【バッハの曲の配置法に倣って7章を〝シンメトリー〟に構成】
ベートーベン、ブラームスと共に「ドイツ3大B」といわれるヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)。多くの音楽家を輩出したバッハ一族の中で「大バッハ」とも呼ばれる。バッハ(BACH)はドイツ語で「小川」。ベートーベンはそれをもじって「バッハは小川でなく大海だ」と言った。著者ははしがき冒頭で「バッハという大海に意を決して飛び込み、潜り込んで生命を落としかけた体験がこの小さな本になりました」と記す。
帯に「ベテラン指揮者が解き明かすバッハ音楽の隠喩・数秘術・修辞学」。淡野氏は1938年生まれで東京芸大を経てドイツ・ヘルフォルト教会音楽大学で学んだ後、68年ハインリヒ・シュッツ合唱団を設立し、現在、桂冠名誉指揮者。2003年から東京・本郷教会で教会暦に沿った「バッハ・カンタータ連続演奏」を始め、今も続行中という。
7つの章からなるが、その構成がおもしろい。真ん中の第4章を「二十世紀のバッハ像」とし、その両側の第3章と第5章にバッハの2大傑作「マタイ受難曲」「ロ短調ミサ曲」を据え、さらに第2章と第6章で教会カンタータの話題を取り上げる。バッハは多くの作品で、ある中心点を挟んで鏡のように楽曲を配置した。そのシンメトリーの構成を本書に取り入れたところに、著者のバッハへの愛着とこだわりが垣間見える。
第1章は「バッハの学んだこと、目指したこと」として少年時代から晩年に至る足跡を追う。その中でバッハに襲いかかった7つの〝事件〟や子ども20人のうち成人した10人の横顔などを紹介する。第4章ではバッハ研究者5人の見解を取り上げ、シュバイツァーがバッハを「1つの終局」と語ったのとは対照的に、ベッセラーは「次の時代の開拓者」とみなしたことなどを紹介する。
ロ短調ミサ曲はミサ通常文全体を通して作曲した、遺言ともいわれる大作。著者は「背景となっている聖書の該当箇所をよく観察し、典礼文全体を一つの物語のように把握して、修辞学的に解釈しながら音楽としていること」に驚かされたという。さらに「『古い』ものの持つパワーを踏切台として前衛最先端の表現に至る経緯は、まるで『自伝』そのものといってよい」と称賛する。
第2章や第5章ではバッハの音楽に隠れている「数象徴」にも触れる。18世紀、ヨーロッパでは数字に象徴的な意味を持たせる一種の遊びが流行した。バッハは「14という数を音楽の中でよく署名代わりに使った」。アルファベットのABC…を数字の123…に置き換えると「BACH」は2+1+3+8で「14」になるからだ。三位一体の神を表す「3」や十二弟子・教会を表す「12」にもこだわり、作曲する際にはこれらの数字を意識的に拍子や調、小節数、器楽・声楽の編成などに反映させた。
かつて「音楽の父」とも呼ばれ多くの教会音楽を残したバッハ。彼にとって作曲とは? 筆者は最終章で「音楽の秘密と原理を探ることだった」と書く。「人間の耳に音として聴こえる部分はもちろん、聴こえないもの、見えないもの、哲学、そしてさらに宗教といった次元のテーマも物理の法則を基に構築され、音楽として表現され得ると理解していた。バッハは彼の悟った『神の律』『神の諭し』を響きに変え、彼が確信した神の存在を世界に向かって証言しようとした」。音楽の中に隠された数字やパロディー手法、シンメトリーな曲の構成……。心地よい崇高な響きの中に様々な仕掛けが施されていたことに、改めてバッハの凄さを思い知らされた。