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正直、ほんと、カオスなんだと思います。
ここ数日の僕のブログを読んでくれたという、長年信頼している友人から、メールを貰いました。
ブログの内容はもとより、皆さんからのコメントなどにも目を通してくれたようで、
その上で、友人独特の鋭い目線で、色々と興味深いことが書いてありました。
そして、
「(前略)ま、今の世の中、一種のノアの方舟状態だね。」
とあり、
「個人の資質が問われているな。」
と、彼らしい常に冷静で客観的な言葉が書かれておりました。
(僕の私見ですが、彼は『困難な戦場でも、しぶとく最後まで生き残りそう』な、非常に聡明で精悍な人です)
資質か。
この言葉を読んで、思い出しました。
「その人間が真のインテリジェンスを持っているかどうかなんて、普段は分からないのだ。
トラブルや非常に困難な状況に直面した時に初めて、それが分かるのだ」
とは、何かの本で読んだ言葉だったか、それとも映画の台詞だったか。
友人は、今回の原発問題に関して、
「安全とは許容範囲を超えていないと判断された危険性である」
という、ハーバード大のローレンス教授の言葉を引用して、
日本人の危機回避能力についての考察などを送ってくれ、僕は非常に興味深く読みました。
一部、引用します。
『日本人は日常から戦ってないからね。
闘争心がないということは危機回避能力がないということ。
危機の想定ができない。だから回避できない。だから対処できない。
「想定外」を想定しなきゃダメなんだよね。
「まさか自分に起こるとは!」じゃなくて、
「もし自分に起きたら!」を考えて生きる。
想定外を想定してないから、対応が後手後手になるのは想定できる。
しかし彼らは後手後手になるのも想定できてない。』
『といっても、この世で想定できるものはないのだ。
ましてや自然現象などの不確定要素たっぷりでは、カオス祭りだ。』
『科学の進歩には危険はつきものだけど、その危険の重大さを理解しないといかんよね。
新幹線が脱線したらどうなるか。そうならないように彼らは努力している。
それと比べると原発〇〇(←僕の判断で伏字にしました)はぜんぜん真剣じゃないね。
「最悪を想定」しなきゃいけないのに
「最悪にならないことを想定」してるんだな。
失敗する人のほとんどはコレなんだ。』
頷きながら、読みました。
(興味が無い、同意できない、という方は事実例の反証などがある場合を除き、「はいはい」と流してくださいね。)
友人からのメールはのタイトルは、「私は川村ケンを支持します」というものでした。
こういう友人にそう言ってもらえるって、嬉しいものです。
ありがとう。
僕は今までここで、その大半で、
ご飯が美味しいとか、音楽楽しい、という他愛の無いことを発信してきました。
しかし今は、ご飯の写真なんて載せられません。
でも、こんな時は、こんな場所ですが、今一番大切なことを一緒に考えられる場であればいいと思います。
温度差はあるでしょう。実際、感じます。
東北、福島を中心に、放射性物質や停電の問題に直面している関東圏と、そうでない地域では、
どうしたって立場が違う。
それはそうです。
今のリビア空爆の問題を、現地の人と同じ温度で考えている人は、日本に何人もいないでしょう(ちなみに、もう世界は、今は日本よりもリビアに注目してますね)。
でも、僕は関東圏に住むものとして、僕のブログで、僕なりに発信していくしかないのです。
すぐ近所で火事が、今も燃えているのです。ワンワンと、サイレンが聞こえてきているのです。
なのに、「僕は何もできないし、消防さんにまかせよう」と、電気を消してスヤスヤと安眠できるでしょうか。
いちミュージシャンですが、それでも僕も、ここ神奈川県東部のある街で、日々呼吸をし、歩き、休み、食べ、寝て、日本に税金を納め、社会生活をしている一人の大人ですから。
こういう話題は重たい、辛い、もうこういうことは考えたくないとか、テレビで十分、興味がない、面白くない、もっと明るい話を期待してるのに、という方は、しばらくスルーして下さってもいいと思います。または、お読みになっても「はいはい」と流してしまって下さい。皆さんを辛くさせるのはまったく本意ではありません。
ただ、僕自身、今回の震災では色々と考えています。せめて、少なくとも、現在進行形の福島原発の問題の収束の見通しが見えるまでは、今までのようにすぐには、と思っています(勿論、わが田舎のひとつでもある被災地、東北のことはこれからもずっと考え続けますが)。
自分を隠して書いたって、意味がないと思っていますので(・・・ということは、今までどれだけご飯のことを考えていたんだか)。
最後に。
関東各地の放射能の可視化
http://microsievert.net/
蓄積されるものなどが考慮されてませんので、ひとつの現状を見る上での、あくまでも参考として。
でも、見えない放射能だけに、こうしてイメージを可視化して捉えられるというのは意義があると、僕は思います。
では。
---追記。---
宮城県柴田町のUnknownさん
前略
本当に大変な状況の中からでしたでしょうに、
とても貴重なコメントをお寄せいただきまして、どうもありがとうございました。
何度も読み返させていただきました。勿論、公開もさせていただきました。
お友達のこと、衷心より、お悔やみを申し上げます。
本当に残念です。
被災し、その後も長く一人で冷たい水の中にとどめ置かれてしまったご友人。
そして、その身を毎日案じ続け、探し続けていたご家族。
その心中を思うと、胸がきりきりと痛みます。
でも、時間はかかりましたが、家族の元へ帰れて、せめてですが、良かったですね。
変な言い方になってしまうかもしれませんが、
きっと・・・、ホッとなさっていることでしょう。
(・・・僕だったら、きっと、ホッとするな、と思うのです。)
小さなお子さんが大きくなったら、バイクやギターを楽しんでいた、
こんなにも素敵なお友達を持っていたお父さんのこと、
沢山、お話してあげてくださいね。
グランディ21のことは、テレビを通じて知っておりました。
何度もコンサートで訪れ、笑顔で一杯になっていたあの会場が、
今は涙で一杯になっているということを、改めてまた頂いたコメントから実感することができました。
ご遺体の状況など、テレビや新聞では一切伝わっては参りません。
勿論、ご遺体を映すことは、ご遺族の感情やプライバシーといった問題もありますし、これは仕方がないこととかもしれません。特に日本では、公共のメディアで扱うのは難しいでしょう。
でも、これほど凄惨で、おそらく人間の人生においても最も辛いと思われる状況下に置かれることになってしまった方たちが実際にいるということは、もっと知らしめられるべきだと思います。
こういう現実が、すぐそばにあるということを知っているのと知らないのでは、例え現地にいなくても、ニュース一つの受け取り方も変わってくるでしょうし、・・・分かちあって和らぐ痛みもあるはずですものね。
個人的には、以前のスマトラ大地震の時に、
海外メディアの写真を含めた情報などを見知っておりましたので、今回も、僕なりに想像はしておりました。
ですが、こうして直の情報として直接お聞かせいただくと、それは俄然リアルなものとして迫ってまいります。
書かれた文字に、耐えうるギリギリの重みを感じています。
ですから、その場で、実際に確認をされている皆様の心の痛みは、想像を絶するものがあるでしょう。
その現実に向き合うには、いったいどれぼどの力を必要とするのか、想像もできません。
どうか、一日も早く、被災者の方々、そしてご家族、ご遺族、ご友人の皆さまに、
少しでも心が安らぐ日が訪れることをお祈りします。
残念ですが、亡くなってしまった方は戻ってはこられませんが、
時間はかかるかもしれませんが、必ず、また、皆さまの未来には、
幸せな日々が待っていることを信じています。
無論僕も、祈るばかりでなく、有形無形、出来る限りの支援はさせていただきます。
まだ続くのでありましょう避難所生活、不自由なことばかりかとは思いますが、どうか、ご自分のご健康を保ってくださいね。
そして、きっとまだお若いあなたのことですから、これから、ご家族、ご友人、その他周りの皆さまの力になっていって上げてくださいね。
僕も、そして、コメントを読んだ皆さんも、
あなたのこと、ご友人のこと、そして、あなたの大切な街や、街の皆さんのことを、ずっと思っています。
そしてまた、いつでもコメントをくださいね。
小さなことでも、辛いことでも、楽しいことでも、何でも。
それで、少しでも気が楽になることもあるかもしれませんし、もしかしたら、僕たちでお役に立てることがあるかもしれない。
僕はいつでも、ここで、お待ちしてますから。
また、大変な中、僕のことにまで、お気遣い、ありがとうございました。
そして、曲の件のお申し出ですが、無論です。
あのピアノ曲が、ご友人をお送りするお手伝いをさせて頂けるなら、
僕としても、嬉しいです。
どうか、どうか安らかに、お休み下さいます様。
川村ケン
3月28日13時45分