しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

二日目後半は、萩の旧田中別邸から

2022年05月23日 16時35分00秒 | 旅行記

くちこは、ド素人ながら、明治、大正時代の和館、洋館を見るのが好きなんです

くちこも、江戸時代から続く古い商家的建物で生まれ育ったし、

偶然、下関時代、ピアノの先生宅は、関門海峡を見下ろす大正ロマン的な洋館だったのもあり、でね。

 

風景がふわりと揺らぐ古いガラス板が並ぶ窓を見るだけでも、心がふわり

萩の古い町並みを歩きつつ、心の準備万端で到着

 

来館者は、くちサメだけ。

一人百円の寄付を払って、懇切丁寧なガイドをしていただきました。

此処をお借りして?

厚くお礼申し上げます

この建物は・・・↓

明治期には、夏みかん栽培を奨励した小幡高政がここに居住し、建物の主要骨格が形成されました。

大正期に田中義一の所有となり、母屋などの増改築が行われて現在の建物となりました。
邸内には肖像画をはじめ陸軍大将時代に身につけた正装(大将服)など、義一ゆかりの物が展示され一般公開されています。

五松閣と呼ばれる建物からは河畔の景色を楽しむことができます。

 

田中義一氏とは・・・↓

田中義一は、文久3年(1863)藩士 田中信祐の三男として生まれ、陸軍教導団、陸軍士官学校、同大学校に学び、日清戦争出征後、ロシアに留学しました。

日露戦争では開戦論を唱え満州軍参謀として出陣。

山本権兵衛内閣の陸相を経て、政友会総裁に就任、昭和2年(1927)に内閣総理大臣となりました。

翌3月、共産党に対し大弾圧を行い、同年6月には緊急勅令をもって治安維持法を改正するなど、反動的政策を行い、対外的には対中国侵略の強硬外交方針をとりましたが、張作霖爆殺事件によって昭和4年に辞職しました。

享年66歳。

 

まあさ・・・

此処は、明治維新を牽引した長州ですからね。

総理大臣なんて、ボロボロ出ています。

萩出身だけでも、山形有朋、桂太郎もです。

山口県で括ると、伊藤博文、寺内正毅、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三・・・

吉田松陰が主宰した松下村塾があったのが萩ですからね。

あんな短期間に、あんな小さな部屋から、よくもこれだけの偉人を排出したものだとビックリコンコンです

 

入り口                           この釘隠しがある3部屋位だけが、元々の建物(小幡時代)

   

 

偉い人の印って、中国的だったのね・・・                  深い庇

   

 

分かりにくいですが、写真中央は珪化木(木化石)木が石になったらしい・・・    川から船が屋敷内に入る入り口↓

      

 

千鳥模様の欄間でした↓                   顔だけ田中義一の鍾馗さん(元の色じゃブルーだったらしい)

     

 

この扁額の字は、毛利元昭が書いたそうです               書院造りの造作

   

 

良い風が通る懐かしいような部屋                    遊び心のある床

   

 

   

 

↓これお風呂、一つは予備の熱い湯が入っていたらしい。(多くの人が入れるように)

   

 

   

 

   

 

 

   

 

ここで、くちこは、人生初、歴代天皇の直筆を拝見したような?

 

   

 

   

 

明治天皇の直筆も見たかったなあ。。。

 

毛利藩時代の邸宅地図

 

 

ここで・・・

ふと思いついてガイドさんに質問。

 

実は、くちこの母方の家は、聞くところによると、毛利の血筋?

※確かに、家紋は毛利。

祖父は、馬に乗って付き人と通学していたとか?

領地?は馬で回っていたとか?

明治維新で活躍した長州藩ですが、

祖父の家は、早々に没落したらしく、

祖父は、長男ながら大学を中退。

警察署長になったものの、拷問などに絶えられず辞職。

その後、北原白秋に師事?

とにかく、小さな印刷所に勤めながら、俳句の先生をしていました。

くちこが生まれた時には既に、小さな借家住まいで、赤貧の日々だったようです。

 

ただ、苗字が、毛利ではなくて、佐久間なんです。

すると、ガイドさんが、↑の地図に佐久間と言う家もありましたよ、と。

で、今、人生初、祖父のルーツをネットで検索。

 

長州藩の家臣団 - Wikipedia

名前は無かったです。

墓所だけは、たいそう立派で、毛利の家紋の入った灯籠が道筋に並んでいた、ような・・・

まあ、従兄弟が独身なので、断絶なのですけれどね。

叔母は県営アパートに住んでいるしね。

 

かたや、田中義一氏は、藩士の息子とあるけれど、お殿様の籠かきの息子だったそうです。

明治維新って、ほんと凄いなとしみじみ。

 

最後に、お礼を言って帰ろうとしたら、立派な萩の夏みかんを貰いました。

 

 

旧田中別邸から、二キロ以内にある、桂太郎旧宅や、旧湯川家屋敷にも行きたかったのですが、

頑張らない、

無理をしない、

これを信条として旅行すると決めていたので、次回としました。

ついでに、前回、次回とした萩博物館も、更に次回となりました。

 

ここで、

皆さんの誤解を解いておきます

この度の目的は・・・

絶景の角島大橋?否。

萩の旧宅巡り?否。

 

最大の目的ながら、内容の都合で最後の訪問とした此処です↓

なんなら、明日にでもまた行きたいくらいです

村田蒲鉾店

 

 

   

 

   

 

   

 

   

 

これらは、通販では買えません

行くしかない

去年の秋の購入してあまりに美味しかったので、リピ

 

   

 

人気No1の牛蒡天がどんなに美味しいか

もう、他のは食べられなくなりますよ。

この旅はね、これを買う旅で、後は、その枝葉です

 

帰りは、道の駅センザキッチンへ。

 

山口県長門市の道の駅センザキッチン

 

瓦風蕎麦を食べた後なのでお腹は空いていないけれど、これを購入して持ち帰りました。

 

   

 

 

7,8分待たされますが、新鮮な地魚の手作り揚げたてを挟んでくれます。

ちょっと、トルコのサバサンドを思い出しました。

自家製タルタルもソースも美味しかったです

バーガーは写真の二つにしました。

アジフライやさわらメンチカツやのどくろフライも購入しました。

 

この手作り揚げたての品々、全部で1680円。

ありがたや

 

道の駅おふくで、足湯をして(無料)、

酒粕アイスを食べて、

高級食パンを購入して帰宅しました。

 

   

 

   

 

 

帰宅後、夕ご飯↓

   

 

くどいようですが・・・

一番嬉しかったことは、くちこが元気だったことです

前回の萩ね、

そうじゃなくて、自信喪失、軽くトラウマになっていたのでね

 

長々、御精読、ありがとうございました

 

 

 

 

コメント (20)
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