渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

モーターサイクル用ブーツ

2023年10月04日 | open


マッケイ・ブレイク製法。



グッドイヤー・ウェルト製法。


どちらも同じメーカーの製品。
それぞれに利点と弱点がある。
かつてのレーシングブーツは
マッケイ・ブレイク製法が多
かったが、今はセメント製法
が主流のようだ。
今のレーシングブーツはまる
でスキー靴のような感じ。

丈夫さならばグッドイヤー・
ウェルト製法だが、しなやかさ
ならばマッケイ製法に分がある。
それぞれ持ち味があるので、ど
ちらかが一方的に優れていると
か劣るとかいうものではない。


【NSR250R VS CBR400RR】白熱トップ争い

2023年10月04日 | open

【NSR250R VS CBR400RR】
白熱トップ争い‼︎ 2スト4ストどっちが速いの⁉︎
まさか20年のレース活動初体験⁉︎
筑波ロードレース選手権TC400クラスTC250
クラスレース動画‼︎



これは面白い。
昔のFⅢレースみたいだ。
2スト250対4スト400の対決。
個人的には2ストを応援して
しまう(笑
スプリントレースは2ストで
しょ、みたいに。
当時は単純に速度等の能力が
高い順番は
GP250純レーサー>4ストFⅢ
マシン>2ストFⅢマシン>プ
ロダクション2スト250>プロ
ダクション400
だった。
レーサーだけは別物でダントツ。
公道市販車とはまるで違った。
そりゃ競技専用車だったから。
安全性も頗る高いのが純レー
サーだった。

車両特性なりの選手の走らせ
方が往時を思い出させて面白
い。
2ストのロケット加速に対し
て4ストの直線の伸びと最高
速の対決がたまらなく面白い。
予選1分6秒台は昔のコースで
の4秒台位。動画のこの速さで
も80年代なら全日本では予選
落ち。
80年代初期は全日本のノービ
スGP250が1秒台後半、FⅢで
3秒台あたり。
90年頃になるとそれが更に2秒
程縮まった。
国際A級GP250では、87年時点
で58秒台だった。清水選手と
本間選手が異様に速かった。
500よりも速いタイムを250で
出してた。
ちなみに、1983年時点でもし
フレディ・スペンサーが筑波
を走ったら何秒かとか言われ
た。多くのレース関係者の間
では「フレディなら57~58秒
あたりだろう」と語られてい
た。

この動画の筑波選手権のレース
では、
トップ争いをした#14の
NSR
の人のフォームがとてつも
く美しい。
身体柔らか~い。
実に良い。
こういうのが「乗れてる」と
いうもの。
こういうガチバトルがいつも

だったのだから、やはり80年
代のレースというのは観てい
るほうも熱くなったのも思い
起こされる。
1983年~のバリ伝時代、二輪

レースは最高に面白かった。
また、世の中も今のしょぼい
チンケな時代と違って面白か
った。
今の救いようがないしょっぱ
い時代、こ
うした旧式車が参
加できる形
でのレースがたと
え地方選手
権であれ、タイト
ルレースと
なっているのは素
晴らしい事
だ。
今の全日本の金太郎飴車両競
争よりも
ずっと面白いと思え
る。



割り勘

2023年10月04日 | open









何だよこれ。ケチくせえ。
今の子たちこんなことしてんの?
40過ぎのいい中年が。
割り勘といったら、飲もうが飲ん
でなかろうが、食おうが食って
なかろうが、等分割りを割り勘
いうのだよ。予算未定の会費
みたいなもんで。
で、別なケースとしては、同級
生だろうと、「俺、2万出しと
くよ」とか「俺3万出すから、
あとは割っといて」とかいう
がいたりするのがフツーだよ。
少人数の時は、「ここは俺が
出しとくから次の店頼むよ」と
か、「きょうは俺がもつから
次回はよろしくな」とか。
それが同級生とか同窓生や仲間
内というもんだろに。
まして、俺などは後輩や年下の
子や部下がいたら絶対に出させ
ない。
オフシャルの会費制食事会以外
のプライベートでは。
「いつも世話になりっぱなし
だから」とか後輩が言ったら、
「お返しは次の世代の人たちに
してあげて」と言う。
だって、俺自身が先輩や上司た
ちから散々そう言われたし、そ
うされて来たから。
だから、俺も次世代の人たちに
は負担をかけたくないだけ。

しかし、ネット記事の同窓会、
何だ、このセコさは。
ゆとりたちか?

マナー違反とか、マナー警察
ぶってるライターも、俺から
言わせりゃトンチキだよ。
マナーって何よ?
礼儀作法の事をマナーとかエチ
ケットというんだぜ。
割り勘にマナーみたいな不定式
なもんあるかっつーの。
スパッと均等に割るのが割り勘。
そこに、誰かの心意気が入った
りするのが飲み会や食事会だ。

どうにもチンケでしょぼい奴ら
ばっかになったなぁ。
まじで、くっだらねえ時代だ。
しょーもな。
ビールでも飲んで、映画観よっと。


白バイ乗り

2023年10月04日 | open


白バイ隊員は完全にハングオフ。
ただ、インの膝を開かないだけ。

『汚れた英雄』が帰って来る!

2023年10月04日 | open

『汚れた英雄』予告篇【4KSDR】

2023年10月13日、あの「汚れた
英雄」が帰って来る!
北野昌夫が不死鳥のように蘇る!


4Kデジタル修復版とDolby Atmos
2023 Remixで鮮やかに蘇える。
『汚れた英雄』4Kデジタル修復
Ultra HD Blu-ray【HDR版】
(4K Ultra HD Blu-ray+Blu-ray+
CD 計3枚組) 2023年10月13日(金)
発売。(角川広報より)

角川から公式に公開された予告編
を観ると、貴重なシーンが収録さ
れている。映画本編では短縮カット
されたシーン。
それは、ここ。


これは、主人公北野昌夫が自宅の
プールから上がって、プールの
傍らに置いてある世界グランプリ
を走っていてクラッシュした時
のヤマハTZ500の残骸に寄り添う
シーンだ。
北野昌夫はそれにより丸一年世界

グランプリから遠ざかり、再び
全日本選手権参加によって世界を
目指そうとする。
その再始動が本作品の物語だ。
復活の北野昌夫、蘇るヒーローと
の副題は物語のストーリーを表現
していた。原作小説とはかなり
異なる現代版(1982年当時)とし
独立作品。
映画本編ではこの残骸の後輪を
回すシーンでは北野昌夫は無言
だったが、この
予告編では草刈
正雄は何か台詞
をしゃべっている。
「一度か二度、地獄を見なきゃ・・・」

という台詞かも知れない。
本作を観た人は分かるだろうが。

本編では無言のシーンだ。













新作リプリントブルーレイは
私は
絶対に買う(笑)。
サントラCDまで付いている
豪華版だ。
買うっつーか、もうネットで
予約した。
10/12に届く(笑
だが、この作品はいくら大きな
自宅モニターで観ても迫力は
伝わらない。実際にそうだった。
1982年映画公開当時のような
超ワイドスクリーンの映画館
で観ないと。
あれには圧倒された。
「圧倒」という言葉しか出ない
程に。
特に北野昌夫の自宅のオーディ

オセットが徐々に姿を現す時。
その豪快さに毎度映画館では
どよめきが起き
ていた。
今のレートに換算すると、女

たちから数億の金を出させて
いたジゴロの主人公が「汚れ
た英雄」の北野昌夫だった。
だが、北野昌夫は金では買え

ないものを手に入れたかった。
それが全世界のサーキットの
最速記録を自分自身で塗り替
える事だった。

映画館では6回観た。
東京・埼玉・横浜の映画館で。
まだ、ビデオデッキが超高額で
あったので映画は映画館。
VHSソフトが出始
めの頃だ。
ビデオソフトが広く普及し始め
た1983年以降、映画は更に身近
になった。
だが、それにより、映画館から
人が遠ざかり、映画界は苦境の
時代となった。
唯一角川映画のみが、原作小説
との抱き合わせ戦略で隆盛をみ
たのが1980年代だった。

世界で初めてブルーに感光する
特殊フィルムを使ったのが角川
春樹の第一回監督作品の『汚れ
た英雄』(1982)だった。
その後、漫才師が映画監督を
やる時に同じフィルムを使って
海外では「キタノブルー」など
と呼ばれたが、角川春樹が世界
初のブルー色調で映画を撮影し
た。
また、サーキットを走るレーシン
グマシンを並走して撮影したの
も『汚れた英雄』が世界初だった。

撮影エピソードとしては角川
督は、撮影後の空き時間に
スタッフたちに移動用スクー

ターでコースを1周する余興
が流行っていたので自分も
やった。すると帰ってこない。
スタッフが別なスクーターで
コースに探しに出たら角川監
はヘアピンで飛んで血達磨
なっていた。
全身包帯だらけで記者会見し、
撮影は続行すると発表した。
下手したら製作中止になっいた
作品が『汚れた英雄』だ。

別な有名なエピソードとしては、
この映画でレースシーンで草刈
正雄の吹き替え
をしたまだプライ
ベートだった
平忠彦選手がいる。
彼はこの翌年に日本チャンピオン
となり、3年連続王座で世界GP
も走ったが、その平さんがよく
マスコミやファンから訊かれた
そうだ。
「自宅にも『汚れた英雄』の
ようなあんな大きなプールが
あるのですか?」と。
しょっちゅ
う。
あれは映画ですからと応えるが
毎回困ったとテレビ番組等で
語っていた。
で、当時は時代が時代なので
平さんはワークスライダーに
だった時も古舘伊知郎の番組
で自分の年収を公開してしま
っている。「600万円程です」
と。
日本一になっても日本のロード
レーシングライダーのプロの
年収はそれ位だった。1980年代
後半で。一般的社会人と変わら
ない。結局あくまで「ヤマハの
社員」の年収基準だったのだろ
う。
それが、海外ならば数億数十億
となる。野球もそうだ。日本で
は1億円プレーヤーさえいなか
った。アメリカでは数十億円
が当時ですでに常識だった。

作品の流れは、資生堂あたりの
化粧品CM映像を繋ぎ合わせた
ような造りで、映画ファンから
は評価が極めて低いが、新たな
手法をいくつも採り入れた点で
私は評価したい。
二輪乗りたちには大絶賛でバイ
ブルとさえ言われた映画作品
だった。
この作品により、日本では空前
絶後のバイクブームが発生した
のは歴史的事実だ。

10/13日発売。
角川映画『汚れた英雄』リプリ
ント版。
大いに期待したい。
観ろよ~、同世代のおっさん
たち(笑


道具を着こなす ~革ジャン~

2023年10月04日 | open

9才、小3横浜。

小学生の時から革ジャン愛用者
だった。
1960年代の小学校の頃は現代の
ような人造レザーは存在せず、
革製品といえばすべて本革
だった。
一部靴ではクラリーノが人造
皮革製品を出していたが、一
般的に人造レザーが普及するの
はずっと後だった。
私は小学生時代は革ジャンは
防寒の為というより、防護の
ために着ていた。冬のスケート
の時に必着だった。自分のスケ
ート靴はホッケーだった。

13才、中2春先(右)吉見百穴。

黒のMA-1タイプも持っていた
が、これはブラウンのスェード。

16才、高1荒川土手。

高校の時は革ジャンは数着を
着まわしていた。一番多かっ
たのが母方の叔父からもらった
1950年代のダブルだった。
叔父が二輪乗りの頃に着ていた
アメリカ製の革ジャン。
後年、かみさんがバイクに乗る

時に着ていた。ダボダボで(笑

17才、高2湘南稲村ケ崎。


高2、大垂水峠。中央私。

MA-1タイプを着ている。
打合せしてないのに同級生の
8人全員が偶然同じタイプの
革ジャン(笑)
この時に来ていない乗り仲間
のメンバーが数名いるが、そ
いつらも普段同じ革ジャンを
着ていた。

1981年、大学3年冬の群馬碓氷峠。

1982年、大4真夏の福山グリーンライン。 

今。一番着るのはA-2タイプだが、
このAVIREXのダブルライダース
も多用している。ホースハイド。
とてもしなやかで着心地が良い。
そして、AVIREXの特徴はパターン
が非常に良く、重たい革も着たら
全く重量を感じさせない。
 
道具を着こなす。
そうした意味合いで革ジャンを
長年着ていたように思う。
これからも革は着る。
仕事着のスーツの上からも革の
コート着てるし(笑

かなり気に入っているカドヤの
ニューコンセプターの初期モデル。
 

左胸の革ラベルに付いている
輪っかが秀逸で、バイクを下
りたらナスカン付キーをすぐ
そこにかけてぶら下げる。
キーを出す時にもたついたり
キーが無くなる事もない。

カドヤのNCの初期型はフロント
のジッパーがむき出しでオート
バイのタンクがガリガリに疵付
くので、自分で本革のフラップ
を縫い付けてある。
今、これは浅草のカドヤさんに
フルリペアに出している。
袖と背中下のゴム部分がボロボロ
になったので。
カドヤさんは自主改造の前フラッ
プもカドヤオリジナルカドヤ仕様
で新しく付け直しする事を提案し
てくれた。
それとフルクリーニングリペアも
ご提案いただいた。
結果、フルリペアとなった。
納期5か月(笑
まあ、そんなもんだろう。
日本刀と同じく手作りだから。

ニューコンセプターの初期型(右)
とセカンドタイプ(左)。

相方の乗り屋はカドヤを愛用
している。カドヤ革ジャンを
滅茶苦茶数持ってる(笑

カドヤとクシタニは日本のレザー
ウエアの二大老舗だが、クシタニ
はレースウエア特化、カドヤは
アーバンライフにも広いライン
ナップを広げている印象がある。
そしてカドヤの製品はデザイン
も垢ぬけている。江戸の粋を感
じる。
クシタニは昔オーダーのレーシン
グツナギとブーツを愛用していた。
最高の出来だった。今、太って
着れない(笑
今も黒の革パンツは愛用している。
クシタニさんの革物は非常に良い。
だが、大昔はカドヤのレーシング
ウエアを日本人の多くはレースで
は着ていたようだ。黒一色の。

カドヤのニューコンセプターは
Vシネマ『クライムハンター』
(1989)で世良公則さんが着て
いた。
それの原型であるカドヤオリジ
ナル。惜しい点は前ジッパーが
むき出しの仕様のみ。(黒線部)





前傾姿勢マシンに乗る時には
後ろの吊り具を外すと背中が
伸びるという設計。
ニューコンセプトだと思う。

NCのバックロゴは、ニューコン
セプターという品名を表してい
る。
LWとは、レザーワーク。
P-RJの意味は、パワード・リムド・
ジャック。
これはカドヤ浅草本店さんに直
に聞いた。

1989年のVシネマ『クライムハン
ター』の中で、はみだし刑事ジョー
を演じた世良公則さんが愛用して
いたのがニューコンセプターの別
ロゴバージョンだった。


ジョーモデルはこちら。



映画の中で世良さんが着用して
いた革ジャンはカドヤ製で間違
いないとカドヤ本店の方はおっ
しゃっていた。提携提供とかで
はないみたい。スタッフかキャ
スト側のチョイスだろう。

この輪っかはとても使える。
あるとないとでは大違い。
通常ダブルライダースは左下
にキー入れのDポッケが付いて
いるが、NCは剥き出しぶら下
げ方式。


カドヤによると、なぜ、LWの
文字を入れたかというと、元々
とニューコンセプターのデザイ
ンモデルは、ナイロンジャケッ
トから始まったので、それと区
別をつけるために、あえて本革
仕様であることをロゴで表記し
たのだそうだ。
数年前に浅草本店の方が教えて
くれた。

ナイロン製のニューコンセプター
もなかなかかっこいい。
特にこのジャケットの色合いは
個人的には好みだ。


ブルーでも水色でも藤色でもない。
独特の発色をしている生地を仕様
している。
どうも1989年の『クライムハン
ター』以降、ニューコンセプター
というと革ジャンのイメージが
定着しているが、最初は化学繊維
のジャケットだった。

それにしても、革ジャンは良い。
革独特の音ってあって、きしむ
ときにギュッという独特の音が
する。
その革の音は1982年の角川映画
『汚れた英雄』のオープニング
シーンで出て来る。主人公北野
昌夫(草刈正雄)がレーシング
トランスポーターのトラックの
中でプロショップ高井のツナギ
のジッパーを上げる時にその音
がする。

都会人は実は革音には誰でも馴
染みがある。
それは電車。「吊革」という位
で、かつては全ての鉄道会社線
の車両の吊革は本革仕様だった。
あれに手をかけていると、電車
が揺れるたびにギュッギュッと
いう革の音がする。
通勤通学で電車を利用する都市
部の人は全員が聞いていた筈の
音。
あれが革の独特な音だ。