「高校時代は何してたの?」と
訊かれる。
「ララバイの研二君やってた~」
と言うと通じなかった(笑
バイク乗りじゃないからだろう
な。
1980年代のある日。
東名高速のSAで高速道路料金
の訴訟原告団組織化で二輪乗り
を片っ端から一本釣りオルグ
をしていた。訴訟原告団事務局
全員で。おいら編集局長。
その時、カワサキに乗ってSA
に入って来た人がいた。
訊くとララバイ作者本人だった。
なんでもその日納車でバイクを
取りに行った帰りだという。
その時の納車の話は後にララバイ
にも掲載されていた。
オルグった。
すると、「社会的な事には興味
ない」との事で、高速道路料金
訴訟へは不参加を意思表示した。
まあ、それはそれでもいいさ。
某バイク雑誌出版編集部含めて
バリ伝組は合流してくれてたし。
ただ、ちょっとがっかりはした。
バリ伝も好きだが、ララバイは
研二君の在り方が私の高校時代
そのもののようだったからだ。
作品も大ファンだった。
ちょ!とは思ったが、まあ人は
それぞれ。無理強いはしない。
手弁当で毎週広報活動をSAで
続けて、雑誌やマスコミにも
大々的に取り上げられ続けた
おかげで、原告団は16000名
を超えた。
そして、ライダーたちが自分
たちの力で社会を変えた。
これは歴史の中ででかい。
でかい事をやった。歴史を
変えたのだから。主体の側
が自分らの力で。
現在の二輪枠の高速道路料金
が出来たのは、われら二輪乗り
が自分たちで1980年代に行動
を起こしたからだ。
多くの芸能人たちも賛同して
合流してくれたのも嬉しかっ
た。
私はもう研二君ではなく、社会
とのつながりの中で自分を見つ
める一人の社会人だった。
あの社会運動が無ければ、私は
自分の事だけが大切な研二君
のままだっただろう。
オートバイに関しては。