側の眺望が広がっていた。
満濃池の奥には青山連山。その青山連山の城山からの稜線の奥に見える
番の州の工場の煙は、海岸沿いの風は強いのか、ほぼ横に流れている。
そして青ノ山の頭の奥には水島工業地帯の煙が良く見える。
今日一番の眺望に、454mへ下がらずにこちらに回って来て良かった。展望ヶ所の
先には今日最後の鉄塔、四国中央東幹線の22番鉄塔。送電線は東西に続いている。
その22番鉄塔の手前には少し小ぶりな吉野川線の25番鉄塔と南北に続く送電線。
二つの送電線がクロスするのを初めて見た。どちらの送電線もここから讃岐変電所へと
続いている。前回も鉄塔を見ながら歩いたので、少し興味が湧いて家に帰ってから
調べてみると、鉄塔の番号は変電所からスタートして連番になっているそうだ。
そして四面の鉄柱の足元にその鉄塔の送電線名や番号などが書いた銘板は、
若い番号の鉄塔の方向の鉄柱につけられているそうだ。
そんな話をしているとあっちゃんが引き返して吉野川線の鉄塔を調べに行った。
自慢げに語ったうんちくが間違っていたら身もふたもなかったが、幸い吉野川線の
鉄塔の銘板の取付位置は間違いなかったようだ。
戻って来たあっちゃんがスマホを覗き込んで調べている。どうやら吉野川線は
阿讃の山を越えて井川町へと続いていた。そう言えば、池田町から東に国道を
走ると、井川町の辺りで発電所があったのを思い出した。そうかこの送電線は
その発電所へと続いているんだ。何て考えていると、鉄塔や送電線そして
保線路は、山歩きの中でひとつポイントにもなっていて益々興味が湧いてきた。
ひとしきり鉄塔広場で話をした後、広場から少し東に。その後南に林の中の
道を下って行くと、県道4号線に飛び出した。取付きにはさっきと同じように
規制線の様にしてPE平テープが張られていた。
ここで途中からずっと登山靴の中でチクチクしていた靴下に刺さった棘を抜こうと、
腰を降ろして靴を脱ぎ靴下も脱いで棘を抜いた。
すると歩いている途中で何度も靴紐がほどけていたのを見かねたルリちゃんが、
絶対にほどけない結び方があるのよと教えてくれた。ただあっちゃんが横で
写真に撮ったその様子をみて見ると、お母さんが小さい子供の靴ひもを結んで
いるように見える。
なぜかあっちゃんも『私にも教えて!』と私の脚を使って練習台にしている。
靴紐を整えて、いや整えてもらった後は県道4号線を塩入へと下って行く。
奥様たちはいつものように楽しそうに世間話。私はといえばいつものように後ろから
トボトボと付いて歩いていると、先週登った尾根の21番鉄塔が目に入る。
デポした塩入に到着後、途中で話し合った山内うどんに直行したら、なんと玉切れで
営業終了。仕方がないので相談した後、長田うどんまで車を走らせる。
満腹になったお腹を抱えながら、朝車を置いた尾瀬神社の駐車場までルリちゃんと
ドライブ。そのルリちゃんと駐車場で別れた後の帰り道。何故だか鉄塔ばかりに
目がいっている自分に気が付いた。
それならと帰り道の途中にある讃岐変電所に寄り道してみた。
広大な敷地の中に複雑に建つ鉄骨群。直ぐ近くにあるゴルフ場とさほど変わらない
広さの讃岐変電所。そしてその変電所の周りには取り囲むようにして鉄塔が建っていた。
これは鉄塔ファン?がいたなら、たまらない場所になるだろうな~!
(1番鉄塔で取り囲まれている)イヤイヤ鉄塔ファンでなくてもこれを見ると
気持ちが何だか高ぶってしまう施設だ。今度時間があったなら、その1番鉄塔群と
変電所をゆっくり見てみよう。線で繋ぐ里山歩きも送電線もどちらも線で繋がっている。
そういう意味では親近感を覚え、興味が湧いてしまうのかもしれない。