実家で独り暮らしの母は、順調に認知機能障害が進んできている。今は週2回のディサービスに通っているのですが、その日は朝行って出かける支度をさせ、着替えを持たせて送り出します。毎回今日はディサービスの日かから始まってディサービスの日と納得させて支度にひと騒ぎ。いつも着慣れている年代物の服を着ていこうとするので、何とかもう少しましなものを着るようにと説得。とにかく新しいものに対して拒否感が強く、カバンなども破れていようがテープを貼って古いものを使い続けている。
最近ではまともに相手していると反論してくることもあってブチ切れてしまうこともしばしば。たぶん自分の母親なので余計怒りが収まらないのだろう。仕事と思えばそんなに怒り狂うこともないでしょうし、アンガーコントロールに努めるのでしょうけど。
振り返ればしっかりしていたころにはそれなりの関係だったのに、認知症というのは本当に過去の母親の姿を打ち消してしまい最近は悲しい気分ばかり残ります。
閑話休題。またも益田ミリの本ですが、3~4ページのエッセイと見開きの漫画で150ページほどなので気軽に読めてすぐに読了してしまいました。でもこの本に出てくる益田ミリと母の関係性はうらやましいくらい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/2b/0f175af697298628905b9d8b66699219.jpg)
20代で単身上京し、多分そのまま結婚をせず、子どもも作らない人生を歩むのだろうと諦念してる益田ミリ。その分母親に対しては折りにつれ心遣いをしている。母親もバリバリの下町の大阪のおばちゃんそのままですが、だからこそ惜しみなく子どもに愛情を注いでいます。齢30歳を過ぎ、自分の人生と重ねながらそのことを思い出して母の人生を思う姿は心に沁みてきます。
母の姿を通した大阪のおばちゃんの生態は、矢鱈と楽しそうに立ち話をして、タッパーがたくさんあってタッパーにおかずを詰めて団地の家との間を行ったり来たり。裏が白い広告チラシは小さく切ってメモ紙になり(うちの母もよくやっています)、さらにチラシで花瓶とかも作られ、ミカンの皮などを入れる簡易なゴミ箱にもなってとことん有効利用されている。
でもお弁当は手間をかけて毎日作り、しかも配置も配色もきれいな弁当だった。忘れ物をよくしたのだが、いつも学校の靴箱に届けてあった。くじ運とかはよくて「欲しい欲しいと欲がある人には当たらへんの」が口癖。明石家さんまが大好きで「いつもニコニコしていなさい」と言っている。母を思い出すといつも笑っている顔っていいですよね。
一人暮らしで特に用がなくても年に6~7回は交通費をかけて実家に帰るのだが、いつも喜んで大はしゃぎの母を見ると帰らなければと思い、そんな母に心癒されている。
今では年に2回は娘と二人で旅行に行っている。一緒に旅をしていると、うれしい時にうれしいと素直に表現できることの大切さをしみじみ感じ、そんな母を見るのが大好きで、ちょっとぐらい無理しても一緒に旅行したいと思う娘でした。
本人も本の中で「どんだけお母さんが好きなんや」と書いているけど、読者にビンビン伝わってきます。
基本的に甘すぎるほど甘やかされて育った娘ですが、甘やかされたその思い出はいつも心の中にあって、著者の心の芯の部分を暖かくしてくれる。「私、大丈夫かも」という根拠のない自信を授けてくれる。
あとがきに書いているのですが、母との思い出を「よく覚えていますね」と言われることがあるが、その時忘れている記憶の方を思う。覚えていることなど、ほんの一部。その一つ一つを確認することはできないけど、著者の心の深く深くに残っているだろうと。
これには私も深く同意するのですが、今は顔を合わせれば認知症の母を罵倒しているばかりの息子でした。
最近ではまともに相手していると反論してくることもあってブチ切れてしまうこともしばしば。たぶん自分の母親なので余計怒りが収まらないのだろう。仕事と思えばそんなに怒り狂うこともないでしょうし、アンガーコントロールに努めるのでしょうけど。
振り返ればしっかりしていたころにはそれなりの関係だったのに、認知症というのは本当に過去の母親の姿を打ち消してしまい最近は悲しい気分ばかり残ります。
閑話休題。またも益田ミリの本ですが、3~4ページのエッセイと見開きの漫画で150ページほどなので気軽に読めてすぐに読了してしまいました。でもこの本に出てくる益田ミリと母の関係性はうらやましいくらい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/2b/0f175af697298628905b9d8b66699219.jpg)
20代で単身上京し、多分そのまま結婚をせず、子どもも作らない人生を歩むのだろうと諦念してる益田ミリ。その分母親に対しては折りにつれ心遣いをしている。母親もバリバリの下町の大阪のおばちゃんそのままですが、だからこそ惜しみなく子どもに愛情を注いでいます。齢30歳を過ぎ、自分の人生と重ねながらそのことを思い出して母の人生を思う姿は心に沁みてきます。
母の姿を通した大阪のおばちゃんの生態は、矢鱈と楽しそうに立ち話をして、タッパーがたくさんあってタッパーにおかずを詰めて団地の家との間を行ったり来たり。裏が白い広告チラシは小さく切ってメモ紙になり(うちの母もよくやっています)、さらにチラシで花瓶とかも作られ、ミカンの皮などを入れる簡易なゴミ箱にもなってとことん有効利用されている。
でもお弁当は手間をかけて毎日作り、しかも配置も配色もきれいな弁当だった。忘れ物をよくしたのだが、いつも学校の靴箱に届けてあった。くじ運とかはよくて「欲しい欲しいと欲がある人には当たらへんの」が口癖。明石家さんまが大好きで「いつもニコニコしていなさい」と言っている。母を思い出すといつも笑っている顔っていいですよね。
一人暮らしで特に用がなくても年に6~7回は交通費をかけて実家に帰るのだが、いつも喜んで大はしゃぎの母を見ると帰らなければと思い、そんな母に心癒されている。
今では年に2回は娘と二人で旅行に行っている。一緒に旅をしていると、うれしい時にうれしいと素直に表現できることの大切さをしみじみ感じ、そんな母を見るのが大好きで、ちょっとぐらい無理しても一緒に旅行したいと思う娘でした。
本人も本の中で「どんだけお母さんが好きなんや」と書いているけど、読者にビンビン伝わってきます。
基本的に甘すぎるほど甘やかされて育った娘ですが、甘やかされたその思い出はいつも心の中にあって、著者の心の芯の部分を暖かくしてくれる。「私、大丈夫かも」という根拠のない自信を授けてくれる。
あとがきに書いているのですが、母との思い出を「よく覚えていますね」と言われることがあるが、その時忘れている記憶の方を思う。覚えていることなど、ほんの一部。その一つ一つを確認することはできないけど、著者の心の深く深くに残っているだろうと。
これには私も深く同意するのですが、今は顔を合わせれば認知症の母を罵倒しているばかりの息子でした。