不妊症だったくちこ母が、不妊治療に通いつつ、お百度参りのハシゴをして、
めでたく妊娠したものの、元々子宮に問題があったからか?
他にも何かあったのか?
妊娠の継続は無理だから今回は諦めるようにいわれたらしい。
はいそうですかと従うような母では無く、
強引に継続、、、
が、ついには、診察中に心停止。
医師は、一か八かと、
速攻、皮膚麻酔だけで母のお腹を通常の3倍切り開いて、くちこをそっと掬い出して蘇生。
早産重症仮死ながらも、辛うじて生を受けたくちこでした。
激痛に耐えかねた母の叫び声が院内に轟いた後、
赤ん坊の声は無くて、
院内の人々は、ダメだったんだなと心の中で思ったらしい。
お悔やみの挨拶まで受けた父、、、
そう、
くちこはね、1週間後にくしゃみをするまで声を出さなかったらしい。
泣きもせず。
廊下で医師から残念ながら聾唖ですと言われて、親族は手を取り合って泣いたとか。
生死を彷徨っている母の耳には入れず。
親子で長く入院した後、退院しても、
養女先で虐められて育ち家を出た母と、
両親が既にいない父。
誰にも頼れない?
どっこい!
両親は、バスの運転手と車掌、職場結婚だったんです。
どうしたか?
赤ん坊のくちこは、箱に入れられて、バスの運転手の席のすぐ後ろの席に置かれて、
日替わりで同僚の車掌さん達が育てたらしい?
大昔、ボンネットバスの時代の話です。
バスの中の壁にはガラスの一輪挿しとかあった、古き良き時代のお話。
母は寝たり起きたりの日々で、
父は、仕事から帰ったら、くちこをおんぶ紐で背中にくくり、外の井戸にしゃがんでオムツを洗っていたら、、、
近所の人が見かねて、くちこを乳母車に入れて連れ歩いてくれたとのこと?
くちこはくちこで、体の弱い、発達の遅い子で、
首は座らず、なかなか歩かず、
歯は生えず、骨は極めて弱い、、、
栄養失調も?
小学校に上がるまでは生きていないだろうと父は思っていたとの後日談でした。
が、
どっこい、
66歳と1日、未だ生きているって話です
なんなら、
59歳と64歳で他界した両親よりも長生きしているって話。
子供の頃、くちこ家がいつも職場の忘年会とか飲み会の会場でね。
江戸時代からの商売家だから、家だけは広く、
住んでいるのは同僚夫婦と、少なからず自分達が育てた子供しかいない家だったからかな?
兎に角、
色んな人のお世話になって育ったくちこが結婚して里帰り出産をした時、
ご近所さん達が見に来て、
その目に涙があるのを見て、なんと大袈裟なと思ったくちこでしたが、
当時を知る人達から見たら涙無くしては、、、だったんだなあ、と。
甘やかされて育ち、
超わがままなのに、
その後の人生は苦労だらけ。
まあ、
誰でも色々あるとは思いますが。
くちこが産婦人科勤務が長く、
色んなお産に付き合わされたのも、
天の采配だったのかな、と。
今頃気づいたりしている、
66歳と1日のくちこです。
一昨日は、お教室で、プレお誕生日会を。
あれこれプレゼント🎁も。
最近かなりメンタルがやばいくちこへのタイムリーな日めくりカレンダーね
昨日の誕生日は、サメ氏と焼肉屋へ。
五臓六腑に喜びが沁み渡りました。
帰宅後、ケーキで二次会。
写真のダウンベストね、
バーバリーのリバーシブルで、サメ氏からのプレゼント。
あ、選んだのはくちこ、ね。
家の中も色々と雑事を↓
誰かのブログへのコメントとして、くちこ家の練り切り和菓子の箸置きを紹介しますと書いて、
何ヶ月も経ってしまって、、、
しかも、誰のブログだったかも思い出せないのですが、
此処に約束を果たします
↓は、道後温泉で購入した貝の形の箸置きで、12ヶ月分大人買いしたのに、どれが何月だったか、これまた思い出せないので適当に。。。
数年振りに炬燵もセットしました。
やはり、コタツムリは良いわと実感
ソファーも冬支度に。
カーテンは未だだけど。
体力は有限なのでぼちぼちと
くちこ上京中に収穫された椎茸は干しました。
刻んで半干しして冷凍すると、そのまま使えて便利なんです。
そんなこんなで、
66歳と1日目のお話でした。
そうそ、
神仏、ご先祖様連、
両親を始め、
くちこを育ててくれた社会に感謝しなくてはね