おかえりなさいのバンクショット
こういうショットは撞点と
撞き出しとライン取りに
システムがあるのだけど、
経験を積まないと実現でき
ないショットなんだよね。
的玉を第二クッションに入
れてからは入射角の側に
逆に反射させるのだから。
つまり、的玉に逆スピンが
入っていないと入射角と
同じ角度の反射角となって
的玉は二番目のクッション
からは画像手前の白黄の9番
の方向に弾き返されてしま
う。
通常のただの撞き方だと、
これは絶対にそうなる。
そこを第二クッションに
入れてから逆方向に(入射
した側に逆スピンで戻して)
返して、そしてサイドポケッ
トに叩き込むダブルバンク。
それがこれ。
簡単そうに見えて、確かな
技術と経験値が高くないと
実現できません。
的玉に逆ヒネリを加えるの
だから。
これは球体同士の接触による
スロウ現象を利用したショッ
トです。
ボウラード
「飲んだら撞くな。
撞くなら飲むな」
これは撞球界では昔から云わ
れて来た事だ。
典型例が1961年のエディ・
フェルソンだ(笑
この動画は実はビール(プレ
ミアモルツ)をジョッキで12
杯飲んだ後に撞いている。
いにしえからの格言無視(笑
お腹ポンポコリンになってる
のが映像に収まってしまって
いる。
飲んでもさほど撞きは変わら
ない。
エディのような失態は犯さな
い。
但し、車の飲酒運転だけは絶
対にやらない。
二輪は傾けないと曲がらない
が、傾ける事よりも重要な事
がある。
それは、タイヤに面圧をかけ
て乗る、という事。
二輪走行で最重要となるトラ
クションを得るには、タイヤ
潰しと前後サスの沈めによる
十分な働きに依拠する。
これは好き嫌いなどという感
性とは別次元の物理的な事象
として。
そして、感知能力の一つであ
るこれも二輪走行で最重要ポ
イントの一つである「接地感」
は、トラクションの状態がど
うであるかを具に正確に感知
できる能力があるか否かに内
実の如何がかかってくる。
二輪の走行とは、すべてが物
理的な現象現出に乗り手がど
のような適切な対応ができる
かによってライドの質が大き
く変わってくるものであり、
気分や個人的好みの情念など
は一切そこに介在する余地は
無い。
オートバイの挙動と適正対応
というのはそういうものだ。
それをライディングと呼ぶ。
【バイク女子誕生】完全ペーパー
ドライバーの妻にバイクの楽しさ
を伝えることが出来るのか?
私たち夫婦のように20代前半
に二人でパァーンパンパンと
2ストでやっていたのと違い、
奥様が二輪を避けていたご家
庭もあるようだ。
でもバイク女子誕生みたい。
夫婦でバイクに乗れると楽し
いよ、ほんと。
外出たらワンコはどうすんの
よ?てな問題は常につきまと
うのだけどさ(笑
うちは、妻は身体壊してから
オートバイには乗らなくなっ
た。
でも、身長はちょこみさんより
低いのによく乗ってたと思う
よ。パンパンパンとブリッピ
ングもきちんとやってブレー
キングしてたし。
免許の法改正以前に自動二輪
免許もサクッと取れたし、よ
く乗れるので「なんであんな
に運転できたの?」と訊いた
ことがある。これは最近、て
か昨年末に。
すると、私がハンドルの握り
方から全て一から教えてくれ
たから、と答えていた。
全く記憶に無い(笑
妻はバイク下りるまで無事故
無転倒無検挙(笑)だった。
走行後に妻のマシンのプラグ
をチェックすると、いつもこ
んがりキツネ色に焼けていた。
ピットロードでサインボード
をいつも出してくれていたが、
若い日の二人のその夢の先は
実現しなかった。
ただ、子どもとワンコと猫と
カメは今いる。そして二人は
生きている。
余計な事に、そうした私たち
家族の日常を根掘り葉掘り探
り出してネットで晒して攻撃
して喜んでいる連中も世の中
にはいる。
娘などは私さえ知らなかった
大学のサークル活動まで晒し
上げられてネットで誹謗中傷
されていた。
心無いを超えて犯罪行為を
犯罪と自覚せずにいい気に
なっている粘着ネトクズたち
で今の世の中は溢れている。
ミュージシャン夫婦、奥様美人。
でも川沿いさんはガッコか塾の
センセのような気もする。
湘南→義塾あたりのコースで。
空気がそうだと思ってたら、ホ
ントに川沿いさんは塾講師だっ
た(笑
この方の動画群は私はとても
好きです。
元峠のローリー同士だからとか
ではなく、この人が放つ空気感
に私は違和感を全く感じない。
あまり現代ではいない「同じ種
族」なのではなかろうか。
「同族じゃ」(戦国自衛隊)と
いうやつ。
でも、いろいろある世間の風潮
に「うっせーわ、タコ」とは彼
は直截には言わない。私のよう
には(笑)。
そこは、それ、「大人の対応」
でYouTube動画をアップしてい
る。
それでも一部からは非難を浴び
たりしている。
だがそれは今に始まった事では
ない。
ゴルゴダの丘に十字架を背負わ
されて歩かされたイエスに人々
はどんな仕打ちをしたか。
2000年前には人間は既にそうし
た事をする「種族」だった。
ただ、私はそれらとは同族では
ありたくない。
原作に惚れ込んだ岩下志麻が
自ら出演を希望していた作品。
母子恋愛の近親相姦を描いた
話題作だった。
息子役は名子役といわれていた
17才の坂上忍が抜擢された。
岩下志麻の演技が迫真の演技
で作中恐ろしささえ感じさせ
る。名女優とはかくもあるの
か、と映画作品と俳優の力を
観る事が出来る作品。
17才だった坂上さんはまだ
女性経験がなく、演技の為
なのか、本当に実体験を岩下
さんに無理やりさせられて
しまったそうです(笑
バラエティ番組で時々彼は
いじられますが、初体験の
相手は岩下さんだった模様(笑
何とも生々しい実話ですが、
それは「禁断の愛」ではない。
よく最近、既婚者の浮気の
事を「不倫」などと言います
が、それは不倫などではない。
単なる浮気です。
不倫不倫と言いたがる軽薄な
風潮は、「金曜日の妻たち」
あたりから出始めた。
かつて戦後に「よろめき」と
いう言葉が流行して、浮気を
ライトカルチャーのように
扱う俗世間の風潮があったが、
それと現代の「浮気=不倫」
は同軸にある。
つまり、いけないことをして
いるのがアバンチュール的で
どことなく背徳的な魅力をも
伴う、という認識が底辺に
あった。用語の使用意識として。
最近は少し変化し、徹底的な
個人叩き用に「不倫」という
言語が使われているようだが。
しかし、それらは「不倫」では
ありません。単なる浮気。
そして、夫婦が離婚したら
その相手とも結婚できるの
ですから「不倫」ではない。
自由恋愛のなれの果ての浮気
でしかない。
不倫とは、絶対に結ばれる事
の赦されない恋の道の事をい
う。親子の肉体関係を伴う
恋愛や、兄弟姉妹同士の恋愛
等々。
本作品は本物の正真正銘の
不倫を真っ向から描いた話題
作だ。
岩下志麻がめちゃくちゃ綺麗
なのだが、演技力が凄すぎて
観ていて怖くなる。
本作品のラストシーンは、息子
を溺愛して肉体関係まで結び、
本当に「愛した」母親が車で
息子から逃げる。別れを告げて。
実は彼女が愛したのは、自分と
その分身を愛する自分、でしか
なかった。
息子の坂上忍はホンダのバイク
で草原のロードを走り母を追う。
だが、母は車の幅寄せで追って
来た息子を草原に跳ね飛ばして
しまう。
それまでは、母の一方的な肉愛
を拒んでいた息子だったが、そ
れを受け入れた途端に母の側は
息子を突き放すのだ。
ここで、この作品では、「母」
を描いているのではなく一人
の女の姿を描いている。
自分のお腹から生んだのだから
息子は自分の物だとする母親
の歪んだ「女の独善的我儘」
を鋭く描いているのだ。
肉欲関係に無くとも、そうした
母親の「女の我儘」は世の中に
溢れており、実子を支配しよう
とする傾向は一般的にも非常に
多い。
自立した一個の人間同士として
の人間関係の構築を阻害する
そうした関係性は、エディプス
コンプレックスの根源的真因と
して精神医学の世界でも課題と
されている。
まあ、下世話に言えばキモい
のだが、そうしたキモい事を
世の中の人という種族は大なり
小なり母子関係、父子関係と
いう血族関係の中で垣間見せ
る事例が一般的には殆どである
という事実がある。
特攻で死んでいった兵士たち
は「天皇陛下万歳」を叫びは
しなかった。母を呼んで死ん
でいった。
そこには一種倒錯した精神
世界が存在する。母を疑似
恋人のように慕うのだ。
また、親側もそれと同一の
倒錯感情を抱く。
これは全世界的に。マミーや
ダディを特殊特別な存在と
して観るのだ。
そして、親側は自分の子ども
を自分の所有物のように底辺
では思っているようだ。
これは父親たる男にもあるよう
で、娘を嫁にくださいと来た男
に激高したりする例は世の中に
多くあるようだ。
私個人はこれらの感情は全否定
なので興味はない。関係ない。
子どもは独立した一個の個体、
個性という人格を持つ人間で
あると思っているので、この
手の感情は一切ない。皆無だ。
第一、親子間でそうした疑似
肉親情愛(エディプスに通じる
素因)をたとえどんな形であれ
抱くのは私は気持ち悪い。
よく言われる。
「娘さんがお嫁に行くときに
は悲しいでしょう」とか「相手
の男性に対して不愉快になる
でしょう?」とか。
それはそうした独立精神が
皆無の種族たちが抱く一般的
な下世話な情感であり、私に
は無縁なので、言ってる事の
意味が不明だ。
「ああ、貴方はそうでしょうね」
としか思わない。
「でも、私は貴方ではないから」
としか。
自他の区別なく、精神的自立性
が獲得できていない種族の事は
私個人はよく解らない。
本作品のラストシーンでバイク
で坂上忍が走るシーンは、かな
りちゃんとオートバイに彼は
乗れている。
最近バラエティ番組で大型二輪
購入を坂上忍が勧められている
動画があったが「免許無いもん」
と言っていた。
1984年の本作撮影時には自動
二輪免許は持っていても限定
解除は取らなかったのだろう。
ただ、バイクの運転はかなり
できる人だったのが85年公開
の本作には収められている。
あの最後の草原の中のロード
のロケ地はどこなのだろう。
岩下志麻の「女の豹変ぶり」
が最後まで恐ろしい映画作品
が本作だ。
母ではなく女。
そして、それを実行した時、
本物のどぎつい「不倫」が
始まる。正真正銘の不倫が。
いや~、怖いですね~。
原作は1982年に出版されたが、
何度も企画に上がっては没に
なった作品だ。テーマがテーマ
だけに。
そしてやっとGOが出て1984年
に撮影が開始された映画だった。
1985年公開。
かなり衝撃的だった。
テーマではなく、出演する俳優
たちの演技力がすさまじくて。
映画ファンは当然見逃してない
作品だろうが、一般受けは全く
しないだろうという「映画」と
しての映画たる映画でもある。
禁断の愛を描いた作品として
はドラマの『高校教師』(1993)
がある。最高の作品だ。
あのドラマで迫真の演技を
見せた主役の桜井幸子さんは
「燃え尽き症候群」となり、
その後一年間女優業を休業し、
そして俳優をやめた。
その力の注ぎ込みは作品を
観れば判る。
すばらしい最高の演技だった。
文学作品と映画作品では赤江瀑
の『オイディプスの刃(やいば)』
(1986)が良作だ。
日本文学では、正真の不倫を
扱った歴史的作品は古典文学
の『源氏物語』ですね。
道行かぬ恋こそ本物の不倫で
あって、現代の世俗的に使わ
れる「不倫」というのは、あれ
は単なる浮気です。軽佻浮薄な
自己美化を伴い、時に個人攻撃
に利用される用法を間違った
言葉。
浮気などは文学作品や映像作品
という文芸作品のテーマにさえ
ならない。『エマニュエル婦人』
とかはあっても(駄作)。
遠くギリシャ神話にまで遡る
人間の「越えてはならない川」
であるのが「不倫」であり、
そこには人間の悲哀が伴う。
それゆえ、人間が創作する文芸
作品や芸術の世界の一つのテー
マとして描くことができる。
浮気と不倫は別物、別次元の
ものです。
浮気はただの自堕落な淫放さを
常に伴い、そして不倫は生死を
常に背後に帯びる。
この違いを分かっていない人が
世の中多すぎる。
もしも本気で愛した相手が、
実は生き別れになっていた
きょうだいだったと知ったら
貴方どうしますか?
だからこそ、百恵ちゃんの
「赤い」シリーズが作品と
して成立した。
レーサーが主人公の名作劇画
『赤いペガサス』にしてもそう。
ちなみに二輪漫画の金字塔で
ある『バリバリ伝説』の作者
しげの氏は「赤いペガサス」
のような作品を描きたかった
と語っている。
だが、バリ伝は少年が成長する
ロードムービー的作品として
最後まで描かれ、『赤いペガ
サス』での悲しいテーマが
描かれる事は無かった。
オートバイ漫画としては成功
したが、作者の中では未到達
感が残された作品が『バリ
バリ伝説』だったのではなか
ろうか。
その意味では、バリ伝は金字塔
ではあるが、人間ドラマとして
人間を深くえぐった『あしたの
ジョー』には遥かに及ばない
という面も持っているといえる
と私は思う。