4月3日(土)晴れ
我が家から歩いて7~8分のところを新河岸川が流れています。入間市で入間川から分水した赤間用水が川越市街にはいるところで新河岸(しんがし)川と名を変えます。太田道灌が築いた川越城の堀として市街の北東部を流れたあと、関東平野を南下して隅田川となります。
赤間用水http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/2519/redspace/redspace.htm
隅田川は江戸時代から花の名所ですが、川越でも氷川神社の裏あたりの新河岸川が桜の名所です。
午前中に散歩に出てみたらちょうど和舟の第一船が船出するところでした。
下流をせき止めて水量を増した掘り割りを二艘の舟が行き来します。花は7~8部咲きでまさに春本番です。
昨日の様子を紹介するブログです。
新河岸川さくら祭り 2010http://ton-q.at.webry.info/201004/article_3.html
昼前に妻を誘ってもう一度出かけました。賑わいを増した会場では歌や踊りのグループが次々と芸を披露しています。
近年までは妻の母も出ていたのですが90を過ぎて引退しました。ただの一度も晴れ姿を見たことはありません。小柄ですが若いときはとびきりの「美人」で、歌は年をとってからも上手でした。今となっては申し訳ないやら、残念やら…。
生まれは日本橋の小伝馬町で、いうところの「江戸っ子」です。晩年は娘の住む川越に移住し、夫を亡くしてからは一人住まいです。地域の人々とともに歌や踊りの会などに参加し、暇をもてあますなどということはなかったようです。さすがに最近はデイケアーに通うようになりました。
戦時中・戦後と大家族の長男の嫁です。苦労も多かったはずですが愚痴を言うこともなく、運命を甘受して淡々と生きてきたように見えます。妻を生み育ててくれた人ですからただそれだけで感謝ですが、こんな風にはとても生きられないなと思わせてれます。人間のできが違うとしか言いようがありません。
我が家から歩いて7~8分のところを新河岸川が流れています。入間市で入間川から分水した赤間用水が川越市街にはいるところで新河岸(しんがし)川と名を変えます。太田道灌が築いた川越城の堀として市街の北東部を流れたあと、関東平野を南下して隅田川となります。
赤間用水http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/2519/redspace/redspace.htm
隅田川は江戸時代から花の名所ですが、川越でも氷川神社の裏あたりの新河岸川が桜の名所です。
午前中に散歩に出てみたらちょうど和舟の第一船が船出するところでした。
下流をせき止めて水量を増した掘り割りを二艘の舟が行き来します。花は7~8部咲きでまさに春本番です。
昨日の様子を紹介するブログです。
新河岸川さくら祭り 2010http://ton-q.at.webry.info/201004/article_3.html
昼前に妻を誘ってもう一度出かけました。賑わいを増した会場では歌や踊りのグループが次々と芸を披露しています。
近年までは妻の母も出ていたのですが90を過ぎて引退しました。ただの一度も晴れ姿を見たことはありません。小柄ですが若いときはとびきりの「美人」で、歌は年をとってからも上手でした。今となっては申し訳ないやら、残念やら…。
生まれは日本橋の小伝馬町で、いうところの「江戸っ子」です。晩年は娘の住む川越に移住し、夫を亡くしてからは一人住まいです。地域の人々とともに歌や踊りの会などに参加し、暇をもてあますなどということはなかったようです。さすがに最近はデイケアーに通うようになりました。
戦時中・戦後と大家族の長男の嫁です。苦労も多かったはずですが愚痴を言うこともなく、運命を甘受して淡々と生きてきたように見えます。妻を生み育ててくれた人ですからただそれだけで感謝ですが、こんな風にはとても生きられないなと思わせてれます。人間のできが違うとしか言いようがありません。