KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

WOC登山部2021.05.26 雲早山・南高城山・高城山

2021年05月27日 | 四国の山


香川県も緊急事態対策期に入り、WOC登山部も先週から自主トレに入った。

本来なら先週に登ろうと思っていた雲早山だが、

天気予報がイマイチだったので断念し、今週に順延した。

お目当てのシャクナゲ尾根はYAMAPを見ていると、どうやら先週位までが

ピークだった様子。それでも一部の可能性に賭けて車を走らせる。

今日は現地集合で西讃支部?の奥様二人と待ち合わせ。スーパー林道の登山口からスタートする。

予定では高丸山への縦走路の途中にある1334mのピークまで脚を延ばして

シロヤシオを見に行こうと思ったが、前日に南高城山に出かけたKyoさん

シロヤシオの写真が見事だったので、雲早山に登った後に車で移動して、

シロヤシオ見物は南高城山に計画変更する。身支度をしていると車が一台やって来た。

男性一人の登山者だったが、その方は先にシャクナゲ尾根へと林道を下って行った。

雲早神社の鳥居を潜り登山道を進んで行くと、道は直ぐに沢沿いの道になる。







最初は左岸の道から、渡渉をすると中州のような両側に沢の水が流れる道になる。







中州の道を登って行くとベンチのある広場に着いた。kyoさんがカツラの広場と言っている場所には

カツラの古木が二本の太い幹に分かれ、新緑の葉を大きく広げて空に向かって高く伸びていた。










広場からは左に涸れ沢の谷筋を登って行く。

足元にはあちらこちらにトリカブトの濃い緑の葉が目につく。







目の前に稜線が迫ってくると道は右に折れ、九十九折れの道が続いていく。

広場からの長い登りの続きで、息が上がり額に汗が流れ落ちる。

道が次第に緩やかになると心拍数も落ち着き始めた。













トラバース道から左に折り返す手前の苔岩が広がる斜面を横目に見ながら

少し登ると、パラボラアンテナの標識のある高丸山との分岐に着いた。










登山口から40分。時間はまだ9時20分と少し早いので、せっかくならということで高丸山への

縦走路の1445mの標高点辺りまで歩いてみることにする。

分岐から左に折れて少し登ると西側に展望が開けた場所に出る。

ここからは高城山や砥石権現が少し霞んではいるがよく見える。










道は右に折れて自然林の中の気持ちのいい道が続いていく。新緑の緑の中にあって

オレンジ色のグラデーションの葉をつけた低木がいたるところで目につく。







少し小高い場所からも霞んでいるが徳島市内方面が見えた。

1445mの標高点が近づいてくると、道の北側にシャクナゲがまだ少しだけ花を残している。

あっちゃんとルリちゃんにはシャクナゲ尾根は

期待できないので『しっかりと目に焼き付けておいてね!』と。













縦走路はここまでで、折り返して雲早山へと向かって行く。

見上げると梅雨に入ってしっかりと雨を受けた木々の瑞々しい新緑が目に眩しい。




パラボラ分岐からは明るい尾根が続いていく。すると上から先ほど駐車場で挨拶した男性が下って来た。

さっそく『シャクナゲはどうでしたか?』と聞くと、『シャクナゲ尾根はもう終わっていました。

山頂の下に一本だけ咲いていましたよ。』と。

ガ~ン! (^_^;) 二人の厳しい視線がこちらに注がれる。

『シロヤシオは見に行かないのですか』と聞かれたので、

『今日は南高城山へ行ってみます』と答えて別れた。







その男性が教えてくれた通り、山頂手前の尾根の下に一本、満開のシャクナゲみ~っけ!

奥様二人はこれで少しは満足してくれただろうか?







雲早山山頂では相変わらず薄曇り。そして二等三角点:雲早山と雲早神社の祠。

周りに見える山座を同定しながら、少し肌寒くなってきたので上着を羽織る。
















山頂からまた引き返しブナの尾根の途中からシャクナゲ尾根へと下って行く。

下りが尾根道になるとまた自然林の中の素敵な道になる。

途中にあったシャクナゲはほぼ落花。やはりシャクナゲ尾根も・・・・・。(~_~;)










尾根道の表土は柔らかく緑の中の快適な道に、二人がどんどん先を行く。

『右側にテープがあるから見落とさないで!』と声を掛けたあと、しばらく歩くと

樹脂製の境界杭のある場所で立ち止まっている二人に追いつく。







ここを右に折れるといきなり急坂のシャクナゲ尾根が始まる。

尾根の両側には延々とシャクナゲが続いていくが、途中で数輪花が残るだけ。

足元にはすでに枯れて茶色くなった花がたくさん落ちている。













シャクナゲ尾根を下りながら前を歩く二人が、朝の連続ドラマの話で盛り上がっている。

その時間には会社にいる私にとっては全く縁のない内容だが、

どうやら出演者の俳優の名前がでここないで、あ~だこうだと言っている。









話に夢中になっている二人について行くと、次第に道が怪しくなってきた。

『踏み跡をよく見てね!』と声を掛けるが、黄色いテープを最後にとうとう道は無くなり、

それでも二人はどんどん下って行き、急斜面に木々を掴まりながら降りるようになる。

そのうち勢いがついた私は、足を止める為に前に見えた木の幹元めがけ飛びつき

細い幹に掴まった瞬間、前のめりに体が宙を舞い一回転してそのまま3mほど落下。

『大丈夫?』と言いながら『そのままじっとして』と言って写真を撮るあっちゃん。

撮られた写真は何とも哀れな姿だ。







背中に衝撃が走ったが、幸いザックがクッションの役目をしてくれ大事には至らなかった。

今まで何回か落ちた事はあったが、道から外れて急な斜面を無理やり下った際に

同じように枯れ木を掴んで転げ落ちた。慣れは禁物、油断大敵と反省。手の擦り傷が痛む。




取りあえずGPSを見てみるとやはり尾根から西に外れている。

今更引き返して登るのも何なので、トラバースして軌道修正をする。

慣れないルリちゃんは右往左往しているが、何故かあっちゃんは喜んでいる。
















結局尾根から道を外して戻るまで、25分近くもかかってしまった。

道を外したのは丁度尾根の中間地点。そこからもすっかり緑の葉だけになった

シャクナゲの痩せ尾根を下ってスーパー林道まで戻って行く。

林道に出て車を停めた場所まで戻って行きながら、『残念でしたねシャクナゲ』と言うと

あっちゃんが『いいじゃないですか、すぐ横に華がずっといたので』と・・・・(^_^;)




雲早山登山口から一旦車に乗り込み、ファガスの森まで移動する。

ファガスの森には何台かの車が停まっていたが、その内の何台かは

木製のスロープを新設している工事の人の車だった。

建屋の前のベンチに腰掛け昼食を摂る。ファガスの森高城は水曜日はお休みなので

未だ一度も中に入ったことがない。




昼食後はもう少しだけ先の南高城山まで車を走らせる。林道脇には車が三台停まっていた。

林道から南に山頂への道が続いている。自然林の中を少しだけ下り、登り返すと

笹の斜面に沿ってシロヤシオの木々が続いている。この木は花の密集度が他のツツジと比べると格段に多い。

その花の大きさと葉の数も多いので、白い色も相まって遠目から見るとあまり目立たない。














更に離れて写真を撮ると、緑の中に埋没してしまう。







写真を撮ったり動画を撮ったりしていると、先を歩く二人の姿は見えなくなった。

代りのに上から降りてきたご夫婦の男性に『KAZASHIさんですか?』と声を掛けられる。

『今日はお独りですか?』と聞かれえたので、『いえいえ前に〇〇さんが二人が歩いています』と答えた。

山頂近くの展望所と分岐から西に下ったシロヤシオの咲く場所を教えていただき別れた。

山頂らしき場所にはヒメシャラの幹に南高城山の山名札が掛けられている。

山名は地形図などに載っている正式な名前ではないが、この時期にはたくさんの人が訪れるようだ。

山名札から左に折れて笹道を進んで行くと目の前が開けた。展望所からは西二子山

先ほど歩いた雲早山、そして高丸山が見えた。











展望所から引き返し今度は山名札から左に折れて下って行くと、先ほどの男性に

教えてもらった通り、シロヤシオがたくさん咲いていた。実を言うとこの南高城山は初めてで

これでけのシロヤシオ見るのも初めて。アイコ様の御印の木にもなっているこの木は

葉の展開と一緒に花が咲いているので、薄緑の葉に白い花がとても清楚な雰囲気を漂わせる。

やはり女性もこうあるべきと奥様二人に・・・・!。(*´▽`*)

















同じ場所にあるのに満開の木とほとんど落花してしまっている木があり不思議だ。













白と若緑の競演を存分に楽しんでいる奥様達。これで先ほどのシャクナゲ尾根の件はチャラに

なった事だろうと、ほっと胸をなでおろす。







林道まで戻った後は高城山へと取り付く。空は朝方から比べると随分と青い色が広がって来た。







鉄塔広場を過ぎ、小さな岩を乗り越えると雨量レーダーまでのモノレールの横に出る。

そのモノレールに沿って登っていると前を歩くあっちゃんが、そのモノレールに近づいて行く。

あわてて『いかんよ!登ったら』と声を掛ける。目を離すと油断も隙もない!











先ほどの南高城山がゆるゆるだったので、雨量レーダーまでの最後の坂が暑さも相まって堪えてくる。










巨大なレーダーの横まで来ると、あとは尾根を少し歩けば高城山だ。







高城山山頂からは東に剣山や三嶺そして天神丸を経て

ここまで稜線が続いている。今日はWOC登山部の別のメンバーが三嶺~剣山の縦走にチャレンジしている。

今頃どの辺りを歩いているんだろうね?と三人でエールを送る。



















高城山からまたレーダーまで戻り車を停めた林道へと戻って行く。

今日はとにかく短い距離だが折り返しばかりだったような気がする。











シャクナゲ尾根は結局予想はしていたが残念な結果に終わった。その代わりに

南高城山のシロヤシオが奥様二人のご機嫌をとってくれ、私にとっても初めて見るシロヤシオの数に

どちらの山ものんびりと歩く事が出来、とても有意義な一日になった。


雲早山のトラック



高城山のトラック

2021.05.19 お散歩で高越山

2021年05月20日 | 香川の里山




天気が良ければ雲早山のシャクナゲを見に行こうと思っていたが、

例年に比べて半月以上早く梅雨入りしてしまい、やはり天気予報は雨。

仕方がないので家の用事を朝9時過ぎと夕方に予定を入れたら、

予報は曇りから夕方には晴れの予想に変わった。ただ今更奥様との約束を

反故にしようものなら・・・・・と言う事で、雲早山は諦めていると、

FBでヤモッチさんがアップしていた船窪のオンツツジが目に入った。

写真には見頃と書いてあり、ついでに高越寺へもお参りした様子が書かれてあった。

さっそく予定変更で、10時には朝の用事を済ませて車を走らせた。


自宅から脇町へ走り、山川町から県道248号線を奥野井谷川に沿った道を走る。

道が川から逸れ山の中の道になるとくねくねと曲がった道に、忙しなくハンドルを切る。

次第にガスが濃くなりはじめたが、こんな天候にも関わらず、山から下りて来る何台もの

対向車とすれ違う。車によってはライトを付けずに走っていて、いきなり目の前に現れヒヤッとする場面も。


ツツジ公園の駐車場には2・3台の車が停まっていたが、更に上の公園入口まで登って行くと

何台か停められる道の脇は既に満車。予定ではここに車を停めて高越山まで歩こうと

思っていたが、仕方がないので更に先の立石峠まで進んで行く。

峠の道の脇に車を停め登山靴に履き替えスタートする。周りは相変わらず小雨とガスの中。




峠から下って行くと高越寺の駐車場には車が一台停まっていた。

更に進んで行くと『これより霊域』と書かれた結界門があり、その奥で三面大黒天と高越大権現が

迎えてくれた。その高越大権現から右手に参道が続いている。

ガスで一面真っ白な世界の中、新緑の緑が浮かんで幻想的な景色だ。










しばらくすると岩壁の下に薬師如来が祀られ、その横に『やくしだけ』と書かれた説明文。

説明文を読むと行場と書かれていて、よく見ると岩には鎖が垂れていた。







やくしだけの先には弘法大師像。近くの数本見えたシャクナゲはかなり落花していたが

何とか残る大きな花が、雨の雫をつけて生き生きとしている。










高越寺の鐘楼横の裏手から回り込み、石段を登って山門をくぐる。







本堂をお参りしていると奥から数人の参拝者が現れた。駐車場には一台車が停まっていたが、

この人数では車が小さすぎた。登山の服装でもないし、いったいこの人たちはどこから歩いて来たのだろう。







鐘楼横から高越神社への石段が続いている。

参道の脇にはかなりの幹回りの巨木が薄暗い空に向かってそびえ立っていた。










石段を登ると高越神社本殿があったが、その前は一面下草が生え、本殿横の建物は倒壊し

かなり荒れている様子だった。







神社の裏手に回り込み尾根を少し登ると一等三角点『高越山』。さらに進んだ山頂には

弘法大師像が建っていた。かってここには石積塚があり、空海の経塚と呼ばれていたそうだ。

伝説によると、大師は八峰七滝を探し高越山に籠り、真言宗の総本山を作るつもりであったが、

水が十分ではなかったために、高野山に総本山を創始したとあり、この高越山がいかに重要視

されていたかが伺える。










弘法大師像から一旦下って行く。時より木々の間から視界が開けた場所があるが

残念ながら今日は何も見えない。













鞍部からはもうひとつの峰にある奥の院への道が続いている。

濃霧の中に浮かんだ鳥居のシルエットは、まるで迷宮への入り口のような雰囲気がする。

その小さな鳥居を三つ潜ると奥の院に着いた。













奥の院の後ろには奥の院 蔵王大権現、さらに奥には高越大権現の多くの祠が並んでいた。







奥の院からはそのまま尾根の急坂を下って行くと、結界門の脇に出た。

杉林の林床に生える緑の低木を眺めながら立石峠まで戻る。

峠からは晴れていれば船窪のオンツツジの全体が見渡せるはずだが、一瞬見えただけで

また厚い霧に隠れてしまった。







車に乗り込みツツジ公園まで戻り辛うじて停められそうな道の脇に車を停めて公園を散策。

恐らく登山を始めた30年近く前に一度だけ訪れた事があるのだが、

その時は誰と来たのかが全く記憶にない。先ほどまでの濃い霧が流れて巨大なオンツツジが見渡せる。




昭和60年に『船窪のオンツツジ群落』として国の天然記念物と指定されたオンツツジは

葉芽が花と同時に開くため、緑の若葉と赤い花とのコントラストが素晴らしい。







近くまで寄ってみると視界はその朱赤に一面染まり、白い霧を背景にまるでその朱赤の海深く

潜っているような錯覚に陥る。














山の天気は変わりやすいはまさしく。一通りオンツツジを見物した後、公園の入り口まで戻ると

さっきまで見えていたオンツツジの群生は、また深い霧の中に戻って行った。

本来ならもう少し距離を歩きたかったが、言い訳程度の山歩きに終わった半日だったが

何十年ぶりに見たオンツツジに圧倒され、奥様の用事に間に合うように急いで帰路についた。




今日のトラック

WOC登山部2021.05.12 西赤石山

2021年05月14日 | 四国の山



今年に入って水曜日はほとんど晴れの日が続いていたが、

2週間ほど前からどうやら周期が変わって雨の日が続いている。

今日も予報では雨模様だが、お昼前からの降り始めの予報なので、

何とかそれまでに兜岩からのアケボノツツジが見られないかと出かけてきた。


予想通り東平は歴史資料館の前に1台。奥の駐車場は空車状態だった。

幸いまだ雨は降っていなかったが、雨具を着こみスタートする。




駐車場から小女郎川に沿って歩いて行くと第三通洞のある広場に出る。

広場の上にはレンガ造りの旧東平第三変電所がある。この変電所は

遠登志水力発電所(鹿森ダム付近)から送電されてきた電力の電圧調整と明治38年(1905)に

第三通洞に電車が導入されたことに伴い、その電車用に直流変換するために設置されたものとされている。













変電所から一本松停車場までは九十九折れの道が続いていく。

雨具を着こんでいるせいか直ぐに汗が噴き出てきた。













一本松停車場は上部鉄道の中間地点で、索道と呼ばれる

ロープウェイに吊るしたゴンドラに鉱石を積み替えて東平まで運んでいた場所だ。







一本松からは上部鉄道跡のほぼ水平な道。道の両側には石垣が続き、よくこんな山の中で

わずか一年余りで鉄道を開通させたのには驚かさられる。

しばらく歩くと裏谷の橋脚が残る場所に出た。橋脚に架けられた

木製の橋は朽ちていて、ロープが張られて今は通ることができない。

ここであっちゃんとルリちゃんに、機関車が渡っていた橋ですよと説明。














一旦谷に降りて左岸に渡って更に鉄道跡を進んで行くと、切通しが大きく崩れた場所を通ると

次に七釜谷の橋脚があった。

石積みの上にはレンガが積まれ橋の土台が両側に残り、橋脚の足元の川床は水によって

えぐられて橋脚が崩れないように石が敷き詰められている。













七釜谷を過ぎても小さな谷に橋脚だけが残っていたり、足場の板がかかっている。





しばらくすると道の脇から兜岩への分岐の道になる。

今までのほぼ平坦な道から、また九十九折れの道になる。










少し雨が降り始め今まで乾いていた足元の土も濡れ始めた。

いつも大岩からは北面のアケボノツツジがいつもは見られるが、既にガスで隠れてしまっている。

尾根に近づいてくると更にガスは酷くなってきて、前を歩く二人の姿も霞始めた。













途中、所々でアケボノツツジが咲いている。谷の反対の西赤石山の北面にも

ガスで霞んでいるがけっこう咲いているのが確認できる。










尾根に出てスズタケが現れると兜岩はすぐそこ。道に岩が現れるとテープにつられて

二人が左上の岩に取り付いている。ここから兜岩に登るより、真っすぐ進んで

西赤石山との鞍部から岩に取り付いた方が簡単なので二人を呼び戻す。


鞍部から大岩を二つほど登ると、東平から2時間20分で兜岩の展望台に着いた。

残念ながら周りは真っ白な世界。帰ってYAMAPにアップされていた同じ場所から

2時間前の写真は、まだガスもかかっていなくてきれいに北斜面のアケボノツツジが見えている。







小さな雨粒が降り始め、手先が冷たくなってきたので、少し行動食を口に入れ

直ぐに西赤石山へアタックを開始。例年ならここからはアケボノツツジロードとなるが

数メートル先は真っ白で、何本かの花が目につく程度だった。




梯子を登り、ロープのある急登を登ると山頂に着いた。












山頂はもちろん眺望はなかったが、南からの突風で体重の軽い二人はふらついている。

出来れば銅山越えまで歩いて先週からの続きを線で繋ぎたかったが、

ここからしばらくは稜線歩きで、風がまともに当たると思い、計画を断念。










ロープ場で何度か足を滑らせながらも鞍部まで下って行く。




鞍部からあとは下って行くだけ。時折谷あいを吹き上げてくる風が強まる。

途中で兜岩までで引き返した第二班と合流。

樹林帯に入ると雨風の心配はなくなり、上部鉄道まで下って行く。













分岐から二人が左に曲がって少し角石原へと散策に歩いて行った。

その間ヤモッチと二人で行動食を口に入れる。


山頂近くでかかっていたガスも少し薄まり、上部鉄道の平坦な道は

雨に濡れた薄緑色の新緑が眩しい。七釜谷の橋脚の間から見える木々も

少し明るくなってきて光が当たって輝いている。ここで『本当にすごいね、ここを機関車が

走っていたなんて』と言うと、『えっ。そうなん?』とあっちゃん。

『奥様、朝から何度もこの道が鉄道跡だと説明しましたよ!』










山の反対側の旧別子で採掘された銅鉱石は長く人力で先週歩いた道を銅山越を

通って運ばれていたが、約3年の歳月をかけて最初の第一通洞が完成した。

その北側の出口になる角石原から5.5kmを石ケ山丈まで、この上部鉄道を

使って蒸気機関車で運ばれるようになり、更にその下の第三通洞が東平まで開通すると

上部鉄道の役割は終わり、廃線になったという。その歴史の移り変わりと、

今も残る石垣や切通の跡を、活気のあった当時に思いをはせながら歩いて行く。

時々その石垣を覗き込んでみるがかなりの高さの場所もあり、しかもその石垣は

数キロに渡って続いている。旧別子とこの上部鉄道、そして東平から新居浜にかけて

これだけの遺跡が残るこの山域は他の国内の世界遺産と比べても引けをとらないと

思ってしまうのは私だけだろうか。










詳しくは住友グループの別子銅山のホームページで。


一本松から東平までは往路に比べるとあっという間に着いた。

変電所跡を覗いて見ると、洋風の建物は変電所らしからぬ装飾窓があり、

中にはかまどやお風呂やトイレもあり、生活感が漂っている。












駐車場はやはり我々の車だけが、小雨の中静かに佇んでいた。

雨具から着替え、今日はここで解散し帰路につく。













WOC登山部2021.05.06 綱繰山~銅山越え

2021年05月07日 | 四国の山

二週間ほど前から気の早いあっちゃんが、アケボノツツジを見に行きたいと

頻りにメッセージで催促してきた。まだまだ早いのでと言っていたら、あっという間の5月。

例年ならGWの頃が兜岩は西赤石山のアケボノツツジで賑わうのだが

今年はどうも様子が違っている。他の山ではあちらこちらでもう満開の便りが届いているのに

西赤石山の北斜面はYAMAPの他の人のレポートを見てみても、まだまだ色づいていない。

これから開花という時期に強風が吹いたり、雪までふったりして

悪い条件が重なったせいか、今年はもう一週間くらい先になりそうだ。

仕方がないので日曜日にREIKOさんが歩いた綱繰山~西山に計画変更。

REIKOさんによると、痛んでいる花もあるがまだ保ちそうとのこと。

ただ昨日の雨風だけが気にかかるが、全部散っていることはないだろうと思い、出かけてきた。


豊浜SAでルリちゃんと二人をピックアップして大永山トンネルの登山口へ車を走らせる。

電話ボックスのある路肩には軽トラックが一台と外車が一台停まっていた。

車から降りると軽トラックの男性が開口一番『酷いやろ、この車!』と。

その外車は縦列に停めれば何台も停められる場所を非常識にも横に向けて停めていたのだ。




仕方がないので車を軽トラックに寄せて停めなおし、他の人のスペースを確保しスタートする。

REIKOさんが来た日曜日は30台近くが停まっていたらしいが、幸いGWがあけた平日の今日は

少し下の反対側の路肩に一台停まっているだけだった。

トンネルの横の林道から登山口へと歩いて行く。







少し段差になった取り付きを登ると七番谷川に沿った道が続いていく。

杉林の中の道は谷側には石垣があり、馬道(炭の道)の面影が残っている。

馬道は銅山嶺南麓の別子銅山の粗銅精錬に必要な炭を運ぶ道だった。

昨日降った雨のせいか川の流れは水量が多く、流れる音も大きく聞こえてくる。










しばらく歩くとナメ滝の脇に出る。滝の大岩を巻いて登ると大雨の時に流れ出たのか

倒木が散乱する荒れた沢筋の道になる。流れの少ない場所から渡渉すると急登が始まる。










杉林の九十九折れの道を登って行くと笹ヶ峰への分岐の峠に着いた。

ここから少し西に地形図では大坂屋敷越えと記されているが

別子銅山に由来するのではなく、立川銅山の経営者であった大坂屋の小屋かけのあった場所だそうだ。







分岐からは北に尾根に下に沿って道は続いていく。この尾根筋の道も馬道となっていて、

ひとつは今日歩く綱繰山を経て西山の手前で小足谷川へと続く道、もう一つは

分岐の道標の次にある道標から等高線に沿って地形図にも破線が載っている道だ。

以前独りで小足谷川から歩いてきたが、最後に道が途切れたようになり、迷って谷を

下って住友の森へと下った記憶がある。途中の道も荒れて、

何ヵ所もある谷筋に架かっていただろう橋も朽ちていてけっこう大変だった。

綱繰山への道は歩きやすい道だが途中で何ヵ所かはザレて、慎重に足を運ぶ場面があった。














途中の大きな倒木では、二人がコアラのようにして越していく。

しばらく歩くと今日初めてのアケボノツツジ、みっけ!














尾根の巻き道から尾根に出ると少し広場になっていて、木々の間から綱繰山の山肌が

アケボノツツジでピンクに染まっているのが見えた。二年前に来た時もここから見た

山肌は素晴らしかったが、今日も遜色なくきれいに色づいている。

初めて見るアケボノツツジが乱舞する山肌に、二人も大満足の様子。

ここでやっと肩の荷が下りた。昨日の雨でもし散っていたなら後で何を言われるか。

今日はそればかり気がかりで歩いて来た。ピンクの山肌を眺めながら少し休憩をとる。




二年前



アケボノツツジの展望所からは自然林の明るい道が続いていく。

しばらくすると綱繰山からの尾根の鞍部になる道標の立つ金鍋越についた。

この道標、銅山越への方向は合っているが、笹が峰への道が違う方向に向いている。

その方向に目をやると尾根の下にアケボノツツジが見えた。少しだけ登ってアケボノ見物。













金鍋越からは綱繰山に向かって急登が始まる。道は山頂が近づくにつれ急こう配になっていくが

今日は二人について行くのがやっとだ。GWの最後の三日間。徳島の売出の手伝いで

一日中モデルハウスの中でほとんど動くことなくじっとしていたせいかもしれない。

ただ道の脇のあちらこちらでピンクの花が『がんばれ!』と励ましてくれる。
















途中からはそのアケボノツツジ越しに平家平の笹原が見えた。




急登が終わり山頂手前で緩やかな尾根になると、さらにその数が増えてきた。

前を歩く二人も見上げては立ち止まりため息をついている。ミツバツツジほど花が密でなく

大きな花弁が疎らに咲いているアケボノツツジはやはり青空が似合う。
















遠目で見るより間近に見るとその色は薄く見え、春の夜明け前の曙の色に似ていることから

その名がついたというが、イメージが少し違うように思う。青春真っ只中の若い女子高校生の

ような雰囲気がするのは私だけだろうか。そんなアケボノを前にこちらも真っただ中のお二人! (*'▽')




尾根道にはミツバツツジや、まだ芽吹いたばかりの木々が両側に並んでいて足取りも軽くなる。







山頂からは平家平と東に西赤石山から東赤石山に続く法皇山系

西にはちち山とその方にちょこっと頭を覗かせた笹ヶ峰が見える。













山頂からこの辺りの代表的な山々を眺めた後、しばらくは平坦な尾根を次の西山へと歩いて行く。

ここでも奥様二人は度々立ち止まり、おしゃべりしている。これだけ見られればさぞや満腹のはず。

案内した私の株価も上がっているはず。イッヒ・ヒー! (*´▽`*)













平坦な道が終わると今度は西山への鞍部までの急降下。何もそこまでと思うくらいの

長く急な下り坂が続いていく。ダンスを踊っているように見える二人。











鞍部から西山山頂へも急登が待っていた。途中で前の二人が立ち止まり何やら写真を撮っている。

近づいて足元を見るとツガザクラが小さな花を咲かせていた。










山頂手前には展望所。笹ヶ峰がさっきより大きく頭を出し、その稜線の向こうには

伊予富士瓶ケ森だろうか。特徴的な沓掛山もよく見える。














山頂は木々に囲まれて景色も良くないので、展望所に戻って昼食にする。

正面には登って来た綱繰山が見えるが、二年前のピンクの山肌を期待してこの西山まで来たのだが

その時と比べると、残念ながら今日は随分と見劣りがする。







二年前




計画ではこの西山から折り返す予定だったが、まだお昼過ぎなので欲張って銅山越えから

日浦まで歩いてみますか?と提案してみる。下山後、下道を5km弱歩くことになるけど、

二人とも銅山越えも、別子銅山の遺跡が続く日浦への道も歩いた事が無いというので直ぐにOKがでた。

私も銅山越えからの小足谷川から馬道は前回歩いたが、日浦への道は十何年ぶりの事。

山頂から少し灌木の中を歩くと銅山峰の平らな山肌越しに、

西赤石山が大きく山裾を広げて近づいて来た。西赤石山も1500m付近までは

アケボノツツジで斜面がピンク色に染まっている。ただ山頂から兜岩までの稜線は

まだその色付きがあまり見当たらない。今年は裏年なのか、まだ早いのだろうか?
















さらに下って行くと北に新居浜の市街地が見渡せるようになった。奥様達は最近、事前に周りの山の位置を

学習してくるようになったが、先ほどの西山山頂では南を指して『こっちが北かな?』と言っていたので

『瀬戸内海が見える方が北ですよ!』教えてあげる。山名を覚える前に先ずは歩いている

方向がだいたいわかる様にならなければ・・・・まだまだランクアップはほど遠いぞ奥様!

銅山峰の道の両側はツガザクラの植生保護でロープが張られている。














銅山越えに着くと、エントツ山さんの銅板の看板は健在だった。

江戸時代、採掘した鉱石は、運搬夫が籠(かご)で運び出し、砕女(かなめ)小屋で

砕女と呼ばれる女性達が砕く砕き、しれを谷にある炭火で溶かし(大量の木炭が必要でした)、

銅分が8~9割の粗銅(あらどう)に製錬した。

精錬された粗銅は、この銅山越を越えての新道の開削で、仲持(なかもち)が人肩運搬路

を使って(男性で45kg、女性で30kgを担ぎ)、明治19年に第一通洞が開削されるまで、

184年間に渡って仲持が鉱石を峠越えで運び出していたという。標高1294mという峠越は、

行き倒れとなる仲持もいて、この峠にある峰地蔵はそんな無縁仏を祀ったものだという。




銅山越から前回は牛車道を下ったが今日は別子銅山で最初に

鉱脈が発見された歓喜坑へと下って行く。

牛車道の幅の広い緩やかな道に比べると、やはり中持が人力で運んでいた感じの道。










日差しが差し込む明るい道から、谷あいが狭くなり薄暗くなってきた場所に歓喜坑はあった。

二つ並んだ坑道入り口前は広場になっていて東屋とベンチが置かれていた。




ここからは小足谷の谷筋を右に左にと橋を渡って行く。所々で銅山の施設跡の説明板があり、

その説明をあっちゃんはその都度見入っている。













そのうちにまた広場になった場所に出た。昭和26年、探鉱ボーリング中に地下水脈に突き当たり、

水が出てきたのだが、その時ボーリングの先端に付いた工業用ダイヤモンドが、

回収出来なくなったのが名前の由来となったダイヤモンド水がある。














ダイヤモンド水の少し先には以前にはなかった真新しいバイオトイレがあった。

瓶ケ森でも昨年見かけたバイオトイレ。瓶ケ森はハンドルを回すようになっていたが、

ここのバイオトイレは自転車のペダルを漕ぐようになっている。

ここから日浦までは小足谷川沿いの遺跡が立ち並ぶ道。

右岸から左岸への橋を渡るとまず長い石垣の続く小足谷劇場跡がある。

その石垣の終端の高い石垣を眺めてあっちゃんが『登れそうね』というので

『もういらん事考えんといて』と何とかなだめる。







その当時、毎年五月には山上祭が行われ、京都や大阪から役者を呼び歌舞伎や

芝居を上演させ、観客は千人以上収容で来たという。こんな山中にこれだけの建物が

あったのが非常に興味深い。




劇場跡の次に小学校跡。明治36年には教員7名、生徒も298人在籍してたそうだ。

先ほどの劇場跡もこの小学校跡も石垣の上の建物があったであろう平らになった場所には

今はかなりの背丈の木々が天に向かって伸びている。するとルリちゃんが

『石垣の際の木は、根っこで石垣を崩しそうなのに、なんで植林したんだろう』というので

『こんな場所で植林なんてせんでしょう。』と答えた。後で気になって調べてみると、

別子銅山支配人だった伊庭貞剛の意志を継いで植林されたものとある。

藪化して荒れた遺跡に緑を取り戻す為に、ヒノキ、カラマツ、クロマツ、など

様々な種類の木が植えられ、寒冷地に自生するシラカバが植えられた場所もあるそうだ。

安易に答えてしまってルリちゃん、ごめんなさい。あなたが正しかった!










小学校跡の先にはレンガの壁が残る接待館跡

今までの石垣が和の雰囲気だったのが、この場所だけは西洋的な雰囲気がする。

塀に囲まれた中には日本庭園もあったらしい。ブロック塀の透かしブロックのように

等間隔に十字の形をした穴をあけていて、きれいな模様のようにみせている。










中に進むとさらに奥には高い石垣の上にレンガ塀が残されていた。

その穴からあっちゃんをのぞき見してみる。







接待館跡の下には小足谷集落の何段にもなった石垣がある。

全盛期には14,000人近くも住む、愛媛県内有数の大きな町であっただけあり、

目出度町には別子山村役場・郵便局・接待館・駐在所・住友病院などがおかれ、

養老亭や一心楼などの料理屋や料亭、雑貨屋・うどん屋などの商店が建ち並んで盛況を

きわめたこの別子銅山も、今は深い森の中にその当時の旺盛の面影を残すだけとなっている。




そういった遺跡をゆっくりと眺めながら1時間30分ほどで日浦の登山口着いた。

駐車場には10台近くの車が停まっていたが、銅山越までは途中数人に会うだけだったので

みんなほとんど西赤石山へと登ったのだろう。







ここから下道歩きが始まる。距離にして5km弱。駐車場からは県道が大きくヘアピンで曲がって

ぐいっと登坂になっている。それを見てルリちゃんが『あんなに登らんといかんの!』と愚痴り始めた。

せっかくここまでアケボノツツジと産業遺産の遺跡で満足して気分よく帰ってもらえると思ったのに。

ここでせっかく上がった株価が下落したらいけないので、『もう1/3、もう1/2やから』

色々と話しかけご機嫌をとりながら歩いて行く。(笑)









しばらくは緩やかな道が続いていたが、最後に住友の森からの登坂が足に堪えてきた。

口数も少なくなってきたころ、日浦から1時間20分の下道歩きで何とかトンネルまで戻って来た。

最近はギックリ腰こそでなくなったが、長い時間歩くと足より腰が重たくなる。

翌日は不用意な動きをしてギックリ腰に注意しないといけない。

下道歩き含めると沿面距離13.5km、行動時間6時間30分の県外の山行では

久しぶりに長い距離を歩いたが、思っていたよりアケボノツツジが咲いていて、

奥様二人も満足してくれたことだろう。そう考え安堵のうちに車を走らせるとあっちゃんが、

『来週は西赤石山ね。楽しみ!』と・・・・・・・・はあ~あ! (T_T)


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