かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

歩こう  2017年  フィナーレ

2017-12-13 19:58:48 | 日記

腸脛靭帯、ここが病んでいる。階段の下り、バスの投降、自転車の降際の左ペダルの踏ん張り、寝起きの一歩、いずれも体重が必要以上にかかる時、にわかには受け入れがたいが、放屁、排泄(大)という力みにも、左ひざの外側が「疼く」。

もちろん走るには、躊躇する。よくもまあ、ロキソニンやモーラス、バンテリンサポーターのお世話になったとはいえ、こないだの日曜日は、伊豆の稜線を54kも走れたものだ。

もう、年末は、養生に努めよう。走らない。歩いたり自転車を回したりは苦ではない。歩こう。朝の1時間でも速足でいいじゃないか。動かないとますますおなかが出てくる。

そして、年が明けたら、様子を見ながら、また、走り出せばいいじゃないか。45歳から続いたランニングの日課、たかだか2週間、歩いていればいいじゃないか。そこの「病弊」は、きっと癒されるはず。


歩いたじゃないか、今年の4月29・30日 富士ウルトラウォーキング120k

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IZU TRAIL JOURNEY の醍醐味

2017-12-13 04:21:31 | 日記

仁科峠からその先が富士の絶景コースだとの思い込みで、なにかしらの宗教的固定観念で思いつめてきた1年であったが、仁科峠から土肥駐車場までの11kのコース上で、富士を仰げたのは1箇所程度で、後は木立の中の山道で、遅いランナーは次第に闇に閉ざされていくのであるから、その固定観念は、「迷妄」だったことが現場で「分かった」。

あるいは、もっと早いランナーは、その先のだるま山辺りで絶景を望めたのだろうが、たとえ土肥駐車場をクリアできていたとしても感動するのは「夜景」だけであったのであろう。

ということで、IZU TRAILの最良のコースは、32.3kの二本杉(旧天城峠)から42kの仁科峠のブナやアセビのふかふかの小道であって、最高地点の猫越岳(ネッコダケ)周辺から後藤山に至るコースでの雪をいただいた霊峰を観望してクライマックスを迎える。

このコースを、2年連続「若人」(わこうど)と一緒に辿らせていただいたことに感謝。ありがとう。

数年後、おなじ季節にゆっくりとテントとカメラを担いで、伊豆半島東の天城山から西の達磨山まで、霊峰と南アルプスの撮影行に出かけたい。ふかふかの小道を縫って。

そして、西伊豆の湯にのんびり浸かって、あの時を思い出しては、破顔しよう。

A2の関門通過後、レース中に撮った、たった1枚。45k地点。前ボケは強風のため。前の数人は、オイラとおなじ最後尾グループ。ここ、走らないとゴールに着かないんだよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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完走とはいかなかったが、乗り越えたIZU TRAIL JOURNEY

2017-12-12 06:12:08 | 日記

昨年のこの大会は、第2関門の仁科峠43.5k地点にわずか18秒届かず悔しい思いをしたが、今年は、左ひざの思わしくない中、大好きな風景写真撮影も我慢して、「人事を尽くして天命を待つ」をつぶやきながら、伊豆の柔らかなTRAIL(小道)を懸命に踏み分け、結果、関門2時30分のわずか15秒前にクリアした。思わず、「勘弁してよ」と口に出て、破顔した。

仁科峠から関門までの500mの道が如何に悪路の急坂で、急ごうにも急げない難路であることは、タイムアウトの責めを2年連続で味わった者にしか分からないであろう。ゆえに「勘弁してよ、もう」と発せざるを得ないのである。

エイドの「かつお塩だしうどん」を2杯いただき、5分後に、さらにその先を目指したが、次の第3関門の距離を51kだと勘違いして、おやつをほうばりながらのんびり歩いたのが、「天命」であった。48キロ地点で、関門の午後5時まで1時間もあるので、4時半ごろにはたどり着けると思って、地図を確認したところ、A3は54.5k地点、あと6.5kもあった。

ここで、オイラのこの大会は終わりを告げ、闇が深まる中、ヘッドライトをともし、残りの山道をたった一人でとぼとぼたどり、関門に40分遅れて到着。遅れたランナーにも熱々で残していてくれた「いのしし汁」をいただき、くやしさというものはまったくなく、満足しながら収容バスに乗り込んだ。

写真をとらなかったのだが、仁科峠手前からの雪をいただいた富士の映像は、これまで見た中で格段に崇高なものと思われた。富士を見て、涙ぐんだのは、はじめてではなかったか。

 

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日本三百一名山一筆書きに期待→元気を与えてくれる田中陽希さんに敬意

2017-12-09 04:56:51 | 日記

もう半年前から発表されていたことなのだが、まさか、三百名山はないなと思って、アドベンチャーレーサーの田中陽希さんをフォローすることをやめていたが、なんでだろう. 名山は、二百程度と思っているから、もう一筆書きは終わったと思っていたのかもしれない。

今日たまたまヤマケイのインタヴューに触れ、三百名山のみならず、これまでの百名山、二百名山を再登しながら、301の山頂を来年の1月1日から1年以上かけて、すべて一筆書きで登るのだという計画を知らされ、唖然とした。

今度は、雪山も本格的に登り、1年以上の歳月をかけて1月1日の屋久島から、またまた北の利尻山を目指すのだという。たぶん、利尻は、再来年の6月以降になるのだろうが、10月から雪に閉ざされる秋から春にかけての北海道は、どうするのだろう、ただ事ではないし、命がけのアドベンチャーとさえも思えてきた。

こんな、長く困難な事業を、NHKがフォローするのだろうか。その辺のところを検索してもまだ、なんら発表はないみたいだ。いずれにしても、FACE BOOKなどで、旅の様子を、陽希さんは、更新してくれるだろうから、大いに期待したい。

 

https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=149

 


日曜日のIZU TRAIL JOURNEYに向けて、本日那覇経由で出発。西伊豆の松崎町に着くのは、午後6時30分過ぎ。1日がかりだ。左ひざは走っていないから分からんが、思わしくないのだろう。モーラス貼付、バンテリンサポーター、ロキソニン、などで保護して、14時間持つか。またまた、半分の仁科峠で終わるか、はたまた、黄金橋か、さらにもっと手前の宝蔵院で終わるか、まったく予想も着かないが、とにかくスタートラインだけは超えてみよう。

日曜日、少しは気温が上がるといっても、曇りのち雨。修善寺温泉で3度、12度。最高地点では7,8度以下となろう。風邪気味で微熱。高血圧気味。

何もかも、明るいニュースではないのだが、

そんなマイナス思考を、富士は、「泰然とせよ!」と喝を入れてくれるのかもしれない。仰げて、頭を下げられればいいな。

 

静岡、村山浅間神社方面からの富士(2017年4月30日) 再掲

 

 

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富士文学散歩 ・・御坂峠から三ツ峠、富士桜高原など

2017-12-08 06:11:23 | 日記

日本列島が大陸からの冷たいシベリア高気圧の縁(へり)に飲み込まれた格好で、今朝の雲の様子を見ると、北はオホーツクから、南はわが南西諸島まで、弓なりに雲が張り付いて東に進む気配である。北海道の東海岸は大雪予報、石垣島は最低気温17度であるが、冷たい雨が今朝も木枯らし音とともにしぶいていて、雨のち曇りの予報。北海道のヒトには、大笑いされそうであるが、ベランダに出ると、辛いという言葉が当てはまるくらい寒いのである。今の室温、20度、湿度63%、端末に向かって、ついに長いジャージーとパイルの靴下、フリースのジャケットという出で立ちに変貌してしまったが、それでも、風邪気味が続いているのか、あったまらない。

左ひざ養生のため走れないから、運動で熱を起こすことはできず、ひたすら抹茶入り玄米茶にドクダミ野草茶をブレンドした熱い茶などを飲んで、体温をあげようとしているオイラ。お茶をがぶ飲みするのは、それだけではなく、朝食前のお通じを誘引しようとする日課。朝食前に出ると「正常な健康状態」、朝食後に出ると「まあまあの健康状態」、それでもでないと、「飲みすぎか微熱による便秘など不正常な健康状態」と自己診断している。ちなみに、今朝は朝食前なのであるが、いまだ・・である。

富士日記に合わせて図書館から借りている直筆で読む「人間失格」(集英社新書ヴィジュアル版)を寝床で読みながら、文豪太宰治のオドケと死を覚悟しているテイネンについて悲しくも可笑しくて、枕元に置いて読み進めているが、急に太宰も日本も精神が健康状態の昭和13年ころに書かれた「富嶽百景」を読みたくなって、青空文庫縦書きアプリをスクロールしながらサッと読み進めたら、「そうか、太宰さんは、師匠の井伏鱒二さんと御坂峠の天下茶屋から三ツ峠に登ったんだよな。文豪がどてらに地下足袋、麦藁帽子という出で立ちで」と思い出し、4月のSTY直前の富士合宿にはぜひ、そのコースも寄ってみたくなった。

レンタカーを借りているから、割と行動しやすく、「富士日記」の武田山荘のあった富士桜高原別荘地に立ち寄って「目まいする散歩」コースをたどってみたくもなったし、寅さんが立ち寄った白糸の滝もしっかり滝口まで降りて仰ぎたくなった。

まだまだ、立ち寄りどころが見つかりそうなので、来年の4月まで、手帳に書き込んでおこう。

ああ、もよおしてきた・・・・「正常な健康状態」(左ひざを除いて)


今年のオイラの誕生日の朝の富士






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