KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『お菓子売りのてくてく』さんに会いに南嶺へ!

2024年05月30日 | 四国の山

日頃から山歩きの行先を考えるのに、YAMAPを利用している方はかなりの数になる

のではないだろうか。フォローしている人の活動日記は次々とアップされていくし、そ

れでもまだ行く先が定まらなければ、地域や季節を絞って検索もできて、とにかく便利

だ。そんな中で5月の連休が終わっての週末にアップされた活動日記の写真に目が留ま

った。それは山頂からの雄大な景色でもなく、貴重な花の写真でもなく、一人の女性が

背負子を背負った写真だった。ヤーメンさんとソーヤさんがアップした写真の女性は、

実店舗は持たずに手作りお菓子を行商で売り歩いている『お菓子売りのてくてく』さん。

背負子に付けたケースの中には動物や山の形をした色々なお菓子がぶら下がっていた。

さっそく奥様たちにその写真を送ったら、『まぁなんて素敵な笑顔の女性なの!』と

っちゃん
から返信があった。『是非会ってみたいわね!』とも。

ただ『てくてく』さん、普段は街中で週末に山に行商に出かけているようなので、週

末はなかなか休みが取れない私は、会いに行く機会がないかと思っていたら、なんと

今週は水曜日に鷲尾山に出かけますとYAMAPにアップされていた。

これを見逃す手はないと奥様たちにメッセージを送ると、もちろん即OK。ルリちゃ

はWOC登山部で一緒に歩いたことのある南嶺だけれど、あっちゃんは初めて。筆山

から歩けば、4座ゲットできるので、それも楽しみだと返事が来た。


集合場所の豊浜から筆山の駐車場まではGoogleMapでは1時間となっていたが、てく

てくさん
のスタート時間が8時30分となっていたので、市内は通勤ラッシュの時間帯。

少し早めに待ち合わせをして高知市内へ向かうと、予想通り高速を降りると車は渋滞

していて、果たして間に合うかな?と思いながら筆山へと向かって行く。

筆山第二駐車場にギリギリに到着したが、てくてくさんはまだの様子。近くの東屋の下

には、登山着姿の男女がいた。『あの方たちも多分てくてくさん待ちかな?』と言いな

がら身支度をしていると一台の車が着いて、車からはてくてくさんが降りてきた。

さっそくてくてくさんを前に事情聴取をする奥様たち。







すると先ほどの東屋の男女も含めて、次々とお菓子を買い求める人が現れた。SNSを

見た人は、山には登らずわざわざお菓子を買うためだけに来ていたりする。私たちもさ

っそく美味しそうなクッキーを買い求めた。







駐車場から色づき始めたアジサイを眺めながら、登山口へと向かう。皿ケ峰・鷲尾山

登山口は墓地の中への道。道の両脇に建つ墓石の中を歩いて行く。












しばらくすると南側の景色が開けてきた。浦戸湾と宇津野山から続く稜線。少し違った

場所からは、東に五台山が見えた。













墓地の中の道は昨日かなり強く降った雨の影響か、場所によっては水が道の上を流れて

いる。墓地を抜けると皿ケ峰山頂への道とトラバース道との分岐。右側の道を進むと

ケ峰
山頂に続く道だったが、気づかずにトラバース道を進んで行く。

皿ケ峰山頂を回り込んだあたりから景色が良くなり、このコースで有名なライオン岩

見えた。するとそのライオン岩の周りで何やら撮影をしている人たちの姿があった。

通り過ぎる際に『何の撮影ですか?』と聞くと、『テレビのCM様です!』との事。おそ

らく地元の会社のCM用の撮影なんだろうな?と思いながら横を通って下って行く。

前回も思ったけれどこのライオン岩。どう見たらライオンに見えるのだろう?













ライオン岩を過ぎるとまた道の両側に墓石が現れる。真っ赤に錆びついた道標を過ぎる

と今度は半分炭になった道標。この辺り一帯は山火事あった場所で前回秋に来た時はそ

の雰囲気を見ることができたけれど、今日は草木が伸び放題で周りの景色は様変わりし

ていた。













山火事のあと高木がまだ育っていない鞍部辺りは日差しが届いていたが、そこから先は

森の中の道。気温は上がってきているが湿度が低いせいか日陰になった途端涼しくなっ

てきた。朝一番で鷲尾山に登っていた人たちだろうか、何組かの人たちとすれ違う。














道は緩やかな登り坂から短い距離だが急登になると目の前に見覚えのある建物が見えた。

中・高一貫校の土佐塾の『大志寮』だ。この建物は高知市内からも山中にあってけっこ

う目に付く建物だ。いったんその土佐塾への舗装路を横断して大志寮に向かって階段を

登って行く。寮の脇を通りさらに歩いて行くと貯水池のようなコンクリート壁に苔が生

えて、色々と落書きがしてあった。その中で『助けて!』と書いてある落書きを見なが

ら、奥様たちと『寮生が逃げ出せずにいるのかしら?』と。













落書きのコンクリート壁の先からは一旦下り坂になる。鞍部まで降りると四差路になっ

ていて深谷・吉野と書かれた東西の道は街中に続いているようだ。この南嶺は高松市で

云えばさしずめ峰山みたいで、市内から色々な道があってアプローチできるようになっ

ている『市民の憩いの里山』だ。













四差路を過ぎると鷲尾山への最後の登りになる。坂の途中で二股になった場所では丁寧

な案内板。当然楽そうな右の道を登って行く。しかしそう思って選んだ右の登坂もけっ

こう急な坂。九十九折れの道が続いていく。










尾根を右に左に巻きながら続いている道。要所要所にはしっかりとした道標が建ってい

る。すると高木の下の木陰にベンチとテーブルが並んだ場所があり、その横を通って一

段登るといっぺんに眺望が広がり鷲尾山に着いた。












山頂ではすでに到着していたてくてくさんが、何人かの人たちと談笑していた。その様

子を見ながら声をかけると、『けっこう売れたんですよ!』と満面の笑み!

私はと云えば今日はその笑顔を撮りにわざわざ香川からきたので、ストーカーもどきで

写真を撮りまくり。














奥様たちとのやり取りを眺めながら写真を撮っていると、サングラスを掛けた男性から

『KAZASHIさん?』と声をかけられた。『ハイ!』と答えると『ヤーメンです』と。

今回てくてくさんに会いに来た大元の情報源のヤーメンさんだった。『今日は平日だから

ヤーメンさんとソーヤさんは来られないだろうと思っていました』と言うと、『実は転職

して6月からの勤務になって、5月いっぱいは有休消化で仕事をしていないんです』と仰

った。ヤーメンさんの活動日記には山だけでなく、沢に入ってアメゴを釣り、その釣った

アメゴを山頂で食べている写真が時々アップされている。なかなか高尚な趣味をもってい

て普段からうらやましく思っていた。リタイヤしたら習おうかな?

そのヤーメンさんに顔ハメパネル持ってもらって、てくてくさんと一緒に写真を撮る。

この顔出しパネルとわしお山とくりぬかれたパネルは、筆山から一緒になった三人組

の内の男性が作ったそうだ。





今日は昨日の雨のお陰でかなり遠くまで見渡せる。案内板の近くにいた白髭の男性が

『今日は室戸岬も足摺岬も珍しく見えている』と教えてくれる。

やはり昨日の高知でもけっこう雨が降ったので、鏡川や国分川から流れ出た泥水が、

湾をでて太平洋の沖の方まで海の色を変えている。



浦戸湾の奥に室戸岬


宇佐湾の先に足摺岬




てくてくさんと別れた後、一段下のベンチのある木陰でお昼ご飯。同じようにベンチに

腰掛け食事をしている女性が二人。一人は40代の方、もう一人は70歳を過ぎた方。

奥様たちはその女性たちといろいろ井戸端会議。今日お昼ごはんにあっちゃんが持って

きた素麺の話で盛り上がったかと思えば、年配の女性が阿讃縦走の話を始めたりと賑や

かだ。その横で私は独り黙々とぶっかけうどんを口に入れる。

するとその先輩女性が『今まで登った山で一番良かった山はどこですか?』と聞いてき

た。『自分にとって一番の山はどこだろう?』と思い頭の中を巡らせていると、直ぐに

その女性が『私はトムラウシ山よ!』言ったので、思考を中断。『山一面お花畑が凄か

ったの・・・・』と。是非ぜひ行ってみてと。トムラウシ山と云えば、ツアーガイドが

いたにもかかわらず8名が低体温症で亡くなった遭難事故のイメージしかなく、お花畑

と繋がらない。まあでも一度は雄大な大雪山系の山を歩いてみたい。

お話はまだまだ続きそうなので、ベンチから腰を上げて挨拶をして宇津野山へとまずは

登ってきた道を引き返す。

支尾根の途中から有刺鉄線に囲われ、入り口だけが取り除かれている場所から宇津野山

へと向かって行く。多少のアップダウンはあるが基本下り気味の道。











途中からは鉄塔巡視路となり、宇津野山の手前で鉄塔広場に出た。














鉄塔広場を過ぎればまもなく宇津野山山頂に着いた、周りは木々に囲われて見晴らしはな

い。三等三角点 西孕 256.33m

山頂からは来た道を折り返し途中の分岐から支尾根を外れて下って行く。山頂もそうだ

がこの間ほとんど眺望はないが、一カ所だけ道の北側が開けた場所があり、木々の間か

ら土佐塾の校舎が見えた。

















支尾根から外れた道はしばらくして往路に歩いた道に出た。鞍部まで下り登り返すと土

佐塾の大志寮。寮の脇を抜け舗装路に出ると下から土佐塾の真っ赤なバスが何台も上が

ってきた。













舗装路から森の中を下って行くと皿ケ峰との鞍部になる。ここからは高木もなく容赦な

くお日様が照り付ける。ライオン岩まで登り、その先の分岐から皿ケ峰山頂への急登が

始まる。登坂も下り坂も着地した左足に重心がかかるとやはり左膝が痛む。出来るだけ

体重が載らないように登って行く。























皿ケ峰山頂は電波塔と平らになった中心にはシンボルツリー。開けた北側を見ると工石

からの稜線が東西に続いている。ここで今日三つ目の山頂ポイントゲット。残るは

だ。












皿ケ峰山頂から急坂を下り墓地公園の中の道。車を停めた駐車場の上側から筆山へ取り付

く。そして最後の登りそして階段が始まる。何とかその階段を登り切り今日最後の山頂、

そして二つ目の三角点 三等三角点 真如寺山 118.28m

山頂にある展望台からは木々に遮られて、高知城の城壁が何とか見える程度だった。

プラタナスの大木の木陰に入ると爽やかな風が吹き抜ける。新緑の葉の間から、遠慮気

味に木漏れ日がさしている。














SNSに上がったてくてくさんの写真を送って直ぐに、ぜひ会ってみたいとあっちゃん

から返事があったが、こんなにも早くお会いできるとは思わなかった。

『山歩きも好きなんです』と言った彼女の笑顔は、まだ爽やかな風の吹く山にあって、

それ以上の爽やかな笑顔も見せてくれて、大満足の一日だった。

てくてくさんは香川の里山にも出かけたいといったので、飯野山を勧めておいた。興味

のある方は、インスタと、YAMAPをチェックしてお菓子を買いに笑顔に会いに行っ

て見てはどうだろうか。

instagram
【お菓子売りのてくてく 四国店】

【alku】

YAMAP
【お菓子売りのてくてく 四国店】




奈路ってなん奈路(だろう)?・八反奈路!

2024年05月23日 | 四国の山


先週、船窪のオンツツジ公園の駐車場で、下山後に車に乗り込んだ途端に太腿の表と裏

が攣って悶絶した話を、通いの接骨院で『太腿が攣った』と話をしたら、『太腿の表・裏

どっち?』と聞かれたので『両方!』と答えたら、『それはそれは痛かったやろ』と仰っ

た。両方がいっぺんに攣るのは珍しいそうで、しかも太腿は普通でも痛いらしい。

原因は分からないが膝の影響も少なからずあるかもしれない。もうあの痛みは経験した

くないな~と思いながら、『さて今週はどこを歩こうか?』と考え、YAMAPを探索。

周りの活動日記を見ているとどうやらどこも今年は花付きがあまり良くない様子。そろ

そろシロヤシオでも、と思っていたが、シロヤシオは特に不作のようだった。

それならお花は諦めてブナの新緑でもと思い、久しぶりに八反奈路に出かけることにし

た。八反奈路はもちろんヒノキで有名な場所だが、途中のブナの林も見ごたえがある。

前回は二日酔いでヘロヘロだったが、今回は膝。なんだか毎回不安要素を抱えての登山

となる八反奈路だった。


大豊ICを降り本山町に入り、モンベルアウトドアヴィレッジの横を通って、県道から

北に栗ノ木川に沿って車を走らせる。途中には『本山一揆殉難之碑』が建っていたが、

このあと登山口から続く『滝山』と書かれた道標が山なのか場所なのか意味が分からな

かったが、本山一揆は滝山一揆とも呼ばれていて、その一揆の舞台となったのがどうや

ら滝山という山ではなく場所のことのようだった。

殉難之碑を過ぎ三差路を左に折れてさらに登って行くと、最終民家の上に路肩が広くな

った場所がある。前回は四輪駆動の車だったのでさらに登山口まで、未舗装の道を走っ

て行ったが、今日は無難に路肩に停めさせてもらった。

毎週金曜日にはなんとここまでコミュティーバスが来るようだ。








舗装路から斜め上に続く未舗装の道を登って行くと草刈り機の音が鳴り響いてきた。歩

いて行くと何人かの人が道の脇の草刈り作業をしていたので、軽く挨拶をして通り過ぎ

る。







未舗装の道は突き当りになりその先に高い位置から流れ落ちる滝を見渡せる。案内板に

『幣木ケ滝』と書かれているが、GoogleMapには『滝山大樽の滝』となっている?








広場の脇の取り付きには『滝山一揆(岩屋)』『高石吉之助の墓』と書かれた立派な道標。

その次は『滝山』と書かれた道標が続いていく。この時点で滝山はこの場所の南側にあ

るピークだと思っていたが、そのピークは『きびす山』で、滝山ではない事があとから

分かった。







道は滝の上部へと回り込みながら急登が続いていく。いつものことだが奥様たちのお尻

を見ながら『なんだ坂、こんな坂』と口ずさんでみても、機関車が登坂を力強く登って

行くイメージからは程遠く、煙突から勢いよく出る煙の代わりに、『ハア~ハア~』と上が

った息が出ていく。











先週の太腿が攣った要因を少しでもなくそうと、コンディショニングタイツを新調した。

着圧効果で疲労の軽減につながるというタイツだが、半月板損傷でガタついていた膝も、

締め付けられてガタつきがなくなりいい感じだ。ただしウエスト部分がポッコリ下腹の

下で折れてしまって、お尻が半ケツ状態。腰への効果は期待できそうにない。(笑)








20分ほど急登を登り続けただろうか『中段の滝』の案内板を見て、『ふ~う』とため

息一つ。道はまだまだ楽をさせてくれない。










すると『楽々コース』の道標。しめしめと思いながら楽々コースへと歩いて行くルリち

ゃん
の後ろをついて行く。あっちゃんといえばロープがかかっている反対の斜面を見逃

すはずがなくひとり登って行く。すると楽々コースはほんの一瞬でローブ場の上に出た。

『なんじゃ~』・・・・・。







正面に大岩壁が現れる。この岩を下から斜めに上り詰めると、やっと道は緩やかになっ

てきた。











滝へと流れる沢沿いの道になり、さっきまでの急登でたっぷりと搔いた汗が、その沢の

水の冷気で幾分が冷やされ涼しく感じる。沢の手前で『墓』と書かれた案内板の先で

沢を渡ると『左馬之助の妻の墓』と書かれた真新しい墓標が立っていた。

ここまでずっとそうだが、『一揆(岩屋)』『墓』と書かれた案内板が立っていたけれど、

せめて登山口に説明版でもあれば別だが何のことかさっぱり分からない。

左馬之助とは高石 左馬之助の事で、滝山一揆の中心人物。その人物像はは土佐藩側と

馬之助側では全く異なるが、史実としては「鳥でないと登れない」「木こりさえも通わな

い」といわれた「滝山」の山上に砦を築き、地の利を知り尽くした戦いとなったとある。

土佐藩側は予想以上の犠牲者をだした戦いだったが、45日間の戦いのあと左馬之助

最終的に滝山を去ることを決断した。その際に怪我をしていた妻『ぬい』は、足手まと

いになるからと、敵方に殺されるよりは夫の手で殺してほしいと懇願し、この地で

馬之助
が泣く泣く首をはねたとされている。その後左馬之助は子供たちを連れ、現在の

四国中央市に逃げ延びたという。

そんな歴史が全く分からずただただ『???』と佇む奥様たち。











その妻の小さな石祠の前には朽ち果てた建物の跡と横には五右衛門風呂が転がっていて、

生活していたような痕跡があるが『木こりさえ通わぬ』というこんな場所で、だれが?




墓からもしばらく沢沿いの道が続いていく。スズタケの色が濃くなってくると、沢を流れ

る水は極端に少なくなり、登って行くと作業道に出た。











その後二度ほど作業道を横断すると目線の先の杉林の中に尾根が見えた。あの尾根まで

登れば、あとは比較的緩やかな尾根道となる。そう言い聞かせながら登って行く。











白髪山から南に延びる尾根に出た。ここで行動食を口に入れ水分を補給する。次のピーク

へ一度だけ急登になるが、あとはピークを巻いて行く道で少しづつ緩やかになって行く。














すると少し前であっちゃんが屈みこんで何やら写真を撮っている。『何かいるんですか?』

と尋ねると、黙って指さしている。指さす場所には杉の枯れ葉の上に落ち葉が何枚か落ち

ているように見えた。『???』。ただよ~~く見ると落ち葉と同色のカエルがいた。

見つかっていないと思っているのか、それとも『早くあっちに行け』と思っているのか、

じっとして全く動かない。











背より高いスズタケの道を抜けると、八反奈路と白髪山への分岐。ここから八反奈路へと

下って行くと、すぐにブナの森の中になる。目の前が一瞬緑の霧がかかったような一面

の新緑が目に飛び込んでくる。広々とした緩やかな斜面に立つブナの木。

ブナは「森のダム」とも言われ、ため込んだ雨水を徐々に放出をして森に潤いを与えると

云われているが、まさにその通りこの森はとても生き生きとしている。






















そしてブナの森の先には今度はコケの日本庭園だ。徳島の山犬嶽は割と狭い場所にコケ

岩が密集しているが、この場所はやはり緩やかな斜面一面にコケ岩が広がっている。

そのコケ岩の数だけで云うと、山犬嶽の比ではないかもしれない。コケ岩の上に落ちて

いる枝をきれいに掃除すれば、足立美術館にも負けない庭園美術館になれる?



















タコの足のような太い根を覆いつくしているコケ。この木が枯れ木なのでここまでコケが

付くのだろうか?地表を這うように広がっているコケの根は迫力がある。

道は少し不明瞭になっいていくが、テープを見つけながら更に奥へと歩いて行く。














すると見覚えのある大きな根下りヒノキが見えた。倒木の上に芽吹いた樹が倒木を覆うよう

に根を張り、やがて倒木が風化してなくなることで、根下がりヒノキになる。

近づいて行くと根の立ち上がりは人が立って入れるくらいの高さだ。

ロープが張られた中には『四天王』と書かれた銘板があり、四本のそれぞれ違う形のヒ

ノキが立っていた。














四天王からも西に向かって踏み跡が続いている。足元が悪い場所は木道になっているよ

うだが、ずいぶんと手を入れられていないのだろう、木道自体も朽ちかけている。







銘板にはキャッチコピーが書かれているが、その内容が??『どういう事』って思うも

のばかり。











ただどれもが個性的で、なかには首を傾げたくなるほど複雑な形状をした根下がりヒノキ

がある。このヒノキは男女が社交ダンスを踊っているようにも見える。










『なぜ曲がったか?』と書いてあるが、その答えがどこにも書いていない。おそらく工

石山の『根曲がり杉』と同じように、幼木の時に強風で曲がってしまいそのまま成長し

てしまったのかな?それよりもこの曲がった状態で、これだけの巨木が倒れないのかが

不思議で仕方ない。

















『竜のおっちゃん』と書かれたこれも傾いたヒノキ。『なぜ竜なの?』『なぜおっちゃん

なの?』と巨木の前で頭をひねるが答えが見つからない。唯一幹の途中の膨らみと折れ

た枝の場所が竜に見えないことはないかと、三人で取りあえず納得をする。










『竜のおっちゃん』の前に枯木を横にしたベンチ?が並んでいた。そのベンチに腰かけ

おっちゃんを見ながらお昼ご飯にする。奥様たち二人の話声以上に大きく鳥の鳴く声が

鳴り響いている。











お昼ご飯を食べ終えた後、奥様たちは白髪山へと登って行った。私はやはり膝の具合を

考えて、奥様たちはアタック隊。私はその後方支援といえば聞こえはいいが、前回の

人の森
と同じように、この八反奈路でもしばらくまたカメラの練習をすることにした。














八反奈路は山中にありながら平坦な地形をしていて、木材の搬出に適さないため、白髪山

の檜を販売することで、莫大な利益を上げていた土佐藩も八反奈路のヒノキを伐採するこ

ことができず現在に至り、そのため、八反奈路に自生するヒノキの巨木の樹齢は500〜

600程になる。高知では平坦で緩やかなことを『なろい』といい、そこからここの八反奈

の名がついたようだ。

独りだけになった森は鳥の鳴く声だけが聞こえてくる。カメラをタイマーにセットして、

根下がりヒノキの反対側まで走る。10秒間のタイマーではなかなか間に合わず、何度も

繰り返す。














今度は違う場所でシャッタースピードの設定を変えて撮ってみる。これもタイミングが

合わず、またスピードの設定が難しく何度も繰り返す。

住宅の室内の写真ではよくある写真の手法だが、初めてにしてはこんなもんかな?

樹齢500年から600年の木々の足元で、60年そこそこの若造が、何をウロチョロ

してるんだろうと思われているかな?











結局ウロウロしているうちにコケ床を踏み抜いたり、転びそうになったりで膝の調子が

悪くなってきた。帰りの道でも急坂の下りが待ち受けている。ひどくならない内に森の

撮影会は終了することにした。











八反奈路から白髪山からの尾根に一旦登りそのまま尾根を南に下る。杉林のトラバス―ス

道を過ぎ、尾根から外れ下って行くと沢沿いの道になる。














途中には左馬之助の弟の墓がある。弟の高石吉之助は兄とその子供たちと一緒に滝山から

離れる途中で、もともと負傷をしていてこの場所で息絶えたそうだ。逃げ延びた左馬之助

の墓だけは、この山中にはない。







それにしてもここの滝の案内板はそれぞれで名前が違っていてよくわからない。『中段の

滝』
が近くまで行くと『二段の滝』になっていたり、下では『幣ケ木滝』と書かれてい

るのが『康積保真天の滝』となっていたりと、四段に分かれるそれぞれでも名前が違っ

ていて紛らわしい。














左馬之助や農民たちが立てこもったという『岩屋』にこそ寄らなかったが(史実を事前に

知っていれば立ち寄っただろう)、滝のそれぞれの滝壺まで寄り道しながら、下の滝の見

える広場までもどった。










広場から林道を道の脇の草花を眺めながら車を停めた場所まで戻る。靴を履き替え、窮

屈なタイツを脱いで着替えているうちに、思っていたより早く奥様たちが降りてきた。

白髪山までの登りのコースタイムが45分のところを1時間かかったそうだ。八反奈路

の分岐までも今日はコースタイム以上かかっていた。











車に乗り込み汗をたっぷり掻いた身体のクールダウンに、モンベルに立ち寄ってアイス

クリームを食べる。

再訪した八反奈路は前回同様、四国なかでもその特異で豊かなな自然と、木々が過ごし

てきた時間軸の長さを改めて感じることができた楽しい一日となった。


短い距離だけれど以外とタフだった五条山

2024年05月16日 | 四国の山

今週はお花見シリーズで『船窪のオンツツジ』高越山を計画。奥様たちにも連絡して、

あとは天気次第と思っていたら、あっちゃんから『予定が入っていたのを忘れてました

!』と連絡が入った。

しばらくするとWOC登山部のFBにセニョさんが、『船窪のオンツツジと奥野々山から

五条山まで歩きます!』と計画が上がった。高越山は以前にも登ったことがあるので、

どうせならセニョさんの計画の山は初めて知った山で、当然YAMAPの山頂ポイント

数も増えると思って、ルリちゃんに『高越山ではなく南側の山になるけどいいですか?

』と案内すると、問題なしの返事が返ってきた。

その後またしばらくして今度はルリちゃんから『YAMAPで調べてみると結構岩やロ

ープがあるようなので、まだ肘の調子が悪いのでキャンセルします!』と連絡が入った。

結局セニョさんと二人での山行となった。セニョさん相手だと何時ものようにスタート

時間を気にすることはない。せっかくなのでオンツツジを眺めながらのお昼ご飯にした

いので8時に船窪の駐車場に集合で連絡をした。





船窪までの道はかなりクネクネした道。先週、岳人の森までの道で車酔いしたあっちゃ

んは、この道は100%酔ってしまうだろうな~と思いながらカーブで右に左にハンド

ルを切る。時間が割と早いのでこのまま公園まで車に乗って行って、観光客いないうち

に一眼レフで写真を撮ってみようかなと考えて、1kmほど手前にある駐車場まで来る

とやはりすでにセニョさんは到着していて身支度をしているところだった。

軽く挨拶をして奥様たちは今日は来れないと説明。YAMAPでルートの確認をして駐

車場の奥から続いている林道へと歩いて行く。

道は大丈夫かなと思うくらいどんどん下っている。途中一カ所分岐になった場所でセニ

ョさんが、『どっちだろう?』と言ったけれど、YAMAPをどう見間違ったのか、その

ままコンクリート道を下って行ってしまう。700mほど下ったところで植栽地で見晴

らしの良い場所になり、もう一度YAMAPを見てみると、ダウンロードしたトラック

から違う道を歩いているのに気が付いた。『すみませんセニョさん、さっきの分岐で間違

ったみたいです』と声をかけて引き返す。植栽地越しには吉野川と山川町の街並みが見えた。










分岐まで戻りルート復帰。道のコンクリートはすぐに途切れて石が転がる地道になる。

分岐からは10分ほどで林道が四差路になった場所に出た。三方向にに林道が続いて

いるが、尾根はちょうど切通になった真ん中になる。










切通の反対側も植林地になっていて、西側の眺望が開けている。この辺りから山々を眺

めることはなかなかないので、山座を同定するのは難しい。











切通からはいきなり杉林の中の急登が始まる。セニョさんが見慣れないストックを突い

ている。『最近になってストックがあると楽なのに気が付いた!』と。ちょっと遅くな

いですか?(笑)











急登を登りながらセニョさんが、先週小豆島で山の中と、山からの下山後も悪戦苦闘し

た話を聞かせてくれる。山でのオカルトかかった話と下山後のいかにもセニョさんらし

い話に思わず笑ってしまう。歩き始めは少し詰まった感じがしていた左膝も、身体が温

まってきたからか、あまり気にならなくなってきた。急登を登りきると歩きやすい尾

根道に変わる。










快適道が終わると露岩が現れ、そのうちに杉林から岩の痩せ尾根になってくると、ブナの

木が目立ち始める。











痩せ尾根を過ぎると岩場にロープがかかっていた。湿気を含んだ岩や木の根は登山靴の

グリップが効かずに滑りやすい。それ以上にソールのすり減り具合からか、驚異的なグ

リップ力がうたい文句のモンベルのトレールグリッパーも、もうそろそろ限界なのかも

しれない。










ロープのかかった岩場を登りきると奥野々山山頂に着いた。山頂標は高松軽登山の錆び

た鉄板の標識と白い山名杭が木の根に置かれているだけだった。

そして山頂のすぐ南側には朽ち果てた奥野々神社があった。屋根は落ち壁のトタンも剥

がれかけ鉄骨もむき出しになっている。こんな山中に鉄骨造りの社殿ということは、当

時は随分と立派な神社だったような気がする。

awa-otokoさんのブログによると、この奥野々山の南側にある母衣暮露滝は昔から修験道

場として行者の出入りが盛んであった場所で、この滝で垢取りを行いこの奥野々神社に

参拝したのではないかと書かれている。奥野々神社は奥野々大権現とも呼ばれ、高越大

権現
と表裏一体だったのではということだ。










奥野々山からはまたブナの林、そして下り坂が続いていく。緩やかな坂と急な下り坂が

繰り返し続いていく。














尾根の左側が杉の人工林、右側は新緑の自然林。鞍部まで来るとまた一段と新緑の明る

い緑が目に飛び込んでくる。














そしてまた朝見権現までの登坂が始まる。登りも下りも距離は長くはないが、なかなか

足に堪えてくる。すると尾根の右側が伐採地になりこの間で一番景色の広がる場所

になる。伐採地の頂部からは北にちょうど満開の船窪のオンツツジのオレンジ色が、

尾根を染めているのが見える。『ここからはっきりと色が分かるということは満開です

ね!』とセニョさんと話をする。














そして麓に目を移すと穴吹川が曲線を描いているのが見えた。穴吹の宮内の集落辺りだ

ろうか?





伐採地からまた急登を登り左手のアセビの木の間をかき分け進むと、朝見権現はそのア

セビの木に囲われた狭い場所にあった。三等三角点 薊権現 1138.57m











朝見権現からは一旦アセビの木の外に出て西側に回り込んで五条山へと向かう。ここか

らはセニョさんも初めての道。岩場に急坂そして痩せ尾根と朝見権現までの道に比べる

と、随分とワイルドな道になってきた。











この辺りからピンクのテープが目立ち始めるが、どこの山でもそうだがピンクのテープ

はあてにならない。それよりもやはりYAMAPのGPS。間違いがないか確認しなが

ら下って行く。『次の山頂を目指しているはずなのに下りとは?』とセニョさん。

尾根の岩を巻く場所では、足元が悪すぎるのに、掴んだ木がことごとく枯れていてこれ

もあてにならない。セニョさんは尻セード。私は久しぶりに尻もちをついた。














1050mの等高線上で展望岩に出た。地形図を見てみると少し下に見えるピークのも

うひとつ先のピークがどうやら五条山の様だ。南西には雲に隠れた剣山から続く稜線が

眺められる。ここから先は岩壁で進めない。










一旦戻ってまた西側を巻いて行く。この辺りからも穴吹川に沿った宮内の集落が見えた。











五条山は朝見山よりさらに狭い山頂らしからぬ山頂だった。時間は10時前、スタート

からおおよそ2時間。

奥野々山から朝見権現までが700mで25分、朝見権現がら五条山までが600mで

40分かかっていた。それでも折り返しで2時間と考えれば、計画通りちょうどお昼は

オンツツジを見ながらになりそうだ。








折り返しの朝見権現へはこんなに下ったかな思えるほどの急登。『あっ、そういえばここ

で尻もちついたんだ~』










それほどの高さでなければ、下るときは意識をしないのであまり記憶に残らないので、

『こんな岩下ったかな?』と二人で言いながら登って行く。











朝見権現の手前まで来ると道は山頂を左に巻いて登るように続いている。するとセニョさ

んが『右にトラバースすれば山頂へ登らずに反対側へ抜けられるように思うのですが』と

仰る。確かに地形図を見ると等高線上に歩いて行けばいけそうな気がする。『じゃ~行っ

てみましょう』と返事をして、右に進んで行くと地元の屋島の冠ケ嶽の岩壁の下と同じ

ような雰囲気になってきた。冠ケ嶽もそうだが、安山岩の冷たい色の岩壁の足元は土溜

まりがあって人が歩けるだけのスペースがある。ただ冠ケ嶽と違うのは1mほどの幅の

土溜まりから下は切れおちた斜面になっていた。














見上げると安山岩の岩壁。朝見権現は岩稜の山頂だとわかる。一カ所だけ足元の幅がな

い場所で岩壁がせり出ていて、ヒヤッとする場面があったが何とか朝見権現の山頂の先

に出られたかに思えたが、そこから先は灌木が密集した斜面で進めそうにない。仕方が

ないのでまだ密集度がマシな山頂へと登って行く。『近道やと思ったのが間違いやった

ね、そのまま山頂へ登ったらよかったね』とセニョさん。まぁこれはこれで迫力のある

朝見権現の岩壁が見られたし、藪漕ぎもまた楽しい~!

灌木を掴み、灌木の根元に足を預けながら急斜面を登って行くと見覚えのある山頂に出

た。結局『急がば回らずに登れ!』だった。

















朝見権現からの尾根道では往路でも見かけたが、何本もの杉の木の根元の皮が削がれていた。

鹿の仕業だろうか?それにしても杉の木の皮が削がれているのは初めて見た。

伐採地から見える船窪まではまだまだ遠い。五条山では行動食を口に入れたが、けっこう

お腹が空いてきた。そのせいか登りのペースも随分と遅くなる。














奥野々山が近づいてくると、またブナの新緑が目に飛び込んでくる。まわりもそうだが、

新緑の季節ももうそろそろ終わりかな。そして奥野々神社の横のブナの大木は、往路で

は反対側になるので気づかなかったが、太い幹の裏半分がない反り返ったねじれた異形

のブナがあった。














登ってきたロープ場を今度は慎重に下って行く。そしてまた少し登りとこのルートは小

刻みにアップダウンが続いていく。








そして最後は林道までの急坂の下り。ここにきて地味に膝に痛みが出始めた。それでも今

日はセニョさんが下りはゆっくりと歩いてくれるので助かる。ちょっとした拍子にポキポ

キと膝から音がする。『膝のロッキング』という嫌な言葉が頭に浮かんでくる。膝のロッ

キングとは半月板の損傷などで、膝の関節内にある骨や軟骨の欠片や半月板組織などの浮

遊物が、関節の隙間に挟まった時に生じて、しばしば激しい痛みを伴い、歩くことが困難

になる現象をいう。このところ歩きながら気になるのはこのロッキング現象。注意のしよ

うもないだけれど、それだけは絶対に避けたい。











林道から船窪への尾根ではまた急登が始まった。やれやれと思いながらあと少しなので、

行動食も採らずに登って行くと完全にシャリバテ。前を歩くセニョさんとの距離がどん

どん離れていく。なんとか追いついて船窪の南側のピークに登りつく。














ここからは下り坂。するとセニョさんが『何か建物が見えると!』と、木の間を指さす。

少し歩いて行くと、セニョさんが建物の屋根と見間違えたのはオンツツジだった。











オンツツジ公園の展望台の前のベンチに腰掛けお昼ご飯にする。セニョさんがベンチの

上にザックを置いて、中身を探りながら『無いな~』と独り言。お腹の減った私がおに

ぎり弁当をかきこみ食べ終える頃には、ザックの中身を全部取り出したが、探し物は見

つからなかった。WOC登山部メンバーには周知の事、セニョさんあるあるなのだ。

ベンチから見える南側の山々。剣山は少し雲に隠れていた。








オンツツジは見ごろを迎えていた。観光客が公園内を歩いて写真に収めている。なかに

は樹齢400年、6m近い高さのもあるという。これだけの規模と大きさのオンツツジ

は他に類を見ないそうで、国指定天然記念物に指定されている。

















展望台からオンツツジを眺めた後、高越山への林道を歩いて行く。途中から塔ノ丸の尾

根へ取り付き、尾根を歩いて行くと程なく塔ノ丸山頂に着いた。

四等三角点 塔ノ丸 1143.22m 地形図には山名は掲載されていないが、YAMAP

ではルートなしの山頂でポイントになっている。










以前はキティちゃんのプレートはあったと思うとセニョさんが言っているが見当たらない。

山頂には石祠と三角点と目新しい山名札があった。










ここからセニョさんはさらに高越山まで歩くという。奥野々山からの下りでどうも膝の調

子が良くない。『今日は私はここまでで』と断りを入れて山頂で別れる。林道まで戻ると、

高越山からの帰りか、四人の女性たちが賑やかに前を歩いている。










公園まで戻りフェンスのゲートを開けて中に入る。もう以前に何度か見ているのに、近く

まで来ると改めてその大きさに驚かされる。














西から東の端まで園内を歩いてフェンスの外の車道に出て駐車場まで歩いて行く。道の

脇には新緑の中の春紅葉の色が際立っている。

駐車場について車に乗り込み座席に座り膝を曲げるとといきなり太ももの裏と表、ハム

ストリング筋と大腿四頭筋が攣り始めた。慌てて膝を伸ばしても更に痛みが増すばかり。

ドアを開け外に出て立ってみてもますます酷くなる。悶絶とはまさにこのことだろう。

太腿の筋肉は大きいだけにその痛みたるや・・・・。足を持ち上げたり歩いてみたりし

ても変わらず。逆に足首や指の関節まで攣り始めた。にっちもさっちもいかない時間が

どれくらい経っただろうか。少しづつ収まってきたので車に乗り込んでも、膝の曲げ伸

ばしで痛みがぶり返す。

それでも少し痛みを感じながら車を走らせる。『これが左足で良かった。右足が運転中

にでもなったらとんでもない事になっていた』と考えながら、奥野々トンネルの手前ま

で来ると、今度はアクセルを踏んでいる右足が攣り始めた。じっとしていたなら足の

動作を変えてみることもできるが、運転中はどうにもならない。痛いのを無理やりアク

セルを踏み、道が広くなった場所でブレーキを踏んで車を停めた。そして悶絶すること

数分。今日は気温もさほど高い中、それでも水分も割と採っていたのに原因が全く分か

らない。しかも両足が攣るなんて・・・・。

膝の不安とともにまたひとつ不安材料が増えてしまった。これからの暑い季節。体調管

理を十分に注意しなければならない。


途中棄権で岳人の森でカメラの練習

2024年05月11日 | 四国の山


今週はあきらめが悪くて西赤石山のアケボノツツジを狙っていたけれど、どうやら天気

が西から崩れてきそうだった。そのうえYAMAPで下調べをしても、今年の兜岩から

西赤石山の北面の写真はあまりパッとしない。それなら少しでも天気が崩れる時間が遅

い東に向かって出かけてみようと行先変更。

そこで目についたのがYAMAPにアップされていたoimoさんの写真。この方の写真は

いつもとてもきれいで見惚れてしまう。直近でアップされていた鹿舞ダキ山・砥石権現

のカタクリ、そして岳人の森のヒメシャガの写真も青空の下の、ステキな写真ばかりだ

った。今日は恐らく良くて曇り空、雨も降ってくるかもしれない。それでも最悪岳人の

の中ならマシな写真が撮れるかもしれないと思って出かけてきた。


ところが自宅から前山ダムを越え多和辺りからフロントガラスに細かな雨粒。脇町の手

前で南側が開けた場所からは、視線の先の山々には灰色の雲が重くのしかかっていた。

美郷物産館の道路を挟んだ駐車場でおち合い、そのまま私の車で国道193号線を神

山町へ倉羅峠を越えていく。峠に差し掛かると今まで後ろで賑やかに話をしていた

リちゃんとあっちゃん
の二人が急に静まり返った。目を閉じ無口になったあっちゃん

は大抵車酔いをしている。神山町に入り大塚旅館から右折して更に南に向かう途中、

大中尾集会所の横の公衆トイレで用を済まそうと、車から降りたあっちゃんの顔色は

真っ青だった。大中尾集会所からも更にクネクネ道が続き何とか観月茶屋の前に車を

停めると、外は霧雨。『山の中ではご飯が食べられないと思うので、降りて来てから

のお昼になります。』と声掛けをして雨具を着込む。観月茶屋は10時からの営業なの

で、入り口の扉にはまだ『CLOSE』の札が掛けられていたが、扉を開けて声をかけて

みつるさんに入園料を払うと、『砥石権現までならこの天気ですから注意してください

ね』と声をかけてもらう。




観月茶屋の裏から岳人の森へと登って行くと、さっそく道の脇に小さな可愛らしい花が

咲いていた。それを見ながら時々立ち止まっては『あ~だこうだ』と話をしている奥様

たち。このままだと登山口にいつまで経ってもたどり着けそうにないと思い、『お花の

観賞は山から下りてからにしましょう』と声をかける。








茶屋の上の道から一つ目のカーブを曲がるとひときわ犬の吠える声が大きくなった。近

づいてみるとけっこう強面の人相、いや犬相をしている。








園内のコンクリート道を何度か曲がり登って行くと砥石権現の登山口になる。ここから

山田 勲さんが、それまであまりはっきりしていなかった砥石権現への道を、個人で

整備した『砥石新道』になる。と言っても岳人の森自体もほとんど個人で整備してきた

のだから、その苦労たるや想像を絶する。







登山口からは九十九折れの道が続いていく。先週の佐々連尾山では歩き始めこそ膝の調

子が悪かったが、しばらくすると体が温まってきたのか膝の違和感もなくなった。ただ

アケボノの丘への下りと、帰りの大森山からの下りで傷み始め、山から帰ってからは階

段の上り下りで難儀していた。先週のそんな感じもあったので今日も歩いているうちに

痛みはなくなるだろうと思っていたが、なぜか今日は登りで痛みが治まらない。このま

ま登って行っても酷くなりそうな感じがしたので1142mの標高点の手前で、奥様た

ちに事情を説明して途中棄権することにした。oimoさんの活動日記には砥石権現の稜線

でカタクリの花が咲いている写真が載っていたので、まだ今年は見ることができていな

いカタクリの花をぜひ見たいと思っていたのに残念だ。

登山道に薄く霧がかかっているいる中、ひとりショボショボ登ってきた道を降りていく。










登山口を通り園内の順路と書かれた案内板とは逆行して通路へと入って行くと、さっそく

道の脇には目当てのヒメシャガの群生。シャガに似ていることからその名が付けられたよ

うだが、シャガの花びらの濃い紫と黄色の模様があるのに比べると、その小ささもあって

か控えめな雰囲気のするヒメシャガ。










静かな森の中の小道の両側に隙間なくびっしりと咲いているヒメシャガ。花こそ違えど、

2月に高知の加茂で見た林床に小さく咲く、バイカオウレンの森とと同じような雰囲気

もする。

もちろん晴れた日も木漏れ日の中の道でいいけれど、今日のように霧がかかった森の中

も、また違った雰囲気がいい。







山田さんが重機を使って人工的に作った『ゆきしろの池』の周りにも、貴重な花がたく

さん植えられ咲いている。クリンソウ、エビネランのどちらも独特な花の形と色をして

いて、緑の森の中でひときわ目立っている。クルッと花びらが丸くなってあちこち向い

ているヤマブキソウは森の中で遊んでいる園児の様だ。














森の斜面に周遊するように造られた道。その道に沿って右に左に目をやると、まるでアヤ

メのミニチュアの様なヒメシャガがびっしりと咲いている。














森の中から舗装路まで戻るとオンツツジの花が目立つ中、珍しい黄色い花びらのツツジ。

相変わらず山は雲に覆われている。すると上の方から奥様たちの聞き慣れた声が聞こえ

てきた。『お疲れ様!』と声をかけ、取りあえずお弁当を取りに車まで戻ると、駐車場に

奥様たちの地元のバス会社のワゴン車が停まっていた。店の中から出てきた方が何やら

袋を下げている。『このわらび餅は天然のわらびを練り込んでいるんですよ!』と教えて

くれ、私の車のナンバーを見て『どちらから?』と尋ねられた。あっちゃんが『同じ地元

です!』と答えると、『まぁこんな所で!』と皆さん笑顔になる。
















ワゴン車の出発をみつるさんご夫婦と一緒に見送ったあと、三人でわらび餅を予約して弁

当を抱えてまた森の中へ。

途中にある東屋でお弁当を広げた後、三人で今度は順路に沿って歩いて行く。




途中の道の脇にも咲いていたヒメシャガだが、森の中一面に咲いているのを見て奥様たち

も感激している。











私はと言えば、カメラを抱えて色々と試しに設定を変えながら写していく。ただ足元に

咲く小さな花を、膝を屈んで撮るのがなかなかの苦痛だ。











薄緑の林床の中に藤紫のヒメシャガの花が咲き、赤褐色のヒメシャラの木の幹が新緑の

周りの景色のアクセントになっている。静かな雨露に濡れた森は傘をさす夫人の姿が似

合っている。










オダマキは昨年大山で見て以来。ユキザサと一緒にチゴユリも咲いているけれど、小さ

すぎてマクロで撮って拡大してみてやっとユリらしく見える。











50年に渡ってこの森を造り育ててきた山田 勲さん。23歳のころに父親にこの場所に

植物園を造る構想を話したところ最初は取り合ってもらえなかったが、母親が一緒になっ

て説得してくれ、当時山の共同所有者だった7人を説得して所有権を譲渡してもらうとこ

ろから始まった岳人の森。県道は舗装路ではなく電気も水道もなかった時代から苦労に苦

労を重ねて今に至っている。1月の事故の話も聞くが、何とか回復してまた森の中で仕事

をしている姿をみたいと思っている。



え!アケボノ狂想曲はもう終わり??

2024年05月03日 | 四国の山


先々週、工石山で始まったアケボノ狂想曲も、先週の休みは雨で出かけられず、二週間

空いてしまうと、YAMAPを見ると主だった場所ではもう終盤と書かれている。今日

予定した佐々連尾山アケボノの丘も日曜日には大勢の人で賑わっていたようだが、月

曜日の夜には風を伴った雨、そして昨日も雨が降って半ばあきらめムード。それでも少

しは頑張って花を散らさずに残っていてくれるのを期待して出かけてきた。

法皇トンネルを抜け下って行くと、金砂湖にかかる赤いひらのはしを凪いだ湖面が鏡の

ようにきれいに映し出していた。











銅山川に沿って走り、途中猿田川橋の手前から左折して南へと走って行く。最終集落を

過ぎ、杉林の中の道になると4カ所ほど未舗装の場所があるが、ゆっくり走れば問題は

ない。白髪隧道を抜けると2台の車とバイクが1台停まっていた。すでに皆さんスター

トしているようなので、私たちも身支度をして歩き始める。








汐見川の最上流部になる沢沿いの荒れた作業道を登って行くと、昨日の雨のせいか道の

至る所で脇から水が流れ出ていた。今日はルリちゃんがお休みであっちゃんと二人での

山行なのでのんびりと思ってたら、最初からあっちゃんのぺースが早くてすぐに息が

切れ始め、左膝に違和感が出てきた。










道の正面に小さく佐々連尾山と書かれた案内板から左手に登って行くと、『佐々連尾山へ』

の案内板。道は杉林の中の道になり九十九折れの道を過ぎると、石畳の名残りのような

荒れてはいるが平らな石の道が続いている。スタートから25分ほどで猿田峠に着いた。










形が独特な住友の鉄塔の横で北側の山並みを眺めていたら、玉取の大カツラの方から林

道を一台の車が上がってきた。『さすが四駆だけある、私の車では無理だな』と思いなが

ら見ていると、男性二人と女性一人が降りてきた。見覚えのある車だなと思いながら、

軽く挨拶をして峠を後にする。見上げた大森山方面にはまだガスがかかっている。









1194mの標高点を過ぎると道の勾配も徐々に急になって行く。新緑の中、鳥の鳴く

声が響き渡っている。道の脇にはミツバツツジがチラホラ咲いていた、














※画像が粗い場合は歯車マークをクリックして、画質を1080Pにするか、youtubeを見る
 をクリックしてください。


すると今日最初のアケボノツツジ。残念ながら空はまだ白く薄いピンクの花は、その光

の中に溶けている。



あっちゃん、ここは右に回り込むよ!



大岩が次々と現れると、最初のロープ場。以前はロープだけだったが昨年登った時にも

ロープと別にアブミがかかっていた。揺れるアブミに足をかけて登るのは少しコツがい

る。片足をアブミに足をかけ、もう片足を岩に足をかけて登って行く。

次のロープ場は傾斜もゆるく意外と簡単に登っていけた。ただ木の根にのってしまうと

ツルっと滑るので注意が必要だ。











大岩を回り込んだりロープを使って登ったりと子供がいたら喜びそうな、まるでアスレ

チックのような道。アケボノツツジも少しづつ顔出しをしてくれ始めている。














最初の展望岩の下で道を外してロープ場を通り過ぎてしまう。木の枝や幹を掴みながら

岩の頂部をめがけて登っていると、チェーンアイゼンが落ちていた。冬場に道を外れた

場所で、アイゼンがなかったら大変だっただろうな?

展望岩から南を見ると汐見川の下流はまだガスがかかっている。工石山や白髪山はガス

が流れて山容が確認できたが、反対の北側の二ツ岳は雲の上にチョコンと頭をだしてい

るだけだった。














ここで猿田峠でお会いした三人さんも登ってきた。『駐車している車が見えますよ!』な

どと話をしながら男性のザックを見てみると『granpa』ろ書かれた名札が目に付いた。

granpaさんですか?』と声をかけ『YAMAPでフォローさせてもらっています』と

言うと『おたくは?』と聞かれたので『KAZASHIと言います』と答えたら、YA

MAPで見覚えがあったらしく、そこから色々と話が始まった。








granpaさんたちには『お先に!』とあいさつをして、しばらく登って行くと大森山山頂

近くはなだらかな尾根道になる。後から出たはずなのにgranpaさんご一行はもう後ろに来

ている。ミツバツツジの濃い赤紫とバイケソウの緑が続く気持ちのいい尾根道。









わざとらしく疲れた顔をしてみる










大森山でザックを下ろして行動食を口にしていると、三人さんはすぐにやってきて、少

しして今度は先に歩き始めた。天気予報では午前中が晴れで、午後から曇りになってい

た。北側の法皇山系にはまだ雲がかかっているが、それでも青空が顔を覗かせている。

ただこれから行く佐々連尾山方面はまだ薄曇りだった。













大森山からの尾根はブナと笹の気持ちのいい道。大森山の手前から道の脇のバイケイソ

ウが何本も茎から刈り取られていた。切り口が真っすぐなので動物ではなく、人が刈っ

た様子だけれど、歩くのに邪魔になるほどでもないし、いったい何のため?だろう。

尾根の先の大岩に、先に歩き始めたgranpaさんが立っているのが見える。『速いな~!』











granpaさんが立っていた展望岩まで来ると西に土佐のマッターホルンと呼ばれる山頂近

くが尖った登岐山が見える。この猿田峠から玉取山、兵庫山、そして登岐山・野地峰

かけては、線で繋いでいる時にけっこうしんどかった区域だ。その登岐山までの稜線を

眺めながら、二人で『線を繋いででよく歩いたね!』と話をする。
















展望岩から見える一つ目のピークを過ぎると、佐々連尾山までは笹原の道。大森山辺り

は愛媛県側がなだらかな笹原だったが、この辺りは高知県側が比較的なだらかな笹原に

なっている。反対側の樹林帯も背が低く見晴らしのいい尾根道が続いている。














佐々連尾山には三人さんの姿はすでになかった。代わりに男女のペアが歩き始めたとこ

ろで『こんにちは』とあいさつをして山頂で入れ替わった。

時間は11時半前。当然あっちゃはお昼ごはんを食べる場所を気にしている。『もう少し

先のアケボノの丘に下りる途中の林道でいいですか?』と聞くと『ハイ!いいですよ』と

意外な返事が返ってきた。いつもなら今が待てないように言って、この山頂でごはんにし

ましょうと言うはずなのに・・・・でも考えたらすでにおにぎり2個は頬張っている。





佐々連尾山からアケボノの丘への分岐へと歩いて行くと、三人さんが尾根の先でお弁当を

広げていた。さすが360度の景色が広がる抜群のロケーションに、『いいですね綺麗な場

所で!』と声をかけて先を行く。











途中でピンクのテープが枝に巻かれた場所から北東に進んで下って行く。佐々連尾山から派

生するこの支尾根もブナの木の尾根道。林道の手前で最後に段差を慎重に林道へと降り

て、『さあそれではお昼にしましょう!』

横に長い岩をベンチ代わりにして腰掛けお弁当を広げていると、下から男性が登ってきた。

ちょうど我々が座っている岩が道を塞いでいる。『すみませんね!』と声をかけ、『アケボノ

はどうでした?』と聞いてみると『え~まだ綺麗でしたよ!』と教えてくれた。
















林道から鞍部に向かっての道もブナや大岩が点在する雰囲気のいい支尾根の道。佐々連

尾山
からここまでの下りで、今日初めて膝が差し込んできた。時々ポキポキと音をたて

ていたが、急な下りになるとやはり膝に負担がかかるようで、炎症を起こさなければと

思うが、それでも周りの景色がそんな不安を忘れさせてくれる。

















支尾根の右手にはミツバとアケボノの二つのツツジが競い合って咲いている。鞍部を過

ぎると巨大な岩が現れる。二度ほどそんな大岩を巻いて登って行く。













1289mのピークが近づいてくると、お目当てのアケボノツツジのお目見え!昨日の

雨風のせいか足元には結構花びらが散っているが、それでも見ごたえがある。昨年の青

空と比べると薄曇りなのが少し残念だが、それでもアケボノの丘、来て良かった!

先に来ていたgranpaさんたちも、あちこちの木に移動しながら写真を撮っている。























それにしても散っていなくてすべての花が咲いていたらどれだけの密度だろう。何枚、

何十枚と写真を撮り今日は満腹!二週間前にアケボノ狂想曲と謡ったものの、結局今日

で二回目のアケボノツツジ。それも今年は今日で終わりそうだ。



















名残惜しいがまた来年はタイミングもよく、もっと咲いていることを期待しながらアケ

ボノの丘
をあとにする。林道から鞍部はわずか100mほどの標高差だが、登りの急登

に息が切れる。相変わらずあっちゃんはいいペースで登って行く。

















アケボノの丘から一旦下って登り返すと20分弱で林道に出た。ここからは去年と同じ

ように佐々連尾山には戻らず林道を歩いて行く。ただし昨年は林道の最終地点から尾根

に向かって登って行ったものの、急登に飽きて途中からショートカットをしようとした

ら谷筋に当たってしまって、急登どころではない急斜面を四つん這いになりながら登っ

た失敗がある。二の足は踏むまいと今日は大森山の先の緩斜面を登っていた人のルート

をダウンロードしてきたので大丈夫だ。










林道に飛び出したところでgranpaさんたち追いついたあっちゃんが『granpaさんたちも

林道の終点まで行って急登を大森山の尾根へと登って行くそうよ』と教えてくれた。











ダウンロードしたトラックを見ながら尾根へと取り付く場所を見逃さないように歩いて

いたのに、世間話に夢中になってその取り付きから随分先へと林道を歩いているのに気

が付いた。『いかんいかんこれではいつも朝ドラの話をしていて道を間違えるあっちゃん

とルリちゃんではないか!』

地形図を見ると大森山への斜面は等高線も広く緩やかなようだ。少しだけ後戻りをして、

ダウンロードしたトラックとは違う場所から適当に取り付いて登って行く。













最初は杉林の中の斜面だったが、すぐに広い笹原に出た。ここからは笹原を横断する獣

道を時々横切りながら尾根に向かって真っすぐに登って行く。




















すると足元に白い物体が・・・・。二本の角からするとどうやら鹿の頭蓋骨の様だ。

その頭蓋骨をよ~く見ると角と角の間からちょうど縫い合わせたような黒い筋。

人間の頭蓋骨にも縫合があるように、鹿にも縫合があるようだ。








笹原にコバイケソウが目に付くようになるとすぐに尾根道だ。そして大ブナが点在し始

めると尾根道に出た。『林道からは今のルートが楽勝でいいわね!』とあっちゃん。











尾根からあとは下るだけ。ただしこの山域は地質なのか、笹原の尾根でも雨の後は割と

ぬかるんでいる。それが急坂下りやロープ場ともなればなおさら注意が必要だ。











尾根道から少し脇にそれると青空が広がり始めた西側の遠望が効いている。すぐに同定

できるのは、スキーのジャンプ台のような急斜面になった沓掛山。そこから続いている

ように見えるのがちち山だ。東赤石山から二ツ岳、赤星山まで続く稜線もきれいに見え

る。『線で繋ぐ西赤石山から阿讃山脈』で残すところ3回となる区間だ。











案の定まだ気温が上がらず乾ききらない道は、所々でぬかるんでいる。ストックで体を

支えながら注意深く下って行く。こんな所で転んでしまってはせっかく今まで養生して

いた膝が更にまた傷んでしまう。今までだったら何でもないロープ場での下りも、重心

が左ひざにかかると突然差し込んでくる。あっちゃんはいつものようにトントンと調子

よく下っている。

















すると佐々連尾山でお会いした男女のお二人が立ち止まって指さし何やら見ている。男性

が説明をしているようで、あっちゃんが『なにかいるんですか?』と聞くと『キツツキの

仲間だと教えてくれた』男性はガイドの様で鳥の事も詳しく色々とあっちゃんに話をして

くれている。『いた~見えました!』とあっちゃんが声をあげた。残念だが近眼の私には

どこにいるのかさっぱり見えない。



指さす場所をズームで撮るが、的外れだったようだ






『いつも木をつつく音だけは聞いたことがあるけど、姿を見るのは初めて!』といたって

感激したご様子の奥様。その後はルンルン気分で猿田峠まで下って行っている。

峠では先に林道を歩いて行ったgranpaさんたちは未だ着いていないようだった。振り返る

と朝は雲に隠れていた大森山の手前のピークがくっきりと見えた。











そのうちに先ほどのガイドさんたちそしてgranpaさんたちも降りてきた。猿田峠からは20

分ほどで白髪隧道に着いた。すでに車はガイドさんたちの車だけになっていた。











アケボノの狂想曲も狂う間もなく終わってしまった感があるが、それでも頑張って花を残し

てくれていたアケボノの丘。その年の表・裏年、そして直近での天気と花のジャストタイム

に出会えるのはなかなか難しいが、透き通った淡いピンクと、丸くふんわりとした何とも言

えず可愛らしい花びらのアケボノツツジ。また来年に期待して帰路に就いた。