ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




皆さん、ほんとうにありがとうございます。

でも、過度にご心配をお掛けしていたら申し訳ありません。

身体を壊したり、精神的に落ち込むほど、ブログに何を書いたらいいか悩んで、心配で、食事も喉を通らないんです・・・、

などということは、さすがにありません。

被災地の方を忘れることも、考えないこともありませんが、それでもお腹は減りますから、ご飯は、頂いています。

でも、ずっと、頭にも身体にも、今まで感じたことの無かった感情が、べったりと張り付いています。そして、それは、「いやだな」と避けたいというものではなく、日本人として「必然として受け入れるべきもの」として、なのです。

 

まだ避難所に沢山の方がいらして、皆さん、お一人お一人にはそれぞれの生活があって、ご家族があって、お家や日常があったのに、あの日を境に突然、冷たい食事(食事とすらいえない、ただただ、お腹を満たすためだけのものもあるでしょう)や、プライベートの無い生活、お風呂やシャワーで身体の清潔を保つことも、いまだ一度も出来ていない方もいらっしゃる。

本当に、どうにかならないものか。

良くない環境の中で、健康を害してしまっているお年寄りがいる。振り絞ろうとしたって、生きる気力が出てこない若い方だって沢山いる。

ボランティアに入った高校生に、いきなり蹴りかかって、「痛いよ、やめてよ」と言っても「うるせえ、このやろう!このやろう!」とそのボランティアを蹴り続けたという、小学生の女の子がいたそうです。そしてそれは、一人や二人じゃなく、その地域の子どもの何人かが、こころのバランスを失ったのか、そんな風になってしまっていたのだそうです。

これは何故かというと(児童心理学者の方の分析ですが)、まず一つに思い切り身体を動かして遊べる場所(スペース、広場など)が無いことで、子どもの心にものすごいストレスが掛かっているのが原因と考えられるのだそうです。そして、当然、いつ終わるのかもわからない避難所生活という、現状認識をする力や分別のある大人でも、限界ギリギリの我慢との戦いであるのに、それを遊びたい盛りのエネルギー溢れる子どもに耐えろというのは酷なんですね。生活に制限があり過ぎるんだそうです。

なので、避難所などでも、まだ遊び場や広場がそばにあるところの子どもは、まだ大丈夫なんだそうですが、思うように遊ぶ場所なく、身体を動かすことも出来ない地域に押し込められてしまった子どもたちは、どんどん目に見えない鬱積や鬱憤が溜まり、特に他者(家族や同じ被災者に対しては我慢せざるをえないとしても、ボランティアなどのよそから入ってきた人)に対して攻撃的になってしまうんだそうです。小さな子どもたちの言葉遣いなども、男女問わず、本当に汚いものとなってしまっているという話も読みました。

お茶の間で、一緒にご飯を食べていた家族が、近所のおじさん、おばさんたちが、避難所で、頭を抱えて、ため息をついている(勿論、気丈にされている方も沢山いらっしゃるでしょうけれども、テレビに映される、そんな方たちばかりであるはずがない)、それを子どもたちも見るし、感じるのですよね。・・・もしかしたら、家族や友達や、大好きだった先生が死んじゃったのかもしれない。見知った人を失ったのかもしれない。その上での不自由な避難所生活。子どもには、あまりに、辛いですよ。

政府や行政も、福島に関しては東電も、責任の押し付け合いや賠償逃れなどに走ることなく、少なくとも今は、精一杯、同じ人間として、日本人として、それぞれの方を自分の家族だと思って、行動、決断をしてもらいたいです。

お医者さんやカウンセラーの方たちのご活躍も、本当に心から応援します。期待してます。

ちなみに、先ほどの、ボランティアを蹴った女の子は、その後二週間ほど、そのボランティアさんが一緒に遊んであげているうちに、次第に暴力的なことはしなくなり、普通に子どもらしく、笑顔で遊んでくれるようになったそうです。こうしたボランティアさんの力も、本当に大切ですね(実際、「子どもの遊び相手」という仕事 が必要とされている地域が沢山あるそうです)。

5年後、10年後の、皆さんの身体のことも心配ですが、心のことも心配です。

あれだけの大震災。

これから、元気な人たちがケアしていくことは、山積みです。

 

アメリカでは、特殊部隊がビン・ラディンを殺害(「殺害」とはキツい言葉ですが、あえてニュースで使われていたので、ここでも使いました。CNNなどでも「killed」となっていました)したことに歓喜し、街に出て「U.S.A!U.S.A!」と、笑顔で旗を振っていますね。僕は、「"敵”なのかもしれないけど、人が死んだことを、こんなに喜べるのか」と思い、違和感を感じてこのニュースを見ています。

もちろん、あの9.11、突然命を奪われたなんの咎めもない方たちに思いを馳せるに、あのテロは絶対に許されることではありません。僕も、今でも、あの行為にはずっと憤りを感じ続けています。正直、人生観を変えられてしまうほどのものでした。ましてや、アメリカ人であれば、その怒りや悲しみの度合いは、僕のものをはるかに超えるでしょう。そして、その後のアフガン、パキスタンなどに対する報復作戦で、命を落とした同胞たちへの感情。その恨みやら、憎しみもあるでしょう。長引いたイラク侵攻などで本当に多くの犠牲者を出した問題もあります。

と、同時に、これらの国で、女性、子ども含む一般市民を、本当に大勢殺したアメリカ、そして、国際連合軍。日本も、後方支援という形ですが、この作戦に参加しましたよね。

 

ともあれ、人が死ぬということは、どんな時でも、あんなに手放しで喜ぶべきことではないような気がします。

 

・・・もちろん、静かに、このことを受け止めていらっしゃる方も沢山おられることでしょう。

そして、愛すべき人を失った方の気持ちが、これを機に前向きに動き出してくれれば、人生の時計が再び動き出してくれれば、それは喜ばしいことではあるのですが。新年のように大騒ぎする若き民衆の映像ばかりを流す報道のあり方には、ちょっと疑問を持つのです。そして、捕縛の上、裁判を経ての死刑でもなく、銃撃戦による“殺害”であるということですから、彼に心酔し、追随していた勢力の動向も、気になります。ただただ、アメリカが正しく、イスラム世界は危険で間違い、という発想だけはしてはいけないと思います。

 

・・・それでも、うでんを食べてます。

これも守らなければいけない日常なのですが、これをブログにする時、バランスが、今はちょっと難しい。

いつか、うまくバランスが取れるようになるでしょうか。

 

皆さんのご意見、色々と考えながら、ひとつひとつ、大切に読ませていただきました。

本当にありがとうございました。

 

明日は新潟です。会場でお会いする皆さん、楽しみましょう。

人生の中で、「最高だったよね!」という、いい時間を、一緒に作りましょう!

 

ではー。



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