今週は『線で繋ぐ~』の残り2区画のうちの、丸石小屋から三嶺を繋ぐ予定でいた。
ただやはりこのところのパターンでどうにも天気が良くない。残りの2区画の丸石小屋~
三嶺~天狗塚は、四国のゴールデンルートと呼ばれていて、四国の縦走路としては一番
見応え歩き応えのあるコース。せっかくなら晴れた青空の下を歩きたい。
と言う事で計画していた区間は晴天を狙って順延する事にして、実は残り2区画と言ったが
ずっと懸案事項の区間があった。
昨年、あっちゃんだけ歩いた事のなかった土佐矢筈山に登った時に、ついでに矢筈峠の方に
様子見で往復で1時間程度歩いてみようと言う事になった。途中まで下って目印になりそうな
眺望のある場所から折り返して京柱峠へと戻って行った。その時は綱附森に登るときに、
序に矢筈峠から折り返し地点まで登って、線を繋げられるくらいに考えていたが、実際に
綱附森に歩いた時に、今度は天狗塚からの距離を考えて、更にその先まで歩いたら、笹の
勢いに体力を消耗して時間がかかったのもあって、とても矢筈峠からまた土佐矢筈山に向かって
登る気力が残っていなかった。
と言う事で、矢筈峠から土佐矢筈山の間の僅か1kmほどが繋がっていなくて、最後の2区画
を歩く前に何としても繋げておかなければならなかった。
といっても矢筈峠までは香川からはけっこうな距離と時間がかかるので、その僅か1kmだけを
歩きに出かけるのも二の足を踏んでいた。
ただ四国中央部もクリアして残り僅かとなってそうも言ってもいられず、天気の悪い今日
出かける事にした。今回の短い区間なら雨が降っても問題なく歩ける。そう思って先週も
一緒に歩いたセニョさんにも声を掛けたら、今回も参加すると言う事で、先週と同じく4人での
山歩きとなった。
豊浜SAに7時に集合して出発。高知自動車道から国道195号線、県道49号線と走って
行くが、矢筈峠には豊浜SAからでも2時間20分ほどかかった。自宅からだと3時間以上
かかったことになる。わかってはいたけどやっぱり遠いな~!
このところ三人の中で話題になっているのが、YAMAPのダシュボードの軌跡マップ。
活動日記の中での軌跡は細かく軌跡が記録されているが、ダシュボードの軌跡マップの
軌跡は大雑把で、拡大してみて見ると歩いた日が違うと折り返した地点での線が繋がって
いない。最初は黒滝山の所だけが繋がっていないのを見つけたので、あっちゃんはもう一度
歩き直すと言っていた。一方でルリちゃんは実際に歩いているから、もういいよと意見が
分かれていたが、よくよく調べてみると他にも結構な場所で線は繋がっていなくて、絶対に
歩くと言っていたあっちゃんも、とうとう諦めた。
その問題点をYAMAPに問合せをすると、そういう仕様になっているので申し訳ありませんと
の返事があった。カシミールやスーパー地形図ではきれいに繋がっているので、私は全く問題
ないのだが、YAMAPしか使っていない奥様たちは、どうにも納得できないらしい。
諦めが悪いのか、オーバーラップして線が繋がる様に綱附森の方へ少し歩いて行くあっちゃん。
駐車場から峠の方に歩いて行くと土佐矢筈山の登山口があった。高知の方はこちらから
土佐矢筈山に登って行くのだろうが、香川の人はほとんどこちら側から登ることはない。
登山口からは1293mの標高点を回り込むようにして登って行く。標高点を回り込むと
木々の間から土佐矢筈山の山頂が見えた。
標高点の小ピークと山頂からの支尾根の鞍部を過ぎるといよいよ本格的に登りになってくる。
今日はセニョさんが先頭を歩いている。しかも初めて見るセニョさんのストック姿。『登りが
キツくなってきたので、ストックを使ってみようと思って』と。
前回の折り返し地点には30分ほどで着いた。目印にしていた立ち枯れた木は、一年経って
なんだか小さくなっていた。本来ならここで折り返す予定だったが、セニョさんが車中で
『どうも土佐矢筈山には登ってないかもしれない』と言ったので、『せっかくなら雨もまだ
降りそうもないので、山頂まで登りましょう!』という事になった。
折り返し地点から登って行くと直ぐに山頂直下の笹原の中の道になる。
昨年の折り返し地点の立ち枯れた木
登って行くにつれ笹の色が濃くなっていく。SCWの天気予想では11時位から三嶺辺りは
雨になる感じだったが、この辺りはまだ大丈夫なようだ。ただ白いガスが次々に流れて行く。
すると先頭を歩くセニョさんが『ウワ~!』と変な声を上げた。身体を持ち上げようと
木を握ると変なモノに触ったと言っている。近づいてよく見ると確かにナメクジを大きく
したような生き物。あっちゃんがストックで少し突いてみてもビクとも動かない。
『山ヒル?』と言ってみたが、こんな大きなヒルは・・・・?
ツリガネニンジン
ガスが流れて時々青空が顔を出す。九十九折れの道の一段上を歩く三人。腰の曲がった
老人会の三人が歩いているようだ!(笑)
支尾根から山頂を左に巻くように歩いて行く。道の脇の笹の中には小さなヤマラッキョが
あちらこちらで咲いている。山肌は少し色づいてきているように見える。
小桧曽山に続く笹原尾根にも、南側からどんどんガスが駆け上がっている。おおよそ一年ぶりの
土佐矢筈山山頂。駐車場から1時間15分、ほぼコースタイム通りだ。
さぁこれで矢筈峠から土佐矢筈山は間違いなく繋がった。少しづつ怪しくなってくる
空模様を気にしながら下山を開始する。
雨にさえならなければ、こんなガスの中を歩くのも涼しくて気持ちがいい。もう少しすれば
この山ももっと色づいてくるだろう。暑い季節が終わり、いよいよ山歩きにはベストな季節
がやってくる。青い空に緑の山肌と錦秋のコントラスト。頬を撫でる乾いた爽やかな風。
そう少しでそんな季節がやって来る。
山頂を回り込み支尾根の道になると、また前でセニョさんが変な声を上げた。そろそろかな
と思いながら注意をしていたのに、またさっきの山ヒル?に触ってしまったようだ。ただ
よくよく見ると頭に触覚の様な角がある。やっぱりナメクジかな?
笹原の道が終わると自然林の中の道。前を歩く奥様たちと終わったばかりの安倍元首相の
国葬の話になった。『岸田首相は?だったけど、菅元首相の話は朴訥な感じで凄く良かった』と。
山頂から1時間ほどで矢筈峠の峠道が見えた。沿面距離3.7km、行動時間2時間25分。
朝のスタート時間が遅かったのと、予定していなかった山頂まで歩いたのとで、駐車場で
丁度お昼。ここでお昼ご飯にする。お昼ご飯が終わっての久しぶりにコーヒータイム。
お昼ご飯とコーヒーでゆっくりした後、矢筈峠を後にする。計画では折り返し地点を
ピストンして、帰り道にある琴平山か平家ノ森に登るかもしれませんと案内していた。
ただ物部川に架かる大栃橋まで戻ってくると14時近くになっていた。
取りあえず大栃橋から東に195号線を少し走った所の、トイレのある駐車場に車を停め、
電波が届くようになったのでYAMAPを調べてみると、琴平山が往復で5.8km。
平家ノ森が約4kmと載っていた。現在時刻からして距離的にはやはり平家ノ森。
ただ他の人の活動日記を見ると2時間40分ほどかかっていた。
どうもその時間が気になったが、4kmなら2時間。16時には戻って来られるだろうと
踏んで、『それじゃ平家ノ森に登りましょう!』と三人に声を掛ける。
駐車場横から物部川に架かる赤い明石橋を対岸に渡って行く。
平家ノ森は国土地理院の地形図には山名を載っていない。また地元の人たちからは
天王山・天王の森とも呼ばれているらしい。その尖った山頂部を朝通りがけに目にした
セニョさんは密かに登って見たいと思っていたそうだ。
この『天王の森』(クリック)を四国森林管理局がイラストで紹介しているのがとても参考になる。
また他にも『四国の山々たんね歩記(あるき)』(クリック)として四国3県109の山々が
紹介されているので是非一度覗いて見て欲しい。
REIKOさんのHPから写真を拝借
橋を渡ると突き当りで右と左に道が分かれている。駐車場でYAMAPからダウンロード
した軌跡に従って右に折れて歩いて行く。この平家ノ森は帰って調べてみると、RIKOさんや
むらくもさんも歩いていた。皆さんが書かれていた『バイク道』と呼ばれるこの道。ただ7年前に
むらくもさんが歩いた時はこの上にある天王集落の住人のおじさんが、バイクで行き来していたと
書いてあったが、その当時の面影はなく、オフロードのバイクでもなかなか走るのは難しいと
思うような、道は荒れ地面には杉の枝葉が落ちて積もっていて、歩いていても足を引っかけて
度々転びそうになる。
バイク道には谷側にも山側にも石垣が続いている。石垣に沿って広く平らになった場所には
朽ちかけた民家があったが、道に沿った石垣と石垣の間隔は狭くて、宅地ではなく何か
作物を育てていたような雰囲気がする。奥様たちと『何か作っていたんかな?』などと
話をしながら歩いて行く。『ひょっとしたら高知の事ですからミツマタを栽培していたの
かもしれませんね』と話をする。明石橋を渡ってしばらく歩いたところには作業用の
モノレールもあったので畑があったのは間違いないだろう。
そんな石垣を横目に見ながら今度は私が『最近まったく朝ドラの話をしなくなったね?』と
話かける。『巷では評判があまり良くないみたいですね』と言うと、奥様たちから速攻で、
『そうなの何か山場も無理やりでイマイチなの』と返ってきた。
そしてぞの一つ前の朝ドラの話になったが二人ともその題名が全く出てこない。あれだけ
二人で度々賑やかに話をしていたのに。『あ~う~』と思い出せずに唸っている。
密かにスマホで調べて一つ目ヒントを出すが判らず、二つ目のヒントを出してようやく
正解が返ってきた。『あ~スッキリした!』と奥様たち。
地形図の道は天王集落まで続いていたが途中で土砂崩れでその道は消失していた。
過去に歩いた人の記録を見て見ると、この先に鉄の橋と更に先には集落の立派な石垣が
あるようだが、無理やり渡っても危ないので、左に折れて杉林の中へ続く道を進んで行く。
杉林の中の九十九折れの道を登って行くと天王集落の中に入って行った。立派な石垣が続き、
左斜め上に宅内への入り口の様な石垣が続いていた。そこから先で緩やかに右にカーブした
道を歩いて行くと、今度は竹林の中の道になった。
すると前を歩く三人が立ち止まっている。追いつき聞いてみると真っすぐは道が藪いていて
怪しいと言っている。ここでも左手に折れて竹林の中を登って行くと、お堂らしい建物と
その手前に石祠があった。それにしても取付きからここまで道は迷路のように枝分かれして
いたが、最終的には集落、そしてこのお堂の辺りに続いていた。
お堂からは石垣と石垣の間に道が続いている。その段々畑の様な石垣を登って行くとまた
突き当たってしまった。そこから左に折れて石垣に沿って歩いて行くと今度は右手に踏み跡
が続いていた。ここからは短い間隔で右に左に折れながら急登が続いている。
先頭のセニョさんが『なめとったわ~』と言いながら、ストックを置いてきたのを悔いている。
土佐矢筈山では老人会の団体などと茶化したが、ここではアイススケートのパシュート競技
のように足を揃えて歩く三人に見える。
標高が土佐矢筈山と比べて下がって気温が上がったのと、この急登のせいで額から汗が
したたり落ちる。その内に正面に大きな岩壁が見えた。『あれどうやって登るん?』と
ルリちゃんが入っているが、踏み跡がここまであるなら巻き道があるはずだ。
案の定、岩壁が一段低くなった場所に短いがロープがかかっていた。
そのロープ場から岩壁を乗り越すと岩壁の裏側に出た。そこからは先ほどよりも更に急な
登坂が続いていた。九十九折れの切り替えしも更に短くなり一歩一歩足を持ち上げると
いった感じだ。セニョさんが立ち止まって大きなため息ひとつついた。
その九十九折れを登りきると鳥居が見えた。足元は崩れかけてはいるが確かに参道らしき
石段が続いている。ここからは直登で(参道ですから当然)登って行く。
手水鉢があるのを見ると、やはりちゃんとした神社の様だ。その手水鉢を横目に見ながら
登って行くが、こんな急な石段といい、先ほどの九十九折れの急登といい、以前は参拝していた
人達は果たして平気でここまで登って来たのだろうか?
その石段を登りきると石積みに囲まれた社殿の須賀神社があった。こんな山中によくぞこんな
重そうな石を運んできたもんだと感心する。平家ノ森の山頂はその須賀神社の奥にあった。
キティーちゃんのプレートは経年によって二つに割れていた。セニョさんはそんな割れた
キティちゃんのプレート見ると持参した修理道具で貼り合わせて修理をしていたが、
今日は修理セットを持ってきていないと悔やんでいる。
山頂からは更に奥に進んで下って行く。急坂を下りきった所で地形図に載っている三差路にでた。
ここから北に破線は続いていたが藪ぽい道なので、踏み跡がしっかりした道を左に折れて周回する。
杉林は枝打ちはきれいにされていたが、間伐された木は運び出される事なく斜面に転がっていた。
登りで歩いた道まで戻ってきたが途中からその道を外れて、突然立派な民家の横に出た。
まだ人が済まなくなってあまり時間が経っていないのか、建物は傷んでいなくて、声を
かけたら今にも住人が出てきそうな雰囲気がした。その民家の真下には立派な水場が
あり、管を通して冷たい山の水が途切れることなく流れていた。往路で集落の中を通った時、
あっちゃんが『こんな山の中でお水はどうしてるんかな~』と言っていたが、この高知でも
徳島でも、山間部では水の心配はないようだ。
建物はそうでもなかったが宅地は萱が生え放題で行き先を見失ったが、しばらく探し回った後、
それらしい場所を下って行くと往路で民家の入り口に見えた場所に出た。そこからは地形図の
破線に沿って往路と同じ道を下って行く。駐車場には予定通りおおよそ2時間で駐車場に着いた。
歩行中は危惧していた雨に降られることもなく、車で移動している時だけ雨は降ってきた。
ずっと懸案事項だった矢筈山から土佐矢筈山の区間も繋がり、これで心置きなく四国の
ゴールデンルートを歩いて線で繋ぐのフィナーレとすることが出来そうだ。
それにしても来週も水曜日が天気が悪そう。気持ちよく歩ける晴天の日はいつ来るのだろうか?
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