KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

山に還る鹿森社宅跡から辻ケ峰

2022年03月31日 | 四国の山
前回から課題になっていた川井峠の枝垂れ桜はまだもう少し先の様子。

ではでは今週は何処に出かけましょうか・・・・。

2月にグランマー啓子さんがホームページにアップしていた写真が

ずっと気になっていた。山の急斜面に貼り付くように建つ鹿森社宅の白黒写真と

石段の前で縄跳びをして遊ぶ子供たちと男性の写真。そして今もまだその面影を

残す、グランパ、グランマーさんが訪れた時の社宅跡のカラーの写真。

奥様たちにもその写真を送って、いつか歩いてみたいですねと話をしていた。

花紀行の合間、今回は歴史探訪にすることにしてその鹿森社宅跡を尋ねてみた。


高速にのる前に地元の雲附山の朝の様子を伺いに少し遠回り。

朝の光の当たった山桜が、山の北斜面を染めていてちょうど見ごろを迎えていた。










今日のスタートはマイントピア別子。いつもは山から降りた帰りに寄り道する場所。

施設の北側の駐車場に車を停め、すぐ脇にある貯鉱庫の横の階段を登り、

下部鉄道跡の下のトンネルを潜ると、社宅跡への道が続いている。

貯鉱庫の上には、第四通洞からの軌道敷きが延び、鉱石運搬車が貯鉱庫の上から

鉱石を落として鉱石を貯める仕組みになっていたそうだ。
















かつては端出場から仕事を終えて家に帰る鉱夫の姿が見られただろうこの道を、

今日はお弁当を持った観光気分の三人が歩いている。2mほどの幅の広い道が続いて行くが、

倒木や斜面の石が崩れていて、手が入れられなくなって道は荒れている。











九十九折れに石垣に沿って登って行くと、鹿森索道終点と書かれた場所があった。

端出場からだと数百メートルの距離しかないこの索道は、鉱物ではなく、社宅で必要な

生活物資が運ばれていたようだ。










索道終点からしばらく歩くと記念碑の立ち並ぶ場所に着いた。

周りの木には当時の生活の様子が伺える例の写真が貼られていた。











そのひとつひとつを眺めながら、この社宅で暮らしていた人々を生活ぶりを想像した。

写真に写る男性も女性も、こんな山中にあって服装からしてモダンな雰囲気が漂っている。

鉱山での仕事の給与が高かったのか、住友の福利厚生が行き届いていたのか。










そして子供たちと一緒になって縄跳びで遊ぶ男性の姿。その背後には当時のメインストリート

だったであろう石段が続いている。数十年の時を経て同じ場所でその石段の前に立つルリちゃん

その石段もさることながら、城壁のような高く積まれた立派な石垣にも驚かされる。

いずれにしてもこれだけの石をどこから運んできたのか、そして今も崩れることなく

平然と佇んでいる石積みから、当時の職工の技術の高さを伺い知ることができる。













その石垣の上にあったであろう建物は解体され、レンガで造られたカマドが残るだけだった。

二列に並んだ石段の中央は排水路だったのだろうか。深い溝が上から下まで続いている。

その石段も途中から二手に分かれている。その前で記念撮影。











途中にある共同浴場跡。ただこの共同浴場は利用できるのが夕方の四時間だけ。

全盛期300戸に1300人が暮らしていたこの鹿森社宅では、浴場は

いつも混み合っていたようだ。今も残っている浴槽の大きさからしても、

ぎゅうぎゅう詰めで一度に入浴しているシーンが目に浮かんでくる。

この共同浴場辺りがこの鹿森社宅の中心部だったようで、当時は生協や個人商店

理髪店・豆腐店・肉屋などがあったそうだが、魚は主に行商から買っていたようだ。













浴場跡から少し登って行くと、石段を跨ぐようにして鉄製の橋が架かっていた。

骨組みだけが残り今にも朽ち落ちそうな橋だが、当時はこの橋の上に

日用品を運ぶ貨車が走っていたそうだ。










橋からもさらに石段は続いて行く。山歩きをしていて四国のみちの擬木階段や

電力の保線路のプラスチック階段を登ることがあるが、この社宅跡の石段は、

生活のための石段だけあって、段差も幅も丁度良くて、とても登りやすいとルリちゃん










二手になった石段の左手の石段を登り詰め、突き当りの石垣を右に敷地の中を進むと、

先ほど分かれた右手の石段と合流した。この社宅内の石段の総延長は1800mにも及ぶ。








下の方ではカマドも共同の様な感じでカマドが横に何個も並んでいたが、

この辺りでは、それぞれ一軒に一ヵ所のカマドと二軒の間に流しがひとつある。

尾端と書かれた道標の下に、小さな辻ケ峯と書かれた道標に従って左に進んで行く。














途中にあった薪を貯めた建屋。その奥には廃屋になった立派な民家があり、索道とは年代の違う

少し新しいロープウェイの架台の様なスチール製の構造物があった。











更に上に進んで行くと、土に還る事なく残された様々な生活物資が散乱していた。

行火にガスボンベ、五右衛門風呂の釜だろうか?。この辺りでは共同浴場ではなく

家風呂があったと言う事なのだろうか?別の大釜は何に使っていたのだろうか?













そんな生活のにおいを感じながら歩いて行くと、竹屋敷と書かれた道標。

左に土ノ峠。今日は山根と書かれた右に歩いて行く。








この辺りまでまだ石積みは残っていて、それぞれの敷地に上がる石段がある。

その石積みに沿って歩いて行くと地蔵堂があった。地蔵堂の少し上に伐採地。

そして右に大久保~中屋敷。左に中屋敷~辻が峯と書かれた道標は下向きに傾いていた。











辻が峯の道標と、電力の番号杭に従って歩いて行くが

道は次第に杉とヒノキの混在する林の中の道になる。













道の傾斜は緩くなってきたが石積みはまだ残っている。さすがにこの辺りの石積みは

建物があったわけではなく、耕作地の為の石積みだった雰囲気がする。







緩勾配から少し急な登り坂を登ると鉄塔広場に出た。

鋼管柱の足元には、人が登れないように丸い円形のガードが付いている。

あっちゃんは鉄塔を見かけるといつも『登れないかな~』と言って見上げるが、

どこの鉄塔もそのガードがあって登れそうもなく諦めていた。

ただこの鉄塔は柱とガードの位置が微妙で、登れそうだった。

『ここは登れますね!』と言って私が登って見せたのが間違いだった。

少し登って直ぐに降り、横にいたあっちゃんを見ると目がランランと輝いている。








そしてザックを降ろして『私も!』と言って登り始めた。

その横でルリちゃんが『のぼらないでくださいと書いとるやろ!』と言っているのも無視。

いつもは越える事の出来なかったガードの上に立ち、大満足のあっちゃん。
















鉄塔広場から直ぐに尾根道になった。人工林の中の道は緩やかで、

鉄塔で遊んでロスした時間を、取り戻すようにしてスピードを上げていく奥様たち。

最後にピークを登り詰めると辻ケ峰に着いた。





途中で作業道を真っすぐ進みそうになる場所には赤い目印















今日は『キーマカレーメシ』。トロトロになったご飯に少し辛めのカレーが食欲をそそる。








YAMAPの活動日記では周回している人は、山頂から少し南から下っているが

コースタイムの載っていいる地図は山頂から直ぐに東に下っている。

その下りの道が判らず、適当に尾根に向かって降りて行く。










しばらく尾根に沿って下って行くと91番鉄塔広場に出た。ここからは北に新居浜の市街地。

南にはまだ雪の残る西赤石山黒森山が見渡せた。














最初の鉄塔からは電力の巡視路。地形図に載っている電線の線より

少し北側を九十九折れに下って行く。










そのうちに今度は92番鉄塔広場に出た。







さらに下って行くと508mの三角点のある鉄塔。三角点は見つけられなかったが、

ここでもあっちゃんが鉄塔の柱の足元で、登れないかと様子を伺っている。

鉄塔の鋼管柱の間から見えるのは犬返しだろうか?

あっちゃんには『どうぞ、ごゆっくり!』と言って、ルリちゃんと二人で先に下って行く。








地形図では鹿森社宅跡に続く周回路と、マイントピア別子に直接下って行く破線が載っているが、

破線からは少し外れているが、保線路を下って行くと伐採地に出た。伐採地には電力の鉄塔と

少し小ぶりな住友の鉄塔が立っていた。ここでも案の定あっちゃんが小ぶりな住友の

鉄塔にまたよじ登っている。たしか高い所が好きなのは『〇〇と煙』のはず。










鉄塔広場から道標に従って人工林の中の道を下って行く。

小刻みに九十九折れに急坂の下りが続いている。またまたあっちゃんの悪い癖がでた。

九十九折れの道に飽きてショートカットしようとするが、斜面が急すぎて

一度だけ短めに気持ち程度にショートカットして終わってしまった。













途中で神社と中萩小学校大永分教場跡。この神社の辺りが土ノ峠らしい。

土ノ峠は戸数僅かに4戸の小さな集落で(S36)、分校の児童数も4名ほどだったらしい。










あっちゃんだけでなく我々も下り坂に飽きてきた頃に、マイントピア別子の観光坑道の横に

飛び出した。観光坑道は坑道の中が展示施設になっている有料のゾーン。













そのまま観光列車の方に行くのも気が引けて、鎖が張られた道から

斜面を登って行くと県道のガードレール脇に出た。

県道へ出た後は下道をマイントピア別子の駐車場へとのんびりと歩いて行く。

国領川沿いの桜の花は満開に近く、観光客が散策する姿が見える。














マイントピア別子で温州ミカンのソフトクリームを頂いた後、山根公園に移動してのお花見。

公園の駐車場の南側の斜面には満開の桜。その桜の花の下で敷物を広げて寛ぐ人々。













私たちも腰を降ろしてお湯を沸かしてコーヒータイム。

朝一番よりも一段と花が開いた様子。人よりも花の方が温度に敏感なのだろう。

そんな気候の変化を草花に負けないように敏感に感じられる感性でありたいと思う。











別子銅山の遺構はこの山域のあちらこちらで見ることが出来るが、

その中でも当事の人々の暮らしを顧みることのできる鹿森社宅跡。

伊庭貞剛は、赴任した別子で荒廃した山々を見て、即座に

「別子全山を旧のあおあおとした姿にして、これを大自然にかえさなければならない」

と言った。その言葉通り半世紀前にはまだ賑わいのあったこの地も、

今まさに自然に還ろうとしている。子供たちの声が聞こえていた森は、

今は静寂の中に唯一、鳥のさえずりだけが寂しげに聞こえてくる。

住友の歴史:別子銅山後期はこちら


今日のトラック


今日の3Dトラック

まだまだリハビリ登山の寒峰

2022年03月26日 | 四国の山


ほんと、ギックリ腰の治りが遅くなって、寄る年波には勝てないと

つくづく実感している今日この頃。

先週、鶏足山から降りてのコーヒータイムで、次週の予定は?と

奥様たちと話をしていて、『川井峠の枝垂桜と天行山・東宮山』を

歩いて見ませんかと話したが、家に帰って調べてみると、過去には

4月中旬辺りで出かけていた。ネットの情報にも3月末から4月中旬が

見頃と載っている。しかも今年は花の開花が少し遅い感じがしたので、

予定を変更して『春の妖精をもう一度観に、寒峰に登りましょう!』

と奥様たちに連絡した。その時は一週間後には当然もう腰の状態は

良くなっているだろうと思っての事だった。

だが1週間経ってまだ腰と背中に張りがあり、鎧を着ているような感じで、

変な動きを少しでもしようものなら直ぐ再発しそうな感じなのだ。

とは言ってもこのところ奥様たちには軽めのリハビリ登山に付き合ってもらっていて、

そろそろ二人の不満が爆発しそうなので、今回予定は変更せずに出かけてきた。


昨年から奥様たちと3人で行動してきたが、3人だと天気予報をみながら

日程を気軽に変更できるのが少人数のいいところだ。今週は水曜日の天気が

怪しかったので、雨降り後の中一日あけて今日金曜日に出かけてきた。


登山口となる住吉神社までは集合場所の道の駅さいたからでも

意外と時間がかかる。吉野川沿いの国道32号線、そして大歩危からは県道と

国道を祖谷川に沿ってくねくねと走り続けて約1時間30分で住吉神社に着いた。

道中で『今日はピストンと周回どちらにしますか?』とルリちゃんに聞かれ、

『山頂までの時間と様子で決めましょう。』と答えたが、本音を言うと時間と

言うよりは、自分の腰の状態の様子見だった。距離的には上の登山口から

スタートした方がいいのだが、周回するのなら住吉神社に停めた方が最後に

登り返さなくていいので、『どちらになってもいいように住吉神社に車を停めます!』

と話をした。神社の上の道の脇には2台の車とバイクが1台停まっていた。







神社の左奥に小さく寒峰道と書かれた札が掛かっていて、竹林の中からのスタートになる。










登山道は竹林から徐々に杉林の中の道になる。間伐され枝打ちされ手入れされた杉林は、

人の手が入らなくなった薄暗い杉林と比べると、日差しも届いて歩いていても気持ちがいい。







道は作業道と登山道が交互に続いて行く。スタートから20分ほど歩くと、前方の上の方に

ガードレールが見え始めた。道は右に振っているが、あっちゃんはガードレールめがけて

直登したいと言う。『ハイハイ、それじゃお独りでどうぞ!』と言って、ルリちゃんと私は

道なりに歩いて行くと、林道の真下にでた。そのままコンクリートの擁壁に沿って歩いて

行くと、上の登山口の正面に飛び出した。







登山口の脇には6台程車が停まっていたが、その内の5台の香川ナンバーは

目いっぱい間隔を詰めて停めていたので、おそらく同じグループなのだろう。

二人で一息入れていたが、あっちゃんがなかなか登ってこない。

大きな声で呼びかけても声がしない。しばらくするとあっちゃんから電話がかかってきた。

『もう直ぐ林道に出ます!』と。このところのいつものパターンで、あっちゃんは

とにかく直登や難しそうな道を歩きたがる。そしてルリちゃんは巻き道、安全そうな道を選ぶ。

そして大抵はあっちゃんの方が時間がかかって、その度ルリちゃんに『急がば回れやで!』と

言われているのだが、今回もそのパターンで結構時間がかかってあっちゃんが現れた。


最近は県内の里山ばかりでストレスが溜まっていたのか、奥様たちは快調に飛ばして行く。

右手に見えるのは落合集落だろうか?周りの山並みも見渡せる場所に来た。

里山だと登山と言うよりは山歩きといった感じだが、ここまで登ってくると久しぶりに

山登り、登山をしているという感じがする。








下の群生地の手前にも、登山道の下に一ヵ所群生地があった。道に苔のついた大岩か点在し始めると

下の群生地も近い。道の脇には花の開く前の白いミツマタが数本。







群生地には先客が何人かいた。明るく日差しが降り注ぐ谷あいに、春を待ちわびた黄色い

妖精たちがあちらこちらで踊っているように見える。










鶏足山では群生地にはロープが張ってあって、あまり近づけないが、ここでは遠慮なく間近で撮れる。

ただその分小さい花を踏まないように注意して歩かなければいけない。

蕾の花も多く、まだしばらくは登山者の目を楽しませてくれそうだ。














群生地からは上部を回り込むようにして山頂への道が続いている。

雨の降った一昨日から中一日おいて路面は乾いていたが、これがぬかるんでいたら

けっこう歩きにくそうな急登が続いて行く。










群生地からの斜面を登りきると杉林の尾根に出た。『ここから急登ですよ!』と

あっちゃんに言うと、『ここまでもけっこう急だったわよ』と。

道標の脇で休憩していた男性3人組が先に登って行った。間隔を開けたかったので

しばらく休憩した後急登に取り付いて行く。右は緩やかな杉の人工林、左は群生地に

向かって急な斜面になっていてその際を急登は続いている。斜度でいうとストックで

登れるのでそれ程でもないが、とにかくこの急登は延々と続いて行く雰囲気がする。

腰の張りはそれほどでもなかったが、ふくらはぎと太腿の張りが半端ない。

それでも何とか15分ほどで登りきった後、広くなった尾根でたっぷり掻いた汗を拭き、

スポーツ飲料をゴクリと飲む。立ち止まって変な姿勢をとると足が攣りそうになる。

















緩やかに広い尾根を歩いて行くと先行していた3人組が見えた。

1415mの三角点まで来ると、奥様たちが違う男性の3人組と話し込んでいる。

少し遅れて着いて話を聞くと、奥様たちの高校の先生と同級生だそうだ。

今日は三豊の七宝山周辺を毎週火曜日に歩いている会で、総勢20名以上で来ているという。

上の登山口で停まっていた車はやはり一緒のグループだった。














その先生と同級生に別れを告げ四等三角点 栗枝渡 1415mから北に向かって尾根を進んで行く。

この辺りからは所々で残雪が目につくようになる。













1518mの西寒峰の東側を回り込むようにして歩いて行くと、

上の群生地だろうか、大きな木々の根元に福寿草が咲いている。










上の群生地の先はいつも雪が最後まで残っている広い窪地に出る。







足の張りはピークに差し掛かっていたが、コースタイムでは後25分で山頂だ。

道の両側に大ブナが立つ尾根を登って行っているとあっちゃんが

『ねぇ~お腹空かん!』と聞いてきた。『ハイ、私もペコペコです。』と答えると、

『ルリちゃん、お腹空かん!』と今度はルリちゃんに聞いている。どうやらここで

おにぎりのひとつでも口にしたいらしい。するとルリちゃんが『私は空いてない!』と

つれない返事。それを聞いてしょんぼりするあっちゃん。

『え~まだ20分以上も歩くんやろ』『私が行き倒れになったらどうするん』と

小さな声で愚痴を言いいながらも、仕方なく先を行くルリちゃんについて行く。













冬枯れた木々の中の道を抜けると、山頂近くの笹原の道になった。

ここで先行していた団体さんに追いついた。団体さんの中にはあっちゃんの先輩の顔もあった。










山頂は360度遮るもののない大パノラマ。祖谷の深い谷あいの奥に、

雪の残る剣山から天狗塚への稜線がまず目に飛び込んできた。奥様たちも大感激のご様子。




南には四国のゴールデンルート



東は太郎・次郎から矢筈山・烏帽子山方面



矢筈山とさがり禿



次郎笈と剣山



西には中津山と国見山



山頂では三人の写真を団体さんの男性に撮ってもらって、後ろから続々と来る人に、

少し東に下った風の当たらない場所でお昼ご飯をとることにする。













腰を降ろした場所からは落合峠へと稜線が続いている。

以前に独りで落合峠から往復した時は、天気が良くなく、最後はくたくたで

あまりいい印象はなかったが、ここから見る限りではいい感じの尾根が続いている。







お昼ご飯を食べ終えると、奥様たちはすでに周回コースの心づもり。

足と腰に不安は残るが、下りなら何とかなるだろう。

それよりも久しぶりの笹原稜線歩き、山に来た~って感じがして気持ちがいい!

稜線の北には椀山の放牧場が見える。

その椀山の北側にはあの井川スキー場がある。そうなのだ今回のギックリ腰の

原因となった大転倒した井川スキー場なのだ。













寒峰山頂の東側のピークの手前で、周回コースの分岐になる。

道標に従って下って行くのだが、これがなかなかの急坂だった。

雪が融けたばかりの道は踏み跡も薄く、度々その薄い踏み跡を確認しながら下って行く。







東に向いていた道が南に振ると、右が自然林、左が人工林の広い尾根道になる。

その道が杉林だけの道になるとモノレールが道の脇に現れる。

資材を運ぶにしては小さすぎるし、『何のためのモノレールかな?』と言いながら

そのモノレールに沿って続いている登山道を下って行く。
















標高点の1279mまで来ると、前にいた二人が立ち止まってスマホを覗き込んでいる。

周回コースとしては、ここから左に1094mの標高点を回り込むような道になっている。

ただモノレールは右に折れて続いていて、地形図でもそのまま真直ぐ下ると林道の近くまで

降りられるように見える。

破線もなく登山道でもないのでルートとしては不安だが、モノレールに沿って下って行けば

そのうちに車道に出るだろうと思った。もちろんあっちゃんはそのつもりで、

こちらを見てニヤニヤしている。そして少し考えているルリちゃんを説得するため、

私に賛同を求めてきた。周回コースだと回り込んでまだ距離がありそうだし、

道はないがモノレールがあるしと、あっちゃんのショートカットしようという案に、

安易に賛同したのが大きな間違いだった。





最初に、私がこれから急坂が始まるという何でもない場所で足を滑らせ、

また大きく前のめりに転倒した。しかも今回は最初に地面に着いたのは手でも背中でもなく

顔だった。一瞬、首の骨が折れたんじゃないかと思うくらい大きな音がしたが、

幸い起き上がって見ると痛みは無くなり、少し寝違えた感じの凝りが出ただけになった。

考えてみるとどこの山でもミカン畑でも、この手のモノレールは人が歩けないような斜度の

場所に運搬用に造られている。当然、ここの斜度も半端なくまともに立っていられない。










自然林の中から杉林の中になるとさらに傾斜は急になり、足元は杉の枯れ葉と枯れ枝で

覆いつくされ、足を踏み出すのも困難になってくる。時々奥様たちからも悲鳴が聞こえてくる。

いよいよ地形図の沢筋まで降りてくると視力2.0のルリちゃんが、モノレールが川を

渡っているのが見えると言っている。さすがに平均台の様にしてモノレールの一本橋を渡るのは

無理だと判断して、モノレールからは離れて左にトラバースをしていく。

傾斜がいくら急でも、足元がどれだけ悪くても、モノレールを手摺代わりに下れば

何とかなったが、モノレールから離れると途端に進み辛くなる。














最後の沢への下りでは掴まる木もなく、足元が柔らかすぎて

さすがの奥様たちも困難を極めている。こんな道わざわざ歩かなくてもと言った感じで、

ルリちゃんが『こんなにお尻を汚したわ!』と、お尻をつきだしてアピールしている。











沢まで降りると対岸の上に先ほどのモノレールが川下に向かって続いているのが見えた。

手前の沢筋は水際まで斜面になっているので、取りあえずモノレールに向かって渡渉する。







右岸へ渡り、モノレールと給水パイプが並行した間をしばらく歩くと、林道に飛び出した。

昨年から三人で歩いてきて、道を外したりした時に荒れたり籔いていたりした斜面を

何度か下って来たが、今日のこのショートカットは意図してコースを外したものの、

今までで最高に近いワイルドな下りだった。奥様たちは二人とも、帰りに買い物に寄れないくらい、

ズボンの表も裏も登山靴も滑ってドロドロに汚していた。

1094m経由のコースタイムは1時間15分。ショートカットの時間は約1時間だった。

今回確かに時間短縮にはなったが払った代償(疲労度)は大きかった。

林道に飛び出した瞬間に『あ~楽しかった!』と満面の笑みのあっちゃんと

疲労度MAXのルリちゃん。そして私はと言えば、アドベンチャーコースのお陰?で、

腰の痛みも足の張りもいつの間にか忘れてしまっていた。













林道からは住吉神社まで30分のコースタイムになっていたが、道の脇のミツマタの

群生地を眺めながらも、意外と早く15分ほどで車を停めた場所に着いた。











住吉神社から国道まで下り、朝来る途中で話をしていた落合集落展望所に寄り道をする。

祖谷川を挟んだ高台にトイレと東屋のある展望所からは、祖谷川から山の頂部に続く落合の集落が

正面に見える。高低差390mの急傾斜地に集落を形成していて、国の伝統的建造物群保存地区に

指定されている。ここでベンチに腰掛けコーヒータイムにする。










しばらくその山村風景を眺めていると、徳島県と書かれた車とジャンボタクシーがやってきて、

その車から降りてきた職員らしき男性が、ジャンボタクシーに乗ってきた女性陣に

色々と説明をし始めた。コーヒーを飲みながら何気にその説明を聞いていると、

保存地区に指定されているのはいいけれど、この落合地区には新しい家も建てられず、

桜の木の一本も植えられないそうだ。暮らしも景観もそのまま残しておくと言う事か。

それが住む人にとっては果たしてどうなのか・・・・。







谷あいで少し陽が落ち始めると肌寒くなってきた。落合地区展望所を後に竜宮崖公園の

吊り橋を渡りに最後の寄り道。太いワイヤーで張られた吊り橋は、先週のかずら橋と比べると、

随分と安心感はあるが、深いV字の祖谷谷に架かる橋の高度感は半端ない。対岸にも福寿草が

咲いていたが、あまり陽が当たらないせいか開いた花がとても小さかった。










久しぶりの急登と少しだけだったが笹原の稜線歩き。そして奥様たちには鶏足山の福寿草より

この寒峰の群生地の方が自然な雰囲気があって良かったそうだ。

このところ下り坂で大きな転倒をしている私は、毎回落ちた場所が悪かったら酷いことになっていた。

今日も奥様たちがびっくりするほど大きく一回転した。足の筋力がいよいよ弱って来たのか

それとも集中力がなくなって来たのか。

川井峠の枝垂れ桜はまだ先の様な雰囲気なので、来週は別子銅山の鹿森社宅跡と辻ケ峰

歩く予定にしている。グランマーさんがアップしていた一枚の写真に写る

鹿森社宅跡の長い石段に一目ぼれして、春になったら歩こうと話していた場所だ。

ただ延々と続く石段で、新鮮組の階段落ちにはならないように注意しなければならない。

今までは運よく柔らかい斜面だったが、石段で転倒したらそれこそシャレにならない。

来週からは『注意一秒ケガ一生』を念頭に歩こうと思う!(笑)


今日のトラツク


今週もまだリハビリ山歩き!

2022年03月17日 | 四国の山


十数年ぶりのスキーで転倒の末、腰痛を再発してはや2週間。

年を取るごとに益々回復するスピードが遅くなってきた。

『あとは日にち薬』とよく言うが、下手すると『月日薬』に

今後はなってくるかもしれない。あ~いやだいやだ!

と言いながら、今週も奥様たちにはリハビリにお付き合い頂くことになった。

ただ何かテーマがないと同意頂けないと思って、今回は題して『花と岩』。

予定では東讃の里山を歩いた後、白鳥町の湊川の河津桜を見物する予定だったが、

先週、吉津の河津桜を満喫したので、里山から県外のお山に目を向け、

スプリング・エフェメラル(春の妖精)の一つの福寿草を目当てに出かける事にした。

ここ最近、福寿草と言えば寒峰より鶏足山に出かける事が多くなってきた。

登山としては歩く距離も少なく、奥様たちにとっては物足りないが、

行場コースの鎖場の話をすると、予想通りあっちゃんが食いついてきた。

あっちゃんはWOC登山部でも来たことはあるが、その日は雨で行場コースを歩いていない。

その1年前に来た時はルリちゃんは、最初のカニの横バイで怖い思いをしたのだが、

あれから3年、『私も進歩したはず!』と言って再チャレンジする事になった。


大歩危駅から祖谷方面に県道を進んで、タイヤショップの手前の脇道へと入り、

集落の中を『鶏足山キャンプ場』の道標に沿ってクネクネと車を走らせる。

集落にはけっこうな数の民家が点在しているが、最終民家を過ぎると途端に

道は荒れてくる。路面状態も悪く落ち葉や枯れ枝、小さな落石もあって

その度スピードを落としながら、車の底を擦らないように慎重に運転をしていると

目の前、道の真ん中に大きなキジが立ち止まっていた。写真を撮りそこなったが

逃げる様子もなく、しばらくじっとしていて、妙に落ち着いたキジと対照的だったのが

後部座席の奥様たち。『キジよ・キジ!』と二人ではしゃいでいる。

キジとのご対面で盛り上がった後、着いたキャンプ場にはすでに3台ほど車が停まっていた。




キャンプ場の広場の南側が行場コースの入り口になる。その南には鶏足山の岩壁そびえ立ち、

その岩壁の北側で陽が当たりにくいのか、苔蒸した大きな岩や倒木がゴロゴロ転がっている。













下から見上げると、『こんな所、登れるのかな?』と一瞬思ってしまうほど

垂直で白く冷たい岩肌が目の前に迫ってきた。岩壁の足元まで来ると左に

踏み跡が続いている。岩壁の足元特有の土溜まりはザレて歩きづらい。










見上げた岩壁の丁度鞍部になった場所が、岩への取付きになる。

上から男性が一人、降りてきているのが見えた。

左に左に登っていたのをここから右に振ってまずは岩穴に入って行く。

穴を潜ってまた左に登ってその男性と離合。そしてまた右に進むと、

例のカニの横バイがある。













まずは私が手本で足の置き方を奥様たちに見せながら渡って行く。

その後にルリちゃんが続く。前回は途中で身動きが出来なくなったが、今回は

少し腰が引けているものの立ち止まることなく渡ってきた。

そしてあっちゃんと言えば、何食わぬ顔をして通ってきた。










カニの横バイを過ぎ一段上がると。4~5mほどの岩壁に鎖とロープが掛かっている。

前回WOC登山部で来た時は、この岩壁は登らず巻き道を登ったが、

今日は当然あっちゃんはチャレンジ。そしてルリちゃんは当然巻き道へ。

この鎖の岩壁と、もうひとつ上のロープだけの岩壁を登りきると、

最後の鎖の足元に着いた。この鎖は長さは子持ち権現の鎖と比べると

35m程で半分もない長さだが、とにかく角度が違っている。











後ろから来たあっちゃんに、『これが例の鎖です!』と指さすと、

見上げたあっちゃんから『わ~!』と声が漏れた。

ほぼ垂直の岩壁に、赤錆びた鎖がぶら下がっている。目を凝らしても

その頂部は見えない。流石のあっちゃんも少し二の足を踏んでいる。

リハビリに来た私はもちろん最初から登る気もない。




鎖の取付きから少し左に登って行くと、斜めに一段上の岩まで登って行ける。

その事をあっちゃんに教えてあげると、さっそく上まで登って行った。

ただそこから鎖は宙ぶらりんになっていて、身体をどうもっていったらいいのか

判らず何度か挑戦するものの、諦めて降りてきた。







血気盛んなあっちゃんも心配だが、独りで巻き道登りにしたルリちゃんも心配になってきた。

岩の上からは姿は見えず、随分と下の方から声がする。

『お~い、こっちだよ!』と呼びかけ誘導する。間違って行き止まりの穴に入ってしまった

ようだが、何とか潜り岩穴まで登って来た。

潜り岩穴のすぐ上は鎖場の巻き道になっていて、段差のあるヶ所にはロープが掛かっている。

















岩壁の横の巻き道を登って行くと一旦尾根に出た。そこから左にもう一段岩を登ると見晴らし岩に出る。

正面には大きな山容の黒滝山。そして右には随分と高い場所まで民家のある西祖谷山村地区。

そして左は山頂の電波塔で直ぐに同定できる梶ケ森が見える。










岩の端に腰掛けてしばらく目の前に広がる眺望を眺める。

人工林の山肌は濃い緑、自然林の落葉樹の山肌は薄い茶色で、

山全体としてはまるで迷彩色の山肌の様にに見える。














見晴らし岩の北側は最後の鎖の頂部にもなっている。あっちゃんと二人で覗き込んだあと、

ルリちゃんの待つ巻き道の出合いまで戻って、山頂への岩尾根を進んで行く。







岩尾根は巻き道もあるが、そのまま岩尾根をアスレチック気分で山頂へ。













山頂には真新しい山名標が立てられていた。すっかり葉を落とした木々の間からは

明るい日差しが差し込んでいる。山頂から南に尾根を進んで行くと

左に福寿草がチラホラ見え始めた。










踏み跡を辿って尾根から左に下って行くと、上の群生地。







上の群生地から急斜面をさらに下って行くと下の群生地。以前に比べるとこの下の群生地の

福寿草の数が随分と増えているように思った。

全体的に群生を撮ろうとしてもコンデジでは見た目ほど上手く撮れない。

北に向かって広がる斜面を埋め尽くすように黄色の絨毯が広がっている。

近づいて花弁を見ると、陽に当たって飴のように光っている。

パラボラの様に反り返った花弁の中心に日光を集め、その熱で虫を誘引しているのだそうだ。


























春の妖精をたっぷりと鑑賞した後はキャンプ場まで下って行く。

2時間もかからない周回だったので、お昼ご飯にするにはまだ時間が早い。

まずはフォレストアドベンチヤー祖谷まで車を走らせる。

駐車場には徳島の北島中学校のバスが6台停まっていた。『いまごろ遠足?』と思って、

あっちゃんが生徒たちに声を掛けてみると修学旅行だそうだ。

コロナ下で県外には行けずに、県内の観光施設での修学旅行とは・・・・。










フォレストアドベンチャーは傾斜や木の高さなど、自然を丸ごと生かしたパークづくりが特徴で、

木の間に張られたロープを渡ったり、梯子を上ったり、木の間に吊るされた丸太を足掛かりに

向こう側まで渡ったりと、スリル満点の体験ができる施設。

いかにもあっちゃんが好きそうな施設なのだが、今日は中学生の貸し切りで利用できなかった。

施設は公園にもなっていて駐車場の下の東屋でお昼ご飯にすることに。

今日はのんびりできると思って、来る途中でおかずを買って来た。

チーズハンバーグとウィンナー。食事の後はコーヒーとワッフル。














お昼ご飯を食べた後は、せっかくなのでかずら橋まで行ってみる。

ずいぶん昔に渡った憶えはあるけれど、今は対岸にかずら橋夢舞台の大きな施設。

そしてかずら橋の横には車が通れる祖谷渓大橋が掛かっていて、秘境感が全くなくなっていた。







ルリちゃんは恐る恐る。あっちゃんはトントンと渡って行っている。

私たちが丁度真ん中あたりまで来ると、渡りきったあっちゃんが引き返して来た。

すると大音量のマイクで『お客さん、橋は一方通行です!』と注意されてしまった。

バツ悪そうにしたあっちゃんだったが、今度は橋の上に居た若い青年に声を掛けて

写真を撮ってくれと頼んでいる。若い男性にちやほやされて嬉しそうなあっちゃん!














周りの環境も随分変わってしまったが、何より気になったのは祖谷渓に架かる橋の高さ。

記憶ではもっと高さがあったように思ったが、意外と低い位置にかかっていて

『あらら?』といった感じだった。







かずら橋からは少し遠回りして県道32号線を車を走らせる。

奥様たちはどうやら初めての道らしく、途中にある小便小僧や祖谷渓展望台を

楽しみながら、山間の春の訪れを感じて帰路についた。














里山に遊ぶ 爺神山・葛ノ山・山条山

2022年03月10日 | 香川の里山




先週の久方ぶりのスキーで大転倒。そして御多分に漏れずに

ガラスの腰が壊れてしまった。その一週間前に山から降りての奥様たちとの別れ際

ルリちゃんに『くれぐれも腰を痛めないようにね!』と注意してもらったのに、

結局、その日は転倒した後も鈍痛程度で滑れたので最後まで滑ってしまったのが

良くなかったのか、翌日にはほぼギックリ腰の様な状態になってしまった。

寝返りをうつのも苦痛で、次の日からずっと通院が続いている。

本来なら『線で繋ぐ讃岐の里山』を予定していたが、奥様たちには

『今週はまだ無理みたいです!』と連絡をした。

するとルリちゃんが計画を立てて、『三豊市の里山を歩くので、具合が良くなれば

参加してください』と返事が来た。奥様たちは里山の6座を歩く計画だったが、

前半部分の3座なら何とかなりそうなので、リハビリを兼ねて参加する事にした。


まずは一つ目の山は讃岐七富士のうちの一つの爺神山

高瀬富士と呼ばれる爺神山だが、今は昭和35年頃から始まった採石で、

山の東側が削り取られて山容はすっかり変わってしまって、

高瀬富士と呼ばれていた頃の面影はない。

それにしても西讃地区には天霧山汐木山そして江甫山といい

採石事業によって山容が変わってしまった山が多い。しかも爺神山と江甫山はその形は失われても

未だに讃岐七富士と呼ばれている。


爺神山の南側の大師堂に車を置いてスタートする。

長曽我部元親が讃岐攻略に入りこの爺神山にあった爺神山城の詫間氏は

壮絶な闘いの後落城、滅亡した。その後、爺神山の祭りの折に触れ亡霊がさ迷うように成った為、

四国八十八箇所第一番札所竺和山霊山寺の本尊釈迦如来坐像を祀り通夜堂を健立した。

そして通夜堂を一番に爺神山麓を右廻りに石仏を配した四国霊場ミニ八十八箇所を開基したところ

熱心な信仰によって亡霊は鎮まり、その通夜堂はいつの頃からか大師堂と呼ばれるようになったそうだ。










讃岐富士と呼ばれるだけあった、スタート直後から九十九折れの急登が続いて行く。

よく踏まれた道には合目ごとに案内板が掛けられていて、

それ以外にもメッセージを書いた木の板が所々に掛けられている。











六合目近くになると南側の景色が広がってきた。そして山頂手前では柱状節理が観察できる。







その柱状節理を右に回り込み進んで行くと山頂広場に出た。

下草はきれいに刈られ、大きなテーブルとベンチが設置されていた。

地元の奥様たちは目の前に広がる景色を見ながら指さし、あ~だこうだと言っている。







その眺望に合わせて、写真に山名を書いた案内板が数ヶ所たてられていた。

大師堂からの道沿いの案内板、そしてこの山頂の案内板といい、地元の人たちの

手がかなり入れられている。採石によって山容が変わったしまったこの山だが、

山頂も以前に比べると様変わりしていた。










前回来た時には山名標が一本だけ立つ山頂だったが、今は万国旗まで風にはためいている。

またその時の山名標には『爺神山 二二七米』と刻まれてあったが、

今は地形図の標高も214mとなっていて、いつの間にかこの山は214mの標高になっていた。

そしてその数字に合わせて『バレンタインの山』と呼ばれているそうだ。








しかもその214を形どったオブジェが立っている、今流行りのインスタ映えを

狙っての事だろうが、何とも賑やかな山頂になってしまって、何だか落ち着かない。

三豊市の里山はこんな感じに手を入れられた山があちこちに見受けられる。











ひとしきり山頂での眺望を楽しんだ後、一旦大師堂へと下って行く。

いつもならトントンと調子よく下って行くのだが、今日は一歩一歩慎重に下りる。

少し調子は良くなってきた腰が、ここで滑ってしまっては元の木阿弥。

大師堂から西に裾野を回り込み三野町と高瀬町の峠となっている坂越から

北に車道を進んで、二つ目の山葛ノ山へと歩いて行く。







一旦、県道23号線を横断して、山の西側から北側へぐるっと車道を登って行くと、

大きな貯水施設から遊歩道らしい雰囲気の道になった。

葛ノ山は97mほどの標高の山。山頂へは直ぐに着いた。山頂には三角点もなく、

広場になった場所に石祠が座っているだけだった。











葛ノ山からは往路の車道からは外れて、北側に降りて行くと高瀬川沿いの道に出た。

車道を葛ノ山の北側の裾野を、次の山条山へと歩いて行く。

田畑の畔には紫色の小さなホトケノザが咲き誇り、暖かさも相まって春の訪れを感じる。







葛ノ山から吉宗瓦窯跡の展示場と瓦窯跡の白い屋根が近づいてきた。

吉宗瓦窯は7世紀中ごろに瓦の生産を始め、当時の17号窯は長さが約13メートルで、日本一長い瓦窯。

そして瓦窯が24基あるのは、当時としては日本一。さらには藤原宮で使われている瓦で、

日本一遠くの場所で焼いた窯だそうだ。施設の横のまだ咲いていないしだれ桜の横を通り、

山条山の登山口へと進んで行くと、先ほど歩いた葛ノ山が後ろに見えた。







登山口には案内板があり、なんとQRコードを読み込むとコースを書いた地図と

ポイントを書いたページにリンクされていた。以前だと地形図にコースを印刷した

紙を置いてある里山はあったが、QRコードを読み込んでリンク先のページを見るなんて、

初めての事。どこかの公園や博物館・美術館を彷彿させる。里山もアナログから

デジタルへ移ってきたと言う事か!それと時間に余裕のある年配の方達も、

パソコンやスマホを操るような年代になってきたのだろう。







登山道は直ぐに竹林の中の道になった。これも里山らしい風景だ。










竹林から九十九折れに登って行くと、山条山の東の尾根に出た。

ここにも木製の手作りベンチと木のメッセージ板。







尾根道には樹種を書いた写真付きのラミネートの説明書きと木の説明板が

所々で立てられている。この道は植物園の様相。














根元から何本もの幹に分かれた桜の木も珍しい。




標高が上がり山頂が近づいてくるにしたがって、傾斜がきつくなってきた。

そして着いた山頂には今までと同じようなハートマークにくり抜いた背もたれのベンチ。










北には益々山が削られ平らになった汐木山には太陽光発電のパネルが並んでいる。

南東には爺神山と此地中の向こうに大きな勝田池と国市池が見える。







山頂から今度は南側の三角点を目指して激下り。張られたロープを使わないと下れない。

一旦鞍部まで下って登って行くと石祠の上の小高い場所に三角点はあった。

今日の三座目だが初めての三角点。四等三角点 山条 154.4m














三角点からも一旦下って143mの標高点へまた登って行く。

厚く積もった落ち葉の表面がワックスがかかったようにツルツルして良く滑る。

143mの標高点では右と左に道が分れているので、左に折れて高薬師へと下って行く。










一旦、車道に出て道の下に見える高薬師からさらに下ると、お目当ての三好うどんがある。

今日はここでお昼ご飯。この店に初めて来たときはまだ屋号は『うどん だいくヤ』だった。

大工をしていた大将のお店だったが、今は若夫婦が三好うどんとして営業している。

このお店、麺と出汁はもちろん美味しいのだが、天ぷらを注文を受けてから

揚げてくれるので、いつも熱々の天ぷらが食べられるのがうれしい。

食欲が戻った私と痩せの大食いのあっちゃんはうどん2玉と天ぷら。

意外と食べないルリちゃんは1玉と天ぷら2個(どちらも変わらないか~)













エッジの効いた少し縮れた腰のある麺に大満足した後、あっちゃんはPeyPeyでお会計。

お店を出て歩いているとあっちゃんが財布を入れたサコッシュをお店に忘れたのに気づいた。

慌てて取りに帰るが、スマホで決済もいいけど大事な財布を忘れるなんて。

これもデジタル化の弊害?

三好うどんからは下道を太子堂までのんびりと歩いて行く。歩きながら先日うちの奥さんに

山頂での三人の写真を見せたところ『おばさんと歩きよんやな~』と言われたと言うと。

あっちゃんが『なに~おばさんとな!』とご立腹。『きれいなお姉さまとやろ!』と。

『ん~ノーコメントにしときます!』と言いながら心の中で、十分おばさんやけどな~!




大師堂の駐車場には柴犬とおじさんが寛いでいた。しばらくそのおじさんと話をすると、

生後5カ月を過ぎた子犬は、先日のコンクールで優勝したと自慢話が始まった。

確かにその子犬は素人が見ても目鼻たちや体形が整っている。

そしてコンクールで立ちこみと呼ばれる、直立不動でじっとしてポーズを

とらせるのが難しいのだとも教えてくれた。







今日の奥様たちは残り3座を予定しているが、やはり腰と背中が張ってきたので、

私は山歩きはここまでにして、最後に吉津の河津桜を一緒に見学して帰ることにする。

車で移動して河津桜用に解放されている駐車場に車を停めた後、歩きだしたら

後ろから声を掛けられた。WOC登山部のヤモッチさんだった。

あれ~ヤモッチさん、2・3日前にもfacebookにここの写真をあげてたのに!

駐車場から少し歩くと、河津桜の前には平日にもかかわらず大勢の人が同じ方向を見入っていた。

ヤモッチさんが上の方の枝は少し散ってきていると教えてくれたが、それでもほぼ満開。

平成16年に苗木として植樹されたこの桜が、ここまで大きく立派に花を咲かせている。

花にはその蜜を求めて沢山のメジロが花から花へと飛び移り鳴いていいる。

















今日は三座といってもどれも低い山ばかりで、歩いた距離も7km程度。

それでも痛めた腰とその周りの背中の張りが出てしまった。

このところの感じでは一度痛めると二週間ほどかかってやっと直った感じがする。

若いころだと1週間もかからなかったのが、やはり寄る年波には勝てない。

早めに直していつもの山歩きに戻さないと、奥様たちからも、いたわりの言葉が

そのうちに、𠮟咤の言葉に変わってしまわないかと思ってヒヤヒヤしている。


今日のトラック



今日の3Dトラック

線で繋ぐのはお休み

2022年03月03日 | 四国の山



腕山に登ったのは2008年。もう14年も前になる。

井川から県道を南下した記憶はあるが、途中で下影の棚田

寄り道したり、井川スキー場から更に南に車を走らせた記憶がない。

唯一、腕山放牧場に沿って登って行ったのだけは憶えている。


今週はその腕山ではなく、手前の井川スキー場にWOCのメンバーと出かけてきた。

WOCのメンバーとは昨年の秋の石鎚山以来の合流。

ここの所WOCは登山部よりスキー部の活動が活発で、

メンバーによっては毎週出かけているようだ。

今シーズンに入って、その様子を横で見ながら、久しぶりにスキーを滑ってみたいと

思ってたのだが、一旦落ち着いてきていたコロナがオミクロンの襲来で、

また不要不急の外出は?などと言われるようになってきた。

それに伴って、我が家の奥様からは、登山の際も『乗り合わせで出かけてないでしょうね!』

などと言われるようになった。『もちろん、現地集合で少人数で歩いてます』と答えるのだが、

デポ車とデポ車の間だけはどうしても乗り合わせになる。当然その事は内緒にしている。

大山のスキー場となると、朝も早く帰りも遅くなるが、井川スキー場なら

山に出かける時間より少し早いだけで、帰りはいつもの時間に帰って来られる。

しかもあっちゃんから『登山の服装で出かけて、スキー場では雨具を着て滑ったら、

奥さんにバレないわよ!』とアドバイスをもらった。

あっちゃん自身もご主人には登山の予定だと言って、

何食わぬ顔をして朝家を出かけてきたらしい。

そんなこんなでおおよそ12年ぶりのスキー体験となった。





朝一番は雲っていた空も次第に青空が顔を覗かせ始め、

厚着をしていると暑いくらいになってきた。







なんせ間が開き過ぎた事に不安だったが、2・3本滑ると依然と変わらぬ感じで、

滑れるようになり感覚を身体が憶えていた。







ただルリちゃんに『くれぐれも腰を痛めないように注意してね!』と言われていたのに、

調子に乗って滑って見事に一回転して、腰を強打してしまった。











結局最後まで腰の痛みは取れず、しばらくは尾を引くような雰囲気。

ただしばらくぶりのスキーで、登山とはまた違ったリフレッシュができた一日だった。