KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『バリ山行』ともうひとつの石門

2024年11月22日 | 香川の里山

少し前になるが小説『バリ山行』が第171回芥川賞を受賞した。『バリ』とは『バリエーションルート』の略

で、正規の登山道以外のルートを使って山を登ることの略称だそうだ。山岳小説にしては舞台は六甲山という身

近な場所。その六甲山で『バリ山行』が繰り広げられるのだが、読んでみてそのバリエーションルートに少し違

和感を感じたのは私だけだろうか。

もちろん私もバリエーションルートと云われるルートを歩くこともあるし、藪コキをする事もあるけれど、藪コ

キなどは大抵が道を外れてしまっての時が多く、この小説に出てくる妻鹿のように、わざわざ藪を選んで歩くこ

とはほとんどない。それがバリエーションルートに当たるのかも疑問が残ったが、今回はそんな『バリ山行』を

奥様たちとやってみた。

 

小豆島の寒霞渓には『表十二景』『裏八景』の風光明媚な奇岩を眺めながらの登山道があり、大抵はこの登山

道を使ってその先の小豆島最高峰の星ケ城を往復するのが一般的だけれど、その『裏八景』の西側の尾根を登る

『馬の背』と呼ばれているバリエーションルートがあることを、昨年エントツ山さんのHPで初めて知った。

丁度昨年のこの時期にモミジ狩りを兼ねて、偶然池田町のフェリ―乗り場で出くわしたセニョさんあっちゃん

の三人で『馬の背を』登って、星ケ城まで歩いて『裏八景』を下って、最後に小豆島18番霊場の『石門洞』

石門を見て帰った。

 

今回もそろそろ寒霞渓の紅葉も見ごろだろうを思って、奥様たちを誘ってみた。そして『自己責任で!』と書い

て案内。今回は昨年一緒に歩いていないルリちゃんも参加したいと言うので、『馬の背』は一般的な登山道を外

して歩くのだから、当然何かあったときは『自己責任』でとして参加してもらった。

ただ昨年と同じような行程で歩いても芸がないので、セニョさんがその後独りで登った、馬の背の途中から西に

ある『玉筍峯』に寄道。その後ロープウェイ山頂駅まで登って、県道を歩いて『四方指』へ。そこから南に下っ

て、偶然以前にその存在を知った『もうひとつの石門』、通称『西の石門』を訪ねて見ることにした。

 

昨年と同様に池田港行の6時50分発のフェリーに乗る。但し駐車場はサンポート地下駐車場ではなく、少し離

れた大的場の青空駐車場を選んだ。というのも昨年あっちゃんは巨大な迷路のような地下駐車場で出口が分から

ず、馬の背の岩場よりも恐怖を感じたそうなので、分かりやすい青空駐車場にした。

サンポート周辺は新しくアリーナやホテルが建設されていて開発がどんどん進められていた。

 

 

 

池田港行のフェリーの第十一こくさい丸は『ぞうさん』が船のあちらこちらに象られていた。

出向後しばらくしてデッキに上がると、ちょうど東の空からお日様が昇ってきた。

 

 

池田港からロープウェイ乗り場になる紅雲亭行のバスはおおよそ30分待ちでほぼ満員で出発。

今日の登山口となる猪谷バス停で下車すると、我々以外も数組が降りてきた。裏八景からスタートして表十二

に降りる人はあまりいないので、皆さん馬の背を登るんだろうな~と思いながら歩き始める。

 

 

裏八景の登山道から馬の背の尾根への距離が短そうなところを適当に見計らって取り付く。滑りやすい斜面をひ

と登りすると尾根に出た。尾根からは西に寒霞渓から続く岩壁、そしてここから見ると『果たしてあんな所、登

れるんだろうか?』と思うような、これから登る玉筍峯が険しくそびえ立って見えた。

 

 

 

しばらくは黄葉の木々の下を歩いて行く。寒霞渓は、約1300万年前の火山活動によってできた安山岩層や火山角

礫岩層などの岩塊が、長い年月の地殻変動や風化と侵食によって多種多様の奇岩と崖地が絶景を創りあげた渓谷。

その岩肌はモルタルで固められたように固く、露出している岩も握ったり足をかけたりしてもビクともしなくて、

安心感があり、足掛かり手掛かりがあって登りやすい。

振り向いて後ろから登ってくる奥様たちの奥には、猪谷池内海ダムの向こうに草壁の街並みが見えた。

 

 

 

普通、花崗岩の岩場だと表面がザレたり握った岩がポロっと取れたリするけど、ここの表面は固くてほんと安定

感がある。そのせいか初めて歩くルリちゃんも結構登れてきている。

植生はというとそれはどこも一緒なようで、岩尾根特有のネズミサシがけっこう生えている。

 

 

 

一カ所だけあるロープ場をよじ登ると、玉筍峯随分と近づいてきた。その玉筍峯の横に広がる寒霞渓の紅葉は、

夏の暑さの厳しさが影響しているのか、今年は色がくすんでいてイマイチのような感じがする。

 

 

 

 

小さくアップダウンを繰り返しながら岩場を歩いて行く。玉筍峯の岩塊の上に月がまだ見えた。

 

 

 

岩場は固く安定しているとはいえゴツゴツと凹凸があって、逆に注意しないと足を引っかけ転倒しかねない。

前を歩くあっちゃんが立ち止まってなりやら写真を撮っている。その場所まで行ってみるとこの季節に珍しくカ

マキリが岩に張り付いていた。

 

 

 

岩尾根になってからは西側はだいたい切れ落ちているので、巻道はほとんど東側を巻いて登って行く。

それにしてもあっちゃんのスピードは落ちない。普通に登山道を歩いている感じでどんどん登って行く。そして

先に岩塊を登りきると更に高い岩に登ろうとする。

 

 

 

玉筍峯ほぼ真横の高さまで登ってきた。この辺りから見るとけっこう木々が生えていて高さもそんなになくて、

また違う岩塊に見える。

 

 

岩尾根から樹林帯に入ると、左側にロープウェイが見下ろせるこのルート一番の展望所がある。渓谷の紅葉も

稜線近くはもうピークを過ぎた感じだが、ロープウェイの周りは今が見頃といった感じだった。

 

 

 

その見晴らし台の手前に赤い色褪せた布切れと、こちらも朽ちかけたテープが木の幹に掛けてある。そのテープ

から西に向かって降りていくと玉筍峯へのルートになる。木々の中を下って行くと彩の向こうに玉筍峯らしき影

が見えた。それを見て『意外と近そう!』とあっちゃん。『いや~あれは偽ピークぽいですけど』と私。

 

 

思った通り見えた岩は玉筍峯の手前の岩。その岩塊を回り込むとまた先ほどの見晴らし台からの景色とは違った

角度からの渓谷とロープウェイ、そして山頂駅の駅舎が見えた。

 

 

玉筍峯の直下からあっちゃんは左に登りやすい場所へ。私は直登をしてみるが、これがけっこう危うかった。当

然写真を撮る余裕もなく、なんとか岩塊の頭に出た。最後は3mほどの高さを垂直に登るのだが、高さは大した

ことがなくても足元が切れ落ちていて落ちたらアウトだ。少ししてあっちゃんも登ってきたので二人で記念撮影。

あまりアップで撮るとちょっとした岩に登っているくらいにしか見えないし、少し離れて撮っても高度感はまっ

たくでない。

それでも下るときは足元が全く見えないので『注意してゆっくりね!』と声をかける。

 

 

 

 

 

今日の目的のひとつの玉筍峯をゲットした後は、分岐近くで待つルリちゃんの所へ戻って行く。待っていたルリ

ちゃんと合流した後はルートに戻って山頂駅を目指す。スタート近くの尾根の黄葉から、この辺りはオレンジや

赤の紅葉に彩が変わってきた。

 

 

一旦下って登り返していくと見覚えのある白い露岩が現れる。ここから先は樹林帯、この馬の背ルートで内海湾

草壁の町が見下ろせる最後の眺望となる。

 

 

 

白い露岩からは山頂駅にある第一展望台の岩壁直下までの急な登り。ウバメガシの木々の間を縫って、乾いた小

さな葉に足を滑らせながら登って行くと岩壁の足元に着く。

 

 

岩壁まで来るとそこからは岩壁の足元を東へと歩いて行く。途中で小さな細い滝を見ながらさらに進んで行くと、

裏八景の登山道に飛び出した。少し荒れた裏八景を登りきると山頂駐車場。トイレを済ませて公園広場の東屋で

お昼ご飯にする。

 

 

かわら投げの出来る第二展望台から見る四方指までの間の紅葉は、陽の当たり方のせいか今一つな感じがした。

ただ展望台や公園にあるモミジは日差しが当たって輝いてた。

周りでは声高らかに中国語が飛び交っていた。観光地は今やインバウンドで海外の人が大勢押しかけているが、

紅葉の季節になる京都などは、もっとにぎやかなんだろうと想像する。

 

 

 

 

 

時間は11時40分前。ここから四方指まで3.5kmの県道歩き、その後西の石門まで下って、更に予定して

いる内海ダムのバス停までタイムリミットは約3時間しかないので、のんびりとはしていられない。

途中にある鷹取展望台や、二年前の瀬戸内芸術祭のオブジェの『空の玉』を見てみてたかったが、次回に行く事

にしてどんどん歩いて行く。

 

 

寒霞渓の紅葉よりこの間の紅葉がとにかく見事だった。赤に黄色にオレンジと足元には結構散った葉が積もって

いるが、それでもまだまだ見応えがある。

 

 

 

脇道から県道に出ると、道の両側に帯のように落ち葉が積もっていた。四方頂からGoogleMapで『寒霞渓スカイ

ラインビュースポット』となっている場所までは単調な登坂が続き、あまりおしゃべりもせず黙々と歩いて行く。

 

 

 

そのビュースポットからはススキの穂の奥に内海湾そして大獄から碁石山洞雲山に続く峰々を望むことができ

た。あのあたりの山も馬の背と同じようなゴツゴツとした岩が続いていて楽しめる山だ。

眼下に見える先ほど登った玉筍峯の真っすぐ奥に見える千羽ケ嶽拇指嶽がちょこっとだけ見えている。

 

 

県道から四方指の標識にしたがって左に折れる。手前の県道沿いに比べると急に彩が増して賑やかになってきた。

時間はほぼ予定通りの1時間近くが経過しようとしていた。ここにきてズボンの下に履いている着圧のタイツの

股の部分がよれて股の付け根で擦れ始めた。途中で道の脇の木の陰で直してみるが直ぐにまたよれ始めた。

 

 

 

 

美しの高原の中にある四方指大観峰からは山と海と空をひとりじめ出来そうな大パノラマが広がっていた。

大角半島の奥の海の向こうに薄く見えているのは鳴門の辺りだろうか?反対側はには本州の赤穂辺りが見える。

 

 

 

 

 

三角点の横には三角点の標石と同じ石に彫られた説明板が建っていたが、全国にある標石のほとんどがこの小豆

島の石が使われているのだけれど、説明文は少し説明不足のように感じた。

『全国の至る所にある三角点の標石には、ほとんどが小豆島の石が使われています』と書いた方が、書かれた人

の意図が伝わる気がした。 参考文献:小豆島産の三角点・国土地理院

 

 

 

さあ残り時間は2時間。ここから西の石門まで下がって更に県道まで下っても、そこからバス停まではまだ15

分ほどかかる。14時50分紅雲亭発の便に遅れると2時間20分待つことになり、それでは帰りがけっこう遅

くなる。展望台の西側の緩やかに斜面になった所から見えたピンクのテープを目指して樹林帯へと入って行く。

このピンクのテープはこの後ずっと続いていったが、所々で見失ったりしてうろつく場面もあった。ただ基本的

には下りだと東側が岩崖地になっているので、その岩崖に沿って下って行けば間違いがない。

時間に余裕がないという事で奥様たちも、茂った木々の間を右に左に避けながらブイブイと飛ばしていく。

 

 

 

 

すると中山みちと刻まれた石の立つ場所に着いた。かつてはここが中山から草壁への峠道だったようで、多くの

人の行き来があったそうだ。その石の横には『四方指』『窓』と書かれた二つの道標が建っていた。

 

 

 

『窓』の道標に従って東に下って行く。昔の峠道の面影は残っていたが、とにかく落石によるのか、足元はゴロ

ゴロした大小さまざまな石が転がっていて歩きづらい。しかも九十九折れの道はけっこう急な坂になっている。

すると少し遠方だが下の方でズドーンと鉄砲の音がした。何度かその音が続いたところで、『私は黒い服で目立

ちにくいので、赤い服のルリちゃん先頭でお願いします!』と言って、先を譲る。

 

 

 

今は使われていない道とはいえ、これだけ石が転がっている道は初めてだ。これでは時間がないのにスピードが

まったく上がらない。それよりもいつ石を踏み外して転倒してもおかしくない。

何とかそのゴロゴロ石の急坂をやり過ごすと、また『窓』と書かれた道標と石門の注意書きを書いた紙が木の幹

に掛けられていた。

 

 

 

ここからは岩壁の足元を南に向かって歩いて行く。岩壁の岩肌は馬の背の岩尾根と同じように火山角礫岩らしく

デコボコ、ゴツゴツした岩肌になっていた。

するとそのほぼ垂直の岩壁に、ロッククライミング用のハーケンが打ち込まれ、フィックスロープが垂れ下がっ

ていた。たしかさっきの注意書きには国の許可が必要だと書いていたはず・・・・。

 

 

その岩壁の足元を抜けると樹林帯の斜面をピンクのテープを目印に登って行く。事前にみたここを歩いているY

AMAPの活動日記を見て、それほど時間はかからないと思っていたが結構時間がかかっている。

その斜面を登って行くと先に登っていたあっちゃんから声があがった。『着いたよ~!』

 

 

 

 

手前側には大きな石が転がっていたが、石門の奥は平らな場所が広がっていて、何か祭事が行われていたような

形跡もあった。大きさは東の石門より大きく見える。そしてアーチの部分も随分と分厚い。

 

 

奥の広場になった場所には、なにやら文字が刻まれた石が建っていたが解読はできない。

視力のいいルリちゃん石門の上の方にもハーケンが打ち込まれているのを見つけた。手前の岩壁ならまだしも、

許可を届け出たとしても絶対降りるはずもなく、なんという事だ。

 

 

 

広場から石門を眺めながらうろついている奥様に、『バスの時間まで残り1時間です!』と声をかける。

岩壁の足元を抜け分岐まで戻り、あとはピンクのテープに従って降りて行く。

すると割と近くでまたズドーンと鉄砲の音がした。あっちゃんがストックをたたき合わせて音をだすが、

『それよりルリちゃんが叫んだ方がいいよ』といって『お~い!』と叫んだ声が鳴り響いたら、鉄砲の

音は止まった。

 

 

途中でYAMAPの活動日記で参考にした人のルートとは違っているのに気が付いたが、尾根にはテープは続い

ていたのでそのまま超特急で下って行く。

途中から分岐までのゴロゴロ石の道に比べると随分歩きやすい道になり、ますますスピードが上がって行く奥様

たち。その後ろで下りが続いてそろそろ膝が痛み始めたへっぽこリーダーはどんどん離されていく。

 

 

尾根道から地形図に載っている破線の道に飛び出し、そのまま下って行くと40分ほどで、こちら側からの取り

付きとなる元うどん屋の横に飛び出した。すると期間は終わっているが『シカ駆除』の注意書きがあった。

 

 

 

県道から内海ダムまで下って行く。時間的に余裕が出てきたので管理事務所に寄って『ダムカード』をもらう。

 

 

 

さっきまでは下り坂で膝の痛みが気になっていたが、平地になった途端に股の間の擦れが気になり始めた。

こうなったら遠慮なく奥様たちの前で、恥ずかしげもなく股の間の着圧タイツのヨレを直す。(かたやおっさん

、かたやおばさでも、遠慮も恥ずかしさもなくなったらおしましだ)

 

バスの時刻に10分ほど前に着くことができた。『さてさて満員でなかったらいいんだけれど』と話をしている

と、定刻にバスが来た。やってきたバスに手をあげるとなんと満員で、運転手さんが後ろを指さした。その後ろ

からはもう一台バスがやって来て、こちらに乗り込むと意外と空いていてちゃんと座る事が出来た。ラッキー!

 

 

帰りのフェリーはゾウさんからパンダさんに変わっていた。陽が落ち始めた瀬戸内の海をデッキで眺めていると

内海から出た途端に風が強くなり肌寒くなってきたので船内に戻る。

そんなにゆっくり歩いたつもりもなく、休憩時間もそれほど取っていなかったのに、時間的に今回は余裕がなか

った。『今日は少し欲張り過ぎたですね』と奥様たちに言うと、『ぴったり予定通りの時間で良かったですよ』

と言ってくれた。『最後のバスが座れたのがいい意味での誤算でしたね』と言って笑い合った。

 

 

 


ア~那岐山のシンドバット~♫♪

2024年11月14日 | 四国外の山

 

先月西の奥様と石鎚山に登った時に、『来月の13日はルリちゃんが旅行で留守なので、かねてからの懸案だっ

剣山の鬼神の岩屋に連れて行ってください!』と頼まれていたのを思い出した。

ただここ最近膝の調子が思わしくなく、登山道から外れて歩くのは少し躊躇いがあったので、三つほどピックア

ップしてみた。其の内のひとつ『紅葉はイマイチかもしれませんが、山頂からの360度の大展望の山』と銘打

った那岐山にあっちゃんが食いついた。(事前に調べたYAMAPの活動日記には紅葉の様子をアップした写真が

あまり見当たらなかったので)

 

集合場所の丸亀からだと高速を利用するので、2時間強で登山口まで行ける距離。普段出かける四国の山とさほ

ど変わらない。津山ICを降り国道53号線を奈義町へと車を走らせる。

登山口の手前にある『那岐山麓 山の駅』でトイレを済ませて、那岐山登山口第一駐車場に車を停める。駐車場

には車が数台停まっていた。

 

 

駐車場で身支度を整えていると目に付いたのがこの注意書き。『ヌ・ヌ・ヌ8月と言えばつい最近じゃないです

か!』しかもCコースは今から登って行く道・・・・。

 

駐車場からしばらくは舗装路を歩いて行く。道の脇の木々は意外と色づいていていい感じだ。するとまた熊注意

の看板。『そうかここは熊の生息域に立ち入らせてもらってるんだ』

 

 

 

その先で道の右側に蛇渕の滝の道標。その道標の横から脇道に入って沢へと降りていくと、上手に何段かに分か

れた蛇渕の滝があった。

 

 

滝自体は高さもなく小滝といった感じで平凡だったが、渓谷に差し込む朝の光に照らされたモミジが幻想的で、

思わず声をあげて見入ってしまった。

 

 

 

渓谷から道に出る間にもまた熊の注意喚起の看板。しかも今度は写真付き。この後熊注意の看板は度々目にする

事になる。気になったので帰って調べてみると、今年の6月には那岐山から西の広戸仙の登山道で男性が噛まれ

て怪我をしていた。熊被害は北海道や東北の話だと思っていたのにこの辺りでも身近な事のようだ。

 

蛇渕の滝から少し歩くと登山道入り口になる。その取りつきから先でBコースとCコースの分岐になる。YAM

APの活動日記ではBコースとCコースで周回する人が多いが、今日はあっちゃんから山頂からAコースで周回

しましょうと提案があった。Aコース上には慈母峰・八巻山・大別当山があるので、YAMAPの山頂ポイント

を増やそうという魂胆だと思ったので、距離は少し伸びるけど素直に了承従うことにした。

 

 

Bコースの様子は分からないが、Cコースは取り付きからしばらくの間は大小さまざまな大きさの石がゴロゴロ

転がっていて歩きづらい。場所によってはその石を避けて道の脇を歩いて行く・

 

 

 

この那岐山氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されているだけあって、登山道の道標もしっかりした道標が続い

ていく。丸太で作った階段も、先週歩いた龍王山の丸太よりひと回り太くてしっかりしている。

気温が下がってきたとはいえやはり登りではまだ汗が噴き出る。途中で二人とも上着を脱いで登って行く。

 

ゴロゴロ石や丸太の階段をやり過ごすと、少し歩きやすい道になる。途中にあった水飲み場。細い塩ビのパイプ

から流れ落ちる水に手をやるととても冷たく、その手で顔の汗を拭う。

 

 

道は次第に急登になってくるとヒノキの林から自然林へと移って行く。すると上の方から何やら子供の声が聞こ

えてきた。あっちゃんにそのことを言うと、『下から?』と言うので『いえ上からです』と言った先に声は聞こ

えなくなった。

 

 

 

連絡した時は『紅葉は期待できないと思います』と書いてメッセージを送ったが、いやいや嬉しい期待外れ?こ

こまで来ると錦の中の登山道になる。『おかしいな~YAMAPの活動日記にはほとんど紅葉の写真が上がって

なかったのに』と思いながらも、今シーズン最高の紅葉に二人で感嘆の声をあげながら歩いて行く。

 

 

 

 

しばらく登って行くと大神岩の広場で子供たちの姿が見えた。さっき聞こえた子供の声は聴き間違いではなかっ

た。その人数の多さに驚いたのと、ここまで我々でも1時間20分ほどかかっているのに子供たちが、と驚いた。

引率の女性に話を聞くと岡山のあゆみ保育園の年長組さんで、ここからさらに山頂まで登るというのを聞いて、

さらに驚いた。

 

 

大神岩には「大日如来」「不動明王」の文字が刻まれているというので、岩の下を回り込んでみるが分からなか

った。その後岩の上に登ってみると眼下に奈義町の田園風景が広がっていた。

 

 

 

すると私たちが登っているのを見て、園児たちも登ってきた。普通なら危ないので引率の先生は止めるはずなの

に、逆に声をかけてどんどん登らせている。園児たちも慣れた様子で喜んで上がってきた。

段差が高くて上がりづらそうにしている園児のお尻に手を当てて押し上げてあげるが、先生たちはあまり手伝わ

ない。おそらくこの保育園はそういう教育方針なのだろう、多少危なくてもむやみには手をかけずにどんどん外

で遊ばせているようだ。

 

 

 

大神岩からは登山道の雰囲気が変わってきた。登山道というよりは広尾根で明瞭な道といった感じではない。

周りの木々も葉が散って明るさも増してきた。そのせいか風が吹き抜け少し肌寒くなってきたので、この道標の

建つ場所で脱いだ上着を着込む。

 

 

 

 

 

二つ目の神仏ポイントの須佐之男命と刻まれた文字は間近に見る事が出来た。この神仏ポイントから少し上で樹

林帯を抜けて、笹原が広がり始めた。

 

 

 

風はやはり強かったが、陽が当たるので思ったよりは寒くはなかった。スタートから2時間20分で稜線に出た。

 

 

 

左手には真新しいトイレが建っていて、右手には北に向かっての展望台があった。展望台からは西に向かって続

く稜線上に滝山が見える。そして東には那岐山山頂で何人かの人が休んでいるのが見える。

 

 

 

 

 

南東には山頂からの周回になる慈母峰。普通植林地の境界は線上になってはっきりしているが、慈母峰の植林地

は自然林に交わって斑になっている。逆光で陰になった道標が十字架に見える。

 

 

山頂の途中にある三つめの神仏ポイントにはこの山の由来にもなる「伊邪那岐命」のほかに「天照大御神」「奈

義神」の文字が刻まれている。

 

 

山頂の手前に屋根にエントツを構えた立派な避難小屋があった。時間は11時20分。お昼前だがあっちゃんが

『お腹が減ったと』騒がないうちに小屋の中でお昼にする。室内は10度をきっていたが風がない分暖かく感じ

る。

 

 

20分ほど休憩した後山頂へと登って行く。山頂手前で振り返ってあっちゃんに『子供たちはまだ来んやろね~

』と話をすると『ん~来てくれたらいいのに』と。

でも後ろに見える展望台をよ~く見ると、何やらゴゾゴゾと動いている。『いや~もう登って来てるわ!』とあ

っちゃんに言うと『早くこっちまで来ないかな?』と。

するとしばらく見ていると展望台からこちらに来ているのが見えた。そして避難小屋の前で集まっている。

 

 

 

山頂に着いたが360度の大展望どころではない。二人で園児の様子をずっと伺って、『避難小屋でお昼にする

かな?』『こっちでお昼にしたらいいのに』などと言いながら眺めていて、周りの景色を全く見ていない。

すると何人かの子らがこの山頂に向かって走り出した。『キャ~来る来る!』と大騒ぎ。

早い子はやはり走って登ってきた。先に登ってきていた先生と一緒になって『一番・二番・・・』と声をかける。

次々と登ってくる園児たち。ふざけてワザとへばったふりをする子もいたが、息を切らせていても一瞬で治まる

あたりはまるで小さなアスリートだ。そして集合写真を撮るというので自ら進んで買って出る。

 

 

 

 

 

一気ににぎやかになった山頂で園児たちがお昼にする様子。そんな園児たちを見ながらずっと目じりが下がりぱ

なしだった。写真をとってあげたのでこちらも先生に撮ってもらう。

 

園児たちに『バイバイ!』とあいさつをして山頂を後に東へ縦走路を歩いて行く。山頂からしばらくはドウダン

ツツジの並木が続いている。途中で振り返ると山頂、避難小屋そして展望台が見えた。

 

 

 

 

 

Bコースへの分岐の道標を越えて更に東に、1201mの標高点から今度は南に下って行く。ここからがAコー

スとなる。

 

 

 

 

分岐からは慈母峰との鞍部まで300mを一気に下って行く。足元もさほど良くはなく、少し膝に違和感が出始

めた。笹原から樹林帯へと入ると、また彩が目に飛び込んできた。下り坂だが右に左にと細かく足を運んでいる

と次第に暑くなってきた。

 

 

 

陽の当たりが薄くなるヒノキの林の中が体感温度が下がってちょうどいい。

稜線の分岐から30分で鞍部に着いた。林道の脇のススキの穂が陽に当たって輝いている。

 

 

 

さあここから慈母峰までがひと踏ん張り。長い階段状の道が続いていく。中腹位になると段差のある個所は、土

嚢袋を置いて段差を低くしてくれているのが助かる。

 

 

 

鞍部からは100mほどの標高差だが急でほぼ直登。とにかく息が切れるが、周りの彩を眺めながらだと幾分か

しんどさが軽くなる。

 

 

 

階段を登りきると慈母峰までの稜線は平坦な道になる。ベンチの置かれた場所からは、那岐山の稜線と山麓の

風景が見渡せた。

 

 

 

 

 

そのベンチの後ろの木の枝に、小さくて見逃しそうな山名札がかかっていた。山頂近くからこの慈母峰を見た時

に、植林地が斑になっているのが見えたが、那岐山の南面もの濃い緑が斑になっていた。

 

 

 

慈母峰から次の八巻山へと歩いて行くと、こちらも道の両側できれいな彩を見せてくれた。

 

 

 

 

道の横にある大岩を過ぎると尾根の西側が伐採地の頂部になった。伐採地の麓の少し先には朝トイレを使った那 

岐山麓・山の駅が見えている。山の家の手前にはため池が見えているが、他にもあちこちにため池があるのが分

る。ちなみに県別のため池の数は香川が多そうに思えるが、やはり県の面積自体が小さいためか、数でいうと一

位は兵庫県の2万4000ヶ所になる。香川県が第三位で1万4000ヶ所だから、兵庫県のため池の数は圧倒

的だ。そして岡山県は第五位だった。

 

 

慈母峰からしばらく歩くとヒノキの林の中に、こちらは擬木の階段が続いていく。

 

 

 

擬木の階段が終わる途中の鞍部で菩提寺への分岐になっていた。菩提寺には大イチョウがあるそうなので、時間

が早く降りれれば、帰りにちょっと寄ってみようとあっちゃんに話をする。

 

 

更に道標に従って進んで行くと道の両脇に、八巻城跡の説明版が設置されていた。ここには説明版はあったが、

山名の標識や札がなかったが、YAMAPを見ると八巻山になっていたので取りあえず写真を撮る。

 

 

 

この辺りの林も錦のオンパレード。赤からオレンジ、そして黄色のグラデーション。少し薄い緑が混じっている

のもいい感じだ。予想もしなかった紅葉の波に『ご案内はしていなかったですが、割増料金になりますがよろし

いでしょうか?』と冗談であっちゃんに言ってみた。

 

 

 

 

錦の林を過ぎると今度はヒノキの林の中の道。地形図では鞍部まで何度も折れた破線が続いている。その地形図

通りに道は右に左にと何度もターンを繰り返す。

林床から伸びたシロモジだろうか?陽に当たって輝き、陰になったヒノキの幹とのコントラストが、その輝きを

ひときわ目立たせてくれている。

 

 

 

九十九折れの下り坂が終わると車道の上に出た。その車道を跨ぐようにしてつり橋がかかっていた。

橋の下の車道は菩提寺へと続く道だ。

 

 

つり橋を渡ると今日最後の登り坂。これを登ると四座目の大別当山になる。取り付きの階段を登ると、昔十円玉

を入れて右に左にパチンコを打つようにしてゴールさせるゲームを思わせる坂道。その道を登りきると大別当山

の山名札がかかっていた。

 

 

 

四座目をゲットしたのでさっそくもと来た坂を下りて行く。するとつり橋まで戻って来るとあっちゃんが『あ!

標高点まで行けていないわ』と言い出した。言われてYAMAPを見てみると、確かに591mの標高点まで行

けていなかった。『どうします?』と言われたが、もう気持ちは登る返す気にならない。『たぶん、山頂ピーク

はゲットできていますよ』と言って、そのまま車道を下って行く。

駐車場まで戻ると、もう神戸ナンバーの車が残るだけだった。

 

 

 

時間通りに戻って来られたので、途中で話をした菩提寺の大イチョウを見に行ってみる。

本堂から東に立つ大イチョウは今まで見た事もないような大きなイチョウの木だった。根元から何本も分かれた

幹から太い大きな枝が真横に伸びていた。その枝から下に向かって乳のような担根体がぶら下がっている。古木

で時々見られるというが、たしか梶ケ森に行く途中でも『八畝の乳イチョウ』があったと話をする。

樹齢900年となっているが、その樹皮の深い彫に重ねてきた長い年月を感じ、畏怖する感じてしまう。

 

 

 

 

今日は終日頭の中で那岐山とは全く関係ない、ピンクレディーの『渚のシンドバット』のフレーズが流れていた。

思わぬ園児たちとの出会い、そして予想していなかった彩さらにはこの大イチョウと、天候にも恵まれて久しぶ

りの10km近い山歩きに、心地よい疲れを感じながら高速道路を家路へと車を走らせた。


病院で診察のあとにサクッと竜王山へモミジ狩り!

2024年11月09日 | 香川の里山

 

昨年の年末に六甲山で転倒して岩に膝をぶつけてしまい、帰宅後どんどん腫れてきた。ただもう病院は年末年始

でお休み。仕方がないので年が明けて直ぐに駆け込んで、腫れた膝から水を抜いてもらった。

1週間後のMRIを検査をすると内側の半月板損傷だと診断された。幸い重度ではないので薬と湿布薬で保存治

療をすることになったが、薬は約1か月分出るのだけれど、なかなか飲み切れずに結局数ヶ月経って数回行くだ

けになってしまった。

その間鋭い痛みはなく、山に登っていても下りが続くと鈍痛が出る程度だったのが、ここ最近じっと椅子に座っ

ていても、痛みほどではないが何かジンジンするので職場の近くで再検査をしてもらうことにした。

というのも通っていた整形外科の先生、私の通院が不真面目だと思っての事か、こちらが質問してもあまり反応

が良くない。

一度『先生、内側が損傷と言う事ですが、どちらかと言えば外側に違和感を感じるんですけど?』と聞くと、

『おかしいな~・・・・』とだけ。

別日に『先生、最近曲げて伸ばすとポキポキ音がするんですけど?』と聞くと、

『そうやろな~』と。

おそらくこちらから色々と聞きなおすと答えてはくれるのだろうけれど、具体的な説明は聞けそうもない。

また休日はほぼ出かけていて家にいることがなく、地元の整形外科よりも、職場に近い整形外科の方が何かと融

通が効くと思って、今回予約を入れて出かけてきた。

 

問診と触診のあと取りあえずレントゲンを撮ってもらいMRI検査は次回となった。その時に『前の整形外科で

MRIの画像をCDに焼いてもらって持ってきてください、比較をしてみたいので』と言われたので、医院を出

て直ぐに電話を入れてみると、受付の女性が

『何に使われますか?』と聞くので

『別の病院で検査を受けようと思うのですが比較をしたいのでということです。』

『わかりました』と言った後、先生に聞きに行ったのか電話を保留に。戻ってきて

『画像だけでいいんですか?』と言うので『ハイ』と答えるとまた先生の所へ。そしてまた戻って来て

『どこの病院に行かれるんですか?』と聞くので『○○整形外科です』と言うとまた先生の所へ。

 

今時の事、患者側からで色々と問題となることがあるのだろうが、

結局根掘り葉掘り聞かれたけれども了承してくれて、夕方までに取りに来るようにということになった。

 

再検査をしてもらった整形外科でもMRI検査でないと詳しくは分からないが、レントゲンの画像では骨として

は非常にいい状態で、膝蓋骨と脛骨の間の隙間も年齢の割にはちゃんと空いていて問題ないと思いますと言われ

たので、まずは少しは気持ちが和らいだ。

そうなると夕方までにあまり時間はないがせっかくの休み、どこか山に出かけたいと考えて、思いついたのが

王山だった。なぜならYAMAPでもらえるバッジの県別四国の最高峰の山で、阿波竜王山だけバッジがもらえ

ていない。もちろんいつものスタート地点となる奥の湯キャンプ場からは時間的に無理なので、今回は鷹山公園

に車を停めて、そこから阿波竜王山を目指すことにした。

 

とその前にまずは腹ごしらえで久し振りにいこい食堂へ行ってみた。

お昼時、店の前には数人並んで待っていたけど回転がいいのか10分ほどで中へ入れた。案内係の男性は段取り

と愛想がよくて、次々待っている人を中に案内して注文を聞いている。

ここの中華そばは県内では唯一ここだけ、親鳥を卵でとじたスープと具。その中華そばを待つ間におでんの焼き

豆腐(出汁が染みていてこれも美味しい~)を食べているとその内にお目当てが運ばれてきた。

 

無料のにんにくをトッピングしてもらい、噛み応えのある親鳥と少し甘めのスープで美味しくいただいた。但し

私もだが、歯が悪い人には親鳥がけっこう固いので注意が必要。

 

 

腹ごしらえをした後は、食堂から内場ダムの横を通って相栗峠まで走り、少し道幅が狭くなった町道竜王線を通

って鷹山公園に着いた。

 

今日はここから阿波竜王山往復するのではなく、町道竜王線を利用して周回するつもりだったが、さてさて登

山道と町道のどちらを先に歩こうかと考えた。

たしか讃岐龍王山からはけっこう長い急坂になっていたのを思い出して、帰りに登山道を使うと、その長い急坂

を下ることになるので、急登も苦手だが、膝には登りの方がいいだろうと思い登山道を登りに使うことにした。

案の定スタートからしばらくの間長い急登が続いて行く。

 

 

鷹山公園で車を停めた時にメーターには外気温9度と表示されていたので、上着をどうしようかと考えたが、そ

のまま車に置いてきて正解だった。薄手のシャツでも寒くはなく、反対に背中がけっこう汗で濡れてきた。

途中何度か立ち止まって水分を補給する。

すると1005mの標高点辺りまで来ると、登山道の右側が急に開けた。内場川の源流域の谷あいの北と南に伐

採地が広がり以前は鬱蒼として杉やヒノキに囲まれていた登山道が、一気に見晴らしのいい登山道になっていた。

奥の湯キャンプ場をスタートして、竜王山キャンプ場を通るとその上が広大な伐採地になっていたが、その伐採

地越しに高松の市街地が見下ろせる。

 

いつもは下から見ると結構大きな山塊に見える屋島も、ここから見ると小さなこんもりした盛り上がりにしか見

えない。

目線を少し右に振ると、天満ケ原越しに見えるのは矢筈山だろうか?

 

 

暫くの間は伐採地の最上部の作業道と登山道が並行して続いていく。

どうやらこの登山道が香川と徳島の県境になっているようで、伐採地が香川県側となる。

 

 

 

その県境は徳島県側も植林地になっているけれど、杉やヒノキの足元の低木は結構色づいている。

登山道に近い伐採地の最上部で、二人ほど作業をしている人がいたので『こんにちは!』と挨拶をしてをして通

り過ぎる。

 

 

伐採地を過ぎ、珍しく四つに幹が分れた赤松を横目に見て、しばらく歩くと讃岐龍王山に着いた。

讃岐龍王山には三角点はないので、山頂標のすぐ横にあった境界石柱でそれらしく写す。

 

 

讃岐竜王山からは一旦細い丸太でできた階段を下って行く。これがけっこう長い階段で、前にストックを突きな

がら一段一段ゆっくりと、頭の上の色づきを確かめながら下って行く。

 

 

 

この辺りの登山道の右手は貝ノ股川の源流域になるのだろうか?その源流域の谷あいもきれいに色づいている。

阿波竜王山までは丸太の階段が同じように登りでも続いていく。

 

 

途中の笠形山への分岐は昔は峠だったのだろう、縦に割れてひびが入ったお地蔵さんがその面影を残していた。

 

 

 

香川と徳島の県境となるこの道には、以前歩いた時に度々見かけた阿讃縦走コースの札が木の枝に掛かっていた。

次第に道の左側は植林地から自然林になり、紅葉のグラデーションにハッと目を奪われる。

 

阿波竜王山山頂にある展望台。その下に 四等三角点 阿波竜王 1059.77m

いつも思うのだが、阿波竜王山の三角点はまんのう町に位置して、香川県の最高峰となっているのに阿波竜王山

とはおかしなもんだ。讃岐龍王山も香川県になるのなら、西竜王山東竜王山に名前を変えればいいのに・・・。

それにしてもいこい食堂で満腹になったせいか、お腹の浮き輪が大きく膨らみ過ぎている!

 

 

展望台からは手前にちょこんと三角形の頭が飛び出た笠形山。その左にひときわ高い大川山

笠形山の奥には大麻山善通寺五岳が見える。

 

そして間違いなく山座同定ができる飯野山の右には、城山が大きく横たわっている。

 

手前の鉄塔の先端には高松空港。そしてその奥には高松市の市街地が広がり、中央には峰山、そしてその左手に

五色台勝賀山が見えている。

展望台の柱の下には誰かが採ってきたのだろう、大きな大きなサルノコシカケが置き忘れられていた。

 

 

ここでしばらく休憩したかったが、整形外科に画像を焼いてもらったCDを撮りに行く時間が気になったので、

西に向かって町道へと降りていく。

町道に出る手前で急な下り坂があったが難なく下って、あとは下道歩き。

 

 

降り立ったところからしばらくは緩やかな登坂。今は使用禁止となっているトイレのある広場に大きな一本のモ

ミジの木。その横には『生活環境保全整備事業』と書かれた説明版。説明にはかなりの範囲で整備事業が行われ

ているが、書かれている通り『国民生活の安定・向上に資する事を目的とする事業』となっているが、結構な税

金が使われて、果たしてその通りの効果は??

 

 

 

その広場からしばらく歩くと道の脇に龍王神社の道標があった。その道標に従って左上に登って行くと、小さな

小屋のような水婆女(みつはめ)神社が建っていた。水婆女は最初みつはめとは読めずに、ミズババと読むのか

と思っていたら、由緒正しき水の神様の様で、干ばつの際は地域の人で雨乞いが行われていたようだ。

 

 

その水婆女神社の奥にはアメダスと二つの大きな電波塔が並んでいた。その周りの自然林の色づきが何とも言え

ず柔らかくてしばらく見とれてしまった。

 

 

水婆女神社から町道に戻って鷹山公園に向かって歩いて行くと、ここからは紅葉のオンパレード!

整形外科を出た後、もう少し近場の里山でも歩こうかと思ったが、結局この竜王山に変えて来てみて正解だった。

赤からオレンジ、そして黄色へのグラデーションの木。また赤一色に染まる木。緑の葉が混ざっているのもなか

なかいい感じだ。

 

 

 

 

そして途中にあった徳島県立竜王山青少年野外活動センター。こちらもご多分に漏れず今は廃墟となっていた。

全国に同じようなキャンプができる野外活動センターがあるようだが、この施設に限らず近場でいうと、の湯

・竜王山キャンプ場も今はほぼ利用されていない。以前は山中にあったキャンプ場も賑わっていたが、今は平野

部やアクセスのいい場所が選ばれて、少しでも不便な場所はどこも利用されなくなった。そして便利な場所にあ

るキャンプ場は最近はデイキャンプでBBQ場と化している。

 

 

 

野外活動センターからも下道歩きは続いていく。ただ道の脇の次から次と現れる紅葉のお陰で、単調な下道歩き

も飽きることなく鷹山公園まで戻って来られた。

 

 

 

 

 

鷹山公園からの帰り道、こちらも随分前に閉館になってしまった奥の湯温泉(けっこうお湯が良かった記憶があ

る)の横を通り、また内場ダムの横を通って帰路についた。

来週のMRI検査で膝がジクジクする原因が分れば、そして多少歩いても差しさわりがないと分かれば、また気

分的に違ってはくるので、その結果待ちでまた山歩きが楽しめるようになればいいと思っている。

 

 

整形外科に行く前に立ち寄ったコスモス畑が見ごろを迎えていた。

 

 

 


『あの高原にもう一度行ってみたいわ!』と彼女は言った。

2024年11月01日 | 四国の山

 

 

先週に続いて休みが合ってしまった。『・・・・しまった』というのは言い方がおかしいので、休みが合ったの

で、どこにお連れしようかと考えた。先週の剣山では、次郎笈峠から剣山への登りで相当バテていたので、今週

は軽めにと考えていたら、『そう言えば塩塚高原にススキを見に行ったことがあるわね』と仰った。と言うこと

は『もう一度行ってみたい』いや『連れて行け!』ということだろうと直ぐに理解した。

ただ一緒に出掛けた記憶が全くない・・・・のは決して口には出さずに、塩塚高原だけでは時間がもたないので、

他にどこか立ち寄る場所はないかと考え、そう言えば以前から行ってみたいと思っていた毎週水曜日が定休日の

『ハレとケ珈琲』が営業していると思ってコースにプラスしてみた。その近くには紅葉の名所の『竜ケ岳』もあ

るので、様子伺いで車を走らせてみるのもいい。

 

6月に西の奥様たちと歩いて登った時のスタート地点になった『道の駅 霧の森』でトイレをすませて県道から

塩塚高原への道へと入ると直ぐに『ノーベル物理学賞受賞、真鍋淑郎博士の生家』の案内板。

『真鍋さんて知ってる?』と聞かれたが、『さぁ?』と答える。(博士と地元の方すみません)

 

 

そこからさらに車を走らせると『西横井の棚田』。稲刈りを終えた棚田の向こうの山の斜面に、茶畑が続く集落

が見える。新宮はその気候や土質がお茶の栽培に適しているということで、『新宮茶』として特産物になってい

るそうだ。

 

 

 

それまでの山間部の道から高原まで上がってくると一気に景色が変わった。薄曇りの白い空の奥の白い太陽から

届いた柔らかい光に、ススキの穂が銀色に輝いている。

高原の起伏のある台地が幾重にも重なり、一面に広がるススキ原が大海原で押し寄せる波の様だ。

 

 

 

 

展望台による前にパラグライダーフライトライディング場へ車を走らせる。ライディング場からは塩塚峰山頂へ

登って行けるのだが、前回歩いた時に結構急登だった記憶があったので、今回は先週の剣山の事もあるので、無

理はせずに無難にパスして、展望台へと向かう。

あまり天候もよくないが、道の北側は瀬戸内海の島々まで見渡せた。

 

 

 

展望台手前の駐車場に車を停めて歩き始める。駐車場にある公衆トイレは使用禁止になっているので要注意。

緩やかな階段状になった斜面を登って行くと東屋のある展望台にすぐ着いた。

6月に歩いた時は緑の萱原だった稜線は銀色のススキ原に変わっていた。遠目にはそのススキが柔らかい産毛

のように見える。

\

 

 

 

展望台はもちろん遮るものはなく360度の景色。

北側は低い位置に横に続く雲の下に、同じように横に荘内半島讃岐三埼灯台まで続いている。

 

 

西側は塩塚峰の山頂とその手前のピークとの間に見えるのは筒上山。と言うことは塩塚峰山頂の奥には石鎚山

見えているはず。

 

 

 

南は手前にカガマシ山から笹ヶ峰へと続く稜線。その奥に工石山と白髪山が頭を出している。

 

東は国見山の右に、天狗塚から三嶺、剣山と続く稜線。左は中津山の両側に黒笠山烏帽子山。ただ遠すぎて山

容がはっきり確認できない。唯一、烏帽子山だけは同定できた。

 

 

 

駐車場に戻る途中、右側の斜面に紫色の花が咲いていた。遠すぎてはっきりと分からないが形的にはアジサイの

花のように見えた。

 

 

駐車場からもと来た道を戻って行くと陽の光がどんどん強くなってきた。オートキャンプ場まで下ってきたが、

せっかくなのでもう一度写真を撮りに引き返してみたが、あまり変わり映えはしなかった。どうせならやっぱり

青空が欲しかった。

 

 

 

 

銀色に輝く高原のススキを堪能した後は、今日の次の目的地の『ハレとケ珈琲』へと向かう。

高原から山城町に差し掛かると『半田岩』と書かれた案内板があった。車を停めて道の下を覗いてみると川の対

岸に水車小屋。川底には巨岩が並び、そのまわりはモミジの木々。そのモミジが色づいた時はいい写真が撮れた

だろうに、残念ちょっと時期が早かった。

その昔長曾我部軍が田尾城攻略した際に、この地で休憩して軍議を行った。その際この巨岩の一つが膳に似てい

ることから、『飯台岩』と呼ばれていたのが、いつしか半田岩の字が当てられるようになったという。

 

 

(三好市公式観光サイトより)

 

半田岩から順調に車を走らせて県道319号線に出る手前で警備員に車を止められた。『すみません!時間通行止

めで、11時20分まで通れません』と言う。時間は10時50分過ぎ。途中で時間通行止めの看板を見ていたが

今まで見てきた時間通行止めはだいたい50分から00分の間が通行できるようになっていたので、ここもそうだ

と思って、書いている時間を確認せずに走ってきたのが間違いだった。

『どこか迂回路はないですか?』と尋ねると、『1kmほど戻って、田尾城跡の看板に沿って行けば、別の道で国

道に出られます』と教えてくれた。

聞いた通りの道を走って行くと、これがけっこう狭い道でスピードも出せずに、結局迂回するのに15分ほどかか

ってしまって待っているのとあまり変わらなかった。

 

『ハレとケ珈琲』『ハレとケ』。それは、特別な・晴れを意味する「ハレ」と日常の「ケ」。民俗学者である柳田

國男氏が提唱している言葉らしいが、高尚過ぎてあまりよく分からない。

まぁとにかく廃校を利用した施設と言うことで、話をすると奥さんは食いついてきた。

国道32号線の祖谷口から吉野川にかかる橋を渡って、県道32号線を東に走り、松尾川温泉への分岐の200mほ

ど手前で山側へと入って行くと、こんなところに?と思うような場所に立派な鉄筋コンクリートの旧出合小学校の校

舎があった。正門を通って校舎の手前に車を停めて中へと入って行く。

最盛期には500人以上の児童が通っていたようだが、2004年には7人となり、翌年には廃校となった小学校だ。

 

 

 

 

1階の教室の中をそのまま利用して『ハレとケ珈琲』は営業していた。

 

 

 

 

店内は昭和を感じさせるソファーや懐かしい小学校の木製の小さな椅子が並んでいて、黒板にチョークでメニュー

が書かれていた。奥さんは紅茶、私はコーヒーそして初めて食べるカヌレなるものを一緒に頼んだ。

コーヒーは深煎りなのにそれほど濃くもなく、奥深い香りと風味があって美味しかった。

初めて食べるカヌレは表面が固くて一瞬『ん?』となったが、なかはもっちりとして一瞬でペロリ。

 

 

コーヒーを飲んでゆっくりとした時間を過ごした後、竜ケ岳へと紅葉の様子見に車を走らせたが、松尾川温泉

らさらに奥へと走って行くとまた時間通行止めの看板。周りの紅葉もまだまだな感じだったので、そのまま引き

返す。それにしても竜ケ岳松尾川温泉からもけっこう遠くて道幅もけっこう狭くてなかなかの道だった。

国道まで戻ってさてさてお昼はどうしようかと考えながら車を走らせる。そして思いついたのがいつもは朝夕に

横を通るけれど、こちらも今まで立ち寄ることはなかった三好市の八番館

ゆとりのある空間に川沿いの建物らしく大きな窓の下には吉野川が見下ろせた。少し遅いランチになったが、手

作りハンバーグに一味違うデミグラスソース。カリカリ揚がった白身魚に酸味の効いたタルタルソースがとても

美味しくて、けっこう量があったのに奥さんも『美味しい美味しい』と言いながら完食した。

 

 

ランチの時間としては遅かったが、家に帰るにはまだちと早い。どうしようかなと考えた結果、奥さんがまだ一

度も行ったことがないというのでまたひと走り。

奥さんは初めてだというが、私も車で来るのは初めて。いつもは香川側から歩いて登ってくる場所。

駐車場に来るまでの間、そして参道を歩いていると『参道補修費の協力金』のお願いの看板が目立つ。看板に書い

てある通りに納経所で500円を払って参拝する。

参道から歩いている途中ですれ違ったスクーターに乗ったお坊さんが本堂の横に居た。すると納経所の奥から来た

女性が、そのお坊さんに向かって『住職、連絡がつくように携帯電話を持っていてください』と言って怒っている。

どうやら急ぐ用事があるのに住職さんは境内をうろついて、携帯も持って出ていないので連絡が付かずに困ってい

たらしい。威厳のある雰囲気の住職が、年の離れた女性に叱られているのをみて思わずクス!とする。

境内のモミジの紅葉を少しは期待して来てみたが、色づいた木もあったが、全体的にあともう少し先の様だった。

 

 

 

季節に関係なくこの石像『五百羅漢』は見ごたえがある。奥さんも熱心に動画を撮っている。

 

 

 

ここまで来るとやはりあの場所によってみたい。駐車場には『広場に行く人は車を停めないでください』と大きな

看板が立っていたが、駐車場料のお金も払っているのでちょっとだけ寄らせてもらった。

すると奥さんはやっぱり予想通り写真や動画を撮りまくって、うれしそうにしている。

 

 

 

これでニュースにはならないが、今日の私の株価はストップ高となってるはずだ。(ニンマリ!)

 

広場から引き返す途中で目にした木に刺していた活力剤。同じようにそれを見つけた女の子が、『ママ、マヨネ

ーズが刺してるよ!』と可愛らしく言っている。その横で『マヨネーズじゃなくてケチャップやろ』と小声で聞

こえないように言ったおばさん。(おばさんやな~!と、これも聞こえないように小声で言う)

 

境内まで戻って仁王門をくぐって太子堂にお参りする。鐘楼の横のモミジが一番色づきが良かったが、それでも後

少しかな。

 

 

 

陽が低い位置に落ち始め杉の大木の中の参道は少し暗くなり始め気温がさがってきていた。

帰り道、いつも山の帰りに立ち寄る温泉でほっこりと温まって帰る。