はい、レバニラーメン、おまっとさん。
まあ、どんな味なのかは、食べてみてのお楽しみ。
と、自分でも思いつつ、作ってみました。
そうね、うん、美味しかったですよー。これはこれで(微妙だったんじゃないのか)。
しかし、正直な話ですが、スーパーで野菜などを買うのに、本当に躊躇してしまいます。
今はきっと過渡期だと思っているので、この先、どういう展開になるのか、様子を見ている状態なんですが、
これが続くと思うと、辛いものがありますね。
外食なども好きなので、そういうところでは、もうあまり神経質になっても楽しくないので、何でも美味しく頂くことにしています。
その分、自分で買うもので、少しバランスをとっておこうかな、というのが実際のところです。
お肉もね・・・、ちょっと躊躇する場所産のものよりも、アメリカ産など、海外のものを買うようになってしまいました。
ほんと、悲しいことです。
でも・・・。
『異常すぎる日本の「暫定基準値」 乳児に与える飲料の基準は国際法で定められた原発の排水より上』
読んでいただければと思うのですが、驚くべきは、
「政府が定めた数値を守るだけなら、原発の排水で作ったミルクを幼児に飲ませて良いということになる。」
などということが、今日も、また問題や議論になることなく、そのまま放置(継続)されているということですね。
なんなんでしょうねえ。
自分たちの会社や、組織や、生活や利権や立場やお金の為に基準を作ったり、適用したり、「これ、基準値内だから」と、自分でも危険を半ば承知してでも、「政府が決めたんだし。俺のせいじゃないし」と、目の前の生活の為にモノを売ったり出荷させようとする大人。
・・・いや、これもわかるのです。生活が、そこにあるわけですから
でも、そんな人たちが、この世を去った後の、20年後、30年後、40年後、50年後・・・、日本を作って、動かしてくれるのは、当たり前ですが、今の子どもたちですよね。
「そんな先のことは知らないよ。その頃はもう俺、総理(or大臣or議員or社長or・・・)じゃないし。多分もう、その頃、トシで死んでるし。当然、今の政権だって、どうせ無いよ。だから今、俺たちがわざわざそれを議論しても仕方ないでしょ。どうせ、ただちに結果は出ないし。因果関係もまず証明できないし。証明されたって、知らないけど。それよりも、あの野党連中とどうやって戦うかだよ。あいつらめー。」
なんか、こんな感じだったりするのかな。
そりゃあ勿論、それぞれ生きているんですから、やっぱり自分の命や人生も大切ですが、
これから大人になる子どもたちの命や健康を守れなくて、・・・せめて、守ろうとすらしなくて、
なんのための“大人”なのだろうか、と思います。
(だから、当面、東電(また、立替として、政府)が、買い上げするべきなんです。でないと、やはり被災者でもある農家の方たちも立ち行かなくなってしまいますから。間違っても、その費用を惜しんで基準値を上げるのではなくて、補填すべきだと思うのです。今、芸能人を担ぎ出してキャンペーンでもしないと売れないような、グレーで心から安心できない野菜を無理やり売るのではなくて。)
僕たちが「今までの政治にはうんざりだ!彼らなら、きっと日本を良くしてくれる!」と、戦後はじめての大決断をして選んだ政治家の皆さん。
・・・どうか、お願いですから、と思わずにいられません。
自分たちだって、昔、子どもだったのですよね。
自分の親世代が、一生懸命、健康を考えて育ててくれたから、健康で年を重ねることができて、
そうして立派な政治家だったり、社長だったり、学者さんになったのでしょうにねえ。
子どもや孫もいるでしょうに。
100万歩譲って、本当に、大丈夫なんだとしても、
それがきちんと証明されるまでは、誰も心から安心はできないすよね。
苦しんでいる農家の方たちの為にも、そこ(出回っているものは本当に安全だと、証明すること。=そうでないものは絶対に出回っていない、という状態にする(戻す)こと。)に心を砕いて欲しいと思います。
不安と疑いをもって水を飲み、心配しながらご飯を食べる国。
日本がそんな国に“成り下がらない”で欲しいと、本当に願いますよ。
こんなじゃ、海外からだって、誰も遊びにも来なくなりますし、いつか、本当に見放されるかもしれませんよね。
子どもだけじゃないんです。
『5月末で在宅避難者へ配給終了 山田町、不安の声も』
震災から、三ヶ月も経っていません。
いくら、多少の義援金が渡ったとしても、生活を立て直すには、まだまだ短い時間しか経っていません。
なのに。
今日で、自宅が残った避難者の方への食料の配給が終わるのだそうです。
僕は、テレビで知りましたが、そこでおばあさんが、
「クルマが無いので・・・、欲しいものがあっても、買い物に行けないのが不安です」
ちかく、仮設住宅の方への配給も終わるそうです。
理由は「自立をうながすため」だそうです。
たとえば、その地域でお店がやっているとしてですが、若い人はともかく、お年寄りに(ただでさえ、震災の影響で疲れているのに)、日々、歩きで買い物に行け、一切、手助けはしない、というのは場所にもよりますが、辛い方もいらっしゃると思います。
大丈夫な方たちもいるでしょうが、大丈夫じゃない方々もいると思うんです。
なのに、一律、配給停止というのは。
しかも今日、最後に配給されていたのは、菓子パンとカップ麺でした。
この配給すら、もう無理だというのでしょうか。
いまだ、使い道の決まらない義援金。それで、当面のカップ麺くらい、配ってあげられないというのでしょうか。僕たち、たまたま被災を逃れた国民は、こういうことのために、と義援金を寄付したり募金に協力したりしたのではなかったのでしょういか。あるいは、お金が足りないのなら、そのためになら、税金を使ったっていいと思うんです。税は、人の為に使ってこそ、税でしょう。
そして「うちは、もういいですよ。大丈夫です」って言ってくれた方々から、順次、とかできないのでしょうか。
こういう一律な線引きをしてしまっては、かならず、困る人がでると思いますし、「見捨てられた」と絶望する方だっていると思います。日本を作ってきてくれた方々に、こんな仕打ちしかできないのでしょうか。
大好きな日本・・・なのですが、こんな、おかしな国だったのでしょうか。
はやく、正気に戻って欲しいですね。
ではー。