日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

ドライブ

2013年03月15日 | インポート
妻と息子と私の3人で、長崎市方面へドライブした。

以前に3人で出かけたのはいつ頃だったか、思い出せないぐらいに久し振りだった。

妻は仕事が休みの日で、息子は勤務している会社の機械の調子が悪いために、3日目の有給休暇をいただいて休みだし、私は失業状態で、毎日が日曜日の様なもので休みだしということで、久し振りに3人で出かけた。

息子が4月から住む事になっているアパートも見ておきたかったし、私の用事が長崎市内にあったしということもあったので、息子の運転で、3人でのドライブということになった。

息子が住む事になっているアパートは、ずっと以前に長女が大学に通っていた時に住んでいた場所の近くだった。

長崎市内とその周辺地域の地名と、地理的な位置関係がほとんど分からない。

息子の車のカーナビがなければどこにも行けない。

道中で、咲いている山桜を1本見つけた。

寒暖を周期的に繰り返しながら、春が大股で訪れようとしている。

タケノコの芽を、靴の底の感触で見つけてのタケノコ掘りのシーズンが来る頃だろう。

昨日のヤマメ釣りでも、大先輩も含めてそこそこの釣果はあったし、明日は山にタケノコ掘りにでも出かけようかな。

海や山に行けば、旬の物が迎えてくれる。

そのような田舎に暮らす事が出来ている事に感謝。



豊田一喜



雨の日の高揚

2013年03月13日 | インポート
3月1日に雨が降ってからは、最近しばらく雨が降らなかった。

諫早市高来町の境川の流水量も少なくなってきているだろう。

今日は一日中、雨模様だったので、境川の流水量も増えているはずだ。

となれば、失業中の身の心中としては、明日は必然的に趣味のヤマメ釣りに行きたいモードになってしまう。

遺跡発掘の現場で知り合った人生の大先輩から、是非ともヤマメ釣りを体験してみたいから、都合のよい時に誘って欲しいとお願いされていた。

明日の朝からが、ヤマメ釣りの初体験をするには絶好の頃合だろうと思う。

電話をいれてみたら、明日の予定は無いとのこと。

身の回りの諸々の事柄も片付きつつあるので、フィトンチッドを浴びて心身ともにリフレッシュしに行く予定。

神様がくれた人生の小休止の時間を楽しませてもらおうと思っている。



豊田一喜








健康診断

2013年03月11日 | インポート
血液検査と心電図による検査は、毎年1回は受けている。

今回の健康診断は、他にも色々と検査してもらった。

身長、体重、視力、聴力、尿検査、血液検査、循環器検査、肺機能検査など。

身長は、自分で思っていたよりも1cm程度縮んでいた。

体重は、最近の中では最も軽い数値だった。

午後からの健康診断だったので、昼食は摂らないようにとの指示だったが、いつもの習慣で、朝食も摂らずに臨んだためだと思う。

肺機能検査では、自分の肺活量は平均よりもだいぶ小さいと今まで思い込んでいたが、平均的な数値の検査結果だった。

おそらく、自分の肺活量の検査器具の使い方が、以前はへたくそだったのだろう。

8400円の検査費用だったが、自分の健康状態を、客観的な数値として認識できたので、よしとしよう。

医者の総評欄には、「就業可能」と書かれていた。

安心して就職活動が出来る。




豊田一喜



ラッパ水仙

2013年03月10日 | インポート
我が家の庭の松の木の下付近で、今年もラッパ水仙が黄色い大き目のきれいな花を咲かせている。

黄色いラッパ水仙の花が開いている庭を見ると、本格的な春の到来を目で感じてしまう。

色々な植物の若芽が萌え立ち、小鳥たちのさえずりにも春を迎えた喜びと活気を感じる。

ラッパ水仙は、冬の厳しさに地面の中でじっと耐えながら待ち、季節が来れば球根から芽を出し、やがてはきれいな花を咲かせてくれる。

私たちの生き様にも通じているように思う。

耐えて努力している時には、やがては芽が出て花を咲かせる時が必ず来る事を信じていれば苦にもならない。

そのように思いながら今までを過ごしてきたが、なかなか思うようには行かないのが人生の妙でもある。

春になると、必ずきれいな花を咲かせる庭のラッパ水仙が、うらやましくもある。



豊田一喜






卒業証明書と成績証明書

2013年03月09日 | インポート
卒業証明書と成績証明書を取り寄せなければならない事情が出来た。

昨日、母校の諫早農業高等学校に久し振りに出掛けた。

昼休みの時間帯ではあったが、事務室の窓口で女性の職員の方が丁寧に応対してくださった。

申し込み用紙に、氏名と住所と卒業年度と農業土木科と記入して提出する。

卒業証明書は数分待てば出せるが、成績証明書の作成には少し時間がかかるということで、週明けの月曜日の午前中ぐらいには渡す事が出来るということだった。

それぞれの証明書の発行代金は、一部当たり350円だといわれ、それらを受領する時には、本人確認のために免許証か保険証の提示が必要だとのことだった。

気付かずにいたが、別の場所で他の用事を済ませてから携帯を見てみると、簡易留守録が入っていた。

聞いてみると、諫早農業高等学校の事務室の方からの伝言だった。

例の成績証明書は出来上がったという伝言だったが、それを聞いた時刻は17時30分だった。

諫早農業高校まで、車で10分ぐらいの場所にいた時だったので、その日の受領はあきらめた。

高校の成績証明書がどのような形式で表記されているのかは、見た事が無いので知らない。

40年以上も前の、自分の歴史の一部が表記されているのかと思うと見てみたい気もするが、開封すると提出用としては無効になってしまう。

興味を持って、知識を得る事が楽しかった頃の記録であるから、そこそこのものではあろうかとは思う。

この年になって、数日前の出来事も忘れやすくなっても、過去の記録は残っていて自分の履歴としてついて来る。

40年後の自分の生き様など、想像することすら出来なかった頃の自分の記録が、そこにはある。



豊田一喜






忙しかった2日目の日曜日

2013年03月08日 | インポート
昨日からは、実質的に失業状態になったので、昨日が1日目の日曜日で、今日が2日目の日曜日のような感覚だった。

それでも今日は、あちこちと動き回った。

次の仕事に向けての準備をした一日だった。

夕方には、皮膚科の病院にも行った。

左の耳の下の首筋を、以前、虫に刺されて、かなり腫れ上がったが、飲み薬と塗り薬で腫れは治まったものの、首筋のその近辺のかさぶたのような症状はなかなか治らない。

ということで、諫早の皮膚科の病院で診てもらった。

少し強い塗り薬を出しておくという説明だった。

いつまでも直らないと、皮膚の中に何かが住み付いているのではなかろうかとも思ってしまって気持ちが悪い。

とりあえずは、貰った薬を塗り続けてみるしかない。

母校や以前に勤めていた組織に、書類を書いてもらうために、久し振りに足を運んだ。

以前にお世話になっていた組織では、部屋の中の机の配置がすっかり変わり、人も一部は代わっておられた。

およそ一年前まで使ってもらっていた組織だが、皆さん元気そうに見えた。

その組織での業務の関係で、県内のいろいろな場所に行く道を覚えさせてもらった。

制限速度40kmの同じ道路で、2回も交通違反で罰金を払う羽目になった思い出もある。

あちこちと走り回っていたら、すぐに夕方になってしまった。

日曜日のような一日は、あっという間に過ぎてしまった。




豊田一喜










嬉電(その2)

2013年03月07日 | インポート
きょうからは、毎日が日曜日のような生活をしばらくは送る事になるので、少し遅めの朝食を摂ってから、出かけようとして玄関の鍵を閉めたら、玄関を入った所に置いている黒電話が鳴り出した。

家の電話機は、停電の時にも電話線さえ切断されていなければ使えるように、ダイヤルを回してかける方式の黒電話のままにしている。

現在のプッシュホンしか知らない親戚の子どもたちにとっては、珍しい電話機であり、私の家に遊びに来て、その電話機から電話をかける時には、円形に配置されているダイヤルの穴を押して電話をかけようとする子もいる。

何十年も前に開設された、農集電話の時代と同じ形態の、黒い電話機を我が家では使っている。

あわてて玄関の鍵を開けて、黒電話の受話器を取る。

受話器の向こうからは、丁寧な言葉使いで名のられた。

つい最近、関わったことのある組織の名称とその方の名字だった。

嬉電(嬉しい電話・・・私が勝手に作った造語)だった。

人生色々あるが、きょうの嬉電は、私のこの10年間ぐらいの中では、絶対に3本の指に入るような、記念すべき電話だった。

先日このブログで紹介した、スティーブジョブズ氏の言葉の中に、「点と点を結ぶ」という内容が語られていたが、まさに人生の中の意識しなかった点と点が、結果として結ばれて生じたような、嬉しい電話だった。

きょうからの夜勤に備えて、2階の部屋で寝ている息子に、その嬉しい電話の内容を伝えに階段を駆け上った。

一連の経緯を知っている息子も喜んでくれた。

これからはその準備で少し忙しくなるが、嬉しい忙しさになる。

ご先祖様に対して、感謝の「南無阿弥陀仏」。



豊田一喜









本当のおしまいの日

2013年03月06日 | インポート
竹松遺跡の発掘作業も、工作班の方、ダンプカーの運転手の方、重機のオペレーターの方等以外の作業は、本日いっぱいで本当の作業終了になりました。

2区と8区の石棺墓が出土した区域の保護のために、数班の作業員の方々も本日まで動員されていましたが、その作業も本日いっぱいで完了して、本当のおしまいの日になりました。

斜面に土嚢を積み上げて、土の崩落防止の処置をしてからブルーシートを被せ、次年度(平成25年度)発掘までの保護作業を実施しました。

測量作業班の3人も、6区の完堀検査用の縦横断杭の打設と、検査用写真の撮影補助作業にて測量関連の仕事はおしまいになりました。

午後は、2区の来年度(平成25年度)の継続発掘予定の区域の養生の作業をやらせてもらいました。

昨日から本日にかけて、土嚢を扱う作業をされた作業員の皆様は、筋肉をかなり使われたことと思います。

少しだけゆっくり休養をされて、次の仕事に向けた活動を開始されることと思いますが、もしも平成25年度の竹松遺跡の発掘作業員の募集の頃までに次の仕事が見つからなかった場合には、また竹松遺跡の発掘現場でお会いいたしましょう。

楽しかった思い出がたくさん詰まった、たくさんの良い人に出会えた、私の人生の中ではとても素敵な人生のひとこまでした。

この拙いブログを読んで下さっていた方々、本当にありがとうございました。

そしてお世話になりました。

竹松遺跡に関する事柄の記述は、本日にて第一部の完了とさせていただきます。

指先を使ってキーボードを打つ事は、老化の防止にもなるらしいので、日々の出来事に関する雑感は、これからも折に触れて記述していくつもりでおります。

楽しい時間を多く過ごす事が出来た、有意義な9ヶ月間でした。

本当にありがとうございました。




豊田一喜









啓蟄(けいちつ)

2013年03月05日 | インポート
啓蟄という日は、毎年同じ日だと思っていたらそうではないようだ。

天文学ではその瞬間をいうらしく、期間を示す言葉でもあるようだ。

以下は、ウィキペディアによる説明。


啓蟄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

二十四節気 立春  雨水  啓蟄  春分  清明  穀雨  立夏  小満  芒種  夏至  小暑  大暑  立秋  処暑  白露  秋分  寒露  霜降  立冬  小雪  大雪  冬至  小寒  大寒

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。
二月節(旧暦1月後半 - 2月前半)。

現在広まっている定気法では太陽黄経が345度のときで3月6日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から5/24年(約76.09日)後で3月8日ごろ。

期間としての意味もあり、この日から、次の節気の春分前日までである。


季節
大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。『暦便覧』には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。

柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。


  年   日時   (UT)   日本   中国
2001年 3月5日 12:32  3月5日 3月5日
2002年 3月5日 18:27  3月6日 3月6日
2003年 3月6日 00:04  3月6日 3月6日
2004年 3月5日 05:55  3月5日 3月5日
2005年 3月5日 11:45  3月5日 3月5日
2006年 3月5日 17:28  3月6日 3月6日
2007年 3月5日 23:18  3月6日 3月6日
2008年 3月5日 04:58  3月5日 3月5日
2009年 3月5日 10:47  3月5日 3月5日
2010年 3月5日 16:46  3月6日 3月6日
2011年 3月5日 22:31  3月6日 3月6日
2012年 3月5日 04:21  3月5日 3月5日
2013年 3月5日 10:14  3月5日 3月5日
2014年 3月5日 16:02  3月6日 3月6日
啓蟄の瞬間の日時 (UT) と、日本・中国での日付は表のとおり。

以上はウィキペディアによる「啓蟄」の説明。

冬眠をしていた虫が穴から出てくるような季節ということで、その日が来たと知ると、春が来たような気分になってしまう。

調査員氏からご馳走していただいた昼の弁当で、心の中が春になった。

午後は、外で上着を脱いでいると少し寒くも感じる。

東側の6区の、完堀検査のための縦横断杭の打設の作業をやらせてもらった。

この前4人を写してもらった写真をいただいた。

その写真を客観的に見て、自分の座高は他の人よりかなり高い。

短足、胴長の典型的な農耕民族の形質を、より濃く受け継いでいるようだ。

重心の位置が低いので、地震の時に、他の人より少しだけは、揺れても転ばない自信はある。

啓蟄の日の穏やかな一日だった。


豊田一喜






終業式

2013年03月04日 | インポート
一応の区切りとして、雇ってもらっている竹松遺跡の発掘作業は、本日で終わり最後に終業式があった。

3時の休憩時間が終わる頃から雨が降り出して雨脚が強くなり、そのまま止まなかった。

びしょ濡れになってから退避したら、雨は小降りになり、やがては降り止んで晴れ間も見えて虹が出た。

終業式では、皆勤者の発表があり、ねじり鎌の記念品が渡されていた。

9名の方が皆勤されていた。

私は残念ながら、お通夜と葬式のために2回早退して2回休んだ。

各調査員の方や県の方の挨拶があり、滞りなく終業式は終わった。

下着まで濡れていたので、帰りの車の座席には、雨合羽のズボンを敷いてから座って運転した。

楽しい思い出がいっぱい詰まった職場だった。

健康で働かせてもらった事に感謝したい。


豊田一喜




非常識なお手盛り行政(早期退職教職員の再雇用)

2013年03月03日 | インポート
非常識なお手盛り行政の典型。

以下は読売オンラインの記事の転写。

駆け込み退職教員64人、講師で採用…名古屋市

2013年3月2日(土)18:33
 自治体職員らの駆け込み退職問題で、名古屋市教育委員会は1日、欠員を埋めるため、2月末で早期退職した教員64人を3月も引き続き講師として採用したことを明らかにした。

 同市の教員の人件費は愛知県費で賄われており、県が3月に退職手当を平均約150万円減額することに伴い、市では定年退職予定の教員90人が手当引き下げ前の2月末で退職した。

 再雇用した64人には学級担任45人全員が含まれる。教頭1人は補充しなかった。残りは市教育サポートセンターに登録していた臨時講師を充てた。

以上は読売オンラインの記事の転写。


行政の非常識の極みのような、身内に甘いお手盛り行政の典型例だと思う。

雇う方も雇う方なら、その雇用依頼を受ける方も受ける方である。

退職金を減額されるから、その制度が施行される前に退職するというのは、教育者としてあるいは担任としては無責任な行為だとは思うが、生活者の視点から見れば理解できない行為でもない。

だから、早期退職教職員が出た事は、あえておかしいことだとは思ってもいなかった。

しかし、舌の根も乾かないうちにそのような人たちを再雇用するという行政のあり方は如何なものだろうか。

また、無責任にも、担任としての職務を放棄して早期退職した人たちの、再雇用に応じる教育者としてのありようは如何なものだろうか。

職員組合との間に取り交わされた出来レースのように思えてしまう。

子どもたちの進級、卒業まで見届けたかった、父母からの要望が強かったなどという、金太郎飴みたいなコメントでお茶を濁すぐらいが関の山だろう。

元々は、年度の途中での制度の変更を決めた法律のありようがおかしいのではあるが、会計年度の都合など諸事情でそのような制度になったものであろうとは思われる。

要するに、そのような理不尽とも思われる仕組みの中でも、早期退職をしないで、任期まで教育者としての職務を全うしようとしている多くの教職員の方々がおられるのに、早期退職者だけを利するような、行政のあり方はおかしい。

一般の民間人から見れば非常識な事ではあっても、特別に選ばれた階層であるという意識を持っているであろう行政組織も含めた彼らからしてみれば、当然の「常識」という認識なのだろう。

わざわざそのような人たちを充てずとも、来年度からの新規採用教職員に臨時で入ってもらうとか、担任はベテランの教職員を充てるとか、方法はいろいろ模索できたはずだとは思うが。

おかしな税金の使われ方に対しても、おとなしい日本人は黙している。


豊田一喜










雨に濡れても

2013年03月01日 | インポート
予定されていたとおりに、1区と5区の完堀検査は、午後3時より実施された。

一日中雨がやむことはなかったが、雨合羽を着ての検査の手伝いだった。

気温が少し下がり気味で雨も降っており、寒い感じだったが、雨に濡れても雨合羽を着用していたので防寒にはなった。

帰宅したら、見覚えのある色の薄い封書が届いていた。

その薄さから、その封書の中身の文書の内容は予測できた。

先日、就職試験の面接を受けていたが、その合否の通知だった。

予測どおりに、「不合格」という文字が記されていた。

この不合格で、わが人生では5回目の面接試験での「不合格」という記録が残る。

残念ではあるが、それが現実なのだから受け入れるしかない。

別に面接試験に落とされたからといっても、命に危機が及ぶわけでもない。

他の仕事を探せば良いだけの事ではあるが、現実は厳しい。

「今後とも、ご自愛のうえご活躍されますようにお祈り申し上げます。」という文章で結ばれていたが、そちらの組織で「ご活躍」させていただきたかったのにとつぶやきたくもなった。

心の中は雨に濡れても、乾かせばよい。

ヤマメ釣りにタケノコ掘りなど、春には楽しい事がたくさん待ち受けている。

不合格通知も人生のひとコマ。

その組織とは縁がなかったのだろう。



豊田一喜