KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

おっ・と・と・と~~皇踏山

2025年01月30日 | 香川の里山

昨年の秋の寒霞渓の馬の背に始まって今回で6度目の訪問になる小豆島

今までも紅葉の時期などに何度かは続けて通ったことはあったけれど、1シーズンに6回も出かけたことはなか

った。それだけ小豆島には魅力的な里山がある。

今回はその小豆島の拠点となる土庄から間近に見える皇踏山に出かけてきた。ただ今日は今までとちょっと趣向

を変えて、WOC登山部で案内したところ男性5名女性5名、合わせて10名の参加となった。

岬の分校は無垢な24の瞳だったけれど、今日はおっさんおばさんの20の瞳でスタートする。

 

皇踏山へは土庄港から北回り福田行の島バスに乗り、小馬越のバス停で下車。まずは奥の院笠ケ瀧を目指して集

落の中を歩いて行く。今回のコースは別の山の会で2003年に総勢27名で歩いた道だけれど、なんせ20年

以上も前、小馬越のバス停と奥の院の露岩の急坂の参道の記憶が薄く残るだけだった。

奥の院の案内板に沿って歩いて行くと、さっそく道の北側に岩壁にへばりつくようにして建つ奥の院が見えた。

 

 

まずは途中にある小豆島霊場72番 瀧湖寺(りょうこうじ)を訪れる。昭和49年の大火で境内の大半を焼失

した後再建された本堂は、コンクリート造りで立派に建て替えられていた。本堂の前では蠟梅の花が甘い香りを

漂わせていた。

 

 

 

本堂の中に入りお参りした後、その瀧湖寺の西側を山に向かって歩いて行く。まずは左に曲がって次に奥の院へ

の道標が立っている分岐を右に曲がって山際まで来ると、奥の院への厄除段・寿命段・招福段と呼ばれる石段が

始まる。

 

 

その苔むした自然石の石段を登りきると黄金色の鐘。この鐘撞堂の裏手から最初の露岩のゴツゴツした参道にな

る。

 

 

その鎖の手すりの続く露岩を登って行くとトイレと大師堂のある広場に着く。ベンチの置かれた広場には猫が数

匹たむろしていた。近寄ると逃げる子もいるが人馴れしている子もいる。

 

 

全員が登ってきたところで二つ目の露岩の参道を登る。目の前には断崖絶壁に建つ本堂が待ち構えている。参道

の真ん中にはしっかりとした鉄製の手すり。その手すりを握りながらゴツゴツ、デコボコした岩を登って行く。

 

 

 

この露岩は小豆島のあちらこちらで見られる溶岩の一種で、皇踏山溶岩流と呼ばれカチカチに固まりビクともし

ない露岩の参道になっている。中央部分の鉄製の手すりには、寄進者の名前が刻まれていた。

 

 

以前は本堂の脇から鉄製の梯子状になった岩壁を登り、最後は鎖を登って行くと、本堂の上にある十三重の塔へ

と登れたが、今は竹で蓋をされて登れなくなっていた。まあでも奥様が要らぬ考えを起こさなくてちょうど良か

った。本堂の横の行場の鎖が岩壁に垂れているがこちらも登ってはいけないと注意書きが書いてある。

本堂へは洞窟の中から入って行く。暗がりの中を進んで行くと小さな明かりが足元を照らしてくれる。途中には

六角形の穴の『幸せくぐり』(東大寺にもあるような)があったが、その大きさから誰一人潜ろうとはしない。

(洞窟から本堂の中は撮影禁止になっている)

 

 

 

 

本堂には女性に人気の『願掛指輪』があり、願いが叶ったら指輪を返すようになっている。その返された指輪を

見て、誰かが『なんで指輪を置いてるんやろ?』と言うと、その横で『離婚したとか相手が亡くなったとか』な

どと不謹慎な答えを言っている(笑)

本堂のお参りを済ませて登ってきた第二の参道を広場まで下って行く。けっこう急なので登りよりも下りの方が

が足運びが難しい。

広場まで降りると、西側にある鐘撞堂の奥からへんろ道へと入って行く。

 

 

鐘撞堂からはしばらくは露岩の斜面を歩いて行く。ただこちらの露岩もしっかりしているので、ゆっくり歩いて

行けば問題はない。

 

 

 

露岩を過ぎると皇踏山へと続く尾根になる。尾根に出ると右側に『きよめの不動明王』と書かれ囲まれた中に不

動明王が祭られている。その不動明王の脇からは東に尾根を伝って、本堂の上にある十三重石塔にこちらからも

登れるのだが、今は通行禁止になっている。

 

不動明王からは尾根の快適な道。クヌギやウバメカシの落ち葉を踏みながら歩いて行く。

 

 

すると道の脇に異形の岩が。その先にも今度は道の真ん中にもう一回り大きな岩が立っていた。脇の木の枝には

松茸岩と書かれている。寒霞渓の裏八景の登山道にも松茸岩はあったが、大きさはともかくこちらの方が形的に

はよく似ている。裏八景の松茸岩がそうだったように、この松茸岩も下の部分は「火山角礫岩(かざんかくれき

がん)」と呼ばれる石で、 火山から噴出した岩石が降り積もり、 それが長い年月をかけて浸食されたもののよ

うだ。松茸岩とはべつにこの岩を子宝岩と呼ぶ人もいた。(笑)

 

 

この時期尾根道に咲く花はなく、白と薄紫の小さなコウヤボウキが北側から吹き上げてくる風に揺れていた。

道にはこの強風のせいか、かなり落ち葉が積もっている。いつもなら若干1名そろそろ騒ぎ出すのだが、WOC登

山部のメンバーにはもう1名『腹減った大臣』がいる。そう『腹減った~腹減った~!』と山さんが騒いでいる。

といってももう時間は12時を過ぎている。後ろからくるもう一人の『腹減った大臣』の奥様は、振り向くとひ

とり立ち止まってチャッカリおにぎりを頬張っていた。

 

 

 

お昼ご飯の予定にした展望台の手前には吉田の千畳ケ岳でも見た石垣が並んでいた。『こんな尾根にも猪垣?』

と思いながら歩いて行くと展望台に着いた。展望台からは小豆島の最南端になる地蔵埼灯台のある三都半島が低

い峰々を従えながら続いている。

 

 

 

尾根の南に向かって開けた展望台は幸い北からの風がほとんど当たらず、各々広がる景色を眺めながらお弁当を

広げる。こんな寒い日はやはり温かい出汁のカップ麵に限る。説明版に書かれている通り、確かにここから夕陽

を眺めたら最高だろうな~。

展望台の後ろには先ほど見た石垣と同じ猪垣が尾根に沿って並んでいた。

 

 

 

お昼ご飯を食べた後は奥様から温かいコーヒーの振る舞い。カップ麺とコーヒーで身体は中から十分温まった。

展望台を後に皇踏山に向かって歩いて行くと尾根道の北側にずっと石垣が続いている。一部では猪垣ではなく

山城の石塁だと考える人もいるようだが、途中にはその内容が書かれた説明版があった。そこにはなんとこの石

積みが島内に延長百数十キロにもなると書いている。

 

 

道は途中で二股に分かれていて左の道を進んで行くと東権現社があった。この皇踏山山頂には東西二つの権現が

あり東権現社は巨石が集められ、神の鎮座する磐境 (いわさか) となっていて、敷地内には篭り堂が置かれている。

 

この東権現社からさらに進んで行くと芝生広場園地に出る。こちらも先ほどの展望台と同じように南に向かって

の眺望が広がっていた。麓には満ち潮で完全に独立した小島になったエンジェルロードが見える。

この園地は突き当りになっていたので、引き返して二股で左に来たのを右に進んで行く。

 

 

途中には『天狗の松』と書かれた場所を右に入って行くと、奥まった場所に祠と倒木があるだけだった。

天狗の松から先でまた分岐。道標に従って右に折れて大岩がゴロゴロしている中を歩いて行くと猫の額ほどの

踏山山頂に着いた。

 

 

 

 

山頂には 三等三角点 淵崎 393.67m。記念撮影でセルフタイマーでシャッターを押した山さん。三脚を置い

た場所から足元が悪くて何とかギリギリ間に合った。

 

 

山頂からも一旦戻って分岐から更に西に向かって歩いて行くと、西権現社。先ほどの東権現社は北山地区の権現

さん。こちらは麓の淵崎地区の方の権現さんになる。

 

 

 

 

西権現社の拝殿から南に下がって行くと三つ目の展望台。最初の展望台と比べると、土庄の町に随分と近づいて

きた。いつもは波静かな土庄港の湾内にも白波が立っているのが見える。

 

 

 

展望台の脇から淵崎への下りの道になる。滑りやすい危なげな場所にはロープが張られていて助かる。

対岸の屋島もそうだが、山頂近くの頂部は断崖になっていてそこから標高が下がるにつれて傾斜は緩やかになっ

ていく。

 

 

 

すると後ろから来ていた奥様が私を呼び止めた。ピンクのテープを指さして『ここから奥に見える岩場に行ける

かも?』とおっしゃる。今日は他のメンバーもいるのでおとなしくしていると思いきや、先ほどから下りながら

左手に木々の間から見えている岩肌を見て様子を伺っていたようだ。

『仕方がない・・・・』。前を降りて行くメンバーに『寄り道してみるので先に行ってください!』と声をかけ

る。ピンクのテープから木々をかき分け下って行くと、確かに踏み跡があるような、ないような。

すると谷筋の岩の上に出た。その奥にも踏み跡らしきものが・・・・。

 

 

谷筋を渡って木々に掴まりながら登って行くと岩壁の下に出た。イバラやネズミサシに阻まれながらも少し登っ

てみるが、まだまだ上に岩が続いている。地元の里山ならまだしも、今日は帰りのフェリーの時間がある。

見晴らしのいい場所で『今日はここまでかな?』と奥様を説得する。

 

 

 

 

すぐ下には来る前に航空写真で見た砂防ダムが見えた。先に下って行ったメンバーは、山を下りてもう街歩きを

している頃だろう。花崗岩の岩肌は山頂近くの安山岩に比べて風化して脆く崩れやすい。十分に注意して下り、

谷筋から登り返して登山道に戻る。

 

 

 

道は次第に緩やかになり、最後は淵崎の集落に降りたった。民家の間を歩いて行くと再編成の合併で廃校となっ

淵崎の小学校。この小学校は江戸時代になんと岡山県北の津山の飛び地領の陣屋跡だった由緒ある場所にある

小学校だった。ただ長い間水が抜けて乾いて汚れの付いたプールが何とも言えず寂しげだった。

小学校から舗装路をぐるっと回り込んで歩いて行くと、いつもバスの車窓から見た土渕海峡淵崎の本島土庄

町前島の間、最も狭いところで9.93mという事で世界一狭い海峡としてギネスに認定されているらしいが、

パッと見海峡といったイメージは湧いてこない。

 

 

土渕海峡からは土庄港に直ぐには行かずに寄り道をする。朝土庄港の待合にあった土庄の観光案内のパンフレッ

トに載っていた、西光寺の小路を訪ねてみた。土渕海峡から迷路のまちの中を通って少し東に向かって歩いて行

くと、西光寺の小路にある練り塀と呼ばれる練り土で石や瓦を交互に重ね、瓦葺の屋根が付けられた塀の横を通

って行くと、パンフレットで見た通りの風景があった。

片側は練り塀その反対側は杉の板塀。落ち着いた色彩のその奥の朱色の三重の塔とのコントラストが目を引く。

 

 

 

パンフレット通りの写真が撮れて大満足の二人。あとはメンバーの待つフェリー乗り場まで迷路のまちを通って

歩いて行く。迷路のまちは海賊から島民を守るためにとも、南北朝時代の攻防戦に備えたとも云われる、複雑な

路地が続き迷路のようになっている。

その街中は昭和のレトロな建物が多く残り、昭和生まれの年代の私たちには懐かしい散歩道になる。

 

 

 

 

迷路のまちを抜け港に着くと、ちょうどメンバーはフェリーに乗り込んでいた。

過去の5回は比較的暖かい日に出かけていたので汗を掻きながら歩いたが、今日は一日珍しく上着を脱ぐことのな

い寒い一日だった。久しぶりの大勢での山歩き。気の置けない人たちとの楽しい会話。冬の間の里山歩きはまた

WOC登山部での山行もいいな、と思いながらフェリーの中でも楽しくおしゃべりしながら帰った。


『ビシャ岳に内海ロック』って、響きがなんかカッコイイ!

2025年01月23日 | 香川の里山

 

YAMAPのみまもり機能は、登録した相手のLINEに登山中の現在位置が地図上に通知される機能で、私は

奥さんを登録している。当然奥さんはどこの山に出かけているのかが分かるし、万が一の時もおおよそどの辺り

にいるのかがわかる便利な機能だが(普段だと恐ろしい大きなお世話の機能だ)、昨日は『明日はどこの山に、

また小豆島!』と言われてしまった。『あ~やっぱりちゃんと見ているんだ』と思った。

ただそれ以上は前回同様聞かれずに済んで事なきを得たが、奥さんには言えないほんとうに魅力的な岩山が小豆

島にはたくさんある。別段ロッククライミングをするわけではないが、『岩山が・・・』なんて話をすると速攻

で『そんな危ないところ』と言われるのが目に見えている。

 

県内でも珍しいそんな山容の山が点在する小豆島だが、その中でも吉田地区にある山は、岩肌を露わにした岩壁

が連なる特異な風景が目の前に広がっている。

その内のひとつ千畳ケ岳に2週間前に登った時に、山頂から北西に見えた岩塔と岩壁には『ビシャ岳と内海ロッ

』という名前があるのを、家に帰ってこもれびさんむらくもさんのブログを詳しく読み返してみて気づいた。

ただし他の人のブログでも紹介されていたが、二つの名前がそれぞれで食い違っていて、果たしてどの山名が正

解なのかが分からなかった。

そこで今週はもう一度登って確認してみるのと、前回と違うルートで吉田ダムの方へ下りられないかと考えた。

 

二週間経つと陽が登るのも少しづつ早くなっている。

土庄港から北回り福田行のバスに乗り込むのだが、バス停ではルートの違うバスが次々とやってくる。島の人に

とっては無くてはならない交通手段。ただ我々の乗った福田行のバスには我々二人以外はお年寄りが二人だけだ

った。これでは将来にわたってこの路線を維持するのは難しいだろうなと寂しく感じた。

吉田のバス停で降りると直ぐに目の前に岩壁の連なりが目に飛び込んでくる。

すると横に居た奥様が『あれ、ニット帽がないわ』と言い出した。ザックの中を探っても見当たらない。『きっ

とバスの中が暑いので脱いだまま置き忘れたんだわ』と言うので、直ぐにバス停の時刻表に載っているバス会社

に電話して、事情を説明して置き忘れていたら帰りに寄るので取り置きしてくれと頼んだ。

 

 

 

千畳ケ岳の山頂付近には今にも転がり落ちそうな岩塊がいくつも見える。そしてその右側には岩塔のビシャ岳と、

内海ロックの岩壁が見える。さらにその左側には吉田川の岩場。この辺りの岩壁には100以上のロッククライ

ミングのルートがあるそうだが、我々はそんな岩の間に生えた木々の中を伝って登って行く。

 

 

 

まずは82番霊場の吉田庵の横を通り、吉田オートビレッジへ。ここにはこの山域の写真と山名が書かれた案内

板があるのが分かったので立ち寄ってみた。案内板には岩塔がビシャ岳、その横の岩壁が内海ロックと書かれて

いた。これをネットでは逆に書いている人がいたが、地元の案内板が間違いない。

 

 

オートビレッジの西側の舗装路を山に向かって少し歩き、テープがかかった場所から道の脇へと入って行くと、

直ぐの猪避けの柵がある。扉を開けて通り、ちゃんと戸締りをして登って行く。木々に付けられたテープは西に

向かって続いている。そのテープを目印に登って行く。

 

 

途中の山中にあった石積み。前回も目に留まった石積みだったがその時は何の石積みかが分からなかった。帰っ

て読んだこもれびさんのブログには、別の場所で写した同じような石積みに『猪垣?(シシガキ)』と書かれて

いた。山歩きをしていてよく見かける石積みとは異なる乱雑に積まれた石積みはやはり猪垣なのだろう。

昔も今と変わらず害獣には悩まされていたようだ。

 

 

しばらく急登を登って行くと、麓から見えた樹林帯から突き出た岩壁の足元に着く。岩肌には錆びたボルトが点

々と岩の上まで続いているのが見える。

その岩壁を左に巻くと一つ目のロープ場。そのロープ場を登るとちょっとしたトラバース。西の奥様にとっては

『たいしたことないわ』なのだが、人によってはけっこう高度感を感じるはずだ。

 

 

 

トラバースを過ぎるとほぼ岩肌になってくる。徐々に高度感も出て来てそれに伴って眺望もどんどん開けてきた。

 

 

 

この辺りの壁には真新しいボルトが打ち込まれている。でもまあ結構な高さのここまで登って来て、さらにほと

んど垂直の岩を登ろうなんて?

といっても私たちも今日は千畳ケ岳の山頂から見えたビシャ岳や内海ロックへの好奇心からやって来ている。そ

の好奇心が、岩を登る人たちは垂直なだけなのだろう。

 

前回登って来た時に通過した展望岩が山頂直下にあった。千畳ケ岳の山頂ほどは広くはなかったが、同じように

見晴らしはバツグンだ。目の前には千畳ケ岳の岩塊が迫り、麓には吉田川の北側に吉田の小さな集落が見える。

今日は前回ほどは遠くまでは霞がかかっていて見えないが、吉田富士の奥に青い瀬戸の海に白い船が浮かぶ、

のどかで穏やか風景が広がっていた。

 

 

 

 

そんな景色を眺めていると後ろから来た奥様が私の横を通って岩の先端へ!『ダメダメ、見ているこっちがゾク

ゾクとする』と言っても聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか?

 

 

 

展望岩の先にはまた小さなテラスがあった。好奇心旺盛な奥様はまた先へ先へと行ってしまう。その内屈んで何

かを見ていると思ったらボルトにカラビナや朽ちたロープが残っていた。先ほどの新しくボルトが打ち換えられ

たルートと違って、こちらはもう登る人もいないのだろう。

ここからは先ほどの展望岩が見下ろせた。こうやって見るとあそこに立っていたのを思い出しただけでもゾクゾ

クとする。

 

 

 

 

千畳ケ岳の山頂は前回と同じ素晴らしい景色を私たちに見せてくれた。山・川・海そしてひっそりと暮らす人た

ちの集落。吉田川が流れこむ湾は、ここから見ても水がきれいに透き通っているのが伺える。

そしてその反対側を見るとお目当てのビシャ岳と内海ロックが私たちを待ち構えていた。内海ロックは前回吉田

富士に縦走するときに通った展望岩の辺りだ。となれば今日はビシャ岳の岩壁の足元に行ってみたい。

そしてその後、西側に見えているオレンジの岩肌の256.6mの三角点を通って、そこから吉田ダムへと下りたい。

事前にそのルートはYAMAPで『サホさん』が歩いていたのを見て確認している。奥様にも残りの行程を峰々

を眺めながら説明して、千畳ケ岳を後にする。

 

 

 

山頂からは北西にテープを辿りながら一旦下って登り返していく。この辺りはほとんど歩いている人の形跡はな

いが、テープだけはしっかり残っている。人によっては藪コキというのかもしれないが、藪慣れした奥様にはな

んでもないようだ。

 

 

前回は内海ロックに続く尾根にでて北に向かって砕石場を眺めながら歩いたが、今日はその尾根に出る手前で右

下にテープが続いているのを見つけた。『ひょっとしてビシャ岳へのルートか?』と思って歩いて行く。

だがこのテープを辿ると砕石場の見える展望岩のある尾根に出てしまった。そこでGPSを見るとビシャ岳

は行き過ぎていたので、少し戻って地形図に載っている崖地の表記に向かって適当に下って行く。

 

 

ただし何となく踏み跡らしき跡はあるようなないような。木々の密集度が高くてビシャ岳の岩塊もどこにあるの

かが確認できないので、それらしい尾根を辿りながら右に左にと下って行くと目の前に薄っすらと岩陰が見えた。

どうやらビシャ岳の頂部の様だ。

その岩の足元まで降り、際に生えている木の枝をかき分けその先へ。木々の先は岩棚になっていてビシャ岳の頂

部を眺めることができたが、その高さはほんの頭の部分だけで迫力には欠けていた。

ただこれで一応今日の目的地へは到達したことに二人で満足する。

 

 

 

 

その後岩塊に沿って下ってみるが、どれだけ下ってもビシャ岳本来の足元には着きそうもなく、切れ落ちた崖に

もなってきたので途中で引き返す。

ビシャ岳への尾根を外さないように木々をかき分け、木の幹に掴まりながらなんとか海ロックに続く尾根に出

た。その尾根に出る手前から唯一見えたビシャ岳の頂部は、意外にも平らで広かった。

 

 

尾根からは南西に向かって歩いて行く。シダに囲まれた尾根は随分昔に切られただろう古い切株が至る所にあっ

て、時々見えずにつまずきそうになる。

 

 

途中からサホさんの歩いたルートは今度は南東に振って歩いている。そのルートを見ながら尾根から外れて下っ

て行くと次第にシダの海の中へ入って行く。

最初はシダをかき分け悪戦苦闘したが、暫くすると足元は踏まれた感じになってきた。そして途中からピンクの

テープが目に入ってきた。何度かシダの海から這い出たが、その度また海の中への繰り返し。この間は今の時期

以外の季節は厳しいルートだなと思いながら下って行く。

 

 

 

 

足元の見えないシダの海は切株や段差で転びそうになり、平泳ぎのように手を動かしシダをかき分けかき分けで

けっこう疲れてきた。そして時々イバラが行く手を阻む。いい加減シダの海が飽きてきた頃足元に見慣れた白い

杭と石柱があった。四等三角点 灘山 256.78m  だ。

そしてその三角点の先には岩が見え、近づいて見るとオレンジの岩肌。千畳ケ岳から見えたオレンジの岩塊だっ

た。以前に歩いた小野アルプス紅山にもこのダイダイゴケの一種が貼り付いていて、遠くからは見ると朱色に

見えるので紅山と名前が付いたそうだが、全国にも同じように紅山と名前が付く山がある。

山道を走っていると法面のコンクリートに着いたコケにもオレンジ色の苔を見かけるが、それもダイダイゴケの

一種なのだろう。頂部の岩から一段下がった岩肌は、さらに鮮やかなオレンジ色をしていた。

遠くからでも一目で分かるこの岩塊を吉田のダイダイ岩と命名することにした。その横で奥様はおむすびを頬張

っていた。『KAZASHIさんは大丈夫?』と聞かれたが、『千畳ケ岳でチョコレートを食べたので大丈夫です』と

答えたが、これが後々・・・・。

 

 

三角点からは頂部の岩とダイダイ岩の間を下って行く。もしテープがなければ下ろうとは思わないような段差が

ある。ダイダイ岩を降り立ってもシダの道は続いていくが、シダの道にも慣れてきたのか下って行く奥様のスピ

ードは落ちない。

ただひょっとするとダイダイ岩で『12時を過ぎたけれど、ダムの展望台まで降りてお昼ご飯にしましょう』と

言ったせいかもしれない。今までこんなに遅くまで?お昼ご飯を食べなかったことはなかったから、急いで降り

てとにかくお昼ご飯を食べようという思惑か。

振り返ると着色したようにオレンジ色に輝く岩肌。コケと云えばジメジメしたところのイメージがあるが、小野

アルプス紅山も、このダイダイ岩も照り付ける太陽の下で生息している不思議な苔だ。

 

 

 

 

 

ダイダイ岩から下に見えた反射板まで降りてきた。時間は12時30分前。予定ではここからダムの展望台まで

降りて対岸まで渡り、舗装路を少し歩いて吉田へとは下らずに、そのまま福田へと山越えをするつもりなのだが、

距離も高低差も分からず時間が読めない。

展望台までも道はなく露岩の間を抜けて降りて行くのでスピードが上がらない。

 

 

 

 

展望台には着いたのが12時40分。福田発のバスは14時ちょうど。おそらく大丈夫だとは思うが念のため奥

様に『ここでの昼食はパスして福田まで歩きましょう』と言うと、珍しく『いいですよ、さっきおにぎり食べた

し』と仰った。

展望台からはほぼ同じ目線の高さに千畳ケ岳。そして左上にはビシャ岳。そしてもちろん麓には吉田ダムが見下

ろせた。竣工当時は県内では一番の高さを誇っていたが、塩江の椛川ダムができて2番目の高さとなっている。

 

 

 

展望台からダムの左岸の広場に降りると巨大な像が立っていた。筋肉質の女性の像だが奥様がその前に立つと、

その大きさが分かる。ダムが竣工されたのは1988年のバブル真っ盛りの時代。こんな像を立てられるほど、

潤沢な予算があったのだろう。

ダムの上部は天端というそうだが、その天端の腰壁も通路部分も石張りで豪華な造りだ。このダムからは島内全

域に上水道用水が供給されている。

 

 

右岸まで渡るとここにも一風変わった『うるおい』と命名されたモニュメント。1・4トンもの球体の石が、水

圧でくるくる回っていた。

奥様がトイレを済ませている間に私は管理事務所に寄ってダムカードをゲットした。

 

 

モニュメントのある広場から右岸の舗装路を下って行く。地形図では少し下ったところから破線が福田へと続い

ていたが、その破線は82番霊場の吉田庵から83番の福田庵へのへんろ道だろうと予測していたのだが、Goog

leMapのストリートビューで見てみると、取り付き当たりの道の脇にピンクのテープが垂れているのが何となく

見えたが、本当にへんろ道があるかの確信はなかった。

取り付きまで下って行く途中からは対岸の吉田川の岩場の全貌を望むことができた。

地面から突き出した搭状塊状の. 基盤岩の高まり, トール, 岩塔をトアと呼ぶそうだが、全国的に見てもダムの至

近にこれだけのトアが林立している所はないらしい。

 

 

そんな吉田川の岩場を眺めながら歩くと取り付き地点らしい場所に着いた。そこには垂れたテープと共にちゃん

とした『へんろ道』と書かれた案内板が立っていた。そして下手に下る道にはやはり吉田庵への道と書かれてい

る。予測したとおりに福田への道の存在に安堵し、手すりと石段が続くへんろ道を登って行く。

 

 

 

取り付きだけかと思った手すりはほぼ峠まで続いていた。石段や道も荒れていなくて奥様が『お金がかかるだろ

うに誰が整備してるんだろう?』と。ただ私はそれどころではなく、ビシャ岳への急な下りが良くなかったのか、

尾根からダムへの下りが災いしたのか、いつもの左膝に加えて右膝も痛み始めた。その上シャリバテなのか、ま

ったく足が動かない。

峠のお地蔵さんの前で待っていた奥様は『福田の港でバスが来るまでに持ってきたカップラーメン、食べられる

かな?』とお昼ご飯のことで頭の中がいっぱいらしい。(笑)

 

 

峠からの下りでもシャリバテはなんとか収まったものの、膝の痛みは変わらない。相変わらず奥様は『そう言え

ばバス停の横に食堂があったわね。メニューによったら食堂の方が早いかも!』と仰っている。(´▽`)

 

 

山道から町の民家の横に降りたった。狭い道を家々の間を歩いて行くと福田の小学校の横に出た。『生徒たちが

いる雰囲気がしないわね』と奥様。校庭のフェンスに沿って歩いて行くと別の入り口には卒業記念の石が並んで

いたが、平成18年を最後に途切れていた。

 

 

 

福田港のバス停にはバスの発車の15分前に着いた。奥様がバス停横の食堂にすぐさま飛び込んで、『バスの時

刻まで15分しかないんですけど、一番早く食べられるものはありますか?』と聞くとカレーライスを進められ

た。船員カレーと書かれたカレーライスは直ぐに運ばれてきて、慌ただしく食べ終えるとバスの発車1分前だっ

た。バス停のベンチに腰掛ける間もなく定刻通りにバスがやってきた。

 

 

 

時間的にはもう少し余裕がある予定だったが、千畳ケ岳までの展望ヶ所やビシャ岳へのアプローチを楽しんだせ

いで、予想以上に時間を食ってしまったようだ。

土庄に着いてすぐに土庄港のターミナルにあるバス会社に寄ってみると、やはりバスの中に奥様がニット帽を置

き忘れていた。お礼を言ってバス会社を出て今度はフェリー乗り場の待合室の椅子に腰かけていると、待合室の

大きな画面のテレビから、イチロウが大リーグの殿堂入りのニュースが流れていた。その周りではあまり関心が

ないのか、大きな声で中国語が飛び交っていた。

それにしても『ビシャ岳と内海ロック』は名前だけ聞くと本来の意味とは違うだろうが、響きがとにかくロック

な感じがしてかっこいい!

秋から数えて5回目になる小豆島の山歩きは、船で渡るところから始まり島バスで移動するので、プチ旅行気分

が味わえる。岩山登りは今回で一旦おいて置いて、来週は軽めのお山に登る予定だがやっぱりまた小豆島。

今ネット上では特定の対象に夢中になって抜け出せない状態を『沼にハマル』と言うそうだが、まさに小豆島

沼にはまっている私だった。


『YOUは何しにまた小豆島へ!』千畳ケ岳

2025年01月12日 | 香川の里山

 

今日はなぜか『どこに行くん?』と聞かれなかった。もし聞かれて『小豆島!』と答えたなら、『何しにまた小

豆島へ!』と嫌味ぽく聞き返されるだろう。そうなると『小豆島には岩山がたくさんあってスリルがあって』と

は決して言えずに返答に困っていただろう。ただYAMAPのみまもり機能の設定をしているので、どこの山に

出かけたかは結果的には分かってしまうので、家に帰ったなら『また小豆島にいってたん』と言われるかもしれ

ない。その時には『そこに山があるから・・!』と答えよう。

なんて考えを巡らせながら今日も小豆島へ出かけてきた。寒霞渓の馬の背・西の石門洞雲山・碁石山大嶽

あまり県内の里山にはない特徴的なそして魅力的な山が小豆島にはある。そして岩肌登りやロープ場の楽しさに

味を占めた西の奥様に、今日はさらに吉田の三山を提案してみた。

吉田山・吉田富士は以前にWOC登山部で登ったことはあったが、その西にある千畳ケ岳は未登の山。しかも途中

にはロープ場があり、山頂には絶景が広がっているらしい。そうなるともちろん奥様は断る理由もなく、性懲り

もなくまた出かけることとなった。

 

いつもの様に、7時20分発の土庄行のフェリーに乗り、土庄から今回初めて北回り福田行のバスに乗る。但し

フェリーが到着するのが8時20分で、土庄港発のバスが8時21分発なので慌ただしい。私たちは今回平和の

群像前から22分発のバスに乗った。小豆島オリーブバスの料金は150円と300円の二つしか設定されてい

ない。150円区間を過ぎれば今回のように土庄から吉田の様に島でも一番遠くになる地区でも、どれだけ乗っ

ても300円なのだ。

今シーズンは全て島の南側のバス移動だったので、北側の海岸線の景色は新鮮に感じる。クネクネと海岸線を走

るバスは9時5分に吉田のバス停に着いた。

 

 

バスを降りると直ぐに美味しそうな?岩肌が目に飛び込んでくる。吉田ダムの横の岩壁は、吉田の岩場と呼ばれ、

関西からでも大勢のロッククライマーがやって来るらしい。その右側には今日のメインディシュの千畳ケ岳の白

い岩肌が見えている。その千畳ケ岳から北にも緑の山肌の上にびしゃ岳の岩肌が見えている。バス停からはすぐ

吉田川に沿って西に歩いて行く。

 

 

 

川沿いの道の道幅が変わる場所から右にふるさと交流館があるが、登山口はその一つ奥の道に入って行く。

舗装路の脇に登山口の目印の赤テープがぶら下がっていて、ここからはルリちゃんとは別れてあっちゃんと二人

での歩きとなる。

 

 

取り付きからすぐにイノシシ避けの柵があり、通った後はちゃんと戸締りして歩いて行く。常緑樹の木々の中、

あまり陽が当たらず、手袋を脱いで柵の紐を結び直そうとするが、指がかじかんでなかなかうまく結べない。

 

道には落ち葉がたっぷり積もっていて踏み跡が分りづらいが、とにかくテープがけっこうな間隔であるので、

迷うことはない。途中で小さな砂防ダムの突堤を渡ると道の傾斜は急になってくる。

 

 

 

いままで陽が当たらず寒かった身体も、急登になってくるとやはり汗を掻き始め、暑くなってきたので上着を一

枚脱いで登って行く。そのうちに目の前に大きな岩塊が現れる。横から見るとクジラの顔に見える。

 

 

 

そしてその岩肌にボルトが打ち込まれているのをあっちゃんが見つけた。ボルトは岩塊の上の方まで続いている。

その足元から素人の二人がどうやって登って行くのか見上げてみるが、最初のボルトまでで足掛かり、手掛かり

が分からない。二人であ~だ、こ~だと言って結局『分からない、登れない』となった。(そりゃそうだ)

 

 

その岩塊を左に巻いて登って行くと今日最初のロープ場。ロープには結び目があり、足掛かりがあるので高ささ

え気にならなければ簡単に登れる。

そのロープ場を登ると今回一番気になっていたカニの横ばい。ただここも幅は1mにも満たないが、高所恐怖症

でなければ問題がなかった。その足元の下を覗き込んで『ここから落ちてもあそこの木か、その下の木に引っ掛

かるから大したことないわね』とあっちゃん。『たしかに木に引っ掛かって止まるかもしれないけれど、ただで

は済まないです』と私。

 

 

 

トラバースを過ぎて二つ目のロープ場を上がると麓の吉田川と、吉田ダムに続く道を見下ろせた。

ダム横の岩場の頂部なるのだろうか、頭の上に数本立っている木が可愛らしい。

 

 

 

 

 

そこからすぐ上の岩壁にもボルトが埋め込まれている。本格的な岩場は吉田ダムの方にあるらしいが、とにかく

こちらの岩壁もそこらじゅうにルートを作っている。

するとあっちゃんが斜めに走る突起を見て『あそこは登れそう!』なんて言うもんだから登って見せるも、途中

突起が無くなってしまうと半端ない高度感で冷や汗掻いて降りてきた。

 

 

 

 

諦めきれないあっちゃんもチャレンジするもやはり途中で『無理!』と言って降りてきた。

お遊びはやめて岩壁の足元を右に回り込んで、ロープをひとつ登ると目の前にデ~~んと千畳ケ岳の巨岩が目の

前に現れる。

 

 

 

その巨岩の足元を回り込んで北側から登りつめると千畳ケ岳の山頂になる。ただし千畳とはオーバーで、平らな

部分は10畳?位かな。それでも遮るもののないとは正にこの事。360度の大パノラマが広がっていた。

あっちゃん、それ以上先っちょに行かないでね。』見ているこちらの股間がゾクゾクするわ。

 

 

 

 

東にはこれから歩く吉田富士と吉田山

北には瀬戸内海を挟んで赤穂の工業地帯のエントツ群。

足元には吉田の穏やかな湾

そして南は星ケ城から続く稜線と 四等三角点 岩ケ谷 のあるピークが見える。

 

岩の端部にもボルトが打ち込まれていたので、その下はどうなっているのかと思って端に寄ってみるけど、これ

以上は無理です。それをわざわざ寝そべって岩壁の下を覗き込むあっちゃん。『そんなことしたって何もでない

ですよ!』

 

 

 

次に行く吉田富士は東側に見えているけれど、ここから東は断崖絶壁。

岩の北側のすぐ下から、まずは北側に見えているびしゃ岳の岩壁に向かって背の低い木々の中を歩いて行く。一

旦下って登り返すとさっきまでいた千畳ケ岳の平らな頂部が見えた。

 

 

ここでもテープがあるので迷うことはないが、次第に傾斜がきつくなり、シダの茂みを深くなってきた。今の

時期でこの状態なら、夏場になると道は不明瞭になるだろうな。

 

 

急登を登りつめるとやっと稜線に出た。ただしこの尾根は北に向かって続く尾根。しばらくは尾根に沿って北に

向かって歩い、所々で尾根の東側を巻きながら下って行く。

 

 

 

途中で道の北側に展望岩があり、見下ろすと麓の採石場が見えた。今日は土曜日でお休みなのか重機は動いてい

なかった。この採石場の西側にもさらに大きな灘山の採石場があるが、現在はほぼ停止状態にあるという。

大阪城の石垣にも使われ、島の産業として賑わった石材業も、輸入石材に押され、石の用途も変わって廃業する

業者も多いようだ。

 

 

展望岩から少し先で一ヵ所ロープで降り、さらに歩いて行くとまた展望岩に出た。

ここからは吉田富士・吉田山が見下ろせ、千畳ケ岳の平らな岩もよく見える。

 

 

 

 

展望岩からは今までの尾根から外れて、東に向かって吉田富士への尾根になる、このルートで一番長いロープ場

の下り。結び目のあるロープはほんと助かる。

 

 

 

 

長いロープを下りきるとルリちゃんが待っていた。麓から一人で登ってきてここから東の分岐で待っていたが、

待ちきれずにこのロープ場まで来たそうだ。

ロープ場からは踏み跡も薄い樹林帯の中を、テープを目印に下って行く。すると急に花崗岩が風化した幅広い尾

根に出た。目の前には吉田富士の岩塊が直ぐ近くに見える。

 

 

千畳ケ岳までは赤い矢印が岩に書かれてあったけれど、この辺りになると青いスプレーで『吉田フジ』と書かれ

ている。大嶽でも青いスプレーで印が付けられていたけれど、同じ人、山の会の人たちが付けたのだろうか?

 

 

吉田富士の岩塊もピークは広場になっていた。三人そろったのでここでお昼ご飯にする。

ここからは千畳ケ岳から歩いてきた稜線が見渡せた。それにしても今日は風もほとんどなく、青空が広がり青く

広がる海を見渡せ、島ならではの景色が楽しめる

 

 

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたらバスの時間が気になり始めた。北回りのバスの便数は少なく、吉田からの上りの便には

時間的にうまく乗れそうになく、下山後は福田まで県道を歩いて南回りの便に乗ることになる。

本当ならもっとゆっくりしたいところだが、この景色に名残惜しんで吉田富士を後にする。

吉田富士の岩稜は段々になっていて怖くもなく下りやすい。以前にWOC登山部でここに来た時に、下から見上げ

て『私は怖いので登りません』と言って登れなかったNさんは、それ以降かわいそうに『ヘタレ!』と呼ばれる

ようになったのを思い出した。

岩稜を下ると島霊場82番札所吉田庵から登ってくる分岐に着く。しばらくは自然林の中の尾根歩き。

 

 

吉田山が近づくとまた露岩が現れる。振り返って木々の間から見えた千畳ケ岳の頂部は、サイコロを積み上げた

ような形になっていた。尾根の右手の大岩を登ると吉田山山頂。山頂の露岩に腰掛けてあっちゃんルリちゃん

に、歩いてきたルートを説明している。

 

 

 

見落としそうな木の枝に掛けられた山頂札は吉田山の文字が消えかかっていて、よ~く見るとなんとなく吉田山

と書いてあるのが分る程度だ。こういう時は油性のマジックを持って来ていたらといつも思うのだが、いつも忘

れてしまっていて持ってきていない。

 

 

以前WOC登山部で来た時はここから折り返して吉田富士を登ったのだけれど、今日はこのまま東に尾根を下って

行く。一旦登り降りして更に小さなピークを登ると展望岩に出た。

 

 

 

正面には家島諸島の中で一番大きな西島が正面に見える。島の西半分は巨大な採石場になっていて、良質な花崗

岩や安山岩が採れるらしい。家島諸島は大小44からの島々で構成され、古くから歴史のある島だ。

そして少し右下には静かな湾内に造られた港にヨットが停泊し、その横にはリゾートホテルが見下ろせた。

 

 

 

 

展望岩からまだ先の藤崎へと歩いて行く。海沿いらしい木々の中を歩き最後にひと登りすると、今日始めての三

角点 二等三角点 吉田 119.03m

 

 

 

吉田の三角点からも藤崎に向かって下って行く。半島を回り込むように続いている県道土庄福田線が左手に見え

ているが、急な法面になっていたので右下に向かってテープを見ながら降りて行くと、県道に飛び出した。

 

 

ここから南回りのバス停のある福田港までは4kmの下道歩きとなる。吉田湾を回り込むと先ほどのリゾートホ

テルが見えた。その左上に見える法面保護のコンクリートの左裾野辺りが尾根から降りてきた場所だ。

 

 

道の脇には石材の地区らしく、作者と作品名が書かれた石のオブジェが、所々で展示されている。

福田港の南側の小島の前を、姫路行のフェリーが走っている。小島へはコンクリートの突堤と、岩が積み上げら

れていて島側から渡る事ができる。WOC登山部でも吉田山に登った後に、『さぬき百景・福田海岸』に車を停め

て島までメンバーと歩いた思い出がある。

 

 

 

緩やかな坂道を下って行きながら、水面が光るのどかな福田港を眺めながら歩いて行く。小豆島の北東の玄関口

といっても、福田の町は港の間際まで山が迫った小さな港町だ。フェリー乗り場の手前に南回りのバス乗り場が

あった。予定よりけっこう早く着いたので周辺を歩いていると、CLTという珍しい工法で建てられている建築

現場が目に付いた。打ち合わせをしている人に声をかけると、施工している会社の社長さんだった。

少し質問をすると現場の中まで案内してくれて、最上階まで上がりながら色々と詳しく説明してくれた。

まだまだ説明したらなそうだったが、バスの時間が迫ったのでお礼を言って現場を離れた。

 

 

 

南回りのバスは草壁までは初めて通るルート。途中の橘地区からは直ぐ真横にあの拇岳が見える。それまで車酔

いしていたのか目を閉じていたあっちゃんが、『あっ、拇岳が見える!』と言ったとたんに、ガバっと目を見開

いた。間近で見る拇岳は今まで遠くから眺めていた形とは少し違った形に見える。

車窓に見えた拇岳を見ながら、以前にセニョさんと歩いた拇平から千羽ケ岳、そして拇岳のルートを説明すると、

今までぐったりしていたあっちゃんの目がギラギラ輝いた。やはり小豆島の最終仕上げはあの山域になりそうだ。

 

土庄港ではフェリーの出航まで結構時間があったので、奥様たちはお土産売り場を物色。私はというと北に見え

皇踏山を、10年以上も前に山楽会のメンバーと一緒に登ったのを思い出しながら眺めていた。

登山道はたしか今見えている二つの岩肌の間を降りてきた記憶があるが、あの岩壁も面白そうだななんて考えな

がらフェリーに乗り込んだ。拇岳の前に皇踏山。まだまだ楽しめそうな小豆島だった。

 

 


三度目の正直の三角点国分台、また敗退(涙)

2025年01月05日 | 香川の里山

 

特に自分は三角点フリークではないけれど、以前から訪ねてみたいと思い続けている三角点が国分寺にあった。

四等三角点 国分台は過去二度チャレンジして、二度とも近づくことさえできなかった鬼門の三角点なのだ。

それは地形的なものとかルートの難易度とかの問題ではなく、ただ自分が平日登山者だということだった。

そう、国分台は八十番札所国分寺の北、五色台の山中にある三角点なのだが、その場所は自衛隊の演習場の中に

あり、平日だと自衛隊が演習していて立ち入ることができない。(もちろん日曜日でも)

山友はじめ他の人が訪ねているのは日曜日で、どうやら自衛隊もお休みの様子。それが平日だと銃器の発砲音が

山の中に鳴り響いている、そんな場所なのだ。

初めて計画した時は、その演習場のぐるりを囲むようにして造られている防火帯を通って三角点を目指す予定だ

ったが、道を間違えて演習場の中へいつの間にか入ってしまっていた。そしてふと見ると戦車が二台。何食わぬ

顔をして通り過ぎようとしたが当然注意され、追い出されてしまった。

 

 

 

その後防火帯の場所を探し出して予定のコースで歩いて行こうとしたら、行く手をジェットコースターの

ファーストドロップの様な急角度の防火帯に恐れをなして撤退した。

 

 

二度目は高結神社から直登して防火帯まで登ったが、やはり銃器の発砲音がして諦めたという経緯があった。

 

 

そんな因縁のある国分台だが、今日は土曜日だけれど正月。さすがの自衛隊もお休みしているだろうとふんで、

以前に計画した防火帯を通って三角点を目指すことにした。

その前に取り合えず何度も訪れているけれど、YAMAPの山頂ポイントとしてゲットしていない、猪尻山

大平山をゲットしてから三角点を目指すことにした。

いつものように国分寺のカッパドキアのスタート地点になる駐車場に車を停める。見上げると国分台の岸壁が、

寒風にさらされて白く輝いていた。

駐車した場所から少し下がって舗装路を東に入った場所の脇から取り付いて行く。以前は羊歯をかき分けかき分け

け歩いたけれど、今は羊歯も刈られていて歩きやすい道になっていた。

 

 

 

道の両側の背丈以上もある羊歯はこの寒さの中にあって、若い緑色していて生き生きしている。

少しづつ高度が上がってくると、国分寺の北部とその向こうに里山が見渡せる。

 

 

羊歯の海が終わるとカッパドキアの谷を見渡せる場所に出る。初めてこの谷を訪れたときは対岸にそってもちろ

ん藪をかき分けて登った記憶がある。その谷筋の終端にはいつの頃からそう呼ぶようになったのか大天狗の岩壁

が、その終端を塞ぐように立っている。

 

 

谷筋の上からは正面に国分台の岩壁とその上に波打つような防火帯がちらっと見えている。東を見ると六ツ目山

・伽藍山・挟箱山のおむすび家族とその後ろに堂山が逆光でシルエットになっている。

 

 

このカッパドキアの地質は年末に歩いた小豆島の地質に似た露岩だけれど、小豆島の露岩は崩れたりせず固まっ

ていたが、ここの露岩はぽろぽろ崩れている。道の脇には小さなキノコ岩。これも大嶽の足元から見上げた岸壁

に生えていた?のと同じような形をしている。

 

 

 

 

谷筋に沿って行くと終点の大天狗。この岩壁も大小の岩が岩壁に張り付いたようになっていて、これも五剣山

屋島の冠ケ嶽の岸壁と同じような地質をしている。

 

 

大天狗の岩壁の上は2mほどの幅の平らな露岩になっている。その下から冷たい風が吹き上げてくる。

見晴らしとしては抜群な場所。ここで腰掛景色を眺めながら一服したいところだが、とにかく風が冷たく寒い。

 

 

 

すぐに山手へ猪尻山目指して入って行く。ただ前回はこんなに苦労したかと思うくらい足元は滑り、木々の中に

は時々意地悪な茨が密集していたりと悪戦苦闘。ほぼ真っ直ぐには登れず、木々の隙間を見計らっては右に左に

とかき分けながら登って行く。

 

 

その内何度かは枯れ木のトラップに引っ掛かり、後ろにのけ反りそうになる。以前のトラックを見てみると、

少し東を歩いているが、トラックを辿るのも面倒でそのまま登って行くが、これが後の祭りで帰って過去のブロ

グを確認してみると、途中から踏み跡らしいルートを辿っていた。

 

 

 

結局、大天狗からは標高差150m、距離にして300mほどを50分かかって猪尻山着いた。久しぶりの藪

コキらしい藪コキだった。そして三角点の脇からは悔しいことにしっかりとした踏み跡が麓に向かって続いてい

た。写真を撮った後電波塔の横で腰掛小休止。今日初めての水分補給。四等三角点 猪ノ尻山 438.95m

 

 

 

猪尻山からはゴルフ場跡地の太陽光発電所のフェンスに沿って歩いて行く。横たわった屋島の上にちょこんと

剣山が頭を覗かしている。

 

 

発電所の横から少し脇に入って行くと巨大なNTTドコモ電波塔と今は用無し?になったマイクロウエーブの反射

板。この二つは麓の国分寺からもよく見える。発電所の入り口には唯一ゴルフ場の在りし日の門柱が残っていた。

 

 

 

さらに先に進んでいくとここにもカッパドキアのキノコ岩と同じような形をした、高松空港のレーダー施設が建

っている。

 

 

レーダー施設の入り口から県道に出る。舗装路の脇を落ち葉を踏みながら歩いて行くと一カ所東の眺望が開けて

いた。そこからは岩清尾山の左側に高松の湾岸地区、そしてシンボルタワーが見えた。

 

レーダー施設からまたNTTドコモの電波塔を過ぎ、二つ目の電波塔の奥に大平山。 三角点は二等三角点 新居

478.69m

 

 

それにしてもこの道沿いは電波塔だらけだ。そう思いながら歩いて行くと中山休憩所に着いた。そこには見慣れ

ないきれいなトイレができていた。そのトイレの裏の東屋で早めのお昼ご飯。久しぶりにカップラーメンにして

正解。暖かいお汁が身に染み渡る。

 

 

 

それでもじっとしていると身体の冷えは治まらない。食べ終えて早々に歩き始める。県道から四国のみち、そし

白峰寺から根来寺への遍路道に入って行く。いきなり倒木で道がふさがれていたが、長い脚?で跨いで歩いて

行く。道は最初は路盤が見えていたのに、次第に落ち葉で埋まって行く。

 

 

 

道には遍路道らしく石仏の丁石が並んでいる。

 

 

十九丁の石仏の横にはお遍路さんのための『景子ちゃんの接待所』があった。ちょうどボランティアの方がジュ

ースやお茶の補充をしていた。色々と話を聞かせてもらったが、景子ちゃんのお接待の謂れについて書かれたプ

レートの話が特に面白かった。(内緒)

 

 

 

ここから道は白峰寺へ道と一本松への道に分かれている。途中の石仏は丁石ではなくなっていたが、国分寺から

歩いてくるお遍路さんをずっと見守っているのだろう。

 

 

景子ちゃんの接待所から15分ほどで一本松に着いた。ここから南にへんろ道を下ると80番札所の国分寺

本来ならスタート地点からの周回だとここから下って行くのだけれど、今日の目的は周回ではなく国分台の三角

点。ここから県道を少し西に歩いて脇道に入って行く。

 

 

どこの山中でも見る廃車を横目に見て、最終民家の横を過ぎ少し藪っぽくなった所でズドーンと音がした。『ん

?』猟銃と思ったが、続いて連発の音がした。『いや~演習してるやん!』

自衛隊さん週休二日にして土曜日もお休みにしようよと思いながらも引き返した。さすがに銃弾飛び交う演習場

の中には入っていけない。

 

 

仕方がないので一本松まで引き返して下って行く。すぐに東屋のある展望台とお大師さん。

 

 

ここからはへんろ転がしと云われる急坂が続いて行く。大天狗からの滑りまくりの急登が堪えたのか、段差の大

きいこの階段状の道で左の膝が傷み始めた。一段一段膝を庇いながら降りていく。

 

 

 

へんろ転がしを降り終えて石鎚神社へ寄り道してみる。

 

 

 

石鎚神社の分社らしくて鎖場もあるが、今日は落ち葉が積もっていて膝の調子も悪くてパス。

 

 

 

石鎚神社に参拝した後、スタート地点の駐車場へとお戻って行く。正月太り解消するには計画通りに10kmオ

ーバーを歩きたかったけれど、素手では銃器に敵わない(笑)本来の目的の国分台の三角点には三度目の正直な

らず、3戦3敗になってしまったが、まぁ家でじっとしているよりはマシだと慰める。