ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

母の生い立ちを少し書いてみようかな

2012年01月25日 18時30分26秒 | ブログ

1月23日(月)、新婦人の役員会に友人も一緒に参加。やはり人数が増えると、にぎやかになり、これからの高齢化の問題や若い人たちとの同居の問題。どんなことも最終的にはお金の問題で、いさかいが起こる。それは実の親子でもそうである。ますます泥沼に入ってしまう。人間というのは感情が余りにも表に出ると厄介なものである。感情をそのまま抑えていると病気になってしまう。同年代のなんでも話せる友人がいることで救われる。そんな仲間作りをもっと新しい人を入れてがんばりましょうだって。

先日から母の歴史を書こうと思ってみても、なかなかパソコンに座っても、できないでいるが、思い出しながらすこしづつはじめようと思います。

母は大正9年815日、豊田市で8人兄弟の3女として生まれ、すぐ下の弟は、生まれてすぐに死んでしまった。現在91歳。特に重い病気はなく、自分のことは自分でやっている。今まで、ミシンで、袋物をたくさん作って、みんなに差し上げていたが、もう今年からは作らないといっていた。寒いうちは布団の中に入って、テレビを大きな音量で聞いている。最近ご飯を何度も食べたり、薬を飲むことを忘れたりしているようである。今は次男夫婦と暮らしている。娘の私から見れば、しっかりしている母であると感心している。

母は子どものときから、かしこい兄と姉と弟に囲まれて、とてもそれが自慢のようである。母の長兄は、代用教員としてよく働いた。学校に行く前に、田んぼや畑仕事をやって、学校に行ったもんだ。帰ってくるとまた田んぼにいき、暗くなって帰ってきた。

 兄が徴兵で軍隊に入ってからは、長姉は早く結婚していないし、次姉は仕事に行き、家に残るのは母だけということで、本当は洋裁を習いたかったけれど、やらせてもらえずに、母が家の田んぼの仕事を引き受けることになる。

母の父親(私にとっては祖父)は、雑貨屋と豆腐を作ってお店をやっていました。白いひげを長く伸ばして、祖父に抱っこされると、ひげの痛いこと痛いこと。

母には、下に弟が3人いたけれど、すぐ下の弟がそれはそれは母にとって一番の自慢の弟でした。「浩三」といって、背は高く、ハンサムで、賢くって学生帽がよく似合う好青年だったそうです。いつも私たちも写真を見せられます。あるとき馬を乗り付けてきて、「馬を買ってきたから金を払っておいてくれ」といって、馬を飼ったり、自由に好きなことをしてきた弟だったそうです。

戦争が激しくなって、弟は千葉県に学徒徴用で防空壕堀をさせられていたとき、アメリカの戦闘機の銃弾に撃たれて死んだそうです。学友がお骨を持ってきてくれたそうですが、それはそれは家族の悲しみはいかばかりであったことでしょう。

長兄は南洋のほうに行って、戦死でした。あまり詳しいことはわからないようで、母もあまり話そうともしませんでした。

取り会えず今日はここまで。

今日の万歩計は、10,293歩でした。

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自治基本条例は長い時間かけて

2012年01月25日 17時31分12秒 | 自治体問題

1月22日(日)、午前中友人と一緒に、帯でポシェットの作り方を教えていただくお宅にお邪魔しました。私はまず、帯を解くところから始まったので少し時間がかかってしまったので、ミシンで2箇所縫ってもらったら、あとひっくり返すだけで出来上がり。簡単だけれど、いざ帯を解いたり、芯をアイロンでかけてつけたりと、結構手間がかかる。34日のバザーまでに、10個作ることができるのか少々心配である。我が家にミシンがあれば簡単なのだが。それに細めの帯しめガ足りないので、それをどうするのかが問題である。

午後からは、「自治基本条例のシンポジウム」があった。まず後名大教授から「基本条例に最近の動きや自治基本条例とは」という話であった。行政改革のための自治基本条例を作るのでは、納得いかないが、住民自治とはどういうことなのか、もっと市民が理解した上で市民とともに時間をかけてつくるという姿勢でないと、本当の意味での「自治基本条例」絵に描いた餅になってしまう。

今日の万歩計は、9,841歩でした。

後半は、福岡県大野城市からコミュニティ協議会会長と担当部長を招いての地域コミュニティをどう作ってきたかという報告であった。昭和47年から4つの地区に分かれて、コミュニティセンターを中心にコミュニティ活動をはじめ、コミュニティ条例を全国に先駆けて作って進めてきた経過を話されました。市民のコミュニティをつくりには応氏手も長い時間がかかる。合併して6年。それぞれのコミュニティを作り上げてきた町をどう作り上げていくのかはそう簡単ではない。やはり長い年月をかけて作りあげていくしかないのではないか。

今日の万歩計は、9,841歩でした。

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70才代にもなろうとすると自分史を振り返る年かもね

2012年01月21日 14時54分18秒 | ブログ

1月21日(土)、今日も一日雨。パソコンに向かって、いとこの住んでいる高齢者賃貸住宅を検索したり、夫が持っている「エンディングノート」を印刷したりして過ごす。

1月にはいって、すぐに夫の友人から随想集「あんなこと こんなこと」が送られてきた。夫がまず読んで、友人に早速感想文を送った。追伸として私の名前で随想集の題名をもっと文学的にしたらどうかといって、送っている。少しムッとしたが、実際私が言ったことだから怒りも出来ない。

随想集の内容は、お父さんが戦地でなくなったこと。骨箱の中身は木切れ一つだった。ルソン島での戦争の史実を調べ、どのように父が亡くなったかを知るまでは私の戦争は終わらないと語っていた。

祖母方の遠い親戚で、広島県三原市に平山郁夫画伯が学生時代に近くに住んでいて、子どもの頃「清水のおにいちゃん」と呼んでいた。平山郁夫氏は中学生のとき、勤労動員で広島の畑で防空壕掘りをさせられていて、原爆にあった。そして被爆後34年経ってから「広島生変図」を描き、その絵は大画面に真赤な炎で塗りつぶされている。私もどこかの美術館で見た記憶がある。

 県会議員のときに2度行った「南アメリカの海外視察報告」が掲載されていました。

夫は彼に刺激されてか、最近自分史を書いているようである。私の知らない夫の子どもの頃や学生時代、結婚するまでの独身時代のことをぜひ書いてほしいなあ。

やはり60代を過ぎて、70代になろうとすると、自分の人生を振り返ることができるそんな年代かもしれませんね。私も母から聞いた戦争のことをまとめておきたいなあと思っています。

今日の万歩計は、6,077歩でした。

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夫婦喧嘩は「何でも私が悪いのよ」というのがいい!

2012年01月21日 14時12分41秒 | ブログ

1月20日(金)、久しぶりに一日雨でした。こんな日は家にいて、いつもできないことをしようとブログをやったり、漬物を付け直したり、外に出かけない日が1週間に一日くらいあるといいなあ。夫と顔を合わせっぱなしも、お互い様で、40年も付き合ってきたのだからしょうがない。

先日も、2人で出かけて、帰ってきたら、テレビがつかない。電源が全く入らない。夫がどうしたのもかといろいろ触っていたら、本がテレビ本体の電源を切っていたことがわかった。夫いわく「お前が何でも上に乗せるからだ」、私いわく「はーい、何でも私が悪いのよ」というと、夫は何もいえなくってしまいました。「あ!これからこの言い方がいい」いちいち弁解したりするよりも、いやみたらしこの言い方ですんなりあやまっちゃおと。逃げるが勝ちですよ。どこかで聞いた言い方だなあと思いながら。

今日の万歩計は、7,460歩でした。

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海部水道談合裁判の勝利を勝ち取って永井さんの墓前に

2012年01月21日 13時50分29秒 | 自治体問題

1月19日(木)、午前1030分から「海部水道談合裁判」があり、原告側傍聴者9人、被告側傍聴者12人参加。原告は2122年度入札調書、監査請求の結果、被告は職員と業者の陳述が提出されました。2ヵ月後に最終書面を両方から提出し、次回416日が結審となり、判決はまだ未定ではあるが、今年中には判決が出るのではないかということです。弁護士さんいわく、「勝利を勝ち取って、ぜひ永井さんの墓前に報告したい」といっておられました。ジーンと来て涙がにじんでしまいました。

今日の万歩計は 6,502歩でした。

体重は52.7キロ、体脂肪は30.0、体内脂肪7でした。時々健康のバロメーターとして記入していきたい。

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