く~にゃん雑記帳

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<帝塚山大付属博物館>「瓦の来た道」展…発祥の地中国の瓦の歴史をたどる24点

2013年05月13日 | 考古・歴史

【「本邦初公開」! 約3000年前の西周時代の瓦も】

 日本最初の瓦葺き建物は6世紀後半に造営された飛鳥寺(奈良県明日香村)。588年に百済から招かれた瓦博士4人が瓦づくりに携わった。では瓦はそもそもいつごろ誕生したのだろうか。帝塚山大学付属博物館(奈良市)でいま「瓦の来た道―中国瓦の歴史」展(6月1日まで)が開かれている。同大学は国内有数の古代瓦の収集・研究拠点。今回の特別展ではアジアの瓦発祥の地、中国の各時代を代表する特徴的な瓦24点を紹介している。

 

 日本の瓦の歴史は1400年余だが、中国では約3000年前の西周時代(紀元前1023年頃~同770年)に瓦の本格的な使用が始まったといわれる。展示品の中にその西周時代の瓦の破片が4点。企画した清水昭博・人文学部准教授(考古学研究所長・付属博物館長)によると「多分本邦初公開」。その1つの平瓦の凸面(外側)には瓦を成形するときに付いた縄目の跡がくっきり残る(上の写真㊧)。瓦が屋根からずれ落ちないように、凹面(内側)に固定のための突起が付いているのもこの時代の特徴という(写真㊨)。

 

 その後、春秋時代に入ると瓦は各地に広がり、戦国時代には樹木文や双獣文など各国で個性的な文様の瓦が作られた(上の写真㊧=樹木双獣文半瓦当)。秦、漢の時代には丸瓦の先端に円形の粘土板を貼り付けた軒丸瓦が多用されるようになる。南北朝時代(紀元439~589)には日本の古代瓦に一般的な蓮華文の瓦が普及し、素弁形式の南朝の瓦が朝鮮半島を通して飛鳥時代、日本に伝わった。この時代には獣面文も採用されたが、南朝のその文様は舌を出すなど表情がやや滑稽に見えるものも目立つ(写真㊨=獣面文軒丸瓦)

  

 唐の時代は複弁蓮華文が主流になるが、唐の滅亡とともに蓮華文は衰退し、宋に入ると代わって鬼面や龍、牡丹などの文様が流行した。北方民族が建国した遼、金、西夏、元の文様は鬼面文が中心。遼の時代には「滴水瓦」と呼ぶ中央下部が尖った軒平瓦も出現した。滴水瓦は日本では安土桃山時代、城郭を中心に採用された。明、清の時代になると、龍など動物文が主流となり、黄釉瓦や緑釉瓦、白磁製の瓦など色鮮やかな瓦が登場した(写真㊧=黄釉龍文軒丸瓦、㊨=緑釉宝相華唐草文軒平瓦)。「黄色は皇帝の色で、5本指の龍は皇帝の象徴。その瓦は宮廷内の皇帝の存在をアピールするものでもあった」(清水准教授)。

 中国で本格的に瓦が作られ始め、その技術が日本に伝わるまでには1600年の時差がある。清水准教授は「長い年月をかけ改良された瓦の技術が渡ってきた。だが、その技術の全てが日本にやってきたわけではないし、受け入れる側にも選択の余地もあった。そこには日本と中国・朝鮮半島、中国と朝鮮半島の政治的、社会的関係が介在していた」と話す。この中国編に続いて朝鮮半島編、日本編も構想中で、3回シリーズとして瓦がたどった悠久の道を紹介していきたいという。

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