日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

農家への所得保障制度

2007年08月06日 | インポート
日本の食糧自給率は40パーセント以下だそうだ。

民主党は、今回の参議院議員選挙で、農家への所得保障制度をマニフェストに掲げた。

その詳細は、収穫して販売した作物に対して、その最低価格を国が保証するために、実際の実勢販売価格との差額分を、作物を生産した各農家に助成するという事のようだ。

例えば、ある穀物を生産して日本で生活するためには、60キログラムを15,000円で販売しなければ生活が出来ないとする。

ところが、その同じ穀物でも、外国からの輸入品は10,000円で販売されるとすれば、消費者はその10,000円の品物を買うようになる。

そこで、日本の農家が生産した品物も10,000円にして国内で流通するようにするために、政府が差額分の5,000円を生産農家に助成するようにするという仕組みのようだ。

であるから、実態は、国家による農産物の最低価格保証制度という表現の方が適確だろう。

そのような仕組みを、マスコミと自民党は「バラマキ」政策だと批判しようとしている。

冷静に考察してみると、決して「バラマキ」政策ではない。

自民党は、小規模の兼業農家を排除するような政策を推し進めようとしている。

耕作面積を多く保有する農家だけを残して、結果として小規模の兼業農家などを切り捨てる事になる仕組みを進めようとしている。

農業者の人口が10分の1になるのであれば、農家1戸当りの耕作面積を10倍にすればよいというような短絡的な理屈で、小規模農業者を排除しようとしている。

要するに現在の自民党は、農家の中にも「勝ち組」と「負け組」というような差別化を図ろうとしている。

日本の農業の下支えをしているのは、紛れも無く小規模の兼業農家であり、農業従事者の大多数を占めている。

私の家の周りにも広い水田が広がっているが、その水田を耕作している人の中でも専業農家はほとんどいない。

にもかかわらず、毎年季節が来れば田植えが行われ、秋になれば米が収穫されている。

地方はそのような職業形態で生活を維持しているという現状からすれば、農業生産物の政府による最低価格保証は、必然的な事だと私は思う。

国家による食糧自給率の維持や、農村地帯の人口の維持という面から考えても、そうするべきだと思う。

食の安心・安全という観点からしても、国内農業の生産物を、日本国民が消費できるようにするという事は国の施策としては重要な事であろう。

また、生鮮野菜などが豊作で、国内消費量よりも生産量が一時的に上回った場合には、乾燥野菜などにして備蓄するというような仕組みを、国家規模で構築して行く施策を進めるべきであると私は思う。

食糧自給率が40パーセント以下の我が国においては、いざという時に備えて、国家や自治体規模での、平常時における食糧の備蓄を推進しておく必要がある。

このような事も、ある意味において国防政策の一環として認識すべきではなかろうか。
なにも、戦車や魚雷を造って備えるだけが国防施策ではないと私は思う。

食糧は、国民の命を維持するためには最も大切な物だ。

戦後の食糧難の時代を生き抜いてこられた先輩方は、そのような事は身にしみて分かっておられるのだろうが、戦後生まれの世襲による政治家が台頭してきている現状においては、そのような事柄に対する認識が薄れてきているような気がする。

農産物の最低価格保証を国家がするといえば、農家に対する甘やかしだとか、バラマキだとか、そのような事をするから日本の農業は国際競争力に勝てないのだとかと言う人たちが出てくる。

しかし、外国に頼らないで、国家の食糧自給率を上げていくには、民主党が掲げている「農産物の国家による最低価格保証制度」は、必要不可欠な事だと私は思う。

単純に費用対効果だけで論じるべきではない事柄もあるという認識も持たなければならない。

国家における食糧自給率の向上に繋がるような施策は、結果として国益になるという認識を持つべきである。


それでは、財源はどうするのかという事になるが、民主党が主張しているように、行政の無駄をなくしていけば、相当な金額が捻出できるのではなかろうか。

その詳細な具体策を引き出していく事が、今後の民主党の腕の見せ所であり、国民はそれを注視している。

今回の自民党惨敗の原因のひとつとして考えられる事は、大きな支持勢力であった地方の農民に対して、旧来の自民党が行なっていたような農業政策を軽視し、改革という名の下に推し進めてきた小規模農家に対する切捨て的な方針に対する反乱というような面もあるのではなかろうか。



豊田かずき