怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

義母の葬式

2012-11-07 16:42:16 | Weblog
義母は4年前に大腸がんの手術をしていますが、取りきれなかったのか、すぐに転移が見つかりました。年齢もあって途中から苦しい抗がん剤治療もやめ積極的治療はしてませんでした。
それでも義父を見送り1周忌、3周忌も無事勤めたのですが、今年になってから痛みが強くなり麻薬治療を受けていましたが、グループホームでは限界もあり9月に入院しました。肺と脳に転移したがんはかなり大きくいつ急変してもおかしくない状態でしたが5日の深夜に大量下血があり早朝亡くなりました。
かみさんが始発の電車で駆けつけたのですが間に合わず、私も連絡を受けて午前中で早退し、子供の高校にも連絡して早退させました。享年84歳でした。
式場は岡崎なので着替えを取りに来たかみさんと一緒に通夜のお泊りセットを持って名鉄で東岡崎へ行きそこからタクシーで10分ほど。
今回は義母がグループホームにもう1年ほど住んでいたということもあり、葬式は地域の人にはお知らせせずに家族葬と言うことで、本当に親戚縁者だけのものでした。かみさんは一人っ子で義母の兄弟も生きているのは2人だけとなり、列席者は20名あまり。寂しいといえば寂しいですが、落ち着いたしめやかな式になりました。
それでも私が喪主ということで(田舎は男が喪主でないといけないというのです)一応簡単ですが挨拶もしました。知った人ばかり(といっても私はあったのは数回なんですが)なので挨拶もないと思うのですが、そこはそうしないと式にならないんでしょう。私としては義母には複雑な思いがあるのですが、周りが涙ぐんでいるとこちらまでなんだか挨拶していて泣けてくるのは歳をとって上も下もゆるくなったからか?まあ笑ってるよりは世間的にはいいのでちょっとかっこ悪いけど良しとしましょう。
式場には布団もあるので通夜の夜は親族控え室で家族4人が雑魚寝。あんまり寝れないけど家で通夜をやるよりは断然楽です。朝食もコンビニがすぐ向かいにあるので簡単に済ませることが出来ました。時間が空いた時に近くを散歩したら歩いて10分ほどのところにスーパー銭湯もあったので、朝一風呂入ろうかとも思ったのですが、雨が降ってきて断念。
何とか通夜、葬式、初七日と夕方の5時ごろまでには済ませることが出来てほっと一安心。無事に家に帰り子供たちは翌日から学校へ。
それでも私は喪主としてというかお寺さんとお知らせはしなかったのですがご近所さんには挨拶に行く必要があるというので翌日も休んでかみさんと一緒に行かなくてはいけない。まあこんな時ぐらい付き合ってやるか。
ところが翌日名鉄神宮前に行くと8時14分に人身事故があって本線は東岡崎から不通。如何ともしがたいのですが、9時30分過ぎには復旧して30分遅れで行けました。ご近所に挨拶に行くと義母と親しい人はいきなり泣き出してしまう人もいて、関係ないのにこちらも目頭が熱くなってしまいます。人ごとのように思えば結局自分が悲しいだけなんでしょうが、近しい人が一人づついなくなる喪失感はこらえようのない寂しさなんでしょう。
とにかく無事喪主としてのお勤めは済ませて帰ることが出来ました。それでもこれから役所、郵便局、電気、水道などしなくてはいけない手続きが一杯。残された雑多な荷物と今は無住の家をどうするかとか、さし当たっての法事をどうするかとか考えなくてはいけないこと、やらなくてはいけないことは一杯でぐったりです。

コメント
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