京都という街に惚れてしまった酒井さん。古い都なのですが、新旧いろいろな顔を持っていて、極端に異なる層が隣接して街のあちこちに顔を出している。
平安時代から明治時代に至るまで、都の文化を支えてきた女性たちも活躍しており、その人に関わる名所旧跡も多々ある。
今回は酒井さんがそんな京都の女性たちの姿を街の中に探して案内してくれます。
勿論京都の歴史に残るスターとしては、平安王朝文化最盛期の頃の紫式部とか清少納言、和泉式部になるのですけど、最初に登場するのは光明皇后に高野新笠です。うん?高野新笠は桓武天皇の母親だからわかるけど、光明皇后は奈良時代の聖武天皇の御后、京都と何の関係がある?実は清水寺境内にある子安塔が目指す場所。光明皇后が安産祈願したとの言い伝えがある。へ~、奈良時代の頃から清水寺のあった場所は清らかな湧き水湧く地として信仰の対象だったんだ。
ここから時代順に京都に足跡を残した女性の姿を追っていくのですが、次は斎王として神に仕えた女性たち。と言っても私が知っているのは警固の武士と割りない中になった済氏女王ぐらいか。それなりにスキャンダラスな事件で春画の題材にもなっているので知っていると言うのはどうも志が低い。
もっとも平安時代の男女関係はかなり奔放で女性も貞操を守るなどと言うこととは無縁みたいでした。小野小町とか薬子・高子・伊勢などはもてたのでしょうけど様々な男女の機微を知りつくし、それを芸の道に昇華させて優れた和歌を残しています。
さていよいよ中宮彰子と紫式部の登場。当然御所の中心にいたのでしょうけど、今の京都御所は当時とは場所が違っていたとか。でも京都御苑は美しい自然が堪能でき静かで趣があって平安の世を偲ぶには最適。私が小学校の修学旅行で行った記憶では、やたら広い砂利道を歩かされて疲れてしまい何の感慨もなかったのですが、そこから60年近く生きてきた今行けば感じることができるかな。
道長は彰子のサロンを魅力あふれるものにするため紫式部を教養・文芸担当のエースとしてスカウトし当時貴重だった紙を与えて源氏物語を書かせ、さらには紫式部日記を書かせています。どうやら紫式部日記は道長に公開を前提で書くように言われていたみたいで、それならば清少納言とかへの悪口雑言は分かります。
対する清少納言は皇后定子のサロンの教養文芸担当として活躍するのですが、定子は道長によって没落していくことに。そんな中清少納言は定子とそのサロンがどんなに素晴らしかったかを枕草子で縷々述べています。政治の世界の暗闘がすぐれた文学を生み出したのでしょうか。
この後平安女流文学のスターたち、藤原道綱母、和泉式部、菅原孝標女が登場、そのゆかりの地を訪ねていくのですが、みんな石山寺に参籠しています。石山寺は昨年比叡山の帰りに参拝していますが、平安時代だと徒歩しかないし都と比べればかなり鄙びているので大変だったのでは。
ここから平安時代を終え院政の時代に移るのですが、以後の女性はよく知らない人が多くなる。
ところでこの本は連載記事をまとめたものですが、この辺りからコロナ禍が忍び寄ってくる。外出も自粛で旅行などもってのほか。実際に京都の名所旧跡を訪ねることが難しくなる。地図を見つつ脳内散歩という次第。今は便利なものでストリートヴューもあるのですけど、現場の空気に触れないと物足りない。
そんな自粛生活の間に、平安時代の女性にとっての「憧れる」とか「籠る」とか「日記を書く意味と思い」等をコロナ禍の状況に引き付けて思考を飛ばしています。
やっと旅行ができるようになると時代は鎌倉、室町、江戸へと移っていきます。日野富子、北政所、淀君とかは知っていますが、なじみのないメンバーが多くなってきます。詳しくは読んでみてください。
やっぱり京都千年の都で名を成した女性は平安時代が頂点だったですかね。
京都に何度も行ったことのある人は、この本片手にあまり知らなかった足跡を巡ってみるのもいいのでは。
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