KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

ウララ♪・ウララ♪♪・ウラ次郎!

2024年10月25日 | 四国の山

 

 

『明日は何時に出発?』と奥さんが聞いてきた。いつものように私が家を出る時間を聞いたのかと思ったら、

なんと自分も出かけるつもりらしい。

テレビで流れた『ヤッホー!紅葉狩りは四国徳島の剣山!』のちょっと古めかしいCMを見ながら、『剣山は今

が紅葉の見ごろらしいよ、行ってみる?』と冗談で話をしたら、なんと本気にしたらしい。

と言うのも、以前に誘って歩いた天円山の山頂からの下りがとにかく怖かったらしくて、『もう山には行かん』

と言ってので、山登りはもうすることもないだろうと思っていたからだ。

それならせっかくなので、そんな過去の話はけっして持ち出さず、ニコニコ顔で出発時間を答えた。その後、準

備物を二人分用意して、カップラーメン用にお湯を入れる水筒から、お湯を沸かすコンロに変えてザックに詰め

た。その横で奥さんは『何を着て行こうか』と楽し気に聞いてきた。

 

天気予報は昼から少し崩れそうな雰囲気だったので、早い時間に出発する予定だったが、奥さん同行となるとや

はりリフトを利用した方が無難だ。そのリフトの営業時間に合わせて車を走らせた。

見ノ越までの途中のスキー場手前まで来ると、北側に雲海が広がっていた。車を停めて写真を撮っていると、後

ろから見覚えのある車がやってきた。そう車からは奥様たち二人が降りてきた。

二人は丸笹山から赤帽子山方面を歩くと言うので、軽く話をして別れた。

 

見ノ越の駐車場は平日のこの天気にもかかわらずけっこう車が停まっていた。そして駐車場の前に停まったバス

からは、海外の団体さんが降りてきた。駐車場は15度前後の気温、こちらは上着を一枚羽織っているというの

に、短パン半袖姿の人がけっこういる。

リフトに乗るのは何年ぶりだろう。登りのリフトに乗るのはおそらく息子が小学生の時に一緒に来て以来だ。

 

 

西島駅から北側は青空も見えて比較的見通しもよく、丸笹山矢筈山の笹原もきれいに見えた。

三嶺の右奥には法皇山系から石鎚山系へと続く稜線も見える。

 

 

 

 

いつもなら刀掛けの松へと登って行くけど、今日一番の目的地は剣山山頂ではなく次郎笈の西斜面、通称?『裏

次郎』なので、次郎笈へのトラバース道を歩いて行く。このルートは目的地への近道もあるのだけれど、徐々に

高度を上げていく緩やかな道なので、歩き慣れていない奥さんにはちょうどいいと思ってなのだ。

次郎笈峠へも峠からのトラバースもゆっくり歩けばまず奥さんからのクレームにならない。その後余裕があった

剣山山頂に登ればいい、そう考え随分と気を遣った計画となった。(今回は必要以上に気を遣う)

 

 

トラバース道の両側には黄色やオレンジ色の彩の中を歩く。ピークは少し過ぎた感じで、足元にはけっこう落ち

葉が積もっていた。ここ数日強い風が吹いたのか、そう言えば見ノ越に来る途中の国道の路面にも杉の枝葉がけ

っこう落ちていた。

 

 

 

すると後ろから来た外人さんのご夫婦に声をかけられた。手元にスマホを持っていたので、二人の写真を撮って

もらいたいのかと思ってシャッターを押すジェスチャーをすると『ノンノン』と言って手元のスマホを指さした。

そのスマホをよく見ると奥さんのスマホだった。『オーサンキュー・サンキュー』(この英語は喋れた)と言っ

て奥さんに手渡すと驚きながら『サンキュー・ベリー・マッチ』と中学生で習った英語で奥さんもお礼を言った。

 

そこからしばらく歩いて東屋の休憩所のある場所まで来ると、先ほどの外人さんの夫婦が道標の前で立ち止まっ

ていた。道が右と左に分かれ道標には右手の道が『山頂』と書かれていた。その山頂と書かれた道標を指さし

『エクスキューズミー』と話しかけてきたので、どうやら二手になった道のどちらに行けばいいのかを迷ってい

るのだと思って、二つの道がその先で合流するジェスチャーをしてあげると、ご主人が『OK!』と言ってにっこ

りした。(英語をしゃべれなくても意外と通じるもんだ)

そのご夫婦とは分かれ、等高線に沿うようにして曲線を描きながら歩いて行くと目線の先に次郎笈が姿を現した。

 

 

相変わらず空は曇り空だが贅沢は言ってられない。緩やかに高度を上げていくこのルートを選んで正解だった。

奥さんも顔は赤らんでいたが、さほど苦し気でもなく歩いている。

 

 

 

時々ハッとするくらい鮮やかなダケカンバや楓の色に二人で『オ~~!』と声をあげる。

普段ここまでの彩を見ることのない奥さんは、度々立ち止まってはスマホで写真を撮っている。

 

 

 

二度見の展望所まで来ると剣山と次郎笈との鞍部の北面の紅葉が目に入る。やはり少し色落ちした雰囲気だが、

それでもこの角度から初めて見る次郎笈の姿に奥さんは感心した様子だ。

ただ稜線の美しい笹原はササコナフキツノアブラムシのせいで、結構な広さが枯死して色が変わっている。

 

 

剣山山頂と次郎笈への分岐からはこのルート一番の景観。次郎笈のどっしりとした山容を正面に、その鞍部へと

続く稜線上に、まるで絵に描いたようなきれいな一本線の登山道が続いて行く。

 

 

 

次郎笈峠まで少しだけ登ると後は丸石方面へのトラバース道。峠で一息入れているとほとんどの人が山頂目指し

て登って行く。そんな中二人だけトラバース道へと進んで行く。

 

 

裏次郎のビューポイントへ行く途中にある一本楓は、日曜日にKyoさんが歩いた時には鮮やかな色で待ち構えて

いたのに、残念ながら今日はもうほとんど散ってしまっていた。

代わりにすぐ上の小さな楓の木には色づいた葉が残っていたので、今日の一本楓はこちらで!

 

 

とはいえ道のあちらこちらで一本楓は見つけることができる。

 

 

トラバース道を次郎笈の西側まで回り込み、その先の小さなピークから振り返ると裏次郎のビューポイントにな

る。こちらもKyoさんが載せていた写真を見るとやはり色落ちした雰囲気だったが、それを知らない奥さんにと

ってはこれでも大絶賛!これで『もう山には登らない!』と言った記憶は消え去り、季節によっては甘い言葉で

お誘いすると喜んで付いてきてくれそうだ。

 

 

 

 

 

裏次郎で錦秋を堪能した後はトラバース道を折り返して戻って行く。

トラバース道から見える次郎笈の北斜面にも、ササコナフキツノアブラムシによる被害で小さなサークルになっ

た色違いの笹が目立つ。

途中で見ノ越の駐車場で見かけた外人さんの団体とすれ違う。すれ違いざまには『コンニチワ』と、片言の日本

語で笑顔で挨拶してくれた。

 

 

次郎笈峠まで来ると反対側の剣山の西側がさらにひどく、広い範囲で笹が枯死しているように見えた。

ササコナフキツノアブラムシは降水量が少ない年に異常繁殖すると云われているが、確かにこの夏は雨も少なく

気温が高かった。ただ気温が低下すると死滅すると云われているので、来年は繁殖せずに美しい緑一面の笹原を

見られることを期待したい。

 

 

 

次郎笈峠から朝歩いてきた分岐まで戻ってきた。お昼を前に剣山からは次郎笈へと向かう人たちが次々と降りて

来ている。取りあえず奥さんに『どうする山頂まで登る?』と聞いてみると、登ると返事。

ただこのあと分岐から山頂まで、奥さんは何十回立ち止まっただろう。その度『大丈夫?』と声をかけるとが、

『とにかく息がきれる』と言う。やはり普段から歩き慣れていないと、これくらいの傾斜でも息が切れるらしい。

本人曰く『自分は呼吸が浅いので』と言っている。

次郎笈峠で11時30分だったので、山頂までは30分くらいでちょうどお昼には着くかなと予想したが、おそ

らくそんな時間ではつかないと諦め、ただただ励ますことに。

ここでしんどさだけが残ってしまうと、せっかく裏次郎までで気分良く歩いていたのが、また『二度と山には登

らん』と言いかねない。

 

 

 

時間も気になったがそれよりも空模様が気になり始めた。南からは怪しげな重たそうな雲が流れて来ていた。

せっかく山頂まで登って、景色のいい西のテラスでのお昼ご飯の計画も台無しになる。

何度も何度も足を止める奥さんを励ましながら何とか山頂に着いた。

山頂での記念撮影を終えて、予定通り西のテラスで久しぶりに持ってきたコンロを出して、カップラーメンのお

湯を沸かそうとすると、コンロの着火の火花が散らない。何度やってもダメなので、ザックの中を探してみるも

ライターも見当たらない。(禁煙する前はライターはいくつも持ってきていたのに・・・・。)

 

 

 

仕方がないので山荘まで移動してお昼ご飯に半田そうめんを頂くことにした。

風の強いテラスから暖かい山荘の中で腰を下ろして、半田そうめんの温かい出汁をを飲みながら奥さんが、『美

味しいね』言うので、先ほどの失敗を埋めるかのように『こっちが正解やったな』と言い訳をする。

 

 

 

半田そうめんを食べ終える頃また外人さんの団体が入ってきた。そうめんをすすりながら団体さんの話を聞いて

いると、どうやらフランス語の様だ。英語もまともにわからない二人にはちんぷんかんぷん!

カウンター越しに注文している様子を見ていると、山荘の人も少し苦戦をしている様子だった。それにしても今

日は何人の外人さんにあっただろう。しかも青い目をした人ばかりだ。

前回登った石鎚山でも思ったが、剣山へもインバウンドの波が押し寄せてるみたいだ。

半田そうめんを食べ終え外に出ると、山荘の前からは北側に雲海が広がっていた。青空こそ見られなかったが、

今日はこの雲海を見られた事で天気は及第点としよう。

 

 

雲海を眺めた後西島駅へと降りていく。階段状になった登山道は歩くペースこそ落ちたが、奥さんには天円山

ような怖さは無いようだった。時間的にはまだ13時過ぎ、下からは登ってくる人の姿が多くみられる。その中

にはやはり外人さん。日本人とは比べもにならないくらい大きなお腹を抱えて汗だくで息を切らせて登っていた。

 

 

 

途中登山口の北東に見えた景色。錦の鮮やかなグラデーションの山肌の奥に、雲海に浮かぶ墨絵のような峰々が

続いている。そして頭の上にも最後の色づきを見せてくれる楓の木。

 

 

 

西島駅まで降りてくると、次郎笈のトラバース道ですれ違った外人さんの団体が、二度見の展望台の方から降り

てきた。それにしても今日はアジア系の外人さんにはほとんど会わなかった。

西島駅から取りあえずどうするか考えたが、奥さんも膝の調子は良くなく、下りの時間はここまでよりは長くな

るので安全策でリフトを使うことにする。

 

 

見ノ越からの帰り道。夫婦池を過ぎた辺りで見慣れた二人組が歩いていた。そう朝会った奥様たちだった。

丸笹から赤帽子山の手前で南に下りて国道へ歩いて、見ノ越そして塔ノ丸の登山口までの線を繋ぐ為に最後歩い

ているとの事だった。

 

奥様たちと分かれて、時間も早かったので寄り道しながら帰る。途中にある葛籠堂のある辺りは、貞光から見ノ

越までの間の最後の集落になる。先週歩いた寺地の集落跡でも見かけたお堂だが、この葛籠堂は道路の横にある

のを通るたびに見かけていたのでせっかくなので写真を撮ってみた。この辺りのお堂は三方が開けたシンプルな

構造だが、その割には屋根はとてもきれいな金属板に葺き替えられていて、地元の人に大切にされているのが伺

える。葛籠堂の道を挟んだ上には『剣山登山・葛籠道入口』と書かれた道標が立っている。今は歩く人もほとん

どなく使われていない道だが、葛籠堂の横には四十丁の丁石が建っているということは、登山以前に信仰の道だ

ったのだろう。

 

 

写真を撮っていると車を停めたすぐ横に停まっていたコミュティーバスの運転手さんが声をかけてきた。

『この奥に葛籠のヒノキがあるから見に行ってごらん!』と言うのだ。

せっかくなので教えてもらった奥の道に車を走らせると、天然記念物と書かれた案内の柱が建つ奥に、四方八方

に枝を広げた大きなヒノキがあった。葛籠堂の横には案内板があったのをいつも見ていたが、寄道してまで決し

て見に立ち寄ることはなかったが、やはり地元の人を話をすると時間をとって見てみようという気になる。

そのヒノキの守り人だろうか、すぐ下にある民家の穀物を干すためのハデの間からは、さらに奥の民家が見えた。

 

まだそれでも時間があったので少し離れた温泉に立ち寄り、ついでに夕食を温泉の食堂で食べる。

特大の海老天丼は今日の歩行距離では絶対カロリーオーバーやな、と思いながら家路に。

 

平野部ではなかなか目にすることのない色とりどりの鮮やかな山の紅葉。そして最後は温泉と、これで奥さん

の『山は嫌な所』という汚名を幾分かは返上できた有意義な(笑)一日だった。


やっと片側だけは肩の荷が・・・・!

2024年10月20日 | 雑記

性格的にどうだろう、なんて思っていた娘がやっと片付きました。

 

結婚式も披露宴もどうだかね~なんて思っていたけど、二人にとっては

大切な思い出の時間。結果やっぱり良かった・・・!

 

両親への手紙で何とか涙腺崩壊にならずに危ないアブナイ。

あと一人残っているけど、いつまでも兄弟仲良く。

 

 

新郎さんどうぞよろしくお願いします!


いっちゅうは・・・『一字』でなく『一宇』と書くのだ!

2024年10月14日 | 四国の山

 

剣山に始めて登ったのはもう四半世紀以上も前になる。登山口となる見ノ越へのルートの国道438号線も昔に

比べると少し道が広がった場所もあって、多少は走りやすくなった気がする。

通い慣れた見ノ越までの途中通過する一宇。つるぎ町に合併する前は一宇村と呼ばれ、最盛期には8000人近

くの人口で商店街もそれなりに賑わっていたようだ。

その一宇の中心市街地の古見から見上げる山一面に展開する大宗と赤松の集落は、おそらく国内でも最大規模の

山岳集落になるといわれている。

前回塔ノ丸を歩いた帰りに時間があったので車を走らせてみた。その時に少し調べていて目に付いたのが、集落

のさらに上にある『宇峠』だった。『宇峠・・・・宇?』ということは麓は当然『一宇』。なぜそう思ったのか。

そう、一宇はいままでずっと『一字』と書くと思っていたから・・・・。ブログにも度々『一字』と書いてきた

ので目からウロコだった。(地図にも道路標識にも一宇と書いてあるのに、思い込みとは恐ろしいもんだ)

それは徳島の親戚のおじさんがイチウのことを『いっちゅう』と言っていたので、わたしも昔から『いっちゅう、

いっちゅう』と言っていた。最初から『イチウ』と言っていたなら間違いは起こらなかったのに、思い込みで単

純に『一字』と書いてしまっていた。結果情けない事に数十年ぶりに誤字に気が付いてしまった。

 

 

その誤字に気づかせてくれた『宇峠』を今回訪ねてきた。ついでに西側にある焼堂峠から志貴岳を歩いて周回し

てみることに。このルートは2010年にこもれびさんがお二人で歩いている。そのレポートを参考にしたのだが、

こもれびさんのレポートにはトラックの記録が載っていない、その上地形図には全く破線が載っていないルート

だったので、とにかくレポートの写真と文章を頭に入れてスタートした。

廃屋となった民家の周りは萱で取り囲まれ、ススキの穂が朝の光に輝いていた。

 

 

スタート地点は集落の最上部に近い赤松にある聖午王神社の少し下のカーブになった場所。カーブの奥からは西

にコンクリート道が続いていた。

 

 

 

コンクリート道が途切れると道の脇に運搬用のモノレールのレールが続いていた。スタートした場所に車が停ま

っていたのと、コンクリート道が荒れていない、さらには谷筋に架けられた丸太の橋が新しかった事から、この

先にはまだ住んでいる民家がある。そう思いながら歩くと予想通り、外周りを獣除けの高いネットでぐるっと囲

った民家があった。その民家の庭先の一段下、ネットの外側を通ってさらに奥へと進んで行く。

 

 

最終民家でモノレールは途切れたかのように見えたが、まだまだ先どこまで続くのだろうと思うくらい延々とレ

ールは続いていた。途中で薄暗い林の中に不似合いな大きな案内板が立っていた。スタート地点にもあった同じ

案内板が立っていたが、その『ウラジロの木』と書かれた案内板の上手に、日本最大といわれるウラジロの木

その根元にお地蔵さんを祭った祠があった。ただもともとウラジロの木は他の木に比べて大きくはないのか、日

本最大にしては迫力にかけていた。

 

 

 

ウラジロの木からもさらにモノレールのレールは続いている。ただ途中で途切れたヶ所が何カ所もあって、この

先にあるだろう民家には人の気配が感じられなかった。

すると陽の届かぬ暗い林の中、前方から歩いてくる人の姿が・・・。一瞬びっくりしたがすれ違いざまに少し話

しをすると、やはり住人ではなくスタート地点に停まっていた二台の内の一台の車の持ち主のようだった。

『峠まで行かれたんですか?』と尋ねると『そこまでは行かずに引き返してきた』という。持ち物にはカメラの

バックのようなものを抱えている。あまり話をする雰囲気でもなかったので、ひょっとすると廃屋マニア(そん

なマニアがいるのかは?)かな、なんて思いながら別れた。

 

 

 

杉林の影の向こうの明るい日差しの中に赤い屋根が見えた。『ん、民家かな?』と思い谷筋を回り込むようにし

てさらに進んで行くと、畑地の跡なのか石垣が現れた。さっき見えた集落が近いそう思っていると道の下手に土

壁の納屋らしき建物。この辺りの畑の農作業で使われていた建物だろう。

 

 

 

道の端には排水用だろうか、側溝らしき蓋が続いている。すると日陰から明るくなった先にお堂が見えた。

見ノ越に行く途中でも集落には同じようなお堂が建っている。三方が開けたお堂には何の神様が祭られているの

だろうか?お堂があるということはこの先に集落があるという事。

 

 

スタート地点にも掛けられていた張り紙。書かれているルールを守れない人が多くいるのか。それでも立ち入り

禁止とは書かずに、『ルールを守って楽しみましょう』とは、優しい言葉だ。

 

お堂の先は急に開けて目の前が明るくなった。どうやら地形図にも載っている『寺地』の集落の様だ。

開けた場所からは南から南西にかけての山々が見える。相変わらず次郎笈の頭には雲がかかっている。少し視線

を右に振ると秋葉山から津志岳に続く稜線が見える。

 

 

先ほど谷筋の反対側から見えたのはこの赤い屋根だった。平成10年にこもれびさんが訪れた際に、すでにこの

集落には住人はいなかった。廃屋の周りは畑はシダが伸び放題で、あと何年もすればこの建物も朽ちて草木に埋

もれて杜に帰ることだろう。

 

 

 

 

航空写真で見るとたしかにこの場所は開けて集落を形成している。しかも赤松の集落よりもさらに標高の高い場

所にある。こんな場所に住む人たちはどんな生活をしていたのだろう、そして何で生計を立てていたのだろうか。

ただその昔に開墾して広げたこの場所も、もうすでに緑の中に埋もれつつあって、その当時の暮らしぶりを垣間

見ることはできない。

地形図ではこの集落のさらに西に、麓から焼堂峠に続く破線が載っている。まずはその破線に向かって歩いて

行くが、次第に道は不明瞭になって行く。倒木や石で荒れた掘割のような道らしき道を、ルートは合っているの

か不安になりながら進んで行くと、小さな谷筋に古い丸太の橋が架かっていた。おそらく焼堂峠への破線へと続

く道だと確信。

 

 

 

さらに先では道が二手に分かれていた。左側の道は明瞭だったがとにかくずっと下って行く様子。それならと右

側の少し荒れた踏み跡を登ってみるが、これが間違いだと気づいたのは結構登ってしまってからだった。

何となく道らしい踏み跡を辿って登って行くが、とにかく急登。積もった落ち葉に足を滑らさないように、登っ

て行けば尾根には出るだろう、そう思いながら登る事20分ほどでやっと尾根らしき場所に青空が見えた。

 

 

 

尾根に出ると一旦焼堂峠に引き返すようになる。稜線上をとにかく辿って西に向かって歩いて行く。途中怪しげ

な間違えそうな場所もあったが、尾根を外さないようにして進んで行く。

 

 

 

すると尾根の北側の窪地のような場所にブリキでできた祠があった。中にはお地蔵さんが二体。

峠ということで祠の北側を覗いてみると、麓に続く道らしきものが見えたが南側はと言うと、尾根の南は広尾根

になっていて少しうろついてみるが、地形図に載っている破線の道は確認できなかった。

 

 

 

 

 

お地蔵さんに手を合わせた後、引き返して今度は尾根を東へと歩いて行く。すると先ほど寺地からむりやり登っ

てきた場所に見覚えのある杭があり、その先で道は二手に分かれていた。左側は下り坂になっていたので、その

まま尾根を登って行く。地表が洗われ木の根が露出している。

 

 

途中けっこうな急登もあるが稜線上は南から涼しい風が吹いてきて、割と気持ちよく歩いて行ける。

地形図にのっている1000mの標高点の場所には木の幹に黄色と赤色のテープが巻かれていた。見当たらない

石柱の代わりの目印だろうか。

 

 

このルートで何度か見かけた『地すべり指定年月日』が書かれた大きな支柱。でもその60年以上前の指定日を

書いただけの支柱を立てて、なにか意味があるのだろうか?大きく両手を広げたような赤松が印象的だ。

 

 

何度かのアップダウンをした後、スタートから2時間30分弱で志貴岳に着いた。三等三角点 三頭 1073.4m

三角点の北側には阿讃山脈とその南に流れる吉野川、そして貞光の街並みが見えた。尾根の下の木々も少し色づ

き始めている。南側も開けているが木々が伸びてあまり景色は見えない。松の木の枝と枝の間に塔ノ丸の笹原は

確認できた。

 

 

 

 

ここで朝食べた菓子パンの残り半分を口に入れる。三角点でREIKOさんがいつも撮っている写真のマネをし

てストックと一緒に写してみる。

 

 

 

ここからは一旦東の小ピークを目指す。そのピークの手前で踏み跡らしき跡がトラバースしていたので、ここで

いつもの悪い癖がでてしまい、楽をしようとトラバースして行くが、結局これも間違っていて、小ピークへ急登

を登る羽目になる。その小ピークからは北東に支尾根が猿飼の集落に向かって続いていて急坂にトラロープがか

かっていた。その途中から今度は南東に宇峠へ進まなければならない。地形図には破線はなく、ルート図もない

状態がこれほど不安だとは思ってもみなかった。(地形図の等高線が少し複雑になっていたので)

 

 

分岐になった場所では右に道らしき踏み跡があったので、半信半疑で下って行くと道は明瞭になり、トラロープ

もかかっていたので、宇峠への道に間違いないと一安心。

 

 

さらに下って行くと目の前に大きな木(何の木だろう?)。太い幹がえぐられたようになっていて、くねった枝

が垂れ下がり、何だか痛々しい。どうやらここが宇峠の様だが、皆さんのレポートに出てくる祠が見当たらない。

すると『宇峠』と書かれた道標の後ろに朽ち果て廃材のようになった阿弥陀堂の跡が確認できた。

 

 

 

皆さんのレポートにはまだ立派な阿弥陀堂が写っていたのに、十年以上経過するとここまで朽ち果ててしまうの

だろうか?その近くにも二つほど何かの跡だろうか、廃材が転がっていた。

 

 

宇峠と書かれた道標と皆さんの写真で見た、庚申塔と地蔵でやはりここが峠だと分かった。

 

 

 

 

阿弥陀堂(跡)と石仏の数からいって昔はけっこうな人の行き来があったように思うが、一宇村と貞光・半田

結んだ峠も阿弥陀堂が朽ち石仏が傾きかけた寂しげな場所になり、今その昔を偲ぶすべはない。

 

 

 

石仏の前から谷筋へと下って行く。このルートは珍しくほとんどテープがない。谷筋の左岸を踏み跡を辿って

等三角点 赤松 725.4mに向かって下って行く。

 

 

 

最初は涸れていた沢も、下まで来るとチョロチョロと水が流れ始め、途中からは給水の管が集落に向かって続い

ていく。

 

 

すると畑地の跡の石垣が道の左手に現れた。畑跡の中に立つ杉の木の大きさからして、耕作しなくなってもう何

十年にもなるのだろう。

 

 

畑跡を見ながら進んで行くと萱原に飛び出した。ただその先には大きな屋根が見える。寺地の集落では廃屋の周

りはシダで囲まれていたが、ここでは背の高い萱に囲まれている。その萱をかき分けながら進んで行くと廃屋の

軒先に出た。たしかこもれびさんがスタートしてこちらに歩いてきてあった民家だ。その時は住人のおじいさん

にたしか道を尋ねていたが、今は・・・・。

 

 

赤松の集落から続く林道の突き当りにある4・5軒ほどの民家はどこも今は住む人の姿はなく廃屋となっていた。

 

 

 

 

その当時も住人の人たちが眺めていただろう景色は今も変わらず青空の下に広がっている。当時は畑で何を作っ

ていたのだろうか?畑に立つ大木の奥にやっと頭を出した次郎笈。その大木の前の畑も今は萱原となってしまっ

ている。

 

 

 

最終民家から舗装路を車を停めた場所まで下って行く。途中のブロックで囲まれた中は墓じまいを済ませていた。

それを眺めながら、子供たちが県外に出てしまった今他人ごとではないな~と思う。

にし阿波に点在する傾斜地にある集落は200ヶ所近くあるといわれている。その集落も今は住人の高齢化が進み

ほとんどの集落では廃屋が多くみられる。

災害が少なく温暖な平野部で暮らしてきた私たちには、なぜそこに?という疑問が湧いてくるが、これから少し

づつ山歩きを兼ねて色々な場所にある残された集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 

帰りにまた一宇の中学校跡を訪ねてみた。そこは中学校と古見の小学校と幼稚園にもなっていた。地上5階建て

の大きな校舎の横には、また大きな体育館。廃校になる前の子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうだった。

 

 

 

そしてお昼を過ぎてお腹が空いているのを我慢して、今まで一度は寄ってみたいと思った貞光にあるお店でお昼

に。愛想のいいおばあちゃんの応対にほっこりしながら美味しいハンバーグカレーを頂いて帰った。


四国の紅葉は石鎚山から・・・・でもね。

2024年10月11日 | 四国の山

 

 

『今年は彼岸花全然見ないね~』とうちの奥さんと話をしていたら、ここ最近気温が少し

下がり始めて、急にあちらこちらの田んぼの畔で目に付くようになった。

やはり今年の夏はかなりの猛暑だったようで、季節の花も咲く時期がずれてしまっている。

そのせいか10月に入っても今度は紅葉の便りが聞こえてこない。いつもなら石鎚山の紅

葉が10月に入って直ぐにWeb上で目に付くようになるのに・・・・。

そうこの時期はやはり石鎚山の東稜コースを登って南尖峰の色づいた岩肌、そして墓場尾

根、最後は弥山からの天狗岳の彩を見てみたい。

ただ来週は事情があって遠出ができない。その次の週になるとさすがに山頂近くの紅葉は

もう終わっているだろう。そう思って少し早いかもしれないが出かけてみることにした。

あっちゃんには『紅葉はまだかもしれませんが、どうしますか?』と連絡したら、『いい

わよ今回の目的はリベンジだから!』と返事が返ってきた。

そうあっちゃんは前々から、昨年自力で登れなかった南尖峰への最後の岩をロープを使わ

ずに登りたいと言っていたのだ。

『それなら今回はリベンジということで』と今回は紅葉の様子は気にせず出かけてきた。

 

平野部では青空が広がっていたが山間部に入るにつれて少しづつ雲がかかり始めた。UF

Oラインでも周りは薄曇りで、子持ち権現の辺りでは青空が見えて期待感が高まったが、

土小屋に着くと周りは真っ白なガスがかかって、いつもは下の駐車場から見える南尖峰

それこそ雲隠れして全く見えなかった。

 

 

 

それでも天気予報では昼には晴れマークがついていたので、そのうちにと思いながら歩き

始める。駐車場は思っていたよりたくさんの車が停まっていて、これから歩き始めるとい

った感じの人の姿も多くみられた。

土小屋までの道中のアスファルトの路面もずっと濡れていたが、登山道も昨日降った雨が

まだ乾いていなくて濡れている。

途中にある細い丸太でできた木道も濡れていてとても滑りやすい。痛めた膝には転倒が一

番怖いが、それよりもあっちゃんが一昨日から腰を痛めてプチ・ギックリになっているら

しくて『足を滑らせるのが怖い!』と言いながら用心深く歩いている。

何も調子が悪いのならわざわざ出かけなくてもと思うのだが、どうしてもリベンジを果た

して今年中には後味の悪さを払拭したいらしい。

 

第一ベンチからもまだ南尖峰さんはお姿を見せてくれない。

事前にあっちゃんには『遅くまで雨が残りそうなので、足元が悪かったら辛い東稜コース

を登るのはやめて、一般道を歩いて弥山まで行ってそこから南尖峰へ。目的の岩を一旦降

りて登り返すという手立てはどうですか?』と話をしていたが、その肝心の南尖峰が見え

ないのではテンションもイマイチ上がってこない。

 

 

 

 

濡れた丸太の木道も危ういが、濡れた岩も油断大敵。まぁ今日はポンコツ二人、ゆっくり

歩いて行きましょう。

 

第一ベンチまでは鶴ノ子ノ頭の北側を巻くようにして続く道だったが、第一ベンチを過ぎ

ると今度は稜線の南側に続く道になり、南の景色が広がってくる。

頭の上には相変わらずガスが重たくのしかかっていたが、南に見える峰々の上には青空が

広がっているので、まだ望みは捨てきれずにいる。

 

 

 

東稜コースの起点となる第三ベンチには見慣れない看板が立っていた。自然保護の注意喚

起の看板だったが、日本語の看板の横には同じ内容の英語で書かれた看板が立てられてい

た。(もちろん英語は読めるわけではないですが)

 

第三ベンチからは先は天狗岳の北壁の下部を回り込みようにして道が続いて行く。

垂直に近くそそり立つ天狗岳の北壁。谷筋には崩れた大きな岩が転がっている。そのせい

か落石注意の看板も立っている。

 

 

 

土小屋から1時間50分ほどで二ノ鎖元小屋に着いた。

後ろから男女が混じった若者のグループが楽しそうに登ってきた。その中に一人だけ年配

の男性が息を切らせて大変そうにしていた。部活動の団体?と思ったが、あとから三ノ鎖

の上で声をかけて尋ねてみると、会社の同僚と年配の人は上司との事だった。なかなかい

い会社じゃないですか~!

 

 

二ノ鎖元からはスチールの階段が始まる。いつもなら鎖場を登って行くあっちゃんも、今

日のこの天気で濡れた足元の上に腰痛では『行きます!』とは言わなかった。

 

 

 

弥山に着いてすぐ山荘にいるさおりんを訪ねた。天気の様子を尋ねたら『朝はいい感じで

晴れていたのに、今日は北側が晴れてこないと難しそう』と教えてくれた。

それでは『南尖峰まで行って戻ってきてからお昼ご飯をいただきます』と言って山荘を出

た。弥山の広場では腰を下ろして休んでいる人が大勢いたが、やはり天狗岳は薄くそれら

しい形が見える程度だった。

天狗岳への取り付きの手前では『どうしようか・・・』と話し合っている人の姿があった。

それもそのはず、真っ白なガスを吹き上げて北壁から突風がものすごい音をたてて舞い上

がっている。まともにその風を受けたら飛ばされそうなくらいの風で、一瞬恐怖すら感じ

るほどだった。それでも一組だけ取り付きの鎖を降りて行く人がいたので後に続いて我々

も降りて行く。

 

 

 

 

いつもなら前にも後ろにも行列ができ、離合するのに時間がかかったりするのだが、今日

はすれ違う人はほとんどいなくて、すれ違う人がいると『ゆっくりでいいですよ、気を付

けて安全に!』と声をかけあう。

ガスのせいで周りの雰囲気は皆目だが、稜線上の木々はけっこう色づいている。

あっちゃんも恐怖心からなのか腰の痛みからなのか笑顔が引きつっている。

 

 

 

途中でGOPROで動画を撮っているペアとすれ違った。『どちらからですか?』と尋ねると、

『東稜コースを登ってきました』と女性が答えてくれた。『笹滝は大変だったでしょう』

と言うと『もうずぶ濡れでした』と。

後日KINチャンネルさんにはその時の様子の動画がアップされていた。(18分57秒辺り)

 

南尖峰でも吹き上げてくる風は強かった。目印の取り付きに立つ白骨林から下を覗き込む。

その白骨林に安全のために一応ロープをかけて、もう一段下の白骨林まで降りて行く。

後ろからあっちゃんが降りてロープを回収。二つ目の白骨林にまたロープをかけ、まずは

左の(下から見ると右側)斜めの割れ目へと降りて行く。

そこから登り返しで登って行くのだが、けっこうな人が中央からではなくこの右側から登

っているけど、手のかかり足の置き場所を少し考える。リーチがあれば全く問題ないが、

後から来たあっちゃんは『体の大きさが違うから!』と文句を言いながら少し苦戦をして

いた。

 

 

 

それでも問題なく登ってまた二人で一旦降りて、今日のリベンジの目的の中央部へ。

昨年は中央の割れ目の足元が悪くて、右斜め上の岩の割れ目に手が届かずに身体を持ち上

げられなかった。でも今日は足元が埋まってきたのか段差ができて、右手を岩に引掛ける

ことができ、硬い身体を持ち上げることができた。一段上がればあとはスイスイ、ロープ

に頼ることもなく『あれ~こんなに簡単だったんだ』

 

 

 

 

もちろんあっちゃんも右側よりも案外簡単に登ってきた。少し拍子抜けしたが二人でハイ

タッチをしてリベンジ達成を喜んだ。

目標達成した途端に奥様が『お腹が空いた~』と騒ぎ始めたので、さおりんのいる山荘へ

と折り返していく。

それにしても東稜コースを登ってきたわけでもなく、この南尖峰の最後の岩だけを登りに

しかも降りては登るを2回繰り返すという物好きな人はいないだろうなと二人で話をする。

ガスがかかって北壁の高度感はまったく感じないが、やはり吹き上げてくる爆風に慎重に

歩いて行く。

 

 

 

この時期いつもなら順番待ちになる天狗岳も人っ子一人いない。

 

 

 

 

前回歩いた時にはなかったような気がするが、岩には所々で矢印がペンキでぬられている。

植生保護で立ち入り禁止になった場所に入らないように誘導しているのかな?

稜線沿いのドウダンツツジも結構色づいている。

 

 

 

天気が良ければ弥山からの天狗岳の紅葉も、そこそこきれいに見られたんじゃないかな?

なんて考えながら歩いて行く。

 

 

弥山の上には大勢の人影が見えるが、こちらに下りてくる人の姿は見られない。

やはりこの強風では危うさを感じているのだろう。

 

 

 

 

山荘ではさおりんが天狗岳カレーを取り置きしてくれていた。そのカレーを頂く前に、

念願のリベンジ達成を二人で乾杯をする。

普段はおにぎりかインスタントラーメンくらいしか食べない小食には、このカレーとクロ

ワッサンは少々多すぎた。さおりんとあっちゃんと三人で山の話をしながら何とか完食で

きたが、お腹周りの浮き輪がまたひと回り膨らんできた。

 

 

 

 

満腹のお腹を抱えながら山荘を出ると『まだ練習中なの』と言いながら、さおりんと山荘

のメンバーが『出陣式』のほら貝を吹いてくれた。その野太い音を背に受けながら山荘を

あとにする。

 

 

まだ乾ききらぬ丸太の階段や木道を滑らないように必要以上に注意しながら降りて行く。

二ノ鎖元まで降りてくると一人の年配の男性が休んでいた。少し話をすると足が攣って休

んでいるとの事。心配したが今日は山頂の山荘に泊まるとの事なので『お気をつけて』と

言って別れた。毛糸の帽子を被った天狗さんが可愛らしい。

 

 

 

結局天気予報に反して最後まで晴れることはなかったが、北側に少し日が差す瞬間もあっ

た。いつもなら特急列車でスピードを出して降りて行く奥様も、今日はさすがにゆっくり

としたペースで降りている。そのおかげで道の脇や周りの景色がよく見える。

ハチクを大きくしたような木に、赤くなったツタが絡んでいる。

 

 

 

道には黄色や赤の落ち葉が散っているが、登山道の本格的な紅葉はもう少し先だろう。

 

 

 

土小屋をスタートして6時間強で戻ってきた。天狗岳の紅葉は恐らくこの週末が見ごろだ

ろう。その時はこの駐車場には停めきれない車が路肩にも溢れているだろう。

リベンジが目的で紅葉は二の次といったものの、やはり弥山から真っ赤に染まった天狗岳

を眺めて見たかったと欲が出てきたのだった。

いつになく対向車の少ない瓶ケ森林道を車を走らせ帰路についた。