【作品に描かれた髷のカツラや化粧道具なども展示】
凛とした気品にあふれる美人画を描き続け、女性初の文化勲章を受章した上村松園(1875~1949年)。松園は驚くほどきめ細やかに着物や帯、髷(まげ)、簪(かんざし)などを描いた。松伯美術館(奈良市)で開催中の特別展「松園を魅了した麗しき女性美~装いへのこだわり」(12日まで)は主に髷に焦点を当て、作品に描かれた髪型のカツラや化粧道具なども展示している。
松園は様々な髪型の女性を描いた。少女を表す「桃割」、未婚女性の「娘島田」、既婚の「丸髷」……。二曲一隻の屏風『娘』(上の写真)は左の女性が江戸中後期の「天神髷」、右は島田髷の1種「結綿(ゆいわた)」で、いずれも20歳ぐらいまでの女性の髪型という。そばには「結綿」のカツラの実物。このカツラは田村資料館(京都府宇治田原町)の所蔵品で、読書中の姉妹3人を描いた『美人観本図』、親子2人がホタル狩りをする『新蛍』などの前にも、作品に描かれた髪型と同じカツラが展示されている。
屏風『人形つかい』(下の写真=一部)は少し開いた襖の間から若い女性が覗き込む構図。この髪型は江戸後期に流行した「つぶし島田」で、結い上げた黒髪に赤い水引が映える。『化粧』は風呂上がりの女性が鏡の前で化粧水を手に取る瞬間、『化粧の図』は首筋に塗った白粉の仕上がり具合を合わせ鏡で確認する様が描かれている。作品のそばにはお歯黒の道具「耳盥(みみだらい)」や鏡箱、化粧道具なども展示されている。これらは京都府立総合資料館蔵。
下絵20点も展示中。その中に母親が亡くなった年に描いた『青眉』の下絵があった。母仲子は女手一つで松園ら娘2人を育て上げた。『青眉』は母を追慕した作品といわれる。青眉は子どもができ母になった印として眉を剃り落とした昔の風習。松園は著書「青眉抄」にこう記した。「私は青眉を想うたびに母の眉をおもい出す。母の眉は人一倍あおあおとし瑞々しかった。……私が描いた絵の青眉の女の眉は全部これ母の青眉であると言ってよい。青眉の中には私の美しい夢が宿っている」。
松園は美人についてもこう書き残している。「桃山(時代)には桃山の特長があり、元禄には元禄の美しさがあると思います。強いて言えば現代の風俗が一番芸術味に乏しいと思います。尠(すくな)くも私は現代のハイカラ姿が一番嫌いです」(「青眉抄その後」)。では、松園の目になぜ非芸術的に見えたのだろうか。「それは女自身が自分の性質なり姿顔形なりに、しっくりふさわしいものがどれだというしっかりした考えがなくて、ただ猫の目のように遷(うつ)り変わる流行ばかりを追うからだと思います」。松園没後60年余。松園が現代女性の服装や髪の形・色などを見たら、びっくり仰天して絶句するかもしれない。