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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

パッチギ! 河の流れもいつか落ち着く

2005-03-03 | 映画
「岸和田少年愚連隊」や「ゲロッパ」などベタなエンターテイメントを描かせたら随一の井筒和幸監督の最新作は68年頃の京都を舞台に在日朝鮮人高校生の日常とその番長の妹に恋する優しい日本人少年の物語。GS、全共闘、毛沢東語録、ヒッピーと60年代の時代臭がぷんぷんして楽しい。そして、フォークルの伝説の名曲「イムジン河」が全編を包み込む。
可憐な在日朝鮮人女子高生キョンジャが親しくなりつつある日本人康介に「結婚したら、朝鮮人になれる?」と訊く台詞は象徴的だ。日本に60万人もの在日韓国・朝鮮人が済むようになった理由(=強制連行)と戦後日本の排他的排外的政策ゆえに在日同胞のコミュニティーを確固なものとして生きるしかない在日にとって日本人への同化はありえなかったのだ。もちろん康介の両親ら、日本人社会が朝鮮人が日本人になることもまた絶対許さなかっただろう。
映画を見ていて住井すゑの「橋のない川」をずっと思い出していた。時代はもっと古く、被差別の解放運動組織である全国が結成される頃までを描いた同作品は、差別するあちら側と差別されるこちら側には「橋」がないことが交流や共生、そして対等、平等を阻害していることの象徴として描かれていた。一方「パッチギ」では橋はあるが、あちら側とこちら側で行き来がなく、抜き難い断絶を示している。乱闘シーンも康介がキョンジャに思いを告げるときも、橋を使わず河を泳ぎ、またいで行く。橋の存在そのもより橋の架け方、使い方の方が大事だと。
韓流ブームに見る空前の韓国人気、雪解けの一方で「拉致問題」は「解決」の糸口さえ見えず、「経済制裁」の声が高まるばかりだが、ワールドカップサッカーが橋の架け方、使い方のとば口になるだろうか。
康介が河を渡るシーンは前日の大雨で大洪水だったそうだが、河の流れもいつか落ち着く。そして橋には入り口が必ずあるなら、出口もきっとある。
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