ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




二日続けて、今日もキースのピアノを聴きに。

数年前ですが、ソロのときに「こんな凄い演奏、本当に全部即興なの?」と、頭ではわかっているのに、

「でもホントに?ホントに?」とどこかで思っていて、次は、絶対にニ公演以上、行こう、と決めていたのです。

いやいや、ほんと、疑っていたわけじゃないんですよ(笑)。

 

でも、今日行って、はっきりと判りました。

キースは、毎日、違う演奏をしているんですね。

インプロ(ヴィゼーション)なのですから、当たり前ですが、もう、モチーフ一つとっても、全然違う。

 

これを、何十年も、世界中で、こんなにも沢山の(耳の肥えた)お客さんの前で、たった一人で、ピアノ一台で、ずっと生み続け、演奏し続けているキースって、

本当に、(褒め言葉としての)化け物(モンスター・オブ・ミュージック!)なのではないかと思いますよ。

 

でも、今日はまた珍しい光景も見れました。

なんとなく、モチーフが決まりづらかったのか、自分の演奏に納得のいかなそうな場面が何度かありました。

僕が聴いても「あれっ?」わかるようなミスタッチが3回(もしかしたら、4回かな・・・)、ありました(昨日は一つも無し)。

まあこれは、インプロなのだから、そもそもミスなんて話はおかしいだろう、と思われるかもしれませんが、流れの中で、明らかにディスコード、ミストーンというか、おそらく「その瞬間に欲しい音とは違う音」が入ってきて(≒弾いてしまって)、

これが、緊張感や面白み を生み出しているものではなく、作品の滑らかな手触りに、一筋の傷というか、口の中で噛んでしまった一粒の砂のような、そんな意味合いに思えた音があったのです。

現に、それらしき音が出てしまったわりと直後に、キースはその演奏をやめてしまい、その後の拍手にも、昨日のように立ち上がって応えることはなく、すぐに(まるで、前の曲をかき消したいかのように)次の演奏に入っていました。

 

立ち上がって拍手に応えない場面は、実は昨日は一度もありませんでした。

昨日は、全ての楽曲が終るたび、本当に大きな(まさに感動的な)拍手が巻き起こり、キースも満足そうに、毎度毎度立ち上がって、お辞儀をして、それに応えていたのです。

今日は、座ったまま、拍手を聞き、しばし下を向いて、何か模索しているように、沈黙するシーンもありました。

また、飲んでいた水を、ピアノにかけるような仕草もあり、客席からは笑いが起きましたが、僕には「なんか今日はちょっとキースとピアノが噛み合ってないのかな」とも思えまして、でも、こういうシーンを見れたのは本当に貴重でした。

 

さらに、印象的だったことが二つありました。

一つは、前半のセットの最後。

キースのコンサートは、曲目も、その長さも決まっておりませんが、大体40~50分程度演奏したら、それから20分の休憩に入り、その後、また40~50分、そしてアンコール、という流れになっているようなのですが、

今夜の前半のセットの最後。その前の曲で、さっき僕が書いた「ミストーンらしき」ものがあって、不本意っぽく終った曲の次に、これはお得意の少しゴスペル&ブルーズっぽい演奏で、一見ゴキゲンな感じで前半を締めくくったかのように思えたのです。

客席からは、口笛を伴った大きな拍手が巻き起こりまして、キースも立ち上がってこれに応えたのですが、ここでまたピアノの前に座ったのです。

僕は、なんとなくですが「前半、まだ納得できてないんじゃないかな」って思っていたので、「どんなのを弾いてくれるんだろう」って思って、まさに固唾を呑んで見守っていのたのですが、キースは、ピアノの前で、うなだれるようにして(まあ、彼は普通に弾いていてもこういう姿勢のことが多いのですけれども)、手も、ピアノにはおかず、膝の辺りにおいて、しばらく(といっても5秒くらい)じっとしていたかと思うと、あきらめたかのように再度立ち上がって、客席に向かって「これでファーストセット、終りね」といって、袖に帰っていったのです。

弾こうと思ったけど、弾くべきものが見つからなかった。なら、潔くあきらめ、間を取ろう、と。そんな感じでした。

拍手の中、袖に帰るキースは、どんな気持ちだったのでしょう。

 

そしてもう一つは、後半の途中で。

何度も書いてしまいますが、昨日はとにかく最高の演奏でした。

そして迎えた今夜、僕の感じですが、なんとなく前半が少し不完全燃焼っぽかったので、さて、キースは後どんな演奏をするのか、とても興味がありました。

その後半のセットは、リズミカルな演奏で始まり、その次だったか、もう一曲次だったか忘れましたが、僕の気付いた三回目のミスタッチ(←あくまで僕の主観ですよ!)があって、その曲もすぐに終え、

なんだかその鬱憤を晴らすかのように、かなり無調的な、テクニカルではあるのですが、かなりアブストラクトな演奏を始めたのですが、なんとこれを、30秒程度で切り上げてしまい、観客も「あれ?もう終わり?」とあっ気にとられ、それでも拍手をしようとしたら、キースは右手を上げて、その拍手を制したのです。(まるで、今のは拍手をもらうようなものではない。ただの場繋ぎなんだ。とでもいうかのように。)

そして、次の曲へ。

スピード感溢れる、高音部から始まる、きらびやかで軽快なモチーフでした。

これがとても美しく、キースお得意の半音の動き(モードっぽいというか)などを入れて、「おお、これは楽しみだ」と思って聴き入っておりましたら、1分ほどしたところで、突然演奏を止めてしまったのです。

そして、またもやまばらな拍手の中、「・・・バイバイ」と、言って、ピアノの中から何か取り出して、空に投げるような仕草をしたんです。勿論、おどけたような仕草でやってくれたので、観客も和んだ笑いに包まれていましたが、

僕は「今日は、なんか辛そうだなあ」と思ったのです。

 

もちろん、それでも演奏されるものは、全て素晴らしいのですよ。本当に、音楽的で、美しくて、力強くて、流れるようなアイデアに溢れていて。

でも、もっと凄いキースがいることも知っているわけで、そしてそれは、キース自身が一番よく知っていることで、

だからこそ、今日のキースは、悔しそうでもあったのです。

 

そして、この次に、とても美しいモチーフがでて、(多くの観客が望んでいるような)ロマンティックなキースが、突然戻ってきたのです(昨日と違って、今日はこういった演奏が少なかったです)。

この演奏が、慈愛と、優しさと、透明感に溢れた、本当に今夜一番の、最高のものでした。会場ごと、天に吸い込まれていくような音でした。

勿論、これには客席からも、ひときわ大きな拍手。キースも、ようやく満足そうに、立ち上がってこれに応えてくれました。

良かった。

そして、後半最後は、またブルーズでした。キースはブルーズも本当に上手。しかも、他の誰も真似できないような、ブルーズを弾きます。

コミカルな60’sのブギウギようなカッコイイエンディングでこの曲を終え、本編終了。

 

アンコールの二曲目では、「Over the Rainbow」を聴かせてくれました。もう、最高。

でも、やっぱりちょっと、集中力が途切れてしまっていたのか、テーマの最後の方で、やっぱりディスコードしてしまっていたように聞こえました。

こんなことも、あるんですねえ。キースの人間的な面が見れて、嬉しかったりね(といって、キースは嫌でしょうけれども)。

三曲目には、やはりブルーズ。

ブルーズはカタチが決まっているというのもありますし、スケールなどもおよそ決まってくるので(基本、ブルーノート・スケール)、ノリが良ければ、形としてまとまり易いと思います。

あくまで対比させればですが、いわゆるロマンティック・キースよりも、精神的負担は少ないのでは、と思えますので、本編最後もブルーズだったことも考えますと、やっぱり今日は、ちょっと辛いのかな、なんて思ったり。

「勝手なことをいうな!俺はいつでも最高だぜ」って言われたら、「ごめんなさい!」って謝って、靴を脱いで裸足で逃げますので勘弁してください。

 

そして、アンコール四曲目。これは、僕にとっては、まさかでした。でも、嬉しかった。

でも。

 

そこで弾かれたのは、曲名は判りませんが、

マイナーの、暗く、悲しい曲でした(勿論、美しく、荘厳でもありましたが、だからこそ)。

 

会場の多くの人が思ったかもしれません。

これは、キースから被災者へのレクイエム(鎮魂歌)なんだろうか、と。

そして、僕は、なんだか、ちょっと悲しいというか、怖くもなってしまいました。

 

これって、日本への鎮魂歌では、あるまいね・・・。

 

などと。

まさか、とは思いますが。

なんかね、そんな風に感じてしまったのも事実なので、書き残しておきましょう。

あ、原発のレクイエムだったら、いいな。

 

キース、また来て下さいね。

必ずまた、元気で、お迎えしますから

 

素晴らしい音楽を、本当にありがとうございました。

本物の音楽に間近に触れることのできた、最高の二日間でした。

人生にこういう日があるって、幸せなことだと思います。

心から、感謝です。

 

ではー。



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