KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

雲と水と花を求めて梶ケ森

2024年02月29日 | 四国の山
今日は夕方から整形外科の予約を入れているので、時間の読める場所で、かつ奥様が喜び

そうな花の咲く場所で、かつ少しは山の雰囲気を味わえる場所はないかと考えていたら、

アカリプタさん梶ケ森の雲海と龍王の滝、そして南大王の福寿草の活動日記が目に入っ

た。しかしいつもの龍王の滝の駐車場からはまだ登れる状態ではないし、奥様もいきなり

登山という訳にはいかず、それなら山荘まで車を走らせれば、あとは山頂までのウォーキ

ング。山頂で雲海を眺めながらのコーヒータイムの後は、車で滝の駐車場まで降りて、

10分ほど歩けば龍王の滝。そこでマイナスイオンを浴びて、今週末まで開催している、

南大王の福寿草まつりを覗いてみるプランに決定した。梶ケ森にはもう何度も来ているけ

れど、雲海を見られたのは数回だけ、そして南大王は途中で看板を見るだけで行ったことの

ない初めての場所なので楽しみだ。




ところが高速を走って大豊ICで降り、国道32号線を走っても空は青空澄み渡り、雲海

の雰囲気は全くない。『今日は雲海はでていないな~』と途中で言い訳して、国道439

号線から山道に入る。すると道が細くなり枯れ枝や石ころが落ちているのを見て、助手席

で『キャ~キャ~』と奥様が騒いでいる。私にとってはまだまだ走りやすい道なのだが、

慣れない奥様にとっては怖いらしい。いつもよりスピードを落として走って行く。龍王の

滝から上の道を山荘まで車で走るのも初めて。冬季閉鎖している山荘前には当然だが車は

一台も停まっていなかった。







山荘の駐車場から山頂へ車道を歩いて行くと道の脇には雪が少し残っていた。するとその

道の先の木の枝がキラキラと光っている。『何だろう?』と思いながら近づいて行くと、

霧氷が融け始めて透明の氷の部分が残って、その氷に陽が当たって輝いていた。










まだ白い氷が残る木は青空の下でまるで花を咲かせているようだ。恐らく霧氷を初めてみる

奥様は、熱心に写真を撮っている。











山荘から続く直線の道が右に折れると次第に周りの景色が開けてくる。天狗の鼻越しに見

えるのは牛の背と天狗塚。さらにその奥に見えるのは西熊山だろうか三嶺だろうか?










明るい日差しが当たる南側はほとんど霧氷が付いていないけれど、山頂の電波塔近くになる

と北側には霧氷の林になっていた。











山頂にはザックを背負った男性が一人一眼レフで写真を撮っていた。『こんにちは!雲海が

でていなくて残念ですね。』と声をかけると、『でも霧氷がきれいですよ』と山頂から東を

見て教えてくれた。教えてもらった方を見ると、普段登ってくる登山道の斜面一面に白い霧

氷の花が咲いていた。







先日、娘にアマゾンでIPHONEを買ってもらって、帰省に合わせて届く様にしてもらい、

設定も全て娘にしてもらった奥様。今まで使っていたIPHONE10から最新の15では、

さすがに画面も写りも違うらしくて、もう何枚撮るの?というくらい写真を撮りまくって

いる。背が低く細い幹の木はまるでダンスを踊っているように見える。霧氷がついたアセ

ビの木はまるでカリフラワーの様。







山頂にある電波塔からは大きな音をたててけっこうな氷の塊が落ちてきている。








山頂の西端まで歩いて行くと遠くに石鎚山系の山々が並んでいる。そして東端からは牛の

背から祖谷山系の山々、そして緩やかに裾野を広げ堂々とした風格の国見山が見えた。











ベンチに腰掛けザックからおやつを取り出しコーヒーを淹れ一息入れる。雲一つないとは

今日のこの空。時々飛行機がその青い空に白いラインを引いていく。














登りは車道を歩いて来たので、下りは少し登山道を下ってみる。雪の残った道を歩くのは

しばらく里山でお茶を濁してきたのでとても新鮮だ。







ただ急な下り坂はやはり膝が痛くなる。一度車道に出てからは、ゆっくりと車道を歩いて

降りる。山荘まで戻り車に乗り込み、龍王の滝の駐車場へと降りて行く。駐車場には車が

一台停まっていた。さっき山頂であった男性の車だろうか。そして山際にブロックの上に

クリアのケースが置かれて注意書きが書かれていた。徳島大学の環境応用化学研究室がP

M2.5の調査をしていると書いている。徳島市内の大学からこんな山の中でデーターを採る

なんて・・・・・と思いながら横を通り過ぎる。





駐車場から龍王の滝は杉林の中の薄暗い道を10分ほど歩いて行く。途中から岩場になる

と歩き慣れていない奥様は足の運びが心許ない。










道の右下から聞こえていた水の音が、正面からも聞こえてくると龍王の滝が姿を現した。








いつもは龍王の滝と書かれた標識の辺りで写真を撮るくらいだが、今日はよく見ると滝壺

の際に大きく垂れ下がったツララが見えた。高知県にある滝で氷瀑になる滝は珍しいそう

だが、氷瀑にこそなっていなかったが、滝の岩壁を伝った雫が長いツララを作っていた。

龍王の滝のマイナスイオンをたっぷり浴びた後は福寿草の里へレッツゴー!














駐車場から八畝の棚田を眺めながら一旦砂防ギャラリーの手前まで下り、南大王川を渡っ

て集落の中をくねくねと登って行くと、南大王の広い駐車場に着いた。案内所で入場料を

払って『歓迎 福寿草まつり』と書かれた横断幕を潜って、石畳の道を登って行く。














いつもは寒峰や鶏足山、最近は阿佐尻山へ登って見ていた福寿草。先日は牧野公園でも咲

いていたが、ここでは5万株以上の福寿草が自生しているのは西日本でも珍しいそうだ。












駐車場から民家の間を縫うようにして続いている石畳を歩きながら、道の脇の畔に咲いて

いる福寿草を何枚も写真に撮って行く。











道の最上部にはテントが張られうどんやチラシ寿司が売られていた。その横の建屋の中で

は囲炉裏の中で芋と豆腐の田楽が焼かれていた。テントでは若い女性が、囲炉裏ではおじ

いさんが愛想よく『まあ座ってゆっくりしていきまい』と声をかけてくれた。

ちょうどお腹もすいた頃、うどんとお芋の田楽でお昼ご飯にする。囲炉裏の煙が立ち込め

る中、後から来た人たちがその囲炉裏の周りに座っておじいさんと会話をしている。薪の

煙の臭いを嗅ぎ、薪の炭から登る火の粉を眺めているとゆっくりとした時間が流れていく。

頂いたうどんは腰があって(冷凍かな?)出汁もしっかりしていてとても美味しかった。

その販売所の女性に、朝通りすがりに気になっていた定福寺の下の国道沿いに咲いていた

桜の花の名前を聞いてみると、『う~~ん、何ていう名前だったかな』と悩んでいる。す

るとその横にいたもう一人の女性が、『あんた、直ぐ近くに住んでいるのに』とツッコミ

を入れた。しばらく待ったが名前を思い出しそうにもなかったので、『早咲の桜ですね』

と言ってテントを後にした。







休憩所でお腹を満たして登ってきた石畳の道が急坂だったので、集落の中の舗装路を降り

て行く。稲を刈った跡の田の向こうに1102mの標高点の辺りだろうか、随分と伐採が進ん

だ尾根が見える。










梅の木の足元にも福寿草が咲いている。それにしても奥様、直ぐにスマホの容量がいっぱ

いになるんじゃないかなと思うくらい、ずうっと写真を撮っている。







駐車場から国道に出る間で、土砂崩れ防止のコンクリートの苔が生えた所を削って画を書い

ていた。誰が書いたのか?なかにはトトロの画もあって面白い。











福寿草でお腹がいっぱいになった後だけれど、今日のとどめで国道439号線の山手にある

定福寺に立ち寄る。梶ケ森に登るときにいつも定福寺の奥の院を通って登るので馴染みのあ

る名前だが、本寺をお参りするのは初めて。この寺には万葉植物園があるとされていたので、

事前にチェックしておいたのだ。








万葉植物園は全国にあり、万葉集に収録された歌に詠まれている植物を見る事の出来る植物

園だそうで、この定福寺はもともとその万葉植物の3分の2が自生している自然の植物園に

なっていて、全国で6番目の土佐豊永万葉植物園として開園したという。

本堂でお参りしているとほうきを持った老人が本堂の横から現れた。『どちらからお越しに

なった』と聞かれたので、『香川からです』と答えると、『それはそれは遠くからありがと

うございます』と仰った。どうやらこの寺のもとの住職のようだ。

住職にも『この下で咲いている桜は何て言う名前ですか』と尋ねると、『あれは個人が植え

た桜で、その人もなくなってしまった』とちょっと違う答えが返ってきた。

『この町も2万人以上いたのに今では3千人を切ろうとしている』『私もそろそろかなと思

っている』と嘆いている。まだまだお話が続きそうなので、『植物園はどちらですか?』と

尋ねて話を変える。教えてもらった通り植物園は本堂の東側のひっそりとした場所にあった。





植物園といってもその面影はなく、境内の中の道の脇に万葉集の歌碑が立ち、その足元に花

の名前を書いた木の札が立ち並んでいた。けっこうな数の花が自生しているようだが、この

季節にはほとんどが咲いていない。そんな中ですぐに目についたのがこのユキワリイチゲ。







そして植物園で目にした花たち

ユキワリソウ





コトブキフクジュソウ





バイカオウレン





セリバオウレン






この季節の花たちも、もう終わり掛けなのか少し元気がなかったが、境内の石段の周りにも

色々と小さな花が咲いていた。










定福寺をあとに国道に降りるともう少しで満開になりそうな桜並木。二度聞いて分からなか

った桜の名前は、家に帰って調べてみると寒緋桜だった。これでモヤモヤ感もすっきりして、

思っていた以上に花を見られた奥様も大満足の一日になった。







帰宅後に出かけた整形外科では、急な差し込む痛みは『半月板が損傷しているので仕方がない』

と言われてガクリ (T_T)/~~ 何か改善する方法はありますかと聞くと『大腿四頭筋を鍛えるの

もひとつの手段です』と教えてくれた。幸い手術をするまでではないと言われたのがせめても救

い。とは言え大腿四頭筋を鍛えるのには普通に考えると膝に負担がかかる。急に改善する術もな

くまだまだ時間がかかりそうだが仕方がないか!



今日も午前中にサクッと三石山

2024年02月25日 | 香川の里山


今日は午後から娘が彼氏と一緒に帰ってくる。何やら話があると言うのだが・・・・・。

ヌ・ヌ・ヌ、とうとう来たかという思いとやっと来たかという複雑な気持ち。

それならそれまで時間があるので少し歩いておこうと奥さんを誘ってみた。

いつもは門入ダム湖をぐるっと一周するのだけれど、久しぶりにみろく公園を歩いてみよ

うと思い立った。ダム湖の周りと違って、みろく公園なら何かしら花が咲いているかもし

れないし、公園の一番奥のピークは三石山。YAMAPのポイントにもなっているので一

座ゲットできる、そう思って出かけてきた。


この公園にも子供たちが小さいころによく遊びに来ていたな~と思い出しながら駐車場に

着くと、駐車場には車がけっこうたくさん停まっていて『どうしたんだろう?』と思って

いたら『Vitality Walk Challenge』なるイベントが行われていた。オンラインアクテビティ

イベントと呼ばれるもので、各自でイベントを設定して、完了後はYAMAPのように、

各自のマイページから記録をアップしたらデジタルの完走証が発行されるらしい。

大勢の人が集まっている会場を見ながら公園の奥へと歩いて行くと、以前はなかった立派

な遊具が出来ていた。







その遊具の横を通ってさらに奥へと進んで行くと道の脇にクリスマスローズが植えられて

いて、奥さんは熱心に写真を撮っている。その先からアスレチックコースと書かれた道標

に沿って尾根を登って行く。







少し広場になった場所にはロウバイが咲いていたけれど、もう終盤なのか少し黒ずんでき

て、反対側の斜面の梅林の花も遅いのか早いのか疎らに咲いていた。それでも奥さんは楽

しそうにスマホで写真を撮っている。







三石山へは乾いた花崗土の尾根に階段が続いている。昨日会社の階段を降りていた際に膝

が差し込んでから痛みが続いている。足を滑らせない様にゆっくりを登って行く。








すると見覚えのある展望台が現れた。展望台には観光用双眼鏡が据えられていて、試しに

覗いてみると、肉眼では本当に小さく見える五剣山がかなりのアップで見る事ができた。

デジカメもこれくらいのズームができたら、また違った楽しみ方ができるだろうな~。










展望台の横に三石山と書かれた山名標が建っていたが、山頂はもう少し上になる。歩いて

行くと可愛らしい鳥居と石祠があり、すぐ傍の木に山名札が掛けられていた。








本格的な山歩きはまだまだ先になると思って、先日久しぶりにショートカットのトレッキ

ングシューズを買ったので、今日はその試し履き。買い物のときに一緒に行った奥さんに、

オレンジ色のシューズは『少し派手かな?』と聞くと、『年取ったら派手なくらいなのが、

えんじゃわ』と言われて気になりながら買ってみたのだが、丁度今日着てきたソフトシェ

ルの上着のアクセントの色と同じ色で、『まぁ山の中ならこれくらいの方が目だっていい

か』と納得。山頂からの帰りの下りでやはり少し膝が痛んだ。その左の膝を無意識に庇っ

ているのか、前回の前山を歩いた時と同じように右の太腿から臀部が少し張ってきた。











尾根道を下る途中から三石岩と書かれた石の標識に従って、横道へと歩いて行き、最後は

みろく池の遊歩道を廻って駐車場へと戻る途中の突堤からは、先ほど登った三石山が見え

た。その標高はわずか179m。その10倍近くの標高のある山々に、いつになったら登

れるのやら。突然やってくる差し込む痛みに不安は消えない。














それでもまだ時間があったので、門入ダムにも寄ってみた。1周3kmを歩いて、初めて

ダムの事務所でダムカードを頂いた。今日の成果はYAMAPのポイント1座とこのカー

ド一枚!このダムカード、県内では17カ所のダムでもらえるらしい。その内東讃では7

ヶ所のダムでもらえるので、今度また違うダムででももらってこよう!



タイムリミットは午前中!ならばと前山へ行ってみた。

2024年02月15日 | 香川の里山

『今日は仕事午前中までやから!』と奥様。『ハイハイ言わんとする事は分っております』

先週のバイカオウレンで出血大サービスしたので、今週は大人しくなるかと思っていたが、

逆効果だったようだ。まぁでもまだ一日お山歩きできるほどには膝は回復していないので、

『まっ、いいか!』とポジティブに捉えて、お昼過ぎには帰って来られるお山をチェック。

そう言えば以前に鵜岬さんがYAMAPで『瀬戸内海の絶景が目の前に!』と活動日記を

アップしていたのを思い出した。その大屋敷の前山はほとんどが舗装路だったとも書いて

いたので、まだまだ不安の残る膝でもゆっくり歩けば問題ないだろうと思い出かけてきた。





坂出市の大屋敷町の厳島神社がスタート地点。最初の鳥居を潜って坂道を登って行くと結

構広い駐車場があった。時間は9時丁度。3時間ほどで周回して戻って来られれば、13

時前には自宅に戻れる計算だ。駐車場から境内へ入ると朱塗りの立派な社殿が正面にあっ

た。駐車場を利用させてもらうので形だけでもと参拝して、戻って石段を降りて行く。

境内からは大屋敷の街の向こうに番の州の工場の煙が上がっているのが見える。










石段を下りて東に神社の立派な石垣に沿ってコンクリートの道を登って行くと、ため池の

土手の改修工事が大規模に行われていて、道の脇にはミニ八十八カ所の石仏が並んでいる。










そして紅白の梅に水仙も咲いていて、まだ少し肌寒いが春間近な雰囲気を感じながら坂道

を登って行くと、その坂道の奥には垂直に切り立った岩肌が見えている。











『岩登りができそうな立派な岩壁だな~』と思いながら歩いて行く。そういえば30年以上

も前に、会社の同僚の女性に誘われて山登りを始めたのだが、その時にこの辺りの岩場にも

来た記憶がある。(もちろんその時は登ったのではなく、岩登りの見学だった)といっても

その岩場はここではなく、五色台トンネルの南側の青梅辺りから見える岩壁だとずっと思っ

ていた。(ミカン畑の中を登って行くと岩場があった記憶があったので)







農業用の揚水機場の横を通り更に登って行きながらふと足元を見ると、今日はそういえば

登山靴だ。おおよそ2カ月ぶりに登山靴で歩いている。ここ何年こんな長い期間登山靴を

履かなかったのは初めてかもしれないな~。久しぶり過ぎて、いつも膝の用心の為にと持

って歩いているストックを持って歩いていないのに、ここまで来て気づいた。ん~ん最後

の下り坂が心配になってきた。










標高も上がって来て次第に尾根に近づいて来た。九十九折れの道の折り返しの所で反対方

向に踏み跡が見えた。『ひょっとしてあの岩壁の足元に?』と思いながら興味本位で歩い

て行くと、案の定、山手側が岩壁になってきた。

更に少し下がって行くと目の前に小さな小屋が現れた。小屋の壁には『しわく山の会オレ

ンジヒュッテ』と書かれている。やはりこの岩壁はロッククライミング場になっているよ

うだ。すると30年前に来たのもこの岩場かもしれないと思い始めた。










小屋の横を通りさらに下って行くと、岩壁の下の土だまりが少し広くなった場所にベンチ

が置いてあり、その前の岩壁にはボルトが打ち込まれていた。その岩壁でなんちゃってク

ライマー(登っている振り)。しばらくの間ほぼ垂直に切り立った岩壁を下から眺めた後

小屋まで戻ると、岩に小さな名札がかかっていた。どうやら登るルートによって名前がつ

いているようだ。










岩場を後にコンクリート道まで戻りさらに登って行くと稜線に出た。ここから地形図には

鎌刀越と書かれた峠らしき名前が載っていたので寄り道してみる。しかしYAMAPに載

っているポイントまで歩いてみるが峠らしい雰囲気がなく、峠によくあるお地蔵さんとか

も見当たらない。仕方なく引き返してみるとコンクリート道に出る手前に何やら石仏が見

えた。近づいて見ると屋根の下に大きな石仏と小さな石仏が二体。その手前には、石の道

標が立っている。するとこの場所が鎌刀越なのかもしれない。大屋敷町と北側の王越町

行き来があった峠だろう。YAMAPのポイントとはズレていたが取りあえず確認ができ

たので、今日の目的地の前山へと歩いて行く。














少し歩くとコンクリート道の北側の木にピンクのテープが掛かっている。ここから道を外

れて尾根へと登って行く。斜面を登り尾根に出ると雑木の中に赤テープが続いている。

尾根の北側は先ほどと同じような岩壁になっている。恐らく北側の王越から見ると、大屋

敷の岩壁と同じような岩肌が見えるのだろう。











さらに登って行くと尾根に岩が転がり始める。陽の当たらない山の北側でなく、陽が当た

る尾根にあるせいか、苔も大きくは育たず小さな緑の苔が岩にはまとわりついている。

周りは海沿いの山の特徴的なウバメガシの林。足元のワックスが掛ったようなツルツルし

た小さな落ち葉が足を滑らせ、今の私には最大の天敵だ。














岩庭を過ぎると尾根はほぼ平らになる。あちこちの木に赤テープが巻かれているが広い尾

根はどこが山頂かが分かりずらい。木々の間を探しながらうろつくと白い山頂札が掛かっ

ているのが見えた。周りの木々と比べるとひときわ大きな木の向かいに二枚の山名札が掛

かっていたので、一応ここが前山山頂なのだろう。








山頂から次は絶景が待つパラグライダーのテイクオフ場へと北西に歩いて行く。広い尾根

は迷いやすいがテープがそこら中に巻かれている。ただテープを探して前を見ながら歩い

ていると、足元の枯れて落ちた枝に足を引っかけて転びそうになる。その度膝が差し込み

痛みが走る。前を見て下を見て忙しくしながら歩いて行くと急に右手の景色が変わった。

『ここがテイクオフ場?』と思ったが、どうも写真で見た景色とは違っている。

それでも王越町と王越山そして乃生湾の先に瀬戸内海が広がる絶景だった。どうやらこち

らは王越フライトエリアと呼ばれる場所らしかった。










一つ目のテイクオフ場から先には道の横に農業用のモノレールが続いていた。そしてその

先に大きな岩の緑の苔が髪の毛に見えるお母さん岩。










その岩を過ぎて電波塔を二つ、横目に見ながら緩やかな坂を下って行くと写真で見た景色が

広がっていた。瀬居島と番の州の工場。その瀬居島の右手には瀬戸大橋も見える。













視線を左に移すと林田の埋め立ての奥に、これぞ讃岐の里山!といった感じのおむすび山

が霞んだ平野に浮かんでいるように見える。予定ではこの景色を眺めながらコーヒーを淹

れて、買ってきたお菓子を頬張るつもりだったが、あまりゆっくりしていると奥様と約束

した時間に間に合いそうにない。仕方がないのでコーヒータイムは諦め、少しの間腰を下

ろして景色を愉しんだら下山開始!











道は同じように北西に向かって緩やかに下っている。途中で道の脇に石積みの中に石仏が

見えた。この場所も南北で行き来のあった場所かもしれない。







テイクオフ場から10分強でまたコンクリート道に出た。ここから左に折れてまた登って

きた時と同じように九十九折れの、今度は下り坂が始まる。道の下には至るところでゴミ

が捨てられている。こんな所まで車で来てわざわざと思うのだが・・・・。











それでも時々木々の間からは先ほど見たのと同じようなのどかな瀬戸内と、讃岐平野の里

山の景色を見る事が出来た。すると軽トラックに積んだ伐採した木を道の下に捨てている

お爺さんの姿があった。『こんにちは!』と挨拶をして横を通り過ぎる。

しばらく下っていると、そのお爺さんが軽トラックで下って来て、『この先に猪避けのゲ

ートがあるから、閉めて降りてくれるか!』と声をかけられた。『ハイ、分かりました』

と調子よく返事をして降りて行くが、そのゲートがいっこうに現れない。











そうこうしている内に麓の県道の手前まで降りてしまった。地形図に相模坊大権現と書か

れた場所の横の倉庫で作業している人の姿があったので、声をかけて事情を説明。降りて

来た途中のミカン畑の持ち主の人だったが、『そんなゲートあったかな?』と言っている。

『ゲートと言ってもワイヤーメッシュを立ててるだけやから、イメージと違うかもな』と

言われたが、猪避けと聞いていたので今まで散々見て来たゲート。『もう登ってよう戻ら

ないんで』と泣きをいれると、『もうミカンの収穫も終わってるからエエやろ~』と言っ

てもらった。取りあえず気にはなりながらも、下道を車を停めた厳島神社へと歩いて行く。










それにしても緩やかだった尾根の道とは違い、ミカン畑の中の急坂の下り坂は膝に堪えた。

ズキズキと痛みを感じながら、まだ着かないかまだ着かないかと思いながら歩いた。

やっとの思いで着いた厳島神社の最後の石段は足をあげるのが精いっぱいだった。何とか

石段を登って鳥居の前でお礼をして車へと戻る。







左の膝を無意識に庇っていたのか、登りでは右の臀部が直ぐにパンパンに張り、下りでは

やはり膝が痛む。まだ今日くらいの歩行時間だといいけれども、長い時間歩くと炎症をお

こしてまた水が溜まるような気がするので、まだまだ無理は出来ない。今まだこの季節だ

とそれ程暑くもないので里山歩きができるけれど、暑くなってくるとそれも厳しくなって

くる。周りは春が近づいているのに私の春はまだまだ遠い。


※よく膝に水が溜まるという水とは、関節液の事だそうだ。関節液は関節包の中にあって

通常は関節の潤滑油の役割をしている。その関節液の量を調整しているのが滑膜。滑膜は、

新しい関節液を作って分泌すると同時に、古い関節液を回収する働きを担っている。関節

の炎症などの理由でこの新陳代謝のバランスが崩れ、関節液の回収が追いつかなくなった

時、膝に関節液が溜まるようだ。溜まった関節液には痛みや炎症を起こさせる物質がたく

さん含まれているという。通常は1~3ml程度の量なのだが、前回抜いた水の量は25ml

もあり膝が曲がらなかった。差し込む痛みの原因は分からないので今度先生に聞いてみよ

うと思うのだが、出来るだけ炎症が起こらない様に歩くのが今後の課題になる。

今のうちに奥様サービスでバイカオウレン巡り

2024年02月12日 | 四国の山

まだしばらくは本格的なお山には出かけられそうにない。ならば今まで休みといえばほと

んど山ばかりで、ほったらかしにしているお家の奥様のご機嫌を今の内にとっておこう。

丁度、週中の休みが合ったので、巷で写真がアップされているバイカオウレンを見に出

かけないかと誘ったら、即OKの返事が返ってきた。私自身もこの花を見るのは初めてな

ので楽しみにして出かけてきた。出かける前にYAMAPをチェックしていたら直近で、

GAKUGAKUさんが活動日記をアップしていて、その中で加茂の自生地はお昼からの

方が陽が当たるので良いと思うと書かれていたので、少し予定を変更して牧野公園へ先に

出かけてその後に加茂の自生地を覗いてみる事にした。


高松自動車道と高知自動車道を通って、国道33号線を西に佐川町へと走る。去年も横倉

に登った時にも通った道。途中道すがらで施設や店舗を色々と詳しそうに説明をすると、

『いいわね、あちこち出かけていて!』と思いもよらぬ嫌味な返事が返ってきた。さっき

まで機嫌が良かったのに、どこに地雷が埋まっているか読めない・・・・(汗)

それでも自宅からおおよそ2時間強で佐川町に着いた。街中の街道を進んで行くと四国銀

行の隣に以前はなかった『観光用駐車場』と書かれた看板のある広い駐車場が出来ていた。










街道から南に折れると司牡丹酒造の酒蔵が立ち並ぶ趣のある道になる。旧坂口家の住宅を

改装したカフェを横目に見ながら緩やかな坂道を登って行くと青山文庫の駐車場と観光パ

ンフレットを置いた無人の案内所。更に進んで行くと子供たちの賑やかな声が聞こえてき

たのは一番奥まった場所にある花園保育園の子供たちだった。すると保母さん連れられた

園児たちが、道の脇から青源寺への道の石垣を登っている。少し下手にはちゃんとした道

があるのに、わざわざ石垣を横から登っているなんて、今どきにしては珍しくて何だか微

笑ましくなった。








牧野博士が東京からソメイヨシノの苗を佐川町に送り、その後地元の有志が青源寺の土手

に植えた事から、日本桜の名所百選に選ばれた牧野公園のソメイヨシのあゆみが始まりま

す。その後の紆余曲折経て現在は小中学生も一緒になった住民ボランティアの手でリニュ

ーアル事業が行われていて、約700種類もの植物が楽しめる公園へとなっている。




公園入口から坂道が続いて行く。その道の両側には植物の名前を書いた小さな名札があち

らこちらに立てられているが、まだこの季節咲いている花はあまり見られない。

早い時間から訪れている方が多いのか、坂の上から年配の主に夫婦が次々と下りてきてい

る。案内所で手にしたMAPを見ながら坂道を登って行くと、途中にトイレと売店のある

場所に、ユキワリイチゲの写真が載っていた。花見棟と書かれた建物前にはユキワリイチ

ゲだけでなく他にも、セツブンソウやセリバオウレンの小さな花が咲いていた。














九十九折れの坂道を登って行くと佐川の街が見降ろせる。遠くには横倉山が手前の山の尾

根の上に顔を覗かせている。







馴れ馴れしく博士の肩に手を置く




トイレのある公園の最上部から回り込んで下って行くと、木漏れ日の差す林床一面に白い

金平糖が散りばめられた様に見えるバイカオウレンが咲いていた。













ロープで囲まれた小道に次々と観光客がやって来ては屈んで写真を撮っている。奥様も立ち

止まっては何枚も撮っていた。バイカオウレンの林床から先には牧野博士の分骨した墓石。

そのお墓から一旦上に戻って登って行くと、陽に当たってキラキラと輝く福寿草が咲いて

いた。加茂のバイカオウレンに行く前に立ち寄った牧野公園で、思わぬ珍しい花を見る事

ができて奥様の気分も上々!(笑)











公園からの帰り道、近くの街中を散策。司牡丹酒造の酒蔵が並ぶ街並みは風情があって二

人で久しぶりに小旅行気分。


















佐川町を後にまずは腹ごしらえ。日高町はオムライス街道と呼ばれてオムライスで有名だ

が加茂の群生地は通り過ぎてしまう。それならと横倉山に出かけた際に途中で目にして気

になっていたまる美食堂に入ってみた。店内は外の見た目通りの昔ながらの食堂といった

雰囲気。レジの横におばあちゃんが腰掛けていて、その息子夫婦なのか奥さんが愛想よく

お茶を持ってきてくれた。メニューを見るとオムライスもある。

さっそく奥さんはオムライスを注文、私は中華そば。どちらも素朴な味で美味しくいただ

いた。食べ終えてお金を払おうとしたら『よかったらどうぞ!』と缶コーヒーを差し出し

てくれた。中華そばはは600円なので缶コーヒー代を差し引くと実質500円弱になっ

てしまう。小さなお店で大丈夫かなといらぬ心配をしてしまう。








お腹を満たした後は今日のメインの加茂へ向かう。車は県道沿いの集落活動センター加茂

の里が駐車場になっている。入り口には地元のボランティアの人たちが、車の誘導や案内、

入園料の300円を徴収していた。車を停めてお金を払うとボランティアの人が自生地の

地図を描いた紙を渡してくれた。その地図に従って線路を渡って集落の中へ。その集落の

建物が途切れた場所から山の中へ道が続いていた。最初から意外と急な登坂。しばらく歩

くと背中にじと~と汗が出てきた。その急坂を上りきると道の横に昔懐かしいリアカーが

放置されていた。更にその横に木の枝に赤テープが巻かれて山道らしき道があった。恐ら

清宝山への登山道だろう。今日は観光なので山道はパスしてまた今度!











そこからは少し下りの道を歩いて行くと道の上に『バイカオウレン祭り』と書かれた横断幕

が掛かっていた。お祭り自体は2月10日かららしく、平日もあって人出はさほどでもな

かった。その横断幕から右手にお目当ての自生地が広がっていた。谷あいの杉林の林床に

はバイカオウレンが数十万株も咲いているという。バイカオウレンの花を見るのも初めて

だけれど、花の群生地としてこれだけの数の花が咲いているのを見るのも初めてだった。

奥様も熱心に写真を撮っているけれど、コンデジでもピントが合わないこの小さな花はス

マホで撮るのはなかなか厳しいだろうな。GUKUGAKUさんが書いていた通り、西からの

日差しが当たり明るくなった林床に杉の木の影ができて、光と影の変化が合ってとてもい

い雰囲気だ。



















自生地はロープが張られてその中を一方通行で周回する道になっていた。この自生地をボ

ランティアの人たちが落ち葉を取り除いたり、他の草を抜いてバイカオウレンが埋もれな

い様に手入れをしているそうだ。本来なら1000mぐらいの山林で生育するといわれて

いるバイカオウレンが、わずか100mほどの標高のこの場所で自生しているのは、よっ

ぽどこの谷あいの環境が合っているのだろう。














一通り写真を撮って周回路を回った後、少し上手にある案内図に書かれている苔庭まで歩

いてみる。こちらもバイカオウレンの自生地と同じような林床に、何種類もの苔が生えて

いてその横に苔の種類が書かれた名札が立っていた。













苔庭を一周して、もう一度自生地を廻ってバイカオウレンを見納めする。














小さな花たちを堪能した後高知市内まで戻りひろめ市場へ。初めて来たという奥様はカツ

オのたたきをはじめ色々と料理を取って、チューハイまで注文した。運転手の私はひろめ

市場で初めてアルコールを飲まずにノンアルコールで我慢の出血大サービス!

その甲斐あってか帰りの車中で奥様は上機嫌。これでお山に出かけるようになっても文句

を言われることもないだろうか、逆にどこかに連れて行けとせがまれるようにならないか、

どちらに転ぶかは神様がどちらに味方するか次第・・・・・?






足慣らしにホームマウンテン屋島に!

2024年02月03日 | 香川の里山

年明け二週目に整形外科でMRIを撮って、腫れていた膝の水を抜いてもらったら、それ

まで曲がりにくかった膝関節が随分と楽になった。それでも半月板損傷は再生されるわけ

でもなく、歩くと痛みが走った。

その翌週は白鳥神社の北側の松原にある御山に、登るというよりは歩いた。さらにその翌

週は、徳島の弁天山、日峰山、芝山と、とくしま植物園を散歩してトータルで3.5km歩い

た。少しづつ歩く距離は延ばしたがそれでも今までの山登りに比べると程遠い。

なので今週はもう少し距離を延ばしてみようと考えたが、今の一番の天敵は『落ち葉の積

もった坂道』だ。登りにしても下りにしてもとにかく落ち葉が積もっているこの時期に、

坂道でその落ち葉で足を滑らすのが一番怖い。乾いた花崗土の坂道も同様だ。

ならやはり平らな道で距離を延ばすのが一番なのだが、ただのウォーキングではつまらな

い。せっかくなら景色のいい場所で気分転換になる場所を歩きたい。となると一番に思い

つくのが子供のころからよく遊んでいた屋島山上だ。

両親の実家が麓にあり、親戚の土産物店が山上にあり子供のころからなじみの深い屋島。

山頂部を構成する硬質の讃岐岩質安山岩が急斜面を形成し、山腹の風化した花崗岩が緩

斜面となる寺勾配(お寺の屋根のような勾配)をしていることから屋島と呼ばれるよう

になったようで、ほとんど平らな山上は子供のころの遊び場だった。

いつもなら麓に車を停めて山上へと登って行くのだけれど、まだやはり坂道が怖いので、

車で山上へ走って、山上駐車場からスタートする事にした。


まずは南嶺を歩いて具合が良ければ北嶺まで距離を延ばしてみよう。それとこれまでほ

ぼ手ぶらだったので、今日はザックを背負って歩いてみる事にした。車の座席からザッ

クを降ろして担いで見るとやはり膝に重みを感じた。

駐車場から瑠璃宝池(血の池)の横を通り、今は廃墟となったホテル甚五郎へと向かう途

中に脇道があった。山上の道はほとんど歩いているはずだが初めて見る道。そのまま奥

へと進んで行くと、墓石が立ち並ぶ広場があった。

屋島寺に関係のある墓石だろうか何かの史跡だろうか??森の中にあって周りはきれいに

掃かれて手入れされていた。








その墓石から元の道に戻って歩いて行くとホテル甚五郎。周りのホテルは解体され更地に

なっているが、このホテルだけはいつまでも残っている。建物のガラスは割られ、落書き

だらけの様子は、せっかくの風光明媚な観光地にあって異彩を放っていた。




甚五郎の前を通って山上の南端になる冠ケ嶽へと向かう。途中に蝋梅の木が一本。透明感

のある薄黄色の花をつけていた。花びらに顔を近づけて匂っていると、後ろから来たご夫

婦のご婦人が『あらこんな所に蝋梅があったのね』と。『え~いい香りがしますよね』と

答えると、『ほんとにね』とにっこりと笑ってくれた。




屋島ケーブルの山上駅の手前の遊歩道には、今はほとんど見かけなくなった木の丸太にク

レオソート塗り込んだ電柱が並んでいた。20年近く前に廃止となったケーブルの山上駅。

昭和初期に建てられたとは思えないモダンな駅舎も、白かった外壁も黒ずみ見る影もない。










山上駅から冠ケ嶽へは地道になる。途端に鳥の鳴き声が騒がしくなった。




屋島神社からだと直登して冠ケ嶽の岩壁直下まで登って、岩壁を西に回り込むとこの場所に

出る。冠ケ嶽からは曇り空だが南から東の景色が見渡せた。










南の前山の頭腰に見える山並みは高仙山あたりだろうか?少し戻って道の西側を下って行

くと、冠ケ嶽の直下にロープが掛った場所があり直登出来る。さすがに今日は近くまで慎

重に降りて行き、岩壁を覗き込むだけにした。ほぼ垂直な数十メートルの安山岩の岩壁を

目の前にして股間がザワッとした。







冠ケ嶽からケーブル山上駅まで戻り遊歩道を歩いて行くと、発掘調査後石積みが復元され

屋嶋の城(やしまのき)。屋島は先ほどの冠ケ嶽のように、山頂付近は岩壁で周囲は囲

われていて、天然の要塞になっていたが、地形的に敵の侵入を受けやすいような場所には

この様な石積みの城壁と門を築いて防備を固めたそうだ。




その屋嶋の城から少し西に歩き遊歩道から林の中へ入って行くと、一等三角点 屋島山

県内に7つある一等三角点の内のひとつになる。





三角点から更に西に行くと麓からのへんろ道、そして屋島寺の山門の前に出る。その山門の

手前から背の低い石垣を越えて林の中へ入って行くと、西尾根展望台へのショートカットに
なる。







この西尾根は以前に一度だけ下ったことがあるが、それこそ落ち葉の急坂を転がる様にし

て下ったのを思い出す。展望台に着くと小さな粒の雨が降ってきた。眼下は低い雲に覆わ

れてあまり眺望はきかない。














西尾根展望台から林の小道を戻って獅子ノ霊巌へ。最初の冠ケ嶽や西尾根展望台には人っ

子一人いなかったが、ここまで来ると観光客の姿があった。新しくできた施設やしまーる

を二人で歩く男女。展望台から瓦投げを愉しむ外国人の家族連れ。








ここのところ左膝を庇って歩いていたせいか、右の臀部が張ってきた。でも膝の調子は悪

くないので、北嶺まで歩いてみる事にする。水族館の横を通り、駐車場を横目に見て歩い

て行くと談古嶺の手前で北嶺への分岐となる。その道はドライブウェイのトンネル上まで

下り坂になっている。長い下り坂もゆっくりゆっくりと歩いて行けば問題なかった。

いつもなら遊歩道から外れて尾根道を歩くのだが、今日は無難に遊歩道を歩いて行く。途

中には新しく展望台の工事が行われていた。











一旦下って登り返していくと遊歩道は二手に分かれている。その先には千間堂跡がある。

千間堂は屋島寺の前身となる寺院があった跡地。鑑真和上が都へ向かう途中で屋島を訪れ、

お堂を建てて普賢菩薩を安置したと伝えられている場所。その跡地の広場には以前は東屋

とトイレが在っただけだったが、今はきれいな休憩所とトイレが出来ている。

その広場から尾根を歩いて行くと山頂の北端の遊鶴亭になる。この辺りになると道の両側

はウバメガシの林。遊歩道の舗装はそのウバメガシの落ち葉で埋まっていた。











遊鶴亭からはいつもと変わらぬ瀬戸内の海の穏やかな景色が広がっていた。沖を行くフェ

リーも何だかのんびり動いているように見える。














しばらくそんな景色を眺めた後、千間堂の広場に戻ってお昼ご飯にする。今日は先日買っ

た無印良品のスパイシーチキンカレー。カレーをお湯で温めて、ナンはアルミホイルに包

んで温めて頂いた。無印のレトルトカレーは何と57種類もあって、たくさん並べられた

中から選ぶのに時間がかかった。その中で選んだスパイシーチキンカレーは名前の通り、

けっこう辛めのカレーでとても美味しかった。








お昼ご飯を食べ終えて担いだザックはスタート時より随分軽く感じた。千間堂広場からの

帰り道。やはりちょっと遊歩道から外れて尾根筋を歩いてみたくなった。安山岩の露岩を

登り、とにかくウバメカシに足を取られないようにゆっくりと歩き、そのまま駐車場へと

戻って行った。最後に屋島寺に立ち寄り『早く膝がよくなりますように』とお願いして家

路へ。先週に比べると距離が延びて、10km弱歩けたがそれでもまだまだ本調子にはほ

ど遠い。お腹周りの浮き輪がどんどん膨らんできているような気がする今日此の頃です。