昨日は母の命日でした。
21年前に64歳で他界しました。
昨日は朝から、母の為に?
ヨモギ団子を作りました。
ま、サメヨモギを冷凍していたし、
サメ栗入り餡も冷凍していたのでね、
団子の粉は、体操のお母さんからですし・・・
くちこは、菩提寺にお盆勤めをお願いしておいたので、お昼からは、
位牌全てをお寺に持参して、毎年ながら、お経をあげて貰ったのでした。
年々・・・
こんなことができるのも、くちこが参拝できる間までなんだなあ・・・と。
菩提寺は、くちこ家から車で1時間。
酷暑の折だと、くちこの体力では運転は無理、サメ氏が必須アイテムに
子供達は揃って東京。
その後、お墓参りへ。
いつも、叔父夫婦が綺麗にしてくれているので有難いなあ、と。
ただ、そんな叔父夫婦もすっかり老いていてリミットは近いかと・・・
くちこ家のお墓の近くに、
くちこ家分家のお墓があります。
くちこの実家の二軒隣りに家がありました。
くちこの祖父の弟(くちこの大叔父)一家が住んでいて・・・
くちこ父は、台湾から志願兵で出兵して敗戦後、日本に引き揚げているくちこ家に帰ったら、
父親も兄も姉も結核で(母親は、早くに台湾にて他界)後は、幼い弟妹だけだったのでした。
くちこ父が二十歳にもならずに大黒柱になり、皆で辛酸を舐めつつ、父親と兄は結核で他界。
姉は、療養病院で療養、その仕送りも塩を舐めるような生活で弟であるくちこ父が仕送りしたとのこと。
さて、
二軒隣りの分家は、当時裕福で、たらふく白米を食べる生活だったものの、
くちこ父達には、一粒の米も分けてくれなかったそうで。
その後、くちこ本家の台湾から独身のまま出兵して戦死した、くちこの大叔父の遺族年金の請求が発生。
手続きは、くちこ父がしましたが、結局、この二軒隣りの分家に横取りされたのでした
当時、戦死者から見たら、くちこ父にとっては叔父であり、
二軒隣りの大叔父にとっては弟だったのでね。
葬式も、法事も、位牌も、すべてくちこ家なのですが・・・
と言うことで、
くちこ家の人々は、みんなこの分家を恨んで生きてきたんです。
天国で、その様子を見ていた?くちこの祖父はどう思ったのか・・・・
ただ、
極めて愛想のよい赤ん坊だったくちこは、この分家の人が近づくと必ず大泣きしたそうで、
そこの娘が花嫁衣裳を着て歩くのを見たら、急に気分が悪くなり、家の庭で真っ赤なモノを吐いたのを覚えています。
未だ、幼かった頃の事です。
くちこ父の遺品を形見分けする時に、
すっかりオバサンになったその花嫁だった人がやってきて、
あれもこれもと欲しがり持って帰るのをその場に居た全員が唖然としたことを覚えています。
それでも、母の意志で呼んだのであり、
母は、貰ってもらえて良かったのだと言っていました。
いつまでも親のしたことで恨まれ続けるのは気の毒だから、と。
その分家ね、
親子仲が悪く、
姉弟は、早々に絶縁してしまい、
後継ぎの孫は、刑務所に入り、
借金が嵩んだとかで、分家の家は売られてしまいました。
横取りした大叔父は、結構、長く生きていたみたいでしたが、
晩年はずっと、アルコール依存症で入院したままでした。
大叔父が他界した時、
くちこ父は、墓地が無いと泣きつかれて、墓地を一区画、譲ったのでした。
そこは、くちこ父の弟である、
いつも、くちこ墓を掃除してくれている、くちこの叔父に譲られる筈の所でした。
だからね、
くちこ叔父はとても良い人なんだけど、
すぐ近くにある分家のお墓は無視しています。
恨み千万は、死ぬまで続きそうです・・・
くちこ母が他界した時、
くちこは、その分家の大叔父の娘さん(と言っても相当年上)を呼んで、
母の形見分けとして、琥珀のネックレスを二本渡しました。
くちこ以外、誰も知りません。
ただね、
くちこ母の遺志を想像すると、分けてあげるべきだなと思ったので。
いつもの事ですが、
昨日のお墓参りの時も、
くちこ家のお墓は綺麗で、
分家のお墓は、墓石は立派なのだけど、荒れ果てています。
市内に住まわれているのですが・・・
くちこは、くちこ父がどう思うかは分からないけれど、
お水だけあげることにしています。
そうそう、
二十数年前だったか?
くちこ叔父が、年間4万円の戦死者遺族に対する弔慰金をこの分家から、くちこ本家に支給先を変更したんです。
それは、4万円が欲しいのでは無く、
長年の恨みを晴らすべく、烈火となって取り返したみたいです。
既に大叔父は他界した後の事ですから、言ってみれば自分の従姉妹を相手に?
権利のある6人の縁者に放棄の書面を書いて貰うのも大変だったと思いますが、
多分、意地
そして、
その4万円、毎年、くちこに届けてくれていました。
要らないと言っても、ね。
これは、くちこ家本家が貰うべきお金だから、と。
本家に渡すと言う約束で放棄して貰ったのだから、と。
20年位貰って、終わりました。
くちこは、そのお金で、台湾の台中にある日本人の遺骨安置所にお参りに行った訳です。
子供達と二回、サメ氏と一回ね。
おまけ
まあさあ、
昨日、車中で、そんなこんな、思い出して感慨に耽ったのでした。
帰りには、久しぶりに、丸ごと桃のパフェを食べに行きました。
久しぶりに行ったら、イートスペースがかなり広くなり、
しかも、全部、セルフサービス、容器は使い捨て・・・
なんなら、テーブルの消毒もセルフでした
ビックリ
此処で、初めて丸ごと桃のパフェを食べた時は、総婦長の奢りだったんだけど、
器も豪華、桃も大きく、もっと上品だったのになあ・・・
↑恩知らずにならない為に同じ店の豪華だった頃を載せておきます。
と、は、
奮発してくれたサメ氏には言えないので、
※因みに桃1500円、メロン1300円。
「美味しい」と一言。
でもさ、容器もホントは味の内なんだなあと内心思ったのでした。
可愛い雑貨とかもあり、久しぶりに楽しみました
最近ね、
いつの間にか、凄く長い年月が経過していることをよく痛感します。
くちサメも、結構、新婚扱いされてきたのですが、
数えてみたら、もう出会ってから来月で18年でした。
その内、最初の結婚よりも長くなるかも?
不満タラタラですが、
桃パフェとか買ってくれるので、ね。
そう、全て、物事は天秤ですから。
なんだか 頭の中で くちこさん家の遺族年金騒動を
色々 想像して つい 怒りを感じてしまいました
でも くちこさんの お父様も
叔父様ご夫婦も 出来た方ですね?
そして そんな風に思い出してあげるのが
一番の供養なのですね!
私も 実家の兄夫婦とは 母が施設に入ってしまったので
もう 家に行く用事はない!と 思っています
お仏壇には 父も祖父母たちもいますが
私は お仏壇ではなく お墓に会いに行きます
そのお墓は 父が 生前 建てておいたお墓で
母のお母さん・・・子供の頃から同居していたおばあちゃんも収められています
名字が違っても 家族だからと 父が 遠いお墓から移しました
海の近くで いつも 良い風が吹いていて
去年は お墓のお掃除をしている間中
1匹のトンボが 回りを飛んだり 止まったりしてました
私は勝手に 父だと思いましたよー
とても 落ち着く場所です
願わくば 兄夫婦と鉢合わせしないよう 日程を考えないと・・・
最後に 桃のパフェ 美味しそうです!
あーーー 桃が食べたくなってきましたーー(笑)
猛暑の中、菩提寺詣で。お墓詣り。ご苦労様でした
なにより、お母さまを思いながら、よもぎ団子作り。何よりのご供養になったわね。
先日読んだ本で、主人公がいまわの際に。亡き母に意識朦朧の中で会って、言った言葉「ちゃんと迎えに来てくれる?」
おかあさんが応える
「もちろん!だってそのためにお母さんは先に天国に行ったんだから。。」
心に響く言葉でした
お盆が近くなって、私も年を重ねた今、思う事は複雑です
サメちゃんと一緒のパフェ
美味しそうですね
1500円もするなら(私の方にもありますが)この容器はがっかりですね
やっぱり、見てくれも値段のうちですから。。。
付き合いが絶えていく身内も
くちかずこ様のお母様は優しい方
そして くちかずこ様が嫌な思いを継いで抱えて生きていかれることを案じられたのかもしれません
負の感情は為になりませんから
果物のパフェ 美味しそう
寄り添って生きてくれる相手がいることは 幸せなことだと思います
親戚、隣人が食べるものに困っているのに何も差し上げない…。
読んで、とても悲しくなりました。
鬼ですね。
すみません、くちこさんのご親戚なのに。
やられた仕打ちはやはり、忘れられないと思います。
そして、御恩も、忘れられない。
ふと、私も‥3番目の義姉にされた事を思い出しました。彼女はアホなんだと、許してやってます。(私より、12歳も年上)
酷暑の中、お墓参りお疲れ様でした。
桃パフェ、そうです!器が残念!!
コロナ・コロナで大変ですが静かに嵐が過ぎるのを待つしかないのでしょうかね。
黒田家の本家も養父の甥っ子が亡くなってしまい
年末年始の挨拶も途絶えてしまいました。
黒田家の本家の長男は昭和19年にブーゲンビル島で戦死され
次男が跡を継がれたけど大正15年の生れだから
私とは相当の歳の差であり分家の養子に当たる
私には他人行儀な付き合いで終わりました。
黒田家の分家を私が継いだのだけど今となっては
意味のない訳の分からない家系ともなりました。
私の息子の代になれば黒田家の本家さえ知らない
そんな時代に成るのも仕方がないんでしょうかね。
内に居る孫が大学でモデルナのワクチン接種を
受けましたが2回目では39.5度の発熱が
2日間も続きました、本人いわくもう次は打たないとのコメントでした。
本人は経験のない辛い発熱だったんでしょうね。
誰も大阪へ帰ってこない2回目のお盆を静かに迎えようとしています。
前にお互い言いましたよね
↓
https://blog.goo.ne.jp/kazukomtng/e/7b8653b8fe714bdd390019b741aac6d3
くちこは、一人っ子で良かったのかもと思っています。
親を看取る責任、
自分一人で背負うことを当然と思って生きる方が楽だったかも、ってね。
葬儀、法事、なんでも、自分の意志だけで決められるし?
お互い、長い過去は・・・過去。
今を大事に、ですかね。
先祖を大事にしつつね。
死ぬのは怖くないと思う理由は、両親が待っていてくれる筈と思っているからです。
きっと、ふかふかの大きな座布団を蓮の花の上に敷いてくれている筈、なんてね。
何事も・・・
全て、自分に返ってくる気がします。
そう思うと、襟を正して生きなければと思うよね。
因果がね、自分に降りかかるならまだしも、
得てして、子孫に掛かったりすることを思うと・・・
桃パフェの記事さ、本文に、先ほど追加しました。
豪華だった頃?
お暇だったら、見てね!(^^)!
自分は中卒だから、バカだとよく言っていましたが、
振り返ると、凄い人だったなと思います。
くちこが困らない準備を先々まで見通して・・・
晩年は、江戸時代からの大きくて老朽化した家を取り壊し、小さな平屋の家を新築してから他界しました。
どうやってお金を貯めていたんだか、です。
母からの言葉、沢山、胸に刻んで生きています。
桃パフェね、
本文に記事を追加しました。
良かったら豪華な時も見てくださいな!(^^)!
いろんな人がいるもんだなあと思ったし、
モノサシって凄く違うんだなあと驚いたし、
案外、
人にとって一番の不幸は、
貧乏だとかでは無く、
親に恵まれないことかもと思います。
優秀な人でも、ね、色々と・・・
多分、そのように育てられたんだなと思うとね。
もし、それも因果だとすれば、自分の代で断ち切らないとね。
桃パフェね、本文に追加しました、豪華なのもお暇だったら見てね。
偶然、発掘したんです!(^^)!
家から三歩出ただけで倒れそうになる位でした。
今日は、台風の影響で。
黒田家、どうでしたね。
くちこ母も複雑でしたが・・・
昔は案外、多かったのかも?
子供さん達の代がシンプルであれば、それも良しかもしれませんね。
くちこも、長く子供達とは会っていないです。