KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

あの頂を食す前に、かの頂の天円山へ!

2024年03月28日 | 四国の山

以前に立ち寄った鳴門の道の駅『くるくるなると』で見かけたメニューのポスターには、

何種類もの美味しそうな海鮮丼の写真が載っていた。なかでも目を引いたのは、丼ぶり

に山のように高く盛られた『海鮮てっぺん丼』だった。

ハマチ・タイ・ブリ・マグロ・サーモン・イクラがどっさりのった海鮮丼。その海鮮の

種類と量もさることながら、そのネーミングに一目ぼれ。てっぺんと聞いたら、やっぱ

り登ってみたくなるのが心情。ただこの時は徳島市内で徳島ラーメンを食べて来ていた

ので、次回にと思いながら道の駅を後にした。




今週はちょうどお休みが奥さんと重なり『どこか連れて行け』との間接的なアピールが

あった。桜のお花見はまだ少し先になりそうだし、どうしたもんかと考えていたら、こ

のてっぺん丼が頭に浮かんできた。『くるくるなると』の海鮮丼についてはその時に話を

していたので、『海鮮丼を食べに行こう!』と誘ったらすんなりOKが出た。

ただ食事だけで出かけるのはもったいないので、その前に腹空かしにひと山登ろうと思

い、すぐ近くの里山の天円山に的を絞った。

まずは天円山のてっぺんを目指し、そのあと海鮮丼のてっぺんを目指すのだ。

下山後のお昼の食堂の混雑時間を避けるため、天円山へはゆっくりめにスタートしよう

と出かけてみると、麓の駐車場にはけっこうな台数の車が停まっていた。











この天円山はいくつかのコースがあるようだが、今日は西尾根コースから登ってみる。

西尾根コースはいきなりの急登。表土が洗われ木の根が露出する坂を登って行く。『根っ

こ坂やね』と奥様。







根っこ坂を過ぎると道の両側はシダで覆われ始めた。特に急になったヶ所にはお助けロ

ープが付けられている。道の脇の杭に『ゆるやかな坂』と書いたシールを張っているけ

ど、『全然ゆるやかな坂じゃないんやけど!』







急登を登りきると本来これがゆるやかな坂といった感じの場所になる。振り返ると山と

山に挟まれ流れる大谷川の向こうに、大麻町の街並みが広がっている。







昨日までの雨の後でシダの緑も瑞々しい。奥様も立ち止まっては写真を撮っている。








※映像が粗い場合は右下の歯車を開いて、画質を1080に設定してください。


すると見晴らしのいい場所に『皇后 雅子様の桜』と書かれた杭の横に、少しつぼみが

開き始めた一本の桜の木があった。この時は何を意味しているのか分からなかったが、

帰って調べてみると、寒緋桜/緋寒桜と大島系の山桜との自然交配種と推定されるサクラ

で、雅子様ご成婚を記念して新種のサクラに「プリンセス雅」と名付けられた桜だそう

だ。地元の方がこの景色のいい場所に植えたのだろう。大きく育てば西尾根コースの景

勝地になりそうだ。











プリンセス雅の横には数珠なりに花をつけたアセビの木。少し北側を見ると四国電力の

鉄塔の横に、稜線からちょこんと頭を出した剣ケ峰のピークが見える。








するとまた急登が始まった。奥様も慣れない岩尾根だが、割とスムーズに登って行く。

この西尾根コースには丸太と板で作られたベンチが所々に設けられているが、そのベ

ンチには休という文字と番号がふられている。番号は山頂までの合目の意味だろうか?











私が通り過ぎようとしたら『これなんの花やろうね』と奥様が声をかけてきた。指さす

木を見てみると小さな花が咲いている、ヒサカキの花だ。気の早いツツジの花も所々で

咲いている。













阿波鳴門線の87番鉄塔近くまで来るとかなり遠くまでの景色が見渡せるようになる。蛇

のように曲がりくねった旧吉野川と、水面が光り輝くレンコン畑の水田。








鉄塔を過ぎると西尾根コースと猿の墓への道との分岐になる。猿の墓は西尾根をトラバー

スするようにして続く道。道の脇には小さな小さなスミレの花たち。今日はあまり期待し

ていなかったが、そこそこお花も見られて奥様も満足げだ。











トラバース道をしばらく歩くと剣ケ峰に続く稜線に出た。稜線からアップダウンをしながら

15分ほど歩くと今日ひとつめのピークの剣ケ峰に着いた。










ピークの先の展望所ではここでもスミレが群生いていた。そのスミレの花たちの中にハ

ナニラも久しぶりの日差しを浴びようと、思い切り花びらを広げている。











香川の里山でもよく見る、登頂記念の記帳ノートがここにもあった。香川では四角いお

菓子の空き缶に入れてあるのだが、ここでは珍しく仮設の電気のボックスに入れてある。








花を前にするといつまでも写真を撮っている奥様。登りで暑くなったので上着を脱いだ

せいで、日陰に立つとまだ汗で冷えてくる。『そろそろ行くよ』と声をかけて、天円山

ともと来た道を折り返す。

途中で登ってきた道と猿の墓との分岐。その分岐を登って行くと猿の墓があった。『なん

猿の墓?』と二人で訝しんだが、調べてみるとこの辺りで悪さをしていた大サルを退

治にきた漁師が返り討ちにあって亡くなり、その敵討ちに漁師の弟が退治したという話

らしいのだが、悪さをしていたサルの墓をわざわざ造るのだろうかという疑問が残る。










サルの墓から天円山山頂を目指して登って行く。何カ所かの急登を登って行くと分岐に

は必ずサルの墓への矢印案内板が建っている。大猿の悪さを聞きつけ兵庫県からわざわ

ざ大猿を退治しようとやってきて、亡くなってしまった漁師の墓の道標は全くないのに、

なぜにおサルなの?と思ったが、漁師の墓は天円山のさらに北に1.5kmほど歩いた場所

にあるらしい。











しばらくすると天円山山頂直下のコンクリート道に出た。道なりに登って行くと鉄塔広

場の上からは徳島の峰々が見渡せるが、なかなか山座同定するのは難しい。







鉄塔からコンクリート道をさらに登って行くとうわさに聞いていたヤギたちが出迎えて

くれた。総勢五匹のヤギたちは私たちを見つけると立ち上がり、まるで道案内をするよ

うにして、山頂までを歩いて行く。










山頂にはベンチが並んでいて、ザックを下ろして腰掛けザックから水筒を取り出そうと

すると早速物欲しそうにして近づいてきた。水筒をだしてインスタントコーヒーにお湯

を注いだ後、おやつに持ってきたカステラを出そうとしたら、ヤギたちがザックに顔を

近づけてきたので、少し危険を感じておやつを食べるのはあきらめた。










天円山は別名天ケ津峰ともいい、山頂には天ケ津神社が鎮座している。この神社には、

天鈿女命(あめのうずめのみこと)が祀られていて、この天円山に西側にある大麻山

には、もともと猿田彦命が祭られていたという。山頭越には二人の夫婦が向かい合っ

ていたが、ここでは二人は少し離れた山にいらっしゃる。(猿田彦命はその後は麓の大

麻比古神社に合祀されている) 二等三角点 雨ケ壷 434.26m

食べ物をもらえないと分かったヤギは座ってまわりの芝生をもぐもぐし始めた。立派

な角の間には淡路島に続く大鳴門橋が見えている。この山頂から景色は申し分ない。




















天ケ津神社では天鈿女命に、前回山頭越で不謹慎にもおっぱいを触ってしまった無礼

をお詫びした後、ベンチでコーヒーを飲んでいると二人の男性が登ってきた。

そのうちの一人の男性がザックの中からキャベツを取り出し、足元にばらまくとヤギ

さんの争奪戦が始まった。








しばらくその争奪戦を眺めた後山頂を後にする。コンクリート道から登山口と書かれた

道標から山道へと分け入る。最初は313mの標高点へ向かってのトラバース道。時々道

幅が狭くなり危うい個所もあるが、前を行く奥様は快調にとばしていく。










313mまで来ると南へ下がる支尾根の道になる。この道が西尾根と東尾根との間にある

神社コースかな?時折木々の間が開けると天円山山頂が望める。西側に見えるのは剣ケ

からの支尾根だろうか、尾根に沿って感じのいい間隔で立木が並んでいる。あの支尾

根も剣ケ峰へ登るコースになっているようだ。








こちらのコースも急な坂ではロープが張られているが、けっこう古いのか握ると粉をふ

いている。登りはともかく下りの急坂はやはり慣れないのか奥様のスピードが落ちる。

ロープ場を過ぎると『大谷見晴台』と書かれた展望所。








こちらのコースは山頂からは二度鉄塔広場を通過する。二つ目の鉄塔を過ぎると右手に

社殿があった。その奥には日本の石仏とは雰囲気の違う石像が立ち並び、その奥に御嶽

神社奥の院
の石祠があった。その石像の衣装からするとどこか中国や韓国といった雰囲

気が漂っている。













奥の院からもまだ急坂が残っていた。振り返るとどんどん奥様が離れていく。『大丈夫

か?』と声をかけると『膝が痛くなってきた』と言う。岩場の足元が怖くて、足を突っ

張ったせいもあるが、ここにきて疲れてきたのもあるのだろう。














それでも何とか下りきり、御嶽神社の裏手に出る。神社の周りにもたくさんの石像が立

ったり座ったりしていたが、それにしてもユニークな石像ばかりだ。











駐車場まで戻ると、朝とは違う車がまだ何台も停まっていた。少ししんどそうにしてテ

ンションの下がっている奥様に、『それじゃ海鮮丼に行きますか!』と明るく声をかけて、

道の駅へと車を走らせる。





くるくるなるとは平日にもかかわらずほぼ満車状態。自身の停めた車の前には、神戸・

京都・三重などの県外ナンバーの車ばかり。『春休みやからかな~』と奥様。

お目当ての海鮮丼のある大渦食堂は、もう13時30分を過ぎているのに、食券を買う人

の行列ができていた。先に奥様に席を取ってもらって食券を買うと、ほどなく食券に

書かれたナンバーが呼ばれて、海鮮丼が出てきた。

やはりメニューの写真よりは小ぶりなどんぶりだったが、一人ではなかなか食べきれ

ない量だ。最初はワサビ醤油で、次にゴマダレそして最後は魚のだし汁でお茶漬けと、

味へんも楽しめて二人とも大満足でてっぺんに登った気分になった。土産物売り場も

人で混雑していて、目新しいお土産や珍しい食品が色々と売られていた。

それにしても最近のサービスエリアや道の駅は侮れません!

花の季節を前にして、まずはお腹を満たした花より団子の一日だった。
























『線で繋ぐ西赤石山~阿讃山脈』碁石山・峰畑山・五郎山

2024年03月23日 | 四国の山


『私たちは金曜日に堀切峠から曼陀峠を歩きます!』とあっちゃんからメッセージが届

いた。この区間を歩くと法皇山脈から阿讃山脈が繋がることになる。『ご一緒にいか

がですか』と書いてあったが、金曜日は県外の業者からアポイントが入っていたので、

渋々諦めていたら、前日にその業者から『申し訳ありません、どうもインフルエンザに

かかったみたいで、明日はお会いできません』と連絡がきた。『それはそれは、お大事

に』と電話を切ったあとニンマリ!すぐに奥様たちに『明日の集合時間は何時ですか?』

とメッセージを入れた。『9時に曼陀峠集合で、そこから移動して堀切峠を10時スター

トです!』とルリちゃんから返信があった。事情があってと書いてあったが、歩行距離

の割にはスタート時間が遅いなと思いながらも、少し早めに家を出た。








時間に余裕があったので曼陀峠に向かう途中で豊稔池ダムに立ち寄ってみる。ゆる抜き

の写真はよく目にしていたが、今日初めて訪れた。石積みの風情のあるアーチのダムか

らは、ゆる抜きほどではないが、配水量の調整のためか放流されていた。











※映像が粗い場合は右下の歯車を開いて、画質を1080に設定してください。


豊稔池ダムをあとに集合場所の曼陀トンネルの手前の広場に向かうと、すでに奥様たち

は来ていて、急いで車を乗り換えまずは一台を曼陀峠にデポする。そこからまた一台で

堀切峠に移動。奥様たちの集合した時間が早かったおかげで、予定していたより30分ほ

ど早く峠に着いた。堀切トンネルが開通してからはほとんど往来がなくなり、朝の冷え

た空気とともに峠の道はひっそりとしていた。







峠は四差路になっていて西に行くと翠波高原、東に行くと呉石高原への道になるが、最

初なぜかルリちゃんは翠波高原に向かって歩き出そうとするので、呼び止めて反対の東

に向かって歩き出す。するとすぐに道の脇に『峰の地蔵尊』と彫られた石柱があった。

その奥の建屋の中に大きなお地蔵が建っていた。私の身長以上はあるとても大きな、そ

して比較的新しそうなお地蔵さんだった。








この区間はほとんど舗装路の道。堀切峠に『E-システム新宮工場』と書かれた看板があ

ったが、その工場のトラックだろうか、道幅いっぱいの大きなトラックとすれ違う。

そのトラックを見て『産廃の会社だろうか、こんな山の中にあるなんて、どうせロクな

捨て方してないだろうな』と知りもしないのに嘯く私。

道の脇のフキノトウはもう花が開いてしまっている。











土佐北街道のお茶屋跡と書かれた道標の先に広大な太陽光発電所。その太陽光発電のパ

ネルの奥に、雪を抱いた稜線が見える。佐々連尾山辺りだろうか?








ちょうど堀切トンネルの上あたりに、歴史の道選定記念の碑である「うすくこく遠近分

て夕日影霞む浪まの沖の嶋々」と書かれた、藩主・山内豊雍公の歌碑がある。ここから

南に新宮へと土佐北街道が続いている。








歌碑からしばらく歩くと作業車の音が聞こえてきたと思ったら、大きな建屋が見えてき

た。タイヤショベルカーが道の北側から横断して南側の建屋に何やら運んでいる。

北側の建屋の周りには木くずが積み上げられていた。

ここでは木くずや汚泥を発酵させて肥料を作っているようだ。その発酵過程で、けっこ

う強烈な匂いがしている。『なるほど、こんな匂いのする施設は民家のない山の中でな

かったら無理だな』と、さきほど変な勘繰りをしたことを反省。

その工場の屋根越に佐々連尾山から大森山そして猿田峠が鞍部になっているのが見えた。

山肌に雪を抱いた稜線は、何となく北国の山を連想させていい感じに見える。











電波塔が並ぶ当たりのピークには 四等三角点 堀切 793.46m があったが道からは少

し登らなければならないようなので今日はパス。(といってももう訪れることもないのだが)

途中で『龍王山』と書いた道標があったが、地形図にもYAMAPにも山名は載っていない。











今日一つ目のピークの呉石山へは道から少し外れて登っていく。

YAMAPでは呉石山となっているが、国土地理院の地形図には山名は載っていない。

山頂は 三等三角点 黒石 826.89m 今日の行程での最高地点となる。













三角点の脇に背の高いヒノキの木。見上げると上の方で二股に分かれている。見たこと

のあるような形をしていると思ったら、音楽の時間に見た音叉だった。『ねぇご飯はどこ

で食べるの?』と、毎度のことだが気の早いあっちゃん。『道路では食べるところがない

わよ』と、とにかくお昼ご飯の心配をしている。







呉石山山頂からは雑木の中を下って行くとまもなく作業道に出た。クネクネと曲がった

作業道を道なりに歩いて行くと舗装路に出た。そこには呉石高原まで50mと書いた道

標が建っていた。













その道標からすぐに三差路になって広場になった場所になる。日当たりもよく道の脇に

は、腰掛けるのにちょうどいい太い木が積まれている。『それじゃお昼にしましょうか』

と声をかける。今日はおにぎり弁当と無印良品のミネステローネ。食後にはルリちゃん

からもらったお菓子を頬張る。













ここまで約5km、まだまだ先は長いが、幸い膝の調子も悪くないし舗装路歩きは単調だ

がスピードが上がる。道標に書いていた呉石高原はお昼ご飯を食べた場所の南側に見えた

耕作地らしかったが、高原といった雰囲気は全くなかった。

そしてこの道沿いには東予変電所から讃岐変電所までの間の、四国中央東幹線の巨大な鉄

塔が続いている。











道標は呉石高原から境目に表示が変わった。ここの二股で左に進んで行き、しばらくし

て二つ目のピークの峰畑山の尾根へのルートから、外れて行ってるのに気が付いた。

少し迷ったがまだ時間的には余裕があったので、引き返して作業道を歩いて行く。







作業道からは右手の木々の間から、尾根と空が見えていた。できるだけ作業道から段差

のない場所を選んで、適当に尾根に向かって登っていく。













尾根に出てしばらくは灌木の中を右に左に木をよけながら歩いて行く。しばらくすると

境界杭が続いているのに気が付き、杭を見失わないように歩いて行くと、割と幅のある

道になった。どうやら鉄塔巡視路に出たようだ。














途中で分岐になり左に道が続いていたが、峰畑山からは折り返してこの道を下ることに

なる。尾根の灌木の中と比べると随分と歩きやすい道。すると右手に鉄塔広場が見えた。

四国中央東幹線の鉄塔は足元まで来るとさらにその巨大さを実感する。







広場からは霞んではいるが、善通寺五岳の火上山から我拝師山、その左手には天霧山

見える。その右手には雲辺寺に向かって幹線の鉄塔が続いている。








鉄塔からはまた灌木の中を進んで行くと 二等三角点 峰畑峰 747.92m 。







山頂からは引き返して鉄等巡視路の分岐から右に道を下って行く。ここまではまだまだ

快適な道だが、落ち葉で滑りやすいのかあっちゃんが木の枝を拾い杖変わりにして下っ

て行っている。











一旦舗装路に出た後すぐにGPSを見ながら右の県境の線に沿ってさらに下って行く。

『あっちゃん、拾って持っている木の枝、長すぎません?』

道の脇には国土調査を終えた印の杭が続いている。










掘割のようになってくぼんだ道には、木の枝や落ち葉が積もって歩きづらい。特に弓な

りに折れた杉の枝は、引っ掛かると足に絡んで躓きそうになる。『危ない、危ない。今

一番イヤなパターンだ』できるだけ膝に負担がかからないように慎重に下って行く。








それでも20分ほど下っただろうか、やっと目の前が明るくなり集落の上にある墓地に飛

び出した。1区画が広い立派な墓地の奥に梅の木が1本。その木の足元には季節外れ?

の色違いのクリスマスローズが咲いていた。














今までの山道で今日は全く花を見かけず、時々日陰に薄く雪が残ってまだ春遠しといっ

た雰囲気の殺風景な景色だったが、ここまで降りてくると、いっぺんに里は春といった

感じになった。














境目峠の切通の道を左に見ながら、へんろ道と書かれた道標に沿って分岐を右に山手に

登っていく。途中の分岐でへんろ道からは分かれて左に折れてさらに登っていく。

今日の行程の道は奥様たちにとってはほぼ舗装路で大したことのない道。スタート

してからすっと二人でおしゃべりに忙しそうだ。

 














阿讃山脈の南側になるこの辺りは日差しが届いて暖かい。そんな陽気に誘われてか、気

の早い桜が花を開かせていた。








地形図に載っている県境の線に沿って道は続いている。この道から右が徳島県、左が愛

媛県になる。途中で畑に行儀よく整列して植えられた木は何の木だろうか?
















この間にいたるところで見かけた『川之江市 自然遊歩道』と書かれた道標だが、帰っ

て調べてみても判らない。四国中央市になる合併前のものだから20年以上前にできた

ものだろうけれど、四国のみちと一緒で、今は手が入れられずに荒れて遊歩道というよ

りは登山道といった雰囲気だ。










最後にまたこの遊歩道から外れて県境を山の中へ分け入る。しばらくすると今度は四国の

みち
に出た。













最後に見た自然遊歩道の道標に書かれていた七田は阿讃を越えて北側の集落かと思ったら、

この四国の道の地図を見ると、南側にある集落のようだ。どうやら途中の自然遊歩道の道

標は、四国のみちの道標を兼ねていたのかもしれない。








ここからほどなく歩くと五郎山に着いた。前回阿讃縦走路で歩いた時は、曼陀峠をスター

トして、このピークを巻いて進んでしまい見逃した山頂だった。今日三つ目のYAMAP

の山頂ポイントをゲット!このピークは香川・徳島・愛媛の三県の県境になる。

三等三角点 海老済 595.08m








五郎山から下ると前回この山に登らず通り過ぎてしまった場所に出た。確かに右の方が

登山道らしくて意識していないと気が付かないわな。

その分岐から東に進むと南の眺望が広がる場所があった、ピラミダルな形で中津山とす

ぐに同定できたが、左に見えるのは寒峰からの稜線、右の稜線に少し雪を抱いた稜線が

見えるのは天狗塚だろうか?

















眺望箇所からは尾根を少し進んで、尾根から左に降りていくと朝車をデポした曼陀峠

着いた。YAMAPでは15km、6時間の行程だった。これで今日の目的の法皇山脈

阿讃山脈を繋ぐことができたし、当初思っていた果たして今までで一番長い距離を歩く

事ができるだろうかという不安も、途中で二度ほど膝が差し込んで激痛が走ったが、そ

れさえなければ何とかなりそうだという手ごたえを得ることができて、二つの課題をク

リアできた有意義な一日だった。誘ってくれた奥様たちに感謝だ!















今日途中で出会ったおじいさんは、定年後に農家を始めてシャインマスカットやトマト、

今の時期は紅はるかで干し芋や菜の花も出荷しているそうだ。そのバイタリティーや。

私と一回りは違いそうな風貌だが、その農作業の合間に画を描いたり、山にも登ってい

ると楽しそうに話をしてくれた。















彼岸に入ってやっと登れた干支の山

2024年03月21日 | 香川の里山

今日の天気予報はジェットコースター並みに慌ただしく、晴れマークがついているのは

午前8時から10時の間でその後は雨、そして夕方になってまた晴れマークになってい

た。『歩けるとしたら朝の2時間が勝負かな』と思って、地元の雲附山でもと考えたが、

せっかくなら未登の山がいいなと思って探してみると、そういえば今年はまだ干支の山

に登ってないのに気が付いた。年末に奥様たちと話をしていたのは干支の山の太竜寺山

辰ケ山そして西龍王山の三つの干支の山を廻るという計画だったが、それも今回のケガ

で流れてしまって、干支の山をトンと忘れてしまっていた。ではでは香川の干支の山は

と考えたら、ほとんど登ってしまっていて、しかも2時間という時間制限のある中で登

れる山といえば、香川町の龍満池の北側にある龍満山の一択になった。




朝早くに目を覚ますと枕もとの窓を激しくたたく風の音。『ん、嵐?』と思うぐらいの

風と雨の音だった。『天気予報は外れたかな』と思いながらも支度をして車に乗り込み

龍満池を目指すと、高松方面の空が少しづつ回復していった。県道13号線から川東小

学校の東の交差点で北に曲がって、川東八幡宮の手前で道の脇が広くなった場所に車を

停め、八幡宮の脇の坂道をまずは油山を目指して登っていく。







境内の脇を立派な本殿を横に見ながら登っていくと広場に出た。広場には四国のみちの

道標と、油山の謂れが書かれた説明版が建っていた。もともとこの山には油が流れ出て

いた事からその名がついた不思議な山。四国のみちの道標に沿って正面の道を登ってい

く。











道は『高松市夢づくり推進事業』の『油山遊歩道整備事業』として整備された歩きやす

い道だ。ほどなく尾根に出ると左手には東屋があり展望所になっている。少し樹木が伸

びてはいるが正面には高松空港の管制塔が見えた。










展望所の眺めを確認した後、分岐から反対の尾根を進んでいくと、『ツリーハウス』と

書かれた立派な看板と、その先に看板に違わぬ立派なツリーハウスが建っていた。

今までツリーハウスは色々と見てきたけれど、これだけの大きさのものはなかなかない。

しかもターザンロープやブランコまである。これも油山遊歩道整備事業の一環のようだ。











少し踏板の幅が狭く登りづらい階段(おそらく子供用なのだろう)を登っていくと、北

側の眺望が広がっていた。同じような三角の形をした、クレーター五座実相寺山

の横に、対照的に平らな形の屋島が並んでいる。

少し視線を左に振ると峰山と高松の市街地、そしてシンボルタワーが見える。











ツリーハウスからは少し下って登り返すと油山山頂。山頂の周りは木々を刈ってあり、

広場にはベンチが置かれていた。







途中の立派な道標に比べると、山頂に山名標が見当たらない。代わりに小さなシールの

ようなものが木の枝に巻かれていた。するとその木の向かいの木の幹の元に、朽ちた山

名標が落ちていた。その山名標を撮ってセルフタイマーで自撮りしてみると、慌ててい

たのか『天狗の腰掛け』と書かれた裏側を向けて写していた。







今日はこの山頂から南側にある電波塔まで降りれれば、そのまま作業道を利用して下っ

て、北東のこんもりした山にある矢延平六神社に南側から登り北側に降り、そのまま西

に歩いて龍満山に取り付く予定だったが、天狗の腰掛けの大岩からは道はなく、落ち葉

が堆積した急な斜面で今の膝の状態では下るのは無理だったので、そのまま尾根を折り

返すことにした。










尾根道を戻って八幡宮からの分岐をそのまま真っすぐ歩いて行き、貯水槽の横を通りさ

らに下って行くと大きなお家の裏側に出た。そのお家のフェンスの脇の法面のコンクリ

ート上を歩いて行く。この法面がけっこう高さがあって慎重に歩いて行く。











邸宅のフェンスと法面のフェンスとの間を抜けて団地内の道路に出る。そのまま道なり

に舗装路を下って行くと春の花が目に付く













先ほどの邸宅といいこの団地には大きな立派なお家が目に付く。







団地の道を下って行くとガソリン道に出た。昭和4年から廃止になる昭和16年の間、

仏生山と塩江温泉の間を結んだガソリンカーが走っていた廃線の跡が今は町道になって

いる。そしてその名残のトンネルが今も残っている。そのトンネルの先で県道を渡ると、

今日本来の目的の干支の山の龍満山の取り付きがある。







県道の切通の法面に設けられたコンクリートの階段を登っていくと、二体の仁王像が出

迎えてくれる。その仁王像の間を通って登っていくと今度は新四国88カ所の石仏が並

んでいた。








道はきれいに笹が刈りはらわれ、少し高度が上がってくると正面に実相寺山とほかの

レーター五座
が見渡せた。今日はウエストポーチだけで三脚を持ってこなかったので、

石仏の台座をお借りして自撮りをしてみる。







石仏には札所の番号と仏像の名前、そして寄贈者の名前が刻まれている。途中で大きな

石碑とその説明版らしきものが建っていたが、錆びていて全く読めない。








その石碑から尾根を歩いて行くとほどなく龍満山山頂についた。山頂には龍現神社の石

祠があったが、ここでも山名標らしきものは見当たらず、文字の消えた札が木の枝にか

かっているだけだった。











石祠の横には標石がほぼ埋まりかけた 三頭三角点 川東 146.86m。この標石が尾根

道の真ん中にある為か、いつもは標石のすぐ横にある標示杭は、道の脇の木々の中に建

っていた。







 



山頂からは北に向かって尾根道を進んでいく。途中で道が行き止まりのように見えたが、

左に下る道が続いていた。ただザラついた花崗岩の風化した今一番要注意の下り坂。

腰を曲げストックを突いて慎重に降りていく。正面に火ノ山、そして十瓶山の奥には飯野

が頭を覗かせていたが、そんな景色に見とれる余裕はなく、足元を注視しながら降りる。













その坂を下ると小さなお堂があった。明治五年(1872)3月17日、徳島県の剣山か

ら剣大権現の分霊を迎えてこの地に奉祀したのが始まりという剣山大権現社だった。

この山は正式には龍満山と呼ばれるが、剣大権現を祭祀してからは剣さん山とも呼ばれ、

浅野方面からは横岡山と呼び慣らされているそうだ。








剣山大権現社を過ぎどんどん下って行くと水道局の施設の横を通り、チェルシー(旧マ

ツノイパレス)の裏側に出た。相変わらず吹く風が強く木々を大きく揺らしている。











そこからは龍満山のすそ野を龍満池に向かって歩いて行く。山神の大山神社を過ぎ住宅

地の中を通り塩江街道に出る。




塩江街道を横断して歩道を龍満池へと歩いて行く途中で、歩道の横の側溝の蓋をしてい

るグレーチングでストックが引っ掛かった。引っ掛かりを無理して引っ張りそのまま歩

いて行くと、ストックでアスファルトを突く音が金属音に変わった。『あれれ、先っち

ょのゴムがない!』

先週奥様たちと歩いた時にあっちゃんがストックの先のゴムを落としていた。『またで

すか、これで何回目?』と偉そうに言ったばかりなのに、私もこれで3回目!

膝をついてグレーチングの中を覗き込むと、確かに側溝の底にゴムが落ちていた。側溝

の中を覗き込む姿を見て、横を通った人が訝しいげな顔して歩いて行った。もちろんグ

レーチングは持ち上げようとしても持ち上がらなかった。







龍満池の遊歩道ですれ違った女性に『風が強いですね!』と声をかけられた。湖面に浮

かんでいるカモたちも池の波に奔騰されて必死で泳いでいる。池の南側からは先ほど歩

いてきた龍満山と油山が見える。目の前には八幡宮から真っすぐに池の真ん中まで続く

参道の最後にある御旅所が、池に浮かんでいるように見える。






龍満山


油山


御旅所



龍満池を一周して車を止めた場所まで戻り、その先にある御旅所への参道を最後に歩い

てみる。道の両側には桜が植えられ並木道になっていて竜桜公園と名付けられている。

一つだけ花をつけた木があったが、ほかの桜の開化はまだまだ先のようだ。











池の中央部に続く参道は、池を水面をなぞって強風が吹いている。ゆっくりと歩いてい

ても足元をすくわれそうになる。しかも水面にたつ波が飛沫となって衣服を濡らしてい

く。御旅所まで着くとすぐに引き返しまたまた罰ゲームのような参道を歩いて戻る。

道の脇には植えられたばかりの桜の苗木がじっと強風に耐えていた。










何とか参道を歩き切りホット一息。最後に石段を登って八幡宮に参拝してほぼ2時間。

車まで戻るとフロントガラスを雨粒が濡らし始めていた。







帰り道にベースキャンプでストックのゴムをゲット。自宅に着く前の短い時間でも空の

模様がコロコロと変わっていった。暖冬だった冬の季節から三月に入って寒の戻りで、

例年よりも早かった花の開花も例年近くに戻った様子。お彼岸に入ったのでそろそろ暖

かくなってほしいものだ。










ユキちゃんアワちゃんにふられてセリちゃんに・・・。

2024年03月14日 | 香川の里山


実は先週の土曜日はお休みをとって、独りで久保谷ユキワリイチゲ(ユキちゃん)

見に出かけようと思っていたら、思わぬ話の展開で奥様をさかもとのひな巡りに案内す

る事になってしまった。

その後次々とYAMAPの活動日記に久保谷のユキちゃんとアワコバイモ(アワちゃん)

がUPされているのを見て、今週は出かけてみようと2ヶ月半ぶりに西の奥様たちを誘っ

てみた。

去年の3月22日に三人で歩いた時は、往路ではあまり目立たなかったユキちゃんが、

頭山
まで歩いて、折り返して午後に下山する頃にちょうどきれいに花弁が開いて奥様たち

が度々立ち止まっては写真を撮っていた。

今年はどこのお山の花も早く咲いているので、今日ぐらいがちょうどいいかもしれない。


集合時間ギリギリに着いた大師堂の川向の駐車場には、すでに車が十台近く停まってい

た。車の横で身支度をする人。その中でまんのう町でネイチャーガイドをしている横山

さん
が、参加者の四人の女性を前に何やら説明をしていた。今日は同じように久保谷の

花を愛でるツアーのようだ。その参加者の中にはWOC登山部何回か一緒に歩いたYさん

の姿もあった。『お久しぶりです!』と声をかける。




西の奥様たちにも『お久しぶりです!』と話をして久保谷橋を渡ってスタートする。

昨日降った雨のあとで渓谷に流れる水の量が多い。その水温の低い水の流れを撫でて

吹く風が冷たくて、身震いひとつ。










YAMAPの活動日記に写真が上がっていた上流部の伐採地。その作業の注意喚起の掲

示板が道の脇に掛けられている。讃岐竜王山の東側もそうだったが、この山域でもけっ

こうな範囲で伐採が行われているようだ。





舗装路が途切れ渓谷沿いの山道になると、最初にU字溝が崩れた荒れた場所に出る。

『こんな場所があったかな?』とあっちゃんと二人で話しながら歩いて行くと、直ぐに

渡渉のヶ所になる。ここからは右に左にと何度も渡渉を繰り返すことになる。

道沿いには所々に絶妙なバランスでケルンが積まれている。














(画像が荒い場合は、右下の歯車マークを開いて画質を1080に設定するときれいになる)



水の流れが早く水量も多いので、水の中の岩を飛び石の様にして気をつけながら渡って

行く。今日の冷たそうな水にドボンでもしたらシャレにならない。渓谷の両脇には大き

く斜めに露出した和泉層群の断層が見られる。










その断層の先には左手にけっこうな高さの滝。ここでも二人で『こんな滝、流れていた

かな?』と。去年歩いてからまだ1年しか経っていないのに、人の記憶は頼りない。と

いうか、我々の記憶が曖昧なだけ?







この渓谷沿いの道は四国のみちになっていて、途中の何ヵ所かでその道標が立っている

が、途中で地形図にも載っていない分岐で『征木・立石峠』への新しい道標が立ってい

た。ローカットのシューズで来たルリちゃん。渡渉できる箇所が違ってくるので、先に

渡ったあっちゃんが指示している。








谷あいにもそろそろ陽が射し始めた。ただお目当てのユキちゃんは、まだ口を閉じたま

まうなだれている子ばかり。そしてアワちゃんも口をすぼめている子がほとんどだ。気

温が上がり陽がもっと当たる昼からの帰り道に期待をしよう。













道沿いの所々にある石仏は西国三十三番観音霊場の石仏で、大師堂から三頭越を経て、

三頭神社まで1丁ごとに建てられていたそうだ。道が少し左手に振ってヒノキの林の

中の道になる。その道沿いの水の流れはいよいよ細くなり、最上流部となる。その水

のが途切れる最上流部の、さらに上部は伐採で遮るものがなく明るく光っていた。

今日の谷あいの水が薄く濁っていたのは、この伐採が影響していたのかもしれない。
















最上流部から右に折れヒノキ林の中を登って行くと作業道ができていた。トラックや重

機が通るぬかるんだ作業道を横断して、少し歩くと三頭越に着いた。







いつものようにニヤケタ顔でアメノウズメノミコトのおっぱいを触ると、それを見ていた

向かい側のサルタヒコノカミの顔がやきもちを焼いているのか引きつっている。











するとあっちゃんが例によって『お昼ご飯かな?』と言ってきたので、ルリちゃんが

『なによん、まだ10時30分で!』と即却下。

『ユキワリイチゲが開いてくれるのは昼過ぎですから、今日は三頭神社まで行ってみま

しょう!』と言って三頭越をあとにする。

植林地の中を抜け舗装路にでると陽が当たり始めた。その舗装路を南に向かって歩いて

いくと、左手の景色が広がってくる。眼下には吉野川がくねくねと大蛇のように蛇行し

ながら流れているのが見える。







三頭神社はハンググライダー場のある丘に登らず、舗装路をそのまま下がっていくと神

社の駐車場についた。駐車場にはハコバンが一台停まっていた。すると何やら神社の方

から音が聞こえてきた。『何か聞こえませんか?』と奥様たちに言って耳を澄ませてみ

ると、神社の方から聞こえてきたのはサックスの音だった。

『練習しているのかしら?』『それなら邪魔したら悪いわね』とあっちゃん。それでも

せっかくここまで来たので石段を登って境内に入ると、やはり男性がひとりでサックス

の練習をしていた。我々に気づくと吹くのを止めて片付けし始めたので、こちらも気を

使って簡単にお参りを済ませて、きれいに清掃された神社の境内をあとにする。










ハンググライダー場の丘に登ると。先ほどとは反対側の吉野川が見下ろせた。ルリちゃ

んが見る先には烏帽子山から石堂山・矢筈山の山並みが雪を抱いている。

その反対側には竜王山。その裾野は南に向かって緩やかに広がり、入倉の集落からかなり

上の方まで伐採が進んでいるのが見える。ハンググライダー場には吉野川の川べりから、

まだ春早い冷たい風が吹き上げてくる。『ここではお昼ご飯は無理ね!』とあっちゃん。







去年もお昼ご飯を食べたすぐ下に見える東屋でお昼にすることにして、『とりあえず三

角点には行きましょう』と言って、山頂札のかかる木から少し南に歩いていくと 四等

三角点 三頭 734.16m
 三角点の横には年季の入ったキティーちゃんのプレート。










ハンググライダー場まで戻り丘を下って東屋でお昼にする。そういえば昨年この場所で

お昼を食べている時に話題になったのがWBCの決勝戦の様子だった。ネットを見なが

ら日本が優勝したのが流れて三人で喜んだ。その時の中心人物は大谷選手だったが、今

日の話題も大谷選手の結婚の話。何かしら不思議な感じがする。













お昼ご飯を食べて時間を見るとまだお昼前。下っていくには少し時間が早いと思って、

『時間つぶしに近くの三角点に寄ってみましょう』と提案して、舗装路から三頭越の方

には行かずに、そのまま歩いていく。819.7mと地形図に載っている三角点の真南まで

来たが、斜面はコンクリートで覆われていて登れる場所ではない、地形図には手前に実

線が載っているので引き返して、実線のある場所から取りついて山の中に入っていく。

実線は三角点の北側を通ってぐるっと回って三頭越の方に繋がっている。かっては車が

通れるくらいの道幅があるが、今は灌木が生い茂ってまっすぐは歩けない。







途中から三角点を目指して左に斜面を登っていくとヒノキの林から飛び出て、背の低い

草木の生える場所に出た。するとそこには懐かしい形をした車が二台捨てられていた。










後ろのトラックの荷台の横には〇〇農園と書かれた文字が消えかかっていた。今は灌木

が生い茂ってはいるが、西側は何か作物を育てていたような開けた場所になっている。

地形図を見ると、この場所から南側は等高線の間隔が狭く急峻な地形になっているが、

この辺りだけは間隔が広くて平らな場所になっている。

ただし三角点はまだ少し先のようだが、耕作地跡はトゲのついた枝でとてもじゃない

が中には入っていけない。平地から少し下がってヒノキの林の中を歩いていくと、

三等三角点 倉尾 819.79m が草木に埋もれた場所にあった。 







三角点を確認して廃車のあった場所まで戻りそこからさらに実線まで戻る。途中に捨て

られたリアカーと捨てられた車がもう一台。







その廃車から先が次第に道が怪しくなってきた。倒木が道を塞ぎ、灌木が行く手を阻む。











最後は枯れた竹が道に覆いかぶさり、まともに歩くことができない。無理やり進もうと

するが、方向を間違えているのにルリちゃんが気づいて少し引き返して進んでいく。














竹藪をクリアするとあとは随分とマシになり、最後は三頭越への道に飛び出した。







三頭越まで来ると4人の男女が休んでいて、久保谷側から女性の親子が登ってきた。時

間はちょうど良さそうだが、果たして・・・・?と思いながら久保谷へと下って行く。

下りも真っすぐに歩いているには膝の痛みはないが、体の向きと膝から下の向きが変わ

り違ってくると少し違和感がでてくる。もちろん段差のある場所はゆっくりゆっくり亀

さんのようにして歩く。










渓谷沿いは朝と比べると随分と明るく陽が当たってはいるが、肝心の花たちが見当たら

ない。特にアワちゃんは周りの枯れ葉と同系色なので、よくよく探しながら出ないと見

つけられない。それでも何とかひとつふたつ見つけては写真を撮る。













奥様たちも熱心に写真を撮っているが、相変わらずほとんどのユキちゃんは朝とあまり

代り映えしない姿で、何やらいじけて口をとがらせて俯いているように見える。











それでも何輪かは少しだけ花を開かせた姿を見せてくれた。昨年も書いたがユキワリイ

チゲはルリイチゲとも呼ばれているそうで、その名の通り瑠璃色のきれいな花びらだ。











すると白い岩の上に鮮やかな青い色をした実が一粒落ちていた。慌て者の鳥が口にくわ

えたのを落としたのだろうか。これがアカリプタさんが載せていたジャノヒゲ:和名(異

名:リュウノヒゲ)の実だった。








奥様たちも目を皿のようにしてアワちゃんとユキちゃんを探しながら降りてくるが、今

日はそれらしく咲いていたのは数輪だけだった。それでもアワちゃんが少しは愛想を振

りまいてくれて、何とか何枚かはマシな写真が撮れた。

今日は陽が当たっても、昨日降った雨で谷の水が多くなり、谷底の気温が下がったまま

だったのかもしれない。

















大師堂の駐車場まで戻ってくるとまだ数台車が停まっていた。今日は皆さん同じように

残念な気持ちで降りてくるのだろう。このままふられぱなしでは気が収まらない。

奥様たちとはここで別れて、以前にねこバスさんがアップしていたセリバオウレンのセ

リちゃん
に会いに行くことにする。何やら若いころに古馬場のスナックであまり相手に

されず次のお店にはしごしていた時の気分だ。




三頭トンネルを抜けて美馬町側から阿波竜王や讃岐龍王の南側を走って、相栗峠を通っ

て塩江町へと下って行く。相栗峠に向かう途中の林道からはまた雪を被った山並みが見

渡せた。剣山系の山々だろうか?。遠くに臨む山並みは夏場の色よりこの時期の雪を抱

いた所と緑の山肌のコントラストがある方が風情があってきれいに見える。















最初は分からなかった群生地も地形図を見ながら探し当てると、セリちゃんのお店?は

同じような顔をした色白の子たちが大勢いた。ともすると踏みつけそうになるのを足元

に注意しながら写真を撮っていく。










セリバオウレンのセリちゃんはバイカオウレンのバイちゃんに比べると背が高くて首が

長い。そのせいか右に左に顔が向いていて優柔不断にも見える。小さく小粒なバイちゃ

んの方が可愛らしいかな?今度は違うお店に出かけてみよう。














YAMAPのスタートボタンを押し忘れて三頭越で入れたため、歩行距離は7.2kmにな

っていたが、下山後の駐車場であっちゃんが『今日は9kmでしたよ!』と教えてくれた。

膝は少しの痛みと違和感があったが10kmくらいは歩けない距離ではないことが分かった。

あとは標高差と急な下りの道。痛みは多少我慢すればいいのだけれど、段差で滑りでもし

たら怖いし、炎症をおこしてまた水が溜まって膝が曲がらなくなるのが辛い。

まぁとにかく無理せず付き合っていくしかないけれど、あの高い山並みをまた歩くことが

できるかが、まだまだ気がかりだ。



まさかの雪をかぶった苔の名所の山犬嶽!

2024年03月10日 | 四国の山


自身のホームページを見ていると、昨年の同じ時期に『さかもとのおひな巡り』に出か

けていた。3月3日は過ぎていたのにと思ってネットで調べて見ると、今年は3月10

日まで開催されているらしい。その話しを奥様にしてみると『土曜日は予定がはいって

いるけど、日曜日に変更するから』とおっしゃる。つまり連れて行けという事らしいの

で、土曜日は休みを取ってどこかの山を軽く歩こうと思っていたのが、仕方がないので

ご案内する事にした。

でも少しはこちらの希望も聞いてもらって近場の山を歩いてみることにした。昨年はす

ぐ近くの稼勢山と樋口山に登ったが、眺望もなく上り下りも意外と急な場所があった

ので、少し離れてはいるけれど、登山道がしっかりしている山犬嶽に苔を見に行くこと

にした。

奥様には『まだ今の季節だと苔の色は冴えないと思うけれど』と一応ことわりを入れて、

苔を見た後に『さかもとのおひな巡り』に行ってみようということになった。


徳島南部自動車道ができたお陰で、徳島市内を通らずに郊外の津田町まで抜けられるよ

うになったので、勝浦町や上勝町に行くのに随分と楽になった。

津田町から勝浦川の土手を走り、国道55号線を横断して県道16号線で勝浦町に向か

うと、『生名ロマン街道』と書かれたサクラ色の幟が道沿いに立てられていた。

勝浦川の河川敷を黄色く染める菜の花とさくら色の幟が春の訪れを感じさせる。さらに

は白装束で歩くお遍路さんを何人も見かける。『この近くに札所があるんかな?』と二

人で話をしていると、『20番札所鶴林寺』の標識が目に入った。お遍路さんも春の風物

詩のひとつだ。

『道の駅・ひなの里かつうら』の横を通り少しだけ『ビックひな祭り』の話をすると、

奥様の帰りの寄り道のリストに入ったようだ。そうこうしていると助手席でスマホをし

きりに見ていた奥様が『白鳥の河津桜が満開なんやて!』と。『なぬ、この上さらに寄

り道しろと・・・・。』時間的には余裕があるとはいえ、今日はのんびりと思っていた

のに忙しくなりそうだ。

新坂本トンネルを抜け上勝町に入ると路面が濡れている。フロントガラスにも小さな雨

粒がつく。川向の月ケ谷温泉の施設を過ぎる頃には、奥に見える山の頭が白くなってい

る。『霧氷かな?』と前回の梶ケ森で霧氷を見た奥様が言う。『いや、あれは雪やな』。

いつも山犬嶽に登るときは樫原の棚田のさらに下に車を停めて登山口まで下道を歩いて

いたが、それだと舗装路を往復3kmほど歩くことになる。するとYAMAPに最近、

峠の反側の府殿の棚田側に数台置ける駐車場ができていると書いていたので、今日は

そちらに停める事にして、上勝町役場の手前で『スーパー林道』と書かれた標識のある

三差路を右に折れて進むと『スーパー林道起点』と書かれた大きな標識のある橋を渡る。

そこからは集落の中を標高を上げて行くのだが、山道に慣れている私でも慎重になるく

らい道幅が狭い。空からは薄くスライスした鰹節のような大きな粒の雪が降ってきた。

『帰りの下りはこっちの道は怖いな~』と思いながら進んで行くと、どんどん周りの雪

は深くなっていく。














集落を過ぎ杉林の中の道になっても、林床にも雪が積もっている。『これは苔の色どこ

ろか、雪で苔は見られんでどうする?』と聞くと、『せっかくここまで来たんやから』

と意外な返事が返ってきた。先日バレンタインデーのお返しにトレッキングシューズを

買わされ高いお返しになったのだけれど、どうもそのトレッキングシューズの試し履き

をしたいようだ。駐車場は道の両側が広げられ5台以上は停められそうな雰囲気だ。





駐車場からは少し歩くと樫原との峠になる。峠から見える景色は一面の雪景色。さっき

まで春の訪れを感じていたのに一気に冬の気分に押し戻された。













峠から少し登って行くと最終民家があり登山口になる。案内板やその横の地図を入れた

ポストを見ると積雪5㎝弱といったところだろうか。








『犬は喜び庭駆け回る』じゃないけれど、真っ白な雪に奥様のテンションも上がってき

た。降ったばかりの雪なのか、柔らかいパウダースノーのようで、踏むと直ぐに地面が

現れ土色の足跡が付いて行く。











いつものように鳥居を潜り山の中へと入って行く。








前回来た時にもあったスラックラインのベルトがまだ残っていた。ストックを使って乗

ってみるが、足元がフラついて腰が引いてしまう。交代して奥様が乗ると私より体幹が

強いのか歩き出そうとした。やるな~!








道は杉林の中を続いている。分岐には大きな道標が立っているので、その矢印に従って

歩いて行く。風もなく時折枝から落ちてくる雪の音と、雪を踏みしめる自身の足音が聞

こえるだけで周りは静まり返っている。













この登山道にはミニ88ケ所の石仏が並んでいるが、雪をかぶった大岩の下でじっと佇

んでいる石仏が凍えているように見える。













コケの名所まで来ると登山道から外れて、足元が危うい。本来なら緑の苔で覆われた森

の中のはずだったが、やはりまっ白な雪景色が待っていた。











いつも写真に撮る丸い苔玉の親分が積み重なった場所も、変哲もない雪景色だ。ただ恐ら

くこの山の、そしてこの苔の庭の雪景色を見る事はもう二度とないだろう。














せっかくなので苔玉に被った雪を掃ってみると、若々しい黄緑色が現れた。陽も当たら

ず冷たい雪の下でもなお枯れずに雪解けを待つ姿に、感動すら覚える。








そんな思いにふけっている横で奥様が何やら雪だるまを作ってスマホで写真を撮ってい

る。新しく買ったiphone15。撮った写真を比べて見ると、光の表現やバックのボケ感も

明らかにコンデジより上だった。『凄いやん!』と言うとニンマリする奥様。



iphone15


コンデジ



『今度は苔が緑で一番きれいな季節に来よう!』と約束して苔の庭をあとにした。登っ

てくるときには気づかなかったミツマタが、道の脇で黄色く色づき始めてたのに、かき

氷のように雪をかぶって季節は後戻りした。














車まで戻り峠から下りは樫原の方へ走ると、やはりこちらの方が道幅もあり走りやすか

った。峠から少し下がっただけで雪は無くなり、樫原の棚田には緑が見えた。





上勝町には他にも変わった施設が色々とある。途中にある上勝町ゼロ・ウェイストセン

ター
RISE & WIN Brewingに立ち寄りながら坂本へと向かう。














さあここからは奥様が楽しみにしているひな祭り。腹ごしらえにふれあいの里でランチ

を頂く。千円にしては量も種類もあって『安いよね~』と満足のご様子の奥様。食堂で

は周りは女性ばかり。そんな中で少人数の男性は肩身が狭い。当然おしゃべりの大音量

は女性陣。その横でニコニコ顔で話を聞くだけの男性陣。




食事が終わる頃には小雨が降ってきた。傘を差しながら八幡神社の段差のある不整形な

石段を登って行くと、それまで小雨で少し寒々としていた景色がいっぺんに明るくなっ

た。境内に入る鳥居に早速つるし雛、そして花で飾られた花手水と、ひな人形だけでな

色々な人形や花で彩られている。







メインの石段の雛飾りには、昨年には無かったハートの形の花飾りが施されていた。そ

して拝殿には毛氈が敷かれてひな人形が飾られていたて、何だか去年より随分と賑やか

で派手になった感じがした。











境内では他にも色とりどりの人形が飾れていいたが、木の上から見下ろす『さるぼぼ』

が素朴で一番の好印象だった。







その賑やかな境内とは逆に、旧街道の沿いの民家の軒先に飾られたひな人形は最初の2

軒だけで『この先にはひな飾りはありません』と張り紙がしてあった。何かしら理由が

あるのだろうけれど、神社が派手だっただけに一抹の寂しさを感じた。







坂本八幡神社でたくさん写真が撮れた奥様はここでも満足顔。そして車で次に向かう途

中で時間が押してきているので『もうビックひな祭りか河津桜かのどちらかやな』と言

うと『え~~』と不満げ。ビックひな祭りは個人的に何度も見ているのでパスしたかっ

たが、奥様は納得できないらしい。仕方がないので道の駅の駐車場に車を停める。

すると会場の人形交流館に入る前に、その横の『JA東とくしまよってネ市』でお買い

物をしたいといいだした。『ハイハイ』と言いながら後ろをついて行くが、何を買おう

かと色々と迷っている。勝浦町の名産のミカンの棚の前では。ミカンが入った袋を取り

上げては何度も品定めをしている。女性が買い物をしだすと時間の感覚がなくなるとい

うのを改めて痛感する。

人形交流館に貼られたビックひな祭りのポスターには『元祖!ビックひな祭り』と書い

ていた。恐らく全国には他にもビックひな祭りを謳っている所があるのだろうけれど、

先日来の『日本一低い山』の文字が頭に浮かんで可笑しくなった。











ここでも奥様は熱心に写真を撮っていて、なかなか前に進まない。ここに来る途中で4

00円の入場料がいる話をすると、『え!入場料とるん。』と言っていたのに、『これ

で400円は安いわ!』と手のひらを返した。







ビックひな祭りでも十分に写真を撮ったあとは最後に白鳥町へと向かう。徳島では相変

わらず空は暗い灰色。高速で大坂トンネルを抜けたら瀬戸内側は晴れている事を期待し

たが、狭い範囲で青い空が見えるだけだった。

それでも湊川の河川敷に設けられた駐車場は、もう夕方だというのに車で一杯だった。

警備員に誘導されて駐車場に車を停めて、川の土手の舗装道を歩いて行く。道の反対側

には屋台が立ち並んでいる。北側は青空がのぞいていたが、南側は曇り空。










せっかくのこの桜並木、できたら青空と陽の光が欲しかったが、贅沢は言ってられない、

満開のこの時期に間に合っただけでも良しとしよう。雪の山から満開の桜の咲く郷へと、

一日で季節を跨いだなかなかない珍しい経験のできた日だった。











明日はRISE & WIN Brewingで買った『山犬嶽』の地ビールを奥様とふりかえりの話をし

ながら飲むとしよう。