ダサイタマの言葉の発明者は
所ジョージさん。
自虐ネタでやり始めた。
ただ、あくまでネタなのに真
に受けてシャレで返さない今
回のような例が埼玉であり、
そういうのがダサいのだ。
ダサいたまと呼ぶのは東京と
神奈川の人間だけで、他の県
民は言わない。言ったとした
らトンチキになる。
それは、他は埼玉以上に田舎
として首都からは見られてい
たからだ。
半世紀以上前から首都圏で区
があったのは東京特別区と横
浜だけだったが、その場所
からしたら埼玉はダサイタマ
で、それ以外は論外の田舎扱い
であったのは事実だ。
なので新潟の田舎もんがそれ
を不思議に思って漫画化した
のも分かる気がする。
さらには、地方人には理解で
きないだろうが、ダサイタマ
の中にもランクがあった。
県庁所在地の浦和市がダントツ
でハイソで上品。今の浦和
レッズサポーターは多分昔から
のジモチーではない。浦和人
らしからぬ下品野蛮な振る舞
いには昔からの埼玉県人の多
くが驚いている。
浦和の次に大宮市が準東京風味
だった。田舎だけど。
そして、工業地帯の川口市は
治安も悪くデトロイトのよう
な市だった。
隣りの蕨市は浦和に次いでお上
品な市だ。
さらに隣りの戸田市は中学など
が埼玉県で一番野蛮。大宮市
の某中学とワルのトップ争い
していた。「愛と誠」の時代
には。
そして、こうした色合いは東京
にもある。
山手線の中が旧江戸で、そこは
東京意識が極めて強い。
だが、畑のある世田谷区あたり
の在の連中が何を思ってかハイ
ソであるかとここ30年ほどで
ど勘違いし始めた。
目黒ならまだ分かる。
だが、世田谷区、板橋区、練馬
区は、実は都内特別区の中でも
「区外」の印象を持たれている。
逆に下町のほうは「我関せず」
で関与しない。
ただ、葛飾区の人間が江戸っ子
ぶるのには本物の江戸下町エリ
アの人たちには抵抗があるよう
だ。葛飾などは全く江戸では
ない外の外だからだ。村。
谷中、浅草、神田あたりが江戸
の下町だ。
要するに、地域見下しというの
は、ありもしないヒエラルヒー
を設えて、「自分より格下」と
思いたい選民意識、「自分より
格上」と思い込んでしまう低俗
な妬み意識に基づいている。
いずれもくだらぬ下世話な根性
だ。
ただ、「ダサい」というのは
何がダサいのか理解していな
いと、その時点ですでにダサ
人種に自分がなってしまう。
世の中、くっそダサ人間はかな
り多い。
ネタにマジレスかこわるい、と
いうのを真顔でやる埼玉県、
やはりダサいと思う。
神奈川県のようなサラリとシャ
レを警察でさえ利かすくらい
でないと。
神奈川県警などは、ふしぎな
おどりさえも、あくまでパフォ
ーマンスであると自覚してや
っている。
面白いのが、神奈川県警の知
り合いは何人もいるが、あん
たホントに警察官?というよ
うなのばかりなのだ。
かなりの練り者の曲者(笑
カチコチくそ真面目一辺倒な
のはダサいのだ。臨機応変さ
もなくて。
これは大昔からそうした感覚
で人は見られていたようで、
朴念仁とか石頭とか堅物とか
融通が利かないとか垢抜けない
などと言われていた。
田舎人ほど華麗な立ち回りが
苦手だからだろう。
お笑いのツボがまるでずれて
いる地方もある。
全く面白くもない事をジモチー
は面白いようだ。
それは、言葉尻を執拗にとらえ
たり、喋り方の滑舌の悪さや
吃音をあげつらって笑う。
信じがたい事にそれをいくつ
もCMにして笑いと思って
いる広島県という地方もあ
るくらいで、私からしたら
集団的脳溶解地区なのか?
とも思う。
そして、それらの感覚は、日常
でも各所で噴出している。
これは、特例的に種族が他の
日本人とは異なる一例だろう。
世の中いろいろある。
ただ、埼玉県をダサイタマと
言う東京人も、実は板橋区や
練馬区の人たちは居住地に引
け目感じている現実があると
か、都民でないと知らないで
しょ?
イタバシーナがシロガネーゼの
港区住民とかと出会ったら卑屈
になったりする。
確かに港区は特別なエリアで、
一戸の筆頭者の平均年収が一千
数百万円超えという高所得者
集住エリアだ。
そして、港区は千代田区と並
ぶ江戸の中心。交通至便、
文教学術文化創造エリアで
ある。
車のナンバーは品川ナンバーに
なる。
品川は江戸ではない宿場町だが、
日本国内では品川ナンバーが
最高のステータスのようなイメ
ージが持たれている。
車のCMでも、なにわナンバー
が使われたりはしない。北九州
ナンバーとか。
そうした、ありもしないピラミ
ッド構造を意識の中に作り上げ
ているから、他地区を見てその
土地だけを理由にダサいとか
見当違いの事を言ったりす
る世田谷、もとい、世俗現
象が生まれる。
でも、ホントにダサいのはダサ
いけどね(笑
それって、その地域だからそう
なのではなく、そういう事を
やってるからそいつがダセえの
だし、そのエリア丸ごとダサ
い事になってしまうのだけ
ど。
やってるのは同じ日本人の筈
だが、世の中どうやらそうで
もないらしい。
所により色は確実にある。
ちなみに「ダサい」の語源は
江戸期からある。
「田舎」を「だしゃ」と変え
読みした事から来る。
その読み替え自体が江戸人の
皮肉と同時に洒脱な感性に
基づいていた。
おしゃれをしゃれおつと呼ぶ
ようなもの。「おつだね」とも。
ダサいというのは、言う江戸
っ子はかるーくいなしてるの
だが、それを真に受けて真
顔で顔真っ赤というのが、
まさにダサいのだ。
そういうのは江戸時代には
浅葱裏、とも吉原あたりで
は言われた。田舎もんが江戸
に出て来て威張り散らす田舎
侍を江戸市民が嘲笑う文化だ。
ダサいのの典型が、幕末に新
政府軍として江戸に来てでか
い顔してた薩摩勢であり、
それを江戸庶民は「イモ」
と呼んだ。
そうなのである。
ヒエラルヒーを作り上げて、
権力を笠に着る奴らが一番
ダサい。
そして、それにへこへこと
追従して良市民ぶってる提灯
持ち、太鼓持ちのような連中
はもっとダサい。