こないだ、武田泰淳さんが、昭和51年に没するまでの4,5年を奥様の百合子さんが書いた富士日記下を読み終えて、その結果、上と中といったやや分厚いセピア色の文庫本を借りてきて読み進めているが、昭和39年あたりから始まっていて、一人娘の花さん(写真家・オイラより3つ上)とワンちゃんのポコも交えた、富士山ろくの山荘を舞台にした文学や中国思想とは無縁のつまやかな日常がつづられており、忘れていた「家庭の幸福」をよみがえらせてくれるご本なのである。三食の彩りも何とも多彩で、豪華ならず、昭和のあの時をすごしてきたヒトなら、誰でもおいしさを想像できるような食卓。幸福とはそのようなものなのだろう。そして、眼前には富士山ろくの自然をおいた富士山がデーンと対座している。時が止まってくれればな。
左ひざは、数年前に整形外科医から処方され余っていたモーラスなどの「外用貼付薬」とバンテリンサポーターによって保護されている。自転車や歩きにはまったく問題ないが、階段降りと走りは、いまだ勇気がいる。IZUまで、あと4日。
涼しくなったので、昼休み、サザンゲートブリッジを超えてパイヌシマ(南ぬ島)まで散歩に行って弁当を広げる。曇天ではあるが、20度前後の石垣島、「チョー気持ちいい。」
橋をわたって市外を望む。
草原のいすに座って、南の水平線を望む。また、楽しからずや。