これは目から鱗の教育論です。
「教育は惰性の強い制度である」そうなんだ。教育論というのはいろいろな人がいろいろのことを言うのだけど、教育制度というのは、特に日本全体をカバーする公教育では、一時停止して根本的に補修することが出来ない。そのためその制度の瑕疵は「現に瑕疵のある制度」を通じてしか補正できないし、教育改革の主体は教師たちが担うしかない。議論する時にこのことをよく認識していないと自分の経験だけのミクロの教育論になってしまうのでしょう。
これを前提にして議論を展開しているのですが、学びとは何か、義務教育の意味は、そこから浮かびあげる現代の世相、若者観。ビジネスで成功するために必要な資質とは、自己実現とは何か。これらが縦横無尽に論じられています。成熟は葛藤を通じて果たされる。現在の教育は葛藤をできるだけなくそうとしているみたいですが、これでは成熟はもたらされないのでしょう。
ちなみに今もっとも必要とされるものは「他者とコラボレーションする能力」
昔、評論とは偏見を切り売りすることなんてことを言った人がいたけど常識にとらわれないある種のバイアスがかかった見方がはまった時に目から鱗なんですよね。
次は今評判の「日本辺境論」を読んでみましょう。
「教育は惰性の強い制度である」そうなんだ。教育論というのはいろいろな人がいろいろのことを言うのだけど、教育制度というのは、特に日本全体をカバーする公教育では、一時停止して根本的に補修することが出来ない。そのためその制度の瑕疵は「現に瑕疵のある制度」を通じてしか補正できないし、教育改革の主体は教師たちが担うしかない。議論する時にこのことをよく認識していないと自分の経験だけのミクロの教育論になってしまうのでしょう。
これを前提にして議論を展開しているのですが、学びとは何か、義務教育の意味は、そこから浮かびあげる現代の世相、若者観。ビジネスで成功するために必要な資質とは、自己実現とは何か。これらが縦横無尽に論じられています。成熟は葛藤を通じて果たされる。現在の教育は葛藤をできるだけなくそうとしているみたいですが、これでは成熟はもたらされないのでしょう。
ちなみに今もっとも必要とされるものは「他者とコラボレーションする能力」
昔、評論とは偏見を切り売りすることなんてことを言った人がいたけど常識にとらわれないある種のバイアスがかかった見方がはまった時に目から鱗なんですよね。
次は今評判の「日本辺境論」を読んでみましょう。