渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

旧友と19年ぶりに再会(予定)

2023年10月09日 | open





東京の親友がおバイクで四国
まで来るという。足伸ばして
おいらの家に泊まるとの事で、
ちょいツーに一緒に行く予定。
朝、高松で予定解散だそうで、
瀬戸大橋真ん中の島「与島SA」
までおら迎えに行くだ。
で、先日下見した鷲羽山スカイ
ラインを走って、ヤードに行く
予定。
あとは、つらつらと二人でちょ
いツーしながら尾道でラーメン
食って、夜は三原市内の割烹で
和食で飲み会だい。

会うのは実に19年ぶりになる。
奴が東京本社から博多転勤の
時に九州の部屋に泊めてもら
った。その時、初めて糸島
てとこに一緒に行ってみた。
まあ、学生時代の仲間っての
はいいもんだよ。付き合いは
長く続く。長く会わなくとも。
思うに、学生時代を共に過ご
したというのは、同世代な訳
で、それがつきあいの長続き
の要因のようにも思える。
あと、学生時代に共に何を
やっていたかだよな(笑
これ、かなりでかい(笑
同じ時代に同じ空気を吸って
生きていた。圧縮空気の中で。

 生きている
 毎日自主講座という栄養をとり
 “友と語る”という清涼飲料剤を
 飲み毎日精力的に生きている
 生きてる 生きてる 生きている
 つい昨日まで 悪魔に支配され
 栄養を奪われていたが
 今日飲んだ“解放”というアンプルで
 今はもう 完全に生き変わった
 生きてる 生きてる 生きている
 今や青春の中に生きている

てやつよ(笑
分かる人にしか分からない
だろう有名な詩だけどさ。


TAD遣いという種族

2023年10月09日 | open


1970年代中期までに作られた
TADキュー。TADコハラ氏の
鑑定書撞き。コハラ氏自身が
晩年にフルリペア。たぶん
74~75年製。


1995年製TAD。TADコハラ製。

私はTAD遣いだ。
初めてTADキューを所有して
使ったのは1980年代。
ステインのプレーンタイプ。
そして90年代に再びTADと
出会い、さらに1970年代製
のTADキューと出会った。
私はTADキューの能力に魅せ
られた種族の一人だ。
私は「TAD遣い」である。
「遣い手」ではないが(笑 
ただ、私の撞き方は「TADを
使う人間」の撞き方であり、
そのような撞球スタイルだ。

2本のTADコハラ製のTADカス
タムキューとは別に、あと2本
TADにそっくりなキューを持っ
ている。
2本とも私のオリジナル。
そのうちの1本は私が作った。
デルリン素材やパーツはキュー
リペアマンのバディ藤田さんが
廃業する時に貰った。「キュー
を作る時に使ってください」と。
人間的にも仕事内容も国内最高
峰の仕事師だった。同学年の気
の合う男だった。彼とは不思議
な(本当に不思議な)縁で繋が
っていた。世の中、縁がある
無いはきっぱりと存在している。





自作のTADコハラインスパイア
モデル。未熟ながら私の集大成
だ。
これが存外、出来が良い。
出来というのは撞球性能が。

材料は私自身が30年寝かせた。




サンマーメン

2023年10月09日 | open
 

広島の地にいてハマのサンマー
メンが食べられるこの幸せ。
食品会社、いい仕事してる。
大洋ホエールズを応援したく
なる(ねーよ、もう)。
 
 


 

二輪の走行時間

2023年10月09日 | open
 


高校大学の時には延々と長距離
を走り続けた。
練馬から日光などは片道150km
なので近場だが、四国に東京港
からフェリーで渡り、徳島から
今治まで海岸線を走った時は
下道250kmなので多少あった。
その間、ノンストップだ。
学生時代には原付50で神奈川
川崎から広島県三原まで24時間
以内に走り抜いた。
途中何度か休憩はしたが、基本
は給油して即走り出し。
トイレ休息や食事はパッと済ま
せ、タイヤをチェックし、チェ
ーンを締めてまた走り出し。
実走行は21時間ほどで800km
を走り切った。

アラシックスでも夜明け前に
広島県三原を立って阿蘇まで
450kmを走っている。6時に
広島県内宮島SAで集合し、6時
半に出発して朝8時台には別府
で給油していた。
そこからやまなみハイウェイを
通って、途中で腹にハンバーガー
を詰め込んで阿蘇の外輪ルート
を一気に走った。
食事と給油を除けば17時間程
走り続けだ。

これは夜明け前の午前3時に家
を出ての午前中の阿蘇。

この歳で1日走行750kmとかは
ここ2~3年で何度もやっている。
ちょいとハードだったのは、九
州の行橋市まで行って平尾台を
走って飯食って帰って来た日帰
りの時。
あれは同じ750km走行でも、
密度が濃かったので、ややきつ
かった。還暦だからなぁ(笑

大学の時の50原付(49cc)での
ハマからの800kmは、さほど
きつくはなかった。若いから。
ただ、いつまで経っても到着
しないので「200km/h出ねえ
のかよ」と途中思った。眠く
なるのだ。
その時、生まれて初めて「関
東炊き」という謎のおでん
もどきを知った。明石のR2
沿い街道の屋台で。
あんなの関東には無いよ(笑
ギトギトの真っ黒い醤油ダレ
でおでんの具を煮込んでいる。
試しに食べたがしどいもんだ
った。醤油にすりゃ関東だと
いうステレオ思考におったまげ
たが、当時はネットもなく、
また、テレビ放送も東日本
と西日本できっぱり分かれて
いた時代だ。東京で関西弁を
話す人間はほぼ皆無だったし、
それは関西にあってもそう。
関西で「だからさぁ」なんて
口にしたらシカトされたし、
北九州などでは「なんか、
きさん!東京もんか?くら
すぞ(殴るぞ)、ゴルァ!」
と胸倉掴まれるのがオチだった。
これ、まじで。(後輩が経験
あり)
中華人民共和国では自動車な
どは党幹部しか乗っておらず、
中国人民全員が国民服を着て
自転車に乗っていた時代だ。
上海と香港(英国領)を除いて。
韓国は軍事独裁政権で一切の
自由は存在しなかった。
無論、モーターサイクルレース
を開催しているのはアジアでは
日本のみだった。
日本は世界第二位の先進国で
あったからだ。アメリカの次。
しかも、圧倒的な豊かさだった。
中国、北朝鮮、南朝鮮などは
極貧国だった。また、周辺アジ
ア諸国も同。
なので、アジア人の多くが日本
に出稼ぎに来ていた。
今、南米やフィリピン、ベトナ
ム、タイ、インドネシア人が
多く日本に来るように。

一日の走行距離は各人によるが、
本当の事をいえば、1時間ちょ
いくらいで休憩を取るのが望ま
しいのでは。
疲労運転回避のためだ。
私は高速道路では2スト250の
場合140km程しか走らないの
で、給油の毎に今は数分休憩
を取るようにしている。
400の場合は180kmで給油。
給油してそのまま走る事も
たまにはあるが、給油時が
丁度1時間強~2時間の連続
走行になるので、休憩には
良い頃合いだ。

休息も山歩きや行軍と同じで、
食事以外では20分以上休息を
取るとかえって疲れる。これは
アウトドア活動をする人はよく
知っているだろうが。
休憩は10分ちょい程度が疲労
蓄積回避には良いようだ。

岡山県のモトカフェZ-YARDな
どはうちから50kmちょいなの
で、ほんの近所だ。上を使え
ばゆっくり行っても40分程で
着く。
店に到着するまでに周辺の高原
ロードを満喫してから店に行き、
そして帰る。すると一日で大体
300km程の走行になる。
日帰り乗りには丁度いい塩梅
の距離。
ベースがあるのは助かる。
そこで一服つけて休憩してから
「さ、けえんべ」とやれるから。
帰りは弾丸ですぐに家に着く。







原チャ

2023年10月09日 | open
 


友人知人の中には、原付スクー
ターは何か嫌だとか、ギア付き
ないととか、モペットなど
には
乗る気は無いとか言ってる
のが
何人かいる。
もったいないなぁと思う。
自分の好みは自由だが、自分で
世界を狭めているからだ。
 
スクーターなんかで、ストトン
街を行くのは気持ちいい
もん
ぜ。


ちょい乗りの買い物にも便利
だしよー。
 
何よりも、原チャリは街に溶け
込む。特にスクーターあたりは。


 
お、いいかも。いいね〜!


異議なし‼️


どんな格好で二輪に乗ろうが
そんなのは自由なんだよ。

原付普及応援 ~げんチャんねる~

2023年10月09日 | open
 


原付バイクげんチャんねるの
ちょこみさんキーホルダーを
買っただよな。
 
日本の二輪の歴史を支えた原
付が消滅するのは寂しい。
原付普及広報に貢献している
げんチャんねるの社長と社員
のちょこみさんを応援したい。
 


個人的な好みでいえば、原付
バイクは私は大好きだ。
セカンドバイクで40数年前の
高校時代からよく乗った
し、
今も原付スクーターを街
の足
として常用している。
やまのさんの前の型のやつ。
 
私も相当手を入れたが、現在
走行距離は驚異の48,000km。
やまのさんの親戚のヤマハ製
2スト車、壊れない。
一番ダメージあったのはイン
シュレーターとサスだが、そ
れは新品に交換した。
他にも新品交換部品多数だが、
ランク周りは出荷時のまま
だ。
エンジン内部の駆動系は今後
ぼちぼちとリフレッシュして
行く予定。


げんチャんねる
 

原付専門店 げんチャんねる

原付専門店による原付ライダーのための原付専門チャンネルです。50cc~125ccバイクを中心にお役立ち動画、原付ガールの奮闘記、バイク紹介、話題のグッズ紹介などを配信して...

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オートバイのコーナリング

2023年10月09日 | open



オートバイのコーナリングの
感覚はこれ。



オートバイは二輪車だが、徹底
的に後輪
ステアで乗るのである。
リアステアなどは本当は無いが。
リアで乗る感覚で曲がる、と
いう事
。フロントはバンクにより
セルフで舵角を取ってくれる。

そういう構造に二輪車はなって
いる。
そのケツ乗り感覚は一輪車に
近い。あるいはスケートボード。





違いは、一輪車は常に左右
前後のバランス
を取ってい
るが、二輪車の場合のコー
ナリン
グは、倒しこみによる
フォースのGに対しての
バラ
ンスを取るのである。

そのためにはコーナリング
ではフォームが
とても大切に
なる。


バイクでの旋回の基本はこれ。
よく観察してほしい。尻を半

ずらしのハングオフだ。イン
の膝が開いていないだけで。

車軸より体がインに入っていよ
うとも、軸線
をずらさず、頭は
可能な限り垂直にし、目線

コーナー出口を見る(これ一番
大切)。


この基本的な乗り方は、公道
でもサーキット
でもまったく
変わらない。同じ乗り物だか
変わる道理がないのだ。






内側の膝を開くのは、車軸に
対して身体をインに
入れた時
にごく自然な人間の体の体勢
を取る
ためであり、路面に膝
をこすりつけるのが目的
では
ない。バンクすればするほど、
むしろ膝は擦らないように閉
じる。でないと曲がれない。


1970年代末期にタイヤが進化
し、どんなに車を
倒してもパ
ワーをかけない限り滑らない
ように
なった。
そこでさらに旋回速度を上げ
るために、身体を
イン側に落
として遠心力と重力のバランス
を取り
ながらタイヤとサスの
トラクション(牽引力)を

ようとしたのがレースでのハン
グオフ走法だ。

それは世界チャンピオンのヤー
ノ・サーリネンが実行し、後年
の世界チャンピオンのケニー・
ロバーツが完成させたといわれ
ている。
だが、尻ずらしのハングオフ

自体は1960年代初期から存在
した。ただ膝は擦らなかった
だけだ。ヤーノが膝を擦り始
めた。
ここ数年ではさらにタイヤの
剛性やグリップ力が
上がり、
バイクは転ぶまで倒しても
スリップしな
いほどになった。


もうこれなどは転んでいる
のか走っている
のか分から
ないほどに車が倒れている。



ただ、レースの場合、パワー
をかけるので、当然
寝かし込
みから先においては非常にス
リップしや
すくなる。
ただのスリップダウンではなく、
一度後輪が真横
に向くほどに
滑ってからマシンが起きたの
で急に
グリップを取り戻して
車体が逆側にひっくり返る

ことが起きる。
それを「ハイサイド」と呼ぶ。




サーキットでのレースでハイ
サイドはよく
見られるミステ
イクだが、重大な事故に
繋が
ることもある。

ハイサイドで飛ばされたライ
ダーが着地
した場所にバイク
が振って来たり、着地
して転
がったライダーが後続車に跳
ねら
れたりしたらまず飛ばさ
れた人間は助から
ない。
また、ハイサイドで飛ばされ
てバリアに
身体が叩き付けら
れたら、これも助から
ない。
サーキットでの死亡事故の
ほぼ100%が
転倒によるもの
で、転倒だけなら死亡は
しな
いが、その直後の状態のあり
方で
死亡事故になるか、かす
り傷一つない
ケースになるか
が分かれる。

飛ばされて接地の際に首の頸
椎が折れ
たら勿論即死だろう。
世界チャンピオンのヤーノ・

サーリネンは、コースにオイル
が大量にあるのにレースを続行
させた主催者の横暴により、ス
タート1週目に多重事故に巻き
込まれて死亡した。
頭部が首から切断される事故
で、即死だった。

公道でも無理なコーナリング
をするとハイ
サイドになる事
がある。

特にサーキットのような超ハ
イグリップ舗装
ではないツル
ツルの公道アスファルトでは

タイヤは非常に滑りやすいの
で、速度超過
でのコーナリン
グは危険極まりない。


かといって、バイクは傾けな
いと曲がらない。

目線をコーナー出口に、そし
てゆっくり入り
お尻で回るよ
うな感覚で、コーナーの立ち

上がりにかけてスロットルを
開けて安定させ
るようにして
いく。

コーナリング中のスロットル
の開閉は厳禁
だ。
かといって、ずーっと同じ開
けもしない閉じも
しないパー
シャル状態の定常円旋回区間
タイヤとサスのトラクショ
ンだけに頼る状態
であるので
非常に危険なので注意をする。

オートバイはある程度パワー
をかけて駆動
力を与えている
状態が一番安定する。
しかし、定常円旋回区間は絶対
に必要で、ここをどう走るかで
コースなどではタイムが違って
来る。

バイクのコーナリングはスキー
によく似ている。
感覚を掴むのと、体幹の準備
運動としては
両足を肩幅に開
いて腰を少し落として、腰

けをぐるぐる回したり前後左
右に動かし
たりするといい。
足と頭の軸線は動かさない。
腰だけを自在
に動かすのだ。
そして骨盤周りをほぐして、
軸線がぶれない
ような感触を
掴む。
これは自宅の自室でも練習で
きる。

それと、コーナーに入る時は、
腰から入る。肩ではない。

真横ではなく骨盤をねじって
ひねるように
右コーナーなら
右前に出すようにする。

左なら左。
それに続いて力を抜いたコー
ナー側の肩を自然に入れる。

頭は真っ直ぐ垂直にして、目
線はコーナーの
イン側出口を
見る。間違っても外側を見な

い。見たら見たほうにバイク
が進むからだ。

右手も左手もハンドルをしっ
かり保持する
のだが、決して
固く握りしめたりはしない。

肘は当然にして緩く曲がる。
脇は閉じない。

コーナリングのきっかけでは
内側のステップ
に体重をかけ
るなどと解説しているサイト
あるが、それは嘘だ。それ
は超低速スラロー
ムなどの時
であり、走行状態ではそれは

やらない。むしろやや外足荷
重ぎみになる。

かといって、マシンがホール
ドできていれ
ばよいので、か
つてのランディ・マモラの

ように外側の足がステップか
ら外れても
かまわない。公道
ではその走法はまず
使わないが。

基本に忠実な乗り方は、どんな
速度域でも
同じフォームになり
ます。

同じフォームとは、ライディン
グのその要点
が同じなのであっ
て、見た目のバンク角
とかそう
いうことに惑わされないように。

バイクも「見取り稽古」が最重
要になります。


上手い人=乗れてる人は、どの
速度領域、
どのRのコーナーでも、
基本を絶対に外して
いません。


お尻の肉が二つに割れている
理由は
バイクに乗る時に便利
だから。

きっと神は人間をオートバイ
に乗るため
の生き物として造
ったに違いない(笑
マルクスさえもが言っている。
「万国の労働者、半ケツせよ」
と。




さぁ、無くした時を取り戻そう

2023年10月09日 | open

30年以上前のバイク「ゼファー(400)」
をフルレストアして新車並みにする。



















カワサキ ゼファー(400) C4
1992年製造
コイツは30年の間、どんな人生
を歩んできたんだろう
綺麗な姿で風を切って駆け抜け
てた頃もあっただろう
いつしか時代の片隅で忘れられ
自らが朽ちていくのを...ただ、
静かに待つ姿
今まで何人のオーナーの手を
渡り歩いたかなんて知らない。
関係ない。
どんな扱いを受けてきたのかも
分からない
君は30年かけてここに辿り着いた..
だから
さぁ、無くした時を取り戻そう

最高なのである。
これぞ動画配信の真骨頂だ。
走行中に低俗な世間話トークを
延々と続けながらの「ながら
運転」を
している劣悪な危険
走行配信者たちと
は次元を異
にする。

彼らにはマシンへの愛は無い。
ゆえに平気で何度もオートバイ
をスッ転がす。反省も無い。
あるような素振りで動画を作る
が、真実のところは集客換金だ
けが目的だ。
なので、動画の造りが奇をてらっ
たバカッターの迷惑動画の基軸
と全く同じ路線で進む。
「はいっ、〇〇さんです。え~
きょうは・・・」と必ず始まる。
そして「デデン」とか「わ~。
パチパチパチ」という効果音を
必ず入れる。モトブロガーと
称する配信者のほぼ99%がそれ。
そして、それはほぼ全員が他人
の猿真似だ。YouTubeで爆発
ヒットした億万長者の動画造り
をまるごと真似してパクって

いる。表現者としてのオリジナ
リティなど微塵もなく、他人の
物まねで収入を得ようとする性根
がそもそも果てしなくさもしい。
かくして投稿された動画群は

金太郎飴で没個性。しかもほぼ
全員がパリピ系の幼稚なお騒ぎ
動画だ。
そして、それは、路傍の石ころ

のようにそこらに多く転がって
いる。おまけに車体まで転んで
いる。

この動画のようなこうした「大人
向け動画」という
のは、砂浜の
真砂の中の一粒を探す
に等しい。
この動画、3時間を超える長編で
あるのに、70万回再生されている。
人々は奇天烈おさわぎ動画だけを
求めているのではない事が現出
している。レストア専門マニア
が70万回観ている訳ではないだ

ろう。一般視聴者の数が相当いる
と思われる。
こうした質の動画を多くの人が
実は望んでいる事が現象から伺え
る。

本当に心の琴線に触れる良質動画
だ。
なによりも、配信者にはモーター
サイクルに対する愛が溢れている。
実に良い物を観た。
3時間6分、ぶっ通しで観た。
すべてのシーンで固唾を飲むよう
にして。
つまらぬ映画、ドラマ、低俗な
ネット配信動画群とは比べ物に
ならないほどの「人間性」と
人が作った物への「愛」を感じ

た。
そうなのだ。

「人」が不在の動画は表層は
面白げであっても、内実は心に
残らない。薄っぺらな映像は
薄っぺらく見飛ばして終わりだ。

歴史にも人々の記憶にも残らな
い。底辺には人間不在と人間
疎外の素因が滞留している構造
が見えるからだ。
人が歩いた足跡、人が作った
物、その歴史という時を刻んだ
時空への敬意が無い映像作品は
極めて味気ない。心の底に人を
見つめる基軸が無いからだろう。
良い物は良い。良くない物は良く
ない。
良い物、それはこの動画だ。
素晴らしい。