マッケイ・ブレイク製法。
グッドイヤー・ウェルト製法。
【NSR250R VS CBR400RR】
白熱トップ争い‼︎ 2スト4ストどっちが速いの⁉︎
まさか20年のレース活動初体験⁉︎
筑波ロードレース選手権TC400クラスTC250
クラスレース動画‼︎
これは面白い。
昔のFⅢレースみたいだ。
2スト250対4スト400の対決。
個人的には2ストを応援して
しまう(笑
スプリントレースは2ストで
しょ、みたいに。
当時は単純に速度等の能力が
高い順番は
GP250純レーサー>4ストFⅢ
マシン>2ストFⅢマシン>プ
ロダクション2スト250>プロ
ダクション400
だった。
レーサーだけは別物でダントツ。
公道市販車とはまるで違った。
そりゃ競技専用車だったから。
安全性も頗る高いのが純レー
サーだった。
車両特性なりの選手の走らせ
方が往時を思い出させて面白
い。
2ストのロケット加速に対し
て4ストの直線の伸びと最高
速の対決がたまらなく面白い。
予選1分6秒台は昔のコースで
の4秒台位。動画のこの速さで
も80年代なら全日本では予選
落ち。
80年代初期は全日本のノービ
スGP250が1秒台後半、FⅢで
3秒台あたり。
90年頃になるとそれが更に2秒
程縮まった。
国際A級GP250では、87年時点
で58秒台だった。清水選手と
本間選手が異様に速かった。
500よりも速いタイムを250で
出してた。
ちなみに、1983年時点でもし
フレディ・スペンサーが筑波
を走ったら何秒かとか言われ
た。多くのレース関係者の間
では「フレディなら57~58秒
あたりだろう」と語られてい
た。
この動画の筑波選手権のレース
では、トップ争いをした#14の
NSRの人のフォームがとてつも
なく美しい。
身体柔らか~い。
実に良い。
こういうのが「乗れてる」と
いうもの。
こういうガチバトルがいつも
だったのだから、やはり80年
代のレースというのは観てい
るほうも熱くなったのも思い
起こされる。
1983年~のバリ伝時代、二輪
レースは最高に面白かった。
また、世の中も今のしょぼい
チンケな時代と違って面白か
った。
今の救いようがないしょっぱ
い時代、こうした旧式車が参
加できる形でのレースがたと
え地方選手権であれ、タイト
ルレースとなっているのは素
晴らしい事だ。
今の全日本の金太郎飴車両競
争よりもずっと面白いと思え
る。
『汚れた英雄』予告篇【4KSDR】
2023年10月13日、あの「汚れた
英雄」が帰って来る!
北野昌夫が不死鳥のように蘇る!
4Kデジタル修復版とDolby Atmos
2023 Remixで鮮やかに蘇える。
『汚れた英雄』4Kデジタル修復
Ultra HD Blu-ray【HDR版】
(4K Ultra HD Blu-ray+Blu-ray+
CD 計3枚組) 2023年10月13日(金)
発売。(角川広報より)
角川から公式に公開された予告編
を観ると、貴重なシーンが収録さ
れている。映画本編では短縮カット
されたシーン。
それは、ここ。
これは、主人公北野昌夫が自宅の
プールから上がって、プールの
傍らに置いてある世界グランプリ
を走っていてクラッシュした時
のヤマハTZ500の残骸に寄り添う
シーンだ。
北野昌夫はそれにより丸一年世界
グランプリから遠ざかり、再び
全日本選手権参加によって世界を
目指そうとする。
その再始動が本作品の物語だ。
復活の北野昌夫、蘇るヒーローと
の副題は物語のストーリーを表現
していた。原作小説とはかなり
異なる現代版(1982年当時)とし
た独立作品。
映画本編ではこの残骸の後輪を
回すシーンでは北野昌夫は無言
だったが、この予告編では草刈
正雄は何か台詞をしゃべっている。
「一度か二度、地獄を見なきゃ・・・」
という台詞かも知れない。
本作を観た人は分かるだろうが。
本編では無言のシーンだ。
新作リプリントブルーレイは
私は絶対に買う(笑)。
サントラCDまで付いている
豪華版だ。
買うっつーか、もうネットで
予約した。10/12に届く(笑
だが、この作品はいくら大きな
自宅モニターで観ても迫力は
伝わらない。実際にそうだった。
1982年映画公開当時のような
超ワイドスクリーンの映画館
で観ないと。
あれには圧倒された。
「圧倒」という言葉しか出ない
程に。
特に北野昌夫の自宅のオーディ
オセットが徐々に姿を現す時。
その豪快さに毎度映画館では
どよめきが起きていた。
今のレートに換算すると、女
たちから数億の金を出させて
いたジゴロの主人公が「汚れ
た英雄」の北野昌夫だった。
だが、北野昌夫は金では買え
ないものを手に入れたかった。
それが全世界のサーキットの
最速記録を自分自身で塗り替
える事だった。
映画館では6回観た。
東京・埼玉・横浜の映画館で。
まだ、ビデオデッキが超高額で
あったので映画は映画館。
VHSソフトが出始めの頃だ。
ビデオソフトが広く普及し始め
た1983年以降、映画は更に身近
になった。
だが、それにより、映画館から
人が遠ざかり、映画界は苦境の
時代となった。
唯一角川映画のみが、原作小説
との抱き合わせ戦略で隆盛をみ
たのが1980年代だった。
世界で初めてブルーに感光する
特殊フィルムを使ったのが角川
春樹の第一回監督作品の『汚れ
た英雄』(1982)だった。
その後、漫才師が映画監督を
やる時に同じフィルムを使って
海外では「キタノブルー」など
と呼ばれたが、角川春樹が世界
初のブルー色調で映画を撮影し
た。
また、サーキットを走るレーシン
グマシンを並走して撮影したの
も『汚れた英雄』が世界初だった。
撮影エピソードとしては角川
監督は、撮影後の空き時間に
スタッフたちに移動用スクー
ターでコースを1周する余興
が流行っていたので自分も
やった。すると帰ってこない。
スタッフが別なスクーターで
コースに探しに出たら角川監
督はヘアピンで飛んで血達磨
になっていた。
全身包帯だらけで記者会見し、
撮影は続行すると発表した。
下手したら製作中止になっいた
作品が『汚れた英雄』だ。
別な有名なエピソードとしては、
この映画でレースシーンで草刈
正雄の吹き替えをしたまだプライ
ベートだった平忠彦選手がいる。
彼はこの翌年に日本チャンピオン
となり、3年連続王座で世界GP
も走ったが、その平さんがよく
マスコミやファンから訊かれた
そうだ。
「自宅にも『汚れた英雄』の
ようなあんな大きなプールが
あるのですか?」と。
しょっちゅう。
あれは映画ですからと応えるが
毎回困ったとテレビ番組等で
語っていた。
で、当時は時代が時代なので
平さんはワークスライダーに
だった時も古舘伊知郎の番組
で自分の年収を公開してしま
っている。「600万円程です」
と。
日本一になっても日本のロード
レーシングライダーのプロの
年収はそれ位だった。1980年代
後半で。一般的社会人と変わら
ない。結局あくまで「ヤマハの
社員」の年収基準だったのだろ
う。
それが、海外ならば数億数十億
となる。野球もそうだ。日本で
は1億円プレーヤーさえいなか
った。アメリカでは数十億円
が当時ですでに常識だった。
作品の流れは、資生堂あたりの
化粧品CM映像を繋ぎ合わせた
ような造りで、映画ファンから
は評価が極めて低いが、新たな
手法をいくつも採り入れた点で
私は評価したい。
二輪乗りたちには大絶賛でバイ
ブルとさえ言われた映画作品
だった。
この作品により、日本では空前
絶後のバイクブームが発生した
のは歴史的事実だ。
10/13日発売。
角川映画『汚れた英雄』リプリ
ント版。
大いに期待したい。
観ろよ~、同世代のおっさん
たち(笑