KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『あの高原にもう一度行ってみたいわ!』と彼女は言った。

2024年11月01日 | 四国の山

 

 

先週に続いて休みが合ってしまった。『・・・・しまった』というのは言い方がおかしいので、休みが合ったの

で、どこにお連れしようかと考えた。先週の剣山では、次郎笈峠から剣山への登りで相当バテていたので、今週

は軽めにと考えていたら、『そう言えば塩塚高原にススキを見に行ったことがあるわね』と仰った。と言うこと

は『もう一度行ってみたい』いや『連れて行け!』ということだろうと直ぐに理解した。

ただ一緒に出掛けた記憶が全くない・・・・のは決して口には出さずに、塩塚高原だけでは時間がもたないので、

他にどこか立ち寄る場所はないかと考え、そう言えば以前から行ってみたいと思っていた毎週水曜日が定休日の

『ハレとケ珈琲』が営業していると思ってコースにプラスしてみた。その近くには紅葉の名所の『竜ケ岳』もあ

るので、様子伺いで車を走らせてみるのもいい。

 

6月に西の奥様たちと歩いて登った時のスタート地点になった『道の駅 霧の森』でトイレをすませて県道から

塩塚高原への道へと入ると直ぐに『ノーベル物理学賞受賞、真鍋淑郎博士の生家』の案内板。

『真鍋さんて知ってる?』と聞かれたが、『さぁ?』と答える。(博士と地元の方すみません)

 

 

そこからさらに車を走らせると『西横井の棚田』。稲刈りを終えた棚田の向こうの山の斜面に、茶畑が続く集落

が見える。新宮はその気候や土質がお茶の栽培に適しているということで、『新宮茶』として特産物になってい

るそうだ。

 

 

 

それまでの山間部の道から高原まで上がってくると一気に景色が変わった。薄曇りの白い空の奥の白い太陽から

届いた柔らかい光に、ススキの穂が銀色に輝いている。

高原の起伏のある台地が幾重にも重なり、一面に広がるススキ原が大海原で押し寄せる波の様だ。

 

 

 

 

展望台による前にパラグライダーフライトライディング場へ車を走らせる。ライディング場からは塩塚峰山頂へ

登って行けるのだが、前回歩いた時に結構急登だった記憶があったので、今回は先週の剣山の事もあるので、無

理はせずに無難にパスして、展望台へと向かう。

あまり天候もよくないが、道の北側は瀬戸内海の島々まで見渡せた。

 

 

 

展望台手前の駐車場に車を停めて歩き始める。駐車場にある公衆トイレは使用禁止になっているので要注意。

緩やかな階段状になった斜面を登って行くと東屋のある展望台にすぐ着いた。

6月に歩いた時は緑の萱原だった稜線は銀色のススキ原に変わっていた。遠目にはそのススキが柔らかい産毛

のように見える。

\

 

 

 

展望台はもちろん遮るものはなく360度の景色。

北側は低い位置に横に続く雲の下に、同じように横に荘内半島讃岐三埼灯台まで続いている。

 

 

西側は塩塚峰の山頂とその手前のピークとの間に見えるのは筒上山。と言うことは塩塚峰山頂の奥には石鎚山

見えているはず。

 

 

 

南は手前にカガマシ山から笹ヶ峰へと続く稜線。その奥に工石山と白髪山が頭を出している。

 

東は国見山の右に、天狗塚から三嶺、剣山と続く稜線。左は中津山の両側に黒笠山烏帽子山。ただ遠すぎて山

容がはっきり確認できない。唯一、烏帽子山だけは同定できた。

 

 

 

駐車場に戻る途中、右側の斜面に紫色の花が咲いていた。遠すぎてはっきりと分からないが形的にはアジサイの

花のように見えた。

 

 

駐車場からもと来た道を戻って行くと陽の光がどんどん強くなってきた。オートキャンプ場まで下ってきたが、

せっかくなのでもう一度写真を撮りに引き返してみたが、あまり変わり映えはしなかった。どうせならやっぱり

青空が欲しかった。

 

 

 

 

銀色に輝く高原のススキを堪能した後は、今日の次の目的地の『ハレとケ珈琲』へと向かう。

高原から山城町に差し掛かると『半田岩』と書かれた案内板があった。車を停めて道の下を覗いてみると川の対

岸に水車小屋。川底には巨岩が並び、そのまわりはモミジの木々。そのモミジが色づいた時はいい写真が撮れた

だろうに、残念ちょっと時期が早かった。

その昔長曾我部軍が田尾城攻略した際に、この地で休憩して軍議を行った。その際この巨岩の一つが膳に似てい

ることから、『飯台岩』と呼ばれていたのが、いつしか半田岩の字が当てられるようになったという。

 

 

(三好市公式観光サイトより)

 

半田岩から順調に車を走らせて県道319号線に出る手前で警備員に車を止められた。『すみません!時間通行止

めで、11時20分まで通れません』と言う。時間は10時50分過ぎ。途中で時間通行止めの看板を見ていたが

今まで見てきた時間通行止めはだいたい50分から00分の間が通行できるようになっていたので、ここもそうだ

と思って、書いている時間を確認せずに走ってきたのが間違いだった。

『どこか迂回路はないですか?』と尋ねると、『1kmほど戻って、田尾城跡の看板に沿って行けば、別の道で国

道に出られます』と教えてくれた。

聞いた通りの道を走って行くと、これがけっこう狭い道でスピードも出せずに、結局迂回するのに15分ほどかか

ってしまって待っているのとあまり変わらなかった。

 

『ハレとケ珈琲』『ハレとケ』。それは、特別な・晴れを意味する「ハレ」と日常の「ケ」。民俗学者である柳田

國男氏が提唱している言葉らしいが、高尚過ぎてあまりよく分からない。

まぁとにかく廃校を利用した施設と言うことで、話をすると奥さんは食いついてきた。

国道32号線の祖谷口から吉野川にかかる橋を渡って、県道32号線を東に走り、松尾川温泉への分岐の200mほ

ど手前で山側へと入って行くと、こんなところに?と思うような場所に立派な鉄筋コンクリートの旧出合小学校の校

舎があった。正門を通って校舎の手前に車を停めて中へと入って行く。

最盛期には500人以上の児童が通っていたようだが、2004年には7人となり、翌年には廃校となった小学校だ。

 

 

 

 

1階の教室の中をそのまま利用して『ハレとケ珈琲』は営業していた。

 

 

 

 

店内は昭和を感じさせるソファーや懐かしい小学校の木製の小さな椅子が並んでいて、黒板にチョークでメニュー

が書かれていた。奥さんは紅茶、私はコーヒーそして初めて食べるカヌレなるものを一緒に頼んだ。

コーヒーは深煎りなのにそれほど濃くもなく、奥深い香りと風味があって美味しかった。

初めて食べるカヌレは表面が固くて一瞬『ん?』となったが、なかはもっちりとして一瞬でペロリ。

 

 

コーヒーを飲んでゆっくりとした時間を過ごした後、竜ケ岳へと紅葉の様子見に車を走らせたが、松尾川温泉

らさらに奥へと走って行くとまた時間通行止めの看板。周りの紅葉もまだまだな感じだったので、そのまま引き

返す。それにしても竜ケ岳松尾川温泉からもけっこう遠くて道幅もけっこう狭くてなかなかの道だった。

国道まで戻ってさてさてお昼はどうしようかと考えながら車を走らせる。そして思いついたのがいつもは朝夕に

横を通るけれど、こちらも今まで立ち寄ることはなかった三好市の八番館

ゆとりのある空間に川沿いの建物らしく大きな窓の下には吉野川が見下ろせた。少し遅いランチになったが、手

作りハンバーグに一味違うデミグラスソース。カリカリ揚がった白身魚に酸味の効いたタルタルソースがとても

美味しくて、けっこう量があったのに奥さんも『美味しい美味しい』と言いながら完食した。

 

 

ランチの時間としては遅かったが、家に帰るにはまだちと早い。どうしようかなと考えた結果、奥さんがまだ一

度も行ったことがないというのでまたひと走り。

奥さんは初めてだというが、私も車で来るのは初めて。いつもは香川側から歩いて登ってくる場所。

駐車場に来るまでの間、そして参道を歩いていると『参道補修費の協力金』のお願いの看板が目立つ。看板に書い

てある通りに納経所で500円を払って参拝する。

参道から歩いている途中ですれ違ったスクーターに乗ったお坊さんが本堂の横に居た。すると納経所の奥から来た

女性が、そのお坊さんに向かって『住職、連絡がつくように携帯電話を持っていてください』と言って怒っている。

どうやら急ぐ用事があるのに住職さんは境内をうろついて、携帯も持って出ていないので連絡が付かずに困ってい

たらしい。威厳のある雰囲気の住職が、年の離れた女性に叱られているのをみて思わずクス!とする。

境内のモミジの紅葉を少しは期待して来てみたが、色づいた木もあったが、全体的にあともう少し先の様だった。

 

 

 

季節に関係なくこの石像『五百羅漢』は見ごたえがある。奥さんも熱心に動画を撮っている。

 

 

 

ここまで来るとやはりあの場所によってみたい。駐車場には『広場に行く人は車を停めないでください』と大きな

看板が立っていたが、駐車場料のお金も払っているのでちょっとだけ寄らせてもらった。

すると奥さんはやっぱり予想通り写真や動画を撮りまくって、うれしそうにしている。

 

 

 

これでニュースにはならないが、今日の私の株価はストップ高となってるはずだ。(ニンマリ!)

 

広場から引き返す途中で目にした木に刺していた活力剤。同じようにそれを見つけた女の子が、『ママ、マヨネ

ーズが刺してるよ!』と可愛らしく言っている。その横で『マヨネーズじゃなくてケチャップやろ』と小声で聞

こえないように言ったおばさん。(おばさんやな~!と、これも聞こえないように小声で言う)

 

境内まで戻って仁王門をくぐって太子堂にお参りする。鐘楼の横のモミジが一番色づきが良かったが、それでも後

少しかな。

 

 

 

陽が低い位置に落ち始め杉の大木の中の参道は少し暗くなり始め気温がさがってきていた。

帰り道、いつも山の帰りに立ち寄る温泉でほっこりと温まって帰る。

 


ウララ♪・ウララ♪♪・ウラ次郎!

2024年10月25日 | 四国の山

 

 

『明日は何時に出発?』と奥さんが聞いてきた。いつものように私が家を出る時間を聞いたのかと思ったら、

なんと自分も出かけるつもりらしい。

テレビで流れた『ヤッホー!紅葉狩りは四国徳島の剣山!』のちょっと古めかしいCMを見ながら、『剣山は今

が紅葉の見ごろらしいよ、行ってみる?』と冗談で話をしたら、なんと本気にしたらしい。

と言うのも、以前に誘って歩いた天円山の山頂からの下りがとにかく怖かったらしくて、『もう山には行かん』

と言ってので、山登りはもうすることもないだろうと思っていたからだ。

それならせっかくなので、そんな過去の話はけっして持ち出さず、ニコニコ顔で出発時間を答えた。その後、準

備物を二人分用意して、カップラーメン用にお湯を入れる水筒から、お湯を沸かすコンロに変えてザックに詰め

た。その横で奥さんは『何を着て行こうか』と楽し気に聞いてきた。

 

天気予報は昼から少し崩れそうな雰囲気だったので、早い時間に出発する予定だったが、奥さん同行となるとや

はりリフトを利用した方が無難だ。そのリフトの営業時間に合わせて車を走らせた。

見ノ越までの途中のスキー場手前まで来ると、北側に雲海が広がっていた。車を停めて写真を撮っていると、後

ろから見覚えのある車がやってきた。そう車からは奥様たち二人が降りてきた。

二人は丸笹山から赤帽子山方面を歩くと言うので、軽く話をして別れた。

 

見ノ越の駐車場は平日のこの天気にもかかわらずけっこう車が停まっていた。そして駐車場の前に停まったバス

からは、海外の団体さんが降りてきた。駐車場は15度前後の気温、こちらは上着を一枚羽織っているというの

に、短パン半袖姿の人がけっこういる。

リフトに乗るのは何年ぶりだろう。登りのリフトに乗るのはおそらく息子が小学生の時に一緒に来て以来だ。

 

 

西島駅から北側は青空も見えて比較的見通しもよく、丸笹山矢筈山の笹原もきれいに見えた。

三嶺の右奥には法皇山系から石鎚山系へと続く稜線も見える。

 

 

 

 

いつもなら刀掛けの松へと登って行くけど、今日一番の目的地は剣山山頂ではなく次郎笈の西斜面、通称?『裏

次郎』なので、次郎笈へのトラバース道を歩いて行く。このルートは目的地への近道もあるのだけれど、徐々に

高度を上げていく緩やかな道なので、歩き慣れていない奥さんにはちょうどいいと思ってなのだ。

次郎笈峠へも峠からのトラバースもゆっくり歩けばまず奥さんからのクレームにならない。その後余裕があった

剣山山頂に登ればいい、そう考え随分と気を遣った計画となった。(今回は必要以上に気を遣う)

 

 

トラバース道の両側には黄色やオレンジ色の彩の中を歩く。ピークは少し過ぎた感じで、足元にはけっこう落ち

葉が積もっていた。ここ数日強い風が吹いたのか、そう言えば見ノ越に来る途中の国道の路面にも杉の枝葉がけ

っこう落ちていた。

 

 

 

すると後ろから来た外人さんのご夫婦に声をかけられた。手元にスマホを持っていたので、二人の写真を撮って

もらいたいのかと思ってシャッターを押すジェスチャーをすると『ノンノン』と言って手元のスマホを指さした。

そのスマホをよく見ると奥さんのスマホだった。『オーサンキュー・サンキュー』(この英語は喋れた)と言っ

て奥さんに手渡すと驚きながら『サンキュー・ベリー・マッチ』と中学生で習った英語で奥さんもお礼を言った。

 

そこからしばらく歩いて東屋の休憩所のある場所まで来ると、先ほどの外人さんの夫婦が道標の前で立ち止まっ

ていた。道が右と左に分かれ道標には右手の道が『山頂』と書かれていた。その山頂と書かれた道標を指さし

『エクスキューズミー』と話しかけてきたので、どうやら二手になった道のどちらに行けばいいのかを迷ってい

るのだと思って、二つの道がその先で合流するジェスチャーをしてあげると、ご主人が『OK!』と言ってにっこ

りした。(英語をしゃべれなくても意外と通じるもんだ)

そのご夫婦とは分かれ、等高線に沿うようにして曲線を描きながら歩いて行くと目線の先に次郎笈が姿を現した。

 

 

相変わらず空は曇り空だが贅沢は言ってられない。緩やかに高度を上げていくこのルートを選んで正解だった。

奥さんも顔は赤らんでいたが、さほど苦し気でもなく歩いている。

 

 

 

時々ハッとするくらい鮮やかなダケカンバや楓の色に二人で『オ~~!』と声をあげる。

普段ここまでの彩を見ることのない奥さんは、度々立ち止まってはスマホで写真を撮っている。

 

 

 

二度見の展望所まで来ると剣山と次郎笈との鞍部の北面の紅葉が目に入る。やはり少し色落ちした雰囲気だが、

それでもこの角度から初めて見る次郎笈の姿に奥さんは感心した様子だ。

ただ稜線の美しい笹原はササコナフキツノアブラムシのせいで、結構な広さが枯死して色が変わっている。

 

 

剣山山頂と次郎笈への分岐からはこのルート一番の景観。次郎笈のどっしりとした山容を正面に、その鞍部へと

続く稜線上に、まるで絵に描いたようなきれいな一本線の登山道が続いて行く。

 

 

 

次郎笈峠まで少しだけ登ると後は丸石方面へのトラバース道。峠で一息入れているとほとんどの人が山頂目指し

て登って行く。そんな中二人だけトラバース道へと進んで行く。

 

 

裏次郎のビューポイントへ行く途中にある一本楓は、日曜日にKyoさんが歩いた時には鮮やかな色で待ち構えて

いたのに、残念ながら今日はもうほとんど散ってしまっていた。

代わりにすぐ上の小さな楓の木には色づいた葉が残っていたので、今日の一本楓はこちらで!

 

 

とはいえ道のあちらこちらで一本楓は見つけることができる。

 

 

トラバース道を次郎笈の西側まで回り込み、その先の小さなピークから振り返ると裏次郎のビューポイントにな

る。こちらもKyoさんが載せていた写真を見るとやはり色落ちした雰囲気だったが、それを知らない奥さんにと

ってはこれでも大絶賛!これで『もう山には登らない!』と言った記憶は消え去り、季節によっては甘い言葉で

お誘いすると喜んで付いてきてくれそうだ。

 

 

 

 

 

裏次郎で錦秋を堪能した後はトラバース道を折り返して戻って行く。

トラバース道から見える次郎笈の北斜面にも、ササコナフキツノアブラムシによる被害で小さなサークルになっ

た色違いの笹が目立つ。

途中で見ノ越の駐車場で見かけた外人さんの団体とすれ違う。すれ違いざまには『コンニチワ』と、片言の日本

語で笑顔で挨拶してくれた。

 

 

次郎笈峠まで来ると反対側の剣山の西側がさらにひどく、広い範囲で笹が枯死しているように見えた。

ササコナフキツノアブラムシは降水量が少ない年に異常繁殖すると云われているが、確かにこの夏は雨も少なく

気温が高かった。ただ気温が低下すると死滅すると云われているので、来年は繁殖せずに美しい緑一面の笹原を

見られることを期待したい。

 

 

 

次郎笈峠から朝歩いてきた分岐まで戻ってきた。お昼を前に剣山からは次郎笈へと向かう人たちが次々と降りて

来ている。取りあえず奥さんに『どうする山頂まで登る?』と聞いてみると、登ると返事。

ただこのあと分岐から山頂まで、奥さんは何十回立ち止まっただろう。その度『大丈夫?』と声をかけるとが、

『とにかく息がきれる』と言う。やはり普段から歩き慣れていないと、これくらいの傾斜でも息が切れるらしい。

本人曰く『自分は呼吸が浅いので』と言っている。

次郎笈峠で11時30分だったので、山頂までは30分くらいでちょうどお昼には着くかなと予想したが、おそ

らくそんな時間ではつかないと諦め、ただただ励ますことに。

ここでしんどさだけが残ってしまうと、せっかく裏次郎までで気分良く歩いていたのが、また『二度と山には登

らん』と言いかねない。

 

 

 

時間も気になったがそれよりも空模様が気になり始めた。南からは怪しげな重たそうな雲が流れて来ていた。

せっかく山頂まで登って、景色のいい西のテラスでのお昼ご飯の計画も台無しになる。

何度も何度も足を止める奥さんを励ましながら何とか山頂に着いた。

山頂での記念撮影を終えて、予定通り西のテラスで久しぶりに持ってきたコンロを出して、カップラーメンのお

湯を沸かそうとすると、コンロの着火の火花が散らない。何度やってもダメなので、ザックの中を探してみるも

ライターも見当たらない。(禁煙する前はライターはいくつも持ってきていたのに・・・・。)

 

 

 

仕方がないので山荘まで移動してお昼ご飯に半田そうめんを頂くことにした。

風の強いテラスから暖かい山荘の中で腰を下ろして、半田そうめんの温かい出汁をを飲みながら奥さんが、『美

味しいね』言うので、先ほどの失敗を埋めるかのように『こっちが正解やったな』と言い訳をする。

 

 

 

半田そうめんを食べ終える頃また外人さんの団体が入ってきた。そうめんをすすりながら団体さんの話を聞いて

いると、どうやらフランス語の様だ。英語もまともにわからない二人にはちんぷんかんぷん!

カウンター越しに注文している様子を見ていると、山荘の人も少し苦戦をしている様子だった。それにしても今

日は何人の外人さんにあっただろう。しかも青い目をした人ばかりだ。

前回登った石鎚山でも思ったが、剣山へもインバウンドの波が押し寄せてるみたいだ。

半田そうめんを食べ終え外に出ると、山荘の前からは北側に雲海が広がっていた。青空こそ見られなかったが、

今日はこの雲海を見られた事で天気は及第点としよう。

 

 

雲海を眺めた後西島駅へと降りていく。階段状になった登山道は歩くペースこそ落ちたが、奥さんには天円山

ような怖さは無いようだった。時間的にはまだ13時過ぎ、下からは登ってくる人の姿が多くみられる。その中

にはやはり外人さん。日本人とは比べもにならないくらい大きなお腹を抱えて汗だくで息を切らせて登っていた。

 

 

 

途中登山口の北東に見えた景色。錦の鮮やかなグラデーションの山肌の奥に、雲海に浮かぶ墨絵のような峰々が

続いている。そして頭の上にも最後の色づきを見せてくれる楓の木。

 

 

 

西島駅まで降りてくると、次郎笈のトラバース道ですれ違った外人さんの団体が、二度見の展望台の方から降り

てきた。それにしても今日はアジア系の外人さんにはほとんど会わなかった。

西島駅から取りあえずどうするか考えたが、奥さんも膝の調子は良くなく、下りの時間はここまでよりは長くな

るので安全策でリフトを使うことにする。

 

 

見ノ越からの帰り道。夫婦池を過ぎた辺りで見慣れた二人組が歩いていた。そう朝会った奥様たちだった。

丸笹から赤帽子山の手前で南に下りて国道へ歩いて、見ノ越そして塔ノ丸の登山口までの線を繋ぐ為に最後歩い

ているとの事だった。

 

奥様たちと分かれて、時間も早かったので寄り道しながら帰る。途中にある葛籠堂のある辺りは、貞光から見ノ

越までの間の最後の集落になる。先週歩いた寺地の集落跡でも見かけたお堂だが、この葛籠堂は道路の横にある

のを通るたびに見かけていたのでせっかくなので写真を撮ってみた。この辺りのお堂は三方が開けたシンプルな

構造だが、その割には屋根はとてもきれいな金属板に葺き替えられていて、地元の人に大切にされているのが伺

える。葛籠堂の道を挟んだ上には『剣山登山・葛籠道入口』と書かれた道標が立っている。今は歩く人もほとん

どなく使われていない道だが、葛籠堂の横には四十丁の丁石が建っているということは、登山以前に信仰の道だ

ったのだろう。

 

 

写真を撮っていると車を停めたすぐ横に停まっていたコミュティーバスの運転手さんが声をかけてきた。

『この奥に葛籠のヒノキがあるから見に行ってごらん!』と言うのだ。

せっかくなので教えてもらった奥の道に車を走らせると、天然記念物と書かれた案内の柱が建つ奥に、四方八方

に枝を広げた大きなヒノキがあった。葛籠堂の横には案内板があったのをいつも見ていたが、寄道してまで決し

て見に立ち寄ることはなかったが、やはり地元の人を話をすると時間をとって見てみようという気になる。

そのヒノキの守り人だろうか、すぐ下にある民家の穀物を干すためのハデの間からは、さらに奥の民家が見えた。

 

まだそれでも時間があったので少し離れた温泉に立ち寄り、ついでに夕食を温泉の食堂で食べる。

特大の海老天丼は今日の歩行距離では絶対カロリーオーバーやな、と思いながら家路に。

 

平野部ではなかなか目にすることのない色とりどりの鮮やかな山の紅葉。そして最後は温泉と、これで奥さん

の『山は嫌な所』という汚名を幾分かは返上できた有意義な(笑)一日だった。


いっちゅうは・・・『一字』でなく『一宇』と書くのだ!

2024年10月14日 | 四国の山

 

剣山に始めて登ったのはもう四半世紀以上も前になる。登山口となる見ノ越へのルートの国道438号線も昔に

比べると少し道が広がった場所もあって、多少は走りやすくなった気がする。

通い慣れた見ノ越までの途中通過する一宇。つるぎ町に合併する前は一宇村と呼ばれ、最盛期には8000人近

くの人口で商店街もそれなりに賑わっていたようだ。

その一宇の中心市街地の古見から見上げる山一面に展開する大宗と赤松の集落は、おそらく国内でも最大規模の

山岳集落になるといわれている。

前回塔ノ丸を歩いた帰りに時間があったので車を走らせてみた。その時に少し調べていて目に付いたのが、集落

のさらに上にある『宇峠』だった。『宇峠・・・・宇?』ということは麓は当然『一宇』。なぜそう思ったのか。

そう、一宇はいままでずっと『一字』と書くと思っていたから・・・・。ブログにも度々『一字』と書いてきた

ので目からウロコだった。(地図にも道路標識にも一宇と書いてあるのに、思い込みとは恐ろしいもんだ)

それは徳島の親戚のおじさんがイチウのことを『いっちゅう』と言っていたので、わたしも昔から『いっちゅう、

いっちゅう』と言っていた。最初から『イチウ』と言っていたなら間違いは起こらなかったのに、思い込みで単

純に『一字』と書いてしまっていた。結果情けない事に数十年ぶりに誤字に気が付いてしまった。

 

 

その誤字に気づかせてくれた『宇峠』を今回訪ねてきた。ついでに西側にある焼堂峠から志貴岳を歩いて周回し

てみることに。このルートは2010年にこもれびさんがお二人で歩いている。そのレポートを参考にしたのだが、

こもれびさんのレポートにはトラックの記録が載っていない、その上地形図には全く破線が載っていないルート

だったので、とにかくレポートの写真と文章を頭に入れてスタートした。

廃屋となった民家の周りは萱で取り囲まれ、ススキの穂が朝の光に輝いていた。

 

 

スタート地点は集落の最上部に近い赤松にある聖午王神社の少し下のカーブになった場所。カーブの奥からは西

にコンクリート道が続いていた。

 

 

 

コンクリート道が途切れると道の脇に運搬用のモノレールのレールが続いていた。スタートした場所に車が停ま

っていたのと、コンクリート道が荒れていない、さらには谷筋に架けられた丸太の橋が新しかった事から、この

先にはまだ住んでいる民家がある。そう思いながら歩くと予想通り、外周りを獣除けの高いネットでぐるっと囲

った民家があった。その民家の庭先の一段下、ネットの外側を通ってさらに奥へと進んで行く。

 

 

最終民家でモノレールは途切れたかのように見えたが、まだまだ先どこまで続くのだろうと思うくらい延々とレ

ールは続いていた。途中で薄暗い林の中に不似合いな大きな案内板が立っていた。スタート地点にもあった同じ

案内板が立っていたが、その『ウラジロの木』と書かれた案内板の上手に、日本最大といわれるウラジロの木

その根元にお地蔵さんを祭った祠があった。ただもともとウラジロの木は他の木に比べて大きくはないのか、日

本最大にしては迫力にかけていた。

 

 

 

ウラジロの木からもさらにモノレールのレールは続いている。ただ途中で途切れたヶ所が何カ所もあって、この

先にあるだろう民家には人の気配が感じられなかった。

すると陽の届かぬ暗い林の中、前方から歩いてくる人の姿が・・・。一瞬びっくりしたがすれ違いざまに少し話

しをすると、やはり住人ではなくスタート地点に停まっていた二台の内の一台の車の持ち主のようだった。

『峠まで行かれたんですか?』と尋ねると『そこまでは行かずに引き返してきた』という。持ち物にはカメラの

バックのようなものを抱えている。あまり話をする雰囲気でもなかったので、ひょっとすると廃屋マニア(そん

なマニアがいるのかは?)かな、なんて思いながら別れた。

 

 

 

杉林の影の向こうの明るい日差しの中に赤い屋根が見えた。『ん、民家かな?』と思い谷筋を回り込むようにし

てさらに進んで行くと、畑地の跡なのか石垣が現れた。さっき見えた集落が近いそう思っていると道の下手に土

壁の納屋らしき建物。この辺りの畑の農作業で使われていた建物だろう。

 

 

 

道の端には排水用だろうか、側溝らしき蓋が続いている。すると日陰から明るくなった先にお堂が見えた。

見ノ越に行く途中でも集落には同じようなお堂が建っている。三方が開けたお堂には何の神様が祭られているの

だろうか?お堂があるということはこの先に集落があるという事。

 

 

スタート地点にも掛けられていた張り紙。書かれているルールを守れない人が多くいるのか。それでも立ち入り

禁止とは書かずに、『ルールを守って楽しみましょう』とは、優しい言葉だ。

 

お堂の先は急に開けて目の前が明るくなった。どうやら地形図にも載っている『寺地』の集落の様だ。

開けた場所からは南から南西にかけての山々が見える。相変わらず次郎笈の頭には雲がかかっている。少し視線

を右に振ると秋葉山から津志岳に続く稜線が見える。

 

 

先ほど谷筋の反対側から見えたのはこの赤い屋根だった。平成10年にこもれびさんが訪れた際に、すでにこの

集落には住人はいなかった。廃屋の周りは畑はシダが伸び放題で、あと何年もすればこの建物も朽ちて草木に埋

もれて杜に帰ることだろう。

 

 

 

 

航空写真で見るとたしかにこの場所は開けて集落を形成している。しかも赤松の集落よりもさらに標高の高い場

所にある。こんな場所に住む人たちはどんな生活をしていたのだろう、そして何で生計を立てていたのだろうか。

ただその昔に開墾して広げたこの場所も、もうすでに緑の中に埋もれつつあって、その当時の暮らしぶりを垣間

見ることはできない。

地形図ではこの集落のさらに西に、麓から焼堂峠に続く破線が載っている。まずはその破線に向かって歩いて

行くが、次第に道は不明瞭になって行く。倒木や石で荒れた掘割のような道らしき道を、ルートは合っているの

か不安になりながら進んで行くと、小さな谷筋に古い丸太の橋が架かっていた。おそらく焼堂峠への破線へと続

く道だと確信。

 

 

 

さらに先では道が二手に分かれていた。左側の道は明瞭だったがとにかくずっと下って行く様子。それならと右

側の少し荒れた踏み跡を登ってみるが、これが間違いだと気づいたのは結構登ってしまってからだった。

何となく道らしい踏み跡を辿って登って行くが、とにかく急登。積もった落ち葉に足を滑らさないように、登っ

て行けば尾根には出るだろう、そう思いながら登る事20分ほどでやっと尾根らしき場所に青空が見えた。

 

 

 

尾根に出ると一旦焼堂峠に引き返すようになる。稜線上をとにかく辿って西に向かって歩いて行く。途中怪しげ

な間違えそうな場所もあったが、尾根を外さないようにして進んで行く。

 

 

 

すると尾根の北側の窪地のような場所にブリキでできた祠があった。中にはお地蔵さんが二体。

峠ということで祠の北側を覗いてみると、麓に続く道らしきものが見えたが南側はと言うと、尾根の南は広尾根

になっていて少しうろついてみるが、地形図に載っている破線の道は確認できなかった。

 

 

 

 

 

お地蔵さんに手を合わせた後、引き返して今度は尾根を東へと歩いて行く。すると先ほど寺地からむりやり登っ

てきた場所に見覚えのある杭があり、その先で道は二手に分かれていた。左側は下り坂になっていたので、その

まま尾根を登って行く。地表が洗われ木の根が露出している。

 

 

途中けっこうな急登もあるが稜線上は南から涼しい風が吹いてきて、割と気持ちよく歩いて行ける。

地形図にのっている1000mの標高点の場所には木の幹に黄色と赤色のテープが巻かれていた。見当たらない

石柱の代わりの目印だろうか。

 

 

このルートで何度か見かけた『地すべり指定年月日』が書かれた大きな支柱。でもその60年以上前の指定日を

書いただけの支柱を立てて、なにか意味があるのだろうか?大きく両手を広げたような赤松が印象的だ。

 

 

何度かのアップダウンをした後、スタートから2時間30分弱で志貴岳に着いた。三等三角点 三頭 1073.4m

三角点の北側には阿讃山脈とその南に流れる吉野川、そして貞光の街並みが見えた。尾根の下の木々も少し色づ

き始めている。南側も開けているが木々が伸びてあまり景色は見えない。松の木の枝と枝の間に塔ノ丸の笹原は

確認できた。

 

 

 

 

ここで朝食べた菓子パンの残り半分を口に入れる。三角点でREIKOさんがいつも撮っている写真のマネをし

てストックと一緒に写してみる。

 

 

 

ここからは一旦東の小ピークを目指す。そのピークの手前で踏み跡らしき跡がトラバースしていたので、ここで

いつもの悪い癖がでてしまい、楽をしようとトラバースして行くが、結局これも間違っていて、小ピークへ急登

を登る羽目になる。その小ピークからは北東に支尾根が猿飼の集落に向かって続いていて急坂にトラロープがか

かっていた。その途中から今度は南東に宇峠へ進まなければならない。地形図には破線はなく、ルート図もない

状態がこれほど不安だとは思ってもみなかった。(地形図の等高線が少し複雑になっていたので)

 

 

分岐になった場所では右に道らしき踏み跡があったので、半信半疑で下って行くと道は明瞭になり、トラロープ

もかかっていたので、宇峠への道に間違いないと一安心。

 

 

さらに下って行くと目の前に大きな木(何の木だろう?)。太い幹がえぐられたようになっていて、くねった枝

が垂れ下がり、何だか痛々しい。どうやらここが宇峠の様だが、皆さんのレポートに出てくる祠が見当たらない。

すると『宇峠』と書かれた道標の後ろに朽ち果て廃材のようになった阿弥陀堂の跡が確認できた。

 

 

 

皆さんのレポートにはまだ立派な阿弥陀堂が写っていたのに、十年以上経過するとここまで朽ち果ててしまうの

だろうか?その近くにも二つほど何かの跡だろうか、廃材が転がっていた。

 

 

宇峠と書かれた道標と皆さんの写真で見た、庚申塔と地蔵でやはりここが峠だと分かった。

 

 

 

 

阿弥陀堂(跡)と石仏の数からいって昔はけっこうな人の行き来があったように思うが、一宇村と貞光・半田

結んだ峠も阿弥陀堂が朽ち石仏が傾きかけた寂しげな場所になり、今その昔を偲ぶすべはない。

 

 

 

石仏の前から谷筋へと下って行く。このルートは珍しくほとんどテープがない。谷筋の左岸を踏み跡を辿って

等三角点 赤松 725.4mに向かって下って行く。

 

 

 

最初は涸れていた沢も、下まで来るとチョロチョロと水が流れ始め、途中からは給水の管が集落に向かって続い

ていく。

 

 

すると畑地の跡の石垣が道の左手に現れた。畑跡の中に立つ杉の木の大きさからして、耕作しなくなってもう何

十年にもなるのだろう。

 

 

畑跡を見ながら進んで行くと萱原に飛び出した。ただその先には大きな屋根が見える。寺地の集落では廃屋の周

りはシダで囲まれていたが、ここでは背の高い萱に囲まれている。その萱をかき分けながら進んで行くと廃屋の

軒先に出た。たしかこもれびさんがスタートしてこちらに歩いてきてあった民家だ。その時は住人のおじいさん

にたしか道を尋ねていたが、今は・・・・。

 

 

赤松の集落から続く林道の突き当りにある4・5軒ほどの民家はどこも今は住む人の姿はなく廃屋となっていた。

 

 

 

 

その当時も住人の人たちが眺めていただろう景色は今も変わらず青空の下に広がっている。当時は畑で何を作っ

ていたのだろうか?畑に立つ大木の奥にやっと頭を出した次郎笈。その大木の前の畑も今は萱原となってしまっ

ている。

 

 

 

最終民家から舗装路を車を停めた場所まで下って行く。途中のブロックで囲まれた中は墓じまいを済ませていた。

それを眺めながら、子供たちが県外に出てしまった今他人ごとではないな~と思う。

にし阿波に点在する傾斜地にある集落は200ヶ所近くあるといわれている。その集落も今は住人の高齢化が進み

ほとんどの集落では廃屋が多くみられる。

災害が少なく温暖な平野部で暮らしてきた私たちには、なぜそこに?という疑問が湧いてくるが、これから少し

づつ山歩きを兼ねて色々な場所にある残された集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 

帰りにまた一宇の中学校跡を訪ねてみた。そこは中学校と古見の小学校と幼稚園にもなっていた。地上5階建て

の大きな校舎の横には、また大きな体育館。廃校になる前の子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうだった。

 

 

 

そしてお昼を過ぎてお腹が空いているのを我慢して、今まで一度は寄ってみたいと思った貞光にあるお店でお昼

に。愛想のいいおばあちゃんの応対にほっこりしながら美味しいハンバーグカレーを頂いて帰った。


四国の紅葉は石鎚山から・・・・でもね。

2024年10月11日 | 四国の山

 

 

『今年は彼岸花全然見ないね~』とうちの奥さんと話をしていたら、ここ最近気温が少し

下がり始めて、急にあちらこちらの田んぼの畔で目に付くようになった。

やはり今年の夏はかなりの猛暑だったようで、季節の花も咲く時期がずれてしまっている。

そのせいか10月に入っても今度は紅葉の便りが聞こえてこない。いつもなら石鎚山の紅

葉が10月に入って直ぐにWeb上で目に付くようになるのに・・・・。

そうこの時期はやはり石鎚山の東稜コースを登って南尖峰の色づいた岩肌、そして墓場尾

根、最後は弥山からの天狗岳の彩を見てみたい。

ただ来週は事情があって遠出ができない。その次の週になるとさすがに山頂近くの紅葉は

もう終わっているだろう。そう思って少し早いかもしれないが出かけてみることにした。

あっちゃんには『紅葉はまだかもしれませんが、どうしますか?』と連絡したら、『いい

わよ今回の目的はリベンジだから!』と返事が返ってきた。

そうあっちゃんは前々から、昨年自力で登れなかった南尖峰への最後の岩をロープを使わ

ずに登りたいと言っていたのだ。

『それなら今回はリベンジということで』と今回は紅葉の様子は気にせず出かけてきた。

 

平野部では青空が広がっていたが山間部に入るにつれて少しづつ雲がかかり始めた。UF

Oラインでも周りは薄曇りで、子持ち権現の辺りでは青空が見えて期待感が高まったが、

土小屋に着くと周りは真っ白なガスがかかって、いつもは下の駐車場から見える南尖峰

それこそ雲隠れして全く見えなかった。

 

 

 

それでも天気予報では昼には晴れマークがついていたので、そのうちにと思いながら歩き

始める。駐車場は思っていたよりたくさんの車が停まっていて、これから歩き始めるとい

った感じの人の姿も多くみられた。

土小屋までの道中のアスファルトの路面もずっと濡れていたが、登山道も昨日降った雨が

まだ乾いていなくて濡れている。

途中にある細い丸太でできた木道も濡れていてとても滑りやすい。痛めた膝には転倒が一

番怖いが、それよりもあっちゃんが一昨日から腰を痛めてプチ・ギックリになっているら

しくて『足を滑らせるのが怖い!』と言いながら用心深く歩いている。

何も調子が悪いのならわざわざ出かけなくてもと思うのだが、どうしてもリベンジを果た

して今年中には後味の悪さを払拭したいらしい。

 

第一ベンチからもまだ南尖峰さんはお姿を見せてくれない。

事前にあっちゃんには『遅くまで雨が残りそうなので、足元が悪かったら辛い東稜コース

を登るのはやめて、一般道を歩いて弥山まで行ってそこから南尖峰へ。目的の岩を一旦降

りて登り返すという手立てはどうですか?』と話をしていたが、その肝心の南尖峰が見え

ないのではテンションもイマイチ上がってこない。

 

 

 

 

濡れた丸太の木道も危ういが、濡れた岩も油断大敵。まぁ今日はポンコツ二人、ゆっくり

歩いて行きましょう。

 

第一ベンチまでは鶴ノ子ノ頭の北側を巻くようにして続く道だったが、第一ベンチを過ぎ

ると今度は稜線の南側に続く道になり、南の景色が広がってくる。

頭の上には相変わらずガスが重たくのしかかっていたが、南に見える峰々の上には青空が

広がっているので、まだ望みは捨てきれずにいる。

 

 

 

東稜コースの起点となる第三ベンチには見慣れない看板が立っていた。自然保護の注意喚

起の看板だったが、日本語の看板の横には同じ内容の英語で書かれた看板が立てられてい

た。(もちろん英語は読めるわけではないですが)

 

第三ベンチからは先は天狗岳の北壁の下部を回り込みようにして道が続いて行く。

垂直に近くそそり立つ天狗岳の北壁。谷筋には崩れた大きな岩が転がっている。そのせい

か落石注意の看板も立っている。

 

 

 

土小屋から1時間50分ほどで二ノ鎖元小屋に着いた。

後ろから男女が混じった若者のグループが楽しそうに登ってきた。その中に一人だけ年配

の男性が息を切らせて大変そうにしていた。部活動の団体?と思ったが、あとから三ノ鎖

の上で声をかけて尋ねてみると、会社の同僚と年配の人は上司との事だった。なかなかい

い会社じゃないですか~!

 

 

二ノ鎖元からはスチールの階段が始まる。いつもなら鎖場を登って行くあっちゃんも、今

日のこの天気で濡れた足元の上に腰痛では『行きます!』とは言わなかった。

 

 

 

弥山に着いてすぐ山荘にいるさおりんを訪ねた。天気の様子を尋ねたら『朝はいい感じで

晴れていたのに、今日は北側が晴れてこないと難しそう』と教えてくれた。

それでは『南尖峰まで行って戻ってきてからお昼ご飯をいただきます』と言って山荘を出

た。弥山の広場では腰を下ろして休んでいる人が大勢いたが、やはり天狗岳は薄くそれら

しい形が見える程度だった。

天狗岳への取り付きの手前では『どうしようか・・・』と話し合っている人の姿があった。

それもそのはず、真っ白なガスを吹き上げて北壁から突風がものすごい音をたてて舞い上

がっている。まともにその風を受けたら飛ばされそうなくらいの風で、一瞬恐怖すら感じ

るほどだった。それでも一組だけ取り付きの鎖を降りて行く人がいたので後に続いて我々

も降りて行く。

 

 

 

 

いつもなら前にも後ろにも行列ができ、離合するのに時間がかかったりするのだが、今日

はすれ違う人はほとんどいなくて、すれ違う人がいると『ゆっくりでいいですよ、気を付

けて安全に!』と声をかけあう。

ガスのせいで周りの雰囲気は皆目だが、稜線上の木々はけっこう色づいている。

あっちゃんも恐怖心からなのか腰の痛みからなのか笑顔が引きつっている。

 

 

 

途中でGOPROで動画を撮っているペアとすれ違った。『どちらからですか?』と尋ねると、

『東稜コースを登ってきました』と女性が答えてくれた。『笹滝は大変だったでしょう』

と言うと『もうずぶ濡れでした』と。

後日KINチャンネルさんにはその時の様子の動画がアップされていた。(18分57秒辺り)

 

南尖峰でも吹き上げてくる風は強かった。目印の取り付きに立つ白骨林から下を覗き込む。

その白骨林に安全のために一応ロープをかけて、もう一段下の白骨林まで降りて行く。

後ろからあっちゃんが降りてロープを回収。二つ目の白骨林にまたロープをかけ、まずは

左の(下から見ると右側)斜めの割れ目へと降りて行く。

そこから登り返しで登って行くのだが、けっこうな人が中央からではなくこの右側から登

っているけど、手のかかり足の置き場所を少し考える。リーチがあれば全く問題ないが、

後から来たあっちゃんは『体の大きさが違うから!』と文句を言いながら少し苦戦をして

いた。

 

 

 

それでも問題なく登ってまた二人で一旦降りて、今日のリベンジの目的の中央部へ。

昨年は中央の割れ目の足元が悪くて、右斜め上の岩の割れ目に手が届かずに身体を持ち上

げられなかった。でも今日は足元が埋まってきたのか段差ができて、右手を岩に引掛ける

ことができ、硬い身体を持ち上げることができた。一段上がればあとはスイスイ、ロープ

に頼ることもなく『あれ~こんなに簡単だったんだ』

 

 

 

 

もちろんあっちゃんも右側よりも案外簡単に登ってきた。少し拍子抜けしたが二人でハイ

タッチをしてリベンジ達成を喜んだ。

目標達成した途端に奥様が『お腹が空いた~』と騒ぎ始めたので、さおりんのいる山荘へ

と折り返していく。

それにしても東稜コースを登ってきたわけでもなく、この南尖峰の最後の岩だけを登りに

しかも降りては登るを2回繰り返すという物好きな人はいないだろうなと二人で話をする。

ガスがかかって北壁の高度感はまったく感じないが、やはり吹き上げてくる爆風に慎重に

歩いて行く。

 

 

 

この時期いつもなら順番待ちになる天狗岳も人っ子一人いない。

 

 

 

 

前回歩いた時にはなかったような気がするが、岩には所々で矢印がペンキでぬられている。

植生保護で立ち入り禁止になった場所に入らないように誘導しているのかな?

稜線沿いのドウダンツツジも結構色づいている。

 

 

 

天気が良ければ弥山からの天狗岳の紅葉も、そこそこきれいに見られたんじゃないかな?

なんて考えながら歩いて行く。

 

 

弥山の上には大勢の人影が見えるが、こちらに下りてくる人の姿は見られない。

やはりこの強風では危うさを感じているのだろう。

 

 

 

 

山荘ではさおりんが天狗岳カレーを取り置きしてくれていた。そのカレーを頂く前に、

念願のリベンジ達成を二人で乾杯をする。

普段はおにぎりかインスタントラーメンくらいしか食べない小食には、このカレーとクロ

ワッサンは少々多すぎた。さおりんとあっちゃんと三人で山の話をしながら何とか完食で

きたが、お腹周りの浮き輪がまたひと回り膨らんできた。

 

 

 

 

満腹のお腹を抱えながら山荘を出ると『まだ練習中なの』と言いながら、さおりんと山荘

のメンバーが『出陣式』のほら貝を吹いてくれた。その野太い音を背に受けながら山荘を

あとにする。

 

 

まだ乾ききらぬ丸太の階段や木道を滑らないように必要以上に注意しながら降りて行く。

二ノ鎖元まで降りてくると一人の年配の男性が休んでいた。少し話をすると足が攣って休

んでいるとの事。心配したが今日は山頂の山荘に泊まるとの事なので『お気をつけて』と

言って別れた。毛糸の帽子を被った天狗さんが可愛らしい。

 

 

 

結局天気予報に反して最後まで晴れることはなかったが、北側に少し日が差す瞬間もあっ

た。いつもなら特急列車でスピードを出して降りて行く奥様も、今日はさすがにゆっくり

としたペースで降りている。そのおかげで道の脇や周りの景色がよく見える。

ハチクを大きくしたような木に、赤くなったツタが絡んでいる。

 

 

 

道には黄色や赤の落ち葉が散っているが、登山道の本格的な紅葉はもう少し先だろう。

 

 

 

土小屋をスタートして6時間強で戻ってきた。天狗岳の紅葉は恐らくこの週末が見ごろだ

ろう。その時はこの駐車場には停めきれない車が路肩にも溢れているだろう。

リベンジが目的で紅葉は二の次といったものの、やはり弥山から真っ赤に染まった天狗岳

を眺めて見たかったと欲が出てきたのだった。

いつになく対向車の少ない瓶ケ森林道を車を走らせ帰路についた。


Blowin' in the Wind 風に吹かれて塔丸

2024年09月19日 | 四国の山

 

先週計画していた塔丸。お昼前後の天気予報が怪しかったので予定を変更して里山歩きを

したら、これがバテバテの熱中症寸前で暑さにやられてしまった。しかもずっと蜘蛛の巣

に悩まされて、安易に考えたのが間違いだった。

そうこうしているうちに土曜日にエントツ山さんreikoさんらがサクッと歩いていた。

ルートは往復ではなく山頂から名頃へ下っての縦走で、少し雨にも降られて急な下り坂に

女性陣が苦戦している様子だった。

里山の暑さや虫たちからは解放されて、とにかく稜線に吹き上げてくる爽やかな風の中を

快適に歩きたいと思って、今日も昼過ぎから少し下り気味の天気予報だったが、早めにス

タートすれば問題ないと考えて出かけてきた。

ちょうど8時に登山口に着いたらもうすでに何台もの車が停まっていた。

登山口の道標には『塔の丸』と書かれているが、地形図には『塔丸』と載っている。山頂

の三角点も『塔丸』と表記されているが、個人的には『塔ノ丸』がシュッとしていていい

のになんて、どうでもいい事を考えながら歩き始める。

 

 

登山口からは、ダケカンバやウラジロモミの自然林の中を緩やかに登って行く。

この林の中の道、不思議と鳥の鳴く声も一切なく、遠く上空を飛んでいるジェット機の音

と、自身の足音と吐く息の音が聞こえてくるだけの静かな静かな道。あ!そう言えば先週

に続いて今日も奥様たちのいない独り歩きだった。

 

 

 

 

しばらくすると道はトラバース道になり、一カ所だけザレた場所を通過する。(以前より

は随分と歩きやすくなっていた)

 

 

左手に木々の間から明るい日差しが差し込み、稜線の奥にチラチラと太郎さんと次郎さん

の姿が見え始めると、間もなく尾根に出た。

 

尾根に出てもしばらくは低木の木々の間を歩いて行く。すると今度は木々の間からはっき

りと太郎・次郎さんの姿が目に飛び込んできた。

 

東塔丸の三角点辺りからは樹林帯から笹尾根へと変わり、遠く塔丸山頂、そして少し雲の

かかった三嶺の姿が望めた。

 

 

暫くは道の両側は萱原だったが、このルートのシンボルの白い巨岩を過ぎると周りはいよ

いよ笹原尾根になる。すると前を一戸団体のグループが歩いていた。CLとSLを男性が、

その間に女性陣。どこかの山の会だろうか?軽く挨拶をして先に行かせてもらう。

 

 

笹原尾根になると樹林帯ではなかった風が吹いてきた。歌詞の内容は少し難しそうだが、

とにかくBlowin' in the Windのメロディが頭の中に流れてきた。そのメロディに合わせた

わけではないが、気持ちよさそうにススキの穂が揺れている。

 

 

北側を見ると白骨林の向こうに一字の大宗・赤松の天空の集落が見える。ここから見ると

かなり上の方まで集落があるのが見て取れる。高低差500m、1k㎡にわたって広がる

国内でも最大の山岳斜面集落だ。

 

しばらく歩くと尾根の右手に剥皮の被害にあった一本の木。一瞬『クマ?』と思ったが、

この辺りでクマが出た話はつい聞いたことがない。シカによる角こすりだろうか?

 

足元には小さなリンドウがあちらこちらで咲いていた。この花を見るとやはりそろそろ夏

が終わる・・・・そんな気持ちになる。稜線上には時折大岩が転がっている。先ほどの白

い巨岩とはまた色の違う岩がゴロゴロ。

 

 

 

この稜線は笹原と岩と白骨林、そして今の時期は揺れるススキの穂。先週の顔にまとわり

つく蜘蛛の巣ロードとは雲泥の差。イメージ通りの風に吹かれて快適な笹原ロード!

リンドウと共に対照的な色をしたアキノキリンソウもけっこう目に付く。

 

 

 

 

 

次第に山頂部だけが笹原の塔丸が近づいてきた。北側には矢筈山から寒峰への稜線もくっ

きりと見えている。以前歩いた時は天気が悪く見通しが効かなかったので、この間の小ピ

ークを塔丸山頂だと何回か勘違いしてその度『偽ピークに騙された~!』と声をあげてい

たが、今日はこの天気だ山肌の違う塔丸山頂を間違えることはない。

 

 

 

 

山頂の手前にあるワンワン岩を過ぎ、低木の樹林帯を登りつめると 三等三角点 塔丸

1713.01m。 山頂標の文字は消えかかっている。すぐ横にいた男性が『マジック持って

きて塗らんといかんな~』と。

すると別の男性から『ウメバチソウを見なかったですか?』と尋ねられた、この山頂から

二つほど手前の小ピークの岩を指さし、『去年はあの岩の辺りにたくさん咲いていたのに、

今日はまったく見当たらないんです』と。『花音痴の私に・・・?』と思ったが、どうや

ら一眼レフカメラを肩から下げていたので、花好きだと思われたのかもしれない。

残念だったが『ちょっと分からないですね~』としか答えられなかった。

 

 

 

山頂から三嶺はすぐ目の前だが、残念雲がかかって顔を覗かせてくれていない。

取りあえず山名標で写真を撮り、南の平らな岩に腰掛けてチュロスと水筒に入れたカフェ

オレで軽食。途中で追い越したグループはまだ到着していなくて、名頃のダムを見下ろし

ながら静かな山頂でまったりとした時間を過ごす。

剣山から三嶺の稜線には雲がかかり始めていた。天気も気になってきたが、朝来た時にス

キー場跡から先が舗装工事のためも時間通行止めになっていた。時間通行止めはどこでも

そうだが、1時間の内10分しか通行できないので、通行止めの時間に引っ掛かると50

分時間をつぶすことになる。ただお昼休みは1時間あるのでその時間を狙って行けば、通

過するのに時間の余裕がある。時間はまだ10時過ぎなので最後にゴクリとカフェオレを

飲んで腰をあげる。

 

 

 

 

 

山頂直下の樹林帯では剣山やこの山域でも多く見られる、鹿の食害防止のネットで木の幹

が囲われている。

一旦鞍部まで降り小ピークへと登り返す。相変わらず気持ちよさそうにススキの穂が揺れ

ている。

 

 

 

小ピークからはまた快適な笹原歩きが始まる。1682mの標高点を過ぎ、二つ目の小ピ

ークを過ぎた辺りで昨年秋に小島峠から周回した時に下った場所に出た。ルート的にはま

だ先の地形図に載っている町境から下るのだが、前回はショートカットでこの斜面をトラ

バースした。

 

 

地形図の町境の分岐にはよ~く見ると背の低い白骨林に赤テープが巻いてあった。

 

 

 

登山口には12時過ぎても時間通行止めのお昼休みには十分間に合う。天気も意外ともち

そうで丸笹山に並んで剣山次郎笈の雲も流れてしまっていた。

気持ちのいい笹原をのんびりゆっくりと戻って行く。途中の岩の上で一眼レフを三脚に固

定して初めて動画を撮ってみる。

 

 

 

 

 

カメラの設定がまだまだよく分かっていなくて、小さい花を写すのがなかなか難しい。

 

 

振り返るといつの間にか三嶺も顔を出していた。

 

 

笹原が終わり樹林帯に入る。時間的に余裕があるので往路とは違う尾根筋を歩くことにす

る。以前にREIKOさんが歩いたレポートを見た記憶があり、今回エントツ山さんは往路で

他の人たちと分かれて独りで歩いていた。

YAMAPでは道外れの警告がしきりにアップしてくるが、尾根はしっかりとした踏み跡

というかちゃんとした登山道になっていた。

 

 

 

途中尾根の左手は窪地が続いていて、何カ所もの大きなヌタ場になっていた。テープも時

々巻かれているが、境界杭も続いているし道もしっかりしているので必要なのかななんて

思いながら歩いて行く。

 

 

 

 

尾根道に入ってから35分ほどで夫婦池から続く舗装路が正面に見えた。

この道を選んだのは時間的なこともあったが、もう一つは登山口からラフォーレつるぎ山

との間の線を繋げるためもでもあった。

これで丸笹山山頂から見ノ越トンネルの上まで繋ぎ、塔丸山頂から名頃まで繋いだら、ぐ

るっと剣山・三嶺・塔丸・丸笹山の周回ルートが完成する。

 

 

 

尾根道から降りて国道へと出て舗装路をラフォーレつるぎ山へと歩いて行く。これで一応

塔丸、丸笹山間はつながったことになる。

木々に囲まれた夫婦池は風もなく、湖面に青空を映し出していた。

 

 

 

 

 

予定通り舗装工事の時間通行止めを難なくクリアして、次の目的地の天磐戸神社へと向か

う。第一ヘアピンカーブを過ぎて案内板の立つ脇道へと国道から入って行く。

一軒だけあった民家を過ぎると道は少し荒れ始めたが、10分ほどで鳥居の前に着いた。

 

 

不整形な崩れかかった石段を登り拝殿を参拝した後、左奥にある案内版に沿って登って行

くと、次第に周りの景色も何となく霊気を帯びてきたような気がした。

 

 

 

すると石灯篭の先に、三頭峠にもあった猿田彦大神天字受売命の石像が立っていた。

三頭峠のものとは違い、猿田彦大神の鼻はお折れずに長く、天字受売命の胸は開けていな

かった。

 

 

 

二体の石像からさらに上へと登って行くと以前に神楽を舞っていた広く平らな神楽石。そ

してさらに上に石段が続き大岩の下に祠が祭られていた。その祠の奥は大きな洞窟が続い

ていた。この中に天照大神が隠れ籠ったのか?そしてすぐ下の神楽石の上で天字受売命が

上半身裸で踊ったのだろうか?

 

 

 

 

 

天磐戸神社をあとに今日の次の目的地の一字の高根資料館へ立ち寄る。駐車場には車が3

台停まっていて停められず、すぐ下の一字中学校跡の入り口に停める。いつも見ノ越に向

かう途中で見る校舎は5階建て地下一階の大きな校舎だった。高松市内の中学校でもなか

なか見られない大きさで、こんな山間部で当時は学生たちで賑わっていた風景が目に浮か

んでくる。

最近急に興味を持ちだした剣山のアーク伝説の資料が展示されている高根資料館では、住

職が違う部屋で別の方に説明しているらしくて、代わりに奥さんが少し説明をしてくれた。

次は粟飯原住職の話を是非聞いてみたい。

 

 

 

その資料館の坂の上からは向かいに塔丸から見えた、大宗・赤松の集落が見えた。

天空の集落とは果たして・・・・?そう思ってついでに車を走らせた。

集落の坂道をどんどん登って行く。まだ裾野の赤松の集落には住む人の姿は見られたが、

最上部に近い大宗の集落にある民家は、ほとんどが廃屋になってきていた。

かつてはどれほどの人の暮らしがここにあったのだろう。今も残る立派な石積みだけがそ

の当時の旺盛を物語っている。

 

 

 

 

 

 

おそらくその当時の人も眺めていたであろう南に広がる風景の中に、遠く稜線の奥に次郎

笈が見えた。板金で覆われていた茅葺の大きな屋根も、人が住まわなくなると痛み方が激

しい。この大宗の集落だけでなく徳島の山間部の集落は同じような道を辿りつつある。

少し南にある十家の集落は、車道がなくモノレールだけが荷物を運ぶ手段で、道を歩けば

小一時間かかるという不便な場所に今はもうすでに一人しか住んでいないという。

何故?そんな場所に・・・と思うのだが、住んでいる人にとっては・・・・。そんな話を

是非一度聞いてみたいと思い、また次は十家の集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 


涼風求めて四国カルストの高原へ!

2024年09月05日 | 四国の山


ここ2週間はあまり昇り降りのない場所を選んで散策してきたが、相変わらず

膝の調子は代り映えがしない。無理ができないのを察してか奥様たちから負担

の少ない四国カルストで花散策はどうですかと連絡が入った。四国カルストの

天狗ノ森なら高低差も250m位歩行距離もさほどでもない。ただ車での移動

距離と時間に今まで二の足を踏んでいた場所だった。

それでもYAMAPでアカリプタさんがアップしている活動日記にはたくさん

の花と四国らしからぬ雄大な風景写真が載っていて、奥様たちは花、私はカル

スト台地に魅了され、出かけることにした。

四国カルストはずいぶん昔に友人と二人で『四万十川源流』を訪ねて車で走っ

た際に、キャンプ場でテント泊して以来だった。その時は四万十市(旧中村

市)からスタートして四万十川に沿って遡上して行ったが、今回はGooglMap

で調べると、須崎市から西に国道を197号線を走って行くルートが出てきた

。そのルートを辿って確認していくと、途中で『白龍湖』なるポイントが目に

付いた。そのポイントをクリックして出てきた写真には、少し怪しげだが透明

度抜群の小さな湖の写真が何枚も出てきた。一応立ち寄り場所としてチェック

して家を出た。

高速を須崎で降りて津野町に向かう国道197号線へ右折する交差点の『道の

駅かわうその里すさき』でトイレ休憩。すると交差点に葬祭場の『〇〇家ご葬

儀会場』と書かれた看板が立っていた。その〇〇家の苗字見て、須崎市の近く

に居る大学時代の同級生を思い出した。その時は須崎市には〇〇と云う苗字が

多いのかな?と思っただけだった・・・・・が。

トイレ休憩を終えて197号線を西に走ると直ぐに道の両側にたくさんのビニ

ールハウスが並んでいた。後ろの座席で奥様たちが『何のビニールハウスだろ

うか?』と話しているがはっきりとした答えがでない。(帰って調べてみると

須崎市はミョウガの栽培は全国一の販売額になっているそうなので、ミョウガ

かな?)

国道は新荘川に沿って続いて行くが、途中津野町で北に国道439号線(ヨサ

ク)を今度は北川に沿って走って行く。すると途中のポイントにしていた大き

な目印が目に飛び込んできた。巨大な竜のオブジェと与作と名付けられた狸の

像。これらの像の横を通って中に入って行く。白龍湖は津野町で建設業を営む

野波さんが、『家族や地域の方の憩いの場所になれば』と私有地の天然の淵を

整備して作り上げた人工の湖だそうだ。




入り口で協力金を箱の中に入れて進んで行く。河原に続く砂利道を下って行く

と、眼下に写真で見た通りの透き通った小さな湖が見えた。



そのまま下って行き、矢印の道標に沿って歩いて行くと、湖のちょうど真ん中

にベルトコンベアの廃材で造られた橋が架かっていた。






石灰岩を多く含んだ地質と太陽の光の関係で水がより青く見えるそうだが、湖

の中を覗くと、結構ふくよかな鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。





湖の深さはさほどではないが、それでも底まで透き通って見える。












仁淀ブルーのにこ淵は大勢の観光客で賑わっているけれど、この白龍湖はほと

んど知られていないのが不思議なくらいとても素敵な場所だった。またまだほ

とんど観光化されていないのがかえっていいのかもしれない。






白龍湖をあとにして国道をさらに北上。途中、郷内の集落から県道に入って次

第に標高をあげていく。クネクネした道になった途端に後ろの座席のあっちゃ

んが目を閉じ黙っている。いつものように車酔いが始まったか?

それでも20分ほどでなんとかやり過ごして『星ふるヴィレッジTENGU』の

駐車場に着いた。駐車場は施設が休みのせいか数台停まっているだけで閑散と

していた。






駐車場の奥にある天狗高原キャンプ場からスタートする。キャンプ場の真新し

い綺麗なトイレの横を通り、最後のコテージの脇を抜け展望休憩所のデッキを

過ぎると自然林の中の道になる。





林床は笹だったが、道の脇には小さな草花があちらこちらで咲いていた。

奥様たちは事前にアカリプタさんの活動日記にあげている花の写真を見て勉強

してきたと仰るが、その割には花の名前が全く出てこないので、ネットで調べ

る有様。









天狗ノ森の尾根に乗っかると左に折れて行った先に見晴らしのいい場所があっ

た。少し木々に遮られてはいるものの、天狗高原の緑の草原と白い岩肌の石灰

岩が見えた。




見晴台から引き返して尾根を道標に従って進んで行くと、今度は道の南北が開

けた場所に出た。少し岩場になった場所。前から歩いてきたご夫婦とすれ違い

ざまに少し話をする。道の脇の岩の上にヒョイと上がって北を見ると、遠くに

天空の赤鳥居のある中津山が見えた。振り向いて南を見るがこの辺りは全く土

地勘もなく見える峰々の山の名前が分からない。山頂近くが三角になった山は

不入山だろうか?








この辺りから石灰岩の露岩が目立つようになってきた。長年の水による溶解や

風化で、岩の形は複雑になっている。







しばらく歩いて行くと天狗ノ森の山頂に着いた。三等三角点 栂山 1484.87

m。ここで一旦行動食を口に入れたあと、折り返して途中にあった分岐まで戻

る。




道の脇からは石灰岩の露天掘りとしては日本一の産出量を誇る鳥形山の鉱山が

見えた。この鉱山、航空写真で見てみると東西はこちらの四国カルスト並みの

距離があるのが分かる。そして南北の幅はかなりの幅で、とてつもない広さだ

というのがよく分る。






分岐からは東に天狗ノ森の山頂の下を通って下って行くようになるが、地形図

では山頂から東で破線が続いていて、この道は表記されていない。ただその割

にはしっかりとした登山道になっていた。しばらくは道の所々で異形の石灰岩

の露岩がある。






東に向かっていた道が西に振ると樹林帯の中の道になり、周りの景色も変わっ

てきた。林床の笹原の中に続く道はきれいに整備され、山頂までの尾根の道と

はまた違ったとてもいい雰囲気の道だった。










道は地形図にも載っているセラピーロードに合流した後、西に向かって駐車場

まで続いている。途中でロープの張られた場所があり、『ひょっとして?』と

思って見てみると、活動日記にも載っていたキレンゲショウマの咲く場所だっ

た。

残念なことにすでに花は終わっていたが、道の反対側に一輪だけ残ってなんと

か咲いていた。




さらにその先では四国のみちの道標が目に付くようになり、足元はヒノキのチ

ップが敷かれていた。全国に30カ所ある『森林セラピー基地』の中で標高が

1,300mという最も高い位置にあるセラピーロード。木漏れ日の差す中気持ち

よく歩いて行く。




尾根の分岐からセラピーロードに出て、そこから45分ほどでキャンプ場まで

戻ってきた。スタート時点と比べると駐車場の車の台数は増え、若い人たちが

南に広がる景色を写真に撮ったりしていた。車の横でザックを下ろして昼食に

する。

昨日会社の帰りにマルナカによって、さてさて何も食べようかと考えて、塩塚

高原であっちゃんがインスタントの焼きそばを買ってきたのを思い出した。今

回も高原。高原つながりで焼きそばもありだと思って買ってきたら、横であっ

ちゃんがザックから取り出したのが同じ『一平ちゃん夜店の焼きそば』だっ

た。その横でルリちゃんは冷やしたうどんを食べている。







昼食の後は車で移動して先ずは天狗高原、そして五段高原を走って行く。

緑の草原に白い石灰岩が転がる中を、黒い牛たちが草を食んでいる牧歌的な

風景が続いていく。道の所々で脇に車を停めて観光客がこの景色を写真に収

めて楽しんでいる。







今日二つ目の三角点となる五段城の山頂へは、GoogleMapでちょうど『四国

カルスト』とポイントの付いた場所から登って行く。

路肩が広くなった場所に車を停めて、道の北側の鉄条網と鉄条網の間に尾根

道が続いている。





道沿いにはシコクフウロがそこかしこに咲いていた。そしてあちこちに油断

すると踏んずけそうになる大きな大きな黒い糞。ただその形からして牛さん

のではなさそうだが、果たして誰の?







山頂にはゆっくり歩いて15分ほどで着いた。大きな山頂標の文字は消えかか

っていたが、その前で『ハイ、ポーズ!』  二等三角点 丸山 1455.66m








本当は雲一つない青空を期待していたが、雲が日差しを遮ってくれてかえって

ほとんど汗をかくことなく涼しく歩けてこれはこれで良かった。







車を停めた場所まで戻り、近くに居た牛さんを見物しに歩いて行く。牛さんは

人なれしているのか、すぐ横まで近づいても逃げようとせず、少し腰のあたり

を触るとしっぽを振って叩かれた。





今日の目標の三角点とYAMAPの山頂ポイント二つをゲットした後は、次の

奥様たちの目標はソフトクリームのゲット。車を高原の中さらに西に走らせて

姫鶴荘の横のキッチンカーで目標達成!








帰り道は少しだけ遠回りして、今度は私のリクエストの梼原町の隈研吾の建築

物見学。雲の上の図書館と雲の上のギャラリーで日本建築の木組みの美しさを

再確認した。









その後最後に気になった所へ寄り道するのを奥様たちの了解を得て車を走らせ

た。朝須崎市で葬儀社の案内板で思い出した、市の隣町にある同級生のお店だ。

須崎市からすぐ5分ほどで着いたお店は、以前来た時と比べると店舗は縮小し

ていて、中に入って『〇〇さんいらっしゃいますか?』と店員さんに声をかけ

た。すると店の奥から出てきた同級生。『ちょうど良かった今葬式から帰って

きたところや』と。『誰の?』と聞くと『親父の葬式だった』と答えた。

『そうか朝見た葬儀社の案内看板は同級生の親父の葬式だったんだ』

いつもは明るく元気はつらつな子だったが、やはり少しお疲れ気味の様子だっ

た。しばらく店内を案内してもらい、奥様たちは買い物を済ませて店を出た。


家から片道3時間30分、やはりけっこう遠かった四国カルスト。いつもに比

べると山歩きの時間は短かったが、途中や帰り道にあちこち寄り道をしたの

で、家に着く頃は既に陽が落ち夕闇が迫っていた。久しぶりにたっぷりと遊ん

だ一日だった。



今日見た花たち




まさかの中三日でまた岳人の森へ!

2024年08月08日 | 四国の山

先週土曜日に独りで剣山のキレンゲショウマと岳人の森のレンゲショウマを堪能したら、

奥様たちから『私たちも見たかった』と。『では、今週はどうしますか?』と尋ねたら、

『レンゲショウマは是非見てみたいけれど、キレンゲショウマも捨てがたい』と迷って

いる様子だった。ただ先週と同じように剣山から岳人の森への移動は、距離にして50

km、そしてほとんどがクネクネ道になるので、車酔いするあっちゃんは二つを見るのは

諦めて岳人の森でレンゲショウマを見ることになった。『それなら近場の雲早山でも登り

ますか?』と相成った。


この山域に出かけるときの定番になっている山川町の『美郷物産館』の駐車場に集合し、

そこから一台でまずは土須峠へと車を走らせる。前回岳人の森のヒメシャガを見に行っ

た時は、山川町から神山町に入る手前の倉羅峠で既にあっちゃんは酔死していたので、

今日は車の窓を全開にして、出来るだけカーブではスピードを落として運転していたが、

それでも後ろの座席は静まり返っていた。

先週は剣山の登山道の真ん中で見たが、今日は国道の真ん中で立ち止まっていたバンビ

ちゃん。しばらくして逃げていく後ろ姿。




雲早トンネルを抜けて左折して剣山スーパー林道に入る。昨年独りで来た時はまだ林道

の途中が崩落していて通行止めになっていた。その時あったゲートは取り払われ、今日

は登山口まで車で行けるようになっていたが、路面の状態が分からないので曲がって直

ぐの路肩が広くなった場所に車を停める。その路肩の端には見覚えのある電力の保線路

の番号杭があった。

十年近く前にシャクナゲ尾根への下り口から、さらに西に下って鉄塔に沿って周回して

最後に沢から登ってきた場所だった。その時のことを奥様たちに話をすると、二人の目

が輝いた。『今日もそのコースを歩いてみましょう!』と。







駐車した場所からスーパー林道を登山口まで歩いて行く。平日にもかかわらず何台もの

バイクとすれ違う。さすが国内でも人気の林道だ。








土砂捨て場で広場になった場所からはいつもなら高城山が見えるのだが、今日は雲がか

かって目印のレーダー雨量測候所も見えない。

林道の崩落個所はきれいに復旧されていた。崩落個所までは復旧工事で工事車両が通って

いた事もあって路面の状態は良かったが、そこから先は角ばった石がゴロゴロし始めてい

た。やはりトンネル近くで車を停めて正解だった。













道が那賀町から神山町に入ると山側に見覚えのある車のホイールキャップが置いてあった。

この場所がシャクナゲ尾根への取り付きになる。ここから少し進むと雲早山の登山口。







鳥居を潜って少しだけ急登を登ると、あとは沢沿いの道になる。眩しく光る木々の緑の

中を、流れる沢の水が涼しげな風を運んでくる。この真夏の酷暑の下界では考えられな

い快適さだ。

















作業小屋跡まで来るとその沢からも離れていく。以前は広場になっていた場所も今はほと

んどその面影がないが、カツラの大木だけは今も健在だ。

ここからは方角を変えて東に谷筋を登って行く。周りにはまだつぼみにもなっていないシ

コクブシがそこらじゅうで葉を広げていた。













谷筋についた道は正面に明るく見える稜線の手前で、また南東に振って続いて行く。九十

九折れの道をやり過ごすと道の脇が苔岩の斜面になる。














苔庭からはすぐにパラボラの道標のある高丸山との分岐に出た。『ここから熟達者は高丸

山を往復するんですよ』『また途中から北に行くと菖蒲権現から大川原高原への稜線にな

ります』と説明すると、『そしたら線を繋げていけるのね』とあっちゃん。『あんた繋げ

ることしか頭にないのね』とルリちゃん。










木々がまばらで晴れていたら日差しが照り付ける山頂までの稜線も、今日は時々ガスが

流れて予想以上に暑くはない。








山頂からは相変わらず高城山の測候所は見えなかったか、南東の高丸山までの稜線は雲

に隠されることなく見ることができた。時間は11時だったが、誰かがうるさくなる前

にお昼ご飯にすることにした。

腰掛け各々お弁当を広げると、まるで避暑地にでもいるように、心地よい涼しい風が吹

いてきた。家にいるときとは雲泥の差だ。
















お昼を食べた後はまずはシャクナゲ尾根への道を下って行く。尾根から以前はなかった

小さな道標から下って行くと、しばらくは踏み跡も分かりづらい広々とした斜面だった

が、次第に踏み跡の残る尾根へと変わって行く。











途中からは今まで見えなかった高城山の測候所や北には岳人の森が見えた。
















自然林の雰囲気のいい支尾根の道。地形図では町境の線が北に折れている場所からがシ

ャクナゲ尾根になる。
















今日はここからさらに西へと下って行く。地形図で支尾根が分かれた場所では、傾いた境

界石杭から右手に進んで行く。













するとすぐにシャクナゲの群生が現れた。シャクナゲ尾根と比べるとその規模は小さい

が、開花の時期は見ごたえのありそうな尾根だ。











シャクナゲ尾根を過ぎても色々と変わり種のある尾根だった。暑苦しくまとわりつくヒメ

シャラの木や、本宮山のクジラ岩を小さくしたようなミニクジラ岩。そして何やら怪しげ

なほっかむりをした奥様と、枚挙にいとまがなく楽しめる。











調子よく世間話をしながら下って行く奥様たち。その姿を見て一抹の不安がよぎる。さ

っそくYAMAPのルート図を見てみると、案の定北に折れる場所を通り過ぎていた。

あわてて奥様たちを呼び止めて引き返す。ルート図に乗っている分岐の場所まで戻ると、

ちゃんと赤テープが何本も巻かれていた。











ここからは急坂が続いて行く。シャクナゲ尾根も急坂だった、それでもシャクナゲの根

や木があってゆっくりと下って行くことができたが、このルートは木から木へと掴まり

ながら飛び移り、何とかスピードを落として降りていく。ただその度に踏ん張るので膝

の痛みが酷くなる。











奥様たちはリズムよくスピードに乗って降りていくのでどんどん離されていく。自然林

から杉林になっても相変わらず急な坂は続いて行く。するとルリちゃんから『鉄塔よ!』

と声があがった。











広場の鉄塔は陰平線38番鉄塔だった。ここから釜ケ谷川を越えて車を停めたスーパー

林道の上を電線は続いていた。以前に歩いた時は尾根から36番鉄塔に出たとブログに

書いてあったので、前回は今下ってきたルートとはまた別のルートを下ったようだった。

鉄塔の横でルリちゃんが『林道に停めた車が見えるわよ』と言っているが、立ち止まる

とジンジンと膝の痛みが酷くなる。とにかく下りの坂を早く終わらせたいので先に釜ケ

谷川へと続く保線路を下って行く。







杉林の中の九十九折れ道を下って行くと見覚えのある鉄橋が釜ケ谷川に架かっていた。








ただ記憶は曖昧なもので、一カ所だけだと思っていた橋は合計3カ所あった。帰ってそ

の時のブログを読み返してみると、ちゃんと3カ所渡ったと書いていた。










三つ目の古い橋を渡ると車を停めた場所までの最後の急登になる。距離は短いがその斜

度はかなりのもので、前を行く奥様たちが頭の上を歩いているように見える。

時間にしたら僅かだったが、大汗を掻きながら何とか登りきると愛車の真後ろに出た。




















この後汗を掻いた服を奥様たちも着替えるというので、私は車を停めた一つ先の場所ま

で移動して、『あっちで着替えるので、着替えが終わったら声をかけてくださいね』と

言って、次のカーブの路肩が広くなった場所で着替えをする。

上着を脱いでショーツを脱ぎ、着圧タイツを膝まで降ろして座り込もうとした瞬間に、

前方のカーブを車が曲がってきた。着圧タイツの下は下着は履いていなくてフ〇チン

状態。着圧タイツで身動きが取れずに、上半身と膝まで丸裸の状態で慌てて股間を手

で隠したが、時すでに遅し車は目の前を走り去って行った。

車の運転手の身になったら、山の中の道の脇で裸のおっさんがいたら、さぞかし驚いた

ことだろう。かと言う私もこれほど恥ずかしいことは今までなかった。

『着替え終わりました!』と声がしたので、車まで戻ってその話をすると二人は笑い転げ

ていた。



岳人の森までの車中もその話で盛り上がり、『ひょっと観月茶屋にさっきの車の人がい

たらどうしよう?』と話をすると、また一段と笑い声が車内に響いた。

観月茶屋は営業時間が終わっていたので、開いた窓から『すみません!』と声をかける。

出てきた充さんに、『入場したいので!』と言って入場料を払う。

先週の土曜日と同じように上のキャンプ場まで車で行って、同じように順路通りに歩い

て行く。以下は岳人の森の花たち

ヤマシャクヤクの実


ヒオウギ


ウバユリ


キレンゲショウマ


キツネノカミソリ



ここからがお目当てのレンゲショウマ!







ゆら~りゆらゆら











周りの花に見える白と薄紫のグラデーションはガク








ニッコウキスゲ




ひととき『森の妖精』を眺めた後、岳人の森をあとにする。沢沿いの水の流れと尾根で

はガスが流れて終始涼しかった雲早山。そんな避暑をあとにいっぺんに暑さのなかの現

実に戻され家路につく。








初めて見るレンゲショウマ。とその前に・・・。

2024年08月04日 | 四国の山
ここ最近YAMAPの活動日記で目に付いたレンゲショウマ。初めて見る『森の妖精』

と呼ばれる姿は、今にも折れそうな細い茎の先に、割と肉厚な白に薄紫のガクが透明感

があって、可愛らしすぎて一目ぼれしてしまった。

活動日記では少し前から見頃と書かれていたので、そろそろもう終わりかなと思って出

かけてきた。ただどうせならこの時期に訪問する剣山のキレンゲショウマも見てみたい

と思い、剣山から岳人の森への計画をたてた。


剣山の見ノ越から岳人の森までは約50km。移動時間にして1時間以上はかかるので

少し早めに家を出た。7時30前には見ノ越に着いたが、さすがこの時期のしかも土曜

日の剣山。観光バスが停まり、第一駐車場の日陰になる1階はすでに満車の状態だった。

身支度を済ませて劔神社への石段へと向かう途中で、お腹がグルグルなった。何か変な

ものを食べたわけでもないのに、昨日の夜中に二度ほどトイレに立った。その続きだろ

うか、建て替えできれいになったトイレを初めて利用した。


劔神社の石段には例大祭で飾られていた提灯は下ろされ、いつも見る石段になっていた。

まずは神社にお参りして登山口から取り付いて行く。







拝殿の前の花手水鉢のアジサイもこのところ続く暑さのせいか少し枯れ始めていた。た

だし暑さといっても下界と比べると快適そのもの気温だ。







普段は9時から運行しているリフトも、今月は8時から営業を開始していて、登山道の

トンネルを通る頃には、ザックを膝の上に載せて腰掛けている人たちが登って行ってい

た。後ろから来た細身の男性はあっという間に私を抜き去り、すぐに見えなくなってし

まった。










月曜の会食に始まって、火曜からの3日間の出張でほぼ呑みの夜だった今週。そのせい

か身体が重い。いつもなら焦ることもないこのコースだけれど、今日は下山後に移動し

なければならない。気がせくわけではないが歩くペースが気になる。











いつもの定点観測の場所からはガスが流れて雲海荘を隠してしまっていた。西島駅まで

来ると次々とリフトから降りてくる人の姿があった。剣山山頂と同じように、正面に見

える三嶺にも雲がかかっていた。













その右手に見える塔ノ丸の緩やかな南斜面には、雲の影が映し出されてまるでホルスタ

インの背中の模様のように見えた。丸笹山山頂近くの笹原は陽が当たって輝いている。







リフトの降り口の横を通り、まずは刀掛けの松へと登って行く。今までほとんど目に入

らなかった小さな花たちが足元に目立つようになってきた。













刀掛けの松のベンチでは親子連れが腰掛け休んでいた。その4人の前を通って行場へと足

を運ぶ。足元は登山道のよりさらに白い石灰岩が目立ち始める。







途中の鶴の舞の手前にはネットで囲んで保護したお花畑がある。














不動の岩屋の下を通り、鎖場を横目に見て進んで行くと、お目当てのキレンゲショウマ

が咲いていた。








すると下から登ってくる男女。どこかで・・・・と思ってみていたら、石鎚の山女?の

さおりんさんだった。今日は石鎚山荘のスタッフと一緒に来ているそうだ。『これから奥

槍戸へ行く予定です』というので、『私は山頂へ登ったあと岳人の森へレンゲショウマを

初めて見に行きます』と話をする。すると『リフトの下にも咲いていましたよ!』と。

絶滅危惧種と聞いていたのに、この剣山でも咲いているなんて・・・・。

さおりんには『また秋に石鎚山に行きますね』と言って別れた。













鎖場の下から両剣神社が見える辺りまで下って折り返す。キレンゲショウマの周りには

先週、皿ケ嶺で見たギンバイソウとツルギハナウドも咲いていた。











登山道の脇から不動の岩屋へと登って行くと、岩屋の奥からは冷気が漂ってきた。覗き

込むとはしごの下から勢いよく流れる水の音が聞こえてきた。














岩屋の横から山頂への道に取り付くと、ロープがかかり木の根が縦横無尽に走る階段状

の急坂になる。太い木の根のアーチを潜り登って行くと、岩屋の岸壁の上部に出る。そ

こからは笹の道。前回歩いた時よりも笹は刈りはらわれて歩きやすくなっていたが、道

の上に残された笹が、枯れて乾いて滑りやすくなっていた。
















笹の斜面も九十九折れの急登が続いて行く。それでも樹林帯の日陰のお陰で何とか少しづ

つでも登っていけた。そのうちに刀掛けの松からの道との合流点と雲海荘が見えた。あと

少しで山頂だ!








宝蔵石神社の前は大勢の人で賑わっていた。神社では輪くぐり神事が行われていたので、

鳥居の下の輪を潜ってお参りをする、『これで魔除と昇運はバッチリ!』と思っていたら、

お参りを終えた後に見た張り紙には『八の字を描きながら巡る』と書いてあった。

普段から取説をちゃんと読まずに後で後悔する性格がここでも・・・・。





平家の馬場の木道では、雲がかかって涼しい風が吹いていた。山頂から見る次郎笈への

稜線に雲の隙間から陽が当たり、周りの笹の若々しい緑を浮かびあがらせていた。

いつ見ても見飽きない素晴らしい眺望だ。
















山頂から西のテラスへ移動する。今日はキレンゲショウマとは別に、ぜひ見ておきたい

ものがあった。西のテラスの少し下にあるという鶴岩と亀岩だ。ソロモンの秘宝の伝説

と関わりの深い鶴岩と亀岩。以前から二つの岩の存在は知っていたけれどその場所がイ

マイチ分からなかったが、ネットで調べていく内にこの西のテラスの下の二つの岩がそ

うだろうということだった。

テラスに上がって直ぐに段差の少ない場所から北側の笹原に下りる。踏み跡を辿って行

くと以前は登山道だったのか、朽ちかけた小さな道標があった。その道標が示す方向と

は反対に踏み跡を降りていくと、目的の鶴岩と亀岩があった。果たしてこの二つの岩が

間違いなくそうなのかの真偽のほどは定かではないが、また色々と調べてみようと思う。

亀岩の上に登って下を見ると大剣神社の赤い屋根と御塔岩が見えた。

その高度感に股間がざわッとしたので、慌てずにゆっくりと振り返って戻って行く。













『かごめかごめ、かごの中の鳥は・・・・鶴と亀が滑った』の動揺を謡いながらテラス

に戻る。そしてテラスで腰掛けて軽く菓子パンと水筒に入れたカフェオレで食事をとる。











本来ならもっとゆっくりしたかったがこの後の予定があるので、テラスをあとにする。

時折ガスが流れて陽を隠したり青空を見せたりと変化のある空模様だ。







山頂から刀掛けの松への下りでは、まだまだ登ってくる大勢の人の姿があった。途中す

れ違った高校生の団体は背中に『松山中央高校』と書いていた。まだ今時登山部に入っ

て、これだけの人数の若者が山に登っている姿を嬉しく思った。





途中道の脇でネットで囲んだ場所にはたくさんの花が咲きお花畑になっていた。




















西島駅では今度は中学生らしい男女が登ってきた。やはり週末は、いつもの平日登山と

は違った若い人たちの姿を見ることができて楽しい。





西島駅から見ノ越に下り始めて直ぐにまたお腹の調子が悪くなってきた。そう言えばね

こバスさんがYAMAPの活動日記に『⚠️この先センシティブな内容が書かれています

ので心して読んでください』と断りを入れたうえでその様子を克明に描いていた。

その時は『よく分かるわ~』と思いながらも他人事、軽い気持ちで読んでいたが、まさ

か直ぐに自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。

寄せては返す波の様、大きく口では息をせずに、小さく小刻みに鼻呼吸しながら整えて

いくが、予告もなく大波が押し寄せてくる。西島駅まで戻ろうかと思ったが、あのきれ

いなトイレで小こそしたことはあるが、大は経験がない。あのトイレの扉は開けるのが

怖い。そう思いながら冷や汗を搔きながらも下って行く。できるだけ他ごとを考えなが

らと思うのだが、どうしてもねこバスさんの『センシティブな内容』という言葉が浮か

んでくる。しかもこのコースは最悪の事になっても脇が急斜面になっていて逃げ場がな

い。どうしようかと思っていると目の前の道の真ん中に鹿の姿が!

いつものことでじっとこちらを見ているが、けっこう人なれしているのか一向に逃げる

気配がない。カメラを取り出し何枚も撮るが、こちらが動いて初めて登山道の脇の斜面

を登って行った。それでも時々立ち止まってはこちらを見ている可愛い子だ。

このバンビのお陰で、ピークの波がしばらく引いていき、見ノ越のトイレに駆け込んだ。











トイレで至福の時間を無事終えて車に乗り込みトンネルを抜けてコリトリへと下って行

く。剣山にはもう何十回と来ているのにこの道を走るのは初めて。地図で見てもいった

い何十回曲がっているの?と思うくらいくねくねとした道だ。

それでもコリトリまで降りてくると道幅は広がり比較的真っすぐな走りやすい道になる。

途中で県道260号線との交差点で左に大きな木の鳥居が見えた。瀧宮神社の鳥居だっ

たが、その鳥居の脇に見覚えのある花が咲いているのが見えた。『あっタキユリだ!』

そう思って車を停めて近寄って見ると高知まで出かけて見に行っていたタキユリが咲

いていた。周りを見たがこの場所にこの何株かが咲いているだけだった。それでもこれ

だけ咲き誇っているのが見られてラッキーだ!

















川井峠を越えて神山町に入ると、岳人の森への193号線へ分岐の手前にある『ふなと

』に暖簾がかかっていた。剣山で食べたのは菓子パンだけだったので、さっそく店に入

る。メニューはかかっていたが店主のおばさんが『ラーメンでいいかね』というので、

『はいラーメンで!』と答える。出てきたラーメンは小腹が空いていたのであっとい

う間にたいらげた。











岳人の森の観月茶屋では充さんが忙しそうにかき氷を作っていた。店先でそれを運んで

いるお母さんに、入場したい旨を伝えて500円を払うと店の奥に座っていた山田さん

が立ち上がって地図をもってレンゲショウマの咲く場所を説明してくれた。今年の1月

に重機の事故で命に関わる危険なケガをしたそうだが、お店に出られるくらい回復した

ようだ。『順路通りに進んだらいい』と教えてもらった通りに歩いて行く。

最初に教えてもらった場所はネットで囲われたキツネノカミソリ咲く場所。

ヒメウギ


マルミノヤマゴボウ


オオキツネノカミソリ






その次に、前回はヒメシャガの咲いていた上部はパスして『ゆきしろの池』に行くと

その先でお目当てのレンゲショウマが目に飛び込んできた。すでに大きなカメラを抱

えた人が二組いた。写真で見た通りの蝋細工のような半透明の薄紫のガクと花は、期待

通りの可愛らしさだった。





























そして最後はこれも山田さんに教えてもらったニッコウキスゲ。大きな花びらを空に向

かって開いて、とても勢いを感じる花だった。














帰り道、山川町に入り何十年ぶりかで『ふいご温泉』に立ち寄って汗を流して帰る。

今日一日、思わぬ人に会い、思わぬ場所で鹿にも会い、そして思わぬ花にも出会って

最後は念願の花を見ることができた、とても充実した一日だった。

今回は奥様たちのリクエストで、花の山の皿ケ嶺へ!

2024年07月28日 | 四国の山


ネット上では夏の花の写真が目に付くようになってきた。昨年のこの時期は寒風山や大

のユートピア避難小屋へ花を目当てに出かけていた。そこで燕岳の遠征から帰ってき

た奥様たちに『どこのお花がいいですか?』とメッセージを送ったら、『皿ケ嶺に行きた

い』と予想外の返事が返ってきた。

そういえば昨年の9月に歩いた時に、ハガクレツリフネが咲き誇る斜面一面に、もう開花

を終えたギンバイソウの群生が目に付いた。その時に熱心に写真を撮っている女性にあっ

ちゃんが
話しかけると、『ギンバイソウ』だと教えてくれたそうだ。『可愛らしい白い花が

好きなんです』とも話してくれたらしい。その時のことを覚えていたあっちゃんからの

リクエストで『是非一見てみたい!』との事だった。


お昼過ぎからの天気の崩れが少し心配だったが、ゆっくり目に家を出て9時半前に上林

森林公園の駐車場に着いた。駐車場には4~5台の車がすでに停まっていた。トイレと

身支度を済ませてまずは風穴へと登って行く。




カラスウリ



前回は一面小さながハガクレツリフネが咲いていたが、気の早いのが所々で咲いている程

度でさっそく白い花が咲いているのが目に飛び込んできた。

多くの花が下を向いて咲いていたがたまに正面を向いている花を見ると、まさしく白い梅

の花の様で、名前の由来が納得できる可愛らしい花だった。

ハガクレツリフネ



ギンバイソウの群生







前回もそうだったが奥様たちが写真撮影に忙しくてなかなか登って来ない。

ダイコンソウ


キツリフネ


フシグロセンノウ



それにしてもこのギンバイソウ、雄しべの数がとにかく多い。ひとつの雌しべを囲むよ

うにして雄しべが群がっている。風穴のアオケシは二茎ほど花をつけていた。











風穴から上の道沿いもギンバイソウの群生が続いていた。







ウバユリ









十字峠への分岐辺りもまだまだ群生は続いていた。森の中では白い花にどうしても目が

いってしまいがちだが、他にもたくさんの花が咲いている。そんな中でも葉の下に隠れ

てちょこんと遠慮がちに顔をだしている、ハガクレツリフネがとても可愛らしく感じる。






オオバヨメナ


ハガクレツリフネ







標高が上がるにつれてギンバイソウの開花の状況が変わるのかなと思ったが、登山口近

くも尾根近くもさほど変わらず、蕾のままのもいれば花を開いているのもいた。











途中で一カ所大雨の影響で崩れた場所があったが歩くのには不都合なく通過できる程度

に復旧されていた。そしてその先の湿った岩肌には今年初のイワタバコが小さな花を咲

かせていた。岩肌を伝って落ちる水に濡れた葉が瑞々しい。














途中で4・5人のグループが何やら道の横の斜面で何かの花を探していた。その横を通っ

て挨拶をすると『早く行け!』と言わんばかりに訝しそうな目で見られた。どうやら珍し

い花を探していたようで、あまり他の人には見られたくない様子だった。たしか昨年竜神

平らで集まっていた常連さんのようだ。そのうちの一人の男性にはアケボノシュスランの

咲いている場所を案内してくれたのだが、今日はあっちゃんが『何が咲いているのですか

?』と尋ねても、答えてもくれなかったようだ。

それにしてもギンバイソウはほぼ尾根近くまでずっと咲いていた。










竜神平の手前で上林峠と竜神平への分岐となる。予定では上林峠の方へ少し歩いて、竜

神平を東から回り込むつもりだったのに、あっちゃんがいまは待てないように『お昼に

しましょうよ』と仰ったので、そのまま竜神平へと歩いて行く。

媛大小屋の前では女性が二人休んでいた。その奥のベンチに腰掛けお昼ご飯にする。

空は雲が太陽を隠してくれて竜神平の湿原を通り抜けてくる風が心地よかった。














そのうちに先ほどのグループがやってきて休憩もせずに湿原の中へ入って行った。私た

ちもお昼ご飯の後、踏み跡を通って湿原の中へ入って行くとベンチからも咲いているの

が目に付いたのギボウシと大きな花をつけたハンカイソウだった。



コバギボウシ





ハンカイソウ



そしてルリちゃんがあちらこちらで『ここにも咲いている!』と言って、次々と花を見

つけてくれる。

スマトラノオ





ミズチドリ





タチカモメズル


アキノタムラソウとトンボ






湿原の中をあまりうろつくと踏み荒らすことになるので、踏み跡のある所だけにして引

き返して、皿ケ嶺山頂へと歩いて行く。頭の上では天気予報通りゴロゴロといい始めて

少しパラパラとし始めていた。

足元にはミヤコザサ、周りは落葉樹林の緩斜面の道を歩いて行く。











ブナの葉の緑が、雲をすり抜けてくるやわらかい日差しに当たって生き生きしている。







皿ケ嶺山頂からは南に少し景色が広がっているが、怪しげな雲が流れてきているので、

写真を撮った後、早々に引き上げる。






オカトラノオ






帰りは十字峠の先から風穴へと下って行く。途中にある 二等三角点 行長 1270.5m

伐採地の奥の雲の狭間にかろうじて見える松山の市街地。そして南にほぼ平らに見える

稜線は天狗高原辺りだろうか?














十字峠は名前の通り竜神平・引地山・六部堂への十字路になっている。そのまま引地山

に向かって歩いて行く。1165mの標高点の先から風穴に向かって降りるのだが、こ

の辺りまでは竜神平から続く緩やかな道だが、ここから先は割と急な下り坂になる。











登山道の周りはガスがたちこみ始めた。そのおかげが標高わずか1200mでもほとん

ど暑さを感じない。奥様たちも調子よくトントンと下って行っている。








風穴には山頂から40分強で着いた。石積みの中からは目で見ても涼しげな冷気が立ち

上っている。脇のベンチでは二組の方がその冷気に当たって涼んでいた。








この時期1000mほどの山では暑さを覚悟して出かけてきたが、雲のお陰か太陽の日差

しを遮ってくれて、思っていたよりも楽に歩け、奥様たちお目当てのギンバイソウも、こ

れでもかというくらい見ることもできた皿ケ嶺。四季折々に彩を変え楽しませてくれ、松

山市内から近郊にあって毎日のように大勢の人が訪れる貴重な山だ。


剣山本宮山頂大祭で山頂は人・人・人の波

2024年07月18日 | 四国の山


今週は奥様たちは旅行会社の2泊3日のツアーで燕岳へ出かけて行った。『足の遅いへ

っぽこリーダーは、置いてきぼりにされたの?』とある人に揶揄されたが、ツアーバス

での長時間の移動は性に合わないし、この時期3日間休みを取りづらい。まぁ奥様たち

がお帰りになったら土産話でも聞くことにしよう。

と言うことで今週は独りでどこに出かけようかと考えていたら、WOC登山部のFBに

剣山本宮山頂大祭に行きましょう!』と案内が出ていたのを思い出した。そう言えば

剣山にはもう何十回も登っているけれど、この大祭を見た事が一度もない。剣山なら勝

手知ったる山なので独り歩きも心配ないし、当日は結構な人手になるだろうから不測の

事態が起こっても心配ない。心配なのは人出が多すぎて車を停める場所があるだろうか

だった。


見ノ越には8時に着いたが、すでに第一駐車場の方から停められずに引き返してくる車

が数台。それを見てすぐにハンドルを切って第二駐車場に向かうと、屋上は満車だった

のに、1階部分はまだほとんど車が停まっていなかった。すぐにWOC登山部のメンバ

ーに『今なら第二駐車場に停められますよ!』と電話したが、メンバーが30分以上遅

く来た時にはもうすでに遅しで、第二駐車場も満車になってたそうだ。

あまりにも空いていたので不安になって、後ろで身支度をしている女性に『すみません、

この駐車場は無料ですよね』と尋ねると『よく知らないけれどたぶん』と答えてくれた。

よく見ると女性の車は姫路ナンバーだった。


支度をして劔神社の石段を登って行くと脇にはカラフルな提灯が飾られてあって、祭り

の雰囲気を盛り上げていた。







神社の拝殿の横の神輿倉では、神主さんが何やら神輿の横で準備をしていたので『すみ

ません、写真を撮ってもいいですか?』と尋ねると『いいけど、顔は撮らないでね』と

言ったあと、『冗談、冗談』と仰った。







拝殿でお祈りをした後、御幣を潜って登山道を歩いて行く。登山道は昨日までの雨でまだ

足元が濡れている箇所がある。すぐに汗がでてくるがまだ気温が上がっていないせいか、

さほど暑さは感じない。











いつもなら登っていると下ってくる人と何人かはすれ違うのだが、さすがに今日は大祭、

山頂から降りてくる人の姿はなく、いつも以上に静かな道だ。しばらく歩くとリフトと

交差するトンネルが見えた。今日は8時から運転しているらしいが、登って行くリフト

はには大勢の人が乗っていた。







西島神社まで来ると神社の方から祝詞をあげる声が聞こえてきた。その神社の後ろの大

岩の横を通っていつもの定点観測、雲海荘を見上げる。







西島駅に着くと次々とリフトを降りてきた人たちで賑わっていた。三嶺に塔ノ丸、リフ

ト乗り場の横まで来ると丸笹山もきれいに見えた。










視線を下げると、さきほどの西島神社の大岩の上に人影が見える。涼しい風に乗ってそ

の大岩から笛の音色が聞こえてきた。











リフト乗り場の横では家族連れがどのコースを歩こうかと話し合っていた。その横を通

って刀掛けの松へと歩いて行く。刀掛けの松でも大勢の人たちが休憩していた。中には

大きなカメラを抱えた徳島新聞のクルー、そしてツアーの団体客がいた。その横の女性

のグループが『トンボに虫が止った』と騒いでいる。どれどれと見てみると確かにトン

ボに何かの虫が止っている。最近はやりの虫よけのオニヤンマのつもりだろうけど、ど

うも色が違う。『黄色が入っていないと・・・色が悪いね!』と言うと『そうなんですか

、安物はダメですね』と言いながらみんなでケラケラ笑っていた。




刀掛けの松からは行列ができていた。これじゃ~まるでどこかの山の様だと思いながら

登って行くと山頂ヒュッテの前に人垣が見えた。本宮宝蔵石神社の鳥居の前では登って

きた女性に『すみません、写真を撮ってもらえませんか』と声をかけられる。山頂なら

時々ある事だが、鳥居の下で頼まれるのは初めてだ。その下からは大きなお腹を抱えた

男性が何人か息切れしながら登ってきている。最近お腹の出っ張りが気になっている私

の3倍以上はありそうなお腹の大きさ。体重もみなさんそこそこありそうなので、そり

ゃしんどいだろうなと、自身の事は棚に置いているへっぽこリーダーだった。








宝蔵石神社の前は白装束の人たち、登山着の人そして普段着の人たちで賑わっていた。

ヒュッテの前に置かれていた神輿が、神事の為に移動していく。














すると宝蔵石神社の前は身動きが取れないほどの混雑となる。少しの隙間を狙ってヒュ

ッテの横の階段を上って東のテラスへと向かって行く。階段にも人・人・人。

東のテラスでもすでに位置取りをしている人たちがいた。と言うのも宝蔵石神社でご神

体を移した神輿が、このテラスへ向かって笹の斜面を登ってくるのだ。私は例大祭とい

うよりも、どちらかと言うとこの笹原を練り歩く『神輿渡御祭』が見たくて今日は来て

いたので、テラスの端で空いているスペースを陣取る。














宝蔵石神社での神事が始まってもまだ時間は1時間近くあった。ご神体を移した神輿が

戻ってきて、神輿に繋がれたロープを持って笹の斜面を登ってくる人の姿があっが、そ

れでもまだ時間は十分にある。すると後ろのテラスで何やら踊りが始まった。

そのうちに今度は阿波踊りを踊り始めた。笛に太鼓に三味線とどんどん賑やかになって

くる。それにつられてか、神事を見ようとやってくる人たちとも相まって、東のテラス

はますます人混みが増えてきた。
















最後は踊り手と一緒になって見物客も踊り始めて、『これは例大祭の行事なの?』と思う。

まあ徳島県だし、いいか!











総踊りが終わる頃に笹原の下から『六根清浄』の掛け声が聞こえてくると、神輿が先導

する人のロープに引っ張られながら笹の斜面を登ってきている。













神輿の後ろを『箱笈』も一緒に登ってきている。神輿と箱笈はテラスには登らず、その

まま笹原を山頂へと進んで行く。その写真を撮りながらiphoneで動画を撮ろうとカメラ

バックから取り出そうとしたら、その拍子に片手に持っていた一眼レフをテラスの下に

落としてしまった。幸いバッテリー部分の蓋が取れてしまっただけで、大事には至らな

かったが、大山の三ノ沢をエントツ山さんに『今年中には一眼レフを落としてして修理に

出すだろう』とイヤな予言をされていただけに、ショックが大きい。








笹原を先導する天狗と幡持そしてロープを引っ張る人、神輿と箱笈を担ぐ人たちの行列

ができる。2年前地元の祭りで神輿を担いだが、街中を練り歩くだけでも大変だったの

に、足元の見えないしかも足元の悪い笹原をよく担いで歩けるもんだと感心をする。




















山頂では神事が始まったが木道のベンチで『腹減った~』と言いながら弁当を広げている

WOC登山部のメンバーの横に座って、私も弁当を食べることにした。

そのうちに他のメンバーを一緒にベンチに腰掛けお弁当を広げ始めた。それにしても山頂

では厳かに神事が執り行われているというのに、私も含めて皆さん信仰心はなく、『神様よ

り団子』の人ばかりのようだ。








いつもは奥様たちと3人での記念写真だが、今日は久しぶりに大勢での写真となった。

『線で繋ぐシリーズ』を始めてからWOC登山部の団体での活動が縁薄くなったせいで、

知らない人も何人かいる中で、既知の人とは直ぐに世間話を始められる関係なのが嬉し

い。そして同じように暫くぶりでも変わらない秀麗な姿を見せてくれる次郎笈だった。














山頂から宝蔵石神社に向かう人と、そのまま下山する人に分かれて歩く。私は木道の途中

から、二度見の展望台へとメンバー4人と降りていく。丸笹山にはガスがかかり始めた。








刀掛けの松への道は恐らく下って行く人が大勢いるだろうを思っての事だったが、こちら

の道が予想通りすれ違う人もなく、二度見で休憩する人に会っただけだった。











山頂の喧騒とは違い、静かな静かな道。時々メンバーに話しかけるが思った以上にスピー

ドが上がって行く。そろそろ左膝が愚図ついてきた。

西島駅からは神社上の分岐から遊歩道への道を歩いて行く。ここの所下りではいつもこち

らの道を歩いて行く。行きの道とはまた違った雰囲気の周りの木々がお気に入りだ。前回

はシカも見かけたが、さすがに今日の人出ではシカも姿を現さない。











西島神社から遊歩道を遠回りしたが35分ほどで劔神社に着いた。神社の拝殿ではまた神

事が行われ、祝詞があげられていた。拝殿の前では山頂の神輿とは別の朝見かけたな神輿

が出番を待っていた。








平地の猛暑を他所に山ではまだ涼しい風が吹いていた。この後晴天が続けばそろそろ梅雨

明けしそうな雰囲気だ。夏本番、山も夏山モードへの切り替えで比較的標高の高い山へと

計画をたてないとな~と思いながらエアコン全開で車を走らせる。

女王様に謁見のあと大黒様の待つ国見山へ!

2024年07月04日 | 四国の山
今週の水曜日は梅雨の晴れ間の予想。さてさてどこのお山に登ろうかと考えたが、昨年

は黒滝山の岩場をあっちゃんと楽しんだ後、県道16号線沿いのタキユリが咲いていな

いか探しに車を走らせた。その時にギッチャンさんに教えてもらったのが、七ツ淵神社

の参道のウスキキヌガサダケだった。『是非見に行ってみて!』と言われて寄り道して見

ると、少し時間が遅かったのか、黄色いドレスは窄みかけていた。 キヌガサダケはレー

スのドレスをまとったような姿から『キノコの女王』と呼ばれてい るらしい。胞子の分

散は風によらず、昆虫や陸棲貝類などの小動物によるところが大き いとされ、その可憐

な姿とは正反対の異臭を放ち、その異臭で昆虫や小動物を引き寄せ ているそうだ。

何はともあれ本来のドレスを広げた女王様に謁見を願い出て、奥様たちと出かけてきた。

高知ICを降り県道44号線を東に走る。するとあっちゃんが『この道前回鷲尾山に行

った時に通った道ね』と言うので、目の前に見えるイオンモールを指さして、『いえいえ

違う道ですよ、前回、イオンがありましたか?』と答える。すると今度は県道44号線

から県道16号線を北に向かって走って行くとルリちゃんが『どっちの方角に向かっ

て走っているのか全然分からんわ』と。

山の中でもそうだが、奥様たちには『太陽の昇っているほうが基本的に南』といつも言

うのだが、お二人の辞書には方向感覚という言葉がどうもないらしい。

そうこうしているうちに七ツ淵神社の一の鳥居に着いた。すでに女王様への謁見は始ま

っているようで車が数台停まっていた。




鳥居から参道を少し下った場所に一眼レフを構えた女性達が陣取っていた。一番最初に

参道脇の一本が目に付いたが、地面に膝をついて這いつくばるようにして必死で写して

いる年配の女性がいた。順番待ちだと思い、その後ろでじっと待っていても何分経って

も終わらない。仕方がないので周りを探してみると反対側の斜面にも一本生えているの

が目に入った。










何枚か写した後斜面から降りると先ほどの女性がまだ陣取って写している。その後ろに

何人かの人が待っているのにけっして譲ろうとはしない・・・・。仕方がないので参道

を神社の方に少し下って行く。昨年歩いた時に立ち止まっている女性から『コクラン

咲いています!』と教えてもらったので、今日も咲いていないか探して歩いたが、見つ

けることはできなかった。







引き返してもとに場所に戻ると先ほどよりドレスが広がっている。このキヌガサダケの

伸長速度は毎分2~4mmといわれていて、30分で6~12㎝伸びる驚きの成長速度だそう

だ。他にも違う場所に生えているのを見つけて何枚かカメラに収める。

ただ一番きれいなドレスをまとった女王様は斜面の上の方にいらっしゃって、きれいに

撮ることができなかったのが残念だ。 鳥居まで戻ると次々と車がやってきていた。










女王様に謁見した後はここから西にある国見山に向かって行く。別名雪光山と呼ばれる

国見山。高知市内からは冬に真っ先に白く輝くことからそう呼ばれるようになったそう

だが、その国見山の手水登山口へと県道33号線を西に走って行くと、道路の法面に大

きな葉が垂れ下がりその先に何個ものつぼみが付いているたくさんのタキユリが目に付

いた。『すごい数ね!』『これが全部咲いたところを見てみたいね』と奥様たち。昨年車

を走らせた県道16号線よりもその数は多いかもしれない。

すると一カ所だけ法面保護の金網から飛び出し咲いている花が目に飛び込んできた。慌

てて車を停めて撮影タイム!花弁が球形に反り返えり、鹿子絞りのような濃紅色の斑点

が美しいタキユリ。昨年あっちゃんとは見ることができたが、ルリちゃんも初めて見る

ことができて良かった。

この間途中の法面はきれいに草刈りがされていたが、このタキユリを避けて刈っていて、

絶滅危惧種になっているだけ、大切にされている様子がうかがえた。











七ツ淵からはおおよそ1時間弱かかって手水の登山口に着いた。県道から登山口までの

道は結構狭く、雨降りの後だったこともあって走りにくい道だった。

登山口には手書きのコース図が設置されている。その図には『しんどい坂』とイヤな言

葉が書かれてあった。










最初の竹林を抜けると道はすぐに急登になった。昨日の雨のせいで道には水があふれて

流れている。ゴロゴロした石の足元に注意しながら登って行く。











いつもならまずは膝の痛みが出始めるのだが、今日は着圧タイツのお陰か調子が良さそ

うだ。その代わりなのかどうか?息切れがいつも以上に激しい。










30分ほど登っただろうか、標高600mを過ぎた辺りまで石積がまだあった。石積み

の上の平らになった場所には太い木材が何本か残っていて、畑地というよりは何か建物

があったような気がする。道が杉林の中の道になっても相変わらず急登は続いて行く。










すると道の脇に『しんどい坂』と書かれた案内板があった。『イヤイヤここまでもずっ

としんどい坂なんですけど!』

相変わらずとにかく息切れがひどい。立ち止まって大きく深呼吸をしながら休んでも治

まらない。奥様たちに『今日はどうも調子が悪いので待たなくていいですから!』と声

をかける。十数歩歩いては立ち止まり深呼吸して、そのたびコマめに水分補給をしてい

くけれど、状況は変わらず奥様たちはすぐに見えなくなった。











何とか柿ノ口の登山口への分岐に着いたが当然奥様たちの姿はない。しばらくすると今

度は吐き気がしてきた。立ち止まる頻度も数十歩から十歩になってきた。これはいよい

よヤバいかなと思いながらも牛歩で進んで行く。




すると最後の登りの手前、案内板の建つ場所で奥様たちが待っていてくれた。『大丈夫?

』と声をかけられ、『吐き気が収まらないんです』と話をすると、『熱中症だわ』と言って

ルリちゃんがザックから経口補水の粉末を取り出し手渡してくれ、一緒にあっちゃんがペ

ットボトル水を差しだしてくれた。

その粉末を口に入れ、ペットボトルの水を含んで口の中でグジュグジュと混ぜ合わせて飲

み込む。それを何回か繰り返してみると少し落ち着いてきた。

しばらく置いて残り僅かな山頂目指して歩き出す。山頂直下の岩が崩れた場所を登って行

くと、その先に大黒様が見えた。そして奥様たちの『着いたわよ!』の声がした。











山頂にはYAMAPの活動日記の写真で見た大黒様が南に向かって鎮座していた。今年に

入って最悪の状態でやっと登ってきたのに、山頂からの南に広がっているはずの景色は白

いガスの中だった。














とにもかくにも疲れた身体を大黒様の前の石積に座らせてもらった。もちろん食欲もな

く雲の隙間から時折差す日差しが恨めしかった。

あっちゃんは先週からインスタントのソース焼きそばに凝っている。お湯を入れて時間を

置いて湯切りした後におふたを開けてソースを混ぜると、こちらまでそのソースの臭いが

漂ってきた。『少し食べますと?』わざとらしく聞いてきたが、もちろん丁寧にお断りを

した。










昼食の後山頂の北側にあるという展望岩に寄ってみる。晴れていれば国見山の北側に並ぶ

石鎚山系から東の峰々が眺められるはずだが、当然こちらもガスの中。

ただ一瞬だけ雲が流れて薄く二つのピークが見えたが、続いている稜線が見えないので、

山座の同定はできなかった。










展望岩から戻って山頂をあとにする。経口補水が効いたのか、休憩したせいなのかは分か

らないが、登りの時が嘘のように楽になった。

時期的なものなのか手水からのルートが元々なのかは分からないが、今日は全く花を見る

ことがなく、唯一この白いキノコが目に入った。











すると時々何カ所かで匂いが漂ってきた。登りの時にも気づいていたが『ひょっとして

サンショウかな?』と前を歩くあっちゃんに言うと、『私も登りの時から気になっていた

の』と。途中でその葉を見つけて匂ってみるとやはりサンショウの木だった。

今日は花がないので目に入った虫を写してみる。歩く花と昆虫図鑑のアカリプタさん

らすぐに名前を教えてくれるだろうな。







登りが急登だったということは下りは急坂。登りの時はあまりの苦しさで気にならなか

った膝の痛みを感じ始めた。人間不思議なもので一度に何カ所もの痛みを感じることが

なく、一番痛い個所だけを感じるようにできていると思う。

山頂でルリちゃんは『それじゃゆっくり降りるわね!』と言ったはずなのに、急坂をト

ントンとスピードを落とさず二人は下りていく。

そのうちにあっちゃんが『しんどい坂はまだかな?』と言うので『もう通り過ぎてるわ

よ』とルリちゃん。『あんな大きな案内板が目に入らなかったの?』と私。この頃には

ツッコミを入れられるくらい余裕が出てきた。







登りではまったく気づかなかったがこのルートには石段らしき跡が何カ所も残っていた。

登山道の整備での石段ではないだろうから、山頂で春と秋に行われている祭事に行き交

う為の昔からの石段なのか?







しばらくすると水の音が大きくなってきた。足元に昨日の雨後の水が流れる場所まで来

ると、濡れた岩で転ばないようにスピードが落ちる。







その足元の悪い場所を過ぎると、登りの半分もかからない時間で登山口まで戻ってきた。

車まで戻りさっそくクーラーを全開にして座席に着くが、上も下も汗でびしょ濡れで、

逆に汗冷えしてきた。











ここのところ夏場に一度は熱中症になりしんどい思いをしているのに、学習能力がない

のか同じことを繰り返している。その原因のひとつに着圧のタイツで下半身から暑気が

しているような気がしている。それで昨年からタイツを薄手にしてショーツを履き始め

たのだが、前回にその恰好で歩いていたら奥様たちに『細い足!』と小ばかにされた。

それで今日はショーツではなくズボンを履いたら、下半身がとにかく暑かった。

そんなこともあるので次回からは不安要素を一つずつ消して、さらにはルリちゃんにも

らった経口補水もちゃんと準備して来ようと反省しきりの国見山だった。

涼風求めて塩塚高原へ⁉

2024年06月20日 | 四国の山


昨年もそうだったが梅雨入り宣言があった後、しばらく天気のいい日が続いている。た

だその青空も今日が最後の様で、このあとは本格的に雨降りの日が続いていくみたいだ。

その梅雨の季節のように左膝もジクジクとしてあまり調子が良くはない。例年なら張り

切ってどこに出かけようかと考えるのだけれど、イマイチ気持ちが乗ってこないので、

奥様たちに『どこか歩きたい場所はありますか?』と尋ねたら、あっちゃんが『塩塚峰

に興味があります!』と返事かえってきた。

それじゃ~そのご希望に沿わせていただきますということで、霧の森の道の駅に集合と

なった。ここから栄谷から山に分け入り塩塚峰へと登った後、新瀬川へと下る周回コー

ス。もう18年も前になるが山の会の山行で、塩塚峰から栄谷へ下ったことはあるが、

新瀬川の道は初めてのルートになる。




道の駅の駐車場を8時36分にスタート。県道を南に少し歩いてすぐに分岐を左に入っ

て行くと、2kmに渡って12基の石碑が並んだ『志の道』になる。それぞれの石碑に

は各偉人の言葉が刻まれていて、その言葉を読み意味を感じながら歩いて行く。







またこの道沿いは『ミニ四国霊場』にもなっていて、道の脇には石仏が並んでいる。道

が四差路になる場所から左に栄谷へと登って行く。











しばらくの間は民家が点在する中の舗装路を歩いて行く。山間部とはいえ道路部分は日差

しを遮る木々もなく、もうすでに汗が噴き出ている。










舗装路はまだ続いていたが、道の脇に『少年自然の家』のNO.2の標識の立つ場所から左

に折れて山の中に入って行くが、YAMAPではここが登山口となっている。ここまで

駐車場から約45分。道の脇の沢からの冷気のせいかこの暑さの中、吐く息が白かった。

道は地元の方の手によるのかきれいに草刈りがされていたが、最終民家に人の姿はなか

った。














最終民家を過ぎると杉林の中の道になる。しばらく登って行くと石積みと石畳の道。そ

の石積みも一つや二つではなくかなりの数になる。以前に集落があったのだろうか?










道は少し荒れ始めたが、そのガレ道を登ると炭焼き小屋跡があり、ちょうど3合目の札

がかかっていた。








この栄谷のかなり上部にまで石積みは続いていた。『こんな山奥まで果たして?』という

疑念が沸いてきたが、畑作とかの石積みにしてはやはり立派過ぎる。














道は北東から南に折れて急登になった。谷あいで薄暗かった周りも少しづつ明るさを増

していき、いったん平道になると5合目の札がかかっていた。











植栽地の杉林の中を縫うように登って行くと右手は伐採地。一気に明るさが増した。







伐採地横から杉林の中、ひと登りすると林道に飛び出した。ここから946mの三角点

へと階段が続いている。登ってきた道への取り付きには少年自然の家の道標が建ってい

る。この道と下山路となる新瀬川の道は、少年自然の家からの小学生たちの学校登山の

コースとなっているらしい。途中草刈りをしてあったのはその為だったのかもしれない。

ここからは三角点には登らずに林道を北に歩いて行く。

『さぁ、ここから朝ドラの話が始まるんですかね~』と冗談で言うと、奥様たちは本当

に朝ドラの話をし始めた。











林道から三差路に出て今度は東に向かって舗装路を歩いて行く。三差路からすぐに以前

からあった霧の森の高原の施設が眼下に見えた。以前からあった建物とは別に、新たに

オートキャンプ場が整備され、道の上手にはグランピングの真新しい施設もできていた。











しばらくの間、東に舗装路を歩いて行くと次第に高原らしき草地が広がってきた。パラグ

ライダー場の道標に従い南に右折し道なりに歩いて行く。











すると振り返っての景色も一気に広がってきた。正面には法皇山系から東に続く稜線が

見える。稜線上に等間隔に鉄塔が続き、以前に縦走した時に歩いて横を通った廃棄物の

リサイクル場の施設が確認できる。








車道から山道へと入って行くと塩塚峰山頂へと続く階段が見えた。遮るものもなく、日差

しが照り付ける中の最後の踏ん張りどころだ。











たしか六甲全山縦走の時に『天国への階段』と名付けられた場所があったが、明るい空

へと続いているこの道もまさしく『天国への階段』だ。大きく息を吐きながら一段一段

登って行く。谷あいの水で濡らした冷感タオルももう既に乾いてしまっていて、流れる

汗を拭いても快適とは程遠い。











大汗をかきながらも何とか登りきると360度の絶景が待っていた。今まで登ってきた

峰々、そして歩いてきた稜線が見渡せる。そしてその先に汗を掻いてきた思い出が蘇っ

いてくる。山頂では爽やかな風に乗ってか、大きな虫が飛び交っている。『ここではお

昼ご飯は食べられないわね』とあっちゃん。『この東に東屋があるのでそこでご飯にし

ましょう』














東屋のある展望所までは3回ほどアップダウンを繰り返す。山頂から下った鞍部は新瀬

への分岐になっている。そこからまた緩やかな坂を登って行くと聞き慣れない音が聞

こえてきた。眩しい空を見上げるとグライダーが飛んでいた。そして二つ先のピークに

は人影が見える。あそこからラジコンのグライダーを飛ばしているのだろう。

















ラジコンを操作している人の所で話しかけると、『今日は少し風が弱い』とのこと。空を

飛んでいる姿はさほどではないが、近くで見ると結構な大きさだ。『エンジンで飛ばすの

ですか?』と尋ねると『モーターで飛ばしてあとは風で!』と笑顔で答えてくれた。








展望所の東屋の日陰に入るとさっきまでの暑さが嘘のように、乾いた風が心地よい。

汗を拭き椅子に腰かけあっちゃんがザックから取り出してきたのはインスタントの

焼きそばだった。『ほら夏の暑い時でもBBQでは焼きそばをたべるでしょ!』と自

慢げに話をする。『でもBBQの時はビールがあるでしょう』と言うと、少し不満げ

な顔をしながら『でも絶対美味しいはずよ!』と。『少し食べてみる』とルリちゃん

に勧めてみるが『私はいいわ!』とあっさり断られた。




せっかくなので少し分けてくれた焼きそばを一口。甘いソースが何とも言えずにいた

ら、『どう、美味しいでしょ!』と無理やり言わそうとする。『この夏は焼きそばで攻

めてみる!』と呆れ顔の二人を尻目にニコニコ顔のあっちゃん







東屋には表示板に四方の山並みの山名が書かれている。

カガマシ山の左奥に工石山、そのさらに左に白髪山


中津山の左に特徴的な山容の烏帽子山


牛の背の笹原の上に天狗塚の頭が覗いている



お昼ご飯を食べたら一旦塩塚峰への鞍部まで戻り分岐から下って行く。グライダーを飛

ばしている初老の男性二人はお昼ご飯も食べずにいる。まるで遊びに夢中になって時間

を忘れている少年の様だ。











分岐からは新瀬川登山口へと下って行く。ストックの長さを変えて一歩一歩注意しなが

ら足を踏み出さないと転げ落ちそうなくらいの急な坂だ。この坂を下りきった所の道標

『がまん坂』と書かれていたが、まさに新瀬川から登りぱなしの最後の急登。がまん

の為所だと思うが、私にとっては膝に堪えるガマンの下り坂。










がまん坂を何とか滑らずに下り終えると一旦車道に出た。そこからまた車道を横断して

山道に入って行くが、まだまだ急坂は続いて行く。危なそうな箇所にはロープが張られ

ているが、この坂を下から小学生がよく登って来られると感心する。







大岩の横を過ぎると丸太のベンチのある休憩所に着いた。左ひざを庇ってなのか右の股

関節や腰に張りが出てきた。先ほど東屋でずり落ちて半ケツになった着圧タイツを持ち

上げたら、持ち上げすぎて股間が窮屈になっているせいかもしれない。奥様たちには先

に行ってもらって、ショーツを下げてタイツの装着位置を直してみる。







休憩所から少し下ると沢沿いの道になる。昨日の雨で増水した沢の濡れた岩で足を滑ら

せ右足をドボンしてしまう。途中の合目を書いた札には励ましの言葉も書かれている。







九十九折の道は小刻みに右に左に曲がって、その斜度も急なので油断ができない。何

とか急坂をやり過ごすと先ほどよりは少し幅の広がった沢にまた出た。今度は左岸か

ら右岸に渡渉してまた下って行くとトドロの滝に着いた。














この間の沢沿いでは何カ所もの小滝があったが、このルートでは一番大きな滝となる。

昨日の降雨の後で水量も多いが、他県の轟の滝と比べると随分と小ぶりの滝になる。








トドロの滝から下って行くとこちらの沢沿いにも、栄谷と同じように石積みが点在して

いた。このあと右岸から左岸への木の橋を渡ると、最終民家の横に出た。











最終民家にはやはり人影はなかったが、さらに下の民家の横には洗濯物が干されていて

まだ住んでいる人がいる様子だった。それにしてもこの奥まった場所に不似合いな立派

な建物だ。その民家の横を通って下って行くと新瀬川の登山口に降り立った。

登山口にはコミュニティバスの停留所にもなっていて、一日何回かバスが来るらしい。

家に帰って色々と調べてみると、むらくもさんは以前にここまでバスに乗ってきて、

時計と反対回りに周回して栄谷へと下っていた。ここからの下道歩きを考えるとなるほ

どと感心してしまった。











登山口から秋田の集落の中を通り舗装路を歩いて行く。幸い緩やかな下り坂だがそこは

やはり舗装路、足の裏や足腰に堪えてくる。











道路脇の民家の横の畑には反りのある立派な石積み。これを見ると先ほどの石積みや

の石積みはやはり畑地だったのかもしれない?と思ってしまう。

その先では二人の男性が道の脇の草刈りの作業をしていた。さらに歩いて行くと木陰で

休憩をしている男性の姿があった。傍まで近づいて挨拶をすると、『塩塚峰に登ってたん

かな?』と聞かれた。『はい、栄谷から周回してきました』と言うと、『それはそれは疲れ

ただろう、一服していき!』とリポビタンDを3本差しだしてくれた。

『この辺りも若い人がいなくなってな~、私でも若い方から二番目なんや』と過疎化の現

状を嘆いていた。











道路上には日陰も少なく、舗装路の上で足の裏が熱くなり張りも随分出てきた頃、新瀬川

の登山口から約1時間で道の駅の駐車場に着いた。

駐車場で靴を履き替えているあっちゃんに『抹茶のソフトクリーム食べに行きます?』と

聞かれたが『今日はこれ以上歩きたくないので止めときます』と言って駐車場で別れた。

これから梅雨が明けて夏の暑さが本格的になって果たして、膝や腰や体力がもつのだろう

か?と不安な気持ちを抱えながら高速道路を東に車を走らせた。








『お菓子売りのてくてく』さんに会いに南嶺へ!

2024年05月30日 | 四国の山

日頃から山歩きの行先を考えるのに、YAMAPを利用している方はかなりの数になる

のではないだろうか。フォローしている人の活動日記は次々とアップされていくし、そ

れでもまだ行く先が定まらなければ、地域や季節を絞って検索もできて、とにかく便利

だ。そんな中で5月の連休が終わっての週末にアップされた活動日記の写真に目が留ま

った。それは山頂からの雄大な景色でもなく、貴重な花の写真でもなく、一人の女性が

背負子を背負った写真だった。ヤーメンさんとソーヤさんがアップした写真の女性は、

実店舗は持たずに手作りお菓子を行商で売り歩いている『お菓子売りのてくてく』さん。

背負子に付けたケースの中には動物や山の形をした色々なお菓子がぶら下がっていた。

さっそく奥様たちにその写真を送ったら、『まぁなんて素敵な笑顔の女性なの!』と

っちゃん
から返信があった。『是非会ってみたいわね!』とも。

ただ『てくてく』さん、普段は街中で週末に山に行商に出かけているようなので、週

末はなかなか休みが取れない私は、会いに行く機会がないかと思っていたら、なんと

今週は水曜日に鷲尾山に出かけますとYAMAPにアップされていた。

これを見逃す手はないと奥様たちにメッセージを送ると、もちろん即OK。ルリちゃ

はWOC登山部で一緒に歩いたことのある南嶺だけれど、あっちゃんは初めて。筆山

から歩けば、4座ゲットできるので、それも楽しみだと返事が来た。


集合場所の豊浜から筆山の駐車場まではGoogleMapでは1時間となっていたが、てく

てくさん
のスタート時間が8時30分となっていたので、市内は通勤ラッシュの時間帯。

少し早めに待ち合わせをして高知市内へ向かうと、予想通り高速を降りると車は渋滞

していて、果たして間に合うかな?と思いながら筆山へと向かって行く。

筆山第二駐車場にギリギリに到着したが、てくてくさんはまだの様子。近くの東屋の下

には、登山着姿の男女がいた。『あの方たちも多分てくてくさん待ちかな?』と言いな

がら身支度をしていると一台の車が着いて、車からはてくてくさんが降りてきた。

さっそくてくてくさんを前に事情聴取をする奥様たち。







すると先ほどの東屋の男女も含めて、次々とお菓子を買い求める人が現れた。SNSを

見た人は、山には登らずわざわざお菓子を買うためだけに来ていたりする。私たちもさ

っそく美味しそうなクッキーを買い求めた。







駐車場から色づき始めたアジサイを眺めながら、登山口へと向かう。皿ケ峰・鷲尾山

登山口は墓地の中への道。道の両脇に建つ墓石の中を歩いて行く。












しばらくすると南側の景色が開けてきた。浦戸湾と宇津野山から続く稜線。少し違った

場所からは、東に五台山が見えた。













墓地の中の道は昨日かなり強く降った雨の影響か、場所によっては水が道の上を流れて

いる。墓地を抜けると皿ケ峰山頂への道とトラバース道との分岐。右側の道を進むと

ケ峰
山頂に続く道だったが、気づかずにトラバース道を進んで行く。

皿ケ峰山頂を回り込んだあたりから景色が良くなり、このコースで有名なライオン岩

見えた。するとそのライオン岩の周りで何やら撮影をしている人たちの姿があった。

通り過ぎる際に『何の撮影ですか?』と聞くと、『テレビのCM様です!』との事。おそ

らく地元の会社のCM用の撮影なんだろうな?と思いながら横を通って下って行く。

前回も思ったけれどこのライオン岩。どう見たらライオンに見えるのだろう?













ライオン岩を過ぎるとまた道の両側に墓石が現れる。真っ赤に錆びついた道標を過ぎる

と今度は半分炭になった道標。この辺り一帯は山火事あった場所で前回秋に来た時はそ

の雰囲気を見ることができたけれど、今日は草木が伸び放題で周りの景色は様変わりし

ていた。













山火事のあと高木がまだ育っていない鞍部辺りは日差しが届いていたが、そこから先は

森の中の道。気温は上がってきているが湿度が低いせいか日陰になった途端涼しくなっ

てきた。朝一番で鷲尾山に登っていた人たちだろうか、何組かの人たちとすれ違う。














道は緩やかな登り坂から短い距離だが急登になると目の前に見覚えのある建物が見えた。

中・高一貫校の土佐塾の『大志寮』だ。この建物は高知市内からも山中にあってけっこ

う目に付く建物だ。いったんその土佐塾への舗装路を横断して大志寮に向かって階段を

登って行く。寮の脇を通りさらに歩いて行くと貯水池のようなコンクリート壁に苔が生

えて、色々と落書きがしてあった。その中で『助けて!』と書いてある落書きを見なが

ら、奥様たちと『寮生が逃げ出せずにいるのかしら?』と。













落書きのコンクリート壁の先からは一旦下り坂になる。鞍部まで降りると四差路になっ

ていて深谷・吉野と書かれた東西の道は街中に続いているようだ。この南嶺は高松市で

云えばさしずめ峰山みたいで、市内から色々な道があってアプローチできるようになっ

ている『市民の憩いの里山』だ。













四差路を過ぎると鷲尾山への最後の登りになる。坂の途中で二股になった場所では丁寧

な案内板。当然楽そうな右の道を登って行く。しかしそう思って選んだ右の登坂もけっ

こう急な坂。九十九折れの道が続いていく。










尾根を右に左に巻きながら続いている道。要所要所にはしっかりとした道標が建ってい

る。すると高木の下の木陰にベンチとテーブルが並んだ場所があり、その横を通って一

段登るといっぺんに眺望が広がり鷲尾山に着いた。












山頂ではすでに到着していたてくてくさんが、何人かの人たちと談笑していた。その様

子を見ながら声をかけると、『けっこう売れたんですよ!』と満面の笑み!

私はと云えば今日はその笑顔を撮りにわざわざ香川からきたので、ストーカーもどきで

写真を撮りまくり。














奥様たちとのやり取りを眺めながら写真を撮っていると、サングラスを掛けた男性から

『KAZASHIさん?』と声をかけられた。『ハイ!』と答えると『ヤーメンです』と。

今回てくてくさんに会いに来た大元の情報源のヤーメンさんだった。『今日は平日だから

ヤーメンさんとソーヤさんは来られないだろうと思っていました』と言うと、『実は転職

して6月からの勤務になって、5月いっぱいは有休消化で仕事をしていないんです』と仰

った。ヤーメンさんの活動日記には山だけでなく、沢に入ってアメゴを釣り、その釣った

アメゴを山頂で食べている写真が時々アップされている。なかなか高尚な趣味をもってい

て普段からうらやましく思っていた。リタイヤしたら習おうかな?

そのヤーメンさんに顔ハメパネル持ってもらって、てくてくさんと一緒に写真を撮る。

この顔出しパネルとわしお山とくりぬかれたパネルは、筆山から一緒になった三人組

の内の男性が作ったそうだ。





今日は昨日の雨のお陰でかなり遠くまで見渡せる。案内板の近くにいた白髭の男性が

『今日は室戸岬も足摺岬も珍しく見えている』と教えてくれる。

やはり昨日の高知でもけっこう雨が降ったので、鏡川や国分川から流れ出た泥水が、

湾をでて太平洋の沖の方まで海の色を変えている。



浦戸湾の奥に室戸岬


宇佐湾の先に足摺岬




てくてくさんと別れた後、一段下のベンチのある木陰でお昼ご飯。同じようにベンチに

腰掛け食事をしている女性が二人。一人は40代の方、もう一人は70歳を過ぎた方。

奥様たちはその女性たちといろいろ井戸端会議。今日お昼ごはんにあっちゃんが持って

きた素麺の話で盛り上がったかと思えば、年配の女性が阿讃縦走の話を始めたりと賑や

かだ。その横で私は独り黙々とぶっかけうどんを口に入れる。

するとその先輩女性が『今まで登った山で一番良かった山はどこですか?』と聞いてき

た。『自分にとって一番の山はどこだろう?』と思い頭の中を巡らせていると、直ぐに

その女性が『私はトムラウシ山よ!』言ったので、思考を中断。『山一面お花畑が凄か

ったの・・・・』と。是非ぜひ行ってみてと。トムラウシ山と云えば、ツアーガイドが

いたにもかかわらず8名が低体温症で亡くなった遭難事故のイメージしかなく、お花畑

と繋がらない。まあでも一度は雄大な大雪山系の山を歩いてみたい。

お話はまだまだ続きそうなので、ベンチから腰を上げて挨拶をして宇津野山へとまずは

登ってきた道を引き返す。

支尾根の途中から有刺鉄線に囲われ、入り口だけが取り除かれている場所から宇津野山

へと向かって行く。多少のアップダウンはあるが基本下り気味の道。











途中からは鉄塔巡視路となり、宇津野山の手前で鉄塔広場に出た。














鉄塔広場を過ぎればまもなく宇津野山山頂に着いた、周りは木々に囲われて見晴らしはな

い。三等三角点 西孕 256.33m

山頂からは来た道を折り返し途中の分岐から支尾根を外れて下って行く。山頂もそうだ

がこの間ほとんど眺望はないが、一カ所だけ道の北側が開けた場所があり、木々の間か

ら土佐塾の校舎が見えた。

















支尾根から外れた道はしばらくして往路に歩いた道に出た。鞍部まで下り登り返すと土

佐塾の大志寮。寮の脇を抜け舗装路に出ると下から土佐塾の真っ赤なバスが何台も上が

ってきた。













舗装路から森の中を下って行くと皿ケ峰との鞍部になる。ここからは高木もなく容赦な

くお日様が照り付ける。ライオン岩まで登り、その先の分岐から皿ケ峰山頂への急登が

始まる。登坂も下り坂も着地した左足に重心がかかるとやはり左膝が痛む。出来るだけ

体重が載らないように登って行く。























皿ケ峰山頂は電波塔と平らになった中心にはシンボルツリー。開けた北側を見ると工石

からの稜線が東西に続いている。ここで今日三つ目の山頂ポイントゲット。残るは

だ。












皿ケ峰山頂から急坂を下り墓地公園の中の道。車を停めた駐車場の上側から筆山へ取り付

く。そして最後の登りそして階段が始まる。何とかその階段を登り切り今日最後の山頂、

そして二つ目の三角点 三等三角点 真如寺山 118.28m

山頂にある展望台からは木々に遮られて、高知城の城壁が何とか見える程度だった。

プラタナスの大木の木陰に入ると爽やかな風が吹き抜ける。新緑の葉の間から、遠慮気

味に木漏れ日がさしている。














SNSに上がったてくてくさんの写真を送って直ぐに、ぜひ会ってみたいとあっちゃん

から返事があったが、こんなにも早くお会いできるとは思わなかった。

『山歩きも好きなんです』と言った彼女の笑顔は、まだ爽やかな風の吹く山にあって、

それ以上の爽やかな笑顔も見せてくれて、大満足の一日だった。

てくてくさんは香川の里山にも出かけたいといったので、飯野山を勧めておいた。興味

のある方は、インスタと、YAMAPをチェックしてお菓子を買いに笑顔に会いに行っ

て見てはどうだろうか。

instagram
【お菓子売りのてくてく 四国店】

【alku】

YAMAP
【お菓子売りのてくてく 四国店】




奈路ってなん奈路(だろう)?・八反奈路!

2024年05月23日 | 四国の山


先週、船窪のオンツツジ公園の駐車場で、下山後に車に乗り込んだ途端に太腿の表と裏

が攣って悶絶した話を、通いの接骨院で『太腿が攣った』と話をしたら、『太腿の表・裏

どっち?』と聞かれたので『両方!』と答えたら、『それはそれは痛かったやろ』と仰っ

た。両方がいっぺんに攣るのは珍しいそうで、しかも太腿は普通でも痛いらしい。

原因は分からないが膝の影響も少なからずあるかもしれない。もうあの痛みは経験した

くないな~と思いながら、『さて今週はどこを歩こうか?』と考え、YAMAPを探索。

周りの活動日記を見ているとどうやらどこも今年は花付きがあまり良くない様子。そろ

そろシロヤシオでも、と思っていたが、シロヤシオは特に不作のようだった。

それならお花は諦めてブナの新緑でもと思い、久しぶりに八反奈路に出かけることにし

た。八反奈路はもちろんヒノキで有名な場所だが、途中のブナの林も見ごたえがある。

前回は二日酔いでヘロヘロだったが、今回は膝。なんだか毎回不安要素を抱えての登山

となる八反奈路だった。


大豊ICを降り本山町に入り、モンベルアウトドアヴィレッジの横を通って、県道から

北に栗ノ木川に沿って車を走らせる。途中には『本山一揆殉難之碑』が建っていたが、

このあと登山口から続く『滝山』と書かれた道標が山なのか場所なのか意味が分からな

かったが、本山一揆は滝山一揆とも呼ばれていて、その一揆の舞台となったのがどうや

ら滝山という山ではなく場所のことのようだった。

殉難之碑を過ぎ三差路を左に折れてさらに登って行くと、最終民家の上に路肩が広くな

った場所がある。前回は四輪駆動の車だったのでさらに登山口まで、未舗装の道を走っ

て行ったが、今日は無難に路肩に停めさせてもらった。

毎週金曜日にはなんとここまでコミュティーバスが来るようだ。








舗装路から斜め上に続く未舗装の道を登って行くと草刈り機の音が鳴り響いてきた。歩

いて行くと何人かの人が道の脇の草刈り作業をしていたので、軽く挨拶をして通り過ぎ

る。







未舗装の道は突き当りになりその先に高い位置から流れ落ちる滝を見渡せる。案内板に

『幣木ケ滝』と書かれているが、GoogleMapには『滝山大樽の滝』となっている?








広場の脇の取り付きには『滝山一揆(岩屋)』『高石吉之助の墓』と書かれた立派な道標。

その次は『滝山』と書かれた道標が続いていく。この時点で滝山はこの場所の南側にあ

るピークだと思っていたが、そのピークは『きびす山』で、滝山ではない事があとから

分かった。







道は滝の上部へと回り込みながら急登が続いていく。いつものことだが奥様たちのお尻

を見ながら『なんだ坂、こんな坂』と口ずさんでみても、機関車が登坂を力強く登って

行くイメージからは程遠く、煙突から勢いよく出る煙の代わりに、『ハア~ハア~』と上が

った息が出ていく。











先週の太腿が攣った要因を少しでもなくそうと、コンディショニングタイツを新調した。

着圧効果で疲労の軽減につながるというタイツだが、半月板損傷でガタついていた膝も、

締め付けられてガタつきがなくなりいい感じだ。ただしウエスト部分がポッコリ下腹の

下で折れてしまって、お尻が半ケツ状態。腰への効果は期待できそうにない。(笑)








20分ほど急登を登り続けただろうか『中段の滝』の案内板を見て、『ふ~う』とため

息一つ。道はまだまだ楽をさせてくれない。










すると『楽々コース』の道標。しめしめと思いながら楽々コースへと歩いて行くルリち

ゃん
の後ろをついて行く。あっちゃんといえばロープがかかっている反対の斜面を見逃

すはずがなくひとり登って行く。すると楽々コースはほんの一瞬でローブ場の上に出た。

『なんじゃ~』・・・・・。







正面に大岩壁が現れる。この岩を下から斜めに上り詰めると、やっと道は緩やかになっ

てきた。











滝へと流れる沢沿いの道になり、さっきまでの急登でたっぷりと搔いた汗が、その沢の

水の冷気で幾分が冷やされ涼しく感じる。沢の手前で『墓』と書かれた案内板の先で

沢を渡ると『左馬之助の妻の墓』と書かれた真新しい墓標が立っていた。

ここまでずっとそうだが、『一揆(岩屋)』『墓』と書かれた案内板が立っていたけれど、

せめて登山口に説明版でもあれば別だが何のことかさっぱり分からない。

左馬之助とは高石 左馬之助の事で、滝山一揆の中心人物。その人物像はは土佐藩側と

馬之助側では全く異なるが、史実としては「鳥でないと登れない」「木こりさえも通わな

い」といわれた「滝山」の山上に砦を築き、地の利を知り尽くした戦いとなったとある。

土佐藩側は予想以上の犠牲者をだした戦いだったが、45日間の戦いのあと左馬之助

最終的に滝山を去ることを決断した。その際に怪我をしていた妻『ぬい』は、足手まと

いになるからと、敵方に殺されるよりは夫の手で殺してほしいと懇願し、この地で

馬之助
が泣く泣く首をはねたとされている。その後左馬之助は子供たちを連れ、現在の

四国中央市に逃げ延びたという。

そんな歴史が全く分からずただただ『???』と佇む奥様たち。











その妻の小さな石祠の前には朽ち果てた建物の跡と横には五右衛門風呂が転がっていて、

生活していたような痕跡があるが『木こりさえ通わぬ』というこんな場所で、だれが?




墓からもしばらく沢沿いの道が続いていく。スズタケの色が濃くなってくると、沢を流れ

る水は極端に少なくなり、登って行くと作業道に出た。











その後二度ほど作業道を横断すると目線の先の杉林の中に尾根が見えた。あの尾根まで

登れば、あとは比較的緩やかな尾根道となる。そう言い聞かせながら登って行く。











白髪山から南に延びる尾根に出た。ここで行動食を口に入れ水分を補給する。次のピーク

へ一度だけ急登になるが、あとはピークを巻いて行く道で少しづつ緩やかになって行く。














すると少し前であっちゃんが屈みこんで何やら写真を撮っている。『何かいるんですか?』

と尋ねると、黙って指さしている。指さす場所には杉の枯れ葉の上に落ち葉が何枚か落ち

ているように見えた。『???』。ただよ~~く見ると落ち葉と同色のカエルがいた。

見つかっていないと思っているのか、それとも『早くあっちに行け』と思っているのか、

じっとして全く動かない。











背より高いスズタケの道を抜けると、八反奈路と白髪山への分岐。ここから八反奈路へと

下って行くと、すぐにブナの森の中になる。目の前が一瞬緑の霧がかかったような一面

の新緑が目に飛び込んでくる。広々とした緩やかな斜面に立つブナの木。

ブナは「森のダム」とも言われ、ため込んだ雨水を徐々に放出をして森に潤いを与えると

云われているが、まさにその通りこの森はとても生き生きとしている。






















そしてブナの森の先には今度はコケの日本庭園だ。徳島の山犬嶽は割と狭い場所にコケ

岩が密集しているが、この場所はやはり緩やかな斜面一面にコケ岩が広がっている。

そのコケ岩の数だけで云うと、山犬嶽の比ではないかもしれない。コケ岩の上に落ちて

いる枝をきれいに掃除すれば、足立美術館にも負けない庭園美術館になれる?



















タコの足のような太い根を覆いつくしているコケ。この木が枯れ木なのでここまでコケが

付くのだろうか?地表を這うように広がっているコケの根は迫力がある。

道は少し不明瞭になっいていくが、テープを見つけながら更に奥へと歩いて行く。














すると見覚えのある大きな根下りヒノキが見えた。倒木の上に芽吹いた樹が倒木を覆うよう

に根を張り、やがて倒木が風化してなくなることで、根下がりヒノキになる。

近づいて行くと根の立ち上がりは人が立って入れるくらいの高さだ。

ロープが張られた中には『四天王』と書かれた銘板があり、四本のそれぞれ違う形のヒ

ノキが立っていた。














四天王からも西に向かって踏み跡が続いている。足元が悪い場所は木道になっているよ

うだが、ずいぶんと手を入れられていないのだろう、木道自体も朽ちかけている。







銘板にはキャッチコピーが書かれているが、その内容が??『どういう事』って思うも

のばかり。











ただどれもが個性的で、なかには首を傾げたくなるほど複雑な形状をした根下がりヒノキ

がある。このヒノキは男女が社交ダンスを踊っているようにも見える。










『なぜ曲がったか?』と書いてあるが、その答えがどこにも書いていない。おそらく工

石山の『根曲がり杉』と同じように、幼木の時に強風で曲がってしまいそのまま成長し

てしまったのかな?それよりもこの曲がった状態で、これだけの巨木が倒れないのかが

不思議で仕方ない。

















『竜のおっちゃん』と書かれたこれも傾いたヒノキ。『なぜ竜なの?』『なぜおっちゃん

なの?』と巨木の前で頭をひねるが答えが見つからない。唯一幹の途中の膨らみと折れ

た枝の場所が竜に見えないことはないかと、三人で取りあえず納得をする。










『竜のおっちゃん』の前に枯木を横にしたベンチ?が並んでいた。そのベンチに腰かけ

おっちゃんを見ながらお昼ご飯にする。奥様たち二人の話声以上に大きく鳥の鳴く声が

鳴り響いている。











お昼ご飯を食べ終えた後、奥様たちは白髪山へと登って行った。私はやはり膝の具合を

考えて、奥様たちはアタック隊。私はその後方支援といえば聞こえはいいが、前回の

人の森
と同じように、この八反奈路でもしばらくまたカメラの練習をすることにした。














八反奈路は山中にありながら平坦な地形をしていて、木材の搬出に適さないため、白髪山

の檜を販売することで、莫大な利益を上げていた土佐藩も八反奈路のヒノキを伐採するこ

ことができず現在に至り、そのため、八反奈路に自生するヒノキの巨木の樹齢は500〜

600程になる。高知では平坦で緩やかなことを『なろい』といい、そこからここの八反奈

の名がついたようだ。

独りだけになった森は鳥の鳴く声だけが聞こえてくる。カメラをタイマーにセットして、

根下がりヒノキの反対側まで走る。10秒間のタイマーではなかなか間に合わず、何度も

繰り返す。














今度は違う場所でシャッタースピードの設定を変えて撮ってみる。これもタイミングが

合わず、またスピードの設定が難しく何度も繰り返す。

住宅の室内の写真ではよくある写真の手法だが、初めてにしてはこんなもんかな?

樹齢500年から600年の木々の足元で、60年そこそこの若造が、何をウロチョロ

してるんだろうと思われているかな?











結局ウロウロしているうちにコケ床を踏み抜いたり、転びそうになったりで膝の調子が

悪くなってきた。帰りの道でも急坂の下りが待ち受けている。ひどくならない内に森の

撮影会は終了することにした。











八反奈路から白髪山からの尾根に一旦登りそのまま尾根を南に下る。杉林のトラバス―ス

道を過ぎ、尾根から外れ下って行くと沢沿いの道になる。














途中には左馬之助の弟の墓がある。弟の高石吉之助は兄とその子供たちと一緒に滝山から

離れる途中で、もともと負傷をしていてこの場所で息絶えたそうだ。逃げ延びた左馬之助

の墓だけは、この山中にはない。







それにしてもここの滝の案内板はそれぞれで名前が違っていてよくわからない。『中段の

滝』
が近くまで行くと『二段の滝』になっていたり、下では『幣ケ木滝』と書かれてい

るのが『康積保真天の滝』となっていたりと、四段に分かれるそれぞれでも名前が違っ

ていて紛らわしい。














左馬之助や農民たちが立てこもったという『岩屋』にこそ寄らなかったが(史実を事前に

知っていれば立ち寄っただろう)、滝のそれぞれの滝壺まで寄り道しながら、下の滝の見

える広場までもどった。










広場から林道を道の脇の草花を眺めながら車を停めた場所まで戻る。靴を履き替え、窮

屈なタイツを脱いで着替えているうちに、思っていたより早く奥様たちが降りてきた。

白髪山までの登りのコースタイムが45分のところを1時間かかったそうだ。八反奈路

の分岐までも今日はコースタイム以上かかっていた。











車に乗り込み汗をたっぷり掻いた身体のクールダウンに、モンベルに立ち寄ってアイス

クリームを食べる。

再訪した八反奈路は前回同様、四国なかでもその特異で豊かなな自然と、木々が過ごし

てきた時間軸の長さを改めて感じることができた楽しい一日となった。


短い距離だけれど以外とタフだった五条山

2024年05月16日 | 四国の山

今週はお花見シリーズで『船窪のオンツツジ』高越山を計画。奥様たちにも連絡して、

あとは天気次第と思っていたら、あっちゃんから『予定が入っていたのを忘れてました

!』と連絡が入った。

しばらくするとWOC登山部のFBにセニョさんが、『船窪のオンツツジと奥野々山から

五条山まで歩きます!』と計画が上がった。高越山は以前にも登ったことがあるので、

どうせならセニョさんの計画の山は初めて知った山で、当然YAMAPの山頂ポイント

数も増えると思って、ルリちゃんに『高越山ではなく南側の山になるけどいいですか?

』と案内すると、問題なしの返事が返ってきた。

その後またしばらくして今度はルリちゃんから『YAMAPで調べてみると結構岩やロ

ープがあるようなので、まだ肘の調子が悪いのでキャンセルします!』と連絡が入った。

結局セニョさんと二人での山行となった。セニョさん相手だと何時ものようにスタート

時間を気にすることはない。せっかくなのでオンツツジを眺めながらのお昼ご飯にした

いので8時に船窪の駐車場に集合で連絡をした。





船窪までの道はかなりクネクネした道。先週、岳人の森までの道で車酔いしたあっちゃ

んは、この道は100%酔ってしまうだろうな~と思いながらカーブで右に左にハンド

ルを切る。時間が割と早いのでこのまま公園まで車に乗って行って、観光客いないうち

に一眼レフで写真を撮ってみようかなと考えて、1kmほど手前にある駐車場まで来る

とやはりすでにセニョさんは到着していて身支度をしているところだった。

軽く挨拶をして奥様たちは今日は来れないと説明。YAMAPでルートの確認をして駐

車場の奥から続いている林道へと歩いて行く。

道は大丈夫かなと思うくらいどんどん下っている。途中一カ所分岐になった場所でセニ

ョさんが、『どっちだろう?』と言ったけれど、YAMAPをどう見間違ったのか、その

ままコンクリート道を下って行ってしまう。700mほど下ったところで植栽地で見晴

らしの良い場所になり、もう一度YAMAPを見てみると、ダウンロードしたトラック

から違う道を歩いているのに気が付いた。『すみませんセニョさん、さっきの分岐で間違

ったみたいです』と声をかけて引き返す。植栽地越しには吉野川と山川町の街並みが見えた。










分岐まで戻りルート復帰。道のコンクリートはすぐに途切れて石が転がる地道になる。

分岐からは10分ほどで林道が四差路になった場所に出た。三方向にに林道が続いて

いるが、尾根はちょうど切通になった真ん中になる。










切通の反対側も植林地になっていて、西側の眺望が開けている。この辺りから山々を眺

めることはなかなかないので、山座を同定するのは難しい。











切通からはいきなり杉林の中の急登が始まる。セニョさんが見慣れないストックを突い

ている。『最近になってストックがあると楽なのに気が付いた!』と。ちょっと遅くな

いですか?(笑)











急登を登りながらセニョさんが、先週小豆島で山の中と、山からの下山後も悪戦苦闘し

た話を聞かせてくれる。山でのオカルトかかった話と下山後のいかにもセニョさんらし

い話に思わず笑ってしまう。歩き始めは少し詰まった感じがしていた左膝も、身体が温

まってきたからか、あまり気にならなくなってきた。急登を登りきると歩きやすい尾

根道に変わる。










快適道が終わると露岩が現れ、そのうちに杉林から岩の痩せ尾根になってくると、ブナの

木が目立ち始める。











痩せ尾根を過ぎると岩場にロープがかかっていた。湿気を含んだ岩や木の根は登山靴の

グリップが効かずに滑りやすい。それ以上にソールのすり減り具合からか、驚異的なグ

リップ力がうたい文句のモンベルのトレールグリッパーも、もうそろそろ限界なのかも

しれない。










ロープのかかった岩場を登りきると奥野々山山頂に着いた。山頂標は高松軽登山の錆び

た鉄板の標識と白い山名杭が木の根に置かれているだけだった。

そして山頂のすぐ南側には朽ち果てた奥野々神社があった。屋根は落ち壁のトタンも剥

がれかけ鉄骨もむき出しになっている。こんな山中に鉄骨造りの社殿ということは、当

時は随分と立派な神社だったような気がする。

awa-otokoさんのブログによると、この奥野々山の南側にある母衣暮露滝は昔から修験道

場として行者の出入りが盛んであった場所で、この滝で垢取りを行いこの奥野々神社に

参拝したのではないかと書かれている。奥野々神社は奥野々大権現とも呼ばれ、高越大

権現
と表裏一体だったのではということだ。










奥野々山からはまたブナの林、そして下り坂が続いていく。緩やかな坂と急な下り坂が

繰り返し続いていく。














尾根の左側が杉の人工林、右側は新緑の自然林。鞍部まで来るとまた一段と新緑の明る

い緑が目に飛び込んでくる。














そしてまた朝見権現までの登坂が始まる。登りも下りも距離は長くはないが、なかなか

足に堪えてくる。すると尾根の右側が伐採地になりこの間で一番景色の広がる場所

になる。伐採地の頂部からは北にちょうど満開の船窪のオンツツジのオレンジ色が、

尾根を染めているのが見える。『ここからはっきりと色が分かるということは満開です

ね!』とセニョさんと話をする。














そして麓に目を移すと穴吹川が曲線を描いているのが見えた。穴吹の宮内の集落辺りだ

ろうか?





伐採地からまた急登を登り左手のアセビの木の間をかき分け進むと、朝見権現はそのア

セビの木に囲われた狭い場所にあった。三等三角点 薊権現 1138.57m











朝見権現からは一旦アセビの木の外に出て西側に回り込んで五条山へと向かう。ここか

らはセニョさんも初めての道。岩場に急坂そして痩せ尾根と朝見権現までの道に比べる

と、随分とワイルドな道になってきた。











この辺りからピンクのテープが目立ち始めるが、どこの山でもそうだがピンクのテープ

はあてにならない。それよりもやはりYAMAPのGPS。間違いがないか確認しなが

ら下って行く。『次の山頂を目指しているはずなのに下りとは?』とセニョさん。

尾根の岩を巻く場所では、足元が悪すぎるのに、掴んだ木がことごとく枯れていてこれ

もあてにならない。セニョさんは尻セード。私は久しぶりに尻もちをついた。














1050mの等高線上で展望岩に出た。地形図を見てみると少し下に見えるピークのも

うひとつ先のピークがどうやら五条山の様だ。南西には雲に隠れた剣山から続く稜線が

眺められる。ここから先は岩壁で進めない。










一旦戻ってまた西側を巻いて行く。この辺りからも穴吹川に沿った宮内の集落が見えた。











五条山は朝見山よりさらに狭い山頂らしからぬ山頂だった。時間は10時前、スタート

からおおよそ2時間。

奥野々山から朝見権現までが700mで25分、朝見権現がら五条山までが600mで

40分かかっていた。それでも折り返しで2時間と考えれば、計画通りちょうどお昼は

オンツツジを見ながらになりそうだ。








折り返しの朝見権現へはこんなに下ったかな思えるほどの急登。『あっ、そういえばここ

で尻もちついたんだ~』










それほどの高さでなければ、下るときは意識をしないのであまり記憶に残らないので、

『こんな岩下ったかな?』と二人で言いながら登って行く。











朝見権現の手前まで来ると道は山頂を左に巻いて登るように続いている。するとセニョさ

んが『右にトラバースすれば山頂へ登らずに反対側へ抜けられるように思うのですが』と

仰る。確かに地形図を見ると等高線上に歩いて行けばいけそうな気がする。『じゃ~行っ

てみましょう』と返事をして、右に進んで行くと地元の屋島の冠ケ嶽の岩壁の下と同じ

ような雰囲気になってきた。冠ケ嶽もそうだが、安山岩の冷たい色の岩壁の足元は土溜

まりがあって人が歩けるだけのスペースがある。ただ冠ケ嶽と違うのは1mほどの幅の

土溜まりから下は切れおちた斜面になっていた。














見上げると安山岩の岩壁。朝見権現は岩稜の山頂だとわかる。一カ所だけ足元の幅がな

い場所で岩壁がせり出ていて、ヒヤッとする場面があったが何とか朝見権現の山頂の先

に出られたかに思えたが、そこから先は灌木が密集した斜面で進めそうにない。仕方が

ないのでまだ密集度がマシな山頂へと登って行く。『近道やと思ったのが間違いやった

ね、そのまま山頂へ登ったらよかったね』とセニョさん。まぁこれはこれで迫力のある

朝見権現の岩壁が見られたし、藪漕ぎもまた楽しい~!

灌木を掴み、灌木の根元に足を預けながら急斜面を登って行くと見覚えのある山頂に出

た。結局『急がば回らずに登れ!』だった。

















朝見権現からの尾根道では往路でも見かけたが、何本もの杉の木の根元の皮が削がれていた。

鹿の仕業だろうか?それにしても杉の木の皮が削がれているのは初めて見た。

伐採地から見える船窪まではまだまだ遠い。五条山では行動食を口に入れたが、けっこう

お腹が空いてきた。そのせいか登りのペースも随分と遅くなる。














奥野々山が近づいてくると、またブナの新緑が目に飛び込んでくる。まわりもそうだが、

新緑の季節ももうそろそろ終わりかな。そして奥野々神社の横のブナの大木は、往路で

は反対側になるので気づかなかったが、太い幹の裏半分がない反り返ったねじれた異形

のブナがあった。














登ってきたロープ場を今度は慎重に下って行く。そしてまた少し登りとこのルートは小

刻みにアップダウンが続いていく。








そして最後は林道までの急坂の下り。ここにきて地味に膝に痛みが出始めた。それでも今

日はセニョさんが下りはゆっくりと歩いてくれるので助かる。ちょっとした拍子にポキポ

キと膝から音がする。『膝のロッキング』という嫌な言葉が頭に浮かんでくる。膝のロッ

キングとは半月板の損傷などで、膝の関節内にある骨や軟骨の欠片や半月板組織などの浮

遊物が、関節の隙間に挟まった時に生じて、しばしば激しい痛みを伴い、歩くことが困難

になる現象をいう。このところ歩きながら気になるのはこのロッキング現象。注意のしよ

うもないだけれど、それだけは絶対に避けたい。











林道から船窪への尾根ではまた急登が始まった。やれやれと思いながらあと少しなので、

行動食も採らずに登って行くと完全にシャリバテ。前を歩くセニョさんとの距離がどん

どん離れていく。なんとか追いついて船窪の南側のピークに登りつく。














ここからは下り坂。するとセニョさんが『何か建物が見えると!』と、木の間を指さす。

少し歩いて行くと、セニョさんが建物の屋根と見間違えたのはオンツツジだった。











オンツツジ公園の展望台の前のベンチに腰掛けお昼ご飯にする。セニョさんがベンチの

上にザックを置いて、中身を探りながら『無いな~』と独り言。お腹の減った私がおに

ぎり弁当をかきこみ食べ終える頃には、ザックの中身を全部取り出したが、探し物は見

つからなかった。WOC登山部メンバーには周知の事、セニョさんあるあるなのだ。

ベンチから見える南側の山々。剣山は少し雲に隠れていた。








オンツツジは見ごろを迎えていた。観光客が公園内を歩いて写真に収めている。なかに

は樹齢400年、6m近い高さのもあるという。これだけの規模と大きさのオンツツジ

は他に類を見ないそうで、国指定天然記念物に指定されている。

















展望台からオンツツジを眺めた後、高越山への林道を歩いて行く。途中から塔ノ丸の尾

根へ取り付き、尾根を歩いて行くと程なく塔ノ丸山頂に着いた。

四等三角点 塔ノ丸 1143.22m 地形図には山名は掲載されていないが、YAMAP

ではルートなしの山頂でポイントになっている。










以前はキティちゃんのプレートはあったと思うとセニョさんが言っているが見当たらない。

山頂には石祠と三角点と目新しい山名札があった。










ここからセニョさんはさらに高越山まで歩くという。奥野々山からの下りでどうも膝の調

子が良くない。『今日は私はここまでで』と断りを入れて山頂で別れる。林道まで戻ると、

高越山からの帰りか、四人の女性たちが賑やかに前を歩いている。










公園まで戻りフェンスのゲートを開けて中に入る。もう以前に何度か見ているのに、近く

まで来ると改めてその大きさに驚かされる。














西から東の端まで園内を歩いてフェンスの外の車道に出て駐車場まで歩いて行く。道の

脇には新緑の中の春紅葉の色が際立っている。

駐車場について車に乗り込み座席に座り膝を曲げるとといきなり太ももの裏と表、ハム

ストリング筋と大腿四頭筋が攣り始めた。慌てて膝を伸ばしても更に痛みが増すばかり。

ドアを開け外に出て立ってみてもますます酷くなる。悶絶とはまさにこのことだろう。

太腿の筋肉は大きいだけにその痛みたるや・・・・。足を持ち上げたり歩いてみたりし

ても変わらず。逆に足首や指の関節まで攣り始めた。にっちもさっちもいかない時間が

どれくらい経っただろうか。少しづつ収まってきたので車に乗り込んでも、膝の曲げ伸

ばしで痛みがぶり返す。

それでも少し痛みを感じながら車を走らせる。『これが左足で良かった。右足が運転中

にでもなったらとんでもない事になっていた』と考えながら、奥野々トンネルの手前ま

で来ると、今度はアクセルを踏んでいる右足が攣り始めた。じっとしていたなら足の

動作を変えてみることもできるが、運転中はどうにもならない。痛いのを無理やりアク

セルを踏み、道が広くなった場所でブレーキを踏んで車を停めた。そして悶絶すること

数分。今日は気温もさほど高い中、それでも水分も割と採っていたのに原因が全く分か

らない。しかも両足が攣るなんて・・・・。

膝の不安とともにまたひとつ不安材料が増えてしまった。これからの暑い季節。体調管

理を十分に注意しなければならない。