AVIREXのA-2がマニアには
AVIREXはダブルライダースに
そこまで言うか、という程
それは受け皿、器を作って
いるシステムがおバカな事
を続けているから。
日本人の能力が低下したの
ではなく海外が先に行った、
とはしているが、それは別
な面としては日本人の能力
の低下を構造的に招く不可避
の未来を示唆している。
お先真っ暗。
だが、それを憂い、改善する
気配は日本の学術界と教育界
には全くない。
機関的な問題で学ぶ者が学べ
ない、研究も進められないと
いう構造に日本人がしてしま
った。
世界レベルの研究ではなくな
った日本の学術研究。
ホントにお先真っ暗。
https://www.nature.com/articles/d41586-023-03290-1
年間釣行70日のゴリゴリの
なぜMOSCHINOのキャップ
このMOSCHINOを気に入っ
この右のグリーンは英軍海兵隊
新作(笑
つば裏は上画像左の個体とも
日本では無名だったが、アメ
リカでは歌手でプチ人気女優
だったレベッカ・ホールデン。
日本では1982年の角川映画
『汚れた英雄』で英国の富豪
役で登場した。
とにかく可愛かった。
Is your sleeping time schedule, too?
と言いたくなるほどに(笑
昔の私の職場ではオーストラ
リア人弁護士を講師として、
英語の無料授業が勤務時間後
に開催されていた。毎週2回。
参加は自由。でも職場の職員
男女はほぼ全員参加していた。
その授業中のフリートーク
時間で、隣りの人と何でもい
いから英語で会話する時、私
は美人女性秘書さんとの会話
で北野晶夫がクリスティーン
(レベッカ・ホールデン)に
言った上の台詞を言ってみた。
講師の真面目なオーストラ
リア人女性弁護士は「はぁ?
なんてことを!」と憤慨して
いた。
その時、「それ、汚れた英雄
の台詞ですよね」と言った男
がいた。
観てるし、作品(笑
早稲田出身のバイク乗りの
事務所の後輩だった。
赤いネイキッドのNS250に
乗っていた。
もう一人、「あ~、汚れた
ヒデオだぁ~」と言った私
より一つ年上の女性秘書も
いた。やはり映画観てるし。
彼女もオートバイ乗りだ。
ヤマハに乗っていた。
ちなみに私が北野晶夫の台詞
を言った美人の女性もオート
バイ乗りだった。ホンダに乗
っていた。
昔の職場、二輪乗りだらけ(笑
結構年上の女性秘書の一人は
第1回鈴鹿四時間耐久に出場
した経験を持つ人だった。
考えたら、事務職員のうち7人
が二輪乗りだった。(男3人、
女4人)
さらに事務所に勤務する弁護
士12人のうち3人が二輪乗り
だった。
そのうち一人はレーシング
ライダー。全日本F3にエン
トリーしていた。
まだ私が学生の頃、二人で
夜明けの箱根に毎週水曜に
走りに行ってた相方の男。
二人とも革ツナギの上にト
レーナーを着て。
現役弁護士がレーサーレプ
リカで峠で膝すって、ウイ
リーさせたりしてるのだから
どうなのよ、とは俺でさえ
思ったが(笑
今はトレーナーとは呼ばず、
スウェットというみたい。
でも違うんだよなぁ。
トレーナーというのは、ごつ
いバスタオルみたいな綿生地
なのよ。
ツナギの上に着るのは軽い防
寒着としてだった。あと朝露
よけ。
私は青白黒のツナギの上に
イエローかブラックのカドヤ
のトレーナーを着ていた。
それと「RIDING HIGH」と
プリントしたうちらのオリ
ジナルのトレーナー。
国鉄と分割民営化の後のJR
東日本は、かつて素晴らし
い旅企画を展開していた。
それは1985年に開始された
「カートレイン」、1986年
に始まった「モトトレイン」
だ。いずれも1998年に廃止。
自分の四輪車や二輪車を列車
に積み、上野から北海道まで
列車旅が出来たのだ。
乗客は寝台車に同乗する。
バブル経済開始頃の1986年、
日本は空前絶後のオートバイ
ブームの真っ最中だった。
国鉄は素晴らしいプランを
実行したものだ。
寝台の列車旅が楽しめて、かつ
自分の車やバイクと北海道に
行ける。
最高の旅だ。
イギリスでは1955年からロン
ドン発スコットランド行が
カースリーパーという名で
のカートレインを開始した。
その後、ドイツ、スイス、ベ
ルギーなどでも運行が開始さ
れた。
日本はそうした西欧のモーター
リゼーションの流れを受けて、
交通先進国の一翼としてカー
トレイン&モトトレインを開始
した。
西欧は現在も運行が続けられて
いるが、日本では12年ほどで
廃止。残念な限りだ。
なお、四輪車は燃料を減載し、
二輪車は燃料を全て抜いての
積載となっていた。
その点と、食堂車が連結されて
いない事のみが不便な点だった。
私は1980年代のバブリー時代に
モト・トレインに乗ろうとした
が、全くさっぱり全然チケット
が取れず断念した。
そういえば、航空会社もオート
バイを空輸して、乗客が下りて
からバイクとドッキングして
北海道とかの旅ができる企画が
あった。矢沢永吉などはそれ
を利用してバイク旅番組を撮
影したりしていた。
旅客機のそれも今は無い。
そして、今、カーフェリーも
どんどん便数が減少している。
列車や飛行機に自分のオートバイ
を載せて共に旅をする。降りた
現地では愛車に跨りさらに走る。
かつては国内ではこうした夢の
ようなツーリングプランが存在
したのである。
日本がまだ豊かで、世界第二位
の経済大国だった頃。
今後の日本は衰退の一途しか
未来はない。
最近ネイチャー誌にも今の日
本の立ち位置を書かれてしま
った。「日本は既に学力、学術
研究においても世界のトップか
らは転げ落ち、世界の最新最前
線の学究レベルには無い」と。
日本人が日本人を馬鹿な日本人
にしようとした国家政策は大成
功を収めた。
かくして、そうして作られた
頭の働きの弱い日本人は、今や
中年となり、企業や行政や学校
機関において中堅の中心どこに
なっている。
日本が衰退する一途であるのは
当然の事なのだろう。
国の中心的層が大馬鹿世代に
なったから。年だけ取った幼児
のような。
作る製品を見てさえすぐ判る。
日本のオートバイが今はもう
世界最低レベルに転落した事
が如実に現れているからだ。
世界最高峰グランプリで今は
日本製オートバイは最下位し
か走れない。
世界の頂点に君臨したのが
日本のオートバイ、日本製
の二輪でないと競技にならない、
という40年間続いた地球王者
だった時代は過ぎ去ったので
ある。
日本がまだ創造的、躍動的だっ
た時代。国内の旅模様さえ創造
力豊な事を日本人はやっていた。
斬鉄剣小林康宏工房訪問時。
せる。着帽飲食は遠足の外で
の食事程度だ。
らだ。
る男だらけになった。
被っているいい年した大人
(成人以降)。
であるのは確定事項だ。