【「本邦初公開」! 約3000年前の西周時代の瓦も】
日本最初の瓦葺き建物は6世紀後半に造営された飛鳥寺(奈良県明日香村)。588年に百済から招かれた瓦博士4人が瓦づくりに携わった。では瓦はそもそもいつごろ誕生したのだろうか。帝塚山大学付属博物館(奈良市)でいま「瓦の来た道―中国瓦の歴史」展(6月1日まで)が開かれている。同大学は国内有数の古代瓦の収集・研究拠点。今回の特別展ではアジアの瓦発祥の地、中国の各時代を代表する特徴的な瓦24点を紹介している。
日本の瓦の歴史は1400年余だが、中国では約3000年前の西周時代(紀元前1023年頃~同770年)に瓦の本格的な使用が始まったといわれる。展示品の中にその西周時代の瓦の破片が4点。企画した清水昭博・人文学部准教授(考古学研究所長・付属博物館長)によると「多分本邦初公開」。その1つの平瓦の凸面(外側)には瓦を成形するときに付いた縄目の跡がくっきり残る(上の写真㊧)。瓦が屋根からずれ落ちないように、凹面(内側)に固定のための突起が付いているのもこの時代の特徴という(写真㊨)。
唐の時代は複弁蓮華文が主流になるが、唐の滅亡とともに蓮華文は衰退し、宋に入ると代わって鬼面や龍、牡丹などの文様が流行した。北方民族が建国した遼、金、西夏、元の文様は鬼面文が中心。遼の時代には「滴水瓦」と呼ぶ中央下部が尖った軒平瓦も出現した。滴水瓦は日本では安土桃山時代、城郭を中心に採用された。明、清の時代になると、龍など動物文が主流となり、黄釉瓦や緑釉瓦、白磁製の瓦など色鮮やかな瓦が登場した(写真㊧=黄釉龍文軒丸瓦、㊨=緑釉宝相華唐草文軒平瓦)。「黄色は皇帝の色で、5本指の龍は皇帝の象徴。その瓦は宮廷内の皇帝の存在をアピールするものでもあった」(清水准教授)。
中国で本格的に瓦が作られ始め、その技術が日本に伝わるまでには1600年の時差がある。清水准教授は「長い年月をかけ改良された瓦の技術が渡ってきた。だが、その技術の全てが日本にやってきたわけではないし、受け入れる側にも選択の余地もあった。そこには日本と中国・朝鮮半島、中国と朝鮮半島の政治的、社会的関係が介在していた」と話す。この中国編に続いて朝鮮半島編、日本編も構想中で、3回シリーズとして瓦がたどった悠久の道を紹介していきたいという。