川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

観音経

2010-04-21 04:23:46 | 政治・社会
4月20日(火)曇りのち雨

 今日は「穀雨」だそうです。夕方から雨になりました。春の暖かい雨で、穀物の芽生えが促進されるのでしょう。

 久しぶりに信州・長谷寺のHPを訪ねたら「超訳!観音経 声に出して読もう!」という住職の声が聞こえてきたので、早速声に出して読んでみました。

 坊さんが読んでいる観音経はちんぷんかんぷんですが、「超訳」を読んでいると少し意味がわかりかけてきました。お釈迦さんの声が聞こえてくるようです。

 皆さんもやって見たらどうでしょう。

 超訳!観音経 http://www.hasedera.net/blog/2010/03/post_212.html#more


 別のところで住職は山尾三省さんの詩を紹介してくれています。

  観世音菩薩

観世音菩薩 というのは
世界を流れている 深い慈愛心のことであり
わたくしの内にも流れている ひとつの
深い慈愛心のことであるが
いつの頃からか
この世界には そのようなものは実在しないと
私たちは考えるようになった

それがなくては
この世界も わたくしも 一刻も成り立ちはしないのに
わたしたちは それを架空のものと
考えるようになった しかしながら

一人の人が ぼくに喜びを与えてくれるならば
その人は 観世音菩薩なのであり
一本の樹が ぼくに慰めを与えてくれるならば
その樹は まごうかたなく観世音菩薩なのである

あなたが清らかな水を飲んで おいしいと思うならば
その水が 観世音菩薩なのであり
観世音菩薩の像に接して やすらかな気持ちになれば
その像もまた むろん観世音菩薩である

私が人を責めることをしないならば
それが観世音菩薩であり
あなたが私を許してくださるならば
そこに観世音菩薩は 現前しておられる

観世音菩薩というのは
世界を流れている 深い慈悲心であり
あなたの内にも わたしの内にも流れている
ひとつの 深い 慈悲心のことなのである


山尾三省『観音経の森を歩く』所収

出典http://www.hasedera.net/main/kannon/index.html

「長谷観音が古来より信仰されるのは、私たちのうちなる観音性(悲、慈、愛、同悲同苦、忍、いのち)が蘇ってくる聖なる場であるからです。」

 Aくん、読んでくれましたか。良かったら今度、長野市篠ノ井の長谷寺を訪ねてみよう。

 延命十句観音経 (音声)http://www.youtube.com/watch?v=tWQHIVgdO9E

 川越だより「コンパッション」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/0668f474aa27d6b08fa845a1d7a0225d/?ymd=200806&st=0