く~にゃん雑記帳

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<狩野山楽・山雪展>「京狩野」初代~2代目の大回顧展も今日で見納め

2013年05月12日 | 美術

【米国とアイルランドからの里帰り4点を含む83点】

 京都国立博物館で3月末から開かれていた「狩野山楽・山雪展」も今日12日が最終日。桃山から江戸時代への波乱の過渡期に、狩野永徳の画風を受け継いだ「京狩野」初代山楽(1559~1635)と、山楽の婿養子で2代目の山雪(1590~1651)。展示作は海外からの里帰り4点、初公開6点を含む全83点(うち重要文化財13点)で、2人の生涯と画業をたどる初の大回顧展といわれた展覧会もこれで見納めとなる。

 

 徳川幕府の成立に伴い狩野本家筋は江戸に拠点を移し「江戸狩野」として幕府の御用絵師となる。一方、永徳の門人筋は京にとどまり「京狩野」に。初代山楽は永徳没後、豊臣家の画事を引き受けたことが災いし、豊臣残党狩りの標的となった。だが、非凡な画才が認められ徳川2代将軍秀忠らの尽力で命をつないだ。

 「江戸狩野」の瀟洒淡白な画風に対し、「京狩野」は濃厚で力強い画風が特徴。山楽の代表作の1つ「龍虎図屏風」(妙心寺蔵、上の写真)も金地に、口を大きく開いて威嚇する虎がリアルに描かれている。そのうなり声が画面から響いてくるようだ。雄の左には豹。当時、虎のメスは豹と思われていた。

 山楽の「聖徳太子絵伝」(四天王寺蔵)は秀吉の命で制作されたが大坂冬の陣で焼失、徳川秀忠による再建に伴い再び描いたが、今度は江戸後期の大火に遭う。幸い焼失は免れたが、水でかすんだ痕跡などが痛々しい。「朝顔図襖」と「梅花遊禽襖」(ともに天球院蔵)は山楽73歳、山雪42歳の時の師弟共作。「朝顔図襖」(下の写真㊤)は大きな襖4面につるを伸ばした白や青の朝顔が涼やかに描かれている。

 

 山雪の里帰り4作品の1つ「老梅図襖」(米メトロポリタン美術館蔵、上の写真㊦)は太く黒い幹がまるで龍のようにうねる。明治初めまで京都・妙心寺塔頭、天祥院の襖絵だったもので、初里帰りの「群仙図襖」(米ミネアポリス美術館蔵)と表裏の画面。海を渡り離れ離れになっていた襖絵が50年ぶりに故郷京都で対面した。

 アイルランドから里帰りした「長恨歌図巻」(チェスター・ビーティー・ライブラリィ蔵)は中国・白楽天の長編叙事詩「長恨歌」を基に玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋物語を色鮮やかに絵画化した。この巻物、どんな経緯で遠くアイルランドまで行ったのだろうか。その向かいには宮廷で横笛を手にした玄宗皇帝と舞う楊貴妃を描いた山雪の「明星貴妃図屏風」(京都国立博物館蔵)も展示されていた。

   

 山雪が描いた龍・虎は山楽のそれに比べ表情が柔らかい。山楽の「龍虎図屏風」の龍図(写真㊧部分)は目を見開いてにらみつけ迫力たっぷりだが、山雪の「龍虎図」(佐賀県立博物館蔵、写真㊨部分)は上目遣いでどこか気が弱そうにも見える。山雪の作品にはこのほかにも温かくユーモラスなものも。美術展初出品の「武家相撲絵巻」(相撲博物館蔵)からは力士の躍動感が伝わってくる。「松梟竹鶏図」(根津美術館蔵)や「猿猴図」(東京国立博物館蔵)はフクロウや手長猿が愛くるしい表情で描かれている。

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