渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

2023年10月08日 | open
 

バンクコースでどれほど圧が
かかるかというと、これ位。
タイヤは潰れ、フロントサスは
沈み切っている。
300km/h超の世界。
 
ヤマハのこのインラインフォー
の変則右出しチャンバーはとて
もカッコ良かった。
レーシングマシンはカッコでは
なく内実が先で、あとから形が
できてくるものではあるが。


若き日の世界王者ケニー・ロバ
ーツ。
彼こそが歴史上唯一「キング」
呼ばれた。
 
レース中に死亡した世界チャン
ピオンのヤーノ・サーリネンが
始めて、ケニーが完成させたこ
走法は、21世紀になる現
代ま
もロードスポーツモ
デルの
り方の一つのお手
となってる。
マシンを立てるためのもので、
とても安全で合理的な乗り方
だ。
私は高1の1976年からこの
り方。当時はハングオン
とい
う呼称さえ存在しなかっ
た。
私とヤマハ系レーシングチー
ムの仲間は公道でもこれだっ
た。ごく普通にブレーキは
2本がけで、ブリッピングし
ながらシフトダウンして行く。
それは16の時から当たり前の
操作としてやっていた。
高校時代、実は無転倒だ。
コースでも公道でも。
日本の教習所では危険である
としてハングオフを教えるど
ころか蛇蝎のように嫌って忌
避している。逆に別な危険
乗り方を教えまくってい
る。
オフロードやUターンで必須
のリーンアウトさえ危険な乗
り方としてやるなと大嘘を教
え込む。
そして、ブレーキはリアを使
え、と。
結果として、教習所の嘘を鵜
呑みにして実行する「考えな
い人たち」による不合理で出
鱈目な車体操作での事故が
を絶たない。
旋回中にはクラッチを切れ、
などと大型二輪教習で教えて
いる教習所もある。
他にも危険な嘘乗り教えが
盛りだくさん。
教習所って、あかんやつ。
だが、ジャニーズ事務所の世界
史的性犯罪がずっと周囲によっ
て黙認されて来たように、教習
所の危険な運転指導を指摘して
弾劾したり是正する動きは社会
には無い。
ちなみに、白バイはブレーキは
2本がけで実行している。
そして、イン側の膝は開かない
が、急速旋回中には完全にハン
グオフで走っている。
ロードレーサーが立ち上がりで
膝を閉じた時のようなフォーム
で。
 
ケニーの乗り方を再現していた
平忠彦さん。美しいフォームだ。


1982年の映画『汚れた英雄』
では、主人公北野晶夫(草刈正
雄さん)の吹き替えは平選手が
やった。

まだ開設当時のままの1982年
の富士スピードウェイのピット。
私が高1の時から通ったFISCO
このピットだった。
ブロック塀(笑
三菱地所の所有時代。
 
『汚れた英雄』は浅野温子が
21才の時にかなり年上のチー
ムスタッフの役を演じた。
浅野温子は私と同学年。
一度、まだ20代前半の頃、ある
場所で彼女を間近で見た事があ
る。
その時はぺったんこの靴を
彼女
は履いていたが、私よ
り10cm
ほど背が低かった。
細いの。
映像で観るよりもずっと遥
かに
愛かった。
なぜ『あぶない刑事』ではあん
キテレツ妖怪ババアみたい
キャラを演じたのか(笑
 




 

跨り心地の良い二輪

2023年10月08日 | open
 


ロードで知り合った遠くから来
た人が二輪に跨らせてくれた。
ライトウエイトのアドベンチャー
モデル。
非常に感触が良かった。
こういうのも面白そうだね。
私と同世代の人。かつてはレー
サーレプリカ一辺倒だったと
う。

暑い時でも、走り込みの時には
おら革着るだ。
 
さて、帰りますか、と峠を共に
下る。その人が前で。
「ゆっくりとおりまーす」と言
ていたので「りょーかーい」
返したが、結構なペースだ
た(笑
アドベンチャーマシンなのに、
ハングオフしていた。俺もだ
けど。
あれだな。
バリ伝の「かるーくね」パターン
だな、同世代君(笑
 
 

風が寒い

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風が寒い。
皆様も防寒対策ぬかりなくね〜。

革を着る

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お盆の翌日のトワイライト
ゾーン。

革を着る。
真夏でも。
だが、それは走りの場面に
よる。


石田えりさん

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石田えりさんである。
私と同学年。
可愛いかった。
女優さんとして独特の空気
を持つ人。

特に1984年のドラマ『昨日
悲別で』が切なくて最高に
よかった。
物語の中での愛称は「おっ
ぱい」だった(笑

このメットほしい(笑



立木大和のコーチがいる(笑

だが、セクシー女優(現代のAV

女優ではなく)と呼ばれた彼女
だったが、私自身はあまりピン
と来なかった。
色気よりも別な独特な雰囲気を
持つ女優さんだったからだ。

彼女の出演作で最高なのは
私は『釣りバカ』シリーズ
初期の「みち子」さん役だ
と思う。
原作を大きく逸脱している
キャラだったが、完全に石田
みち子さん像を造り上げてい
た。




女優という仕事は男優よりも
キャラが立っていないと映像
の中で映えない。男優も勿論
そうではあるのだが。

演技以前にオーラ的なものは
女優のほうが強く必要とされ
るのではなかろうか。

ただ、いえてるのは、毒も何
もないキャラクタは、匂いが
ない。つまり味もそっけもな
い。
つまらない予定調和の優等生
音楽のように。
俳優たちは音楽をやる人間と
同類種族の「表現者」だ。
自分色の無い人間は残れない。


しょぼい旋回

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ショボい旋回(笑)。
だが、二輪の原理はオートマ
もマニュアルも同じ。
高校時代はこれをサンパチや
CBやマッハでよくやっていた。
なぜ?
それは急激に方向転換して
猛ダッシュしなければなら
ない状況が多かったから(笑
白い騎士さんサヨウナラ~と。

でも、こんなことは、70年代
の二輪乗りは誰でもできた。
1981年、RZ350が出た時、即
買ったが、ショップの人は私
に訊いた。
「アクセルターンできますか?」
と。
私は「できますよ~」と答えた。
すると店員さんは言った。
「そうですか。ならよかった。
左右2回ずつアクセルターン
させたらリアサイドのタイヤ
の皮むきはオッケーです」と。
そういうのが常識だったのだ。

今は二輪に乗る人間は立ちごけ
するのが世の中の常識らしい。
その常識、根本から間違って
ない?
俺ら70年代世代のじじいたち
に若い連中がおくれを取って
どうすんのよ。

 


航海日誌

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何月何日何時何分、どこをどの
ように走ってどうだったか、と
いう記録をつけている。
マシン整備の全内容、走行距離、
走ったルート、路面と周辺状況、
走り方、出会った人、あった事
等を克明に記録している。
これは船長が記す航海日誌のよ
うなもの。
1980年代前半にレース活動して
いた頃にはコースだけでなく一
般道を走る時にも記録をつけて
いたが、その後はやめていた。
ここ5年ほど前から再び記録を
つけ始めた。

実は、この記録、とても役に
立つ。
一番の効果は走りのルートを
記録を手書きでつける事で反芻
する事だ。
これがデジタルの自動記録だと
単なる記録だけになる。
自分の頭で思い出しながら記録
をつける事に意味がある。
こと二輪に関して同じミスを私
犯さないのは、この反芻行動
より再検証して自然に自己総
しているからだと思える。
記録を残す事に意味があるので
はなく、その走行の足跡を辿る
事により自己検証作業をしてい
るのだ。ただの日記ではない。

なんでもデジタルシステム頼り
だと、確実に人間力は低下する
と思う。
私は、その認知力という人とし
ての知力が公道走行に不適切と
自己判断した時、二輪を含む
全ての車両の運転はやめようと
思っている。運動能力も大切だ
が、自己認知力が低下するのが
一番危険だと認識しているから
だ。

オートバイは12才から乗り始め、
四輪は13才時にマニュアル車を
「ごく普通に」運転できるよう
になった。ヒール&トゥを使って。
二輪の免許は16才になってすぐ
取得し、公道を走り始めた。
ことしはオートバイ運転開始か
らちょうど50周年になる。
年齢は63才になった。
年齢的なものから、残された走
れる時間はそれ程無い。
別な言い方をすると、二輪に
乗れるのは今しか無い。

二輪での公道転倒は1985年秋
の道志みちでの集団引率の時
の左コーナー以来無い。
それまでは、コース以外では
無理しすぎで飛んでいたが、
あの道志道は速度と不適合で
寝かせ過ぎてコテンとフロン
トから転んだ。サスを沈めず
にタイヤのグリップだけで寝
かせたからだった。

私は転倒原因は徹底的に自己
検証する。
よく転んだが、同じ転び方は
ていない。「またかー」とい
うのは無い。「またか」をやら
かすと、三度目も必ずあるから
だ。
これは死んだ先輩が私に常々
言っていた事だった。
「二度ある事は三度ある」
つまり、同じ過ちは二度繰り返
してはならないのだ。
二輪での転倒は全て自分のミス
だ。横から他の車両が突っ込ん
で来たり、隕石が落ちて来て
直撃しない限り。
路面状態が悪く、滑りゴケして
も、「誰もがこれでは滑る」と
いう状況であっても、転ぶのは
自分だ。コースにオイルが拡散
しているのに選手を走らせて
死亡させたりする過去に幾度と
あったレースオーガナイザーの
責任とかではないのが公道だ。

数年前、阿蘇で転倒したなにわ
ナンバーの知らない人を救助し
たが、その人は「これ!行政
はなんもせんのんかいな!」と
憤っていた。
心得違いだと思う。
私はその同じ場所で転んでは
いない。
転んだのは自分だ。
行政は転んでくれとは頼んで
などない。
自分のミスを自分のせいと認め
ず、他人や誰かのせいとしたが
る人間は二輪になど乗るべきで
はないと私は考えている。

その考えが支柱にあり、自己
検証と総括をし続ける。
結果、その重要さに実質的に
「これか」と気づいた1985年
秋以降は現在まで無転倒だ。
きっかけは、柳沢雄造さんが
私に直に知らしめてくれた。
彼は恩人である。
彼は自分に厳しく他人にも厳し
い人だったが、今の時代、あま
りそういう人はいない。
現代はコンプラばやりで、ドカ
ンチが良市民ぶって大手を振っ
ているからだ。
コンプラ風潮などは、それも
ただの「流行」でしかない。
私は流行には興味は無い。
だが、その結果として得られた
のは、38年間の公道無転倒と
いう事実だ。
事実は雄弁に真実を物語る。
人の世の定理だ。
流行などは一切関与しない。