数日前のテレビの深夜番組で、戦時中の学童疎開について放送しておりました。
沖縄や奄美大島の小学生が、「3ヶ月で決着がついて(日本が勝って)戻れるようになるから」と言われて、九州各県に強制的に疎開させられ、結局2年間もそのままだったという内容でした。
やーさん、ひーさん、しからーさんは、沖縄の言葉で、ひもじい、さむい、さみしいと言う意味だそうです。
全く知らない他人様の家に住まされて、食糧不足のためにひもじい思いをし、気候の違いにより寒い思いをし、親から引き離されて寂しい思いをしなければならなかった戦争末期の頃の子どもたちの、その表情の中にせつなさを感じさせる写真が映し出されておりました。
今、この国に住んでいる私たちは、普通に生活していればひもじい思いをする事はほとんどありません。
国の食糧自給率は40パーセント以下(情けない事ですが)ではあってでも、毎日の食卓には十分な食物が並んでいる状況が一般的だと思います。
寒ければ、それを防ぐための衣類と暖房設備があります。
遠く離れていても、携帯電話で話をする事が出来て、さみしさを紛らわす事が出来ます。
このように恵まれている社会で、毎日を感謝しながら生活しておりますが、歴史が繰り返されないという保証はありません。
「やーさん、ひーさん、しからーさん」という思いをしないで済む様な社会が続いて欲しいと思います。
豊田かずき
沖縄や奄美大島の小学生が、「3ヶ月で決着がついて(日本が勝って)戻れるようになるから」と言われて、九州各県に強制的に疎開させられ、結局2年間もそのままだったという内容でした。
やーさん、ひーさん、しからーさんは、沖縄の言葉で、ひもじい、さむい、さみしいと言う意味だそうです。
全く知らない他人様の家に住まされて、食糧不足のためにひもじい思いをし、気候の違いにより寒い思いをし、親から引き離されて寂しい思いをしなければならなかった戦争末期の頃の子どもたちの、その表情の中にせつなさを感じさせる写真が映し出されておりました。
今、この国に住んでいる私たちは、普通に生活していればひもじい思いをする事はほとんどありません。
国の食糧自給率は40パーセント以下(情けない事ですが)ではあってでも、毎日の食卓には十分な食物が並んでいる状況が一般的だと思います。
寒ければ、それを防ぐための衣類と暖房設備があります。
遠く離れていても、携帯電話で話をする事が出来て、さみしさを紛らわす事が出来ます。
このように恵まれている社会で、毎日を感謝しながら生活しておりますが、歴史が繰り返されないという保証はありません。
「やーさん、ひーさん、しからーさん」という思いをしないで済む様な社会が続いて欲しいと思います。
豊田かずき