【近世麻布研究所・吉田代表が奈良県立民俗博物館で講演】
奈良県立民俗博物館(大和郡山市)で19日、「国際博物館の日」記念講演会があり、「近世麻布研究所」代表の吉田真一郎氏が「布の山から文化を読み解く」と題して講演した。吉田氏は糸や織りを顕微鏡で検査・分析することで麻布の産地を特定する道を開いた麻研究の第一人者。講演の中で「奈良時代はもちろん弥生時代の人々も木綿のような柔らかい風合いの衣服を身に着けていたのではないか」と話し、古い時代の衣服は目が粗く肌触りが悪かったというこれまでの通説に疑問を投げかけた。
吉田氏は1948年生まれで、30年余り前、アート素材として古い布の収集を始めたのが江戸時代の麻布研究のきっかけ。麻は長く植物繊維全般を指す言葉として使われてきた。だが、その素材の詳細について照会しても不明なことが多かったため、自ら顕微鏡を使った独自の繊維検査などで麻布の〝謎解き〟に取り組んできた。昨年夏には新潟県十日町市で「四大麻布―越後縮・奈良晒・高宮布・越中布の糸と織り」を開催、これまでの研究成果を披露した。
江戸時代の麻布には大麻(たいま、写真㊧)または苧麻(ちょま、写真㊨)の繊維が使われている。越後縮と奈良晒は経糸・緯糸とも苧麻。ただ奈良晒は明治時代に入って経・緯とも大麻に変わったという。越後縮は「柔らかい中にも腰があるうえ透明感もあるのが特徴」。主に武士の帷子(かたびら)など式服に使われ、将軍家や諸大名からの注文で特別に織った極上品は「御用布」などと呼ばれた。
一方「八講布」とも呼ばれた越中布は経糸が大麻、緯糸が苧麻だった。高宮布は滋賀県の湖東産で、その名は高宮宿(現在の彦根市)が集散地になっていたことによる。「古文書では大概、近江は大麻と苧麻の両方を使用となっていたが、高宮布の1つを顕微鏡検査すると経・緯とも大麻だった」。高宮布は大麻と苧麻を使い分けていたらしい。
大麻で織った麻布は苧麻に比べると目が粗く品質が劣るといわれた。そのため主に野良着など日常着用に使われたが、高宮布は木綿のように柔らかい。吉田氏は「大麻は太い糸で織っても晒しを繰り返すと木綿のような風合いが出る」という。さらに「正倉院展に出品されたものや平安時代の絵巻物の衣装を見ても、大麻布が柔らかい風合いで描かれている。木綿が出るまで硬いものを着ていたといわれてきたが、古い時代から柔らかいものを着ていたのではないか」と指摘する。
奈良晒や高宮布には検査に合格したことを示す小さな朱印が押されているものがあった。ほとんどが仕立ての際に切り落とされたとみられるが、奈良晒では「南都曝平大工曲」(上の写真㊧)と押されたものが運よく30余点見つかった。「平」は平糸、「大工曲」は曲尺(かねじゃく)を指す。高宮布の合格印(写真㊥)は「南都」の部分が「南郡」となっており、さらに「橘」という1文字の印(写真㊨)も押されていた。橘は彦根藩の井伊家の家紋。
朱印さえ見つかれば、それだけでも産地は明白。中には朱印がわざわざ見えるように仕立てられた着物もあった。吉田さんは「今と同じように江戸時代にもブランド志向があって、自慢していたのではないだろうか」と話す。