川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

田内瑞穂先生逝く

2010-09-16 20:19:44 | ふるさと 土佐・室戸
 気温の変化について行けず、寝ている日が続きました。昨日午後気温が上がったので、北山田に出かけて土手から稲の収穫風景を眺めました。収穫はそろそろ終わりに近づいています。

 9月16日(木)

 コニヤンのブログで高校時代に国語(日本語)を習った田内瑞穂(たのうちみずほ)先生が亡くなられたことを知りました。98歳の大往生だったそうです。

 ●コニヤンhttp://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/51217922.html

 同窓会のHPに若き日の写真が紹介されています。

 ●土佐中・高等学校同窓会HPhttp://www.tosaobog.com/

 先生がどんな授業をしてくれたのかはすっかり忘れてしまいましたが我が家には先生の著作が二冊あり、それをとりだして一日中読みふけりました。

 『甚田先生はだか日記』(1984年発行)

 「87年8月8日 高知 明文堂」とあるので高知に帰ったとき懐かしさの余り購入した本だと思います。

 竹村一水(高校3年間)、永野亮三郎(あだ名「かえる」中2)、吉本要(「カマス」中1)。僕を担任してくれた先生方をはじめ、広田直吉、片岡敏男(「たこ」)、中山駿馬(「おんかん」)先生など懐かしい先生方のエピソードが暖かいまなざしで紹介されています。添えられているカットの似顔絵もよく特徴を捉えています。

 久しぶりに遠い昔の先生方の世界に入り込んでいました。英語はそっちのけで口角泡を飛ばして芝居の呼び込み?をやってくれた広田先生…。

 この本で「片岡方法論氏」とも呼ばれている片岡先生は弁証法的認識の大切さを口を酸っぱくして強調されていました。国語科の同僚にも認識論の大切さを強調されていたのでしょう。

 どちらもそれぞれのやり方で教育のあり方を教えてくれました。

 『甚田先生はだか日記』は僕が少年から青年に向かう危機の時代に世話になった先生方のその時には見えなかった「人間」を生き生きと描いてくれています。「フィクションは全くない」と書かれています。

 田内先生の真骨頂はこのような本を書くことが出来るところにあるのかもしれません。誰にでも出来る仕事ではありません。本当にありがとうございます。

 先生は高知44聯隊の戦友の多くを戦場に失っています。どんな気持ちで何も知らない若者たちに向かってきたか、そのいらだちや悔しさのようなものもこの本には滲み出ています。

 今頃は70余年ぶりに朝倉聯隊の戦友たちと久闊を叙していることでしょう。

 田内瑞穂先生の御霊のやすかれと祈ります。(合掌)

●もう一冊は『栴檀の賦ー朝倉の兵営日記』(1983年)です。